2025-10-31

IDAによるディスレクシアの2025年版定義について(その2:スピード、形態素、連続体、複雑、二次的影響)

この記事は、IDAによるディスレクシアの新定義のシンポジウム内容をまとめたものです。

その1(新定義とその試訳)はこちら→






新定義が発表される前に、改定のプロセスが説明されました。


起草委員会が、当初予定の60時間の2倍の時間を投じて意見を交換し、その上で数十名のアドバイザーの意見、さらにはパブリックコメント2000件を経て作り上げられた。

定義変更のモチベーションは、英語以外のディスレクシアの研究が蓄積してきたことにある。特に、言語の粒度と透明性によってディスレクシアの出方が異なることが明らかになってきた。


(★日本のディスレクシア研究者なら誰もが知る、ワイデル先生の1999年の仮説のことですね!日本の要素を感じてうれしかったです)


できるだけグローバルな、さまざまな言語でのディスレクシアに目配りした定義を作りたい


(★IDAのジレンマのひとつだと、個人的には思います。IDA自体は世界に開かれているという姿勢ですが、会場では英語以外のディスレクシアへの関心は正直、とても低いです。

それでも、このような姿勢が打ち出されたのは、大変意義深いことです)


定義紹介の前後に、用語解説が行われました。主なものを紹介します。




1. fluency(流暢性)からspeed(速度)へ

fluencyは実践家に混乱を引き起こす。speedとすることでクリアになる。

automaticity(オートマティシティー、自動化)とfluency(フルエンシー、流暢性)は定義に入れるべきとの声が多かったが、正確性とスピードこそが単語レベルの自動化の主たる要素で、それが今度は流暢性を決定づける。

automaticityとfluencyは説明書きに含める予定。


fluencyという用語の意味をめぐる議論は、昨年のIDAでヒートアップしていました。「fluencyとは速度だけなのか?ただ速く読めばいいというものではないだろう」。結果、定義からは外れましたが、自動化やfluencyという概念そのものを否定したわけではなく、実際セッション中にたくさん耳にしました。


ところで、この部分の原文は

accuracy, speed, or bothとなっています。

構文的には、accuracyとspeedの間にもorが入っています。つまりここの訳は

「正確性もしくは速度、または、正確性と速度の両方」

→「正確性か速度の一方または両方」

です。

「正確だが遅い」というディスレクシアもいるということです。

透明性の高い言語だとそうなると、このシンポジウムでも言っていました。

(ですよね・・・もじこ塾的にも、読む訓練を積んだ一般入試組の多くは、この境地に達します)



2. phonological and morphological (音韻とモーフォロジー)


Underlying difficulties with phonological and morphological processing are common, but not universal

(根底に音韻処理およびmorphology処理の困難があるのが一般的だが、全員ではない)


ポイントは2つ。


その1 音韻一辺倒主義からの脱却

音韻的困難は多くの言語で見られるが、ディスレクシアの困難を単純化しすぎる懸念がある。 
 
IDAはディスレクシアの原因を音韻の困難だけとする見方から、離れたようです。
他のセッションでも、自己反省の弁を聞きました。
コロナ前には「みなさんご唱和ください。せーの、『ディスレクシアは音韻処理の障害である』」とやっていたことを思えば、ものすごい変化です。
こうしてきっぱり変わっていくあたりにも、科学的であろうとするIDAの意志を感じます。

音韻一辺倒からの脱却を宣言することは、かなりの痛みを伴うようです。

起草委員のひとりからは


自分は『ディスレクシアは音韻処理の欠陥』と教わり、そう識別するモデルを作ってしまった。2002年の旧定義はそこまで断言していなかったのに。しかしそのせいで『この人はディスレクシアではない』とこちらが判断してしまった人もたくさんいた。自分の息子も含め…


という、痛みを伴う告白もありました。

とはいえ、ではディスレクシアの視覚の問題という話になるのかというと、IDA的にはそうはならないわけで・・・代わりに台頭したのが以下のようです。



その2  morphology(モーフォロジー)の台頭

(試訳では「形態」としましたが、以下では英語のままとします)


