2013-05-31

視写を試してみる



「うつしまるくん」が手に入らなかったので、画像検索を参考にして視写教材を自作してみました。
朝日新聞社 天声人語学習用ノート 360021 に、天声人語の代わりに谷川俊太郎さまの詩を貼ってみました。
天声人語はまだ難しすぎるので。文章のチョイスは私の好みです(笑)
谷川俊太郎さまの詩は教科書にも出ているのでよかろうと。
せっかく視写するなら、リズムがあって偉そうでない日本語がいいかなと思いました
(たとえ、子にはあまり意味が頭に入らなくても・・・)

初日は10分で200字。
改行の見落としが多く、訂正しているうちにどんどん時間がたってしまいました。
最初は5分しかできないかもと思いましたが、
10分は本人にとってもあっという間で、最後まできちんと集中していました。
終わったあとはどっと疲れたようです。



私もやってみましたが、
まず手が疲れる!(笑)
黒板や添削でけっこう字は書いているつもりですが、
書くための手の筋肉が明らかに衰えてます。
そして5分すぎたあたりから感じる気持ちよさ。
「書く速度で読んでは書く」この単純作業がなんとも気持ちいいのです。
書いているうちに、そういえば中学の夏休みの宿題で天声人語を書き写したのは今の仕事の基礎になってるなとか
翻訳者になりたてで仕事が全然なかったころ、毎晩「写経」と称していろんな文章を写してたなとか、
いろんなことを思い出しました。
文豪の助詞使いや点の打ち方に感心したり・・・
ちなみにわたしが本日視写できたのは534字でした。

ディスレクシアの小五は、写経の気持ちよさという境地には全然達していないようですが、
「これをすると、覚えが良くなるよ」と言い聞かせてのスタートです。
言い忘れましたが、視写は短期記憶向上のために始めてみました。


追記
ディスレクシアの子に対応する向国実践QAによると、
「学年×60字を10分で書く」のが視写の基準となるスピードらしいです。
5年生だと300字、4年生だと240字、3年生だと180字。
WISCで短期記憶が2学年分遅れていると言われているのですが、
その結果通りの字数でした。





2013-05-30

LD.org「医師にLDを理解してもらうには」

アメリカのLD.orgとというNPOのメルマガに登録していると、週1回ほど記事が届きます。

漠然と眺めていると、そこはどうやらアメリカ政府などにLD向け教育支援を求めていく政治団体の側面もあるようなのですが、

政治的記事の合間に見えるアメリカでのディスレクシア教育の現状が、どうも日本よりかなり進んでいるようで、毎回考えさせられます。

昨日来たメルマガの一部を訳してみました。


LD.orgより「医師にLDを理解してもらうには」

医師、看護師、およびその他の小児科医療従事者は、親が子のLDとそれをめぐる困難についての疑問点を最初にぶつける相手であることが少なくない。だが医療従事者は忙しいので、親がLD児用サポートサービスを洗い出し、理解し、確保する手助けをする時間も、参照できる情報源もないのが現状だ。そこで小児科医療従事者のための情報源となるべく、LD Navigatorを作成した。

(LD Navigator>LD Defined(LDの定義)より)

LDを定義する:医学上の定義と教育現場での定義の差を埋める

(Bridging the Divide Between Medical and Educational Definitions)

(要約)
・医学上の学習障害の定義と、教育の場での学習障害の定義は違う。
・子供が学習障害という診断を病院で受けた親にとって次の切実な問題は、子にどのような教育支援を学校に求めていくか。
・そのためにも、小児科医は医学用語ではなく学校でそのまま使える言葉で、親に話しかけなければならない。

--------------



アメリカ国立学習障害センター(National Center for Learning Disabilities+米国小児科学会、米国ナースプラクティショナー学会、20134



