on dyslexia

ディスレクシアとは:

- 知能は普通だが、読み書きが苦手(読み間違いが多い、読むのが遅い、書き間違いが多い)。
-勉強しているにもかかわらず、読み書きがなかなかできない状態を指す。知的障害ではなく、普通~ギフテッドのあらゆるIQにみられる。
-独創的で、対人能力が高い。
全体像の把握、物事の関係性・ストーリーの把握、空間把握、ifを考えるシミュレーション能力に長ける。
- 音と文字の脳内での結びつきが弱いことから起こるらしい
- 読み書きの困難は、日本語より英語に出やすい。その理由は、英語のほうが日本語よりも"音の粒"が小さいから
- 細かい聞き間違いがみられるが、音声情報の処理能力は高い場合が多い
- エピソード記憶が得意。固有名詞などの細かい丸暗記は苦手
- 適切に対処すれば、読みの問題は表面上は克服される
- 10人に1人程度いるというのが通説
- 家族性であり、遺伝による。ただしディスレクシアの表れ方は個人差が大きい

当ブログは、ディスレクシアはこれからの社会に不可欠な才能である、でも日々の学習では普通と違うアプローチが必要--という立場です。

2017年、当ブログで分かったことをもとに、東京・新宿にディスレクシア英語塾「もじこ塾」を開設。以来、このブログももじこ塾の話題が中心になっています。

2019-11-13

IDA@ポートランド,その3(PPR:反応の悪い生徒,tDCS:脳に微弱電流を流す,IDAに見られないもの)



帰国しました!昨日から授業を再開しています。
いろいろご連絡が遅れていて申し訳ありません・・・順次お返ししてまいります。

~~
「介入への反応が悪い生徒(Persistently Poor Responders:PPR)」
専用の指導をしてもなかなか伸びない生徒に関する発表がありました。
Non-respondersなど、いくつかの呼び名があるようです。

・オートン・ギリンガム(ディスレクシア専用指導)を3年行っても、効果がなかった
・週4日×2年、全230時間のプログラムもあまり効果なし
・・・など、胸が痛くなるプロフィールです。

・PPRは、音韻認識は持てるが、単語はなかなか読めない
→△音韻認識よりも、〇1つの単語をデコーディングする能力、
 さらには◎流暢性のほうが、PPRの指標になる

・ADHDの併発が少なくないが,ADHD自体はPPRの指標にはならない

・IQとは無関係。(IQと介入への反応に相関関係はない)

・PPRの脳を見ると、右脳のある部位がそうでない生徒より活性化している。
なぜそうなのかは不明。代償的なのかもしれない。

・PPRほど、訓練をしっかり受けた教師が担当する必要がある。

・記憶定着をはかるため、時間をかけて粘り強く、反復と練習を繰り返す必要がある。
訓練は、より長期的に行う必要がある。

・より明示的(explicit)な説明が必要
※別の発表で、explicitとは
「言葉で説明すること」ではなく、「手本を示すこと」だという指摘もありました。

・読む単語が難しくなるにつれ、PPRと非PPRの差は開いてしまう。でもPPRも成長はしている。how they are learningではなくwhat they are learningを見るべき(成長のスピードではなく、何ができるようになったかに注目すべき)

~~
生徒の顔が浮かぶ発表でした。もじこ塾にも何人か、フォニックスの表がなかなか覚えられない生徒や、フォニックスの表は言えても単語が読めるようにならない生徒がいます。

このような生徒は「音楽の耳」が良い気がします。ふわっと耳コピできて、発音がとても良いのですが、「読む」(デコーディング)にはなかなか至らない・・・

字を前にしたときの諦めが良すぎる印象がなくもないのですが,「こういう子たちも訓練の場に足を運んでいるということは,治療を拒絶しているわけではない」との指摘もありました。そうですよね。

日本語ネイティブとしては,PPRが英語にチャレンジするのなら、まず簡単な会話ができることを目標にすべきと思います。
また、限られたリソースを,英語よりも日本語に割いたほうがいいと個人的には思っています。日本で生きていくなら、日本語が読めることは大事です。

一方で、もじこ塾の助手にはPPRが複数いると思うのですが、助手業務に入るなかで、みな少しずつ英語ができるようになってます。
ディスレクシアであっても、英語はずっと続けていればちょっとずつのびることを体現しています。



◆tDCS:脳に微弱電流を流しながら訓練をすると、読字能力が上がる?!

