2016-04-04

ディスレクシアと左右盲(または「ディスレクシアは線形感覚が不足している」)追記

この記事は、このコメント→へのお返事です。

「ディスレクシアは、線形感覚(言葉が順番に並んでいるという感覚)が
多かれ少なかれ、一定のレベルで不足しているらしい」
という内容です。

☆  ☆  ☆

まずは私の左右盲なエピソードから。
もう1ヶ月以上前のことになりますが、わたくし、
右折禁止のところで右折して反則切符を切られました(泣き笑い)

「ここ右折禁止なんですよ。地元の人? 看板見えませんでしたか?
けっこう大きい看板が出ているので、次に通ったときに見て下さいね」

・・・ええ、気付いてました。これですよね。

あまりに悔しいので、再訪してきました(笑)

冷静に考えれば、自家用車は右折禁止だと分かるのですが…
「除く」と書かれるとわちゃわちゃして、根拠のない自信が(→ADHD)

・・・このように私は、時々左右が分からなくなります。
こういう性質を「左右盲」と言うらしいことは、
コメント欄で教えて頂きました→

地図も、一度しっかり見ておけば、頭の中にGPSが見える人ですが、
時々、東西や南北を逆に進んでしまいます。それもきれいに真逆で(汗)

私は、字は人並み以上に読める人のようですが、
ディスレクシアな子との共通点が、この「左右盲」らしいです。

☆  ☆  ☆

ディスレクシアと左右盲は、かなり深い関係があるようです

そう指摘する本の、内容を抜粋して紹介します。

Dehaene, S.(2008): Reading in the Brain: The New Science of How We Read
(直訳するとスタニスラス・ドゥアンヌ「読み方の新しい科学」)
和訳はないようです。誰か訳してくれ~

このなかで著者は
人間の視覚的記憶には、左右の区別が含まれていない」と言い、
例として、「この絵は正しいモナリザだろうか?」と問います:



・・・実は左右反転しています。
このように、視覚的な記憶からは左右が抜け落ちるらしいのですが、
動物においては、それがもっと進んでいるらしいのです。

動物は左右を区別しない。
左右反転したものを同じと見なすほうが、生存に適しているから。
左向きのライオンと右向きのライオンを別物と認識していたら、食べられてしまう」

「ヒトも動物と同様、対称性を認識する力を持って生まれてくる。
だが、発達の過程でこれを「上書き(un-learn)」することで、
やがて左右を異なるものとして認識するようになる。
この力が線形感覚につながり、読字の前提となる。」

言い換えれば、
動物は左右盲であり、人間も生まれたときは左右盲だが、
成長とともに左右盲の能力を失い、
かわって、線形感覚(左から右に流れる、順番の感覚)を獲得する。
それによって、字が読めるようになる。
ということです。

著者によれば
「対称性を認識する力は、読み能力にとって邪魔
つまり「左右盲があると、読み能力に悪影響が出る」。
で、ディスレクシアの原因のひとつに、この左右盲があると言うのです(!!)

そして、過剰な対称性=「左右盲が上書きされなかったこと」
が原因の、英語ネイティブのディスレクシアの例を紹介しています。

その方は、字、語、語順、すべてのレベルでが欠落しているそうです。
字は鏡文字、時々右から左に書く、語もsawがwasになったりする、
そして語順も、SVOがOVSになる(I play tennisがtennis play Iになる)
らしいのです・・・!

☆  ☆  ☆

言語というのは線形的なものです。
英語の場合は、
「e」という文字ひとつとっても、
左からはじめて右に進み、上に曲がって反時計回りにほぼ一周し…と、
どのような順番/向きに線を引いていくかが重要です。
語も、アルファベットが所定の順番に並ぶことで、初めてオトになります。

そして、文レベルでも、英語は語順が非常に重要です。
文の一番最初に来る名詞が主語、つまり「~が/~は」の意味になり、
次に動詞が来て、その次に来る名詞は必ず「~を/~に」の意味になります。
「~を/~に」以外の意味でつなぎたい場合は、必ず前置詞を使います。
(↑ディスレクシアな中学生には、こう説明すると腑に落ちるようです)




「ディスレクシアの原因に線形感覚の不足(左右盲)がある」ということは、
日本語に置き換えると、何を意味するのでしょうか。考えられるのは・・・

1) 鏡文字を書く。
字のレベルでの左右盲。
ディスレクシアの典型的症状?と言われます。
が、実は、大人になるとけっこう減るようです。

2)助詞が苦手。
助詞は語と語のつなぎ目です。この部分が苦手なようです。
「これまで助詞は無視してきました」と語る大人ディスレクシアに、
私はけっこう多く遭遇してきました。
いわく、助詞は「オトに対して意味が小さすぎるから」だそうです。

