ディスレクシア専用英語塾「もじこ塾」のブログです。 ●ディスレクシアとは:知能は普通だが、読み書きが苦手(読み間違いが多い、読むのが遅い、書き間違いが多い、読むと疲れやすい)という脳の特性 ●全体像の把握、物事の関係性・ストーリーの把握、空間把握、ifを考えるシミュレーション能力に長ける ●読み書きの困難は、日本語より英語に出やすい ●適切に対処すれば、読みの問題は表面上は克服される ●10人に1人程度いるというのが通説 ●家族性とされるが、ディスレクシアの表れ方は個人差が大きい もじこ塾は、ディスレクシアはこれからの社会に不可欠な才能、でも日々の学習では普通と違うアプローチが必要、という立場です。

2015-01-18

[追記つき]多言語環境に暮らすディスレクシア親子より(1)「一つ一つの事象が立方体の箱のような感覚」

たいへん間があきまして申し訳ありません。。。
ようやくここに戻ってくることができました。

数日前、オーストラリア在住のSuiさんという方から、大変に読み応えのある当事者の告白を頂きましたので、ご了解を得て、数回に分けて紹介します。

[15/02/27 追記]
Suiさんからの要望により、紹介させて頂いたメールを削除するか要点のみ記しました。
私のコメントだけを残してあります。

☆  ☆  ☆

(漢字の書き取りは不得意だったが、化学や数式、解剖学など全てを立体に見る事ができる
文字とイマジネーションが強く結び付いている)

→字を読んでいると味がする!これは共感覚ですね。
言語の起源に「共感覚」をあげる説があるようです。以下、ちょっと難しい話になりますが…
太古の人類において、音と意味が他の感覚よりも強く結びついたから、ヒトは音声言語を進化させた(「音響信号から話者性をそぎ落とすと音⇔意味のシナプス結合が否応なく起こるようになる」ことが立証できれば、言語の起源を化学的に(シナプス結合というケミカルな方法で)説明できるはずだ
[by峯松信明先生])、
さらには、音を聞くと特定の絵(のちの文字)が浮かぶ共感覚が他の共感覚よりも強く結びついたから、ヒトは文字言語を進化させた、と妄想できるわけです。
香りと記憶(意味)が強く結びついていることは知られていますが、それ以外にも、ある感覚と別の感覚との結びつき、つまり共感覚には、いろんな組み合わせがあります(音と味とか、音と色とか←実は私、これがちょっとあります)
ディスレクシアは、音と字の共感覚を、普通の人ほど持っていない人とも言えるわけですね。
その分、別の共感覚を持っているのかもしれませんよね。

(一つひとつの事象が立方体のように知覚される)

→箱を自由自在に取り出して回す・・・「数学の問題で、頭の中で正八面体を回すことも止めることもできる、止めないと式が書けないので止めたけど」と話してくれた生徒のことを思い出しました→。「すべてが立体に見える」の意味するところはそれにとどまらず、すべてに及ぶのですね!

「長い文のほうが短い文よりも理解出来る」は、大学受験生はもちろん(4択の設問文より本文のほうが読むのが楽)、小6の子からも最近感じるようになりました。立方体を作る材料(文脈)を使って立方体の一面(細部)を理解しているということなのでしょうね。


(削除)

→これもよく分かります。ディスレクシアの子は概して、抜群に空気が読めるようです。これも一種の共感覚とも言えそうですね。

空気が読めることがその子の人格にどういう影を落とし、どんな行動になって表れるかは、さまざまであるように思います。
うちの家庭教師君は大学入学時には「僕が我慢することですべてが丸く収まるならそうしましょう」という人格になっていて、非常に温和なのですが見ていてかわいそうなくらい不満を出さない、抱え込んでしまう子になっていました()。そんな彼もかわいい彼女が出来てから、ずいぶん不満を出せるようになりました(彼は親に自分がディスレクシアだと言っていません)。
自分の特性”について話せる人、受け入れてくれる人を持つことは、ディスレクシア的に非常に大事だと感じます。

(物語を小さなに分けるのをイメージして、「そして」「しかし」「何故ならば」といった箱と箱を繋げるの役割を理解したら、読解は簡単になった)

