2019-11-10

IDA@ポートランド、その2(音韻認識の熱狂はひと段落、IDAのディスレクシアの定義は要改定、ディスレクシアが英語を学ぶこと2)

IDAの3日目が終わりました!


はじめに、ポートランドは安全そうな感じで書いたことを、訂正しておきます(- -;)
生徒に頼まれたおみやげを買いにホテル向かいの地元の食料雑貨店に入ったら、脱法ドラッグ(?!)を売っているし、暗くなれば物乞いはいますし、路上に布団敷いて寝ているホームレスもいます。いたたまれなくなるような貧困がこの町にもあります・・・

でも、すてきなエコシティ☆の側面もあります。
会議場との往復は、2駅ですが路面電車を使ってます。中央線並みの本数があります。



この路面電車には自転車でも乗れて、車内には自転車を立てかけるラックがあります。

また、スケートボードで公道を走ることが、認められているそうです。
男子高校生くらいの集団が、電動スケボー?のような不思議な乗り物で追い抜いていきました(@@)


IDAに、2日間参加した感想です。

「音韻認識の熱狂」はひと段落
一昨年は、「レターボックス」の講演がとにかく衝撃的で→
昨年は、音韻認識をどう教えるかの発表がたくさんありました。
今年はこれら2つの話題は、参加者の間では完全消化されているようで、
新たな発見や教授法をめぐる熱狂は、ひと段落した感があります。

「レターボックス」はVWFA(Visual Word Form Area)として
いろんな人のスライドに既知のものとして登場してましたし、
音韻認識も場内は「教えてますっ!」という雰囲気でした。

 #音韻認識とは:
 ・phonological awareness, phonemic awarenessの訳。
 人によって2つの用語の定義は、微妙に違うらしい。
 「自分はphonemic(phonological awareness)と呼びたい」と断る人も。

 ・とはいえ、大まかな定義は、
 英語の音ストリームを聞いて、英語の音素に分解する能力のこと。

 (1つの単語を聞いて
 「3つのオトから出来てます」
 「最初の音は/d/、2番目の音は/o/、3番目の音は/g/」と指摘できる。
 さらには、最初と最後の音を交換したら何という語になるか言えたり、
 最後の音を/t/に変えたら何という語になるかが言える。
 このとき、字を介在させないのがポイント。

 ・ディスレクシアだと文字を教える前から、音韻認識の弱さがみられる
 (※これについては、日本語では注意が必要と言っておきます)

 ・音韻認識力は、その後の読字能力を予見するとされる

 ・ディスレクシア的には、音韻認識はスクリーニングにも使えるし、
  明示的に教えることも可能。というか長期的な訓練が必要

もじこ塾にとって、音韻認識をどう教えるかはこの1年、大きなテーマでした。
1年かけてさまざまな生徒の反応を見ながら、持ち帰った教材にかなり改変を加え、日本の中高生向けにアレンジしてきました。

今回、IDAでの発表や物販を見て、どうやらこの1年、もじこ塾で進めてきたことは、間違っていないらしいと分かりました。
それに、音韻認識を訓練すると脳のリソースに余裕ができることも、身をもって実感しました。

これから、この方法を頑張って公開してまいります!


「ディスレクシアなら、外国語として英語を学ぶほうが、ネイティブのディスレクシアより読字能力は高くなる」!

1日目に暗い内容を書きましたが、それを覆すような発表を聞きました!

「バイリンガルであることは、ディスレクシアにとって良い面がある」
(Bilingualism can be good for dyslexics)
「ディスレクシアであることは、英語を学ぶにあたりアドバンテージかもしれない」

一見驚きですが、聞いてみると納得の内容でした。

カナダ・トロントでの大規模な長期調査。
控えるのを忘れましたが、何千人という児童が対象だったと思います。

移民とそうでない幼稚園児に、簡単なスクリーニングを行い、ディスレクシアと定型児に分けた。
(幼稚園の先生ができるようなスクリーニングを開発したそうです。)

この子供たちに、1年生の時から教室で(取り出さずに)介入を行い、7年生で再び調査を行った。

すると、ディスレクシアについては、移民の子のほうが、英語ネイティブの子と比べ、特にディスレクシア特有の困難にまつわる項目の成績で上回った(!!)。
語の特定、文法はもとより、音素/音節削除とスペリングに至っては移民の子のほうがはるかに高かった。
(ちなみに、定型の場合、移民と母語話者では差がなかったそう)

これをそのまま、"日本のディスレクシアのほうが、カナダやアメリカのディスレクシアよりもスペリングの成績が良い"とまでは翻訳できませんが、でも、とても興味深い結果です。

