2017-11-13

IDA@アトランタ報告(その4)~スタニスラス・ドゥアンヌ教授講演~




「New Studies on How Literacy Transforms the Brain
(読み能力はいかに脳を変えるか:新しい研究)」

アトランタまで行った最大の目的は,フランスの脳科学者,スタニスラス・ドゥアンヌ教授の講演を聞くことでした。 結論から言うと,(今の私にとって)非常~に驚きの指摘を得ることができました。今日から私の授業はさらに変わります(笑)

この講演は「ノーマン・ガシュウィン・メモリアル・レクチャー」と位置づけられています。ディスレクシア脳研究界の早世したスーパースターを記念し,読みの脳科学の最先端研究を一般人に伝えるのが目的だそうです。
「私たちは先人の肩に乗っている」の言葉とともに,オートンにはじまる過去100年弱のさまざまなディスレクシア研究者や教育者を紹介する映像が流れ,会場の熱気が最高潮に達したところで教授登場。こういう流れを作るのはアメリカ人は本当に上手です。

導入で「"Book"(本),それは非常によくできたツール」と,Macの新製品カンファレンス風?な動画で笑いをとりながら,講演は始まりました。フランス語なまりの強い英語で,画像が満載のスライドをばんばん見せながら,すごいスピードで話は進みます(+_+)

☆    ☆    ☆
「読めるようになると脳は変わる(Reading transforms the brain)。先生たちが子供に働きかけることで,生徒の脳は変わる。今日はそれについて語りたい。」

★ここで言うReadingは,読解力以前の,文字列を読む能力,
おそらくは1つの単語から短い1文を読む能力と思われます。

「話し言葉は努力なしで獲得できるし,脳には話すための専用の部位もある。しかし,読むという行為は後年になって発明されたもの。専用の脳の部位はなく,読字能力は,本来はその目的のためにでなく存在している部位が,リサイクルされて形成される。」

★別の脳科学者から聞いた話では,話す能力は10万年前の人類の祖先から原型がみられる一方,人類が読むようになった歴史はせいぜい56000年。人類はまだ読むための脳の部位を進化させるに至っていないのです。

左脳にあるこの部位を,教授はレターボックス(文字の箱)またはVWFA(Visual Word Form Area:視覚的に単語の形を認識する部位)と呼び,いよいよ本題に入ります。
#ここで改めて注意喚起。
この研究では,「単語あるいは文字列のの認識」を見ていきます。

「レターボックスは69歳の間に完成する。ハイパーレクシアだと5歳にはもうできている。」 
「この時に犠牲になるのは,顔を識別する部位。レターボックスが形成されるのに伴い,右脳に移行する」

★ちょw。顔認識ができないハイパーレクシアだったもじこは,きっとレターボックスができたときに,顔を認識する部位が右脳に形成されなかったんでしょうね。

「ディスレクシアの9歳児にはレターボックスがなく,顔を認識する部位も左脳のまま。だがこれはディスレクシアの結果であり,原因ではない。視覚的な困難はディスレクシアの結果であり,原因ではないことが少なくない。脳の可塑性を考えると,早く正すべきと思うが」

★脳の「可塑性(かそせい)」(plasticity)とは,平たく言えば脳が変われる性質を指します。

 「レターボックスは,形を認識する脳の部位を,読字能力に再利用することで形成される。これを「ニューロ・リサイクリング」(neurorecycling,神経の再利用)と言う」

★ここからは,さらにたくさんの画像を見せながら,話が進みます。
「レターボックスは,どのような過程を経て形成されるのか。就学直後の,読むことを学び始めたばかりの子供は(☆フランスの話です),レターボックスだけでなく,脳のあちこちの部位が,程度の差はあれ,一時的に激しく活性化する。その後落ち着き,2年生の終わりごろには努力なしで読めるようになっている。この頃には,音韻と文字の対応,音韻認識,そして流暢性を獲得している」 
「特に重要なのは自動化(automaticity。読むことが自動化していないと,数の認識や読解など,他のことに脳のリソースを回す余裕ができない」
★生まれた時点では,ヒトの脳は読むための部位を持っていない。就学年齢の頃に,書き言葉という刺激を与えると,文字に対して脳のあちこちが反応する時期を経て,2年ほどでレターボックスだけが活性化するような脳へと変化を遂げている。
以降は,読むという作業は自動化され,とても楽になる(少なくとも定型の場合は)・・・という流れです。
この「自動化」という概念が,このあと重要になってきます。