さまざまな粒度の言語において、ディスレクシアには音韻的側面が関係しているが、粒度が大きくなるほど、morphemeの知識が大きな役割を果たす。  

ディスレクシアの読みの問題には、音韻とmorphologyの両方が関与していると、我々は考える。



音韻と並ぶ概念として定義に入ってきた文言。もじこ塾的には今回、ここが一番衝撃でした。

今回のIDAでは、morphologyに関する発表がたくさんありました。
morphologyの教え方、morphologyの脳科学など…

morpheme(モーフィーム、「形態素」)は、接頭辞(rememberのre)や接尾辞(informationのtion)のこと。日本の受験英語でも教える概念です。
なお、IDA界隈では過去形の-ed、複数形の-s、-ingなども形態素に含めるようです。
こちらに至っては、日本の中学英語でがっつり教える事項です。

前者を教えると読みやすくなるのは知っていました。しかし今回、話はそこにとどまらず、
morphology的な処理の困難がディスレクシアの原因らしい、と定義で言っているのです。

rememberを例にとると、-erは「~する人」を表す接尾辞(例:singer)ですが、rememberのerはそれではありません。
でもディスレクシアだとここに戸惑いがあって、、ということのようです。


また、日本語のmorphemeが何なのかは、これから明らかにすべきことのようです。
私にとってはこのことが今回の最大の宿題ですが、ここでは割愛します。



3. continuum(ディスレクシアはスペクトラムである)

These difficulties occur along a continuum of severity
(ディスレクシア的困難は、重篤度の連続体に沿って生じる)

ディスレクシア研究の初期には、読み能力の分布は読める人vs.読めない人の二山型とされていたが、今では読み能力は正規分布を示すことが分かっている。  

つまり「これより読めなければディスレクシア」「これ以上読めればディスレクシアではない」というラインはない。


「連続体」とはスペクトラムのこと。IDAではdimensionalという言葉を使っていました。このことは何度も強調されていました。

また、上は検査に意味がないということではなく、検査を一律に解釈してはならない、いくつかの検査を組み合わせるべき、また教師の観察力が問われている、という意味と私はとらえました。




4. complex (ディスレクシアの原因は複雑である)

The causes of dyslexia are complex and involve combinations of genetic, neurobiological, and environmental influences that interact throughout development. 

(「ディスレクシアの原因は複雑。そこには遺伝的要因+神経生物学的要因+環境要因が組み合わさり、発達全体を通じて互いに影響し合ったものが関わっている」)


ディスレクシアはマルチファクター(multifactorial、複数の因子が絡んでいる)であり、かつスペクトラムだということは、何度も強調されていました。

また、遺伝の話は特に慎重に、注意事項がたくさんついていました。


・ディスレクシアに遺伝子が一定の役割を果たすのは事実だが、ディスレクシアの原因遺伝子は175もあり、それもディスレクシアに特化したものはない。

・言語発達は誕生さらには胎内から始まっているとの説もあり、遺伝子の発現は、発達期全体を通じた環境との相互作用に影響される。

・遺伝子はディスレクシアを決定づけるのではなく、その可能性を高めるに過ぎない。重度な場合も軽度な場合も、リスクファクターは同じ。 



5. Secondary consequences(二次的な影響)

二次的な影響はぜひ定義に含めてほしいという声が多かった。 包括的支援システムの設計のためである。


新定義でも印象的な部分として、

二次的影響が「語彙や背景知識」から「言語、知識、作文、学業全般、メンタル、就労」に広がった点があります。


「IDAの定義の目的は、医学的診断ではなく、学校で支援を受ける参照元となることにある」と明言していました。

そこから考えるに、この部分は当事者やその周りの人に釘を刺している印象があります。

と同時に、読解力不足はディスレクシアの原因ではなく、結果だと言っている気もします。

ここ数年のIDAでは、よく議論になっています。


何を二次的な影響にあげるかは、日本で言う二次障害的なものも候補にあがったそうです。

(不登校ではなく薬物乱用があがっていたのに、お国柄の違いを感じました。)



6. language and literacy support before and during the early years of education is particularly effective.