小児科学さらには医学全般における学習問題の定義は、DSM(『精神障害の診断と統計の手引き』)に由来している。
現行のDSMでは、神経に根ざしたこれらの問題を、学習障害と定義している。
学習障害には下位区分として、「読字障害」「書字障害」「算数障害」「その他特定されていない学習障害」が設けられている。またコミュニケーションや運動能力の併存障害も特定されている。
DSMでは各障害に対し、詳細な診断基準を設けている。

DSMの用語は機能的であり、医学研究によって知識基盤が拡大するにつれ、定期的に改定される。DSMの用語はまた小児科の現場においても、保険コードの付与や効率的な記録作成などに日々不可欠である。
しかしながら、上記の障害の一つまたは複数の症状を呈する子供の親に小児科医療従事者が接するにあたり、医療従事者が医学上の定義と教育上の定義の違いを理解しておくことが重要である。また、小児科の現場の外でサービスを確保するために使われている用語を知っておくことは重要である。
教育の分野における学習障害の定義は、連邦教育法である全障害者教育法(Individual with Disabilities Education Act:IDEAに基づいている。同法では、学習障害を神経処理の欠陥によるものと明確に定めている:

「特異的学習障害は、話し言葉または書き言葉の理解または使用に関わる基本的な精神過程のうちの一つまたは複数における障害を意味する。その表れ方は、聴く・考える・話す・読む・書く・スペルする・計算する能力が不完全であるという形をとる場合がある。特異的学習障害という表現には、認知機能のハンディキャップ、脳の傷害、脳の微小な障害、ディスレクシア、発達性失語症(developmental aphasia)などの状態が含まれる。視覚・聴覚・運動能力のハンディキャップに主に由来する学習上の問題や、精神遅滞、情緒障害、あるいは環境上の不利や文化的・経済的に不利な状況による学習上の問題は含まれない。」

DSMの用語はIDEAの定義に含まれていないことに気づいただろうか。
小児科の医療従事者は医学用語ではなく、教育現場での用語を使わなければならない。親が子供のために学校制度の中でサービスを確保するよう最も手助けできる立場にある者として、用語の差を乗り越えなければならないのだ。(一部の学校では、子供のディスレクシアの支援について問い合わせてきた親に対し、なんと「本校ではディスレクシア用のサービスを提供していません」と言ったと伝えられている。)
そこで本「LDナビゲーター」では、IDEAによる学習障害の定義を採用、つまり医学用語ではなく教育界の用語を使用する。両者の最大の違いは次の通りである:

1.      医学用語では「欠陥」を強調する。一方、教育用語では、学習障害の背後には神経処理の問題があること、評価によって子供の学習上の強みとともに弱み・不足を特定することを強調する。
  その目的は、子供本人に合わせた介入計画を作成し、学業上の成果を改善することにある。
  子供の強みを使って弱みを改善またはカバーする。

2.      学習障害を持った子供または青少年とその親は、IDEAが支配する教育制度にサービスを要求しこれを受けることになる。
   小児科の診察室から一歩外に踏み出した瞬間から、学習障害を持った子供とその親は、必要なサービスにアクセスしようとするなら教育現場の用語を使わなければならない。
   そこで小児科医療従事者は、子供の発達を通じて、教育現場の用語を理解し、それを使って話さなければならない。


3.      学校制度では「診断」は決して行わない。学校制度が行うのは、子供が特別教育およびこれに関連サービスを受ける資格があるかどうかを判断することである。
   そのために子供を、IDEAで指定された学習障害の分野のうちの1つについて評価し「分類」する。
   医学用語の「診断する」と、教育現場の用語である「分類する」は、用語の違いの一例であり、実際には「診断」と「分類」は互いに補完し合う関係にあるしかしながら、小児科の診察室から外の世界に出たら、ディスグラフィアや学習障害の「診断」について話を聞くことは決してないことを覚えておくべきである。
   小児科医療従事者は、親が自分の子供に最も適した教育サービスを確保できるよう、親の心構えを作らなければならない。そのためには、親がこれから学ぶことになる教育現場での用語の使い方の、手本を示さなければならない。


--------


わたしはこの記事を、
「たとえ子供を病院に連れて行くことができなくても
(ディスレクシアという医師の診断をもらうに至っていなくても)、
ディスレクシアの疑いがあるなら、親は学校に対して働きかけるべきだ」
というメッセージだと受け止めました。
飛躍しすぎか?!