「レターボックスは,脳の可塑性の高い部位に発生し,そこに定着する。読字能力を鍛えない場合,レターボックスができるはずだった場所には,他の視覚認知(道具,家,顔など)が進出する。大人の場合は可塑性が低下し,子供の脳よりも固まっているので,脳を変えるのは難しい。例えば,2年にわたる読み訓練をしても,文字列の認識に努力を要する,つまり自動化に至らない」

★音楽家や数学者,さらには脳卒中でレターボックスの部位がやられた人の脳画像を見せながら,音楽家は楽譜を,数学者は数式を「かたち」として認識する力が高く,レターボックスをおいやっていることを,笑い話として紹介していました。あちらを立てればこちらが立たず” 的な。

★だんだん時間がなくなり,話がものすごく速くなって,メモも切れ切れに。

「音韻に関係する部位はレターボックスとは別にある。レターボックスが発達すると,話し言葉の認識力も向上するつまり,音韻認識とレターボックスは相互に関連しながら発達していくようです。あと左右盲の話もしていました


そして最後に,超駆け足で,驚くべき言葉が!!

「レターボックスとは別に,脳には「音韻に関係する部位」と,「意味理解に関係する部位」がある。 
子供においては,『文字→音』の回路,つまり「文字を見て,音を想起するつながり」 を開発する必要がある。この部分は難しく,教師はここを明示的に教える必要がある。 
子供の脳は『文字→意味』の回路を勝手に開発する。これが自動化だ

★( ゚Д゚)!!゚Д゚)!!
つまりこれは,「アルファベット言語でも,ある種の視読の域に達するのが理想形」ということのようです!!この発言を講演最後の3分で聞いたときは,足腰立たないほどたまげました。アトランタまで行って本当によかった()

しかも,もう一言,続きがありまして・・・

だが,最初から『文字→意味』の回路だけを,直接開発しようとしてはいけない。 
教師が教えるべきはあくまでも『文字→音』の対応」。

゚Д゚)!!゚Д゚)!!
つまり,
教師がホールワード*で読めているからといって,生徒にもそれを最初から要求してはならない。
(*ホールワード(whole word):stopをまるごと「ストップ」と読み,それ以上分解しない読み方。今なお根強い,反フォニックスの最大勢力)
あるいは,
結果として生徒が視読の域に達するのはかまわないが,教師が最初から「いいよいいよ,音にできなくても。意味だけわかればいいよ」と言ってはならない。
さらには,
ある程度熟達するまでは,英語の音を伴わない状態でのサイトラは有害
(*サイトラ(sight translation):英文を見て日本語の訳を言わせる,つまりThis is a penという文を生徒に見せて,教師も生徒もこれを読み上げない状態で,生徒に「これはペンです」と言わせる。通訳における重要なスキルの一つ)
・・・ということを,この発言は示唆しています。


★家庭の役割は別にあるのでしょうか。これについては
「『家庭内における本の存在』は自動化を加速するので,読み能力獲得の成功に役立つ要素」とのことでした。加えて「『就学前にたくさん話をして,話し言葉の語彙を増やすこと』『音韻の知識』」を挙げていました。

☆    ☆    ☆

終了後,サイン会があったので,持っていた日本語版『意識と脳』をプレゼントしながら少し質問してきました。
私は「脳」という文字を指さしながら
「これは音にしなくても,brainという意味だとわかります。漢字は「文字→意味」ルートを非常に作りやすい性質があります,漢字文化圏の読み戦略はアルファベットのそれとはとても違います」と力説したところ,

アルファベット言語でも,自動化がカギなんだよ(automaticity is the key.)

