2015-02-14

[追記つき]多言語環境に暮らすディスレクシア親子より(3)「パズルの最後のピースがはまった時にすべてを理解する」「箱と糊」

前回の記事はひっそり沈めるつもりだったのに、大変多くの方に「おめでとう」の言葉を頂き、本当にありがとうございます。
子供にも伝えたところ、まんざらでないという顔をしています(笑)

職業上毎年たくさん言っている「おめでとう!」を、本当に多くの方から頂いて、
このほめ言葉が自分の心のもちようを確実に変えていくことを知りました。
何度言われても、なんと甘美な響き(´Д`)。
改めて、ディスレクシアの子にも毎日せっせとほめ言葉の水やりをするのは
大事なことだと実感しました。


☆  ☆  ☆

Suiさんのディスレクシア感覚の告白の続きです。

[15/02/27 追記]
Suiさんからの要望により、紹介させて頂いたメールを削除するか要点のみ記しました。
私のコメントだけを残してあります。



☆  ☆  ☆

(削除)
→長時間しめつけるような根性型の努力はまったく無意味
でも、「コツをつかむための努力」は必要で、それは「色々な角度からのアプローチ」という形をとる。。
あと、親は勉強量をつい「どれだけ長時間、机に向かっているか」で計りがちですが、ディスレクシア的にはそれは違うのですね。

10以上の足し算が理解出来なかったが、5が入る小さな箱と10が入る小さな箱を使って計算出来る事が分かった時に、九九まで一気に理解が広がった。

数の単位を「」でとらえるのは、別記事の翻訳でも出てきました

時間は箱で、箱の中を埋めて1日というタワーを作る。このタワーをいくつか積み上げると、1週間というより大きな建物になる」。

ディスレクシアで九九につまづく子、当ブログにもかなり来ますが、 「」の概念を使えばすっと入るのかもしれません。
こんな感じ?
作ってみてわかりましたが、
「5が入る小さな箱」とはまさに「そろばん」ですね!



英語とはコミュニケーションの道具と理解してからは、紙の上での英語も普通に意味が分かるようになった。
理解出来る言語が増えると同時に、右手が左手と同じように使えるようになっていた。
→来ました利き手の話!ここはコメント欄に任せます(笑)
英語学習も、ディスレクシア的には「机に向かってがりがり」ではないアプローチを、少なくとも最初のうちはとるべきだ、ということですね。
コミュニケーションの道具、つまり音声言語として英語に触れるのが最初、
紙の上での、書き言葉の英語を読むのはその後、
細かいスペルの書き分けや音韻認識はさらに後
(というか最後まで克服できないかも?!)
・・・という順番なのでしょうね。 

私はディスレクシアを障害とは思っていない。幼い頃から得意不得意を本人が理解するだけでも、大分変わってくる
→私もディスレクシアを障害とは思ってませんよ~!異能者だと思ってます。
☆  ☆  ☆

箱と糊(削除)

→当ブログにも何回か登場したコスモ君(現在受験の真っ最中)。
彼の読み方と、たぶんこれはまったく同じです。

彼はまず、問題文ではなく設問(内容一致問題)の選択肢をじっくり読みます。
そうすると問題文のだいたいの内容が想像つくそうです。
確かに、これが非常~にいい線いってます。

それから問題文を読んでいきますが、もちろん冒頭から読んだりしません。
設問の前後1~2文だけ読んでは解答していきます(Suiさんと同じ)。
その1~2文を読む過程で、文章理解はさらに確かなものになります。
※ただ、単語力が不足しているので、そこが辛いのですが…

たとえるなら、1時間ドラマの内容を理解するのに、
15秒のシーンを10ヵ所ほど見れば、見ていない部分は推測で分かる感じです。

すごく能動的で、主体的な読解方法です。
全体像を頭の中に描く作業や、読んでいない部分を推測する作業には
ものすごく頭を使っており、非常に疲れるようです。

予備校ではこのような読み方は絶対に教えませんが、
ディスレクシア的には実はこのような読み方こそが王道なのかも?
それどころか、「読字」はできても「読解」はあやしい一般の読み方よりも、
このような読み方のほうが、実は本当の意味で読んでいると言えるのでは?
とさえ思います。

~~

」つまりつなぎ言葉はディスレクシアにとってハードルであり、
非ディスレクシア的な読み方に歩み寄るための要と感じています。

ディスレクシアの生徒たちを見ていると、程度の差はあれ
「論理関係」「筋道立った説明」に戸惑っている印象を受けます。
私はこれは、ディスレクシア的な物事の理解が「直観的」だからだと考えます。
全体像をまるごとのものとして、直観的に把握しているので、
それを「筋道立てて説明せよ」と言われても困る・・・そんなふうに見えます。

そこに「」と「」という考え方を取り入れて文章読解を行うのは、
ディスレクシアにとって非常に有効だと思います。
全体像を「」に細かくわけて、箱同士のつながり()を理解するんですよね。
まさに「全体から細部へ」、ディスレクシア的理解の流れに沿っています。


以下は、まだ考えがまとまってない部分ですが・・・

ディスレクシアでも、訓練によって論理関係を身につけることはできます。

うちの子の場合、過去問で
「しかし」「よって」を入れる問題や、「なぜなら」の前や後を書く問題で、
最初は「なんでそうなるの?」と反論したいようでしたが、
練習を重ねるとできるようになりました。

小学生の場合、まだ弁がそれほど立たないせいもあり
「訓練によって論理関係を理解出来るようになる」というふうに見えます。
おそらくは、すでに直観的に物事を理解しているのでしょうが。

大学受験生なコスモ君の年頃になると、
直観力と、いきなり核心を突く発言ができるだけの言語能力があるので
「論理」を習得することは、直観をルールに従って飼い慣らすことのように見えます。

ただ、不思議なことに、
核心を突く発言までには、それなりに思考のステップがあるようですが、
いざそれを文章にするとなると、言葉が逃げていくそうで、難しいようです。

予備校でも、ディスレクシアの子の自由英作文は、
「なかなかいいことを言っているが、論旨が飛躍しすぎている」「言葉足らず」
という印象を与えるケースがけっこうあります(全員とは言いませんが)
論理的にものを述べるのは、ディスレクシアにはけっこう難しそうです。

57 件のコメント:

  1. このコメントはブログの管理者によって削除されました。

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  2. 全然当たり前じゃないですよ~~!

    1)文章の展開のさせ方のルールを徹底させる
    2)展開の各ステップごとに、キーワードorキーセンテンスを決める
    3)これをふくらませる

    ということですね?
    直観的全体像を文にしようとしても、どこから書いたらいいのか…となるんですよね、きっと。

    4通目のメールもありがとうございます。了解しましたし、すべて信じてますよ!これから何日かかけて反芻していくことになりそうです。

    cogmedとarrowsmithは初耳です、ごめんなさい。

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  3. こんにちは紺です。Suiさんに共感です。
    「しかし」「なぜなら」は、ある種類の設問の目印ワードと捉えていて、文章で答えさせるタイプは、糊の言葉の周囲を探せば大体済んでしまいます。設問みてから問題文に目をやるのは私も習慣でした。
    また私は、別の部分で裏をかくというか…不真面目な面があるので、「ペーパーテストの問題って結構パターンあるよねー。なんだこれ様式美?」とひねくれた見方もしつつ…でもまぁ結局は時間のある限り空欄を埋める作業に徹しており、見た目にはちゃんとやってるな、で済んでる子だったでしょう。

    そして。利き手の話題…!
    自分のは後天的な利き手変化ではないと思ってますが(右利きと思っていた頃から右手の書字が大嫌いだったので)左利きになってから理解速度が強く深くなっていますし、作動記憶(言語聴覚シークエンス)の操作に、以前より余裕が生まれている実感が有ります。
    私は手が先でしたが、利き手の変更という話をディスレクシアの方の体験として聞けるなんて思っても見なかった…かなり驚いてます。

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  4. 紺さん
    ずっとお聞きしたいと思っていたのですが、色々なコメントを見ていてとても自分の思っている事を伝えるのがお上手ですがどうやって習得したのでしょうか?私の場合内と外に向けての思考に大きな隔たりがある為に上手くいきません。
    利き手は本当に自分でも理解が出来ないです。英語に関係があるのか?それとも言語を操るシナプスが発達したせいか?

