「隠れディスレクシア」「ディスレクシアの利点」で当ブログではおなじみ(?!)の著者です。
たいへん示唆に富む話だと思います!
例外から学ぶ
=内側側頭葉に由来
=エピソード記憶に関係
=ディスレクシアが強い分野である
ディスレクシアは・・・
・規則を疑い、壊す人たちである
・「例→規則性」という順番の学習方法が適している
(×「規則→例」ではなく)。
・規則性だけではなく例外を示すことで、規則性が腑に落ちる
・規則性を疑わなければならない場面で力を発揮する
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ディスレクシアは例外から学ぶ
(原題:脳の例外から学ぶ)
ある人たちに明らかに見られる学習スタイルがある。そのキーワードはどうやら「例外から学ぶ」らしい。
幼い頃から規則を疑い、前提に反論するように見える子たちがいる。
「こういうふうに考えなさい」と教え込もうとすると、即座に「ていうか…」と返してくるような子たちだ。
例外から学ぶ学習方式は、新奇性あるいは帰納的学習法※と相性が良いようだ。
(※まず具体例にたくさん触れ、そこから規則性に至る方法。まず規則を教えるのとは対照的)
というのも、「例外を発見する」ということは、規則を問い直し、自分の持っている既存の分類をシャッフルし直す必要に迫られることを意味するからだ。
例外から学ぶ学習者は、説明のつかない事実や信じられないような話からモチベーションを大いにかき立てられる。
すでに知られていること、すでに達成されていること、可能とされていることといった「限界」を、打ち破る話にモチベーションを感じるのだ。
テキサスの研究者によると、例外学習法は内側側頭葉から始まる脳内過程に由来する。
内側側頭葉が興味深いのは、エピソード記憶(個人的に経験した出来事や情景の記憶)が存在するのもこの部分だからだ。
丸暗記よりエピソード記憶が優位な学習者----ディスレクシアの多くはこれだ----は、実際に手を動かして学んだり、例外から学んだり、単純な原理に対し理屈で反論したりといった方法を好む。
例外学習法には弱みもある。
一目瞭然の規則を疑ってしまったり(選択式の設問を深読みしすぎるなど)、ペーパーテストで悲惨な点数をとる(自分にとって意味がわからない間は悲惨な点数を取り続け、腑に落ちてようやく合格点が取れるのだ)。
こういう子たちは、規則性があると納得できるまで観察できる必要があると同時に、規則と例外を区別する程度に、例外にも十分触れなければならない。
例外的思考法の強みは、既存の枠を打ち破らなければならないときに発揮される。
パラダイムの転換が必要な時、問題に対しこれまでにない視点が必要な時は、こうした「規則を壊す人=ルールを破る人」は俄然、力を発揮するのだ。
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規則を疑い、例外が大好き。これはまさにうちの子のことです。
例えば、本人に言わせると彼のサッカースタイル(笑)は
「おれは頭脳派なの。相手にわざと反則取らせたり。反則すれすれを狙ったり」(このあとどういう動きをするかの説明が延々と続く)
このように、どうやって規則の裏をかくかばっかり考えてます。
実は・・・規則の裏をかくのは、私もそうせずにいられません(汗)
「いいから黙って決まった方法に従ってください」と言われる場所にいると
突拍子もない行動に出たくなったり、激しく眠くなったり気分が悪くなったり、
「バカモード」(→突拍子もない行動をとらないよう意識レベルを下げた状態)に入り、
その結果ものを落としたり、段差を踏み外してケガをしたり、ろれつが回らなくなったり・・・といった展開になるのです。
大型ショッピングセンター、テーマパーク、各種式典、PTAの会合(笑)などに行くと、こういう感じになります。
決まったやり方に押し込められるのが、たとえその方が一般には楽だったとしても、脳が受け付けないのです。
ちょっと話がずれたかもしれません。
私の「規則の裏をかくのが好き」は周囲との軋轢を生みがちですが、
私の知るディスレクシアの人たちを思い浮かべるに、彼ら彼女らの規則の破り方には社会との対立はありません。
もっとさりげなく、いつの間にかすり抜けてます。
また、
「規則だけでなく例外を教えることで、ディスレクシアは初めて腑に落ちる」
「ディスレクシアは、簡単すぎる問題でも疑うので、テストの易しい設問でかえってつまづく」
あたりは、さまざまなディスレクシア的学習法に広げられる気がします。
それについてはエントリーを分けることにします・・・
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