「村上さんのところ」という期間限定サイトがありました。
その更新最終日に、村上春樹が
「自分も少しくらいLDの傾向があったかも」と言っています!
http://www.welluneednt.com/entry/2015/04/30/113300
私はどうも勉強が苦手です。本を読んだり、講義を聴くことは好きなのですが(これらは知的好奇心を満たしてくれるのでむしろ積極的にします)、机にじっと座って勉強をするということがどうしてもできないのです。というか、学校で勉強の方法って習ったでしょうか?勉強の仕方ってなんなのでしょう。
何個も連なった問1、問2、問3……を眺めていると、くらくらしてきてつい遊んでしまいます。それで親には怒られます。[中略]勉強ってどうすればできるのでしょうか。(ほろほろ、女性、18歳、学生)
…世の中には「学習障害」というものがあります。英語で言うと、Learning Disabilities略してLDです。知的能力はまったく劣っていないんだけど、システマティックな勉学に向いていない。そういう能力が欠如あるいは不足している。そういう傾向のある人に「勉強しろ」ということは、ほとんど拷問に等しいことです。僕にも少しくらいそういう傾向があったかも。好きなことならいくらでもできるんだけど、いやなことにはぜんぜん関心が向かない。そういう傾向は今でもぜんぜん変わっていません。きみはどうなんだろう? 何か好きな勉強はありますか。
やっぱそうか~~~(o・∇・)o
私は前々から、村上春樹の長編を読んでいて
こういう立体的な構造の、通常の枠におさまらない物語が書けるのは
ひょっとしたらディスレクシアだからではないか?と思っていたのです。
ちなみに、『1Q84』ではディスレクシアの美少女が登場します。
1984年に、
「君が言っているのはつまり、いわゆるディスレクシアみたいなことなのかな?」という会話が成立すると考えるのは、ちょっと難があると思うのですが、、
「ディスレクシア」とふかえりは反復した。「読字障害」「そういわれたことはある。ディス--」(『1Q84 Book 1』p178)
ともあれ、わたくしは
「村上さんはご自身をディスレクシアだと思いますか?」という
あまりにもストレートすぎる質問を、1月中に送らせて頂きました。
「そうだん」がひらがななのが 妙~にディスレクシア的な気が |
やっぱりというか、私の質問は採用されなかったのですが、
質問を送ったときに返ってきた自動返信のメールが・・・
(o・∇・)o!!
なんという勢いのない字…!字形がとれてない…!(嬉)
この自動返信メールで、お返事は頂いたようなものです。
これを見て、私の中で村上春樹は勝手にディスレクシア認定されました。推測ですが、
村上春樹は90年代、米国東海岸の大学に招聘された時に
ディスレクシアというものを知ったのでは…と思っています。
当時は日本ではディスレクシアはまったく知られていなかったはずですが、
アメリカの大学ではすでに研究対象になっていたので。
それにしても、この字と小説のギャップは、何ともディスレクシアです!
そう思ったのは私だけではないようで、こんな質問もありました:
http://www.welluneednt.com/entry/2015/02/19/174000
村上さん初めまして。
唐突な質問なんですけど、このホームページ上で直筆だと思われる文字が見受けられますが、左手で書かれたのでしょうか?
(ジョード、男性、40歳、会社員)
つたない右手でペンを持って、一生懸命書いています。そんなことを言われるととても傷つきます。にゃあ。
村上春樹拝
この字ですよね↓。左手で書いたのかと言いたくなりますよね。。
もんがまえ、「と」「ま」が特にディスレクシア的です |
ここで『1Q84』から、ディスレクシアの字についての描写を:
「字は小さく、硬く角張って、どことなく不自然に見えた。貝殻を集めて、砂浜に書かれた字を、上空から眺めているみたいな感じがあった」(同p471)
~ ~ ~
他にもいくつか、「村上さんのところ」から、
特にディスレクシア的だなと感じた回答を貼っておきます。
実は、2月頃の回答では、
ADHDの質問者に対し、割と普通の(?)答えをしていました:
http://www.welluneednt.com/entry/2015/02/09/073500
はじめまして。理性がつきはじめた頃から、他者と比べて思考が幼いと気付いていました。そして17歳になり、診断された結果、ADHDだとわかりました。ネットでは、私達ADHDはゴミクズだと、生きている価値がないと綴られていることが多々あります。そのネットでの価値観はまったくもって正しいと私は思います。先生ならば、どう思われるのでしょうか……? (ひなた、女性、17歳、無職)
すごく平凡な答えになって申し訳ないのですが、時間をかけてその障害(みたいなもの)とつきあっていくしかないと思います。まわりの協力も必要だし、あなた自身の努力も必要だけど、それはじゅうぶん可能だし、やってみる価値はあると思います。もちろん専門医師の指導も大事です。ネットで何が言われているか知りませんが、そんなことは気にしない方がいいと思いますよ。それはあなた自身の大事な問題なんだから。そしてそれを乗り越えられたとき、あなたは普通の(障害みたいなものを持たない)人よりずっと強い、大きな人間になれていると思います。「文豪」と呼ばれている小説家の中にも、実はさまざまな種類の精神的な重荷を抱えた人がけっこうたくさんいます。あなたの健闘を祈ります。
これは、「ディスレクシア」という言葉が出てきた唯一の回答。
http://www.welluneednt.com/entry/2015/03/23/113100