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追記:この点について、指摘を受けましたので、貼っておきます。
うーむ、確かに「オトに対して意味が大きすぎる」のような気も。
だんだん分からなくなってきた・・・

# 助詞は「オトに対して意味が小さすぎるから」について(日本語)
 私は逆だと思います。「音に対して意味が大きすぎるから」です。
例えば4種類の絵から正解を選ぶ問題。「おまわりさんが泥棒を追いかける。」これは簡単。
「泥棒がおまわりさんを追いかける。」「おまわりさんを泥棒が追いかける。」「お巡りさんが泥棒に追いかけられる。」これはどうでしょうか。(4種類だったのは、〜を持って、など長文だったので)
この問題は、「音→言葉」に弱い失語の人では、間違えやすいと言われている。 「が」、「に」を判断しないといけないから。
「が」、「に」を聞き取れるかが重要なのです。
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3)文と文の「つなぎ言葉」が苦手。
「しかし」「だから」など、文と文をつなぐ言葉が苦手なケースが多いようです。
ただ、この部分は、教えれば「ああ、そういうこと!」と腑に落ちるようです。
また、「しかし」が入るべき場所に「しかし」を入れないで話してしまう人も、
空所問題で「しかし」を選ぶことは、わりとできるようです。

4)作文が苦手。ものごとを順を追って述べられない。
概念を、他人に伝わりやすい順番で並べていくのが苦手。
主語がなく、述語だけで話すので、何の話をしているのか分からない。
話が飛躍する・・・などの症状がみられます。
うちの子はこの問題がかなり大きいです。

☆  ☆  ☆

ここで私自身の経験を申しますと…
実はわたくし、25歳の頃(人生で一番読めなくなり、失語症というかすべての言葉が同時に出てきたがるので混乱が激しかった時期)に、「英語のつなぎ言葉(however)などに注目すると書き手の言いたいことってこんなにもよく分かるんだ!」と感動し、それがテーマの問題集まで書きました(あえてリンクは貼りません)。
この問題集は出講先の予備校の講師仲間からボロクソに言われ、某巨大掲示板では悪口のスレッドも立ち(泣)、かなり傷つきましたが、いまでは高校の教科書にも、そのとき私が使った用語がパクられています(笑)。

このとき何が分かったかというと・・・
「つなぎ言葉」をめぐる評価は、
「そこを教えてもらえると本当にありがたい!」という人たちと、
「そんなことは言うまでもなく当然。わざわざ教えるほうがおかしい」
という人たちに、二分されるということです。

私(字が非常に読める左右盲)の実感では、
つなぎ言葉への意識は、線形感覚を保つために非常に役に立っています。
なので、ディスレクシア英語学習では、
「つなぎ言葉」を意識させるような指摘が有用だと感じています。

そして、ディスレクシアな人の困り具合をはかるときに、
視読(文字を、オトにしないで直接意味を知ること)、
言語音の相対音感(オトを文字に落とし込むのに困難を覚えること)
に加え、この左右盲の3点の絶対的・相対的な強さを観察すると、
いろいろアドバイスできる…ような気がしています。

ご意見求む!

18 件のコメント:

  1. ディスレクシア的な息子、左右盲です。

    文字を判別する困難さは、以前からですが、
    最近は左右は判別出来ない為の事故を心配しています。

    いつも参考にさせて頂くばかりで申し訳ないのですが
    対応策お持ちの方がいたら教えて下さい。

    視写、そろそろ取り組みはじめたいと思っています。

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  2. ありがとうございます。やはり語順が反対になる(結論から言っても良いじゃないか)は私の体感がさせる傾向なんでしょうね。実は漫画も結論を自分で決めてから(見届けてから)逆算して冒頭シーンを決めたりするんです。なので漫画は思いついたまま描けることは無い。時間はかかりますが相手に伝わりやすいのが励みになってて今も続いてますし好きです。
    あと当事者に両利きが多い辺りは、左右区別する体感が普通より少ないからですかね。

