2018-04-28

受験体験記(2)byピノコ「私は、振り上げた拳の納め方が分からないのです。」

もじこ塾に通う中学生にはおなじみ,授業の助手を務めるピノコさんに,体験記を書いてもらいました。
昨年の受験報告会での快刀乱麻ぶりを,覚えておられる方も多いと思います。

とっても明るく,直接会って話した人なら誰もが賢いと感じるであろう彼女は,瞬時の洞察力と遅い処理能力をあわせもつがゆえに,大変重い半生を過ごしてきました。
関東某県の中高一貫進学校に入学するも,高1で学校側に啖呵切って自ら退学。しかし高校中退ではコンビニも雇ってくれない現実に直面し,上京して予備校に通い高認取得。その後いろいろあって,はじめてLDが判明,もじこ塾に通うように。合理的配慮を受けて大学受験し、医療系の進路に進むも,思うところあって休学。今は大学の科目履修生やもじこ塾の助手をしながら,次の一歩を模索中。・・・そんな途中の状態にあって、受験生活を率直に書いてくれた勇気は,敬服に値します。

彼女は,ずばっと物事を一刀両断するときの洞察力がものすごいです。そして怒りのパワーでこれまで物事を動かしてきました(今それを改善中^^)
これらは「過度激動」の特徴に見えます。感動にしても怒りにしても感情の振幅が激しい公平や倫理的正しさを自分にも他人にも強く要求する,批評精神が強く物事を深く考える傾向がある,束縛や指図を嫌い自分の価値観をあくまで貫こうとする・・・といった特徴のことです。過度激動はギフテッドや2e(発達凹凸の非常に激しい人)にしばしば見られると言われます。

もじこ塾には、自分で入塾希望の連絡をしてきました。ここは親が見つけて連絡してくるケースがほとんどなのですが,自分で連絡してくる生徒は,肚がすわっているといいますか,講師との対話が深くなる傾向にあります。彼女も例外ではありません。

ディスレクシア的には,想起が遅いタイプ。それも非常に遅いです。ディスレクシアは,「読むのは速いが読み間違いが多い」というタイプと,「正確に読めるけど遅い」というタイプに大別されます。
そこにさらに英語に関しては「どの程度記憶に定着するか」という要素も入ってきます。正確だけど遅く,定着も悪いと,英語の習得はかなりスローになります。彼女はこのタイプです。

また,もじこ塾には「親が博士号取得者」というカテゴリー(?)があるのですが,彼女はそこに属します。現代日本において高学歴は地位,名誉,評価,安定へのほぼ十分条件ですが,それを親と同じ形では得られないというのは,親子双方にとって,乗り越えるのがとても大変な課題だと思います。
それ以外にもさまざまな困難を背負う彼女。明るく鋭くて重い,ピノコの現状報告です。

         ☆  ☆

はじめまして。
もじこ塾の卒業生兼助手のピノコです。
遅ればせながら、もじこ塾に関わる皆様へのご挨拶と自己紹介を兼ねて、1年越しの合格体験記を書くこととなりました。
大変読みづらい拙い文章ではありますが、最後までお付き合い頂けると幸いです。

Q.もじこ塾をどうやって知ったか?また、入塾の決め手は?
A.もじこ塾を知った経緯は、皆さんと同様にブログです。
当時の私はディスレクシアなるものは、文字が躍ったり二重に見えるなどの見え方の問題を伴うものだと思っていました。なので、当初は『私は、ちゃんと見えているし・・・』と、ディスレクシアでは無いと思っていました。しかし、先生のブログにたどりつき、必ずしも見え方の問題を含んでいないと言うことを知り、今日に至ります。
 そんなある日、いつものようにブログを読み進めていると、もじこ先生が生徒を募集しているではないですか!!『これは!チャンスだ!!』と思い、すぐに親に許可をもらい、その勢いのままもじこ先生にメールを差し上げました。・・・今思えば、ネット上の人にすぐ連絡して会いに行くなんてちょっと怖いな〜、とどこか他人事のように感じています。