小学校の先生として、一人でも多く本好きの子供を育てたいという気持ちはとてもよくわかります。本を好きになるというのは素晴らしいことです。ただ世の中にはディスレクシア(識字障害・読字障害)を抱えている人も少なくないし、そういう人たちに強制的に本を読ませるのは、たぶん拷問に等しいことだろうと思います。やはり読書というのは、自発的におこなわれるべき行為ではないでしょうか。ある程度読書を勧めて、でもどうしても本が好きになれないという子供たちには、好きなことをさせておく方が良いと思いますよ。繰り返し言っていることですが、人口全体の5パーセントが本当の本好きであれば、世の中はなんとかなっていくものです。
次は、「 昔、何かのエッセイで、「挨拶という字が書けない。練習しなくちゃ」と書かれていたことがあったと思いますが、書けるようになりましたか。」という質問への答え。
ディスレクシア的と言われればそんな気もしますが、書けない人は多いかも…
http://www.welluneednt.com/entry/2015/04/24/113700
実は「挨拶」、まだ書けません。練習を怠けていました。パソコンで文章を書いていると、書けない漢字って、ぜんぜん書けるようにならないですね。というか、書けた漢字まで書けなくなってくるみたいです。どこかで練習しないと。
おつぎは読書感想文の書き方について。
ディスレクシアの特質である
「一見無関係なものの間に関連性を見つける能力」
を地で行く回答。そして同じ指摘が先日コメント欄でもありました→★
http://www.welluneednt.com/entry/2015/04/24/073100
よくぞ訊いてくれました。僕は昔から読書感想文を書くのが得意でした。読書感想文を書くコツは、途中でほとんど関係ない話(でもどこかでちょっと本の内容と繋がっている話)を入れることです。それについてあれこれ好きなことを書く。そして最初と最後で、本についてちょろちょろっと具体的に触れる。そうするとなかなか面白い感想文がすらすら書けます。やってみてください。
僕は高校時代、他の人のかわりに課題の読書感想文を書いてあげて、お礼に昼ご飯をおごってもらっていました。昔から今と同じようなことをしていたんですね。
最後に、当ブログでも一時盛り上がった、ディスレクシアと夢、異界について。
このあたりのことは、非ディスレクシアな私には謎の世界です・・・
「同じ妄想を私もします!」というディスレクシアの人が現れないかな~、
などと思って貼ってみます。
http://www.welluneednt.com/entry/2015/04/09/173000
物語と空想は似ていますが、ちょっと違います。物語はもともと自分の中にあるものです。それは深いところに鉱脈のようにあります。それが地上にたまたまでてくるのが空想になるのかもしれません。つまり、ごく簡単に言ってしまえば、空想は物語の尻尾のようなものです。子供の頃は物語と空想がかなり近接したところにありますが、大人になってくると、そのふたつはだんだん分離していきます。 小説に即していえば、空想を書いていただけでは小説になりません。自分の中にある物語を深いところから掘り起こして来なくてはなりません。ゼペットじいさんが木の塊の中からピノキオを見つけ出すみたいに。つまりゼペットじいさんはピノキオを作ったのではなく、見つけ出したのです。だからこそピノキオは生命を持つことができたのです。
http://www.welluneednt.com/entry/2015/03/09/11300
僕が小説を書くときに訪れる場所は、僕自身の内部に存在している場所です。それをとりあえず「異界」と呼ぶこともあります。それは現実に僕が生きているこの地表の世界とは、また別な世界です。普通の人は夢を見るときに、しばしばそこを訪れます。僕は――というか物語を語るものはと言ってもいいのでしょうが――そこを目覚めた意識のまま訪れます。そしてその世界について描写します。だからそれは外部にある「異界」ではありません。あくまで内的な「異界」です。異界という言い方が誤解を招くなら、率直に「深層意識」と言ってもいいかもしれません(ちょっとだけ違うんですが)。どうすればそこにアクセスできるか? 僕にはわかりません。瞑想の訓練みたいなものである程度可能になるかもしれませんが、妙な思想が絡んでくると危険なこともありますので、くれぐれも気をつけてくださいね。マジックにはホワイト・マジックとブラック・マジックがあります。違いに留意してください。
http://www.welluneednt.com/entry/2015/02/15/203600
夢の続きを見るというのは不思議な体験ですね。たぶんあなたは夢とのコミットメントが深い方なのでしょう。僕はあまり夢を見ることはありませんし、見たとしても大方の場合、本当に断片的なことしか記憶していません。ただ小説を書くというのは、夢を記述する行為に似ていると思います。違いは、小説家は眠っているときにではなく、目覚めているときに、意図的に夢を見るということと、その続きをいつでも自由に見られるということです。けっこう楽しいですよ。
http://www.welluneednt.com/entry/2015/02/14/113100
妄想、しょっちゅうしているかも(笑)。というか、妄想することが僕の仕事の一部です。妄想というのは、頭の中で自分を仮説に巻き込んでいくことです。つまり「自分がこうあるかもしれない姿」をどんどん追求していく。そしてその追求はどんどんあらぬ方向に突き進んでいってしまいます。僕は言うなれば、そういう知的探求(知的なんだろうな?)を仕事にしています。そしてそれは君の勉強を妨げている。困りましたね。僕としては「勉強なんてまあいいじゃない。ここはしっかり妄想しようよ」と言いたいところなんだけど、まあそうもいかないし。今のところはがんばって勉強してください。