立ち見がどんどん集まり、関心の高さが伺えた発表でした。
tDCSは検索すると、「経頭蓋直流電気刺激」と訳せるようです。

「左脳、耳の後ろあたりに単語の視覚認知に関係する部位がある。
ここにApple Watchの10%程度の微弱電流を流し、刺激しながら読み訓練を行うと、読字のスピードが向上するという実験結果が(読字の精度には変化はなかった)。
ニューロン活動を引き起こすには微弱すぎるはずだが、neurons that fire together wire together(同時に発火するニューロンは連結している)なので、何らかの因果関係があるのかもしれない。
何語に効くか、適した年齢、左脳に陰極をあてているので陽極をどこにあてるか(脳の別部位、肩etc)、どんな訓練とセットにするかなどを現在実験中。」


◆IDAで見られないもの

1) UDフォント
日本ではUDフォントの普及が進んでいますが、IDAではUDフォントという概念がないようです。「字と字のスペースをあければ同じ効果が得られる」という指摘も・・・視覚処理の困難には、あまり関心がないようです。
パワポでも印刷物でも、けっこう見にくいオサレなフォントを使うケースがあったり。
UDフォントがみられないのは残念です。

2) ASDへの言及
IDAでは「ディスレクシアの数割はADHDを併発する」は時折言及されるのですが、ASDの話題はまったく出ません。
ともすればLD学会などが、行動面の問題に乗っ取られがちなのとは対照的です。
(#さらに言うと、「発達障害」(developmental disorder)という言葉はまったく聞きません。)

ランドマーク(ボストン近郊にある、アメリカの有名ディスレクシア専用学校)のパンフレットは、「当校に合わない人」としてASDを挙げています。
ここから考えるに、「ディスレクシア」を名乗る団体は、ASD(由来の読み書き困難)を意識的に排除しているのかもしれません。

アメリカではコミュ障は生きにくく,別に考える必要があるのだろうと,今回感じました。
とにかく,どんどん自分から声を上げて,会話を仕掛けていくことが要求される社会のようです。楽しいけど1日終わると疲れます。。


3) 東洋人
何度も書いていますが,IDAには東洋人がいません。
これについては,その1にも書きましたが,ずっと考えてます。
まとまらないので,まずはここまでをアップします。

2019-11-10

IDA@ポートランド、その2(音韻認識の熱狂はひと段落、IDAのディスレクシアの定義は要改定、ディスレクシアが英語を学ぶこと2)

IDAの3日目が終わりました!


はじめに、ポートランドは安全そうな感じで書いたことを、訂正しておきます(- -;)
生徒に頼まれたおみやげを買いにホテル向かいの地元の食料雑貨店に入ったら、脱法ドラッグ(?!)を売っているし、暗くなれば物乞いはいますし、路上に布団敷いて寝ているホームレスもいます。いたたまれなくなるような貧困がこの町にもあります・・・

でも、すてきなエコシティ☆の側面もあります。
会議場との往復は、2駅ですが路面電車を使ってます。中央線並みの本数があります。



この路面電車には自転車でも乗れて、車内には自転車を立てかけるラックがあります。

また、スケートボードで公道を走ることが、認められているそうです。
男子高校生くらいの集団が、電動スケボー?のような不思議な乗り物で追い抜いていきました(@@)


