東京の自宅から足かけ22時間、アトランタまでやってきました!
アトランタは黒人の町です。ホテルで働いている人もどうやら全員黒人、町の金持ちも多くが黒人、会場の高級ホテルから徒歩5分の公園に昼間からたむろしている無職の若者たちも黒人。。
私が接する黒人の方々はみな、誇り高く、声が大きくて、堂々とした人たちです。こっちも堂々と受け答えしないと負けます(泣き笑い)
そんなアトランタで4日間かけて開催されるIDA(国際ディスレクシア協会)の年次総会。
会場内は一転、白人女性が圧倒的でした。黒人は1割、男性は3%以下。東洋人は本当にいません(お会いした唯一の方は、日本の大学教員の方でした!)
おそらくみなさん、全米から集まってきた教員なんだと思います・・・
なんとなく、聴衆の雰囲気はLD学会に似ています(笑)
本日印象的だった発言から:
「識字教育は人権問題である」
(Literacy is a civil rights issue)
全体シンポジウムで黒人女性の特別支援教師が力説していた一言。すべての人が読めるようになる権利がある。なぜ今日ここに政府関係者が来ていないのだ。公民権運動がこの地で草の根から始まったように、そろそろ識字教育も草の根[教師]から始まってもいい…という流れでした。
終了後、「私は日本で英語を教える一介の英語教師なんですけど、感動したと言いたくて来ちゃいました~~」と言いに行ったら「Don't say you're just an English teacher. We walk together(単なる英語教師なんてことはないのよ。それぞれの場所で戦いましょう)」と言ってもらえました。
英語って、中1単語だけの方がかっこいい~(笑)
「ディスレクシアへの介入は、1対1より1対4~5のほうが効果的」
「プルーストとイカ」の著者、マリアンヌ・ウルフ教授がフロアからスピーカーに入れていた突っ込み。「There's sort of a communal feeling, which drives the learning process」(そのほうが生徒の間に仲間意識が生まれ、学習が加速する)と。
そうなんです、もじこ塾が中学生クラスを集団化したのもまさに、この仲間意識の美しさを目の当たりにしたからです。(浪人生の1対1も、とても深いところまで行くんですけどね…)
ところで、マリアンヌ・ウルフ教授は、ものすごくエンパシーにあふれた方でした。
「音素は人工物である」(phonemes are artifacts)
音素(「単語の意味を変えることのできる、話し言葉の最小単位」ざっくり言うと英語のオトの最小単位)は抽象的な概念であり、これを理解することが読み能力には不可欠。そしてこれには明示的な学習が必要。
・・・ということをネイティブから断言されて、たいへん自信になりました。
「ディスレクシア脳は"寄り道"が多い」(配線が異なり、不安定で、神経リソースも食う)
つい数週間前に、中学生が自分語りで「僕は数学の問題を見てもいろいろ考えが寄り道してしまう」と語っていたのを、強烈に思い出させた一言。午前中のこのシンポジウムはそれ以外にも、いろんな生徒の読む様子を思い出させる内容でした。その一部:
・言語というのは、まず何より話し言葉として存在する。書き言葉は話し言葉を文字化したもの。(Writing is based on speech)。
そんな書き言葉の習得には、音韻認識・文字の知識・ブレンディング/セグメンティングが必要で、これらはすべて明示的に終えることが必要だし、また可能でもある。
・脳は一度文字を知ってしまうと変化し、その後もダイナミックに変化を続ける。生後4時間の新生児と、文字を知っている8歳では、言語の単音を聞いたときに脳が活性化する場所が異なる。脳は学習内容によって変化し、新たな学習に備える。
・定型児だと、字を見て0.1秒以内に、ブローカ野が活性化する。これは、口の動きと関係する部位。つまり、字を見た瞬間にオトが想起されるということ。(その後、ブローカ野と関係ない部位も活性化される。)
・読み能力を学習中の脳のほうが、読み能力が定着した脳よりも、神経のリソースを食う。
・ディスレクシアだと、活性化していく部位が異なり、ネットワークが不安定であり、かつリソースもより多く食っている。
・ここから、ディスレクシアに役立つのは
1) reduce unnecessary clutter(余計な情報を減らす):読みに直接関係ある情報だけ与える[だらだら長く無意味なものは読ませない、という意味かもしれません]
2) slow down time(スピードを落とす):寄り道が多い脳のためには、インプットの速度を落とせば、寄り道の分を打ち消せるだろう
3) develop alternative routes(脳の別経路を開発する)
→いろんな生徒のことが思い出されました。
読んでから、意味を想起するのにふた呼吸くらい置かなければならない生徒、
大量にチョコレートを食べながら読む生徒、
上で紹介した「どうしても寄り道してしまう」と悩む生徒。
あるいは、誤学習を徹底しすぎて、英語を見ても図形にしか見えず、オトとまったく結び付けられなくなってしまった生徒・・・
彼ら彼女らは、"脳の別経路を開発"することで、読み能力が改善するのでしょうか?