本当は、学校がディスレクシアだと判断する、イギリスのような仕組みが整っているのが
一番なのでしょうが・・・

        うちは、本人と夫が反対しているので、当面は病院に連れて行くことはできません。
WISC-IVはスクールカウンセラーに相談したところ、
市の教育相談室で受けることができました(無料でした)。
WISCの結果が、いまのところ一番正式なディスレクシア診断です。

2013-05-28

ディスレクシアの子に地図の読み方を教える

ディスレクシアの人は地図を読むのが苦手だそうですが、
子の場合も例外ではありません。
方向感覚はあり、一度自分の足で行った場所はだいたい行けて、
それがどちらの方角にあるかも分かっています。
が、地図には相当混乱していました。

明日、学校のテストで、
日本の最北端・最南端・最東端・最西端を答えなければいけないそうなのですが、
この3~4日家で確認しても、なかなか覚えられずにいました。

「日本で一番南はどこ?」と聞くと
「え~と、北はこっちだから南は・・・」
と実際の方角を指そうとするので、
なんで地図上の場所を言えばいいのに、実際の方角を答えようとするんだ?
もしや・・・?!
と思い、次のような方法を試してみました。

これが何ともうまくいったのです!


<日本の最北端を教える方法>


巨大な白地図を用意する。
なぜかうちには、巨大な白いボードがあったのです(笑)
これに白地図を描いてあげました。

地図が印刷されたレジャーシートのようなものがあれば、代用できると思います。
ただし、余計な情報ががちゃがちゃ描きこまれていないほうがいいかもしれません。


白地図を、実際の東西南北と同じ向きに置く。
これが、とても大事なポイントです。



白地図に、覚えたい地名を書いてもらう。




画像が暗くてすみません。。「よなぐにじま」と書いています。




巨大な地図の上に腹ばいになって地名を書くと、
同じ地名暗記でも「机の前での勉強」から
「体を使った遊び」の感覚に近くなるから不思議です。






現在地にしるしをつけ、そこに北向きに立ってもらう。


北を指さしてます。



うちは東京在住なので、東京の場所に☆を描き、
そこに北向きに立ってもらいました。

このとき、地図上の北と、実際の北があっていることがポイントです。
なぜなら、ディスレクシアの子は、未知の場所を
今いる場所からどのような位置関係にあるか
で覚えるようなのです。




覚えたい地名の上に立ってもらう。

「日本で一番北はどこ?」と聞かれて、北方領土の上に立っているところ。



これを東西南北について行います。

すると・・・紙の地図の上だと混乱をきわめていた東西南北が、すんなり分かるのです(!!)

実際の北方領土がどの方角にあるかと、地図上の北方領土を
結び付けているらしいのです。




地図が頭に入ったら、地図を立てる。



地図を壁に立てかけた状態で、先ほどと同じ質問をします。
「日本で一番北はどこ?」
一度からだを使って覚えたら、
方角が実際とずれていても答えられます。

立てた状態で答えられたら、紙の上でも答えられます。


「日本で一番西は与那国島」




「ディスレクシアは地図が苦手」というのは、実は
・視点が常に移動している。
・何ごとも、全体像のなかで把握したい。
・未知の場所を「現在地との関係」でとらえようとする。
・地図のように抽象化された形より、「自分との関係」のように具体化された知識のほうが好き。

ということの現れなのでしょうね・・・



ディスレクシアの子には機械的な丸暗記は最も苦手とするところなので、
・北方領土の歴史。もともとは日本人でもロシア人でもない人達が住んでいたが・・・から始まり、現在係争中であること。
・沖ノ鳥島は、島というより単なる岩であること。経済水域のこと。google画像検索で岩の画像も見せました(google画像検索でわかりにくい固有名詞の画像を見せるのは、予備校の英語の授業でも盛り上がります)
・与那国島は台湾のほうが近いこと。尖閣諸島のこと。
といった周辺知識も話しました。

こういう話は楽しく聞いてくれます。
でも、日本最北端・最南端・・・の地名を覚えるには、あまり役に立っていないようです。


私も、ディスレクシア的な世の中の見え方が、少しずつ想像がつくようになってきたかも(笑)?!







