2024-11-04

IDAによるディスレクシアの定義の見直しに向けて(IDAに行ってきました:その1)


コロナ後初めて、IDA(国際ディスレクシア協会)の学会に対面参加しました!

新宿から16時間かけて、アメリカはテキサス州、ダラスまで行ってきました。



やっぱり対面の学会だと、得られるものが段違いですね。会場での議論、聴衆の反応、物販、人との出会い、アメリカ人相手に英語を話すこと・・・


この記事では、今回の学会の目玉のひとつ、「IDA版ディスレクシアの定義」のアップデートに関するシンポジウムの内容をまとめました。

タイトル:Dyslexia in the 21st century: Progressing the field through a revised definition

(21世紀のディスレクシア:改定版定義による分野の前進)


この議論の論文バージョンは、こちらをどうぞ↓
https://link.springer.com/journal/11881/volumes-and-issues/74-3


目次

  • ディスレクシアを定義するのは難しい
  • 改定のタイムライン
  • 何のための定義か?
  • 論点
    • neurobiological(神経生物学的)
    • disorderか、disabilityか
    • ディスレクシアとは、何ができないことなのか?
    • fluent(流暢)とは何か
    • できないことの背後にあるもの
    • 二次障害への言及
    • 「読み回路」モデルの提唱
    • ディスレクシアは、IQとは無関係
    •  unexpected(想定外の)
    • 英語中心的な定義からの脱却 
  • おわりに


1 はじめに

1.1 2002年の定義

現行定義を再確認しておきます:
「Dyslexiaは、神経生物学的原因に起因する特異的学習障害である。その特徴は、正確かつ(または)流暢な単語認識の困難さであり、綴りや文字記号音声化の拙劣さである。こうした困難さは、典型的には、言語の音韻的要素の障害によるものであり、しばしば他の認知能力からは予測できないものであり、また、通常の授業も効果的ではない。二次的には、結果的に読解や読む機会が少なくなるという問題が生じ、それは語彙の発達や背景となる知識の増大を妨げるものとなり得る」 
https://square.umin.ac.jp/dyslexia/factsheet.htmlより

原文→


これをアップデートしようという話です。

1.2 前提:ディスレクシアを定義するのは難しい

ディスレクシアの定義はとても難しい。その理由は「こういう人をディスレクシアと言う」という明確なプロフィールがない点にある。

その背景にあるのは
・脳の可塑性(日本風に言うと「脳は代償機能を発達させる」)
・どこからをディスレクシアと言うかが難しい
(読字能力は正規分布を示すなか、カットオフは恣意的である)
・ディスレクシアは原因も現れ方も多彩である(読字回路(reading circuit)モデル)

2 改定のタイムライン

2.1 改定の経緯

現在の定義は2002年に作られた。1994年の定義を改訂したもの。
当時からその定義はworking definition(実用目的の暫定的な定義)という認識であり、研究や実践が十分に進んだら改定されるだろうという前提があった。

当時と比べ、以下のことが明らかになった:
・研究用の定義を学校で使うことの困難
・文字体系の違い(今の定義は英語中心的すぎる)
・弱者集団(黒人、ヒスパニック、英語学習者、社会経済的弱者)への配慮
・ディスレクシアの原因が多様であること
・共起する障害の存在 (ADHD、不安障害)
・読み能力は正規分布し、ディスレクシアは連続体をカットオフしたものである

こうした発見、社会状況の変化、またIDAの定義が想定以上に広まっている状況を踏まえ、定義のアップデートが必要との判断となった。

2.2 改定までの予定

2024~2025年にかけて、定義を変える必要があるかどうかも含め、各関係者や委員会の意見をとりまとめ、
2025年末までに、IDAの最高意思決定機関によって新定義が決まる予定。

なお、ディスレクシアの定義としては他に、2008年にイギリスで作成されたRose Reportなどがある。

DSM-5や、日本の文科省の定義もありますね。
また、このあと知るのですが、アメリカでは多くの州に、学校でのサポートの判断に使うディスレクシアの定義があるようです。

パブリックコメント募集期間もあるそうです!


3 何のための定義か?