 入塾の決め手は、悪い人じゃないと思ったからです。こればっかりは、かなり感覚的なものです。こういう特性があった為なのか、昔から自分をバカにする人や下に見る人に対してはかなり敏感だと思います。これを見ている人の中にもいると思いますが、相手の悪意というかネガティブな感情にとても敏感なところがあります。一種の防御機能なのかもしれませんね。しかし、もじこ先生からそういった感情を受信しませんでした。それが大きな要因の一つです。
そんなこと!?授業がわかりやすかったとかじゃないの!!?!!と思っている方もいらっしゃるでしょう。しかし、私の時間を先生に預けるのですから、信頼関係は大事です。例えばもしも、信頼していない先生からこれをやりなさい、これをやれば成績が上がるからと言われて、その課題を真剣にこなす事ができるでしょうか。私の答えは否です。どんなに有名講師であろうと、信頼していない講師のいうことを盲目的に信じることはできません。それが、入塾の決め手です。

※ディスレクシアな生徒には、心の底まで見透かされているような気分になるので、邪念を追い払うよう意識してます(本気です)。

Q.他の予備校との兼ね合いは?英語はもじこ塾以外でも勉強したか?
A.結論から言ってしまえば、もじこ塾に通っている間は他の予備校には通っていません。
もちろん、英語ももじこ塾だけでした。他の予備校に通わなかったのには、2つ理由があります。
 1つ目は、予備校のペースに合わないからです。ぴったりな言葉が見つからないのですが、早く進みすぎて分からないというよりも、「今やっている事はわかるが、この前説明していた問題とこの問題は何が違うの?」といった他のものとの関連に目が行きやすいです。記憶と記憶や知識と記憶のつながりが弱い?のかもしれません。
その為かどうかは定かではないですが、頭の中の整理が悪いです・・・1つの思い出を思い出すと、派生して色々なものが断片的に沢山出てきてしまいます。しかも、断片的に出てくるので、1つ1つの物事の因果関係が思い出せないのです。ある意味、英単語もそうですね。頭文字と形が似ている単語が沢山出てきて何が何だか分からなくなってしまう。しまいには、似ている単語の区別がつかなくなってしまうのですから、難儀なものです。
そんなわけで、私はクラスの大多数が目の前の問題に頭を悩ませている間に、自身の記憶の荒波を渡りきらなくてはなりません。私の乗っている超高性能な泥舟では、授業中に沢山出てきた記憶や知識の断片と今教わっている内容の因果関係を探る旅に出航したところで、沈没し海の藻屑となるのが関の山でしょうから、そんな無謀なことはいたしません。実際、因果関係を探すことを初めたらその授業どころか1日は使い物にならないでしょうしね。
 話を戻します。上述した様に、付随して沢山出てきた記憶や知識を1つ1つ整理してしまい直さないといけない。その作業をする上で、なかなか既存の予備校のペースだと合わないことや不都合が出てきます。それが、私が予備校に頼らないことにした1つ目の理由です。

 2つ目の理由は、別段通う必要を感じなかったからです。
 それぞれの科目に教科書や参考書が世の中には数え切れない程あります。もっと言えば、google先生に聞けばまず分からないという事はありません。その上、我が家は少し変わっていて、毎年どんなに忙しくても新聞に載ったセンター試験を必ず解く父と、理系の母がいたので、数学・化学(母の専門)・物理(父の専門)はどうしても分からない事があれば答えてくれるので問題ありませんし、生物は基本覚える事だけなので教わる必要性を感じませんでした。そんな感じで、予備校に行くべき理由がなかったと言うのが2つめの理由です。
 しかし、1つ後悔していることがあります。勉強場所の確保です。なので、授業を受ける必要性を感じなくても1科目だけ受講して自習室を存分に使うのが賢い選択だと思います。
記憶と記憶のつながりが弱いのではなく、普通は結びつけないような要素同士が結びついているように見えます。それはペーパーテストで要求されるものとは違うので、テストでは分が悪いのですが、テストを離れたところでは「ものすごく深い洞察力」と言われるものになる。ピノコを見ていると,そのように思えてきます。


Q.入塾を考えている人へ、もじこ塾はどんなところと説明するか?
A. 「どんな所?・・・どんな所か・・・?」この質問をされるとこう答える中学生がとても多いのは、見ていて興味深いです。実際、この言葉がもじこ塾を表すのに一番的確な言葉なのかもなんてことを考えながら、授業の様子を眺めています。
私も端的に説明するのは難しいです、否、説明してはいけないのかも・・・なんて事さえ思います。もじこ塾の雰囲気を言語化するというのは些か無粋というものかもしれません。