2013-05-25

朝日新聞13/05/25

どうする 読み書き障害のサポート(上)

すべての漢字に覚え方のフレーズを自作できるとは、
すごいストーリーテリングの才能を感じます!



2013-05-16

ディスレクシアの子に対応する向国実践QA

最近、教員向け雑誌でディスレクシア指導が急に取り上げられている気がします。


ディスレクシアの子に対応する向国実践QA
という連載を見つけてオンラインで購入してみました。

小野隆行先生という、岡山県の小学校の先生の隔月連載です。

「向国」とは向山型国語教え方教室
という教室と雑誌の略称のようです。
「向山型」はこのあたりの本でもよく登場してました。

以下、自分のためにレジュメにしてみました。

目次
第1回 音読カードを使った家庭での宿題は害になる
第2回 ディスクレシアの子にやってはいけないNG指導 どの教室でも見られるエラーラーニングと過度な漢字練習
第3回 LD・ディスレクシアの可能性のある子を全校で調査する
第4回 音読が極端に苦手な子にどのように指導するか
第5回 教師は教材についてもっと学ばなければならない
第6回 ドクター,専門家が示す教育界の非常識


1)
ディスレクシアの子に音読カード※を使った家庭での音読指導は害にしかならない
(※「大きい声で読めたか」「間違えずに読めたか」「気持ちを込めて読めたか」「何回読んだか」を毎日チェックする)。
一度に長く読ませてはならない

→ほんとそうです!うちの例だと、音読は意味が分からなくなるらしく、嫌々やってました。
飛ばし読み、微妙に表現を変える、漢字の読み方があやしい、
などで、意味まで頭が回らないようです。
そんな状態で「気持ちを込めて読む」なんて絶対無理。
(そもそも、そういう欺瞞的なことにひときわ敏感で、泣いて拒否します)

傍から見てどれだけ音読が嫌なのか分かってからは、
音読の宿題は1ページでOKということにしました。



2)
「エラーラーニング」(間違った音読を反復させる)、漢字の過度の繰り返し練習は×

→間違った状態での音読をエラーラーニングと言うなら、
ディスレクシアでなくてもエラーラーニングは害だと思います。
英語でそれをやると、大学受験の頃には発音問題が解けなくなります
(そして、そういう生徒のほうが現実には多いくらいです。
この背景には英文読解の復習法としての音読が過大評価されており、
「正しい発音での」音読がなおざりにされている点があります。
でも話がそれるのでこの辺で)。

漢字の過度の繰り返しは、
私も、子のディスレクシアが判明する前に強制していて、
最も反省していることのひとつです。
「10回書いてだめなら20回書きなさい」は、ディスレクシアにはトラウマにしかなりません。

現時点で、子の漢字学習に最も効いていると思うのは

1位 ディスレクシアの大学生に家庭教師をしてもらう
   (共感、安心、ロールモデルを得る)
2位 正しい方法で勉強すれば100点取れるという成功体験
3位 ホワイトボードに書く
   (体を大きめに使って1回書くほうが、鉛筆で10回書くより効果的)
4位 iPad「ゆびドリル」
   (ただ、5年生になってからは、ほとんど使ってません)


3)
全校生徒の視写力を計測することでワーキングメモリの力を測り、発達障害の中でも目立たない子の存在を掘り起こすことができる

とりあえず、「うつしまるくん」を注文しました。
届いたのは「うつしまるくん」を使った授業実践例でしたorz。「うつしまるくん」は学校でしか買えない教材らしいです。


