tag:blogger.com,1999:blog-2607506510778017259.post7904355103686084529..comments2023-12-30T18:52:30.650+09:00Comments on on dyslexia: 合格体験記(3)「ディスレクシアの勉強法に"共通解"は存在しない」もじこhttp://www.blogger.com/profile/18024839360129380991noreply@blogger.comBlogger7125tag:blogger.com,1999:blog-2607506510778017259.post-36525454887558333962018-06-22T15:23:34.327+09:002018-06-22T15:23:34.327+09:00カエルさん、ありがとうございます!このご返事を読んだときには興奮してしまって、「まともでなかった」(...カエルさん、ありがとうございます!このご返事を読んだときには興奮してしまって、「まともでなかった」(え?)ので、お礼をするのが遅れてしまいまして、大変失礼いたしました。「あの時のことはそういうことだったのか」と経験をシェアし共感しあえるのはうれしいことなんだな~、とわかったことが、また嬉しいです。ありがとうございます。<br /><br />一人ひとりに適した学習方法を提供するには教える側の「センス」が必要かもしれません。でも、「今の学校教育の状態」が結構偏っているので(?!)簡単に変えられるところから変えることはできのではないかな~と思っています。たとえば宿題の問題集をタイプの違った2種類から選ぶ、とか、漢字の覚え方を繰り返し書いて覚えたい人と、視覚的に覚えてテスト形式を繰り返した方が定着する人と分けて学ぶ、みたいに。ベストな方法をいきなり出すことはできなくても、ベターを積み重ねていくことはできると信じているのです。そうして生徒側が「それが自分に適しているかどうか?」と考えることを、(これまた)積み重ねていくと、その人自身が自分に適した学習法を選んだり作り出したりする力がついていくように思うのです。<br /><br />私も、ディスレクシアを知ってから、自分をいろんな角度から見ることができるようになり、自分に適したやり方、を考えられるようになりました。今も考え続けています。それはなかなかに楽しい旅です。日本中、世界中がそうなったらいいなというのが、私の「夢」です。<br /><br />いつか、カエルさんにお会いしてお話できたらうれしいなぁ!どうか今後ともよろしくお願いいたします!!<(_ _)><br /><br /><br />ごんhttps://www.blogger.com/profile/07387721919434250247noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2607506510778017259.post-65093005916009431542018-06-19T11:22:48.094+09:002018-06-19T11:22:48.094+09:00はじめましてごんさん、カエルと申します。
自分がとても共感できた部分があるので引用させていただきます...はじめましてごんさん、カエルと申します。<br />自分がとても共感できた部分があるので引用させていただきます。<br />「それから、板書を見て考える頭と、写したノートで考える頭が、違うんですよね(自分で考えながら書くノートは問題なし)。視覚的に理解するからでしょうかね。それで、前を向いているときと下を向いているときに頭の切り替えが必要で、それが本当に無駄な労力に思えました。」<br />まさに自分が思っていたことを言語化していただいたような気がします。僕も自分で考えながら書くノートには全く抵抗ありません、しかし黒板に書かれた人の考えを追って理解することと、それを自分のノートに書き写すというタスクを同時にこなすことはおそらくその切り替えの負担がとても大きいので難しかったです。<br /><br />このような特性がディスレクシアに共通しているのであれば、それは教える側として対策が可能であると思います。しかしディスレクシアの特性は人それぞれ異なり、またその自分の特性を正確に把握すること自体がとても難しので、一人一人に適した学習方法を提供する教育機関を創造することは本当に難易度の高いことであるはずです。<br />僕はそんなところに挑むもじこ先生やごんさんに敬意を評し、また何か僕に協力できることがあればぜひと思っています。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2607506510778017259.post-56646445398939843742018-06-07T12:57:01.615+09:002018-06-07T12:57:01.615+09:00もういっこ。
私が研究をしたいと思い、それを続けている原動力は、塾で出会った生徒たちです。本当は、全...もういっこ。<br />私が研究をしたいと思い、それを続けている原動力は、塾で出会った生徒たちです。本当は、全体から細部に移る思考や、自分なりの「引っかかるカギ」を作って覚えていくのが適したやり方なのに、ただただ「繰り返し書く」「本を写す」というその子に合わない=成果が出ない方法を繰り返す生徒。セルフエスティームは下がり、親御さんも「この子は出来は悪いけど、努力だけはできる子」と評価し、その承認を得たいがために、また「努力」という形のルーティンをこなしている・・・。私は、静かにその生徒に合った方法に導くよう注力しながらも、悔しかったり悲しかったり。それが一人や二人ではなかったのです。それを思い出すと、端緒についたばかりの研究が、いきなりうまくいかなかったりするけど、どうしてもやりたい、と思うのです。