と改めて念押しされました( ゚Д゚)そうなんですね~~~

もう一つ,こんな質問をしてみました。炎上しないといいのですが…

「脳の可塑性が止まってしまい,レターボックスはそれ以降は形成されないという,年齢的な限界はありますか?」

これに対しては「可塑性は減るだけで,完全にはなくならない」と言っていましたが,なおも食い下がったところ「思春期は大きな役割を果たす気がするI think puberty plays a big role.)」と言っていました…。
思春期(+_+)女子は超不利ぢゃないですか。

最後に,
「超一流の人は知っていることを(少なくとも一般人には)出し惜しみせず,オープンであり,ユーモアがある」は私がディスレクシア・ジャーニーで知ったことの一つですが,ドゥアンヌ教授もそんな一人でした。

~~~

昨夜,無事帰国しました。
アトランタは遠かったですが,むちゃくちゃ勉強になりました!
教材を爆買いしてきたので,次回はそれらを紹介したいです。 

2017-11-12

IDA@アトランタ報告(その3)

スタニスラス・ドゥアンヌ教授の講演は,本の内容と重なるところも多かったのですが,非常~に示唆に富むものでした。これについては改めてまとめることにして,それ以外で印象に残った発言を書いておきます:

~~~

・「科学的には,読み方をどう教えればいいかは分かっている。
どうやってそれを教育の場に転換すればいいのかは,まだ分かっていない」

IDAのスーパースター,マリアンヌ・ウルフ教授による,ドゥアンヌ教授を紹介するスピーチの一節。
ディスレクシアの原因遺伝子もつきとめられつつあるし,ディスレクシア脳と定型脳の違いも解明されつつある。そういった研究成果を,どのように読み教育に落とし込んでいくかを,我々は一丸となって考えていかなければならない」…という内容でした。

このResearch to Practice(研究を実践に転換する)は,今回あちこちで聞かれた,IDAの目下のテーマのひとつのようです。

教師には,脳科学の成果を,本当に細かく具体的な授業のコツに活用しようとする姿勢が求められています。

また,どこに行っても,最先端の研究者,現場の教師,そして親や当事者が,完全に対等な立場で語っているのは,アメリカの良い部分が強く出ていると感じました。
日本の関係者も,この点は見習う必要があります。最大のハードルかもしれませんが…

マリアンヌ・ウルフ教授の発言にはもう少し続きがあって,
「同じ考え方をする人たちと,完璧よりも進歩を目指して進んでいく必要がある。なぜなら読めるというのは貧困を絶つ最大の道だから」。
脳科学の研究者が社会改良の視点を持っている点も,IDAの大きな特徴です。

~~~

・「支援と配慮は同時並行であるべき:読み方を学ぶ努力をすることと,読めないことを受け入れてもらうことは,手に手を携えて進める必要がある」(remediation and accommodation should go hand in hand)

「Never Too Late!(遅すぎるということはない)」という題名にひかれて軽い気持ちで参加した発表。行ってみたら,スピーカーは今日が90歳(!!)の誕生日,ディスレクシア教育を1955年から行ってきたという,IDAにおけるレジェンドのようなお方でした。
古き良きアメリカという感じの,白髪を美しくセットして,ピンクと黒のツイードのスーツを着こなしたおばあちゃんです。
受刑者にゼロから読み方を教えた話にはじまり,一言一言が重く,胸に迫るものがありました。

このおばあちゃんのフォニックスの教え方は,非常にリズミカルなアナリティック・フォニックスでした
(ブレンディングはdoesn't make sense to them[彼らには通じない]と言っていました)。
成人で,すでに話し言葉を運用している場合は,単語のなかから音韻を取り出すほうが楽なのでしょう。

まるでジョリーのダイグラフ(ch,oo,orなど,2文字で1つの音になるレターサウンド)のように接尾辞や接頭辞を扱っていたこと,空書き(air-writingと言います)をすること,母音に限っては(無意識なのか)ジョリーのアクション風のものをつけていること,文字を教える順番もabcではなく,頻度と難度に応じた独自のものを採用していることなど,日本人中学生に教えるにあたり,いろいろ参考になる内容でした。

生徒は本物の本から読まないといけない。たとえほんの少しの単語しか読めなくても。教師が残りを読んであげればいいのです
「『読み聞かせてもらう経験がなければ,自分で読もうと思うこともなかっただろう』(ある受刑者の言葉)。録音を聞くのと読んであげることは違います。読んであげることは,読解力と読もうとする気持ちを高めるための最良の方法。録音を聞いてもこれは起こりません。ある程度読めるようになったら,オーディオブックも良いのですが」

テクノロジーに逆行するような発言ですが…ことディスレクシア読み指導の最初の段階においては,教師と生徒が,呼吸をあわせて,ひとつのテクストに向き合うべきだと言っているのだと感じました。

