2015-02-14

[追記つき]多言語環境に暮らすディスレクシア親子より(3)「パズルの最後のピースがはまった時にすべてを理解する」「箱と糊」

前回の記事はひっそり沈めるつもりだったのに、大変多くの方に「おめでとう」の言葉を頂き、本当にありがとうございます。
子供にも伝えたところ、まんざらでないという顔をしています(笑)

職業上毎年たくさん言っている「おめでとう!」を、本当に多くの方から頂いて、
このほめ言葉が自分の心のもちようを確実に変えていくことを知りました。
何度言われても、なんと甘美な響き(´Д`)。
改めて、ディスレクシアの子にも毎日せっせとほめ言葉の水やりをするのは
大事なことだと実感しました。


☆  ☆  ☆

Suiさんのディスレクシア感覚の告白の続きです。

[15/02/27 追記]
Suiさんからの要望により、紹介させて頂いたメールを削除するか要点のみ記しました。
私のコメントだけを残してあります。



☆  ☆  ☆

(削除)
→長時間しめつけるような根性型の努力はまったく無意味
でも、「コツをつかむための努力」は必要で、それは「色々な角度からのアプローチ」という形をとる。。
あと、親は勉強量をつい「どれだけ長時間、机に向かっているか」で計りがちですが、ディスレクシア的にはそれは違うのですね。

10以上の足し算が理解出来なかったが、5が入る小さな箱と10が入る小さな箱を使って計算出来る事が分かった時に、九九まで一気に理解が広がった。

数の単位を「」でとらえるのは、別記事の翻訳でも出てきました

時間は箱で、箱の中を埋めて1日というタワーを作る。このタワーをいくつか積み上げると、1週間というより大きな建物になる」。

ディスレクシアで九九につまづく子、当ブログにもかなり来ますが、 「」の概念を使えばすっと入るのかもしれません。
こんな感じ?
作ってみてわかりましたが、
「5が入る小さな箱」とはまさに「そろばん」ですね!



英語とはコミュニケーションの道具と理解してからは、紙の上での英語も普通に意味が分かるようになった。
理解出来る言語が増えると同時に、右手が左手と同じように使えるようになっていた。
→来ました利き手の話!ここはコメント欄に任せます(笑)
英語学習も、ディスレクシア的には「机に向かってがりがり」ではないアプローチを、少なくとも最初のうちはとるべきだ、ということですね。
コミュニケーションの道具、つまり音声言語として英語に触れるのが最初、
紙の上での、書き言葉の英語を読むのはその後、
細かいスペルの書き分けや音韻認識はさらに後
(というか最後まで克服できないかも?!)
・・・という順番なのでしょうね。 

私はディスレクシアを障害とは思っていない。幼い頃から得意不得意を本人が理解するだけでも、大分変わってくる
→私もディスレクシアを障害とは思ってませんよ~!異能者だと思ってます。
☆  ☆  ☆

箱と糊(削除)

→当ブログにも何回か登場したコスモ君(現在受験の真っ最中)。
彼の読み方と、たぶんこれはまったく同じです。

彼はまず、問題文ではなく設問(内容一致問題)の選択肢をじっくり読みます。
そうすると問題文のだいたいの内容が想像つくそうです。
確かに、これが非常~にいい線いってます。

それから問題文を読んでいきますが、もちろん冒頭から読んだりしません。
設問の前後1~2文だけ読んでは解答していきます(Suiさんと同じ)。
その1~2文を読む過程で、文章理解はさらに確かなものになります。
※ただ、単語力が不足しているので、そこが辛いのですが…

たとえるなら、1時間ドラマの内容を理解するのに、
15秒のシーンを10ヵ所ほど見れば、見ていない部分は推測で分かる感じです。

すごく能動的で、主体的な読解方法です。
全体像を頭の中に描く作業や、読んでいない部分を推測する作業には
ものすごく頭を使っており、非常に疲れるようです。

予備校ではこのような読み方は絶対に教えませんが、
ディスレクシア的には実はこのような読み方こそが王道なのかも?
それどころか、「読字」はできても「読解」はあやしい一般の読み方よりも、
このような読み方のほうが、実は本当の意味で読んでいると言えるのでは?
とさえ思います。

~~

」つまりつなぎ言葉はディスレクシアにとってハードルであり、
非ディスレクシア的な読み方に歩み寄るための要と感じています。

ディスレクシアの生徒たちを見ていると、程度の差はあれ
「論理関係」「筋道立った説明」に戸惑っている印象を受けます。
私はこれは、ディスレクシア的な物事の理解が「直観的」だからだと考えます。
全体像をまるごとのものとして、直観的に把握しているので、
それを「筋道立てて説明せよ」と言われても困る・・・そんなふうに見えます。

そこに「」と「」という考え方を取り入れて文章読解を行うのは、
ディスレクシアにとって非常に有効だと思います。
全体像を「」に細かくわけて、箱同士のつながり()を理解するんですよね。
まさに「全体から細部へ」、ディスレクシア的理解の流れに沿っています。


以下は、まだ考えがまとまってない部分ですが・・・

ディスレクシアでも、訓練によって論理関係を身につけることはできます。

うちの子の場合、過去問で
「しかし」「よって」を入れる問題や、「なぜなら」の前や後を書く問題で、
最初は「なんでそうなるの?」と反論したいようでしたが、
練習を重ねるとできるようになりました。

小学生の場合、まだ弁がそれほど立たないせいもあり
「訓練によって論理関係を理解出来るようになる」というふうに見えます。
おそらくは、すでに直観的に物事を理解しているのでしょうが。

大学受験生なコスモ君の年頃になると、
直観力と、いきなり核心を突く発言ができるだけの言語能力があるので
「論理」を習得することは、直観をルールに従って飼い慣らすことのように見えます。

ただ、不思議なことに、
核心を突く発言までには、それなりに思考のステップがあるようですが、
いざそれを文章にするとなると、言葉が逃げていくそうで、難しいようです。

予備校でも、ディスレクシアの子の自由英作文は、
「なかなかいいことを言っているが、論旨が飛躍しすぎている」「言葉足らず」
という印象を与えるケースがけっこうあります(全員とは言いませんが)
論理的にものを述べるのは、ディスレクシアにはけっこう難しそうです。