学習障害にはディスレクシアのほかにも、「ディスカリキュリア」というものがあります。
「カリキュリア」はcalculate(計算する)から来ていて、「ディスカリキュリア」は「計算障害」または「算数障害」と訳されます。
LD学会で聞いた話では、ディスレクシアの6割は算数障害も持っているとも言われる、とのことでした。
ディスレクシア以上に、まだまだ未解明の分野だそうです。
当ブログでは、算数指導について、これまで扱ってきませんでした。
それは・・・子が4年生になる頃には、すでに私の算数の能力では教えられなくなったからです。。
私は筋金入りの数学音痴です。
小5でY谷O塚日曜テストの「大きな数」の回で、完答したにもかかわらず0点を取ったあたりが自覚の始まりでした。
中高でも大学入試でも、一貫して数学(と物理)が壊滅的に苦手でした。
模試で数学の偏差値が30を割ったこともあります。
共通一次の数学は90点(200点満点)、2次試験の数学は0点(1問だけ完答したが回収する時に周りと全然違う図を書いたのが見えて0点確定)、なぜか入ったのが経済学部で授業が全くちんぷんかんぷん(経済学は数学が分からないと無理です)、など、学生時代はいろんなことがありました。
中高でも大学入試でも、一貫して数学(と物理)が壊滅的に苦手でした。
模試で数学の偏差値が30を割ったこともあります。
共通一次の数学は90点(200点満点)、2次試験の数学は0点(1問だけ完答したが回収する時に周りと全然違う図を書いたのが見えて0点確定)、なぜか入ったのが経済学部で授業が全くちんぷんかんぷん(経済学は数学が分からないと無理です)、など、学生時代はいろんなことがありました。
子供のドリルの答え合わせをして「0の数が違う!」と叱った後、違うのは自分だと発覚するorzことが続き、子供の算数を見るのはやめました。
(ちなみに子は、算数全般には苦手意識はありません。書き間違いや計算ミスは多々ありますし、図形が苦手などいろいろありますが)
☆ ☆ ☆
「算数障害は5タイプに分類できる」というイギリスの記事を訳しました。
原文は→こちら
「これを障害と言っていいなら、私は算数障害かも?!」と思いました。。
ディスカリキュリア(算数障害)の5つのタイプ
Tony Attwood、2013年7月1日
タイプ1:基本的な四則演算以上のことが理解出来ない
タイプ2:上に同じだが、戦略を編みだしている
タイプ3:時間やシークエンスの概念に乏しい
タイプ4:数の覚え間違いが多い
タイプ5:数と現実世界との関係性が理解出来ない
2012年、8歳から18歳の300人がオンラインで受けた算数障害検査の結果を分析し、いくつかのパターンの導出を試みた。算数障害をタイプ別に分類する試みの一環である。
算数障害は、算数の計算の理解と実行ができない障害で、その原因は非常に根が深い。「ディスカリキュリア」という言葉は通常、遺伝的に何かが機能しないことが原因で、算数障害が発生する人のことだけを指す。このため、ディスカリキュリアはディスレクシアの算数バージョンと見なすことも可能だ。ディスレクシアの人が読めるようになるには、一般の教室での授業とは大きく異なる方法を活用することが少なくないが、これと同じように、ディスカリキュリアの人も特別な手助けが必要だ。
5タイプの算数障害
ディスカリキュリア・センターが行った分析の結果、算数障害には5種類あると提案したい。これらは初めて紹介するものだ:
タイプ 1
「自分は算数に強い苦手意識がある」と言う。同学年の90%が解けるような、基本的な算数の問題がなかなか解けない。
「自分は算数に強い苦手意識がある」と言う。同学年の90%が解けるような、基本的な算数の問題がなかなか解けない。
この人たちは、算数障害に加えて、算数障害を克服するためのサポートをまったく受けていないか、間違った種類のサポートを受けてきたため、初歩的な算数の問題の戦略さえも身についていない。障害と支援不足のダブルパンチにより苦手意識が定着し、それによって困難がさらに大きくなる。「自分は算数ができない」という気持ちが強く、矯正指導を妨げる。
四則演算(+-×÷)は理解するかもしれないが、より進んだ概念(分数など)は、まったく意味をなさない。
こうした人たちの多くは「自分は意味不明な世界に生きている、自分はこの世界ではよそ者だ」と感じるため、不安と緊張が高まりがちである。「周りの人たちは皆、算数を簡単に理解できるようだが、自分はどうしても理解出来ない。いくら頑張って教えてもらっても」(ただし従来型の教え方でだが)。
タイプ 2
