ディスレクシア専用英語塾「もじこ塾」のブログです。 ●ディスレクシアとは:知能は普通だが、読み書きが苦手(読み間違いが多い、読むのが遅い、書き間違いが多い、読むと疲れやすい)という脳の特性 ●全体像の把握、物事の関係性・ストーリーの把握、空間把握、ifを考えるシミュレーション能力に長ける ●読み書きの困難は、日本語より英語に出やすい ●適切に対処すれば、読みの問題は表面上は克服される ●10人に1人程度いるというのが通説 ●家族性とされるが、ディスレクシアの表れ方は個人差が大きい もじこ塾は、ディスレクシアはこれからの社会に不可欠な才能、でも日々の学習では普通と違うアプローチが必要、という立場です。

2018-12-05

IDA日記その3:「ディスレクシアは、社会全体を良くする価値観を体現すべき」


「ディスレクシアはマイノリティとして、社会全体を良くする価値観を体現すべき」

アメリカでは、囚人の7080%functionally illiterate(機能的に識字能力を持たない:ディスレクシアだけでなく、移民などの理由で読めない)とのこと。特に黒人でディスレクシアで、教育に救ってもらえないと、ドラッグや銃に手を出す確率が格段に高まるようです。
刑務所生活の末、40歳近くになってから?読み書きを学び、現在は「囚人コーチング」をしているという黒人男性の発表は、予想通り感動的でした。

~~

「小さい頃から兄弟のなかで自分だけ字が読めず、学校の授業についていけず、親からはバカだと言われ続けたので、自分はバカだとずっと信じてきた。

12歳の時、クラスで指名されて読めず、それが好きな女の子の前だったという屈辱的な経験をしたのをきっかけに、ドラッグの売人の道へ。

17で出所するも、読めないことは変わらないので、結局は自分の知っている唯一の世界である売人に戻ってしまった」

12歳で売人ですか。。。( ゚д゚)
でもそれ以外は,「読めなくても、書けなくても、勉強したい」と同じです。


講演語録
・「Reading saved my life. It feels good to decode
(読めることで人生を救われた。デコーディングするのはいい気分)
デコーディングするとは、文字をオトにすること、要は読むこと。
IDAに来ると、読字能力は貧困を断つために絶対に必要、だから何がなんでも読めるようになってもらう・・・という姿勢を改めて感じます。

・この人が40歳でやった訓練というのは、(1)徹底的な音韻認識の訓練、(2)フォニックス、(3)読むこと、そして(4)書くことの順らしいです。
毎日、2年ほど。まさにレメディエーションですね。

「彼らはずっとだまされてきたので、希望が必要。と同時に、エビデンスに基づく訓練も必要」。
教師は理解があることが不可欠ですが,それだけでは不十分です。

「Dyslexia has no colors. That’s the beauty」
(ディスレクシアは人種を超える。そこに美しさがある)
この手の発言に心揺さぶられてしまう私なのですが、それは会場も同じようです。
アメリカにおいて、知的階層に人種差別は存在しないことになっているようですが、実際には超えられない壁があって、心ある白人や黒人はすごく複雑な思いを抱いているらしいです。そのことを、このあとの質疑応答で目の当たりにしました。

・「有色人種の人が、もっと特別支援教育にたずさわる必要がある」
・・・ほんとにIDAには白人しかいないです。黒人は少ないですし、アジア系はほぼ皆無。この差はなんなのでしょう?

「ディスレクシアはマイノリティとして、社会的に正しい価値観を体現すべき」
かっこいい・・・(TT)
私ももじこ塾に来る生徒に対し、もし何かを望んでいいのなら、ディスレクシアとしての権利を主張するだけでなく、ディスレクシア以外の少数者に対しても寛容な心を持ってほしい・・・と常々思っています。



このあと質疑応答に入ると、白人の懺悔大会に。
超えられない人種の壁を感じました。。

・「子供が8歳でディスレクシアだと分かったので、専用の家庭教師と学校に行っている。数万ドルの投資*で、効果はあったが、以来罪悪感で眠れない()・・・この国には何万人と同じ境遇の子がいて、彼らは同じ助けを受けられないと思うと」。
→たぶんこの人は、NPOに多額の寄付をするか、自分で団体を立ち上げることになるんだと思います(@_@)
(*ディスレクシア専用学校の学費は,日本の私立医学部のイメージでよいかと)

・「行政でディスレクシア教育を提供しているが、予算の都合で8週間しか行えず、読めないまま送り出すことに、非常にもどかしさを感じる」
→「8週間でできることを、低く見積もってはならない」と諭されていました。私も自戒を込めてそう思います。2カ月ですよね。

・「自分の娘(白人)22歳で教師志望、それも刑務所でディスレクシア教育をしたいと言っているが、(言いにくそうに)刑務所とは白人の女の子が入っていって何かができる場所なのだろうか」
→お母さんの心配はよく分かります。白人の女の子がふらっと入っていて,相手になるところではないですよね,アメリカの刑務所というのは。