IDAに、2日間参加した感想です。

「音韻認識の熱狂」はひと段落
一昨年は、「レターボックス」の講演がとにかく衝撃的で→
昨年は、音韻認識をどう教えるかの発表がたくさんありました。
今年はこれら2つの話題は、参加者の間では完全消化されているようで、
新たな発見や教授法をめぐる熱狂は、ひと段落した感があります。

「レターボックス」はVWFA(Visual Word Form Area)として
いろんな人のスライドに既知のものとして登場してましたし、
音韻認識も場内は「教えてますっ!」という雰囲気でした。

 #音韻認識とは:
 ・phonological awareness, phonemic awarenessの訳。
 人によって2つの用語の定義は、微妙に違うらしい。
 「自分はphonemic(phonological awareness)と呼びたい」と断る人も。

 ・とはいえ、大まかな定義は、
 英語の音ストリームを聞いて、英語の音素に分解する能力のこと。

 (1つの単語を聞いて
 「3つのオトから出来てます」
 「最初の音は/d/、2番目の音は/o/、3番目の音は/g/」と指摘できる。
 さらには、最初と最後の音を交換したら何という語になるか言えたり、
 最後の音を/t/に変えたら何という語になるかが言える。
 このとき、字を介在させないのがポイント。

 ・ディスレクシアだと文字を教える前から、音韻認識の弱さがみられる
 (※これについては、日本語では注意が必要と言っておきます)

 ・音韻認識力は、その後の読字能力を予見するとされる

 ・ディスレクシア的には、音韻認識はスクリーニングにも使えるし、
  明示的に教えることも可能。というか長期的な訓練が必要

もじこ塾にとって、音韻認識をどう教えるかはこの1年、大きなテーマでした。
1年かけてさまざまな生徒の反応を見ながら、持ち帰った教材にかなり改変を加え、日本の中高生向けにアレンジしてきました。

今回、IDAでの発表や物販を見て、どうやらこの1年、もじこ塾で進めてきたことは、間違っていないらしいと分かりました。
それに、音韻認識を訓練すると脳のリソースに余裕ができることも、身をもって実感しました。

これから、この方法を頑張って公開してまいります!


「ディスレクシアなら、外国語として英語を学ぶほうが、ネイティブのディスレクシアより読字能力は高くなる」!

1日目に暗い内容を書きましたが、それを覆すような発表を聞きました!

「バイリンガルであることは、ディスレクシアにとって良い面がある」
(Bilingualism can be good for dyslexics)
「ディスレクシアであることは、英語を学ぶにあたりアドバンテージかもしれない」

一見驚きですが、聞いてみると納得の内容でした。

カナダ・トロントでの大規模な長期調査。
控えるのを忘れましたが、何千人という児童が対象だったと思います。

移民とそうでない幼稚園児に、簡単なスクリーニングを行い、ディスレクシアと定型児に分けた。
(幼稚園の先生ができるようなスクリーニングを開発したそうです。)

この子供たちに、1年生の時から教室で(取り出さずに)介入を行い、7年生で再び調査を行った。

すると、ディスレクシアについては、移民の子のほうが、英語ネイティブの子と比べ、特にディスレクシア特有の困難にまつわる項目の成績で上回った(!!)。
語の特定、文法はもとより、音素/音節削除とスペリングに至っては移民の子のほうがはるかに高かった。
(ちなみに、定型の場合、移民と母語話者では差がなかったそう)

これをそのまま、"日本のディスレクシアのほうが、カナダやアメリカのディスレクシアよりもスペリングの成績が良い"とまでは翻訳できませんが、でも、とても興味深い結果です。

理由としては、
・英語よりも複雑な言語を第一言語としているから。
例えば中国系移民の子は、漢字も学んでいる。漢字はアルファベットよりもはるかに視覚的に複雑。漢字を知っていれば、視覚的記憶が刺激されているはず。
(今回、いくつかの発表で、漢字への言及がありました)

・文法や音韻体系が異なる言語にさらされることで、言葉というものへの意識が高まっていると考えられる

注意点
・第一言語もしっかり学ぶことが前提。
親が話しかけるだけでは不十分で、教育を受ける必要がある。
(ただし、姉による年下のきょうだいへの学校ごっこが効果的だったケースも)