    もじこさん
    信じて頂けるというだけで本当に救われます。ありがとうございます!他にも山程エピソードがあるのですがもじこさんの時間がある時にお願いします。

    私なりの解釈ですがディスレクシアは焦点の合わせ方が不得意なのだと思います。文を構成するにしても、文字を書くのにしてもです。文字は焦点をかなり細かい所まで合わせてしまうと文字の真ん中である線が重なっている所ばかり目がいってしまい他の部分に意識がいかなくなるか、全体を見過ぎて全てがぼやけてしまうか。これは息子から感じているのであえて意味となる絵へ意識を向けさせて上から文字を乗っけると上手くいくようです。
    何をするのにも意識して始めとなる起点を作っておくと楽になると思います。所謂取っ掛かりや呼び水をわざと作るのですが・・学生時代どんなノートの書き方をしていたなど細かい所を知りたい方がいれば私で解る範囲でならお答え致します。もう何が普通で何が特殊なのか分からなくなってきてしまいました。 笑

    上で紺さんが仰るようにディスレクシアは法則を見つけたりするのが得意だったりするのでこれを利用して下さい。
    あと何を説明するにしても言葉ではなく図面を書くか番号をうって教えてあげると簡単です。

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  5. わー!ありがとうございます…!

    自分は感情的になると吃ってしまう時期が過去にあり、それがどうにも苦しくなり中学の頃に、ノートに自分の中にある、わけのわからん感情や想いを文字で愚痴るという、ストレス発散&内省&自他の観察を、言語化する習慣を編み出し始めてました。あの頃は認知行動療法の言葉を知らない時代ですが(病院通い以前の頃ですし)勝手にそれっぽいのを始めてました。まぁ私は「愚痴ノート」っていってましたが…w
    気持ちを言葉にするのは、この愚痴ノートの経験値かもしれません。

    あと私の思考は2つありまして「主人公視点の映像思考」と、自分を含めた状況の全てを見下ろす「原作者的な思考」です。言葉だと「主観と客観」ですね。私はこの思考の行ったり来たりが細かくて頻繁です。漫画を描くことが小学生の頃からの趣味で、視点移動(相手のみる景色を想像すること)は、主役以外のキャラクターに憑依して世界の景色を見るようになりますが、これが自他の差異や状況の違い、考えの違いを意識して観察できる焦点を絞った映像記憶だったり、察しとか、景色の想像、言語化の足がかりにつながるかもしれません。観察は大好きなんですよね。漫画のキャラも本物の人間も、動物も。

    以前の私は「原作者(客観)思考」を重視しすぎて、自分を見失い、追い込むことが多かったんです。
    そこで自分から見る世界を重視し始めました。自分がやりたいことに関してわがままも言えるようになり、良い意味で図太くなってますし、それと同時に家族との距離も近く感じるようになりました。

    自分を外から見つめる視点が中身を分析する材料になる。ってことでしょうかね…。行動で感情に気づくことも多いです。まるで他人を観察するかのように淡々と、自己分析もしてますし。

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  6. 紺さん
    ありがとうございます。やはり主観と客観とで思考が分断されているのですね。
    そして主観を表す時はノートに書き込むということは言葉を使って思考をしている!客観思考を重要視すると自分が置いてけぼりになり過ぎるは同じです!そして追い込む。行動で自分の感情に気が付く。すごく良く理解出来ます。やっぱりディスレクシア的な思考なんですね。時々あまりに見え過ぎて疲れますよね。
    私はきっと映像思考の方に針が振れすぎてしまっている状態なのでしょうね。紺さんに教えて頂いた様にもうちょっと意識して言葉をつかて主観的思考へと針を戻す練習をしてみたいです。本当にありがとうございます

    もじこさん! 見ていますか?!

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  7. そうですね、大きな川のように思考は分断しています。それぞれの視点は仮想空間で想像して、誰かのみる景色、第三者の意見、その時の本人の気持ちも「なんとなく」把握します。ただ、あくまで想像にすぎないので「思い込む」と台無し。やっぱり本人と対話で確認することが大事ですよね〜。さらけ出すのは一応私も怖いことですが、相手も同じように怖いとすれば…。
    あ、じゃあまず私が広げてみますわ。よいしょー!って感じで(どんな感じw)率先してやってしまえば、水面下で行われてるタイミングや周囲の読み合いも、あっさりさっぱり消えていくこともあって、それがまた密かにでっかい喜びで。「なんだそっかーやっぱみんなも気になっていたんだな〜」って安心しちゃうので。

    私は音韻困難が強かったため、会話のほうが下手くそで。なので(得意な方だった)視覚面で言葉と向き合うことで、自分を文字にする行為が捗ったものと思います。話し言葉でも、絵を描いてから、絵をみてから、感じたこと思ったことをしっている言葉の範囲で言っていくとか、ルートを得意で固めまくって、最終的に言葉に届けばいいです(私の愚痴ノートも初期は「ムカつく、腹立つ、嫌だー」って感じでワンパターンでした。でもだんだんと欲が出て「もっと手短に正確に言えないものか…」となり自然と語彙が増えていきました)
    自然な欲につながるまでは好きで固める勢い。苦手な言葉と生涯付き合うのは当人ですから、やっぱ楽しいのが一番です。本人も、見てる人にもいい形が、世間の模範とは限らない

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  9. 私もそれです!
    聞いた音から映像に置き換えるのに時間がかかります。聞いたものから返答(操作)するまでのロス(映像化)が、話し言葉のジレンマ。自分が思うことを言う場合も同じく「見てるものを説明するだけ」なので、自発言葉(自分を話すことなど)が断然楽。私の感情を表す場合も「脳内の自分の姿」を見ながら話してる感覚があります。…私はキャラ絵を描くときは絵の表情に釣られて、そのとき描いてる自分の表情も動くんですが、同じように「自分の顔色を想像する→文字化」って感じもあります。「行動から感情を知る」一端でしょうかね。

    私の論理的に答えることの難しさは、論理的説明の範囲を絞り込めないことです。最初にゴール「結論」が見えているとして、どこまでを遡れば、カバーすればいいのかわからない。たぶん、非ディスレクシア感覚がどういうものかがわからないのもあります。「言わないとならない部分がわからない」ので、彼らなりに取捨選択すると「突飛」、言葉を増やし頑張ると「周りくどい」ってなるのかなと。彼らの「言わずもがな感覚」が周囲と違うのは肌でわかっても、どこがどう違うのかを明確な言葉や説明では言えないことが多いかも…。
    私もディスレクシアを自覚するまでの30年は、感覚の隔たりはわかっていても具体化できないので「違うのはわかるのに、周りは普通って言ってくるし…じゃあ私だけ上手く行かないのは何で?何で、何で誰にもつたわらない…!!!!!!」と。一人格闘してました。自分で癒す術は身につけても、人に頼ることも助けを求めることもない孤独、ぶつけようのない強い不穏な怒りをまとい、周囲に絶対に踏み込ませない大きな深い堀まで築かれて、そんな私をみて、困っているのは確かなのにどうすれば…と途方に暮れる家族の姿に表れてました。

    違いを明確なもので自覚することで、彼らの言葉は活き活きしてくると思います。私はそうでした。

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  10. すみません、授業と締切を経てようやく戻ってきました(汗)
    お二人はいまディスレクシアの本質に迫る会話をしていると思うのですが、私はその意味するところの全貌が見えていない気がします。脳内映像化するのに時間がかかってます。

    お二人の話を総合すると、ディスレクシアの特質(困難)は視点の起点が定まらないために自分を見失うところにあり
    それをうまくコントロールするには、思いを(?)心の中の映像にとどめるのではなく言語化することが必要である。
    ということでしょうか・・・?間違っていたらダメ出しお願いします!