これに対してはイギリスから来たという、ジャネット・ジャクソン風のかっこいい若い黒人女性が「ディスレクシアであれば、人種に関係なく助けられたいと思うはず」と言っていました。

私の意見は・・・
「私も22歳でもじこ塾を作ることは絶対にできなかった。この年齢になったからこそできる指導がある。あなたの娘も、若い今だからできる指導をして、若さがなくなったら刑務所に戻ればいい」


以上をアメリカで書き,締め方がわからないまま放置して1ヵ月。。。

いま振り返り,この発表で特に印象的だったのは,
「ディスレクシア教育はcommon good(コモン・グッド)のために行うべきもの」

コモン・グッドとは,社会全体の利益ということ。
ディスレクシア教育というのは,「うちの子をどうにかして下さい!」ではなく,社会全体のためになるから行うものだ,という発想です。

日本の教育は個人の(または家族の)立身出世のためという部分が大きいと思いますが,
IDAで,そんな卑しい目的を持ちだしたら,恥ずかしくていられなくなりそうです。
アメリカのディスレクシア教育は,あくまでも社会を良くするためのものらしいです。

「コモン・グッドのための教育」という発想は,東アジア的価値観とちょっと違うということも,この一カ月間考え続けてわかってきました。
だからIDAには東洋人が極端に少ないのでしょう。
(100人超の聴衆のうち,東洋人は自分ひとりというケースが,IDAではけっこうありました。)

そして!東アジア的な立身出世的価値観と,合理的配慮は合わないのです。
この項続く(きっと)!

2018-10-29

IDA日記その2:レメディエーションとは、過酷なものらしい


無事に帰国しました~。リムジンバスの中でこれを書いています。

IDAの参加者たちはどうやら本当に、去年の宿題を持ち帰って生徒に試してみて、再び集結しているように見えました。
変化のスピードが速いです。

去年はResearch to Practice(「研究成果を授業にどう生かすか」)がキーワードでしたが、
今年は「音韻認識をどう教えるか」の発表が多かったです。

もちろん、フォニックス(音と文字の対応を教えること)それもシンセティック・フォニックスはすでに当たり前となっており、alphabetical phonics(アルファベット順に教えるフォニックス)は、旧時代の遺物としてたまに言及される程度です。

・「アコモデーション(配慮)とレメディエーション(読み書きの訓練)は、同時並行で行うべきもあちこちで指摘されていました。(assisted technology(IT機器の使用)の発表は少なめでした。)

これらの点について、私の結論を先に申しますと・・・

(1) 合理的配慮は、英米の学校制度や価値観の中でこそ、初めて理解できるもの
日本の受験生が合理的配慮を使う場合は、配慮の背景にある社会や価値観が日本とは違うことを理解して、その上で戦略的に使うべき。

(2) レメディエーションは、とても過酷なものらしい。
 そして、もじこ塾の一部の授業は、すでにレメディエーション化しているらしいΣ(゚Д゚)

合理的配慮については、近日中に改めて書くとして、ここではレメディエーションについてまとめてみます。
以下、かなり技術的に細かい内容です:

☆  ☆  ☆

・レメディエーションは、苦手にフォーカスして、パフォーマンスのギャップ(読み書き能力と知的能力との差)を埋めるために行うもの。

・以下が必要:
(1) Structured(体系的、構造的)
(2) Sequential(順を追って)
(3) Overlearning(反復的)
(4) Research-Based(科学的研究に基づく)
(5) Multisensory(多感覚)

(1) Structured(体系的、構造的)
  私はこれを「網羅的」と理解しました。英語の音はすべて教える必要があるし、中学文法にしても高校文法にしても極力、「これで全部だよ」というものを示しながら教える必要があるということでしょう。
  個人的には今回、ようやく腑に落ちた概念のひとつです。

(2) Sequential(順を追って)
  これは「前に教えた知識の上に、新たな知識を教えること」。
  例えば、-ir-erと同じ発音だと明示的に教えないうちは、-irが入った語を読ませてはならない、ということです。
 「この点は厳格に守りたいところだが、コントロールされていない文章に、生徒は学校で触れてしまう」とのことでした。日本でも事情は同じですね。

(3) Overlearning(反復的)
  反復が大事という意味です。オーバーワークが大事という意味ではありません^^;

(4) Research-based(研究成果に基づく)
  IDAではオートン・ギリンガムが神聖視されています。そんななか「彼らを北極星としつつも、最新の研究成果を取り入れて聖人を乗り越える必要がある」・・・という文脈で登場していました。
また「教師は、自分が習った方法を絶対だと思ってはならない」という意味や、Reading Wars(フォニックスvsホールワード派をめぐる議論。政治論争にまで発展)のような不毛な戦いが、再びあってはならないという意味もありそうです。