→「箱をつなげる糊」という比喩からしてとてもディスレクシア的です!
ディスレクシアは「糊」(つなぎ言葉)が、少なくとも設問としては苦手なようです。文意というものを、もっと直観的に理解しているのかもしれません。本質が見えてしまうので、論理的にものを述べるのが面倒(または、どこから手を付けていいか分からない)なようにも見えます。
そこをこらえてもらい、「他人にわかるように物を述べるには、『しかし』や『よって』を正しく使えるといいよ」と辛抱強く説得すると、だんだん要領をつかんでくるようです。
「糊」の理解力については、学会でも言われているように、小5と小6の間に読解力の転換があるように思います→。さらに、ディスレクシアの有無にかかわらず、数学で証明問題がある程度出てきた後(2あたり)に次のステップアップがあると感じます。
大学受験生の年頃になると、ディスレクシアでもそれなりに「糊」を理解できるようになります。

(続く)


23 件のコメント:

  1. 事象や文章を立体化するなんて思いもよばない発想でした。
    「箱と糊」というのも、いわれてみると心当たりが。

    うちの息子(小6)は「相手の気持ちが読めない」面はディスレクシアとはまた違う?と思ってました。
    彼は相手の自分に対する「好き嫌い」を感覚的に(動物的というか・・)察して、それに対してストレートな態度をとってしまう感じです。心理士さんに「相手の自分に対する感情を、鏡のように跳ね返す」と言われたこともあります。
    それも1種の「空気を読む」なのかなと、ふと思いました。
    悪い方をストレートに跳ね返すとことで(相手は表に出していないのに)、まわりから誤解されたり、疎まれたりすることが多いです。
    クラスの男子に仲間はずれにされているせいか、ここにきて、息子自身もストレートに跳ね返すことを抑えるようになりましたが・・(反面ストレスも心配)

    今は「枠にはまらない子どもを好意的に見てくれる大人」にかわいがってもらうことが多く、子供の友達より、大人の友達が多いです・・・(親の知らない大人の釣り仲間と、週末は過ごしていたり)

    我が家の息子も、論理的・抽象的な世界が急激に増える世界が目の前なので、「立体化」「箱」「糊」などに、とても興味あります!

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  2. ちゅら海さん
    こんにちは。「動物的」という言葉に反応しまくりです。
    空気を読んでいる上で、読まない振る舞い
    (言わないとならない部分は自分を出す)ことも
    しますので、大人の私であっても、
    同じ現場にいた人・いない人で反応が違い誤解が多いです
    (現場では「よく言ってくれた」と好反応なのに、
    現場にいない第三者から見たら「それはどうなんだ‥」
    空気読めよ。と苦い顔でたしなめられたりとか…)

    敢えて反感を買う形になりがち。息子さんもおそらく
    それ以上の見たい景色を見ているからこそ
    (周囲からみて)危ない橋を好んで渡る姿に
    見えるのでしょう。

    学校は独特で行かなければならない仕組みなので、
    仕方がないと思うのですが、別でも開放感を得られる
    場所(趣味・別の習い事やいろいろ)があれば
    鬱屈に陥らず気持ちはトントンかなぁ…と
    ぼんやり思っています。

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  3. 「空気を読んでいる上で、読まない振る舞い」
    「それ以上のみたい景色を見ているからこそ、危ない橋を好んでわたる」

    笠野紺さんのコメント、目から鱗でした・・!
    私自身が不思議でモヤモヤしていたことが、晴れてきた感じです。
    息子への理解を深められそうです・・・
    ありがとうございます!

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    1. すみません補足です。
      「抱く気持ちのオウム返し」のときなどで、例えば、好意を抱いている相手の言葉なら、耳の痛い忠告や注意などもしっかりと聞く(理解しようとしている)のなら、きっとだいじょうぶです。

      これは私事ですが、感情的になると吃りが発生していた頃があってストレスを貯めこみやすく、内心違うと思ってても言われっぱなし状態でした。同時にそれは「口答えも(物理的?に出来ないので)しない」とも言えますんで、大人から「いい子」だと思われてましたし「言って後悔する」経験は少なく、冷静さを強く意識する経緯な気がします。
      反抗をみせたしばらく後とか、落ち着いたときに気持ちを確認したり、労ってあげたりするのは良いのかもしれません。
      あと、お母さん方自身のことも労ってあげてくださいませ。ここが当事者っぽい者として一番言いたいこと。
      空気が抜群に読める子というのは、家族の雰囲気も幼い頃からよくわかっているはずで、家族の雰囲気はたぶん人の想像よりも強くはっきりと、彼らに伝播しています。ご自身の息抜きも娯楽もしっかりと楽しんでこそだと思ってます。