    私も対策の面で考えたり試したり、自分を振り返ってみる事にしますね。気づきがあればまた書き込みにきます^^

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  3. 匿名さん
    思いついたことを取り急ぎ:
    ◆良いこと
    ・体幹を整える(スポーツ、瞑想、精神統一を要求するもの--弓道など)
    ・トマティス(私のわちゃわちゃ感、つまり左右が混乱したときに危険な行動に出ることを抑えるのに、最も効果があったと思ってます。効果には個人差があるようですが)
    ◆良くないこと
    ・「右にしなさい!」と利き手を強制する
    紺さんのご指摘にもある通り、左右盲の人は両利きが多いと思います(ここで言う「両利き」とは、なんでも自在に両手でできるのではなく、書くのは左、お箸は右、針は左、投げるのはどっちも下手、・・・と行為によって利き手が違うことを言うと思ってます)。そういう状態をOKとするのが大事だと思います。

    紺さん
    結論から逆算できるだけでも、いいぢゃないですか?!
    結局この記事を書くのに半年以上かかってしまいましたが、「わかった!」と思ってから、それを文章にまで持っていくのにえらく苦労します・・・。いろんな断片が浮かんでは消え、それらを伝わる形でつなげるのに、すご~く時間がかかります。
    人と対話すると、断片がつながりやすくなる気がします。話し言葉は順に出てきては消えてなくなる、とても線形的なものだからでしょうか。紺さんから問題提起があったのと、春期講習の勢いを借りて、ようやく断片的な思いが一本の線に並びました(笑)。

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  4. ご無沙汰しています。
    いきなりですが、先日夫から「左折して」と言われて思い切り右折しました……。

    うちの子は鏡文字を書いたことはないですが、bとdの間違いは毎回です。語順の間違いでは、たとえば昔「牛乳ばっかり飲んでいる」を「ばっかり牛乳飲んでいる」と言ったりしていました。不思議な間違い方だなあと思ったものですが……線形感覚の弱さからきていたのですね。最近のヒットは「くたびれ損の骨折りもうけ」です。本人の経験(骨折の固定ギプスが外れた矢先に再骨折した)から妙に説得力があって、今後わたしまで間違えそうです(汗)

    つなぎ言葉については、子は意味だけはわりと早くから理解できていたように思います。理屈っぽい話し方をする夫に鍛えられたのかな。で、書くときはそれにしがみついて非常に内容の乏しいものを書いていた気がします。たとえば「ぼくは〇〇をしました。なぜぼくが〇〇をしたかというと、それは✕✕✕✕だったので、ぼくは〇〇をしました。おわり」みたいな。今も昔もなぜか「なぜかというと」が好きです(笑)
    うちの子も説明が非常に下手くそでしたが、ずいぶん進歩しましたよ。動画サイトのゲーム解説でわかりやすい伝え方を学んだようです。つくづく「経験から学ぶ人」だなあと思います。

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  5. 以前、もじこさんのおかげで夫婦揃ってディスレクシアに気がついたとコメントした者です。再びお邪魔いたします。
    左右盲、私は最近になって自分の深刻な苦手さに気がつきました。それも、決して左右・裏表間違えてはいけないアパレルの仕事の中で。
    生地の裏表、縦横、時には上下、それがとても重要なんですが、表裏、縦横を間違えて裁断したり…数々のありえないミスを連発し自信を完全に失いました。右も左もわからないということはとてつもなく惨めでした。きっと小学校で音読が苦手だった人の気持ちと似ていると思います。
    数々の失敗の末、静止画や文字で段階をふんで考えると余計に混乱して「考えた末に間違う」事態を招くと気づき、映像で考えることにしました。
    (段階を踏むと間が欠落するんだと思います。私が道をおぼえられないのと似ています。要所要所はわかる、見たことのある風景だけど「点」と「点」をつなぐ「線」がないという事態。「線」を行くときは合ってるかどうかわからない状態で突っ走る。次に見たことがある風景が見えるまで。私はこのようにして道を走ります。)

    ディズニー映画で妖精が魔法でドレスを作るように布地を動かして、数字なんかも合成してイメージを頭の中で作ります。すると間違いが激減し、複雑な計算やデザインが素早くできるようになりました。

    少しずれますが、もじこさんが記事中に『根拠のない自信←ADHD』と書かれていましたがそうなのですか!?自分のADHD疑惑は最近確信に変わっているのですが、ショートして真逆を選ぶというパターンが似ていたので気になりました。
    思いっきりの良すぎる決断を下す自分を今の今まで情けなく思っていたのですが、もしこれがADHDの特性ならば救われます。

    いつも自分には何かが足りないのだと思っていたので『左右盲の能力』という表現が衝撃でした。足りないんじゃなくて逆に失っていなかったのかと。その点原始反射ににていますか?