(5) Multisensory(多感覚)
  これはなかなか曲者な概念。人によって定義が違います。
「マルチセンサリーな音韻認識の教え方」という発表に行ってみるも、7色のマグネットを使うことだったり(その程度でもいいんですね)

それなら「犬に読み聞かせをする」ほうがよっぽど多感覚じゃないかと思ったり(この発表はものすごく期待していたのですが、普通というか予想の範囲内の内容でした)

読み書きを教えるのに、文字と音以外の手段を使うなら、とりあえずはすべてマルチセンサリーと名乗っていいようです。ううむ。

~~~

「オートン・ギリンガム法をアップデートする」というシンポジウムで、州立病院で行われているというレメディエーション・プログラムの授業内容が紹介されていました:

(1) handwriting(字を書く練習
(2)音韻認識 
(3)フォニックス/デコーディング 
(4)文法 
(5)コネクテッドテクスト(まとまった文章を読む)
(6)スペリング

なんと!中学生クラスの授業内容とほとんど同じじゃありませんかΣ(゚Д゚)
アクティビティの大まかな順番や、最初が筆記体で、最後にスペルを書かせる点まで同じ…!

この話をしながら、発表者は感極まって涙で声を詰まらせてしまい、場内は若干引いてました()
しかし私はそれで分かりました。このレメディエーションは相当に過酷なのだろうと。
なぜなら、もじこ塾の生徒も同じだから。本気で速読みや音読で生徒を追い込むと、かわいそうなくらいヘロヘロになるからです。
そこから、もじこ塾の中学生(と一部の大学受験生)の授業は、いつのまにレメディエーション化していたことが分かりました。

ちなみに、発表のレメディエーションは
5日、毎回1時間、対象は小27(1)1クラス45人、期間は2年間
とのことでした。
読み書き能力は大幅に向上し、しかも2年間のレメディエーション終了後、この教室を離れても、読み書き能力の向上は続くとのこと。

つまり、もじこ塾中学生クラスは、できれば週3回だと、理想のレメディエーションに一層近づくということですね・・・でもそこまで英語に割ける生徒はなかなかいないわけで・・・
5時間分をカバーする方法を考えてみたいです。その上で、2年間で卒業を目指せれば、理想的ですよね。

~~~  

その他:
visual lexicon(まるっとスペルを覚える単語の量)には限界がある
文章を丸暗記するのは、長期的には逆効果。音と文字の対応(フォニックス)を教える必要がある。
→日本の定期テスト対策で陥りがちですね。
・レターボックスに入る単語は、文字列の並びは順不同。(sawwasは区別されない)
サイトワードを初期に教えすぎると、脳内の音-文字の結びつきが弱くなり、字の入れ替わりが起こりやすくなる
→単語の丸暗記も有害だということですね。「まるっと覚えられる単語の量には限りがある」と合わせて、丸暗記の害は肝に銘じたいです。
・精度なくしてスピードはない(正確性が向上しなければ、関心がある内容しか読めない)
・音韻認識の訓練は、2年間のレメディエーションを通じて行う。はじめは明示的に、2年目は他のアクティビティに混ぜ込んで。


~~
バスは予定よりも早く目的地に到着しそうなので、取り急ぎアップします。
明日からは通常授業。まだ報告は続きます!

2018-10-28

IDA日記その1:音韻認識の熱狂に釘を刺される/筆記体の本の版元社長に直談判


ボストンからバスで2時間のカジノリゾートで、今年のIDAは開催されました。
ボストンは車越しの夜景だけでも素敵でした☆。でも夜明け前のバスターミナルあたりから素敵じゃない雰囲気に・・・そして予想通り、カジノリゾートの周辺は見事に何もありません。360度原野、ニューイングランドの秋の紅葉です。
カジノリゾートの中は退廃的な雰囲気です。妙にぎらぎらした老人とか、地味~な中国人夫婦とか、平日の昼間からなぜこんなところに?と言いたくなるあやしい人たちがうろうろしてます・・・

そんな会場の一角で開催されているIDA。こちらは見事に白人女性が95%を占めてます。会場の挙手を見ると、教師、ディスレクシア専用チューター[個別指導教師]、アドミニストレーター[行政担当者]が多いです。
参加者は2000人と昨年並より少し少なく、半分が初参加とのこと。
雰囲気はLD学会に近いです。教師の出すオーラって万国共通なんですね()

・どうやら、去年のレターボックスの講演はIDA的にもよほど衝撃だったらしく、今年の発表で去年のその発表に言及しているケースに2件遭遇しました。たぶんみなさん、私と同じように、この1年間はあの講演を宿題として持ち帰っていたわけですね・・・
残念ながら、今年のIDAの発表は、これまでのところ、去年ほどの根底的な衝撃はありません。もっと細かい、具体的な話で収穫が多いです。