定義に目的があるということに、改めて驚かされますが。IDAは、Until Everyone Can Read(すべての人が読めるまで)という目標を掲げており、読めることは基本的人権だと明確に位置付けています。その活動を支えるような定義を作りたい、ということのようです。
・研究、識別、アドボカシーのために、定義をアップデートしたい
・この定義はeligibility(アメリカの公立学校でサポートの資格を得る)のためにも使われる
こうした目的が、新定義の文言選びに影響を与えそうです。詳しくは以下で。。。


4 さまざまな論点

今の定義の文言のうち、シンポジウムで論点にあがったものをまとめました。

4.1 neurobiological(神経生物学的)

neurological(脳科学的)ではなくneurobiological。ディスレクシアは家族性に由来する脳の状態だという意味。
が、ディスレクシアの原因遺伝子はまだ特定されていない。遺伝と言ってもそんなに単純なものではない。環境要因、社会的要因も大きい。

このため、neurobiologicalという語を含めるか、議論すべきである。

のっけから、いろんな意味でびっくりした指摘。
ここで問題になっているのは、脳に由来するかどうかではなく、「家族性」というニュアンスを含めるかということのようです。それが「neuro【bio】logical」、神経学的ではなく神経生物学的、という言葉の意味らしいです。
私はこれまで、この単語に「bio」が入っていることを、きちんと認識していませんでした。お恥ずかしい限りです。

登壇者の多くは「自分の子供(親兄弟)もディスレクシアで~」と語っており、ディスレクシアが家族性であることを実感しているようです。

その反面、「ディスレクシアは遺伝する」と言い切れないくらい、ことは複雑らしいです。環境要因や障害の社会モデル的要因が遺伝に与える影響が強いということのようですが、細かい部分は登壇者のあいだでも意見の相違があるようでした。

「家族性」について……今回のIDA全体を通しても「家族性」という言葉は慎重に、しかしあちこちで使われていました。
「ディスレクシアの予防(!)のために、親から家族歴を聞くべき」という話も聞きました。


4.2 disorderか、disabilityか

ディスレクシアがdisorderか、それてもdisabilityかについても、議論がありました。

自分はディスレクシアではないが、3年生まで読めなかった。disorderだと「お前はポンコツ(you are broken)」と言われている気がするが、そんなことはない、今は読めるし。
disabilityなら、何かに必要な能力が自分にないという意味になる。

Reid Lyon(リード・ライオンとお読みするらしい。現行定義の策定にも関わった、NICHD所属の医師で、IDAのスーパースターの一人)先生の発言。
日本風に言うと「ディスレクシアはあくまで社会モデルとしての障害として扱うべき」という意味になるかと思います。

上は登壇者のみなさんも同意しており、IDA的にはディスレクシアはdisabilityのようです。

と同時に、IDAの定義の大きな目的が公立学校でのサポートを得ることにある以上、ディスレクシアをLearning Disabilityと呼ぶことはあっても、Learning Difference(学び方の違い)と言うことはないことも分かりました。

同じ理由から、ディスレクシアの才能に関する文言がIDAの定義に加わることも、ないと思われます。


4.3 ディスレクシアとは、何ができないことなのか

difficulty in word recognition and spelling(単語を認識すること、英語のスべリングを正しく書くことの困難)がディスレクシアの困難のコンセンサスである。

そのうえで物議を醸していたのは、
reading comprehension(読解力)の欠如をディスレクシアに含めるかどうかです。
この点については、登壇者の間で大きな見解の差がありそうでした。

この流れは、IDAがStructured Literacy(Science of Readingに基づく、科学的な読み教育の全容)を定義し、読み教育全般を見渡す方向に舵を切ったことと関係している気がします。

この動きには、同意しない人も多いようで
「自分は読解力は別の問題だと思っている」
と話す発表者を今回、あちこちで見かけました。

もじこ塾も同じ意見です。
「読字さえできれば読解はたやすい」人を、純粋ディスレクシアと私は呼んでいます。
知識をベースにした的確な洞察力をもつ人たちです。

この人たち以外はディスレクシアではない…とまでは言いませんが、読解力がない人は別の原因があると思っています。
(読書経験の少なさによる二次的問題、ASDやADHDに由来するもの、など)