(教育の初期の数年および就学前における、言語とリテラシーに関するサポートは特に効果的である)


Xで反響を呼んだのがこの部分。ここは長くなりましたので、記事を分けます。


2025-10-30

IDAによるディスレクシアの2025年版定義について(その1:新定義の試訳)

今年もIDAに行ってきました!

円安の苦しさはありましたが、収穫もいっぱいありました。


今年の目玉はなんといっても、ディスレクシアの定義が23年ぶりに改定されたこと。


この記事を書きながら、新定義のすごさが、じわじわ来ています。

「ああこれは」と生徒の様子が目に浮かびますし、一言一言がとても思慮深い。

今後のディスレクシア研究や実践の指針となる定義という印象が日に日に強まってきました。





IDAの初日午後、新定義の作成委員が壇上に上り、経緯や文言を説明するシンポジウムが行われました。

以下は、その様子をまとめたものです。

すごく長くなりましたので、何部かに分けて順次アップしていきます。


「聴衆の皆さんは、新定義をstudy(吟味)し、そのうえでディスレクシア・コミュニティ全体を後押しするよう、それぞれの場所でシェアしてほしい」

とのことでした。

この言葉に後押しされながら、以下、まとめを書きます。


☆    ☆    ☆

まず、2002年の定義と2025年の定義がどのくらい変わったのかを把握するために、変更部分に色をつけてみました:


2002年版

Dyslexia is a specific learning disability that is neurobiological in origin. It is characterized by difficulties with accurate and/or fluent word recognition and by poor spelling and decoding abilities. These difficulties typically result from a deficit in the phonological component of language that is often unexpected in relation to other cognitive abilities and the provision of effective classroom instruction. Secondary consequences may include problems in reading comprehension and reduced reading experience that can impede growth of vocabulary and background knowledge."


2025年版

"Dyslexia is a specific learning disability characterized by difficulties in word reading and/or spelling that involve accuracy, speed, or both, and vary depending on the orthography. These difficulties occur along a continuum of severity and persist even with instruction that is effective for the individual's peers. The causes of dyslexia are complex and involve combinations of genetic, neurobiological, and environmental influences that interact throughout development. Underlying difficulties with phonological and morphological processing are common but not universal, and early oral language weaknesses often foreshadow literacy challenges. Secondary consequences include reading comprehension problems and reduced reading and writing experience that can impede growth in language, knowledge, written expression, and overall academic achievement. Psychological well-being and employment opportunities also may be affected. Although identification and targeted instruction are important at any age, language and literacy support before and during the early years of education is particularly effective."


「ディスレクシアは特異的学習障害、その困難は」「二次的影響は読解力の問題と読む経験の不足、それが」以外、全部ですね・・・



では試訳です。あくまでも、もじこ的暫定訳です:

ディスレクシアは特異的学習障害のひとつであり、その特徴は、単語を読むおよび/または綴ることの、正確さか速さの一方または両方にまつわる困難にある。この困難は書記体系によって異なる

この困難は重篤度のスペクトラムに沿って生じ、同級生にとって効果的な指導を受けてもなお残る。

ディスレクシアの原因は複雑であり、遺伝的、神経生物学的、環境的な影響が組み合わさり、発達全体を通じて相互作用を及ぼすものである。
根底には音韻処理および形態処理の困難が見られるのが一般的だが、必ず見られるわけではない。幼い頃の話し言葉の苦手さはしばしば、リテラシーをめぐる困難の予兆となる。 二次的な結果として、読解力の問題や読み書き経験の不足が言語、知識、文章表現、学業の全般的成果の向上を阻む可能性などがある。 心理的ウェルビーイングや就労の機会にも影響する場合がある。 何歳であっても、ディスレクシアと識別されピンポイントの指導を受けることは重要だが、就学前および就学初期の数年間における言語とリテラシーのサポートは特に効果的である。



訳注

・形態処理:morphologyの暫定訳。要検討です。


・リテラシー:カタカナにしておきます。