◆音韻認識について
・読めるようになるためは、まず音韻認識(phonological awareness, phonemic awarenessなど、いくつかの言い方あり)の訓練を徹底すること、その上でフォニックス(音と文字の対応)を教えるべき・・・が、この12年で業界の共通認識になったようです。
Phonemic awarenessについての新刊も出ていましたし、教材も新しく出ていたので買ってみました。中1クラスで試してみたいです。

ガチャガチャのおまけみたいなものが、多感覚らしいです

音韻認識とは、「単語がいくつの音韻でできているかを、認識する能力」です。
たとえば、sat3つ、step4つ、star3(ar1つと数えるので)
shark3(shark)this3(this)third3つ、
there2つ、rain3つ、candyは5つの音韻からなります。

日本人からすると、「そこって1つにまとめるの?」という反論も出てきますね・・・
その通り。どの音をもって音韻とみなすかは言語によって異なるので、すでに別の音韻体系が確立している場合は、ある程度理詰めで理解する必要もあります。
音韻は人工的な概念なのです。

不思議なことに、定型だと45歳で母語の音韻認識は獲得されています
(stop4つのオトでできていて、t2番目だね!」と言えます)
一方、ディスレクシア(の多く)は音韻認識の発達が遅れますし、程度の差はありますが長期的・定期的・反復的・明示的な訓練をしないと定着しません(ひらたく言えば、毎日510分、訓練が必要です)

グッドニュースは、音韻認識の定着は、年齢が上がるにつれ短期間で定着する傾向が強いということです。
もじこ塾で見る限り、中学生は小学校低学年よりも音韻認識の定着は早いです。
また、音韻認識が定着するまで足踏みする必要はなくて、文法など先に進みながら音韻認識定着の練習を続けることもできます。このことに言及している発表もいくつかありました。


◆ディスレクシアの原因は音韻だけではない
筑波大の宇野先生とワイデル先生がシンポジウムを行ったので、最後だけですが顔を出しました。両先生と直接お話できる役得に預かりました(^^)。地球の裏側のカジノリゾートまで足を運んだかいがあったというもの。

宇野先生からは釘を刺されました。今の私にはとてもありがたかったです。

「アジア系言語のディスレクシアの出方は英語圏とは異なる。
IDAではディスレクシアはもっぱら音韻処理の障害とされているが、日本語ディスレクシアを見ればそうでないことは明らか。
音韻障害だけが原因のことは少なく、視覚認知障害、自動化の障害、それ以上にこれらの混合型が60%を占める。
そのことを英語圏のディスレクシア研究者はわかっていない」。

・・・本当にその通りです。
日本語のディスレクシア、特に漢字が覚えられないのは、形の認識の困難によるものです。ディスレクシア英語教育に意識が向きすぎて、ついそのことを忘れがちになっていました。
日本語(特に漢字の困難)からディスレクシア教育に入ると、ディスレクシアは主に字の形をめぐる困難ですが、英語からディスレクシア教育に入ると、ディスレクシアは音韻を認識し処理することの困難だと分かります。
日本のディスレクシアの生徒はほとんどの場合、この2種類の異なる困難に直面していて、その両方に対処しなくてはならない大変さがあります。


◆筆記体の本の版元社長に直談判
・筆記体の練習帳には本当に感動したので、お礼が言いたくて版元の社長さんの発表を聞きに行き、発表後、話をすることができました。
生徒の字をいくつか見せると、たいそう感動してくれました(TT)
「遠い日本の地でこの本がこんなに愛されていると知ったら、著者はきっと喜んだだろう。彼女は外国語として英語を学ぶ生徒のことを、とりわけ気にかけていたから」。






著者とは故Diana Hanbury King女史、ディスレクシア教育界のレジェンドのこと。
もう一年早かったら直接お礼が言えたのに、本当に残念でした。

「この本はすばらしいです!すごく効果があります。日本には同じものが本当にありません。わたし訳しますけど、日本で出版しませんか?」
と言ってみたところ、マシンガントークで
「超いいね!!僕はADDだから忘れちゃうんで、帰国後ここにメールしてくれるかな、Let’s see what we can do」とあっさりOKしてもらえました!

しかし社長はこっちもADHDだとは理解していない(原稿になかなか取りかかれないorz)

だからここに書いて宣言しておきます。
筆記体の本の日本語版を出すために、版元のOKはもらえました!日本語版を出したい!!

2018-10-23

今年もIDAに行ってきます!