4)
音読の苦手な子にどう(音読を?)指導するか。

→この連載では、特に視覚の問題にフォーカスしていますが、
音読が苦手なのは視覚以外にも聴覚や脳の特定部位などさまざまな問題がありますし、
また視覚的問題もさらに細分化でき、それは「解決策のパズルの1ピースにはなり得ても、指導・回復・医療的介入の必要性に取って代わるものではない」
というのが、アメリカでの認識のようです。
ディスレクシアの原因はかなり多彩で、指導方法もひとつではないようです。

5)
学校の教材のなかには”雑音”(かわいいキャラクターなど)が多すぎて、学習障害者の指導に不適切なものが多すぎる

→おおむね同意。某通信添削教材などは余計な情報がごちゃごちゃと多くて
子にはつらそうです。


いっぽう、挿絵は、明らかに読解のヒントになっています。


2013-05-12

国語のテスト


















































8や9は間違っていないどころか、むしろ深く読めているような気がします。。

指でなぞりながら読むことで、読んでいる場所を見失わないようにしています。
この方法で黙読ならずいぶんできるようになりました。
まだ学年並みよりは遅いですが、
それでも、3年生の頃は時間内に読み終わらなかったことを考えると、ずいぶん進歩しました。

声に出して読むのは苦手です。
朗読を聞くのはまったく問題ありません。

新しい担任の先生と、面談をしてきました。
「××君のためにも、板書を多くしすぎない、一度にたくさんの指示を出しすぎないよう意識して授業を進めています。
××君にとって分かりやすい授業は、クラス全員にとって分かりやすいですから」
と言って頂きました。
先生、ありがとうございます。

2013-05-03

実は母親である私がADHDだった

たいへん間があいてしまいました。。

前回の「文科省版ディスレクシアのチェックテスト、と見なせるもの
を書きながら、
「この注意欠陥多動性障害って、もろ私じゃんw」と思っていたのですが、
その後あれよあれよという間にいろんなことが発覚し、
わたし自身がADHDらしいことに気がつきました・・・。

学習障害は遺伝すると、知識としては知っていたのに、
どうして自分がそうだという可能性を疑わなかったのだろう、
と、自分自身にあっけにとられています。
(※以下の本によると、学習障害や発達障害そのものが遺伝するのではなく、
そうなりやすい性質が遺伝するとのこと)

この文章をご覧の、学習障害のお子さんを抱えた親御さんは、
まず一度、自分も学習障害and/or発達障害であるかも?と疑ってみるべきです!
「自分は不注意で短絡的ですぐキレる」と自覚しておくだけでも、
子への二次障害を防ぐことができるはずです。


この1ヵ月に読んだ主な出版物をあげておきます。


 「週刊現代 東大理IIIに合格した人たち
のなかの
「「出身者の2割は発達障害」は本当なのか」

・「理III学生の2割は発達障害と言われている」(by学生)
・「東大教授の半分は発達障害」(by教授)
・「東大入試は発達障害・学習障害に向いている」(by吉田たかよし氏。この方は本郷赤門前クリニックというアスペルガー用のクリニックを開設しているもよう)

東大英語は、感情や自分の価値判断を入れず、スピーディーに「処理」していくことが要求されます。
なので、アスペルガーに向いているというのは、本当にその通りだと思います。
が、
東大英語は読む量が膨大で、書く量もかなり多い試験です。
120点満点の試験で、点数開示によると、
小数点以下2桁あるいは3桁まで点数が出ます。
小さなケアレスミスが決して許されない、実に官僚養成学校的な試験です。
この試験形式はディスレクシアにはかなり不利ではないかな、、
と改めて思いました。


