わたくしごとですが、開設4年目にして、もじこはもじこ塾一本に仕事を絞ることになりました。
長く教えて来た予備校も、今年度で契約終了。
先週,最後の授業が終わりました。あまりにあっけなくて、まだ実感がありません。
それより少し前、11月末には、最後まで残っていた翻訳会社の登録を終了させてもらいました。
翻訳会社の人とは名残惜しく別れました。
こちらのほうが、個人的には感慨深かったです。
15歳の時にZ会の通信添削を(生徒として)始めたときから30年以上、ほぼ毎日訳してきて、死ぬまで翻訳業を続けるつもりだったので・・・翻訳会社に登録終了をお願いするメールを出した瞬間、熱が出ました(苦笑)。
これからは、翻訳技術は生計のためではなく、ディスレクシア界隈のcommon goodのために使っていきます。
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ひとつ物事を整理すると、ひとつ新しい展開が飛び込んでくるもので、
もじこ塾はいま、新たな段階に入ろうとしています。
(こんな書き方しかできず、すみません。もうすぐ発表できる予定です)
ここまでほいほいと、いろんなことを即断即決してきた私ですが、今回は柄になく、ものすごく迷ってます。
IDAで聞いた言葉があります。
「真摯に,心のままに進めば,きっと道は開ける。もしあなたがディスレクシアなら」
そろそろ私もディスレクシア的思考法を習得したので(笑)、この言葉に従ってみようと思っています。
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以下は、昨年7月の津田塾大学の講演のために用意していた原稿なのですが、時間切れで読めませんでした。
若い女子学生の人たちを念頭に置いて書きました。
長いですが、ここに置いておきます:
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生徒たちからは、いろんなことを学びました。
二十歳の頃の私は、自分がもじこ塾のような仕事をすることになるとは、もちろん思ってもいませんでした。
大学に入ったものの経済学に徹底的に向いていないと分かった頃で、何をしたらいいのか分からず、どん底の時代でした。
そこから指導教官に授業での訳をほめられたのをきっかけに、翻訳者という目標を見つけて、10年の下積みを経て翻訳者になりました。
訳すという行為は楽しく、死ぬまで訳し続けると信じていました。
私はハイパーレクシアで、字はとてもよく読めるので、特性を生かせる仕事だったと思います。
ただ、翻訳者という仕事はとても孤独でした。
ちなみに、予備校講師は、翻訳学校の学費を稼ぐために始めた仕事でした。
これも20年以上続けています。
だから私は、教員免許も持っていないし、新卒での就活もしてません。
ディスレクシアを知ったのは、子供がそうだと指摘されたとき。翻訳案件でディスレクシアについて訳したことがあったので、あのことかと分かりました。
そして、その日のうちに、ディスレクシアは個人的な学力不振の問題でなく、はるかに射程距離がある社会的な問題だと、直観的に分かりました。
以来10年近く、ずっとこの直観の謎解きをしている状態です。
謎解きをするなかでブログを始めたら、どんどん人が集まってきて、情報も集まってきて、それで塾を作るに至りました。
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今は生徒から日々学んでいます。
知れば知るほど、知らないことが出てくる状態です。
ディスレクシアというテーマに出会ってから、私の人生は大きく方向転換しました。
なぜかは分かりませんが、この界隈には一期一会があふれています。
すごくいろんなことを教えてくれる人が現れたり、
生徒との会話がとても深いところまで行ったり、
たまたま本を開くと、そこに知りたいことが書いてあったり・・・
エビデンスは全然ないのですが、この界隈は説明のつかない展開にあふれています。
おそらく、ディスレクシアがそういう人種だからだと思います。
ディスレクシアに英語を教えるのは、生徒は大変そうですが、
教師的には感動がいっぱいあります。
「これまで感じていた違和感は、ディスレクシアだったからなんだ」
と気付くとき、
読めない生徒がフォニックスを知って、「こうやって読むんだ」
と気付くとき、
訓練の結果「前より読めるようになったかも」と生徒が気付くとき・・・
そういう瞬間というのは、ほんとうに尊く、得難くて、その人の人生を変えているんだなと分かります。
英語を教えていてそこまで思えることは,なかなかありません。
かつて私は予備校で
「上位3割のために授業というものはすればいいのであって、あとは切り捨てて下さい」
と言われてきました。
(#この予備校の名誉のために言うと、これはその時代ならではの発言です)
実積主義だけで学校を作ると、こういうことになります。
生徒も辛いと思いますが、教える側もわだかまりが残ります。
ディスレクシアを知っていると、生徒の見え方がとても変わります。
切り捨てられる生徒が減ると、クラスの雰囲気が変わり始めます。
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一方で、ディスレクシアの生徒は、同年代の同じ知的能力を持った人ほどは、簡単には読めるようにならないので、やはり学校では苦渋の決断を迫られることが多いのです。
そんなとき生徒は、真摯に、自分の心を信じて、そのときの直観で決断を下します。
こういう生徒の前では、見栄とか、プライドとか、「英語ができる私は勝ち組」的な発想は、あっという間に見透かされます。
相手の本質をちゃんと見て話すことが要求されます。
生徒には本当に鍛えられます。
最近は、私もだいぶ生徒たちに感化されたようで、「これはきっと生徒も良いと言うだろう」と分かってきました。
生徒たちが良いという方向に行く限りは、悪いようにはならないだろうという自信,直観があります。
この直観力ができてからは、老後の不安がなくなりました。
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「真摯に,心のままに進めば,きっと道は開ける。もしあなたがディスレクシアなら」
これはアメリカの学会で、若いディレスクシアの人が登壇して話していたことです。
変な見栄を捨てて、自分にできることできないことを見極め、直観を信じて進むこと。
ディスレクシアならそれができる・・・
という話だったのですが、私もそうなりたいと切に思いました。
もちろん、ディスレクシアについて多くの人に知ってほしいですし、
特性理解のできる教師を増やしたいと思っているんですが、
何より、ものごとが腑に落ちる瞬間がものすごく多いので、
ディスレクシアを知れてよかったと思ってます。
こちら側にいたほうが、教師的にもそれ以外でも、絶対ハッピーです。
自分のなかの非・定型的な部分を自覚すること。
おそらく、これがインクルーシブの第一歩なのだろうと思います。
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日本で英語が教えられるようになって、150年がたちました。
津田梅子先生はそのパイオニアです。
明治以来、さまざまな方法で、日本人に英語を教える方法が模索されてきました。
私は、「わからない」と声をあげられないけど,ディスレクシア的な教え方が適している人は、人口の10%どころか,半分くらいはいるのではと思っています。
まだまだ、日本の英語教育は変われる可能性があり、ディスレクシアという存在は、日本の英語教育を変えるための大きなヒントを与えていると思います。
ご清聴ありがとうございました。
もじこ先生との出会いに感謝。
返信削除先生の愛、勇気、決断に感謝します。
赤毛のアンから
Ann's horizons had closed in since the night she had sat there after coming home from Queen 's:but if the path set before her feet was to be narrow she knew that flowers of quiet happiness would bloom along it.
ありがとうございます,そうですね,先にあるのは茨の道(?!)と思っていましたが,静かな喜びの花が咲いているのですね。
削除私がこの道に入ったのも,コスモ母に見出していただいたおかげです。ありがとうございます!