※高専:高等専門学校。5年制で、工学系にシフトした専門教育を行っている。早くから工学系の才能を示すディスレクシアにおすすめの進路のひとつです。
M君「ここまでずっと、英語を避けてきました」
M君は自分がディスレクシアと知っていたものの、高専では自分と同じような人を見たことがないと言います。
S君のように、自己紹介で「自分はディスレクシアです」と言う人や、
3人とも苦労のポイントは同じなようで、最初から意気投合。
その証拠に、M君はS君に、
高専のクラスで上位1割をキープすること、しかも英語が足を引っ張る状態でそのポジションをキープするためには、人の何倍も努力が必要だったことでしょう。
M君
「『他教科はできるけど、英語だけやる気にならないんか』とずっと言われてきた。
英語にはどの科目よりも苦労してきたのに」
同じことは、ほかの理系ディスレクシアからも、ときどき聞きます。
理系科目はよくできて、発言もたくさんするのに、英語になると急に発言もしないし、課題も出さない。
理系科目と英語で、授業態度のギャップが激しすぎる。
・・・と、周りから見られているのです。
本人の認識は、周囲の見方とは、まったく違います。
はっきり言いませんでしたが、この苦しさは相当のものだったと思います。
☆ ☆ ☆
S君は、小学校のころから特性理解を進めてきた、合理的配慮のパイオニアです。
彼の場合は、戦わざるを得ないほど、読字困難も大きいものでした。
「今も、体調が悪い日は、文字が揺れて見えてきて、気持ち悪くなります。
頭痛や腹痛、だるさや眠気はずっとあります。
彼にとって、英語を読むことはこれほどまでに激しい身体症状を伴う、本当に苦しい行為です。
それなのにS君は、
と言うのです。
大学ではロボット工学やAIを学び、いずれはディスレクシアの読み困難を支援するデバイスを開発したいとのこと。
中学では模範的学生として表彰。
高専1年の途中から、定期試験で、英語を追試の日程に行うという合理的配慮を受けるようになりました。
おかげで、数学や物理で実力を出せるようになりました。
(なお、現在は手書きで答案を書いているそうです。)
☆ ☆ ☆
十代後半を「高専」という、工学部を先取りするような環境で過ごした2人に対し、高認※というルートを経たN君にとって、大学受験は孤独との闘いでした。
※高認:高等学校卒業程度認定試験。かつて「大検」と呼ばれていたもの。高卒と同等の資格を得ることができます。
小6の授業中、机の下で両手に二進法を覚えさせていたという彼は、数の申し子。
単語が覚えられないし、それ以前に単語を読めない・・・
そんな状態で中3に入り、授業で長文を扱うようになると、英語の成績は急降下。
CPUの開発をしたいという一念だけで受験生活を走り抜けましたが、英語を読む際のつらさ、英語が足を引っ張るつらさ、そして同年代の友人との何気ない交流がないつらさは、相当のものでした。
30分も英語を読み続けると、急に激しいめまいがするようで、それ以上は文字を見ても意味をとることはできません。
その苦しそうな様子は、いたたまれないものがありました。
センター試験の英語は、200点中90点。半分もとれませんでした。
でも入学後の様子はそれはハッピーで、受験生時代にどれほどの厳しさに耐えていたか、よくわかります。
大学の勉強が今は楽しくてたまらない彼ですが、情報工学の世界に進みたい以上、仕事で英語を使うこと、さらには英語資格の要件からは逃げられないと言います。
「英語で苦労するってわかってるのに、それでも情報工学をやりたいんや?」
M君に問われて、静かに
N君の英語の読字能力は、大学入試時点では、戦えるレベルにはなりませんでした。
英語を毎日使っているというのも、大きいようです。
DeepL:機械翻訳アプリ。Google翻訳をはるかに上回る、驚くほど自然な訳文が生成されます。
これに加えて、授業の助手に入り、中1の生徒たちと一緒にフォニックスの最初の一歩から復習できたことが、思いのほか効果的だったようです。
目標をもって地道な基礎訓練を続ければ、20歳を過ぎても、読字能力はまだまだ成長を続けるらしい。
彼を見ていると、S君もM君も、正しい訓練をすれば、ちょっとずつ英語が読めるようになるだろうと、信じることができます。
☆ ☆ ☆
三人が「ですよね」「わかるわ~」とディスレクシアあるあるトークを繰り広げるなか、私は胸がいっぱいでした。
この人たちに英語を読ませるというのは、イルカを陸に引き揚げて「さあ走りなさい」「なんで走れないの?」と言うようなもの。
この人たちは、海に放てば、ものすごく生き生きと泳げるのです。
私は残念ながら海の中の様子がわからないので、彼らの泳力のすごさを完全に知ることはできません。
でも、この人たちは海では非常に高い能力を発揮できるというリスペクトの気持ちをもって接することは、非常に大事だと思っています。
英語に向き合う時の彼らは、本来の姿ではまったくないのだと。
海に放てば抜群に泳げる人たちを、むりやり陸で競わせようとするのが、昨今の英語要件です。
この人たちに英語の試験という関門を課すのは、才能ある理系の人たちが出てくる道を閉ざすことであり、社会的に大変な損失です。
もし私にものすごくお金があったら、学校を作りたいです。
その学校は全教科そろっていて、ディスレクシアの生徒たちが英語で苦しむことなく、のびのびと関心を追求する環境がそろっている。
工学部ディスレクシアたちが、ポジティブな自己認識をまっすぐ持ったまま、心も体も壊さずに成長できる。