    僭越ながら私自身も、かなり映像思考型人間です(字の読めるディスレクシアと名乗りたいです、形容矛盾ですが)。
    脳内映像を言語化する技術を習得して翻訳者になり、他人の思いを映像化できる能力(憑依ですね)を手なづけることで生徒指導に生かしている自覚があります。人が訳したものを見るとその人の思いが分かりすぎてつらいことも多々あります。
    一方、素の自分の感情を言語化する技術はあえてふたをしてまして貧弱です。我が辞書に自分の感情を表現する言葉はほとんどない(苦笑)。

    ディスレクシア指導において、字の困難だけにフォーカスするのはどうやら、あまりに表面的な指導なのですね。
    主観的思考=主役としての自分が見ている映像を自覚的に言葉にすることがポイント、でしょうか。。

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    2. ありました!見落としてました、お気をもませて申し訳ありません。
      なんかもうびっくりしてます。。。言葉が果たす役割について。一晩じっくり考えます!ありがとうございます。

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  11. …私の今までのことで言えるのは、周囲との利害関係に気づきすぎるために、自分を含めた俯瞰世界から全ての物事を考えることが多くなる。関係性を踏まえた上での対処をしがちで「周囲を優先することで自分にも恩恵が返ってくるという理屈」で行動や対処を考えがち。自分のことが置いてけぼりになって体調不良とか孤独につながり、でも身近に誰も共感者も知識もないから、隠れた根回しのような方法しか、やりようがなかった…のが私の感覚です。

    自分自身への対処すら「全→自分」っていう見方ばっかりで。我侭も言えないけど、ここで自分が怒ると家族の方に波及して最後には自分に不利なもの(評価・あとから文句を言われるなど)として跳ね返ってくるかもしれない…といった恐怖がありました。
    これも自分で文字で愚痴っていた時に気づいたんです。いくら俯瞰で見ても届かない場所はしょうがない。自分からつながっていく世界関係を重視したら、楽になるかもしれない…と。
    客観比率を減らし、半々感覚くらいまでやれたらいいね、って感じで、いまは自分がやりたいことへの我侭を、家族に言えるようになりました。
    …なんとなくですが、最近は家族の笑顔も多く見えてきたように思えます。

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    1. 「跳ね返ってくるかもしれない」恐怖は、来たら吃って何も言えない自分をわかっていたためですね。水面下に誰も気づかれない形で環境を整えることしか、私にできることがない。根本解決にならないけど、やむなし。
      自分の体の感覚に敏感で、嫌なものを嫌とは思う部分はしっかりありましたので、客観思考のころは気にしていなかった、小さく細かい自分の感受性に気を配り、見過ごさず大事にして、できるなら言葉にしてみる。
      なんか嫌だ…と思ったら何で嫌なんだろうね…?と自問自答して、もやもやした感情が自分の意思によるものだとわかってくる。そのうち自分の感覚に自信をもっていいかも…ってなっていった。愚痴ノートも最初は愚痴ばかりでしたが、そのうち上記のような内省っぽい形にシフトしまして、コレの繰り返しが、いまの自分の感覚を素直に出せている?とか思うことを言える言葉や語彙につながっているのかもしれません。

      中学から歴代の愚痴ノート(笑)はそのまま捨てずに取ってあります。当時大変だったねぇ自分〜。と妙な微笑ましささえ感じながら、見返すこともあります。私は過去は過去って感じなので(プロセス好きなので)見返すことで嫌な気分は無いんですよね。

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  12. カメの子はカメ2015年2月17日 11:34

    Suiさんの告白皆さんの投稿、じっくり読ませていただきました。
    しかし、半分も理解できてない自分が情けないこともありますが、子の特性を感じている中でこういうことかな?と理解できることもたくさんありました。
    まず、箱と糊の理解について。糊が理解しにくいんだようなと感じています。勉強を見ていると子の質問自体が分からなくなるのです。情けない親ですが、私としては当たり前の感覚が理解できていないと感じるのです。
    矢印、=を使うというのは大変参考になりました。
    そして、短文より長文の方が分かっているという気がします。試験でも穴埋めより、長文読解の方が点数がよいのです。恐らく全体を感覚でとらえて、問題文もヒントにしてると思われるのです。同じだー。と妙に納得しました。勉強に関しては全体から細部へのアプローチを大切に攻略していくのがいいのですね!再認識!
    コミュニケーションとしては問題が無いのに、机の上で学びを獲得していくことが難しく感じる中で、ここに登場しておられる皆さんは、自分なりに学びのコツを獲得されたということでよいのでしょうか・・。違ってたらすみません。
    知らず知らずに獲得した人、努力による賜物。しかし、捨てざるを得なかった人も多いのかもしれませんね。環境と状況によっても違うのでしょうし。
    机の学習がメインの学校生活は苦しいけれど、社会に出たら全体を把握し、空気が読めたり、直感がさえるのってすばらしいのに!
    そこに行くまでに疲れ果て、自信を無くしてしまうのだけは避けたいです。学びのアプローチの仕方参考になりました。ありがとうございます。コメントが陳腐で恥ずかしいのですが、とっても勉強になっています。というのだけはお伝えしたいです。
      話題がそれて申し訳ないのですが、絵のクイズでパッと見ると、幾何学模様にしか見えないけど、目の焦点をずらすと絵が浮かび上がってくるというのをご存知ですか?子はとっても上手なんです。私は一切見えません。これは何か関係ありますか?ときどき飛ばし読みしたり、違う風に読んだりをしている子を見ているとどんなふうに見えているのかなあ。脳内を覗きたいと思うことしばしばなのです。
    (まったく次元が違ったらスルーしてください(汗))

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  14. 関係性やパターン把握などという思考が既に、寄り道・脇道だらけであり「様々なアプローチの必要性」があるから、そうなる。突然自分の中で急速に理解がすすむことも多い。ディスレクシアはその体感の中で生きているために「答えまでの道案内で行ける」体感も実感もない。
    一本道じゃいられない状況が編み出した道こそが、私たちの王道であり、それは言葉だけでなく「沢山の脳内思考の試行錯誤の連続や映像思考」であり言葉では拾いきれない。
    「1本道を示せ」という「論理的に述べる」ことの難しさは、ディスレクシアの生き方が一本じゃないからと思える。

    非ディスレクシアの方の「論理」とは、目の前の道の分岐を間違えず結論に導くものと想像します。ゴールを見据えた形で、効率よく道案内をするカーナビな役割を言葉で説明するのが「論理的に述べる」行為と例えれると思います。たぶん。