・ディスレクシアを念頭においた学校での指導は、質の高いものである必要がある。

日本のディスレクシアも、正しい方法でやれば英語を諦める必要はない。
頑張ろう!と思える調査結果です。

#今年の新たな傾向として、
「ディスレクシアが英語を外国語として学んだら」
への言及が、増えている気がします。
うお。IDAのほうから、もじこ塾に歩み寄ってくれるとは想定外(゚Д゚)


「IDAのディスレクシアの定義は改定が必要」
「ディスレクシアの定義に関するコンセンサス」
というタイトルの発表に、途中から行きました。

最初に、現行の文言の起草者が登壇したそうです。
そこを聞き逃したのは痛恨の極み・・・でも十分に面白い内容でした。

・言語の正書法(orthography)の認知的要求により、学習者の困難は変わる。
IDAの定義は英語に偏っているので、他の書記体系のディスレクシアの特徴も徐々に含めていくべき。

・ディスレクシアの困難は、音韻認識の不足(phonological deficit)とは限らない。
ディスレクシアの原因を1つに帰着させようとするのは誤り。
単語を読むことの困難にリンクするプロフィールはさまざまであり、語レベルの読み問題の識別に音韻認識の不足を必須としてはならない。

ほほ~!
1日目に会場が唱和できた「ディスレクシアは視覚処理の困難ではない」
を、起草者グループが否定しているとは!

昨年の宇野先生の苦言→に、IDAがようやく追いついたとも言えます。

日本のディスレクシアの相当数は、漢字で大変な思いをしています。
こういう人たちは、視覚処理が関係しているディスレクシアだと言えます。
この人たちの存在が、否定されなくてよかったです。

参考:IDAによるディスレクシアの定義の和訳。
発達性ディスレクシア研究会サイトから転載→
「Dyslexiaは、神経生物学的原因に起因する特異的学習障害である。その特徴は、正確かつ(または)流暢な単語認識の困難さであり、綴りや文字記号音声化の拙劣さである。こうした困難さは、典型的には、言語の音韻的要素の障害によるものであり、しばしば他の認知能力からは予測できないものであり、また、通常の授業も効果的ではない。二次的には、結果的に読解や読む機会が少なくなるという問題が生じ、それは語彙の発達や背景となる知識の増大を妨げるものとなり得る(2003)。



おまけ
なぜIDAにはアジア系の人がいないのか??
IDAでは、アジア系の人がとにかくいません。
今年も、部屋にいる黄色人種は自分だけ、ということがたくさんありました。
空港でも町でもそこまでではないので、個人的には異様な感じがします。

まだ答えは出ていないのですが、もしかしたらこれは論文が書けるくらい根深い、人種観にまつわる問題なのかもしれません。

黒人と白人の人種格差の話は、IDAではよく出ます。
参加者が感極まる話題です。

今回も開会の全体セッションで、登壇者が
「黒人でディスレクシアだと特定される生徒は白人よりもはるかに少ない。
ディスレクシア用訓練をアウトソーシングするのは高額で、黒人やヒスパニックには手が届かない」と訴えてましたし、
「ディスレクシアかどうかの判断を、肌の色が邪魔してはならない」
と涙ながらに訴えていた発表者もいました。

が・・・アジア系は話題にも出ないのです。

白人と同じ扱いなのでしょうか?
(優秀なアジア人は、個人ベースで、名誉白人的な扱いを受けているかもしれません)

アジア系の教師は少ないのでしょうか?
(いや、そんなはずはない気がします。)

あるいは、アジア系はディスレクシア教育界には入ってこないのでしょうか?