 もじこ『塾』と聞いて、いわゆる塾をイメージすると驚くと思います。実は、もじこ先生に言った事はないのですが、塾というラベルには正直ピンときていません。かと言って療育塾なのかといえば違うのですが。
 私はこう見えて中学受験をして、私立の中高一貫校に進学しました。故に、塾という場所には少なからずお世話になりました。良くも悪くも塾という世界は単純です。合格か不合格か。テストが出来たか出来ないか。内容を理解したかしていないか。二者択一、単純明快です。
しかし、もじこ塾は点数云々というより、誤解を恐れずいうのであれば全人的です。不思議な事ですが、自己理解や周りの理解、生活の上での変化によって、学習に対して前向きになるだけではなく、書く文字自体が綺麗になることがあります。特に中学生を見ていると強くそういったことを感じますが、自分がもじこ塾生だった時を思い出すと、やはり心理的変化は学習面での変化をもたらしていたなと思いました。特性理解も含め精神面でのサポートも、もじこ塾の特徴の一つではないでしょうか。
 それに、特性理解をするにあたって、難しい事を難しいと言える、辛い事を辛いと言うのは重要なことだと思います。予備校や学校だと「出来ない」と口に出していうのは、恥ずかしかったり悔しかったりしてなかなか言い出せません。私ももちろんそうでした。ですが、もじこ塾は本人を本人としてみてくれます。難しい事や辛い事、悩み、苦悩を持っていても、ディスレクシアという特性があっても、あくまでその人本人の所有物としてみてくれる。そんな塾です。最初から変わった子という色眼鏡でも見られない。かわいそうな子という目で見られない。もちろん、問題児という目でも。これは悲しい話ですが、そう言った目で見られない環境とはそう多くはありません。
 「自分が自分としていられる場所」というと洒落っ気がないですが、それが一番近い言葉だと思います。
たいへん的確な説明をありがとうございますm(_ _)m。人としての信頼関係があって初めてディスレクシアに何かを教えることができる。しかもディスレクシアの生徒は「この人は信頼に足るか」を瞬時に判断する…というのが、もじこ塾の基本的な考え方です。

Q.もじこ塾で勉強した事または、話した事で特に印象に残っている事は何か?
A. 主に勉強していた事は、構文です。
短い文の構造を理解して和訳するという作業をしました。次の週に先生に短文の中にあった単語を聞かれるので、次の週までに覚えていきます。そういう形で、文法の理解と語彙力向上を目的に取り組んでいきました。受験が近づいてくると、長文読解も解きました。
 文法的な知識としては頭に入っていても、目の前の文にどの文法が当てはまるのか分からないという事が多かったので、少しずつ、本当に少しずつですけど、知識を整理する事が出来ました。
具体的には、1週間のうち最初の2日間くらいは、英文を和訳できるように(文の構造を意識しながら)文章を区切りながら和訳をします。それが出来るようになったら次は、日本語訳を見ながら英作文をしていき、一緒に単語も覚えていきます。そうして文章の中で単語を覚えると、単語帳で覚えるより覚えやすかった記憶があります。
(余談ですが、ここ数日間フォニックスをやっていて、きちんと発音ができると単語を覚えるのがもっと楽になるかも?なんてことを思っています。まだ試していませんが。)

 話した事で記憶に残っている事というか、よく話していた内容は、他の生徒さんの近況ですね。本当に色々な話を先生とはしました。これに対してどう思うと問われれば、こう思う・ああ思う等々色々な話をしました。12月以降は小論文も見ていただいたので、今まで雑談として話していた内容がそのまま小論文になっていました(笑)。
構文はすべての基礎になるので、ピノコともやりましたが、進みがとても遅かったので効果があったかどうか・・・ごめんなさい。実はいま、彼女は授業助手をしながら、フォニックスやスピーキングをかなり行っているのですが、これらが意外とためになっている気がします。ピノコの英語力はまだまだのびますよ。
※ピノコには「過度激動」の話をよく振りました。どこで読んだか,「過度激動のアンダーアチーバ―は正義漢になる」(感情の振幅の激しい2eの人が,凸と凹を正当に評価されていないと,過剰に正義を求めるようになる)は,まさにピノコのことだと思います。そして若い頃の私のことでもあります… 