    私の見る「本質/結論」ってのは、いくつかの川の流れから1つに交わる先(ここでは海とします)を見る感覚です。
    これ、鳥目線(俯瞰)からなら「本質を突く(海をみる)」ことなど造作も無いわけです。
    でもそれを「あなたはどうやってここまで来たのですか?説明してください」と聞かれても、いくつもルート(川)があると言えるし、無自覚にいつの間にかたどり着くこともあります。
    「風に乗って飛んでいたら海が見えた」「地面から顔をだしたら浜辺だった」「どっかから流れ着いたらしい」「目覚めたらいきなり海が目の前に」…こんなトンデモな理由がいくらでも言える日常だし、全部イレギュラーだし…自分の決まった道筋はない。これが、断片的?抽象的な言葉になるので、感覚がわかる人には、言葉が少なくても十分伝わる形であり、周りからみれば「言葉足らず」と言われる。
    …そんな感じだろうと思います。
    Suiさんの仰る通り、私も他の方に伝わる形で書いたつもりでした。伝わり方がここまで違うのかと驚きました。

    …でもまぁ家族にも、私の感覚から言葉にしても、まず伝わりませんから、日頃から例え話で伝える癖があります。ディスレクシアと非ディスレクシアの感覚の隔たりは「例え」で橋渡しするのが有効かなと思ってます。

    ただ「映像を言葉にする」のと「言葉から映像を感じてもらう」ためには、適切な並び替えや、言葉の操作などの必要を感じます。そのために私は非ディスレクシアの日常・思考の世界を学ぶ必要があるよなぁと、強く感じています。

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    1. わたしの場合、音、色、匂い、痛み、重力や衝撃、自分の感情もしっかり感じます。たまに、色彩や音が超現実的にデフォルメされたり、自分の性別が変わったり、自分の気持ちを強く感じたりといった、いやにメッセージ性の高い夢になることもあります。(実生活が停滞しているときに起こりやすいです) 
      ただ、Suiさんのご質問で気がついたのですが、どれほど荒唐無稽な展開になろうと、映画のように急な場面展開があろうと、いついかなるときも自分の視点だけは絶対に動かないです。何か参考になればいいのですが。

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    2. たしかに。自分から見ているという視点は動かないです。

      てぷさん、援護射撃ありがとうございます!「翻訳者はディスレクシア感覚を頑張って育てた人たち」というのは言い得て妙です。

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  16. ずっとコメントをしたいと思いつつ、考えがまとまらなくて下書きを書いては消し、書いては消し……を繰り返していた数日間です。わたしにもSuiさんや紺さんのお話、もちろん残念ながらすべては理解できません。でも、今回の一連の記事は本当に多くの示唆に富んでいて、なんだかもうほとんど事件です。
    実はわたしも翻訳をしていまして、わかりやすい日本語にするために原文を映像化してから日本語にするともじこさんとお話していたことがありました。おそらくわたしはもじこさんのように映像思考型ではないと思うのですが、それでも映像の力は意識して借りにいきます。
    紺さんが「映像を言葉にする」のと「言葉から映像を感じてもらう」と言われることを、ふたつの言語間で一生懸命やることで、一種のカタルシスを得ていると思います。
    非ディスレクシアのわたしは、翻訳という実はディスレクシア的な感覚を意識的に使うトレーニングで主観と客観のバランスがとれて、脳が喜んでいるのかもしれません。
    Suiさん、紺さん、いろいろなことを教えてくださってありがとうございます。本当にいろんなところで気付かされることが多いです。子どものことについてもそうですが、とりあえずお礼を言わせてください。

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  18. そうか、そもそも自分から視点が動かないんですね…。私の説明がぶっ飛んで見える?のも当然ですね…。

    私も子供の頃は親に素直に甘えていたのです。主観が多い世界だったはずです。でもいつからか、幽体離脱みたく自分を見下ろす景色がはっきり見えるようになりました。そこから見る習慣を繰り返すうち、客観思考が際だち、自分の存在すら合理化の駒となっていきました。
    自分が自分でないような感覚です。
    自分の意思との繋がりが細くなっただけで「嫌なのに、我侭を言わない自分の矛盾」には気づいてました。ただどうすればいいかわからない。そのまま年単位で時が過ぎます。
    そして2年ほど前から、ネットで発達系の記事を読み漁る日々の中で、長年抱いてた統合失調症への疑心感覚が正しいのかを決着つけよう。と水面下に計画がスタートします。
    その時徹底したのは「自力で情報を集めて自分で考える」「人の意見は参考」「決断は自分の意志で」「その際の結果は自分の決断だからどうあっても受け止めろ」など、自分の考えを自分に見せるためだという姿勢・覚悟です。
    「断薬も情報収集もすべては自分のために行うんだ」として、外野の声も心配している気持ちだけありがたく受け取ることにして、言葉そのものはだんだんと振り回されず、気にならずに済んでいきました。
    そして断薬・利き手変更…この1年ちょっとの行動で今の私につながっています。自分でも早い変化に驚いています。
    もじこさんのお子さんの合格記事にもあるように、自分でやっているという感覚が大事。本当にそう思えます。中学までの私は良くも悪くも素直に生きていたのですから。
    「その時の自分おかえり…!!待たせてごめんね…!」
    14年ぶりに私の相棒(主観)が戻ってきた。比喩でなく、本当にそんな感じです。

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  21. 紺さん、Suiさん、いろいろ教えて下さって本当にありがとうございます。
    お話ししたいことは山のようにあるのですが、基本的に毎日締切と受験生対応がありまして、ここに到達するまでに議論できるほどの思考力が残っていない日が多く、歯がゆく申し訳なく思います…お二人に色々教えて頂けるのはこれ以上ないほど有り難いのですが、持続可能な範囲でのお返事になることをどうかお許し下さい。もじこ不在で議論して頂くことは大歓迎です。

    分からないのではなく、「たぶん自分の理解よりもはるかにすごいことを言っているのだろう」という予感がするということです。
    助詞の話、主観と客観の話、比喩の話、立方体の話・・・いろんな角度から教えて下さりありがとうございます。ディスレクシアな生徒を見ていて思い当たる点が多々あります。
    夢の話はまた改めて・・・

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  22. 頭にフンワリと入りやすい…… うわー、光栄です。寿命が伸びました!
    書かれていることから思い浮かぶSuiさんのイメージは、深い叡智を湛えたスフィンクスです。こちらはまだ目が開かない旅人みたいです。
    こちらの反応が遅く、しかも少ししかフィードバックできなくて申しわけありません。
    先導者ほどではないですが、この旅人も締切を抱え、もともと低スペックな脳がオーバーロード気味です(_ _)
    10人くらい束になってSuiさんの思いに応えられないものでしょうか……!

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  24. いえいえ、、こちらこそ色々追いついてなくて申し訳ありません。。
    物事の本質は箱なのかもしれないです、が、大半の人はそのようには認識していないと思います(少なくとも私はそうは認識できていないです)。
    このことを私は「ディスレクシアの人は物事を箱として認識できる高次元の感覚を持っている」と理解しましたが!
    自分が低次元の人間なので、そこまで到達するのに時間がかかっているのです。

    Suiさんも混乱しているのですね。でも非ディスレクシアの閲覧者達はもっとびっくりしてると思います。混乱がおさまったらぜひまた色々教えて下さい。

    質問していいのなら・・・
    http://ondyslexia.blogspot.jp/2015/02/3.html?showComment=1424262254790#c7216328427109797930

    >因みにこれをそのまま利用した学習方法がDavis です。

    →ここの部分をもう少し具体的に知りたいです!