もしそうなら、ディスレクシア教育業界に関わることは、どんな社会的意味があるのでしょうか・・・日本でそうするのとは、まったく意味が違うのかもしれません。

今回、ずっと考えていることのひとつです。

2019-11-09

今年もIDAにやってきました!(その1:自己紹介の威力、「ストラクチャード・リテラシー」とフォニックス、ディスレクシアが英語を外国語として学ぶこと)

今年もIDAにやってきました!
今年は西海岸オレゴン州、ポートランドで行われています。
乗継便の国内線が遅れに遅れ、新宿の教室から26時間かけてようやく到着・・・


ポートランドは路面電車の町。夜11時でも、空港からホテルまで路面電車で行けました。
道も芝もだだっ広く、空は高く、わたしの妄想通りのアメリカの都市って感じで、時間があったら散策のひとつもしたいのですが、朝7時半には会場入りしないといけません。
アメリカ人は朝が早いですね?!



自己紹介の威力
こんな話からすみません・・・もじこは明らかに英会話力が上がりましたv。

IDAでは、列に並ぶときに、前後の人と会話が始まるのが普通です。

登録の列で、コーヒースタンドのレジ待ちで、
"Where are you from?"
"Where do you teach?"
から始まり、自分の番が回ってくるまで意見交換し、
"Great talking to you. Have a nice day!" と別れます。

過去2回はその輪に入れず、自分の前後で会話が始まるのを指をくわえて見ているだけだったのですが、今年は自分から仕掛けてますv。
「Where do you come from? I come from Tokyo, Japan. I teach English.
I have a small private classroom. My students are all dyslexics ...」

なぜこれができるかというと、もじこ塾ではしょっちゅう自己紹介をしているからです!覚えるくらい自己紹介を繰り返していると、こういう状況でも言葉が出てくるらしいです。

フォニックスや音韻認識の練習を徹底的にやっていることの効果も感じています。
単語の発音に自信が持てるので、脳のリソースをその分、内容にあてられます。

同業者である参加者と会話することも、IDAに来る大きな意義のひとつだと、3回目にして知ってしまいました。しかもこれは相当楽しいです( ̄ー ̄)

~~

「アメリカでは、ディスレクシアはよく知られているんですか?」
と話を振ると、今日聞いた限りでは全員が
「まだまだ全然。学校のなかでもホールワード派(=アンチ・フォニックス派)のなか一人で戦ってるのよ」
「そもそも、ここポートランドだってホールワード派が主流」とのこと。

IDAに来ているのは特に熱心な先生たちで、彼女たち(ここは女性比率99%の集団です)もそれぞれの場所に帰ると、孤軍奮闘しているらしいです。
このあたりは、LD学会と大差ないようです。


「ストラクチャード・リテラシー」とは
とはいえ、IDAのなかでは、フォニックス(英語の音と文字の対応)を明示的・網羅的・段階的に教えることは、当然とされています。
去年は「音韻認識をどう教えるか」が流行語でしたが、今年はどうやらそれもすでに当然となっていて、「統語(受験英語でいう構文)、読解、ライティング(内容のある文章を書く)」もあわせて教えるべきで、そこをどのように教えるかが今年は議論されています。
フォニックス、音韻認識、統語、読解、ライティングをあわせて、
Structured Literacy(ストラクチャード・リテラシー[体系的な読み書き教育])と呼ぶことにしたようです。

ストラクチャード・リテラシーのうち、統語と読解については、日本の英語教育はすでに答えを持っていると思います。
特に構文の教え方は、伊藤和夫(駿台の往年の名講師)が、ある意味ネイティブ用よりも体系的に完成させています。

IDAで、文法やパラグラフ構造の教え方の話を聞くと、
日本の英語教育は、日本語ネイティブのためにはかなりいい線行っていると、改めて感じます。

大きな課題は英語教育の最初の部分、つまり
・英語の音素と文字の対応(フォニックス)、
・英語の音ストリームを聞いて、英語の音素に分解する能力(音韻認識)
に集約されそうです。