~~~

今回,よくわかったのは
アメリカ人も,ディスレクシアをめぐって,またディスレクシアを含む子供たちに英語をどう教えるかをめぐって,模索を続けている」ということです。
たとえば・・・「フォニックス」と一口に言っても,どういうフォニックスがベストなのかは群雄割拠,まだ誰も天下を取っていないようです。日本語にたとえれば五十音表が定まっていないどころか,小1の国語の教科書が乱立している状態( ゚Д゚)

「音韻認識が弱いと読字困難が出やすいこと,また音韻認識を伸ばすことがディスレクシアにとって効果的だという点については,エビデンスは多々あるが,多感覚が効果的という点についてはエビデンスがほとんどない」という仰天発言も,複数個所で聞きました。
でもオートン協会は多感覚は大事だとうたっているのですが・・・しかし多感覚の定義は実はあいまいなようで・・・(二転三転)

さらには,ディスレクシアの割合も,アメリカでも定かではないことも明らかに。
「スペクトラムなので,ここからがディスレクシアだという線引きが難しい」
とのことでしたが,多くとると20%,少なくとると5~6%とのことでした。

ここにて時間切れ。日本に帰ります!

2017-11-11

IDA@アトランタ報告(その2)

2時間後に,最大のお目当ての報告が始まるので,記憶が上書きされる前に書いておきます・・・

「天才たちは学校がきらいだった」の著者,トーマス・G・ウェスト氏のプレゼンは,日本から行ったかいがある素晴らしいものでした(T T)
IDA入りして初めて,それどころか学会と名がつくもので初めて,ディスレクシアの強みについて語られたプレゼンを聞きました。
それには理由があることも,この発表で明らかに・・・

・題名は「オートンが患者MPから学んだこと」。
オートンとは,ディスレクシアを「字盲」と名付けてはじめて世に問うた人。IDAは前身を「オートン協会(Orton Society)」と言い,またこちらではOrton-Gillingham(オートン・ギリンガム)メソッドが,ディスレクシア向け英語教授法としてスタンダードになっているようです。
この発表の根底にあるメッセージは「オートンは最初からすべてを見抜いていた」。

ウェスト氏は,オートンを「僕の第一のヒーロー」と呼び,こんなエピソードを紹介します:
「オートンは1925年,アイオワ州で142人のドロップアウトを集めて調査を行った。
そのなかでMP(16歳)という,まったく字が読めない少年を見て,当時新しかったビネー式検査(現在のIQテストの元になったもの)を行い,こう述べている:
IQ検査はビジュアル化の能力を正当に評価しない
彼の受け答えはすぐに返ってきたし的確だった』」
「つまり,オートンはIQという概念の限界をすでに見抜いていた。これはしょせん,学校で成功するのは誰かをはかるテストに過ぎない。アメリカでは現在,すべての面で成功するのは誰かをはかるテストだと勘違いされているが」

・「映像思考の人は,言葉や書物という古いテクノロジーの世界では分が悪いが,CGが表現するような新しいテクノロジーにはパーフェクトに適応できる。
これからやってくる複雑な世界に適応できる人種。」

・ウエスト氏の第2のヒーローはNorman Gerchwin。オートンに続いてディスレクシアのポジティブ面に迫った人で,早世がたいへん惜しまれまる方だそうです。
この人によると:
「ディスレクシアとは,脳の遂行機能と関係がある。ここは前頭葉のなかでも最も遅く発達するところで,ここが成長すると整理整頓の苦手もなくなる。そしてギフテッドなほど整理整頓の苦手度も激しい。
ディスレクシアの人は,通常の人より脳細胞の死滅が少なく,左脳と右脳が対称的で,長いつながりが多い。これは無関係なことをつなげる能力となる。
多様性,ランダムさをより多くもち,遅咲き[完成形に至るまでより長期間を要する]。
狩人タイプで,人間集団の進化に必要な存在」