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  25. 物事の面は「ある方向からの見え方」で成っており、全てが(合点が行く)統合される瞬間に本質という立体が出現し、同時に解決(昇華)される。
    私は本質を「立方体」では考えていませんでしたが、その考え方を聞くと「そういうのもありか!」と納得できました。人間も立体(多面)で、人の一面で判断することの危険だと、言える。
    ちなみに私は、本質(点・ポイント)に集結する線(様々なアプローチ・視点)というイメージかも。色相環?みたいなもので、反対の色関係(意見・見方)もありつつ、隣り合う色はゆるやかにつながっている…みたいな。

    立体でみるSuiさんの感覚も、私のように色相環で見ようとするのも「本質を理解」を試みるアプローチの違いだし、この様子がすでに立体の一部じゃないですかね?^^

    「本質=立体」も言えると思うし、その思考こそがSuiさんという「立体」を作りだすのだと、私は思いますよ。Suiさんの思考から私、たくさん発見を頂きました!違うからこそ感動を貰いました。その思考は独創的で素敵だと思いますよ!!

    混乱していらっしゃるとのこと…心中お察しします。
    Suiさんの混乱はきっとSuiさん自身の問いの解を、外に求める姿からくるのだと思えます。

    …と、いうのも…かつての私が「統合失調症」という視点で自分を見始めたことで、自分にあった主観(自分の感覚を信じる気持ち)を置き去りにした発端だと振り返るからです…。
    統合失調症からの視点で、自分を見つめて。
    職場は「普通だ」病院と行政は「あなたは精神障害者だから」の2つの別反応の板挟みに長く苦しんできました。
    職場での評価が良かったこと、服薬で効果が多少合った事実など、どちらも「統合失調症を正しいといえる面」が私にはあった。「統合失調症の自分」として見続ける限り抜け出せない景色でした。
    私は一卵性双生児でもありますが、妹ですら私の思考は意味がわからんようです。体の痛み感覚すら数値化できない現実で、感覚はやはり自己申告しかなく、他人の基準に使えない。
    私の感覚で一番の力不足は「言葉」です。愚痴とかで多少身につけたところで、未だに絵・音を借りまくり効率悪いながら、意欲的に紡いでるにすぎません。私という立体の一面に「ディスレクシア」があるだけだし、それでいいと思ってます。

    長くなってしまった…!

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  26. お二人の洞察はほんとに深いですね。。。一言一言が含蓄に富みすぎですよ~
    しかも双子の片方だけディスレクシアなんですか?!

    紺さんの誤診された半生の話には、月並みですが心が痛みます。
    その診断をつけた医者は紺さんに謝るべきです(泣)

    文章から感じる紺さんは洞察力、明晰な分析力、比喩を使った表現力がものすごくて、行政や病院のレッテルをもとにした印象(他人が紺さんに持つ、また自分自身が自分に持つ印象)とはものすごく違います。
    でも、きっと紺さんは変わっていけると思います!!

    自分の視点をどこに置くか定まらない状態を野放しにしすぎて、そんな誤診になってしまったのでしょうか。
    ディスレクシア3人に訊きましたが、「自分が上から見える感覚」はないか、昔はあったが今はないとのことでした。自分の軸(主観?)を確立することは大事なのですね。

    次元の低いわたくしは、「そんなに圧倒的な映像思考を持っているのに、それを言葉にしたいものなんですね?言葉ってけっこう扱いが難しく、不十分な表現手段ですが、ディスレクシア的にもっと得意な手段ではなく、あえて言葉で表したいんですね?」と思います。
    コスモ君にこれを言ったら「当たり前じゃないですか」と却下されましたが(--;)

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    1. 妹とは分かる感覚も多くあります。「デジャブ」も小さい頃からふたりの会話でふつーに使っており、その感覚が「既視感」であることも共有済みです。ただ成長の違い?か、私の言語不得手が強いのか、ふたりの会話も感覚で話せなくて「例え」の力で進めます。家族はそれぞれの面で頭がいいのは肌で感じています。中退という道を辿ったのは私だけ。あと会話の切り返しが上手いのは断然、妹です!私は書面の言葉と、話し言葉のギャップが大きいんで、実際に顔を合わせて話す私のアホっぽさwと、文面のギャップは当然の反応と思いますし、私のディスレクシアそれぞれの面かなと。

      私は「映像思考」とずっと言ってます。言葉にするとすごく曖昧ですよね?「映像ってなんだよ」って。私の思考とは脳内体感シミュレーション(疑似体験)というか…「映像のでるアトラクション」みたいなもので「自分の存在(席にすわる自分)」と「脳で見る景色(スクリーンの中の世界)」の隔たりがきっちりある。それを主観と客観の語彙を借りて、言うのです。
      ここからもう「相手に憑依する」とか「世界をみる」「相手の雰囲気を感じる」…と曖昧表現のオンパレードに!w
      言葉で思考できないし、思考したものを言葉に代替してるだけだから相手に完全にわからなくてもいい。てか感覚を完全に共有してしまったら、自分の意味が見えなくなりません?

      私が不得意な言葉にこだわり、しぶとく使いたがる(言葉へのあこがれ?)のは、群れたいのに自然体の自分で群れれない現実と、人は人との関わりで生かされてる様子も理解してるから、かな。

      私には「周囲と同じだ」と言われる方が、「お前だけ違う」と言われるよりも強烈に辛いことでした。明らかに感覚が違うのになぜ同じと言える?共感はするけど完全合致はしないのが自然で、自分を自覚する材料は「人と違う材料(面)から考える」ことでした。
      差異で知るのが好きなのも、観察全般好きなのも、違うことが楽しいという気持ちでしょうね、たぶん。

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  29. suiさん!おかえりなさいーー!(*´∀`)
    立体と映像の違いはありますよね〜。そのものを動かすのか、立ち位置を変えるのか。目線が固定されているのはsuiさんですよねー!
    視覚で考える世界でも、操作する部分が違うために私達にも違いがある。断片的な言葉で共感はできた。面白いですね〜。
    過去にお話してくださった「漫画で文字を知った」というsuiさんの体験と、「漫画が言いやすい」の私の違いにも現れてるでしょう。
    もじこさん、てぷさんの「視点が動かない」部分はsuiさんの思考との距離が近い。周囲との距離が近いのを肌で感じながら言葉が通じない状況が、suiさんの不安を呼んでいるのだろうと。

    私は「明らかに周囲と感覚が違うのに「普通」と言われて苦しんだ」という物で、自他の違いを分析し自分に納得させる方法が合った。ただ他人にも合う保証はない。という。
    suiさんの特別能力扱いが怖い…というのも非ディスレクシアの感覚も強く持っているためだと。いっそ私のが遠いですからねぇ。目玉(視点)が飛んでく。だなんてシュールすぎたww知ってるけど!ww
    2次元(平面)、3次元(立体)、4次元(立体+時間=映像)?の語る場が成り立つのも言葉があるから…かな。
    なんか、頑張ってきてよかったなーと思いました。うん。