Q.ディスレクシア的に、大学入試や受験勉強において特に注意するべき点はあるか?
A.もじこ塾に通っている方には、国語ができないという方が少なからずいらっしゃるようです。私は、国語の成績が一番良かったので、国語の解き方を一応書いておきます。

 私は、センターなどの国語の文章はほとんど読みません。試験終了後の帰り道で読み返して「こんな話だったんだ〜。へ〜知らなかった」と言わんばかりのレベルです。試験中に読んでいると時間がありませんし、問題を解くに当たって必要でない箇所も多いですしね。
 なので、問題文は下線部の前後を読んで解いていきます。この時、チューニングを合わせるというか、深読みしすぎないというか。私は、結構感覚的に解いていきます。頭を使うと逆に間違えます。それと、一切私の感情を入れずに読むというのがコツといえばコツです。
 「私の感情」とは私自身が持つ言葉のイメージです。例えば、賢いこと1つとっても色々表現がありますよね。賢い・頭のいい・要領のいい・スマートな・聡い・聡明な・クレバーな・・・ざっと出しただけでも、これだけあります。その中で、その人その人で言葉に対する印象があると思います。しかし、ここで自分のイメージに当てはめて考えすぎると間違えます。そこで、先ほど言ったチューニングのような行為が重要です。このチューニングが失敗すると全く問題が解けません。
問題文を読んで、なんとなく作問者の周波数と同調する様な感じです。「自分のイメージはこうだけど、作問者はこういう印象を持っているんじゃないかしら〜」くらいの軽い気持ちで、あまり深読みせず解いていきます。
ディスレクシア的かはさておき、私からの学習面でのアドバイスはこんな感じです。

脳をワンランク,ダウングレードするんですね!
チューニングと言えば・・・私は11の授業の場合、生徒にチューニングするという意識がかなりあります。ピノコをはじめ,ある種のディスレクシアの生徒には,チューニングすると二つの会話が同時進行する感覚があり、かつ、ピノコの場合は,時々意識を失いそうに眠くなりました()。たぶん、ピノコの思考のペースにぴったり合わせるには、ものすごく脳のエネルギーを使うのでしょう。この疲労感こそ、ピノコ本人が感じているものに違いないと、いつも思っておりました。

Q.もじこ塾に通っている生徒に、激励のことばを。
A.今から言う事が果たして激励かはわかりませんが、この原稿を書いている中で高校を中退しているのは私だけなので、中退という側面から書きたいと思います。

 私は小さい時から何もできない子供でした。みんなと同じにできないので、こう言われるのは順当な流れだったのかもしれません。正当な事だとは思いませんが。『お前にはそんな事出来ない』『お前は何一つまともに出来ないじゃないか』と笑われる事が多かったです。学校を中退するときにも散々言われました。面白いもので、こうやって色々言ってくる人はうるさい人ですが、意外と誠実です。もっとたちの悪い人は、笑う人、心配するフリをして自分の好奇心を満たそうとする人、はたまた負け犬呼ばわりする人・・・
中退すると付き合う人間の取捨選択ができます。本当に世の中に腹がたちました。『お前らのことは一生忘れない。お前らの姿・声を心に刻み、二度とそんな口をきけないようにしてやる』と奥歯を噛み締め泣いた事が少なからずあります。そして、一通り泣いたあと必ずこう思いました『あいつらに劣る時間は過ごすまい。最後に笑うのは私だ』と。当時の私は血気盛んです。

 しかし同時に、たくさんの人生勉強もしました。実地で勉強することは、否応なく様々な気づきをもたらしてくれます。学校に通っていないと自由なことはたくさんありますが、守ってくれる人はいません。それは大きな恐怖です。もし、中退したいと考えている方がいましたら、考えてみてください。学校に通っていたら、何かミスをしても先生がとりなしてくれる事でしょう。ですが、中退をしていると1つでも違えば今まで行っていたことが全部台無しという事もあります。その上、きちんとできて初めて高校に通っている子達と同じ土俵に立てます。それでも、やめるというのであれは、反骨精神旺盛な気骨のある人か、想像力がないかどちらかでしょう。私はもちろん、後者です。これは、何も中退することを止める為に書いている訳ではありません。かといって、推奨しているわけではありませんが。