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  6. 目視では左右判別がつけれていても、言葉で右左指示されると未だに混乱しますね〜私。視力検査の口頭返答もモタモタするので、今も指差しで行います。検査中にひらがなも読まされるから、視力以外で毎回地味に緊張しますし……^^;

    「くたびれ損の骨折りもうけ」笑いました!w かなり共感しちゃった。当人ボケたつもりがないあたり、さらに周囲に和む笑いを誘いませんかね?私は笑ってくれるなら良いか、と流すし言い間違いフレーズそのものが頭からすぐに頭から抜けていくので、私のそういう事例?がすぐに浮かばないのが悔しいw(自分が思った以上に周囲がうけてる、奇跡の偶然ボケみたいなのは多い気がする…)

    当事者の言動はクレヨンしんちゃんの、しんちゃんもイメージしやすいんでしょうかね。私はしんちゃんにも共感が多いかも。単語や慣用句レベルの順番・選び間違い(おやつ→おつや、さすが母ちゃん太っ腹→太もも)は、まだ相手が容易に意味推測できそうなエリアで、ミスも大目にみてもらえそう。
    私は単語の使い所の間違い(おかえり〜と言うべき場面で「ただいま〜」って笑顔で言っちゃうとか…)が、大人の今でも頻繁なので、周囲の大人とか親戚の小さい子らとかに一体、どう見られているんだろうと考えるといろいろと恥ずかしさが…^p^

    文レベルの順序は大人になっても本当に苦労してます。いくら語彙をもってても届くことに効率良く活かせないのです。
    あと当事者がディスレクシアの言語感覚(自分の自然体)で会話できる日常がない場合はとくに……普段から自分の会話に対する自信も楽しさも達成感もない最中、直せとばかり言われてしまうことで「自分が悪いに決まっている」と思い込む原因になってしまうと思います(結果、私は家族に対してもかなりの部分で黙ることになったし)
    「ダメ」ではなく、相手に届く方法の一つとして順番の大事さを教えるのは良いと思いますが、体に合わないことが正解のように教え込まれると、一見できてるように見えてもいずれ心身を壊すし、言葉が全く楽しくなくなります。直せという説得が横行して腹立つというのは、この部分です。けっこう危険な日常だと思うんだけどな…。
    かといって当事者感覚がない相手が、当事者感覚に無理に合わせて付き合うと割と疲れるはずです。私が非ディスレクシアと付き合うのが疲れるのと同じように。基本お互い様な物事だと思ってるので、程よい距離感を置けば良いんじゃないかなぁ…ある程度放っておいても大丈夫だと思うけどな、本当に。


    説明のうまい人の話し方が理解に大きく届くのが当事者だからか、話上手な方の癖とかを肌で知るのは有効かも。話して聞いての経験値が大事なんでしょう。一方で私は、ディスレクシアな言語感覚同士での対話欲も強くあるからか、言い間違っても察せれる相手と一緒したいな〜と思うことも多いです。

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  7. てぷさん、みみさん、紺さん、笑わせられたり(くたびれ損…)、考えさせられたりのコメントをありがとうございます!
    お三方の話を総合すると、ディスレクシアにとって言葉とは決して自然に使いこなせるものではないわけで、
    となると、ディスレクシアには日本語を教えるのも英語を教えるのも、ちょっと変える必要がありますね。



    「根拠のない自信」につきまして。
    私は人生の大きな決断を短絡的にする(進学、結婚(笑)など)と自認していましたが、あるとき、わちゃわちゃしてくると根拠のない自信(過信)が湧いてきて、「え~い、きっとこれだ~」と選んでしまうことに気がつきました。そのときは「私は直観が鋭い」などと自信たっぷりなのですが、振り返るにそれはわちゃわちゃから逃げるためのテキトウだったことが多いような(笑)。
    「ショートして真逆を選ぶ」!この表現がまさにこれを言い当てていると思います!