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  31. でも私からは、suiさんも言語聴覚(言語の絶対音感)を持っているように見えます。視覚機能が凸すぎるが故に言語での耳の経験値が(結果的に)少なくなった様子…というか。
    私は脳内の音を文字にできない。だから「ひらがなもカタカナでも書き表せない」…漫画で効果音を描こうと思っても「…。」とフリーズする…になると思う。
    「文字」というルールを「理屈で」は扱うので、他人の漫画を読むときに描かれた効果音は「読める(音として把握できる)」のです。私が文字を読むことができるのは理屈で進める部分も大きいです。ただ言葉をスムーズに運用し扱うには、文節とか単語とかの固まりのが効率が上がるとゆー感覚なので、音読は言葉を固まりで見れば声にだしやすいし…方法によりやりやすさが変わってくる。だから他人には普通に見えるし、私の中だけの試行錯誤の効率化なので話し言葉の私の印象の違いも「仕方ない」とも思う。suiさんの世界って、フィルムと映写機で例えていたように「絵+絵+絵+絵…」とアプローチを足し立体を作り上げることが「学習」と思いました。画像を重ねて作られた映像を見る感じじゃないですかね?
    この「絵」が「文字」になっているのが、非ディスレクシアさんの感覚だと思います。
    ちなみに私は、脳内の映像思考は最初から動画です。映像から要素を抜き出して言葉になおす。そのため小説は文体の好みでインプット効率が影響されるし、実際の話し言葉は声も抑揚があり雰囲気もあるため、相手の景色?を感じやすい。

    薬を止めてから、利き手を替えてからは、暗算も少しですが進むようになり脳に余裕ができたのか、会話でもけっこう切り返しに冗談も混ぜることもするし、落ち着きがでてきました。
    文字と音のつながりは、単語もフォニックスもどっちもやるのがいいし、使い分けしているのである程度こなせるのも事実です。学校は行ってよかったと思います。ただ私は回り道でないと伸びない人だったのも事実でした。なので中退してよかったなとも思ってます。
    雑多に書いてしまいましたが、結果は一緒でも「プロセス」で根っこの違いを見つけることは出来ると思いますよー

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  32. ディスレクシアを語ることは人間を語ることで、哲学なんですね。
    もじこさんのブログは情報の宝庫で役に立つというだけでなく、いろいろな方の話から自分を見つめ直す糸口をもらえる、だからこそこれほど魅力的なんだとあらためて思いました。
    Suiさん、わたしの夢の中でスフィンクスが涙を流し、自分はスフィンクスではなくネズミで、あなたはヤマアラシなんですと言いました。とても切ない夢です。できるだけ針の痛くないヤマアラシでありたいと思っています。うまく伝わるといいのですが。

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  34. ディスレクシアの「字と音」のつながりって、非ディスレクシアの日常(相互通行)ができなくて…「字+音=文字」の先には「意味」がある。迂回路で意味には辿り着いていて。そっから更に戻って文字を扱う…文字には燃費の悪い環境なのかなと。んでこの「音と字」→「意味」へショートカットできる方=優位性…みたいな妄想をしてた。音か字どちらかの道が寸断され孤立した状態というか。

    自分のは「書→書・音→音」で言葉の音も字も理屈・文節くくりとして扱えるけど、頭で思う「音」を文字なりに落としこむことが、超絶に難しい。
    鍵盤の和音をそばで聞いて、自分で弾いて耳で確かめると和音も出せるしわかる。けど聞いたことのある曲の和音を脳の記憶からやろうとしても弾けないし、頭にある音を文字にあてることがとても難しいし、できない。

    言葉や思うことを表現しやすいのは、自分にとって言葉との繋がりが早い「絵」を介すこと。漫画や例え話は景色や時間もあり、視点も変えることが可能だし得意と感じるのでしょう。

    以前、文字から音を感じると素敵〜という話題で、百人一首・クラシックとジャズで例えていらっしゃる展開がありましたが、私には(楽譜の知識が無いとしても)ちっとも想像が湧かずなんでだ?と思っていました。メロディから物語は感じても、私の脳にはメロディすら無いです。てかメロディって作動記憶(音の継次処理)と言えるか…。
    たぶん脳にメロディがなく、耳で聞いたものしか出せないのは、私が相対音感しかないからだと思いますし、音楽の理屈を知れば出せるのかもしれない。
    音楽でいえるのは、音の衝撃そのもので聞き分けるリズムのが私にはイメージも扱いもしやすいです。時間(拍)のシークエンスだけだし、なんか安心するんですよね。
    「詩を音楽を奏でるようには聞こえない」とおっしゃっていますが、私も書から音楽は感じませんよ〜景色を感じるだけです。
    音のごちゃごちゃに吸収され、目の前に集中しやすくなる、というのも初耳の感覚で印象深いお話でした。音の種類・重なりを増やす・音を多くする=視覚に集中できる。…これ、音の感度自体は鋭敏で高そうに見える。一極集中の強さ故、耳にも注意力を与えて敢えて逃がして、目の前に集中させる、というか。話し言葉としての語学習得が早いのも、耳の良さの一端に思えます。
    具体的なものはご自身で探って頂くとして…。

    具合が悪くなるのは体が「私も見ろよー」とアピールしてるかも。過去私も気持ちばかりが先行して体が先に崩れることばっかりでしたから。不快を感じたら向き合って1つずつ対処するのも、回復も早まると思います^^

    私には意識して言葉を追い出さないと、人間社会そのものが怖くなることがあります。人間は好きでも一人の時間も必要で…この心理すら理解もないのか面倒な苦しさもあります。実際作業所と縁がある頃は外にでようと言われ続けてましたし。

    最終の正解はないと思いますし、てか何を持って正解と言うの…?それこそ人によりけりじゃないかなぁ…と。
    あくまで私の思うことを言っているだけだし、鵜呑みが一番やってほしくないんですよねー‥明言はしたくない。それを外から押し付けられる苦しみが、自分の寂しさだったから。
    自分が言う時は例え話の距離感で助かってますけど受けとってきた言葉や反応・環境ってのはもうダイレクトでしたから、うん。

    話半分で、お願いしたいです。

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  37. おはようございます。皆様ありがとうございます。
    いろいろ話したいことはあるのですが、25日朝までに8000語訳さないと(やばい)それが終わったらきっと戻れるはず・・・

    私の理解では、紺さんの言っている「文字と音の回路が自動化していない」のが、「隠れディスレクシア」の王道の症状(?!)のように思います。紺さんの自己分析は隠れディスレクシアの思考プロセスのものすごく詳しい告白です!
    suiさんはサヴァン?的なものを感じました。素人意見ですが。
    正直、お二人の話は分かりやすくはないです。私も一言ずつイメージ化しないと自分のものにできない人なので。
    でも、ディスレクシアの人たちを見ていて思い当たる節が多々あり、じわじわ効いてくる感があります。こちらのものの見方が変わりつつありますよ・・・

    suiさんの言う、視覚型/聴覚型のディスレクシアについては、実は私はそんなにはっきり区分できるものか、疑問に思う部分がありまして…。もちろん、中にははっきりと分類できる人もいると思いますが。
    うちの子は、聴覚に頼った学習になじんでいますが、でも映像思考人間だと思います。
    「こんなことも見て(聞いて)分からないの?」とあきれさせる部分と、「そんなことまで見えてるの(聞こえてるの)?」と驚かされる部分が混在してます。
    suiさんのお子さんも、アーレンだと診断されながら、とても視覚情報が重要なのですよね?
    う~む。そんなこともあり、ご依頼の注記の件は、もう少し保留させて下さい。
    読む方がそれぞれ自分のニーズにあわせて取捨選択してくれればいいのではないかと、現時点では思っています。

    ディスレクシアの作家もたくさんいるくらいですから、ディスレクシアで読書が好き/書くことが好きなことも、当然のことなのでしょうね。(「ディスレクシア=文字が苦手」を表面的に解釈すると、一般にはにわかには信じがたいでしょうが…)
    お二人の書き言葉の表現能力の独特な高さを見ていると、ディスレクシアだからといって子供を読み書きから遠ざけるのは、ちょっと違うということも再認識しました。