なかなかここに書けず、申し訳ありません。ようやく一息つきました・・・。

昨年のIDAに行って以来、この1年のもじこ塾は、現地で聞いたことを思い出し、試しては微調整する・・・を繰り返しながら、変化を続けてきました。

現在、中学生の授業では、
・シンセティック・フォニックス
・筆記体
・音読
・ゲームによる息抜き
・文法演習
を扱っています。
1年前と比べたら、だいぶ変わりましたし、盛りだくさんになりました。

大学受験生のなかにも、高校や予備校とはかなり異なる授業を行っている生徒が何人かいます。
読む量を極限的に減らして解く方法を模索したり、徹底的な読字訓練を行ったり・・・

これらのほとんどは、日本ではどこに行っても勧められない、または、ディスレクシアに効果的と言われていても、具体的な効果や方法のわからないものでした。

例えば筆記体。
これは去年のIDAの、空き時間になんとなく聞いた発表で知り、その場では眉唾ものだ思ったのに、今ではもじこ塾の中学生にとって不可欠の教材となりました。
筆記体で書くことではじめて単語のスペルが覚えられた生徒もいますし、
PCでないと板書は無理と語るほど激しい書字困難にもかかわらず、筆記体の練習を始めると、「書けるようになると読めるようになった」と言う生徒もいます。



あるいは音読。
「フォニックスの次にすべきことは流暢性の獲得。そのためには時間を測って初見の文を読む練習を」という指摘を守って、中学生さらには一部の受験生にも、目の前で音読してもらっています。
これは、生徒によってはどろどろに疲れる厳しい課題で、生徒の疲れ具合を注意深く見極める必要があり、信頼関係がないと課せないものですが、今やこれも、もじこ塾に不可欠な訓練になりました。



このように、IDAの会場でなんとなく聞いたことが、ボディーブローのように効いてくる経験をして、やはり今年もアメリカまで行かないわけにはいかない、たとえ秋の受験生の授業を一週間休み(申し訳ありません)、自腹であっても( ;∀;)と思うようになりました。

もじこ塾でも最もディスレクシア度の強い部類の生徒たちは、もじこ塾の授業の効果や感想を、とても率直に教えてくれます。
「学年が上がるにつれて、追試にひっかからなくなった」
「教科書をはじめて読めた」
「フォニックスを教わった帰り道、街中の看板という看板から音が聞こえてきた」
「家族でよく行くレストランの名前が読めた」
「クラスで一人だけ答えられる問題があった」
「sinの筆記体が読めた」などなど・・・

そういった感想からこの方向性でおそらくいいのだと思う反面、常に授業に微調整を加え、進化させていく必要も日々感じています。
生徒は進化するのに同じ授業をしていたら、あっという間に効果が薄れてしまいます。

というわけで、いま私はボストン行きの飛行機の搭乗口でこれを書いています。
今年の会場はボストンから100マイル離れた、コネチカット州のネイティブアメリカンの土地にあるカジノリゾート(?!)。
去年のアトランタよりもたどりつくのがある意味困難かも(;'∀')。

今年はどんな話が聞けるのか、楽しみです!!乞うご期待!

2018-06-16

もじこ塾へのお問い合わせにつきまして

朝日新聞をご覧になって,当ブログにお越し下さった皆様へ

もじこ塾に関心を持って下さり,ありがとうございます。

もじこ塾はディスレクシア専用の英語塾です。

お問い合わせは以下にお願いします:
mojikojuku@gmail.com

もじこ塾には,電話,Twitter,Facebookはありません。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

2018年6月16日
もじこ(成田 あゆみ)

[18/06/17追記]
多数のお問合せをいただき,ありがとうございます。

もじこ塾はブログから始まった塾です。
かなりの数の記事がありますが,ディスレクシアともじこ塾について知って頂くには,最新の記事10本ほどを読んでいただくとともに,以下をお読みいただけますと幸いです。

募集案内

お子さんがディスレクシアかどうか,判断するために
ディスレクシアのチェックテスト→
隠れディスレクシア→
ディスレクシアであることの利点→

より専門的な内容
LD学会での発表内容→
IDA(国際ディスレクシア協会)年次総会レポート→

授業について
日々の授業の様子はこちら→で毎日お知らせしています。
記事の写真はこの授業→のディクテーションのものです。

順次お返事してまいります。どうぞよろしくお願い申し上げます。

2018-06-15

もじこ塾についての記事が朝日新聞に掲載されます。

いつも当ブログをご覧下さっている皆さまへ。

いつも当ブログにお越し下さっている皆さま,ありがとうございます。

もじこ塾は先日,朝日新聞の取材を受けました。
明日(6/16)の東京版朝刊,教育面「凹凸の輝く教育」という連載に登場します。

追記
記事はこちら→
(朝日新聞デジタル)



連載の目的は,特性のある子どもたちに特化した教育を行う各種教育機関を紹介すること。
と同時に,今回の記事の目的は,ディスレクシアについて広く世に知ってもらうことだと聞いています。

4月以来,この連載には,N高や東大先端研ROCKET,都立高校や通信制高校,大手塾など,この界隈での有名どころや,スタッフのたくさんいる塾や学校が登場しています。