 この先、皆さんが学校を辞めたいと考えることがあるかもしれません。こんな理不尽な行い許せない、こんな環境では自分が腐る。そう思ったときに、一歩自分が賢くなり、学校を利用して自分に利益をもたらす事を考えるか。もしくは『ここは、譲れない!!』と言って引かないかは、自分で決めることです。
どちらを選んだとて辛いことです。それが故に、どちらを選んだとて賞賛されるものであって、非難や中傷されるべきものではありません。
 これが激励の言葉になっているか甚だ疑問ですが、もし今中退したいと言う人がいたら私は「中退しろ」「通い続けろ」なんて事は軽々しく言えません。どちらを選択するにせよ、荊の道だからです。ただ、あなたの得たいものは何か、目的は何かと自分自身に問うこと、きっとそれが分かれば、自ずと答えは見つかると思います。

いえ、あなたは反骨精神旺盛のほうです(TT)
昨年の受験報告会では、「もしLDだと早くに気付いていたら、高校をやめることは決してなかった」と言っていましたよね…

Q.自分がディスレクシアだと知ってどう思ったか? 現在はどう捉えているか?
A.私はディスレクシア以外に持病があります。なので、ディスレクシアという事に対しては、あまりショックを受けませんでした。本当に無感動というか無関心というか?「へ〜」くらいのものでした。私の持病は基本的には薬を飲みつづけなくてはならない類のものですから、薬を飲む必要のない病気・障害など病気・障害のうちに入らんくらいに思っていました。(あくまで、偏った見方です)

 ここからは参考になればということで書きます。
 私の持病は9歳の時に発病しました。その当時は大人の方がショックを受けていて、私自身は大して気にも止めていないといったところです。
しかし、思春期に差し掛かるうち、みんなと同じことが出来ない、同じじゃないという事が心に重くのしかかります。その時読んでいた漫画に『不自由であることイコール不幸ではない』と書いてありました。よく私は大人から『かわいそうな子』『不幸な子』と言われたり、そういう目で見られたりしていましたから、この言葉が私のなけなしの矜持でした。『私は見世物じゃない。ましてや、そんな目で見られる筋合いもない』と半人前のくせにプライドだけは一人前だったのでそう思い、心の中で思いつくだけの悪態をついてやりました。
 そのうえ私を苦しめたのは、病気だという現実を受け入れることです。診断を受け入れると簡単に言ってくれますが・・・私は持病の診断が下ってから10年以上経ちます。しかしながら、未だに受け入れていません
主治医に話した事があります。『私だって馬鹿じゃありません。薬を飲まねば調子が悪くなる。当然です。そんな事は分かっています。分かっていますけど、どうしても腹が立つのです。例えるなら、道を歩いていて雷に打たれて“なんで私が打たれなきゃならないんだ”と怒鳴りちらしているのと同じように愚かな行為だということは。ですが、振り上げた拳を誰にぶつければいいのですか?空に向かって唾を吐けば自分に返ってきます。私は、振り上げた拳の納め方が分からないのです。』やはり私は未だに病気を受け入れられません。
 ここまで書いていて何が書きたいのか・・・とにかく、ディスレクシアであっても他の病気・障害であっても、自分に出来ない行為があるという事を受け入れるのは難しいという事です。しかし、受け入れずには生きていけない、否生きづらい・・・つくづく難儀なものですね。

 ディスレクシアの捉え方は、嫌いな野菜の食べ方の模索中と言ったところでしょうか。ほうれん草が嫌いなら、ほうれん草の何が嫌いか考える。そうですね、例えば緑色が嫌い・匂いが嫌い・味が嫌い人、それぞれあると思います。色が嫌いなら、食べている途中に緑色が見えないよう、小さく刻んで何かに包んで食べればいい。匂いが嫌いなら、他の匂いの強いものと炒めればいい。味が嫌いなら、味が気にならない味付けをすればいい。これをそのままディスレクシアに当てはめるのは乱暴だとは思いますが、私の捉え方としてはそんな感じです。嫌いと思った事柄に対して「それは何故か?」と自身に問い、いくつかの可能性が出てきたら、それに対する解決策を考える。それの繰り返しです。うまくいくときもあれば行かないときもある。そんな感じの毎日です。