理由としては、
・英語よりも複雑な言語を第一言語としているから。
例えば中国系移民の子は、漢字も学んでいる。漢字はアルファベットよりもはるかに視覚的に複雑。漢字を知っていれば、視覚的記憶が刺激されているはず。
(今回、いくつかの発表で、漢字への言及がありました)

・文法や音韻体系が異なる言語にさらされることで、言葉というものへの意識が高まっていると考えられる

注意点
・第一言語もしっかり学ぶことが前提。
親が話しかけるだけでは不十分で、教育を受ける必要がある。
(ただし、姉による年下のきょうだいへの学校ごっこが効果的だったケースも)

・ディスレクシアを念頭においた学校での指導は、質の高いものである必要がある。

日本のディスレクシアも、正しい方法でやれば英語を諦める必要はない。
頑張ろう!と思える調査結果です。

#今年の新たな傾向として、
「ディスレクシアが英語を外国語として学んだら」
への言及が、増えている気がします。
うお。IDAのほうから、もじこ塾に歩み寄ってくれるとは想定外(゚Д゚)


「IDAのディスレクシアの定義は改定が必要」
「ディスレクシアの定義に関するコンセンサス」
というタイトルの発表に、途中から行きました。

最初に、現行の文言の起草者が登壇したそうです。
そこを聞き逃したのは痛恨の極み・・・でも十分に面白い内容でした。

・言語の正書法(orthography)の認知的要求により、学習者の困難は変わる。
IDAの定義は英語に偏っているので、他の書記体系のディスレクシアの特徴も徐々に含めていくべき。

・ディスレクシアの困難は、音韻認識の不足(phonological deficit)とは限らない。
ディスレクシアの原因を1つに帰着させようとするのは誤り。
単語を読むことの困難にリンクするプロフィールはさまざまであり、語レベルの読み問題の識別に音韻認識の不足を必須としてはならない。

ほほ~!
1日目に会場が唱和できた「ディスレクシアは視覚処理の困難ではない」
を、起草者グループが否定しているとは!

昨年の宇野先生の苦言→に、IDAがようやく追いついたとも言えます。

日本のディスレクシアの相当数は、漢字で大変な思いをしています。
こういう人たちは、視覚処理が関係しているディスレクシアだと言えます。
この人たちの存在が、否定されなくてよかったです。

参考:IDAによるディスレクシアの定義の和訳。
発達性ディスレクシア研究会サイトから転載→
「Dyslexiaは、神経生物学的原因に起因する特異的学習障害である。その特徴は、正確かつ(または)流暢な単語認識の困難さであり、綴りや文字記号音声化の拙劣さである。こうした困難さは、典型的には、言語の音韻的要素の障害によるものであり、しばしば他の認知能力からは予測できないものであり、また、通常の授業も効果的ではない。二次的には、結果的に読解や読む機会が少なくなるという問題が生じ、それは語彙の発達や背景となる知識の増大を妨げるものとなり得る(2003)。



おまけ
なぜIDAにはアジア系の人がいないのか??
IDAでは、アジア系の人がとにかくいません。
今年も、部屋にいる黄色人種は自分だけ、ということがたくさんありました。
空港でも町でもそこまでではないので、個人的には異様な感じがします。

まだ答えは出ていないのですが、もしかしたらこれは論文が書けるくらい根深い、人種観にまつわる問題なのかもしれません。

黒人と白人の人種格差の話は、IDAではよく出ます。
参加者が感極まる話題です。

今回も開会の全体セッションで、登壇者が
「黒人でディスレクシアだと特定される生徒は白人よりもはるかに少ない。
ディスレクシア用訓練をアウトソーシングするのは高額で、黒人やヒスパニックには手が届かない」と訴えてましたし、
「ディスレクシアかどうかの判断を、肌の色が邪魔してはならない」
と涙ながらに訴えていた発表者もいました。

が・・・アジア系は話題にも出ないのです。

白人と同じ扱いなのでしょうか?
(優秀なアジア人は、個人ベースで、名誉白人的な扱いを受けているかもしれません)

アジア系の教師は少ないのでしょうか?
(いや、そんなはずはない気がします。)

あるいは、アジア系はディスレクシア教育界には入ってこないのでしょうか?

もしそうなら、ディスレクシア教育業界に関わることは、どんな社会的意味があるのでしょうか・・・日本でそうするのとは、まったく意味が違うのかもしれません。

今回、ずっと考えていることのひとつです。

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