そのようなそうそうたるラインナップに,講師ひとりの個人塾が加わるわけですが・・・
率直に申して,これからどのような反響がどれくらいあるのか,想像もつきません。

今回,取材要請を受けるべきか,かなり悩みました。もじこ塾のような一介の個人塾が朝日新聞に登場した場合,反響に対処できるのかどうか,まったく見当がつかないのが正直なところです。
問い合わせが殺到して,授業運営に支障が出るのではないか・・・
「ディスレクシアで大学受験するなんてありえない」と炎上するかも・・・
あるいは,すべては取り越し苦労かもしれません・・・
予備校講師歴20年,ネットでいろいろ言われた経験も普通の人よりはある方だと思いますが,今回ばかりはどんな反応があるのか,予想がつきません。

取材を受けるよう後押ししてくれたのは生徒たちです。ほとんどの生徒は紙面登場を喜び,もじこ塾のような場がもっと増えるべきだ,学校での英語の授業方法には不満があると言い,具体的な改善点を挙げてくれました。
ういった声を記者に伝え,学校の先生方に少しでもディスレクシアの認知度が高まればと思い,取材要請を受けることにいたしました。



今日も,もじこ塾では授業を行いました。
教室のなかは台風の目の中のように,何ひとつ変わりません。
ここには本当に得難い,信頼関係に基づく授業空間があると思っています。

この環境が今後も維持されることが,そして,学校でも,ディスレクシアについて知っている教師が増えることが,もじこ塾と生徒たちの願いです。

2018-05-18

合格体験記(3)「ディスレクシアの勉強法に"共通解"は存在しない」

合格体験記の3人目は、合理的配慮を受けて受験し,某国立大学に合格した生徒です。
センター、2次試験、私大で配慮を受けています。

この生徒からは、当ブログのコメント欄への書き込みを通じて、初めて連絡を受けました→
浪人が決まった3月末から授業を開始しました。

彼は優雅でストイックな修行僧。ゆったり、ふんわりと構えているのですが、芯がめちゃくちゃ強い。内に秘めたストイックさたるや,普通では考えられないレベルです。
「他人がどう思うか」とか「世間的評価」などというものを、完全に超越しています。
行動基準の軸が明確にあって,その一つは「美しいかどうか」 に見えます。自覚がないと言っていますが…

また、「自分には自由が必要」「こうしろと決めつけられると逆の方向に行ってしまう」と語る通り,ものすごく精神的に自立してます。
私と彼が話しているところを見た別の生徒が「先生のほうが生徒で,生徒が先生みたい」と言っていました。そうかもしれません。

ディスレクシアとしては、正確だが想起が遅いタイプです。
授業中も、こちらが言ったことを自分の中に落とし込むのに、2~3秒の間が必要でした。

理系科目は得意で、現役時点でまずまず戦える実力を持っていました。「物理では、動きを想像すればどうなるか、だいたい予想がついた。それにあわせて式を書いていった」
ディスレクシア的な得意さとしては,こうしたシミュレーション能力、空間把握能力、そして戦略的思考がずば抜けています。

自由な校風の一貫校卒。ディスレクシアに気付いたのが現役のセンター試験受験直後のため,高校では一切配慮は受けていません。

いま改めて読むと,最初のコメント→と私の返事は暗示的です。
彼は本当に波乱が多いといいますか…同じ出来事でも彼にかかると,なぜかドラマチックになります。
まるで彼の周囲の磁場がゆがんでいて,半径1m以内に入ると物事が劇的化するような(笑)
#あるいは、「不注意傾向」を美しく言い換えると、こうなるのかも?

ここには書けないような劇的な半生、そして劇的な逆転合格でした。その精神力の強さには感服するしかありません。

それではどうぞ:


☆   ☆   ☆


ディスレクシアなどの発達障害を抱えている私にとって、大学受験には困難が沢山ありました。
そのような困難の種類や程度は本当に人それぞれで、発達障害を抱えている方の中にはむしろ、大学受験などでは筆記試験が向いている方もいるかと思います。

ディスレクシアにはこの勉強法が適している、英語長文はこう読むといい、というようなディスレクシアの方々における共通解というものはほとんど存在しないと考えています。
難しいことではあると思いますが、最も重要であることは自分の特性を理解し、その特性に合った勉強法や受験方式を探ることだと思います。
この作業は経験則と推論から行うものであり、特に経験則については検証実験を繰り返すことによって確立していくので、大変時間がかかります。

ここからはそんな多種多様な特性のうち、たったひとつの事例として私の経験談を受け止めていただければと思います。

(※ この合格体験記を依頼したとき「自分の事例は自分にしか当てはまらないから」と断るのを,「それでかまわない。「『ディスレクシアに適した一つの学習法はない』というのがこの一年で分かったことだった,というのも十分に発見なんだから」と説得して,この文章を書いてもらっています。)