・「ディスレクシアの強みは,小さな%,個人的な話,少数者の力,違いや個性の部分に現れる。このため,主流の"科学研究"(数値化し,より大きな数値のものを一般化していく)ではすくい取れない。
ディスレクシアの強みを記述するには,個人のライフヒストリーをじっくりと聞き,そこからデータを集める必要がある。
These talents are invisible to conventional academic measures.
(ディスレクシアの才能は,従来のアカデミズムの手法ではすくい取れない)
オートンは,ディスレクシア研究のはじめから,そのことを指摘していた。」

・「成功した偉大なディスレクシアにおいてうまくいったことを,あらゆるディスレクシアに活用すべき。ディスレクシアを教える教師や親もその部分をサポートすべき。」

・ウェスト氏自身もディスレクシアだそうで,ファミリーヒストリーを紹介していました。先祖はイギリスのコッツウォルズに暮らすクエーカー教徒で,食料雑貨店を経営する,町の便利屋だったそうです。
「ディスレクシアの血は何世代も,何世紀にもわたってさかのぼることが可能だが,これらが文書になって残っていることは珍しい。イギリスでは英国教会に属していなければ名門大学には入れない時代が長く,クエーカー教徒はアカデミックな世界とはほど遠いところにいた」しかし,それぞれの場所でクリエイティブに生きて来たのです。
祖先がかかわっていたという,飛行機,機械いじり,建築,絵画,発明…などのパワポを見せられました。生徒の関心,そしてうちの父の家系と重なる・・・


こじんまりとして静かで,しかもご本人も「エストニアで開かれていた電子政府の学会からとんぼ返りしてきて時差ボケが」と言っているくらいテンション低めの発表でしたが,ディスレクシアの人らしい,時空がゆがむような感覚を覚える発表でした。
終了後,「私がディスレクシアについて読んだ最初の本はあなたの本でした。You are my hero!!」と言いに行きました(笑)
この人の本は本当に読んでほしいです!!訳したい,でも時間が…


◆もっと実務的な発表もいくつか聞きました。
・ディスレクシアには,「雑だが速い」タイプと,「正確だが遅い」タイプがいる。このうち後者のほうが(アメリカの特別支援で要求されている「介入に成功」の基準に達するまでの)困難度が高い,という趣旨の発表は,「用語の定義が間違っている」「解釈がおかしい」と,フロアにぼこぼこにされていました。
でも私はしみじみと同意するところがありました。「読むのが遅いタイプのディスレクシアにとって,試験という時間制限の壁を突破するのは,やはり本当に大変だ」というメッセージを受け取りました。

・アメリカ人も,ブレンディングやセグメンティングを知らないようです!
教室でブレンディングをする動画を流したら,会場中が「へ~」「ほ~」「そうやるんだ~」という雰囲気になっていました。

なお,会場ではブレンディングやセグメンティングが「音韻認識強化の練習」とされ,「音韻と文字を結び付けること」がフォニックスと呼ばれているようです。
そして,フォニックスはシンセティック・フォニックスとほぼ同義のようです。

フォニックスは過去30年間,政治問題になるほど複雑な歴史があったようで,学校では「フォニックス」という言葉は禁止だった時代があったようです(これは本当に黒歴史らしく,あまり語られません)。その後,本気で識字率が落ちた(地方だと,日常生活をぎりぎり送れる程度以上には読み書きできない人が3割いるところもあるそうです( ゚Д゚)。オーストラリアは4割がそうだとの発言も)ので,政府が方針を転換したようです。
実は「ディスレクシア」という言葉も行政用語としてはどうやら微妙なようで,RD(reading disability:読み障害)と言い換えられているようです。