    ディスレクシアのあり方は本当に多彩なようですね。「異なる原因やタイプが似たような状態として表面化している」という文章を最近英語で見ました。もう一度見つけたら訳したいです。
    今のところの教訓は「相手が自分と同じように物事を認識しているとは、ゆめゆめ思うなかれ」あたりに落ち着くのかなと・・・

    お二人の話が衝撃的すぎて、きちんと受け止めようとすると何も書けなくなってます(笑)、ので、取り急ぎ記憶で書いてみました。次の記事はここの流れを踏まえた、でも違う話になるはず。と自分に向かって宣言してみます。
    引き続き議論・歓談をどうぞ~

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  39. オーケストラの話、発音の良さで区別する話を伺えたので「音への反応が凸すぎて、視覚に頼っている状況」に思えてきました。私がsuiさんに絶対音感があると思う理由は「音への注意力が強く働く(視覚作業のために音の情報をふやす)エピソード」からですが視覚面になぜ迂回するのかがいまいち掴めませんでした。
    思考効率が聴覚の情報量に左右されてしまう、のかな…

    ちなみに私はオーケストラでも一般の曲でも、すべての音が際立って聞こえることもありません。

    9歳時のエピソードも頭脳からすれば9歳の体では窮屈だったことでしょう。大変でしたね…。

    利き手のお話。
    私が左手を使うころは改善効果が多くて快適を体感しました。でも変化は「凸凹バランスが崩れる可能性」もあるはずです。
    過去の利き手への過度な矯正の話もあるため、気がかりなのですが、もしかしてご自分で「左手は駄目だ」と思い込みをどこかで行い、人知れず体に負担をかけていないでしょうか?? ということ。

    私は左手優位の交差利き(クロスドミナンス)なんですが、右手もある程度日常的に使わないとイライラすることを発見しました。最近自覚したのでそれ以降はこだわらずぱっとペンを取れば、そのまま右手で書字することもあります。偏らないことが私の体と脳にはピッタリなんだとわかったんです。子供の頃から握力は左右同じ数値でした。でも本来?は利き手のが強く出るんだと(家族に聞くと右が強い=当たり前といった感じ)知って私は一人驚いたこともあります。

    やりやすさを重視すると「やる気があっても気が進まない」不快なスパイラルに陥らなくて済むんですが、そのストレスって実に小さなことが多いんです。自然と伸びた手を信じてぜひ試してもらいたい。

    無自覚に自制してる場合もあります。
    体感覚に鈍麻になって、理屈で進める日常になり感覚が置き去りになる。効率だけで選んでしまうことも感覚が取り残される原因です。

    うちの家族には左利きが誰もいなくて、自分も右利きだと思い込んだ過去もきっと無自覚に自制し「右手の書字が嫌い」なのを知りながら使っていた。音韻ディスレクシアに、擬似ディスプラクシアも勝手に抱えていたようなものです…疲れて当然だったんでしょうね。

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    1. あ。補足です。思い出した。
      私、右利きのころは生活音ストレスで落ち込むことがすごく多かった。
      処方されてた向精神薬の副作用もあって、感情が以上に高ぶったり落ち込んだりで振幅が激しすぎたのもあったけど、きっかけはほぼ「聴覚過敏による不快感」から始まってました。
      家族の感情的な物音、猫が走り回る音…日常の音から神経を逆撫でられていて簡単に振り回されてました…
      薬を止めてから音への苛立ちは多少減ったんですが、利き手を替えてからは音ストレスそのものが消えました。
      暗算ができるようになったのも、吃りが消えたのも、言葉を頭で考えてから話せる余裕も、電車に乗っていて隣に座ってる友人の声と周囲の環境音との区別が可能になったのも…おそらくクロスドミナンスを知って、実際に左手を使う生活になってからのはず…です。

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  40. ありがとうございます…!

    なんだか書きたい伝えたい気持ちが先行してしまい、もじこさんや他の方からもありがたいお言葉を頂いてるのに、反応してない姿になっていて、申し訳ないです…!

    オーケストラは全部一緒に聞こえます。でも全てが際立って聞こえることがないですし、意識して「打楽器音を聞きたい!」とすれば打楽器中心(注意選択して)に音楽聞くこともできます。
    いつも聞いている曲でも何度でも聞いて、新しい音を発見してはまた聞く…という事が私の密かな楽しみ方で「よく飽きずに聞いてるねw」と言われそうです。このやり方で漫画も読むので、同じ話を何度も何度も楽しむことをします。


    やはり…suiさんは音感覚が強いと感じました…!
    「母音という仕組みを、リズムという体感覚?を借り50音を習得していること」
    「母音から考えて詩をつくる、という展開」
    「数字を学習した場所が音からでは?という言葉」
    「テレビの音を無意識でも覚えていることがある、という事」


    私とは違う成長を辿ってる!!不思議。面白い…!
    (違いを知るとなんだか楽しくなってしまって…気分を害されたらすみません。)

    …私はひらがな・カタカナをどう覚えたのかは自分で説明ができないんです。小学校低学年は国語授業記憶だけ何故か全然残ってないので…理解不能だったからかな…?


    日本には「俳句・川柳」といった文化があるんですが私が国語で好きなのはこれなんですよね!(和歌や百人一首に関しては、暗記というイメージが拭いきれず、好きになれませんが…)
    「言葉(50音)をつかって語の数の決まり(五・七・五)でリズムを活かし言いたいことを中に収める」という昔からの文学表現法?で、比喩も使える、リズムも活かせる。私はこの「言葉数で生まれるリズム感」で気持ちのいいラインを探って文章を作ります。母音(音)で考えてはいない。

    暗算もそうです。
    私は数字の口頭言葉のセブンと表記の7が繋がらない。7の表記は数字の1つという理屈で処理してるんで筆算は間違えずに解くことが可能です。「耳から入力された音を、表記変換するまでに時間がかかる状態」なので、横から問題を読み上げられ、それを紙で計算するにしても本来のスピードは使いきれないでしょう。九九も当時の童謡歌ん0「歌」として丸暗記しただけなので、スラスラ言えたのは歌だったからです。計算には活きてない気がするし、今はすでに忘れはじめています。ペーパーテストのが楽でしたけど単純な計算問題のケアレスミス満載で平均値。成績は落ちないけど達成感もない。

    利き手のことで思い出しました。
    漫画にはルール(左へ左へ読ませる)があり、普段読んでいる漫画からもそれは体感としてよく知っていたはずなのに、私が小3〜6年ごろに描いた漫画はすべて「右へ右へ進ませる形」でした。文字を書く方向に漫画を描いていたのです。中学に入ってから気づくくらい自覚がなかった。
    右利き当時にこれだった私は、利き手違いで無意識に左右反転を起こしていたんだと思います。

    suiさんの思考スタイルもいまが過渡期なのかなぁ…と思って見てます。私と真逆で「右優位の交差利き」?などと勝手な妄想をしてしまうくらい。右手でペンをもったことに、後から気づくあたり、とても希望の大きい話に思えます。書字の苦労が「左手の鏡文字」であるのなら、書字を右手に任せるほうが頭が疲れない、ラクで楽しいやり方かもしれない。
    体が覚えてしまえば理屈じゃなく済んでいくはずです。
    自分は「不格好で汚くても左手書字が好き」なんです。経験値からも文字の流れ方においても、右手のが素早く書けるのですが…左手書字の快適さに慣れたらもう戻れません(笑)

    「好き・嫌い」で感覚で十分いけます。suiさんの「ペンが引っかかって嫌い」という言葉を見れたことに、とても嬉しくなってる自分がいます。その感覚をぜひ大事にしてくださいませ。(*´v`)