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  4. 有意義な会話が繰り広げられて実に嬉しいです(^^)

    紺さん(T T)周囲から相当ひどく誤解された過去があるようなのに、母的立場を気遣えるなんて(ノTДT)ノ どれだけ多くのことを乗り越えてきたのでしょう。。

    動物的。わかります~
    少しずれますが、うちのやつはとっさの身のこなしが妙にうまいです。自分がどこにものを置いたかは忘れ、微細運動は不器用気味ですが。こう書いてみるとほんと動物みたいですね(笑)
    その名も『動物感覚』という本があります。自閉症の人は動物の気持ちが分かる、と語る当事者(動物学者)による本です。探し出してまた報告しますね~

    (現場では「よく言ってくれた」と好反応なのに、
    現場にいない第三者から見たら「それはどうなんだ‥」
    空気読めよ。と苦い顔でたしなめられたりとか…)
    ↑まさにこういうディスレクシアを知っています!
    「自分は火中の栗を拾う男だ」と自称しています(80歳、言語学者)
    この人を見ていると、得意を極めることで愛されキャラになることがサバイバルの道だと感じます。

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  5. はじめてこちらにお邪魔したときは、救いを求めていた気持ちでしたが、最近は自分を広げるために楽しみに訪れています。

    みなさんの紡ぐ言葉がすばらしくて・・・息子を理解する参考にもなっています。

    得意を極める。そうですね。
    実は、中学進学に向けて、明日は発達検査・来週は診察・来月は中学での支援員要請手続きをすることになりました。
    (現担任はそこまで困った感は感じないようですが、協力してくれています)
    不得意をバックアップするために・・と、関係者は思っていると思いますが、私は診察までの間に、得意分野の発掘のきっかけも期待しているので、決心できました。
    息子自身とも話し合い、彼が最終的に決めましたが・・(支援員のことは知りません。支援員はクラスにつくという形なので・・)
    それでも、後ろ向きな感情もあると思うので、ここでいただいたコメントや考察も私の引き出しにしまって、彼が前向きになるよう励ましたり、彼の得意分野を伸ばしていける環境づくりの手伝いで活用させてもらおうと思っています!

    学校で思いを口で表現できずに癇癪を起こす彼の姿に、前の担任や同級生の母たちに「いずれ、人を刺すようになる」といわれ、心がつぶれそうなときもありました。息子を信じきれない自分もいました。暗い顔をしていたと思います・・

    でも、最近は自分を受け入れてくれる環境を、うまく見つけてくるようになった息子の成長を見て、「大丈夫!」と思えます。
    私ができることは、彼にたくさん笑顔を見せることや、信じてあげることかな・・とも思います

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    1. ・゜・(゜`Д´゜)・゜・人を刺しそうに見えるくらい追い詰めた奴は誰なんだと言いたい!!

      診断受けるんですね。親の腹が据われば、それだけでお子さんもかなり落ち着くと思います!

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  6. 「ありのままを見てほしい」というのを以前コメントで書いたことがありますが、家族の様子も手にとるようにわかると「自分のために苦労している」こともわかるのです(私は高校の誤診の頃からずっとそうです)
    家族が気を使っているのを知って余計に心配かけまいと遠慮をする、そういうスパイラルになっていて「うるさいなぁ。ほっといてよ!」と、なっていました。
    家族にも普通にいてほしい、という意味も大きいと思います。私は母とは感覚で分かり合えない(父親のほうが共感できそうな部分が大きいため)ようなので、思春期の私には、父も接し方が分からず?母に任せきりだったのもあり(いろいろとやらかしたのもあり)本当にどうしようもないほどの心配をかけてしまいました。私も自分を痛めつけるという行動を見せつける形で、不満を表してしまったので。母とはディスレクシアの話題はできないなぁと思っていますし(兄弟からは)母を責めてるように見られてたし、私もそう思えてならず、今はやめてます。
    家族もなんとなく(適度に)距離を置いてくれてるので、自宅でも居場所があるなぁと思えるようになってます。自室の扉を少し開け、パソコンやってるとか、自分の姿をチラ見せするくらいしか私にはできないのですが、私も家族に元気でいて欲しいですからね。過去のことは、自分が変わった思考をしている側だと確信できてから、驚くほどに怒りも憤りも消え失せて、変にカッカせずに付き合えるようになりました。