数学オリンピックに出るような生徒も2人ほど出会ったことがありますが、
いろんな意味でとても印象的な生徒でした。
・ものすごく頭の回転が速く、また速く回転させていないと不愉快らしい。
ブルーバックス読みながら英語の問題を解いたり。
・会話がかみあわないところがある
・相手への気遣いの言葉(何か教えてもらったら「ありがとう」とか)が出ない
・でもこちらのことを嫌いではないらしい
・自分の外見を外から観察する目がない感じ。洋服がだらしない

 ・・・そんな彼らをアスペルガーっていうんだなとも思いました。









『私は発達障害のある心療内科医』星野仁彦














その後、この本を読んで、私自身がADHDであることを自覚しました。
同じ著者の『発達障害に気づかない大人たち』よりも読みやすく、真に迫ってくるものがありました。


思い当たった、自分のADHD的特徴:
・自他ともに認める「落ち着きのなさ」
・翻訳業で締め切りがあるのに、長時間集中できない。
・忘れ物、なくしものが多い。何かひとつは忘れて外出してしまう。
・大学時代、5回以上は財布を落とし、学生証を再々々々々発行して学務課に覚えられた
・ルーチンワークが苦手。(できるが、苦痛に感じる)
・中高の授業中はずっと内職していた。そうでないとむずむずして授業が聞けない
・静かに落ち着いていないといけないような場面が超苦手。物理的に体をじっとさせておくのもつらいし、「いま自分がすっとんきょうな行動をとったらどうなるだろう?」みたいなことばかり考えている
(各種式典など)
・片付けられない、というより、頑張って片付けているが毎回すごいストレスを感じる。
・片付けるのがストレスなので一気に捨ててしまい、あとで買い直したりする。お金がもったいないのでやめたい
この方法で参考書の山の中にはさまっていたパスポートを参考書の山ごと捨ててしまい、諸般の事情から外務省まで行って反省文?みたいなものを出してようやく再発行してもらったことも。
・仕事を断れず、いつも締め切りに追われ、子供のことがおろそかになるのに罪悪感を覚える
→仕事依存はADHDの症状らしいです。

と同時に、子供にもある程度の多動があることに、改めて気づきました。
やはり、学習障害は発達障害に伴うものなのですね。

「発達障害が抑圧されると鬱病を併発するため、
鬱病の診断は、必ず発達障害の可能性を考慮に入れなければならない」

これまで10年に1回、大きな落ち込み期を経験している自分としては、もっと早く知りたかった・・・


『ADHD のび太・ジャイアン症候群』司馬理恵子


上記の本で紹介されていた本。ADHDを「のび太型」(内にこもるタイプ)と「ジャイアン型」(暴力的になるタイプ)があるとしています。




『片付けられない女たち』サリ・ソルデン著、ニキリンコ訳



ADHDを一般に紹介した最初の本のひとつ。
女性は「きちんとしていなければいけない」という社会的抑圧があるぶん、ADHDが表に出なかったりして問題が複雑になる、と言います。

この本が出たときに、立ち読みして「これ私のことかも?」と思った覚えがあります。
でも当時は長いうつ病から立ち直りつつある時期で、これ以上病名がつくのはいやだと思い、
頭から追い払ったのでした。
このように、発達「障害」、学習「障害」という呼び方は、当事者を遠ざけることがあるので、別の呼び方のほうが本人のためには絶対いいです。

これからじっくり内省していこうと思います。
いま言えるのは、
・自分の「発達障害」(=まっとうな社会人とはかくあるべしという規範から、脳機能のレベルで逸脱している)という自覚をもつことは、謎が解けた感じがして、それだけで楽になる

・純粋に学習障害「だけ」というのは、やはりとても少ないのではないか。

・学習障害の子は、親も学習障害/発達障害の可能性を疑うべき。
親が自分の発達障害を自覚すれば子供への接し方をコントロールできるので、二次障害を防げる

・得意(=他人よりできて感謝されること。好きとは必ずしも同じではない)なことを飯の種にできるくらい伸ばし、不得意なことは人に助けてもらったり、カバーする戦略を編み出したりするべし。そうすればなんとか社会とつながっていけます。

これからも探究の旅は続きます!