4.4 fluent(流暢)とは何か

ディスレクシアの定義にある
accurate and/or fluent(正確および/または流暢)
についても、議論がありました。

「流暢とは単なるスピードではない、意味理解せずにスピードだけを追求してもなんの意味もないでしょう」と喝破していたのはメアリアン・ウルフ先生。
「自分で読んでいて意味がわかる程度に速くという意味」だそうです。

・・・と言われると、確かにそうだと思いつつ、検査のなかには読み速度を測り、それを流暢性と呼んでいるものもあるよね?とも思うのでした。
(ちなみにウルフ先生は、RANの開発者だそうです)

どうやら、fluentには、単なる「スピード」だけでない意味が含まれていることは確かなようです。
prosody(抑揚)が正しくついていることなども含まれるらしいです。
fluentとは、「たどたどしくない」ことかもしれません。

また、automaticity(自動化)を獲得し、effortlessに(努力なしで)読むことだとも説明されていました。
となると、「読んでいて疲れない」は、fluentに含まれるのかもしれません。

fluentは川の流れなどを意味するflow(フロー)と同語源の単語です。
ダラスを流れる川の写真を見ながら、アメリカと日本では「川の流れ」と言ったときの含みが違うのかも、、と思ったりもしました。





4.5 できないことの背後にあるもの

これもまた、定義に含めるのがとても難しいことのようです。
この20年のIDAにとって最大の進歩のひとつは、ディスレクシアのphonological deficit、つまり英語の音韻の何らかのレベルでの困難(特に音素レベルの認識、操作、想起の困難)が科学的に解明され、かつ効果的な教え方が確立したことである、と言って良さそうです。
なので、「ディスレクシアの原因はphonological(音韻)である」は、新定義にも入ることはほぼ確実のようです。
ただし、phonologicalの後につく名詞は、defecit(欠陥)、processing(処理)、component(部分)など、いろんな提案がありました。

「音素(phoneme)レベルの困難」とまで言うかどうかは、意見が分かれるようでした。
その一因として「代償機能によって、音素の困難がなかなか現れない人もいる」と聞いたときは、生徒の顔が次々と浮かびました・・・やっぱそうだよね、そこがわかりにくい人っているよねと思いました。


また、もう一つの大きな問題点として、
音素という単位のない言語でもディスレクシアは出現する点があります。
漢字文化圏の言語(中国語、日本語、広東語(香港)が話題に出ていました)のことです。

日本語ディスレクシアにおいて、漢字が覚えられない困難はよくみられます。
これに応えるように「漢字の読み困難の原因には視覚的ワーキングメモリの不足がある。漢字は視覚的負荷が英語よりもはるかに高い」という話は、バイリンガルとディスレクシアの研究発表で聞きました。コロナ前は「ディスレクシアは音韻処理の障害です!」と会場が唱和していたのを思うと、大きな進歩です。

新しい定義には、漢字文化圏のディスレクシアを考慮に入れた文言が入る可能性もあります。
これは、日本のディスレクシア研究の貢献ではないでしょうか?!


4.6 二次障害への言及

驚いたのが、日本のLD界隈で言う「二次障害」への言及です。
今年のIDAでは、ディスレクシアと不安(anxiety)の関連性について、ずいぶんいろんなところで聞きました。
「ディスレクシアの生徒に正しい介入を行うと、不安感が軽減する」
「ディスレクシアの早期発見または予防(なんとIDAでは、ディスレクシアの予防が議論されています)により、ディスレクシアの子の不安も予防できる」。。

「ディスレクシアが放置されると不安につながる」
という文言が入る可能性があります。

「ディスレクシア中学生の最大のテーマは二次障害防止です!!」と入塾時に強調しているもじこ塾ですが、まさかIDAが寄せてくるとは(驚)。
この文言を定義に含めることで二次障害が減るのなら、ぜひとも入れてほしいです。




4.7 「読み回路」モデルの提唱

メアリアン・ウルフ先生が提唱していました。
個人的にも納得行く説明だったので、以下に紹介します。

ディスレクシアは発見されて以来、さまざまな原因仮説が提起されてきた。最近でも、APD、実行機能、レターボックスなどがある。
これらを脳内にプロットしてみると、非常に幅広い部位をカバーする。
これぞreading circuit(読書回路)である。
読むという行為は、音・文字・意味に関わるさまざまな脳の部位が、回路のように美しく*連携することで可能な発明*なのだ。