    ちゅら海さん、たいへんでしたね…!読んでて泣きそうになりました。一人で心にしまうにはあまりにも大きすぎるし、こうやって言葉に出すにも勇気のいることだったのでは、と。出してくれてありがとうございます。ってのは変かな?と思いつつ、敢えて。

    他の方にもコメントしたいのですが、済ませることを済ませてからに…!うずうずしてます。
    もじこさんの記事に、わくわくが止まらない日々です。

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    1. 親子といえどもディスレクシアについて理解できるかはまちまちですよね。。うちは夫がディスレクシアを理解してないのですが、子はすでに「パパにいかにディスレクシア的側面を見せないか」の術を身に着けてます。ディスレクシア児のほうが非ディスレクシアな大人の出方を読めちゃうんですよね。
      こちらこそ、いろいろ話したいのですがまとまらずすみません、、

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  7. もじこさん
    とても参考になる意見ありがとうございます。自分の意見に対するもじこさんの考察とても興味深いです。

    実は小学校の担任にほぼ毎日叩かれていました。理由は左手を使うから、努力をせずに怠けているという事でした。親には恥ずかしくて言えませんでした。
    後から母に聞いた所、先生自身幼い頃に左利きで苦労したそうで私が苦労しないように右利きに矯正したいとお話があり母がきっぱりと断っていたそうです。
    そこから先に成長しても教師の中では意見が真っ二つに分かれ、よく声を掛け可愛がってくれた理数系の先生方とは色々な議論をさせて頂いたり、もしくは英語の先生方には怠け者として厄介者扱いをされていました。

    もじこさんの優しい文字をを見ながら新たな発見をしたりしているととても心が慰められます。
    幼い頃の記憶を引っ張り出した所為で文が全体的にまとまりがないですが申し訳ありません。

    本当にありがとうございました

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    1. Suiさん
      本人登場!歓迎光臨です!
      こちらこそ、ディスレクシア感覚の第一級の告白を、本当にありがとうございます。
      Dyslexic Advantageなどのあまたの英語文献を含め、ここまですごいと思わせるのは、ちょっと読んだことがない気がします。suiさんの早熟な客観化能力から生まれた観察なのですね。


      >左手を使うから、努力をせずに怠けている
      「俺は怒ったぞーーー!」という言葉が思わず浮かびましたよ!
      左利きを抑圧する奴は許さん!
      実はSuiさんと同じことを私も経験してたことを思い出しました。小6の時の担任だった底意地の悪い女教師に定規で叩かれながら「左利きを治さないとお嫁に行けないわよ」と言われたことを(1回だけですが。毎日だなんて本当にひどすぎます)
      結婚するとき、その女教師のことを思い出して勝ち誇った気分になりました(笑)
      しかも、その女教師も実は左利きを矯正された過去があったのです。右手でお手本のように整った字を書いていたので、相当厳しい矯正だったのでしょう。生きてたら75歳近いはずです。

      そこから考えるに、「今の成功した自分はあのスパルタ[≒虐待]体験があったから」と抑圧式教育を美化して、それを「自分も通った道なのだから」という理由で次の世代に対してくり返すのは、百害あって一利なしということですね。グローバル基準で考えるとあり得ないです。
      日本の教育現場ではそういう発想がまだまだ多いんですけど。。。

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  8. 度々申し訳ありません。
    立体に見えているとは思いもよらなかったというお言葉を受けて、皆様に教えて頂きたいのですが『普通』の思考とはどんな感じなのですか?具体的に教えて頂けると助かります。

    私にとっては抽象的な物を言葉へと変換することがとても不得意で、自分の感情という一番形にするのが難しい事柄はあえて無意識のうちに文を形成していく中で省いてしまいます。
    抽象的な物の考えが不得意なのではなく全てが視覚に頼った世界の為にあえて経験の中から見つけた言葉という名前を付ける事によって具現化しそれを文や言葉として紡ぎ出すといった作業を常に行っているようです。
    気が付いている方が多いと思いますが自分の事なのに〜のようですと表現をしてしまうのも自分のという人間の思考でさえ1つの立体であると見て考察をしないと言葉へと変換出来なからだと思います。