・「ディスレクシアの子には,シンタックスをきちんと教えるべき」と力説する発表では目が点に。構文を学ぶことが役に立つというか必要だという話です。
結論だけ書くと・・・どうやら,日本の受験英語は全然捨てたものではないです。というよりむしろ,日本の文法重視の英語教育は,英語に触れる機会が極端に限定された環境で最大限に効率的に英語を身に着ける方法としては,ものすごくよくできていると再認識しました。伊藤和夫恐るべし。
日本の英語教育に足りないものがあるとしたら,音韻認識とフォニックス,そして中学英語レベルの基本文が反射的に出てくるようにするための訓練だと思います。前からそう思っていたのですが,そのことを確信するに至りました^^

・ディスレクシア介入方法として,音韻認識の練習,フォニックスに続けて行うべきは,接頭辞や接尾辞を覚えること,そして流暢性(fluency)の獲得だそうです。時間をはかっての音読が必要とのことでした。そうでしょう。
これについては,日本の英語教育でよくみられる「長文問題の内容を覚えていれば解ける定期試験」は非常に有害と再認識しました。2行でも3行でも,覚えずに"読む"訓練の徹底が必要です。

・英語教育の本場?にも,確立したディスレクシア介入法は存在しないようです。
ディスレクシアは多彩すぎて,メソッドを確立することができないようです。
いろんな素材を用意しておいて,生徒にあわせて作るくらいのスタンスが必要らしいです。


2017-11-09

IDA@アトランタ報告(その1)

東京の自宅から足かけ22時間、アトランタまでやってきました!

アトランタは黒人の町です。ホテルで働いている人もどうやら全員黒人、町の金持ちも多くが黒人、会場の高級ホテルから徒歩5分の公園に昼間からたむろしている無職の若者たちも黒人。。
私が接する黒人の方々はみな、誇り高く、声が大きくて、堂々とした人たちです。こっちも堂々と受け答えしないと負けます(泣き笑い)

そんなアトランタで4日間かけて開催されるIDA(国際ディスレクシア協会)の年次総会。
会場内は一転、白人女性が圧倒的でした。黒人は1割、男性は3%以下。東洋人は本当にいません(お会いした唯一の方は、日本の大学教員の方でした!)
おそらくみなさん、全米から集まってきた教員なんだと思います・・・
なんとなく、聴衆の雰囲気はLD学会に似ています(笑)

本日印象的だった発言から:

「識字教育は人権問題である」
(Literacy is a civil rights issue)
全体シンポジウムで黒人女性の特別支援教師が力説していた一言。すべての人が読めるようになる権利がある。なぜ今日ここに政府関係者が来ていないのだ。公民権運動がこの地で草の根から始まったように、そろそろ識字教育も草の根[教師]から始まってもいい…という流れでした。

終了後、「私は日本で英語を教える一介の英語教師なんですけど、感動したと言いたくて来ちゃいました~~」と言いに行ったら「Don't say you're just an English teacher. We walk together(単なる英語教師なんてことはないのよ。それぞれの場所で戦いましょう)」と言ってもらえました。
英語って、中1単語だけの方がかっこいい~(笑)

「ディスレクシアへの介入は、1対1より1対4~5のほうが効果的」
「プルーストとイカ」の著者、マリアンヌ・ウルフ教授がフロアからスピーカーに入れていた突っ込み。「There's sort of a communal feeling, which drives the learning process」(そのほうが生徒の間に仲間意識が生まれ、学習が加速する)と。
そうなんです、もじこ塾が中学生クラスを集団化したのもまさに、この仲間意識の美しさを目の当たりにしたからです。(浪人生の1対1も、とても深いところまで行くんですけどね…)
ところで、マリアンヌ・ウルフ教授は、ものすごくエンパシーにあふれた方でした。

「音素は人工物である」(phonemes are artifacts)
音素(「単語の意味を変えることのできる、話し言葉の最小単位」ざっくり言うと英語のオトの最小単位)は抽象的な概念であり、これを理解することが読み能力には不可欠。そしてこれには明示的な学習が必要。
・・・ということをネイティブから断言されて、たいへん自信になりました。

「ディスレクシア脳は"寄り道"が多い」(配線が異なり、不安定で、神経リソースも食う)
つい数週間前に、中学生が自分語りで「僕は数学の問題を見てもいろいろ考えが寄り道してしまう」と語っていたのを、強烈に思い出させた一言。午前中のこのシンポジウムはそれ以外にも、いろんな生徒の読む様子を思い出させる内容でした。その一部:

・言語というのは、まず何より話し言葉として存在する。書き言葉は話し言葉を文字化したもの。(Writing is based on speech)。
そんな書き言葉の習得には、音韻認識・文字の知識・ブレンディング/セグメンティングが必要で、これらはすべて明示的に終えることが必要だし、また可能でもある。
・脳は一度文字を知ってしまうと変化し、その後もダイナミックに変化を続ける。生後4時間の新生児と、文字を知っている8歳では、言語の単音を聞いたときに脳が活性化する場所が異なる。脳は学習内容によって変化し、新たな学習に備える。
・定型児だと、字を見て0.1秒以内に、ブローカ野が活性化する。これは、口の動きと関係する部位。つまり、字を見た瞬間にオトが想起されるということ。(その後、ブローカ野と関係ない部位も活性化される。)
・読み能力を学習中の脳のほうが、読み能力が定着した脳よりも、神経のリソースを食う。
・ディスレクシアだと、活性化していく部位が異なり、ネットワークが不安定であり、かつリソースもより多く食っている。
・ここから、ディスレクシアに役立つのは
1) reduce unnecessary clutter(余計な情報を減らす):読みに直接関係ある情報だけ与える[だらだら長く無意味なものは読ませない、という意味かもしれません]
2) slow down time(スピードを落とす):寄り道が多い脳のためには、インプットの速度を落とせば、寄り道の分を打ち消せるだろう
3) develop alternative routes(脳の別経路を開発する)

→いろんな生徒のことが思い出されました。
読んでから、意味を想起するのにふた呼吸くらい置かなければならない生徒、
大量にチョコレートを食べながら読む生徒、
上で紹介した「どうしても寄り道してしまう」と悩む生徒。
あるいは、誤学習を徹底しすぎて、英語を見ても図形にしか見えず、オトとまったく結び付けられなくなってしまった生徒・・・
彼ら彼女らは、"脳の別経路を開発"することで、読み能力が改善するのでしょうか?

~~
夕方からは出展ブースへ。LD学会と違うのは、学校案内のブースが目立つこと(10校は来てます)。渡米前に聞いた話では、教育費に糸目をつけないユダヤ人子弟が、こうした少人数の学校に通わせるのだとか。そんな話はシンポジウムでは一言も出なかったことを考えると、やはりアメリカでは教育格差というものは、日本で報じられるよりもはるかに深い問題なのかもしれません。

私は教材系のブースを見てまわり、中高生用のデコーダブル・ブックス(フォニックスルールにできるだけ沿った本)のサンプルを何社かからもらってきました。「I came from Japan.」と言うとみんな驚いてくれます(笑)。もじこ塾で多読を宿題にするのが今の野望です。

2017-11-07

もじこ塾だより、by笠野紺さん(5)

紺さんが、ディスレクシア感覚を、本当にストレートに書いてくれました:
これは、「字を見て音に変換するのがつらい」感覚。
ディスレクシアの定義といわれる、「デコーディング」の困難のことです
※デコーディング:暗号解読、つまり文字という暗号を音で解読すること

こっちは、日本語よりも英語でより強く出る「細かい聞き間違いが多い」。
音韻認識の困難と呼ばれるものです


これから、IDA(国際ディスレクシア協会年次総会)を聴講しに、アトランタまで行ってきます![→多動、衝動性]
メールをくださったみなさま、ありがとうございます。

11月に受験生の授業を休講にするのは少なからず申し訳なく思っておりますが、生徒たちは
「アトランタでの話には相当期待してます」(高3)とか
「(「アメリカのディスレクシア教育は日本より30年進んでいるらしい」と言ったら)僕も連れてってください」(中1)
と言ってくれ・・・なんとよくできた子たち(T T)。

アメリカで私は何を見ることができるのでしょう?!乞ご期待!

~~
お知らせ:もじこ塾ではこのたび、河合塾の全統模試を団体実施できることになりました!
第1弾として、センター試験プレテストを時間延長を含む合理的配慮のもとで実施します。
詳しくはこちらをご覧ください→