※持病もちというのも,もじこ塾のカテゴリーのひとつです。この部分については軽々しいことは言えないので,過度激動の観点から,自分と何人かの生徒を見て思うことを・・・
過度激動の人は,人生の意味とか,何のために生きるのかとかを,真剣に考えてしまう傾向があると思います。
自分のできることを使って人さまの役に立てる落としどころを探すことになると思いますが,発達上の凹凸が激しいと,そのポイントは,きわめてニッチなところにあります。
それを見つけて,その部分を使ったチューニング力を極限的に高めることが,過度激動の人がハッピーに生きるための一つの道だと思います。
それができるようになった頃には,おそらくは持病との向き合い方も変わっていると思います。気安く言うなよって感じかもしれませんが…

2018-04-17

合格体験記(1)「英語を楽しんで使える理想の自分を思い描きながら」

昨年度1年間、もじこ塾で英語を勉強し、この春から大学生になった生徒に、合格体験記を書いてもらいました。
1人目は一橋大学に合格したA君。都内私立進学校卒,浪人生,高校受験してます。

彼は数学と社会がものすごく得意です。めちゃくちゃ馬力があり、試験時間の120分,英語を読み続けることはわけなくできます[普通の人よりかなりの負荷がかかっているはずですが]。知識量は相当あるうえインスピレーションのかたまりというか、視点がとてもユニークで、茶目っ気があります。
時空を飛び越えるような英作文を書き、時々主語が抜け、字は控えめに言って悪筆で[ごめんなさい]、余裕の合格答案が書けるようになっても最後までスペルミスや受動態や不規則動詞のミスがなくならない,私からするといかにもディスレクシアらしい生徒でした。
多動も不注意もこだわりもなく、時間は守り、寝落ちせず、宿題は全部やってきました。
彼とは、私が出講する予備校で出会いました。こちらは3回目くらいの授業でディスレクシアだと気づいていましたが,現役時は指摘せず。浪人決定時に報告に来たので「君はディスレクシアというものだと思うよ」と話して,もじこ塾に引っ張ってきました。

☆  ☆  ☆

ーーもじこ塾をどうやって知ったか。入塾の決め手は。
21月から成田先生の一橋英語を受講しており、3月に浪人の報告をしに伺った時に、留学したいので英語を伸ばす浪人生活をしたいと伝えた所、もじこ塾を教えてもらった。もともと、単に予備校に行くだけの浪人生活にしたくないと思っていたので、入塾を決めた。その際にディスレクシアの説明を受けたが、実のところあまり気にしていなかった。成田先生には私の解答を1年以上見てもらっていたので、これ以上自分を理解している教師はいないので、ぜひ個別で見てもらいたいと考えたのが入塾の決め手だった。

(※そりゃあ、私はA君がディスレクシアだと見抜いていたわけですしね(^_^))


ーー他の予備校との兼ね合いは。英語はもじこ塾以外でも勉強したか。
河合塾は元々、英語の授業が多かった(平日毎日90)。もじこ塾で読解、英作文の対策をしてもらったので、河合の方では文法に力をいれた。現役の時はあまりやらなかった文法だったが、一浪して、大分よくなった。河合の宣伝になってしまうが、読解の太先生(東進でも受講可能?)の授業は良かった、英語の読み方が変わった。しかし、集団で単に講義を受けるだけの予備校より個別で先生に質問しながら勉強できるもじこの方が本来の自分の居場所という気がしていた。

(※彼のインスピレーションに満ちた一面が答案に表れたときは「ほんとディスレクシア的だね」という指摘を積極的にしました。そういった指摘が無意識的に"居場所感"につながったら,もじこ塾に引っ張ってきたかいがあったというもの。
私にとって彼はどこまでもディスレクシア的で,そのディスレクシア感覚を目の当たりにするのは、美しい自然現象に立ち合うような(?!)、講師冥利に尽きる瞬間でございました。)