    そこで皆様に質問です。立体として捉えていないといった世界はどの様に感じたり、考えたり、本を読んで理解をしたりしているのでしょうか?
    ディスレキシアについて書かれ議論が行われている物は目にする事が出来るのですが私の様なディスレキシアから見て何が決定的に違うのか書いている物が一切見つからないのですが、
    どなたか助けて頂けると嬉しいです。よろしくお願いします

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  9. ものごとが立体的に見えない、ふつうの人です(笑) Suiさんのご質問にSuiさんが納得できる形でお答えする能力は自分にはないと承知していますが……誰かが叩き台にならないと、ですね。

    わたしはディスレクシアではなく、右利きで、数Ⅰにはなんとかついていったけど三角関数で挫折した典型的な文系人間です。サイン・コサイン・タンジェントってものに例えたらなんですか? と数学の先生に何度も質問し、「あんた本当に抽象的思考ができないね」と苦笑されたものです。たしかに、本も小説ばかり読んでいました。

    Suiさんは勉強しなくても理数系が得意だった(うらやましい!)、ただし言葉による論理思考(〇〇は△△、△△は□□、よって〇〇は□□)ではなく、〇〇=△△=□□という全体を鳥の目で俯瞰するように理解し、それを苦心して不自由な言葉に落としこんできた、ということでしょうか。(稚拙なたとえですみません。まったくピント外れだったらさらに申し訳ありません)

    凡人のわたしは頭のなかで自分の視点を変えることはできないし、いちごのショートケーキも見えません。多面体の展開図の問題も苦手でした。常に自分の唯一の立ち位置からものごとを「感じて」います。考えるのは今のようにものを書くか、人としゃべるか、頭のなかでぶつぶつとつぶやくとき。言葉がないと考えられない、自分の持っている言葉以上の思考ができない、それがいわゆるふつうの人だと思うのです。

    ただ、ふつうの人でも経験を積むうちに理屈はさておき「とにかくわかってしまう」ということが増えていくと思います。それまでの人生で蓄積された言葉(意味)が直観に昇華し、Suiさん的な理解に近づくみたいな。

    あと、たとえば外国語を修得するとか、日本と海外、都会と田舎というように異なる文化に身を置いて価値を相対化させることで、ものごとを立体的とまではいかずとも、ある程度は多面的に理解できるようになると思います。

    凡人はそんなふうに、賢くなるのに時間がかかる……だから人類はディスレクシアを必要としているのでは(^o^)

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  10. 自分はディスレクシアだと思っている人間です(ディスレクシアの診断は受けていませんがウェイスでは有意差有りの凸凹持ち。視覚優位)私の家族には非ディスレクシアっぽい人ばかりっぽいので、彼らとのすれ違いで多いのは、私にとって、言うまでもない理屈(言語外のことから把握する具体的なことや、物事が多面的であるという私の中の暗黙の常識)が通用しないことです。

    >全てが視界に頼った世界のために〜言葉として紡ぎだす作業〜

    普通の思考、とは多分この文章での「視界に頼る(多面的)」が「言葉(平面)に頼る」になっているのだと思います。本から、文字からいろいろを考えているのだと。言葉につまづきもなく使えているようですし、知ること見ることが、言葉からできる。文章から立体的な景色を感じとることはできるかもしれません。
    「抽象的なものを言葉にする」場合、その人の中の知っている語彙を使う感じだろうし苦労の大差はないと思います。「立体なものや感情を言葉に直す」苦労も、私も彼らも同じようにあると思っています。
    ただ言葉から物事を考えてる彼らの場合は、言葉への知識や経験の影響がより大きい気がします。

    表現が、毎回が同じような語彙・言い回しだったり、言いたいこと伝えたいことの意欲や正確に伝わることよりも、言葉そのものの効果(言葉の強さとか意味、使われ方)に気を取られたり、そういったことに現れると思ってます。