◆勉強法について
  まず勉強法についてですが、私の場合、自分の特性に合っていると思われる今の勉強法にたどり着けたのは勉強法を探り出してから1年程経過してからでした。
そもそも自分に特性があるとはっきり理解していなかったために私は世間で広く言われる勉強法の中にこそ自分に合った勉強法がある確率が高いと考え、板書型の授業を集中してもれなく書き写すことや、わかりやすいと評判の大手予備校人気講師の授業を受けるなどをしてきました。
当時の私の感覚を正直に表現するならば、板書を一生懸命写す授業に関しては写すことと理解することを同時に行うことが難しいからとりあえず写しておいて後で理解しよう、人気講師の授業についてはなぜ人気なのかよくわからないといったところでした。

このような疑問を抱えながらも、世間で言われる有効な学習法が自分だけ当てはまらないなんてことはないだろうという思い込みのために、私は1年間この方法を採用し続けました。

この勉強法が自分には向いていないと気づく転機となったのは、教科書で独学した部分の内容だけ圧倒的に理解そして応用が可能であったことからです。
そして他の科目も教科書を読んでみたところ、これは授業の100倍わかりやすい!と感銘を受けたのです。
(※このあたりのことは,現役時のコメントに詳しいです→ 
彼は「歌詞が聞き取れない。人間という楽器が鳴っているように聞こえる」と言っていたことがあり、おそらく音韻認識が遅い(音声言語を聞いて、何と言っているか理解するのに少し時間がかかる)と思われます。だから講義形式の授業についていけなかったのでしょう。「1.5時間分の板書をとったら、それを解読して理解するのに同じだけ時間がかかる」とも言っていました。 
自分のスタイルや好みが非常に明確な彼も、なぜか勉強法に関しては、当初は「他人が良いと言う方法」に従っていました。彼の浪人生活は,そこから「自分の直観に従った学習法」へとどんどん移行していく一年でした。その皮切りに,彼は業界慣行的には考えられない道を選びます・・・)
直後に始まった浪人生活では、この方法を実行するために宅浪(有料自習室通い)を選択しました。(英語についてはもじこ塾で個別指導を受けはじめました)

宅浪の最大の利点は、全て自分のペースで進められることでした。私にとってはまさにこれが重要であり、この自分のペースというものが世間一般とはどのくらい違うのかわかりやすい例を示しますと、浪人1年間で使用した参考書は各科目それぞれ基本的内容の12冊ぐらいであったことが言えると思います。
読むのや理解するのはとても遅いのですが、読んだ内容は比較的深く理解することと応用することができたので、一冊をじっくり読み込むことに重点を置きました。
(※「自習室でじ~っくり参考書を読む」という学習スタイルは本当に驚きでしたが,『参考書を読んだほうが圧倒的にわかりやすい』と言われれば納得でした。そして確かにその方法で理系科目の成績は上がり,最終的にはオープン模試でA判定を出しました。英語と国語は最後まで苦手でした。) 
(※彼の学習スタイルは,「ディスレクシアでも,読むことが一番理解しやすいケースもある」ことを示しています。) 
(※彼はずっと「暗記ができない」と訴えていました。単語の意味を教えてあげると、メモしながら「でも明日には忘れちゃうんですよね」。合格後に聞いた話では、物理や化学は「読んだ端から忘れていく。参考書を三周してようやく人の半分覚えられるんですよ」でも、人の何倍もかかるというなら、覚悟を決めてやるしかないということを、私は彼から学びました。人の10倍かかるというなら,10倍やるしかない何もしなければゼロなのだから・・・
と合格後に話したところ、「でもその部分はくやしいのであまり表に出したくない」と言っていました(苦笑)。ディスレクシアだとルールのキワキワの所を狙っていく面があるので、泥臭い部分は前面に出したくないようです。)

また集団授業は提示された目の前の課題に対しての解説をすることが基本ですが、私はもそもその問題がその科目の中でどういう立ち位置の問題なのか、どのような意味を持った問題なのか、そこを把握しないと先に進めず解き方の解説などは頭に入って来ませんでした。(どういう立ち位置の問題なのかというのは、その問題が他の似た問題とどういう関係にあるのかといったことです)
(※ピノコが同じことを言ってます!全体像を把握することが必要なんですね。) 
しかし独学だとこの点参考書のページを前に戻って前問を確認するなどして今解こうとしている問題の立ち位置や意義を理解することができますし、そもそも板書が全て綺麗に取ってあるものが参考書ですから板書をノートに書き写すだけの時間を省くことができました。