ーー入塾を考えている人へ、もじこ塾はどんなところと説明するか。
もじこ塾は、個人のレベルに合わせて、(ディスレクシアという特性も考えながら)勉強内容を変えて取り組むことができます。過去にxxxで東大クラスをもっていた先生から個別指導を受けることができるなんて、とてもお得だと思います。
私は、ディスレクシアのことなんてあまり考えずに受けていました。ディスレクシア用の特殊な指導を受けることも、ディスレクシアという特性をもちながら、普通の受験勉強をよりよくしていく場として活用することもできると思います。
また、私は小中高と様々な塾に通ってきましたが、個別指導は受けたことがなくて、個別でも集団でも変わらないだろうと思っていましたが、初めて個別指導を受けてみて意外と質問は先生を前にすると出てくるし、英作文のコメントを詳しく聞くことができたのがよかったと思っています。

(※「もじこ塾に行けるなんてうらやましい」と,定型の生徒に言わせたいですね(^^)。)


ーーもじこ塾で勉強したこと/話したことで、特に印象に残っていることは
5月か6月頃に先生の前で読解の練習をしたことがまず、思い浮かびます。本番の入試よりも難しいものを読もうというコンセプトのもと、先生が探してきた文章を先生の前で読みました。入試ではあり得ない長々々文で一部を先生の前で読み、読み方を学んで、残りを自分で読むことで、先生の前で読んだ時に学んだことを実際に試すことがしやすかったと思います。

(※彼には毎週必ず自由英作文を1本、目の前で書いてもらうのと、時には読解問題を目の前で解いてもらっていました[→黙読]。こちらでは読む様子、書く様子をつぶさに観察し,いろいろ指摘します。ディスレクシア的には読み書きのプロセスそのものを改良したいわけですから、現行犯逮捕(?!)ができるよう,このような形式になりました。細かく観察されるのはかなり緊張したと思うけど、よく耐えた(?)と思いますよ。)
(※一番印象に残っている彼の答案は,年末に自由英作文で書いてきたKnowledge interferes with innovation[知識はイノベーションの邪魔をする]という一言。それだけ知識量のある人がそんなことを言うなんて。。でもディスレクシアな発明家は異口同音にそう言いますね。)



ーー入試を振り返って、現役時との違いは。勝因は何だったと思うか。
現役のときは、安定して高得点が出せる社会と不安定だけど得意な数学で押しきろうとしていました。その結果、数学が良かった模試の成績は良かったですが、本番は数学で失敗して落ちました。浪人時は、苦手な英語を克服しようと、もじこ塾に通って英語漬けにしました。私としては、一橋英語よりも早慶英語にも手をのばしたことで安定性が出て、得点も伸びた気がします。

(※彼
を通じて私が改めて確認したのは、難関大を目指すディスレクシアには読み書きを極限まで追い込む指導が有効で、それを可能にするのは信頼関係だということ(→これを言葉で確認することは決してないですが)。追い込める教材を使う必要がありますし、本人が読むこと書くことに及び腰になっている状態だと、残念ながら効果は薄い。
もじこ塾に来る生徒には、読んで書いてどろどろになるところを、かまわず見せてほしいと思ってます。彼はこの点で迷いがなかったですし、しかも、なかなかへこたれなかった(笑)



ーーディスレクシア的に、大学入試や受験勉強において特に注意すべき点はあるか。
基本的には、大量の問題を限られた厳しい制限時間の中で解くことを要求する試験は苦手だと思います。実のところ大抵の入試問題はこのパターンでセンターも早慶も向いていないと思います。私が受けた中では、一橋の問題だけが例外だったかもしれません。
そんな中で、このパターンを克服する方法の一つは難しく考えないことかもしれません。センターで特にこの方法が活用でき、イメージとしては脳をワンランクグレードダウンさせる感じです。フワフワ解くといったらよいのでしょうか、なんとも伝えにくいのが正直なところです。ただし、苦しみながらもこのことを念頭に置きながら訓練しないとこの技術は体得できないと思います。

(※「センターでは脳をワンランクグレードダウンさせる」は,このあと掲載する別の人も言っています。びっくり!)