    顔の表情で「かわいい」がありますが、いろんな種類があるはずで、憎めないかわいさなのか、些細な悪戯をした様子なのか、小さい動物のことを言うのか…など。

    でもまぁ全部「かわいい」と言えてしまうしそれでいい。それでもう気が済んでいく。これが普通の思考の動きで多いことだと思います。

    私が「かわいい」を文字表現するときは、大抵は文章が長くなるのですが正確に伝えたいので長くても文字に起こしますし、それで満足したい質です。

    …雑多に書いてしまいました。話題の焦点からずれていたら、すみません。

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    1. >普通の思考、とは多分この文章での「視界に頼る(多面的)」が「言葉(平面)に頼る」になっているのだと思います。本から、文字からいろいろを考えているのだと。言葉につまづきもなく使えているようですし、知ること見ることが、言葉からできる。文章から立体的な景色を感じとることはできるかもしれません。
      「抽象的なものを言葉にする」場合、その人の中の知っている語彙を使う感じだろうし苦労の大差はないと思います。「立体なものや感情を言葉に直す」苦労も、私も彼らも同じようにあると思っています。
      ただ言葉から物事を考えてる彼らの場合は、言葉への知識や経験の影響がより大きい気がします。

      そう、まさにそういうことだと思います。ありがとうございます、紺さん!(前回コメントでお名前を間違えてしまって大変失礼しましたm(__)m)
       
      非ディスレクシアも映像や音楽など、言葉を介さない方法で世界を感じています。
      ただ、過去の自分の経験(言葉による意味理解)がどのくらいあるかによって、感じられる深さが違ってくるだろうと思います。

      非ディスレクシアにとっても、自分の感情を言葉で表現するのは至難だと思います。
      自分の感情を吐き出したいとき、わたしはピアノの前に座って心の赴くままに気が済むまで自由に弾きます。
      文章を書くよりずっと自分を解き放てます。。。


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    2. 言葉が足らなかったようで上手く伝わってないと思いますが、私にも人にとって感情を言葉で上手く表現するのが難しいというのは理解出来ています。そうでなければ争いなど起こるわけがありませんよね。
      私が言いたいのは表現方法が分からないのでは無く、感情などの自分の内側から文字にしようとすると言葉に吃り始めて一度でも吃ると途端に他の事柄についてまで言葉が出なくなる為に意識的にも無意識の内にも避けてしまう傾向があるのです。
      表現したい事が分からない訳でも語彙が足りなくてという訳でも無いのですが、自分の感情という分野でのみ言葉がプッツリと途切れてしまうと言えば分かり易いでしょうか?

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  11. お二人ともありがとうございます!
    感覚的に理解は出来ませんが理屈は分かった気がします。言葉として考えるとは言葉の音に頼った思考という事ですか?それとも文章化した物が浮かぶのでしょうか?
    てぷさんは本を読むのが好きとありますが、(私自身も学生時代より読書が好きでした)本を読む時に一度文字を音として直して、それを元に頭の中で映像として想像するという事でしょうか?それとも音のみで内容が分かるのですか?
    その場合漢字の読み方が分からない場合どういった対処を取られるのですか?

    もじこさんの考察を元に見つめ直してみると文字に味や色が付いているのは共感覚とは少し違う気がします。私の場合は文字をイマジネーションへと変える訓練をしているうちに身に付けた物による反射作用とでも言うのでしょうか?言葉による連想ゲームの延長線上にあるといった方が近いのだと思います。なので私に限った事ではなく誰にでも出来る事だと思います。
    それと同じで全てを立体として見るのもイマジネーションを伴う訓練次第で誰でも出来る事だと思います。


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    1. Suiさん、少しでもなるほどと思っていただけたら嬉しいです。
      文字を音に変換すること、それがわたしにとっての「読む」です。音に変換することで意味が想起されます。その結果として映像が浮かぶことはあります。映像が浮かぶのはあくまでも理解した結果です。
      漢字の読み方がわからないとき……字面から意味を推測する、前後のつながりから推測する、でしょうか。

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  12. 非ディスレクシアの方の声がお聞きしたいだろうと思いつつ、再度コメント失礼します。
    時々感じる「言葉の限界」感に近いのかなぁ…と思ってます。>自分の内側から文字にしようとすると言葉に吃る
    私の「正確に言いたい欲」を大事にすると言葉には頼れません(文字ばかり増えていく。簡潔な文章は、自分が短い文章に弱いのでどうしても伝え抜けに見えてきて、圧縮(推敲)に苦労する気がして。経験の少なさかも知れませんが)
    そのためか、私は子供の頃から「漫画が一番言いやすい」と独り言でよく言ってました。
    言葉で「足りない」が普通の方に感じ得るものか私にはわかりませんが、立体思考・映像思考の特性を持った方には身近な感想だろうな、と思っています。