~~
夕方からは出展ブースへ。LD学会と違うのは、学校案内のブースが目立つこと(10校は来てます)。渡米前に聞いた話では、教育費に糸目をつけないユダヤ人子弟が、こうした少人数の学校に通わせるのだとか。そんな話はシンポジウムでは一言も出なかったことを考えると、やはりアメリカでは教育格差というものは、日本で報じられるよりもはるかに深い問題なのかもしれません。
私は教材系のブースを見てまわり、中高生用のデコーダブル・ブックス(フォニックスルールにできるだけ沿った本)のサンプルを何社かからもらってきました。「I came from Japan.」と言うとみんな驚いてくれます(笑)。もじこ塾で多読を宿題にするのが今の野望です。
もじこさん 素晴らしい!ご報告ありがとうございます。
返信削除アトランタ報告のどの内容も大変興味深く、本当にこの充実の内容をアップして下さった事に深く感謝です。
大人英語ディスレクシア当事者として思い当たる節が沢山ありすぎて、毎回ワクワクしながらブログの更新を楽しみにしていました。
そして、今までモヤっと感じていたことを言語化してもらえたことで色々とスッキリしました。
ありがとうございます。
(その1)の記事に関してもじこさんにお伝えしたくてメールしましたら、コメント欄へも是非、と言うことでしたので、こちらにコメント入れさせて頂きますね。
超長文ですので3回に分けます。
『ディスレクシア脳は寄り道が多い』本当に共感です。私もそうです。
ただ、それがディスレクシアから来るのか?ADHDだからなのか?は、分かりません(^_^;)
思考に寄り道が多い事だけは確かです。
中学生君に伝えたいです『寄り道も悪くないよ~(´∇`)』って。
将来就く職業によっては、寧ろ寄り道して閃いたアイデアが欲しいってところもありますし。
数年前に文科省の改革方針?に関連して、今後の学生育成方針が職場の教職員に示されたのですが、そのキーワードの中に『セレンディピティ』がありました。『それ鍛えなくてもADHD的な人は既に装備済みですから~!』って、つっこみたくなったのを思いだしました。
なので、脳の寄り道できる能力(敢えてポジティブに!)は否定的に捉える必要はないです(´∇`)。 (3-2)に続きます。
(3-2)続きです
返信削除話は変わりますが…もし思考の寄り道を減らしたいのであれば、「5週間でワーキングメモリ―を鍛える」と言うトレーニングを本気でやってみる、と言う手もあります。
私の個人的な体験談なので誰にでも当てはまるものではありませんが…1事例としてご参考までに。
昔読んだディスレクシアに関する書籍にこのトレーニングのことが紹介されていまして、5年ほど前に本気で取り組みました。
何かに取りつかれたように週1回コーチのお姉さんに励まされながら5週間やり切りました(どの程度本気で取り組んだかと言いますと、ASD,ADHD的こだわり感、過集中に突き動かされ、やっていると頭が部分的に熱くなり、頭痛や吐き気が出るほどのレベルで取り組んでいました。途中で投げ出したくなることもありましたが、数日後にコーチのお姉さんと電話で話さなければならないかと思うと、やらずにはいられませんでした(^_^;)ASD的生真面目さの影響?)。
結果、思考の寄り道が減りました(他にも顔識別ができるようになった、等色々とプラスの効果がありました)
体感としては、私は決断できない時は色々なケースが思い浮かんでしまい、思考が寄り道している(決断できない)気がするのですが、トレーニング後は最適では無いかもしれないけれど、ベターな解をスムーズに選択できるようになっていたような気がします。今までの人生で体験したことがないくらい色々とスムーズに日々過ごせて驚きました。例えば、普通に淡々と片づけが最後までできてしまうとか…(^^;
(3-3)に続きます。
(3-3)続きです。
返信削除ただ、何というか、日々の迷いや迷走は減ったけれど、実は、日々の楽しさと言うか充実感も半減、みたいな感覚はありました。それは、ふとアイデアを思いついて、つい妄想してしまう楽しい時間が減ったとか、ある意味ギリギリ追い詰められてから取り組んで驚異的な集中力で成し遂げた時のアドレナリン出まくりの達成感的な場面がなくなったからかな~と今思うと感じます(^_^;)(←日々の事が問題なく進むのであれば、この無理やりな達成感は無くても良い気がしますが…)
私の実体験ではこのトレーニングは、かなりの負荷をかけながら(イメージとしては、毎回トレーニングに120%の力を出し切っていた感じです)取り組むことができるのであれば、ワーキングメモリの上昇には効果があるのでは、と思います(漫然と取り組んでもあまり効果が無いような気がします。)。
そして、後日談としましては、今は色々な意味でトレーニング実施前に戻っています(脳の寄り道しまくりです。顔区別がつきません。忘れ物、うっかり多発です...(ToT))
ワーキングメモリ―は本気でやれば5週間で上昇します(脳の別経路開発?)が、その後もペースを落としてでもある程度継続しないと元に戻るようです(筋トレと同じ?)
結局元に戻るならやるだけ無駄、と感じるかもしれませんが、私はもうかなりの大人(と言うか中高年)なのでこの結果でしたが、若い時に取り組んだら定着するのかも??なのでしょうか?(この辺はちょっと分かりません。すみません。)
こんな自分の経験から、(その4)の記事は体感的に納得でした(^^;
脳の可塑性はあるよね。と、脳の機能はバーターだよね。のところが。
それが良い、悪い、ではなくて、やっぱりそういうものだったんだ!と分かって、何となく嬉しかったです( *´艸`)
あぁ、まとまらない長文にてすみません。
もじこさん、メールに書いたことをどこまで書いて良いのか分からず、若干編集しましたが、もしここは消した方が良いと思う部分がありましたら遠慮なく編集して下さいね。
今後もブログ楽しみにしております!