    コスモ君が追い込まれると「『まあどうにかなるっしょ』と思う」と答えてくれて、そのときは「なんて切ない処世術」と思いましたが、これも「根拠のない自信」と同じことを言っている気がします。

    このことに気付いて以来、短絡的な決断はなるべく下さないように、あえて慎重を心がけています。それでも普通の人よりはかなり即断即決ですが。

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  8. 追記にコメント。実は私、国語の専門用語の単語自体がとても苦手なので、用語の意味把握にも自信がないです。指摘してもらえると嬉しいです…とお断りを書いた上で…
    私は「助詞はオトに対して意味が「小さすぎる」と感じる方」です。助詞は無視してきた、も強い共感です。

    「が、に」の例文を見ても思いますが「誰から感じる景色の言葉なのか」だけを気にして読んでます。双方の関係性(+上下関係の有無とか差異?)を醸し出したがるときに出会う文のスタイルだな〜という印象。「が、に」の影響下から、受け身系の文末語尾(〜られる)で締めくくるため、文章の雰囲気はオトでも文字でも変化を感じやすく、ディスレクシアが景色を感じて文字を読むのなら、つまづきは少ないと思えますがどうでしょう?「が、に」で苦労した印象は私はないなぁ。


    「〜が、〜を」こそ「国語での正解」はない気がしてます。主語と述語を入れ変えても助詞の位置を固定しちゃえば正解に持ちこめる要素がある(助詞を動かすならば主語述語を固定すればいい)
    意味を変えずに語順変更が可能で(主語述語or助詞がどちらかを固定すればいい)「どっち動かしても意味(景色)が相手に通じれば、適当でいいんじゃないの?」と思える。そして私は主語述語を操作する言い方を好んで行います(というか助詞に意識がいかないので、主語述語などに+助詞の「文節」で言葉を扱う癖がある。会話でも文章でも)
    だから、もじこさんのコメントで「英語では(〜が、〜を)は順番だけが根拠」と聞いても、しばらくは半信半疑というか「そこまできっちり決めるべき意味とか強さが、助詞にある??そんな観点で判断できるのかなぁ??あんまり実感がないのだが」と、かなりモヤモヤした状態だった。
    英語は語順で組み立てる言語だからこそ助詞の特定ができるんだよ(位置次第で景色の伝わり方が変わってしまう恐れがあるよ)で納得でした。


    日本語は「過去形か現在形か」も話の語尾(文末)に注意を払う必要があるから、最後まで話に付き合う体力があれば乗り切れちゃうことも多いし、私は自分の頭が疲れないようあえてポイント絞って「適当に」聞くことも多いです。(一字一句漏らさず…という姿勢に入ると、かえって内容把握できない頭です)

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  9. 余計に話が混乱しないことを願いつつ参入します……
    わたしははじめの「オトに対して意味が小さすぎる」で(え、そうなの?)と思った口なので、指摘された方のおっしゃることは理解できているつもりです。ただ、紺さんのコメントを見せていただき、「あー、こりゃもう一歩先の話か」と思いました。で、うちの子のかつての不思議な日本語がじわじわと思い出されたのです。助詞に支えられた主語と目的語の関係は語順にかかわらずわかっていました。(ただし助詞によってではなく、おそらく前後の流れとか全体の話の脈絡で) スジを読む能力が抜群に高いから、助詞が聞き取れなくて(or読み取れなくて)意味を取り違えて困ることは実はあまり起こらない。むしろ運用になると「まあこれでも使っておけ」みたいな感じですごくテキトーになる(笑) ディスレクシアにとって助詞は「オトに対して意味というか、意義が小さい」のかもしれないなあと思ったり。
    むしろ能動と受動の区別が曖昧だと思ったものですが、どうでしょうか? 最後の着地のところであれれ……となることが多かったです。ほら、あそこに木が生い茂られているところが…とか、もう誰もぼくをいじめられてくれなくなった、とか。「ら抜き言葉」ならぬ「られ入れ言葉」でした。視点が定まらなかったということなのかな。今はもう大丈夫です。

    英語の語順、大切なんですよね。わたしもそれを伝えたいあまりについ力が入り、子に「目ヂカラがこわい」と言われました…。

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    1. 自分の幼少の言葉遣いを覚えてる人間が周囲にいないので、親御さんの観察眼は私にとっても貴重です。確かに「意義が小さい」のがしっくりくる。助詞って存在感は大きく感じるけど、無視しても把握に問題がないんですよ〜私の体感では。アウトプットでかなり適当な使い方になるのは私も同じくです…(苦笑)
      「受動と能動」にピンときた。以前どこかでコメントした視点がさまよう話、客観と主観を頻繁に行き来している。上から自分を含めた景色を感じることができる…等々の現象の話。
      自分の映像思考を自覚してない幼い頃、話における自分の立場(主役と相手、話し手と聞き手、受動と能動)が混同する言い回し、られ入れ言葉になるのは自分にも容易に想像できます。過去私もやっていたんじゃないかな?言えるエピソードが記憶にあるわけではないですが。
      私は「一人称・二人称…」という用語理解が、同級に比べて異常に遅かった気がします。映像で考えればどういう様子をさすのかはわかる。でも授業は用語理解あってこそで進めるのが多いんでその都度「この言葉は、なんの様子の事を指すんだっけ?」と想起に時間を使い、戸惑いも多かった。