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  13. てぷさん
    とても良く分かり易いです!本を読むのはラジオを聴いたり、人の話を聞いて理解するのと同じなのですね。
    私が頭の中で行ってる作業はきっとてぷさんが漢字が読めない時に行ってる事と似ています。音として読めないので力技で文字と映像を直接回線を繋いで理解しているのだと思います。
    言葉を音にする・・ 百人一首やシェークスピアなどの音に焦点を当てて大事にして書かれた物を読むと綺麗な音楽を聴いた様に読めるなんて素敵ですね!! 視覚からも音が奏でる世界体験してみたいです! 今度、とても苦手ですが音読をして本を読み込んでみたいです。
    この事を踏まえて考えてみると、英語とはとても言葉の持つ音を重要視しており、漢字とは視覚からの情報を重要視して造られているのですね。漢字が出来た時代には私の様なディスレキシアが多かったと仮定を立てると素敵ですね。

    笹野紺さん
    ありがとうございます。正確に伝えたい欲・・ ちょっと理解出来た気がします。漫画が一番言いやすい、私は逆に幼い頃漫画を読み始めてから一気に文字の理解が進みました 笑

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    1. Suiさん、わたしもSuiさんの感覚を音楽にあてはめることで少しわかる気がします。
      わたしはジャズが好きで自分でもピアノを弾きますが、楽譜を見て弾くのは苦手です。小さい頃から音楽教室に通っていたので読めることは読めますが、いつまでたっても苦手意識があります。ジャズではせいぜい構成譜かコード譜しか使わないので、そこはネックになりません。なんでも聴いて覚えるし、キーを変えるときは頭のなかのコード理論で対応します。クラシック系の人は「楽譜がないのになんで弾けるんですか」と驚きます。でもわたしからしたら「あれを見てすぐに弾くなんて無理!」です。指揮者は楽譜を見ると頭のなかでオーケストラが鳴りだすんですよね。すごく憧れますけど、わたしには無理です(笑)

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  14. みなさま、目の覚めるような議論をありがとうございます!!
    ディスレクシア感覚がちょっと垣間見えた気がします。

    現在直前講習中のため、ちゃんと考えて書く時間が取れず、議論に入れないのがくやしいです。自分のブログなのに(゚∀゚)。しかしこの状態を非常にありがたく思っています。引き続きディスレクシア感覚/非ディスレクシア感覚の告白をよろしくお願いします!

    ここはひとつ言語学者に出てきてほしいと思うほどですよ。誰か見てないかな~(笑)

    suiさんの最初のメールにはまだ続きがあります。来週には出せる予定です。
    ありがとうございます!

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  15. もじこさん!もじこさんを差し置いて申し訳ありません。

    私も言語学者の方に聞きたい事が山程あります!
    本当に考えれば考えるほど漢字はディスレキシア向きの文字なんですね!
    私みたいな視覚に頼ったディスレキシアにはある事柄がきっかけにそれが呼び水となって他の記憶が簡単にまざまざと思い起こす事が出来るのですが、漢字とはその特性を本当に良く使っているなのが分かります!漢字の中にイマジネーションを喚起する呼び水が隠されているのが今なら良く見えます。そして漢字の読み方も同じ部位が使われていると同じ読みになったり、とってもディスレキシア的だと思いませんか?
    でも残念ながらディスレキシアの子供が何故漢字が習得するのが難しいのか?それは覚える順番が全く逆なのですね?
    本当は形から意味を読み取りイマジネーションと繋げて、最後に音と覚える所を普通の子供たちの様に読みを無理に習わせてそれから書かせるので頭の中が大混乱を起こさせるせいだと思いますがもじこさんはどう思いますか?

    うちの息子が正に今このパターンを踏んで漢字を覚えています。火と書ける様になったら炎へと移行して他に火がつく漢字が書ける様に。マッチの火から蝋燭へ火を点けて火が大きくなるから炎という覚え方をしてました。

    てぷさん!ありがとうございます!長年解けないパズルの最後のピースがはまりました!
    もじこさん お仕事がお忙しいと思いますが風邪など引かないように気を付けて下さいね。お時間が空きましたらもじこさんの意見を是非とも聞かせて下さい

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