タイプ1と同じように、算数への苦手意識は強いが、算数の基本を理解し対処するための戦略は編み出している。GSCEでグレードC(訳注:イメージ的には日本の中学卒業くらいに相当か)をパスできないかもしれないが、日常生活を送れる程度の算数の知識は持ち合わせている。電卓を使うことはできるし、算数の基本的な仕組みも理解している。
タイプ1と同じように、算数への苦手意識は強いが、算数の基本を理解し対処するための戦略は編み出している。GSCEでグレードC(訳注:イメージ的には日本の中学卒業くらいに相当か)をパスできないかもしれないが、日常生活を送れる程度の算数の知識は持ち合わせている。電卓を使うことはできるし、算数の基本的な仕組みも理解している。
だが、算数の計算を行うとなると、同じ年齢と知的水準の人より2~3倍の時間がかかる。このため、自分は算数に関しては人と“違う”という自覚が常にある。
このため、タイプ1同様、自分の算数のできなさを深く恥じ、不安を抱いている。だがタイプ1とは違うのは、実際よりもはるかに強く苦手意識を抱えていることが少なくない点だ。なぜなら、タイプ2の人は、自分が算数の基本的な問題でも非常に解くのが遅いと、重々承知しているからである。
タイプ 3
時間の概念を理解し扱うことに、根本的な困難を抱えている。タイプ1・2と併発する場合もあるが、タイプ1・2との違いは「時間についての問題」を抱えているかどうかという点だ。
これは「24時間時計は訳が分からない」という、多くの算数障害の人が打ち明ける問題にとどまらず、もっと奥の深い問題だ。タイプ3の人にとっては、時間の概念がとにかく意味を成さない。「ミレニアム(1000年間)」がどのくらいの長さかを把握できないのと同じように、「5分間」がどのくらいの長さなのか、想像することも、推定することもできないのである。
タイプ3の人は一様に、短期記憶/長期記憶の問題、そしてシークエンシング(物事の順番)に困難を抱えている。多いのが、一連の出来事(浴槽にお湯を入れるなど)を順序立てて説明するのが難しいケースだ。出来事の順番を間違えるか、一連の出来事の中から重要なポイントをいくつか抜かしてしまう。このタイプの人には、間違いを指摘してから同じことをもう一度やってもらっても、まず改善しない。
タイプ 3は他の4タイプよりもはるかに珍しいが、日常生活で非常に大きな問題に常に直面していることが少なくない。
タイプ 4
厳密な意味では算数障害ではないが、算数障害の症状の多くを示す人。その理由は、短期記憶と長期記憶に問題を抱えているのに加え、算数に価値を置かない家庭に育ち、算数を学びたいという意欲が湧かなかったからである。
厳密な意味では算数障害ではないが、算数障害の症状の多くを示す人。その理由は、短期記憶と長期記憶に問題を抱えているのに加え、算数に価値を置かない家庭に育ち、算数を学びたいという意欲が湧かなかったからである。
多くの場合、学校では記憶に問題があると気づいてもらっていないし、その上「算数なんてどうでもいい」と家で言われてきた可能性が高い。親から「自分も学校では算数が苦手だったけど、それが害になったことは一度もない」といった内容のことを言われていたりする。
こうした言葉は善意から出ているのだろうが、子供にとっては多くの場合、算数の困難を克服しようとするその後の意欲の芽を摘んでしまう。
タイプ 4の生徒は、数が並んだシークエンス(電話番号など)が覚えられないことで判別できる。これは数列を短期記憶から長期記憶に移動するのに困難を抱えているからだ。数やシークエンスを忘れてしまうため、「まず一方の計算を行い、その結果を記憶に留めた状態でもう一方の計算を行ってから、両者を操作する」といった計算には、非常に苦労する。
タイプ 5
数と現実世界とつながりがまったく理解できない人。ある意味、ほとんどの人が大なり小なりそうなのだ……そもそも「6」とは何なのか(6頭のヒツジが何かは分かるが、「6」そのものは何なのか)。だがたいていの人は、そのことを一旦横に置き、「6」という不思議な概念を操作する。
だがそれがどうしてもできない、あるいはしようとしない人がいる。数とそれが意味するところは何かについて、ずっと疑問を抱き続けるのだ。
このタイプの人は特別な指導を受ければ算数の導入はできるが、必ずつまづくのが「分数」だ----「1/2」や「1/4」の概念を理解できないからである。分数の足し算は分かるようになっても、あくまでも機械的なもので、自分が暮らす世界にとって何の意味も持っていない。
このタイプの人たちに「¼ + ¼ + ¼ + ¼」を解いてもらうと「4/4」が答えだと言うかもしれないし、約分というルールも知っていて「1」と答えるかもしれない。だがそれは機械的なプロセスであり、「1枚の紙を4分の1ずつに切った後、それをつなぎ合わせる」様子を直ちに想像することはできない。端的に言うと、4分の1を4つ足し合わせることが、一般の人と同じような意味を持たないのだ。