来年度から小学校英語が必修化されます。
この2つを教えることが本当に大事なんだと伝えたい・・・


フォニックスは、教師の数だけ教え方がある
フォニックスについては、それが「英語のオトと文字の対応を教えること」より先については、それこそ教師の数だけ教え方があると言っても過言ではないようです。
どこまでをフォニックスルールとして教えるか、接頭辞(re-など)や接尾辞(-tionなど)もフォニックスの続きとして教えるか、さらには、シンセティックとアナリティックのどちらがよいかは、教師によって、あるいは対象とする生徒によって違うようです。

今日の発表を聞いて、「一つひとつの字をなんと読むか」の次の段階については、日本発のアナリティック・フォニックスも、IDAの発表内容にひけをとらないと感じました。


会場の人たちが唱和できるフレーズ2つ
会場の人たちが唱和できるほど浸透しているらしいフレーズが、2つありました。

・The Simple View of Reading is word recognition and language comprehension
(「読む」のシンプルな説明とは「単語を正しく認識できること」と「言語を理解していること」)
うんとざっくり言うと「読む=読字+読解」とでも言い換えられます。
よくわかります。
もじこ塾には「読字ができれば読解はたやすい」と感じさせる生徒が多いです。

一方で、「字」ではなく「語」を認識すること(word recognition)と言っているのには、注意が必要かなと感じます。
この2つは漢字では重なってますが、英語では別物です。

もじこ塾的には、単語の中がもやもやする、単語の意味をなかなか覚えられない、似た単語をとりちがえる、など、「語」は確かに鬼門です。
ディスレクシアにとって「単語」という単位こそが本当に難しいということは、教えるにあたり意識する必要があります。


・Dyslexia is not a visual processing problem.
(ディスレクシアは視覚処理の問題ではない)
これを会場全体が声を合わせて言えたのにはびっくり。ちょっと、いや、かな~り承服しかねるのですが・・・英語のディスレクシアはそれだけ、音韻の困難が大きいことの表れなのでしょうが、それにしても。
ここにはとても書けませんが、日本のディスレクシア業界がここ数年、視覚的困難に対応してきた成果が、一刀両断されていました。

そんなこともあって、列の前後の人との会話タイムでは、草の根で訴えてしまいました。
「日本では視覚的な困難に関係するとみられるディスレクシアも確実に存在し、英語を学ぶようになって初めて音韻に関係するディスレクシアが表れるんですよ」と。。


ディスレクシアが、英語を外国語として学ぶこと
この話は、IDAでは初めて出た気がします。

「ディスレクシアはギフト(才能)だと言われるが、この国で英語が外国語なら、ディスレクシアはギフトとは言えない
読むことに価値を置くかどうかは文化的な問題。そしてこの国は読むことに価値を置く文化である。機会を得るためには読めないといけない。
大学に入っても読むことに苦しんでいたら、ディスレクシアはギフトというより天井になる」

「ディスレクシアはアッパーミドル白人だけの問題ではない」つまり移民や貧困層の問題でもある、という文脈の話ですし、あくまでも「(アメリカで)ディスレクシアが、英語を外国語として学ぶこと」ではあるのですが、残してきた生徒を思い、心が痛くなる発言でした・・・もじこ塾には、身を削るようにして英語と格闘する生徒がいます。

それでも、アメリカに行ってみたいなら行ってみるべき、ディスレクシアであることはそれを止める理由には少しもならない、と生徒たちには言いたいです。
来てみるとわかりますが、ここは見た目から何から本当に多彩な人たちの集まりです。同調圧力とはベクトルの方向性が真逆で、「自分はこういう人です」という精神的自立が常に要求されます。

と同時に、これは会話を仕掛けられるようになってようやく分かったことですが、
自立した人たち同士が助けを求めること、助けを求められることを、美徳とする文化がアメリカにはあります。
自分をしっかり持った人が、「自分は外国人でディスレクシアなので手伝ってほしい」と頼んできたら、その人を助けるのが正しいことである。
そんな価値観が、アメリカにはあると感じます。

では2日目に行ってきます!