<br />ごんhttps://www.blogger.com/profile/07387721919434250247noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2607506510778017259.post-2140426283977583972018-06-07T12:19:58.721+09:002018-06-07T12:19:58.721+09:00こんにちは。初めてコメントいたします。過日、もじこさんには私からのぶしつけなメールに温かいお返事をい...こんにちは。初めてコメントいたします。過日、もじこさんには私からのぶしつけなメールに温かいお返事をいただき本当にありがとうございました。<br /><br />今回の記事、昔の自分のきつかった部分が彷彿と思い出され、思わず書いています。板書写し嫌いでした。そうか、人より上向いたり下向いたりしてたんだ、きっと(笑)。それから、板書を見て考える頭と、写したノートで考える頭が、違うんですよね(自分で考えながら書くノートは問題なし)。視覚的に理解するからでしょうかね。それで、前を向いているときと下を向いているときに頭の切り替えが必要で、それが本当に無駄な労力に思えました。自分には効果がなかったので、「板書写しは時間の無駄」とも思っていました。それで、自分が主催した学習塾(中3専門で5教科やってました)ではノートテイクは一切なし(ついでに宿題一切なし)でやってました。思えば私の塾でディスレクシアチックな生徒には劇的な効果があったのは、私がそういう傾向の人で、そういう人に合う授業をやっていたからかもなぁ、と今更つくづく思います。<br /><br />今回、コメントで挙げられている問題意識と同じことを考えて、「感覚」でやっていた学習塾をいったん閉じ、学術的な裏付けがとりたくて、over50にして大学院に入りました。いつかこの地域の学校の先生たちと、いろいろな認知・処理方法をもつ生徒に対応できるような授業の工夫・・・事例の積み重ねができたら、と思っています。忙しい先生たちにも簡単にできることから始めたい。絶対「点数」にも効果が出るはずですから。今のところ、「夢」ですが。の前に、もじこさんもおっしゃられていたとおり、研究として行うには、「歯が立たない」感じが・・・!! <br /><br />最近、ニューロダイバシティという言葉を知りました。脳の個性ですよね。LDと診断されなくたって、脳の個性はあるし、その脳に効果的な学び、「無駄な」学び、ってあるということを、社会の一般常識にできたらいいのにと思う日々です。<br /><br />いろいろ書きなぐってすみません。また、お邪魔します。<br />ごんhttps://www.blogger.com/profile/07387721919434250247noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2607506510778017259.post-54401125116813198302018-05-21T23:22:12.897+09:002018-05-21T23:22:12.897+09:00カエル君にコメントをいただけて、嬉しいです!
アイス1個でノートを全コピーさせてもらえるのは
ひとえ...カエル君にコメントをいただけて、嬉しいです!<br />アイス1個でノートを全コピーさせてもらえるのは<br />ひとえにカエル君の<br />対人能力と交渉能力の高さの賜物、<br />ではないでしょうか。<br /><br />保護者として学校に関わって痛感することは<br />教育現場での圧倒的なリソース不足です。<br />(予算、人員、設備・・・)<br /><br />加えて先生になる方々は<br />既存の学校での教育方法が合っていて<br />また、それが好きなタイプである可能性が高く、<br />最も予算のかからない授業方法を当然の前提で<br />「スタンダードなもの」として受止めているように見えます。<br /><br />ただ、教室で授業を理解できてなさそうな子供達が<br />場合によっては半分ぐらいいることと、<br />親自身も子供の小学校の学習内容が<br />フォローできない、と言い切るケースが<br />少なからずあることを考えると<br />(つまり、親も小学校の学習内容を<br /> 完全に理解してきていない)<br />ノートテイク中心の授業方法は、定型発達の人でも<br />ついていくのは結構厳しいのではないかと思うのです。<br /><br />遠い記憶ですが、高校までは、<br />間違った板書をそのまま写す人のほうが多数派だった気がします……。<br /><br />これからの子供達には<br />多様な学習方法の選択肢が与えられるように願って<br />(ちょっとだけ行動して)います……。materialmomnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2607506510778017259.post-7791716027802628202018-05-20T22:46:49.896+09:002018-05-20T22:46:49.896+09:00ありがとうございます。
上を読んだカエル君からコメントが届きました。許可を得て転載します:
(…)...ありがとうございます。<br />上を読んだカエル君からコメントが届きました。許可を得て転載します:<br /><br />(…)現在の教育が全てノートテイクを基本に出来上がってしまっているという指摘にはとても共感ができます。大学に来ても、先生が教科書の内容を板書していき、生徒がそれをひたすらノートに書き写すというスタイルが授業の基本です。ぼくはもともとそれが全く合わないことを理解しているので、初日の一日以降大学では一回もノートを取ってない(高校の途中からも)です。<br />ノートテイクが自分に向いていない理由は、ワーキングメモリーが低いと1文を写すのに10回くらい頭の上げ下げが必要になること、処理速度が遅いためそもそも板書が追いつかない、書き写しと理解を同時にこなせないなどだと思います。<br />この学習法は定型の方でも情報処理が得意な方ほど有効に働くために、いわゆる高偏差値の人たちとはこの情報処理が得意な方々となっていくように思います。情報処理が得意であると、この学習法は理解もでき覚えることもでき手を動かすこともでき、本当に有効なんだろうなとは思います。ただこの方法がみんなに向いてるかと言われると、少なくとも僕は向いてないし、定型の方でも向いていない方はそれなりにいてもおかしくないかなとは思います。<br />その割合はわかりませんが、もし一定数存在するならば日常的な学校での学習法について、選択肢を与えられるようになるといいという理想があります。ただこの何が向いているかどうかという選択は自己感覚に基づいてやることなので、 学習者全員に要求することはとても難しいとも思います。<br /><br /><br />あと定型の方でも向いてない方はそれなりにいるはずと思っている理由は、高校でも駿台でも大学でも 、 数学などの授業中の板書で先生が(計算など)間違えて書くと 、 みんな間違えたまま書き写します。それで先生が答えが合わないことから自分の間違えに気づいて板書を書き直すと、 多くの人が自分のノートを消しゴムで消して直します!!ここで消しゴムを使わない人こそ本当にノートテイクが向いている人なはずで(板書を写しながら理論的つながりも理解しているはずだから) 、 消しゴムを持った人はつまりただ書き写してるだけなのです。英語ではわかりにくいかもしれませんが、先生が予備校などで授業を行なっていた時や授業参観などの時の感覚として 、 この間違えをそのまま写す人って結構多いと思いませんか?<br /><br />大学のある数学の授業がとても難解でみんなヒーヒー言ってるのですが、みんなとりあえずノートだけは完璧にとっておいて後で読解するとか言って、 頑張って板書写してます。授業時間1時間半ずっと書き写してます。ほとんどみんな理解してないから、 先生間違えるとみんな消しゴム使ってます。つまり1時間半かけてみんな自分で勉強するための参考書作りをしているのです。僕はその同級生が頑張って作った参考書をアイス一個で全コピーしました、ほんとお買い得です。でもみんなこの一コマ1時間半の参考書制作時間を無駄だとは思わないみたいなんです<br /><br />あと中学や高校でよくあるノート評価、これは本当に意味わかんないです。なぜ複製能力コンテストが授業評価につながるのか。ノートに板書して勉強するという勉強スタイルを完全に押し付けた評価方法で、これによってあたかもノート学習が正しい勉強法だとみんなを信じ込ませていってるんじゃないかと思います。これでは勉強法の選択肢を与えるどころか、他の勉強法は認めないという学校のスタンスがよく表れている気がします。もじこhttps://www.blogger.com/profile/18024839360129380991noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2607506510778017259.post-31374463535959925212018-05-19T15:20:08.883+09:002018-05-19T15:20:08.883+09:00この生徒さんは、本当に自立した精神の持ち主ですね。
ある種、日本人離れしているような気がします。
...この生徒さんは、本当に自立した精神の持ち主ですね。<br />ある種、日本人離れしているような気がします。<br /><br />私は、わが子の問題に直面してから特に、<br />「板書」や「ノートテイク」を授業等で重んじる意味が<br />分からずにいます。<br />学生時代も、ノート作成には全く力を入れていませんでした。<br /><br />物理的(この表現でよいのか分かりませんが)にも<br />処理能力の高い東大生であれば、当然、綺麗なノートを書き、<br />その内容を理解することが容易にできるでしょう。<br /><br />ただ、一般の児童・生徒(定型・非定型問わず)にとって、<br />ノートテイクを頑張ったからと言って、<br />その学習内容の理解が上がるか、というのは大いに疑問です。<br />授業参観で見ていても、その板書の時間を使って、<br />もっと色々な方向から説明してみる、純粋に問題に取り組む、<br />というようなことをしたほうがいいのでは?<br />という場面も何回も見ています。<br /><br />カエル君の指摘のとおり、板書にあることは<br />参考書(や教科書)に、とても見やすい状態で<br />記載されています。<br /><br />書くと、覚えられる、理解できる、というタイプの子には<br />板書は有効ですが、ディスレクシアに限らず、<br />これは、すべての子供に有効、ではないと思っています。<br />(学校の先生には言えないですけれど)<br /><br />すべての子供が自分に合った勉強法を見つけられるように<br />色々な先生が、もっと研究してくださるといいなと<br />思っています……。<br />(几帳面だけれど、成績がパっとしない子への救済策、<br /> としてのノートテイク評価という面があるらしいですが、<br /> 少なくとも基本事項がきちんと理解できるような方法に<br /> 力を振り向けられるように指導するべきだと思うのです)<br /><br />もじこ先生のディスレクシアジャーニーを応援しております!<br />materialmomnoreply@blogger.com