    「子供の頃は音への反応から学んでいる」
    「いまは音から考えるとつながらない」(利き手の変化感有り)
    を思うと、理屈とパターン把握で全てを乗り切ろうとした私の過去と重なります。
    私には「音を入り口にした対応には工夫がいる(単語や文節でまとめて把握する)」ため、視覚優位だと思ってます。
    私からすればsuiさんは聴覚優位に思える。

    記憶力はそれぞれに高いのも伺えます。でも、せっかく得た記憶・知識を上手く引っ張り上げるステップを掴めていないことで、漠然と点在した記憶・知識にとどまってしまい、上手く扱うことが出来ないのが悩み…そんなもどかしさに見えます。
    この連携を上手く、ラクにつなぐ方法があればいいな、と。
    個人的にsuiさんのお話には、世界仰天ニュースの当事者さんの体験談・対応策が大きなヒントを握っていると予想しています。
    でもまぁご自分の感覚と相談して全てを進めてください。


    私の左右反転の過去なのか、アナログ時計に限らず、平面図形問題はダメでした。画像が得意なのになーと今思えば勿体無い。高校の二次関数もグラフの左右で混乱してしまい、苦戦で終わった。
    時間の流れは歴史「年表」の一方通行の印象が強いし、理科の地層と同じく「積み重なっていくものと理解していた」んで、ループするアナログ時計の仕組みを疑問に思うことはなかったし、すぐに正確に読めないという苦手だけで針の動きが見えることに安心を覚えます。
    デジタル時計はぱっと読めるけど、時が動いてる気がしないから…

    自分が語彙を得た方法…ですか。
    日常会話やTVから、かな。
    クイズ番組、アニメ、ニュースの科学的な言葉、ドキュメンタリー番組のナレーションなど…言葉の使い方・使われ方・音を知りました。

    小さい情報が苦手な聴覚には、単語・文節単位で扱う語彙や言葉の使われ方を担当させてたのかも(応用)
    文字の最小単位・その理屈は得意な視覚で行っていました。(言葉のルール、50音・語の基礎)

    基礎と応用をやりやすい方向でインプットして、実践経験(文章を書く、人に話す)で統合して語彙にしたのかも…自分のはこういった形だと思います。たぶん。

    また長くなった…!

    よく「理解できない」とおっしゃる方が多いんですが、こんなの理解できなくていいんですよ。理解できると思い込むことが、届かない原因にも思えます、所詮他人の感覚の話ですから…
    理解しなくてもいいから「なんとなくこういうことかな?」と想像して感じることがあれば、私はそれで十分です。

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  41. 遅くなり申し訳ありません、昨夜と今朝にSuiさんから1件、紺さんから2件、コメントを頂きましたが、これは私だけが読むことにしておきます。Suiさんにも紺さんにも私にとっても、それが一番良いと判断しました。あしからずご了承下さいませ。


    Visual Learnerのご指摘、ありがとうございます。
    範囲は狭い意味での「学習」に限ったものではないことは分かっているつもりです。「世界を認識する方法」というか。しかし、英語のVisualは「目という感覚器を使う」ではなく、「脳内で絵を操作している」ということのようですね。それは誤解していたかも。「もっぱら脳内の絵(映像)を操作して物事を理解する人」これがVisual Learnerなのですね。
    たしかに、「視覚」と「映像」を分けて使わないといけませんね。

    にしても、うちのやつが聴覚優位(脳内の音を操作して物事を理解する人)とは、とても思えません。何事も脳内映像として記憶している、音⇔文字の行き来が悪い、音にしても文字にしても大きい単位でとらえているので、細かい部分の操作ができないように見えます。
    Suiさんの言う、「漢字を一回見れば覚えてしまう」は、どちらかというとやはりサヴァンか、あるいはハイパーレクシアな気がします。(ハイパーレクシアの記事を書いたときに、「うちの子はハイパーレクシアだと思っていたのにディスレクシアなのかも」という人が来てくれました)
    savant dyslexiaでググってもあまり何も出てきませんが、統合失調症と誤診されるディスレクシアもいるくらいですから(個人的に、これにはものすごく驚き憤慨しています)、「サヴァンかつディスレクシア」という人がいても私は驚きません。

    ディスレクシアと音楽・・・興味のある話ですが、ここまで来ると現時点で私の手に負える範囲を超えています。「ディスレクシアにも色々いるけど、みな音楽に対しては独特な感覚を持っているらしい」くらいのことしか言えません。
    うちの子はリズム大好きですが、コスモ君(浪人生)はリズム感がまったくありません。でも彼は音楽の道を諦めたほどバイオリンに傾倒しています。二人とも好きな音楽については一家言持ってます。音楽の耳がいいらしいです(より正確には、脳内での音の処理が繊細なのだと思います)。だから逆方向の過敏さといいますが、オーケストラの音がばらばらに聞こえるほどの聴覚過敏(脳内の音の処理の過敏)があっても不思議はないと思います。
    幼い感覚が残っているという指摘では、ブレインジムを思い出しました。赤ん坊の頃の反射が残っていると、その後の学習に困難を来すという話だったはずです(うろ覚え)。

    Davisの解説と、隠れディスレクシアへの言及、ありがとうございます。ちょっとこのあたりを読み直して、ここで書いてみたいです。


    利き手のお二人の話を読んで思い返すに、私も、利き手が左にどんどんシフトしていった時期と人生の大きな転機がぴったり一致しているのでした。転機と利き手変化を結びつけて考えたことはなかったのですが、いやはや。
    しかもお二人の話からすると、利き手シフトがきっかけで転機が起こるだけでなく、転機や変化をきっかけに利き手シフトが起きるんですか?!びっくりです…

    このほかにも、ブログねた1年分くらいの内容を受け取った気がします。しかしどうしても議論に追いつけるだけの時間を持たない翻訳奴隷な私でございます。このあたりで今回の議論は一度締め、続きは場所を移すなりして続けられたらと思ってます。

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  42. Suiさんへ。
    「ディスレクシアとは何か」。実はその定義さえ曖昧なのです。
    英語のままで失礼します:

    http://www.bdadyslexia.org.uk/dyslexic/definitions


    Dyslexia is a learning difficulty that primarily affects the skills involved in accurate and fluent word reading and spelling.

    Characteristic features of dyslexia are difficulties in phonological awareness, verbal memory and verbal processing speed.
    Dyslexia occurs across the range of intellectual abilities.
    It is best thought of as a continuum, not a distinct category, and there are no clear cut-off points.
    Co-occurring difficulties may be seen in aspects of language, motor co-ordination, mental calculation, concentration and personal organisation, but these are not, by themselves, markers of dyslexia.


    これがディスレクシアの定義なら、Suiさんも必ずしもディスレクシアでないとは言い切れないと思うのですが、いかがでしょう。

    ただ、ADHDと+ディスレクシア、アスペルガー+ディスレクシアを併発するケースが多々あり、そうなるとディスレクシアはとても多彩になってきます。
    続きの話はそこを踏まえてしましょうか。
    というのが、紺さんから頂いたコメントでした。
    私自身は、Suiさんの話はうちの子とはかなり違うけど、でもこういうディスレクシアもいるんだなと、目を開かされる思いでした。
    今は混乱されているようですが、私も負けず劣らずそうです^^。少し落ち着かれてから、またお話しいたしましょう~。

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  43. こちらをご覧の皆様
    申し訳ありません、私がSuiさんに言ったことが原因で、Suiさんからコメント削除の依頼があり、このたび全削除させて頂きました。あしからずご了承下さい。

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