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    2. あー、わかります。一人称はI、二人称はyou、三人称が…と言ったら「We!」ときて、「いや、三人いるということじゃないんだよ…」というやり取りが我が家でもありました。

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    3. まさに私も三人称=Weと答えてた。いまも「一人称…」という用語自体に身構える感覚があります、苦手意識ですね。

      頭で浮かべるイメージ自体「三人称の起こるシーン」を想像するところから勉強姿勢に入るので、やはり3人いる景色です。状況をイメージで組み立てることから入ります。(だから3人いる景色=三人称と混同したりする、私の場合は)状況をイメージするのは早いっていうか容易いです。
      でも「用語-理解」が結び着くまでが、どの教科の教科書用語でも遅かった。私は実技系以外の全教科では、ロスは多かれ少なかれ起きてました。英語の単語が頭に入らないのと一緒で私にとって教科書用語も「読めない日本語・単語」になるんですよね。バカにされたり他の人には理解されにくい気がしてて当時から怖くて、誰にも言いませんでした。

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    4. そうですか……うーん、参考になります。子に教えるときに概念を映像化するのはこれまでも心がけていたけれど、もっと入念に仕込む必要があると思いました。いつもながらヒントを下さりありがとうございます。

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  10. 私は、もともと左利きでしたが、小学1年生の頃に文字だけ矯正され、今でも左右がわかりません。自己判断ですが、たぶん左右盲だと思います。
    私は英語を独学で学んでいます。海外の友達に教えてもらっています。センテンスで文章まるごと覚えるのはできるのですが、文法が苦手です。1文型とか2文型とかいろいろあって混乱しますし、使いこなせません。出された英語の問題集を教えていただけないでしょうか?

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  11. こんにちは。私の書いた問題集は、非ディスレクシアな大学受験生用の長文問題集なので、おそらくMi Yaさんのニーズには合っていないような気がします。。申し訳ありません。

    Mi Yaさんの英語力がどの程度かわかりませんが、2月末から以下の翻訳学校で、大人を対象に文法クラスを行います。よろしければご検討下さい:
    http://www.issnet.co.jp/fsc16/english/interpretation.html#ei_08

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  12. こんにちは。
    焦ると左右盲になるので、色々読んでいたところこちらのサイトに辿り着きました。モナリザの絵なんですが、左右反転している事に全く気付かなかったです。
    ディスクレシアに関してはおそらく軽度なのですが、国語の長文読解(時間制限のあるセンター試験や模試)で内容理解が全くできず苦労しました。
    自分は他の人からしたら異常な記憶力(社会科目の参考書400ページを記載場所等含めて全て暗記など)があったおかげで大学受験は乗り越えられましたが、ADHDの可能性が高いと思っています。正直日常生活には支障はないのですが、診察を受けた方が良いのでしょうか。

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    1. こんにちは。
      驚異的な記憶力ですね!一方、左右盲での失敗もあったことと思います^^。私もそうです。

      日常生活に支障がないなら、ディスレクシアもADHDも診断は不要というのが私の意見です。
      お医者さんは、発達障害や学習障害の診断書を書くことはできても、治療することはできません。これが内科や外科にかかるような病気と違う部分です。
      また、大人は特性をカバーするスキルを身につけていますし、脳も独特の回路を作り上げているので、なかなか困難が表面化しづらく、よって診断が出ないという面があります。

      診断書によってお墨付きを得たいという気持ちはわかりますが、それなしでも自分の特性を認めてあげましょう。

      診断書のあるなしに関わらず、ご自身で特性を理解するのは非常に大切です。誰しもにある自身のいびつさを理解したうえで、得意を生かして人の役に立ち、苦手な部分は人に助けてもらうこと。そんな立ち位置を模索することは、治療に相当するような、あるいは治療よりも大切なことです。

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    2. ご返信ありがとうございます。
      そうですね。自分の特性だと思い、うまく付き合っていきたいと思います。悩んでいたので、少し安心できました。
      本当にありがとうございました。

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