これらの分析はまだ決定版ではないものの、ディスカリキュリアの包括的分析に向けた第一歩として有用だと信じている。ディスカリキュリアの理解は、まだ始まったばかりだ。
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私はタイプ2と4の気がします。
言われてみれば、戦略はいろいろ持ってます。
1)本の索引でページの数を見て、そのページを開こうとすると、ほぼ必ず間違った数を記憶している。
例えば、さくいんでは「472ページ」と書いてあれば、427ページや274ページを開こうとしてしまいます。
電話番号(fax番号)もよく押し間違います。
→「よん・なな・に」とずっと連呼していると間違えないと発見(笑)。以来そうしています。
2)昔から、計算ミスや転写ミスが異常に多かった。
式変形で、「+」を次の行でなぜか「-」と書いてしまうのはしょっちゅう。
「2/3」を「3分の2」と言えるようになったのは30過ぎなのですが
(1つのものを3分割したうちの2個だとイメージできてるのですが。でも言い間違える)
これがイメージしにくい数字(ルートとか虚数)になると、分母と分子が逆になったりはもっと頻繁に。
式変形で、「+」を次の行でなぜか「-」と書いてしまうのはしょっちゅう。
「2/3」を「3分の2」と言えるようになったのは30過ぎなのですが
(1つのものを3分割したうちの2個だとイメージできてるのですが。でも言い間違える)
これがイメージしにくい数字(ルートとか虚数)になると、分母と分子が逆になったりはもっと頻繁に。
→現在の生活では、算数は答案の点数計算でしか使わないので、よく使うものはだいたい暗記してあります(50点/40点/30点満点からいろんな点数を減点すると何点になるか)。
あと、「このくらい答案が赤ければ何点台になるはず」という感覚があり、それを使って10の位の計算ミスを防いでいます。
3)翻訳業ではけっこう数字がよく出てきますし、数字の訳を間違えると重大なミスにつながります。
そこで、どんなに簡単な数字でも、極力自分では入力せず、コピペしています。
そこで、どんなに簡単な数字でも、極力自分では入力せず、コピペしています。
あと、数をイメージすると間違いが減ります。例えば、「石炭輸入量が37万トンから20万トンに減った」とあれば、石炭の山が6割くらいに減ったところをイメージします。
こうしてみると、数字を映像化して理解しようとしていること、多感覚方式で数字のミスを防ごうとしていることが分かります。。
数字の映像化と言えば、小学校4~5年の頃だったと思いますが、「1時間に3mmの雨」というのがどう説明してもらっても理解出来ず、親を激怒させたことがありました。雨は粒で降ってくるのにどうやってmmで測るの?と。
結局、雪が積もったときに理解したように記憶しています。
☆ ☆ ☆
ディスレクシア的には、タイプ3「時間とシークエンスの感覚」が興味深いです。
うちの子は、物事を順序立てて述べるのが、非常に苦手です。
まさに「一連の出来事から重要なことがらを抜かしてしまう」のです。
(なお、子は時計は読めますし、時間感覚も普通にあります)
言葉というものはさまざまなレベルでシークエンス(要素を順序立てて並べたもの)であり、
シークエンスを理解するには、時間感覚が必要だ、ということですね。
たしかに・・・
言葉の「音」をシークエンスとして理解できなければ、受信するにも発信するにも、一部の音が抜けたり入れ替わったりする可能性があるでしょう。
「文字」もシークエンスです。
文字は一定の順序で並んで、はじめて意味を成します。
アルファベットの筆記体に至っては、一本の線が丸くなったり尖ったりして文字列を作っているという言い方もできます。
さらに専門的になりますが、英語はSVOという「統語」の順番が非常に重要で、これがぐちゃぐちゃになると意味を成さなくなります。
(日本語はこのあたりの規則がゆるいのも、もしかしたら英語より日本語でディスレクシアが出づらい理由かもしれません?!)
そして、「文と文」をどう組み立てるか、順序立てて物事を伝えられるかも、シークエンスです。
情報(オト、文字、語、文)を線の上に並べて、先にあるものから順に理解するという感覚が必要なわけですが、そのためには時間感覚を養う必要があるのかもしれません。
この「時間とシークエンスの感覚」が非常に弱いと、算数障害とディスレクシアの両方が出ることは容易に想像できます。
(♯ただ、シークエンスで物事を述べるのが苦手ということは、「いきなり話の核心を突く」ということでもあるんですよね・・・
これもまた、ディスレクシアの大きな特徴のひとつです。
これについてはまた今度。)