*beautyという言葉が繰り返し使われていました。
*invention:humans were never made to read(ヒトは生まれつき読めるようには作られていない。読む力は後天的に獲得される能力)は、メアリアン・ウルフ先生の名言のひとつです。これを深化させたのが今回の「読書回路」と言えます)

この回路のどこかに不具合があると、読みに困難が生じる。
つまりディスレクシアの原因も現れ方も、対処法もきわめて多様である。


この整理の仕方は、日々もじこ塾で実感することともしっくり来ます。生徒を見ていて、まったく同じ困難を抱える生徒は二人としていません。兄弟であっても異なります。が「今日の●●くんのあの感じは、○○くんに似てるよね」という話は、助手たちとしょっちゅうします。読み書き困難はある程度は類型化できる気がします(10種類はありそうですが)


4.8 ディスレクシアは、IQとは無関係

・知的障害は定義上除外されるため、ディスレクシアは知的障害以外のあらゆるIQに存在する。
・しかし一方で、ディスレクシアだからと言って、必ず賢いわけではない。普通または普通以下のIQの人もたくさん存在する。
・「特殊な才能に秀でている」も、念頭においていいが、IDAの定義の目的にはそぐわない。

4.9 unexpected(想定外の)

現行の定義にあるunexpected(想定外)という文言。「他の認知能力からは想定外であり、かつ効果的な教室での指導からも想定外」とあります。
この言葉を新定義にも入れるかどうか、登壇者の間では意見が分かれていました。

ひとりの登壇者が「自分はディスレクシアの困難に対してunexpectedlyとは決して言わない※」と言ったのに対し、別の登壇者が「え?自分はずっと使ってきましたが?」と反論する場面もありました。

※に関して・・・
「ディスレクシアは従来、『正確かつ流暢に読む能力のunexpectedな困難』とされるが、そこからは、ディスレクシアは発達の遅延(latency)だという視点が抜け落ちている。これはunexpectedではない」という指摘でした。
思い当たるふしがものすごくありました。もじこ塾にも、中3で日本語のルビが急にいらなくなった生徒や、大学生になってからのほうが英語力がのびている助手がいます。発達が遅れているというよりも発達の順番が違うというか、通常よりも遅れて何かがつながる日がやってくる、というイメージです。

とはいえ、ディスレクシアの症例報告第一号とされる、1930年代のアメリカの医学誌に登場するパーシーくんの描写
「読めないということ以外はまったく問題ない、村で一番利発な少年。教養ある両親が何年もかけて教えたが、読めるようにはどうしてもならなかった」
は、まさにunexpectedのようにも思います。

ひとりのディスレクシアを通時的に見ていたら、unexpectedという形容は出てこない。
反面、共時的にといいますか、特定の時点で同じクラスの子と比べると、その読めなさはunexpectedとも言えます。
端から見てunexpectedに見えるなら、定義には残しておいていい気もします。


4.10 英語中心的な定義からの脱却

「なんと!我々の定義は英語圏でない国でも使われている!我々は英語中心的な定義から脱却せねば!」
と吠えていたウルフ先生。日本のことも心に留めてくれてありがとう
(話しかけた時に、お礼を言いました(^^))

英語以外の言語に関しては
「ディスレクシアは言語によって出現率に差がある」
「透明性の高い言語(スペイン語、イタリア語)より英語のほうが出現率が高い」
くらいの表現で、新しい定義に含まれるかもしれません。

移民(のディスレクシア)の存在も、アメリカでは無視できなくなっているようです。
「英語力が不十分であることに由来する識字困難と、ディスレクシアとは異なる」
あたりも、文言に加わりそうです。



4 おわりに

新しい定義の案は、発表者がそれぞれに示していましたが、ここでは割愛します。

新しいIDA版ディスレクシアの定義は、2025年末までに発表されるとのこと。

これを機に、「ディスレクシアとは何か」を考える議論が、日本でも活発化するといいなと思います!

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