ーーもじこ塾の生徒に、激励のことばをお願いします。
私たちは本当は自分の苦手な領域(英語など)から逃げて自分の好きな世界(数式など)に逃げていたほうが生きやすいのかもしれません。しかし、私たちの中には、先生が言うには(私は今も昔もあまり自覚はないが)ものすごい努力をして何とか今の英語力を維持して何とか大学受験に向かおうとしている人がいます。大学受験までの辛抱と思うかもしれませんが、大学に入ってからも英語力は必要とされ、私も留学のために既にさんざん練習してきたReadingでも更なるジャンプアップを必要としています。ここまでして英語を学ぶのなら、英語の楽しさを早く見出したほうがいいのではないかと、受験が終わってから思うようになりました。というのも受験が終わって、久しぶりに洋画を見たら、2年半前よりもはるかに英語が聞けて、意味が理解できる様になっていて、何倍も面白かったのです。苦労したら楽しさはあると信じていないとやっていけないと思うし、英語を楽しんで使える理想の自分を思い描きながら、皆さんには頑張ってもらいたいと思います。

(※美しい・・・(ノД`)
英語の読み書きは苦痛のはずなのに,目標達成のためにそれを克服しようとする姿勢は、本当に尊くて、私としては彼にはリスペクトしかないです。
苦手だった英語を留学仕様にブラッシュアップできたので、浪人して本当によかったと思いますよ。
12月頃に一段と英作文がうまくなった時は驚きました。合格後に聞いたところ「読解問題のストラクチャー[全体構成]やリズムを真似するようにした」と言っていましたよね。英語の文字-音の対応ではすくいきれない部分に反応して、それを再現できるようになるとは、なんてディスレクシア的な英語力の伸ばし方なのだ・・・と、感銘を受けました。)


ーー自分がディスレクシアだと知ってどう思ったか。現在はそのことをどうとらえているか。
自分がディスレクシアと知ってもあまりピンとこなかったし、今もまったく気にしていない。ただ、このことを知ったことで、予備校で先生のおすすめする学習法が自分に合っているのかを考える材料になったりと、自分の特性を知ったことで、得意を伸ばし、苦手をつぶす方法を考えるための新しい見方になっていると思います。

※ちなみに,一橋大学では,ディスレクシアの学生を支援してくれるそうです→

ディスレクシアの文字を大学の合理的配慮でみたのは初めてかも、、でもこの対応を入試でも行ってくれたら、一橋を本気と認めます(´∀`)

☆  ☆  ☆


この生徒のように、進学校にもディスレクシアは確実に存在します。

おそらく診断はつかないでしょうし、本人も診断を受ける必要性を感じていないでしょうし、研究会で事例発表したところで「この生徒は困っていないのではないか?」と言われそうですが、でもこうした生徒も自分比で英語ができないことにすごく苦労していますし、通常とは異なるアプローチが有効だし必要だと、改めて確信するに至りました。

彼には、もじこ塾の今後の方向性を決めてもらったと思っています。

もじこ塾は今後、療育塾ではなく進学塾、それもバリバリの進学塾になる予定です^^。(注:あくまでもディスレクシア専用です)。

2018-04-12

もじこ塾だよりby笠野紺さん、「月曜日は『もじこ塾』」

「たくさん疲れて,たくさん頑張ってね(T T)」




もじこ塾は3年目に入りました。
正しい負荷のかけ方が少しずつわかってきた、そんな1年だったかもしれません。

ディスレクシアであっても、あるいは、ディスレクシアだからこそ、自力で読み書きできることはとても大事。
読むこと、書くことから逃げてはいけない。
自分でも驚いていますが、そんな結論に今はたどりついています。

(これは「板書を頑張るべきだ」とは違います。むしろ逆です。
純粋に読むだけ/書くだけの訓練を、する必要があるということです。)

というわけで、最近のもじこ塾では、ますます負荷をかけています。

そのあたりのことを、国立の教室の場所をお貸し下さっているとまつさんが書いて下さいました。→「月曜日は『もじこ塾』」
とまつさんはもと編集者だけあって、名文家です。もじこ塾国立教室の、なんとも言えない不思議な雰囲気が分かると思います。ぜひお読み下さい!
※国立教室の新中1クラスを募集中です。ご興味のある方はこちら→

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もじこ塾から大学に合格した生徒たちに、合格体験記を書いてもらっています。
順次こちらで紹介します。乞うご期待!!