このような勉強法探しがむやみやたらに勉強することよりもずっと大切なことだと伝えるために、あるひとつの目安として私の模試の結果をお伝えしたいと思います。
そもそも進学校に通っていたわけではないこともありますが、私の高校3年時の大手予備校の平均的なレベルの模試の英語の偏差値は29でした。
ただ予備校に通っていただけではできなかったであろう合格は、自分に合った勉強法を見つけられた結果だと思っています。
(予備校に通うことが悪いというわけではありません。もちろん、予備校のわかりやすい授業を取ることが合っている人もいると思います、ただ僕の場合は違ったということです)
(※合格後にこの数字を見せられて,愕然としました。そこまで変わるとは。彼の場合,勉強したいという思いがものすごく強い(研究者志望),かつ,ミスマッチの勉強方法を続けて来た,という部分が大きいと思います。そう簡単にまねできるものではありません。
とはいえ・・・もじこ塾に来る生徒のなかには,本当に自分を追い込んで努力する一派がいます。そういう人たちには,上の話は「努力は正しい方向性で行うことが大切」というメッセージになっていると思います。)

◆受験方式について(マーク式か,記述式か)
  次に受験方式について、これもまた世間一般の感覚が自分には当てはまらなかったというのが受験後に気がついた点です。

模試にはマーク模試(センター試験型)と記述模試がありますが、私はマーク模試が苦手で記述模試の方が比較的得意でした。

予備校としては同じ学力の人間が同じ科目で受ければどちらも同じような判定結果になると想定しているためか、マーク形式の試験の判定を記述模試で出したりしています。
(※マーク模試でも国立大の判定を出すし、記述模試でも私大の判定を出す、ということです)

しかし私のようなマークか記述かで得意不得意がはっきりと分かれている人間にとってそれは成立せず、結果的に言えば記述模試でA判定であろうとマーク形式の私立大学は全て不合格となりました。

逆に第一志望の国立大学はセンターボーダーラインのー11%で出願し、もちろんセンターリサーチはE判定でしたが2次試験が記述式であったために逆転合格することができました。(入学後、自分よりセンターの低い人には未だ出会っていません、、)

このように特性のある自分にとっては予備校が発表する入試偏差値というものよりも、むしろ入試形式の方が結果を左右することとなりました。
つまり志望校を選択する時点で自分の特性に合った入試形式を考慮する必要があったのです。
(※私大全落ちで国立に臨むことになったときは、なんと声をかけようかと。。本当に崖っぷちからの逆転合格でした。ただし、ディスレクシアにおいては、進学先以外は全落ちというケースは決して珍しくありません。) 
(記述型とマーク式でこんなにも点数に差が出る理由としては:選択式問題は各選択肢の差が微妙すぎて,ざっくり読んでいるディスレクシアには違いが分からない,誘導に乗るタイプの問題で誘導に乗れない,1つの単語を聞くような問題は苦手,問題用紙の字が小さくつまっていて読みにくい…などの理由が考えられます。) 

◆もじこ塾について
最後にもじこ塾の活用方法についてです。
私がもじこ塾に通っていた意義としては正直英語学習という側面は半分程度であり、残りの半分は自分の特性理解やそれに対応した長文の読み方やセンター試験形式の解き方を探ることでした。
しかし既に述べたようにこの後者の役割はとても大きく、特性を理解した上で解決策を提案してもらうことは、自分に合った解き方を見つけるキッカケとなりました
もちろん特性は多種多様で一発で解決策が分かるわけではないですが、自分に合った勉強法を探すのに1年間予備校の集団授業を受けてみたというような時間的ロスを省くことが出来たということです。
また、段落の頭で"活用方法"と書いたのには意味があり、常に自分が主体的で先生とはコンサルティング契約を結んで情報提供を受けているという意識でいることが重要であると思っているからです。
何故その意識が重要だと思っているかは説明できません。ただ直感的にその方が有効であると思うのです。


(※ちょっと待った、これじゃ私が英語を大して教えてないみたいじゃない(笑)こちらとしては、彼に限っては、絶対よそではできないことをしている自負があったので、以下書いておきます。 
彼とは"感想戦"を徹底的に行いました。まず時間をはかって(20分~45分),1本長文問題を目の前で解いてもらいます。黙読する様子をつぶさに観察し,何を考えているのか想像します。 
その後,解答の添削をしながら討論。どのセンテンスを読むことにしたか,それはなぜか,どんな内容を読み取れたか,次に生かせる教訓は何か・・・ということを議論します。ここでのポイントは困難を言語化すること。彼が思考のプロセスを訴え、私が対処方法を提案し,それを採用するかどうかは彼が決める、というスタイルが多かったと思います。特性の話、志望校決め、求められれば何でも徹底討論しました。・・・あっ、これがコンサルティングですね?!)
(※もう一つ、もじこ塾では合理的配慮申請のお手伝いを行いました。彼がすごいのは、区の支援センターに問い合わせ、病院に行き、診断書を依頼し、大学入試センターに連絡し、いくつかの大学に問い合わせ、必要な書類を作成し・・・という膨大な作業を、すべて自分でこなしたこと。こんなところにも、彼の並々ならぬ意志力が現れています。 
夏に診断書が出て,秋には大学入試センターから配慮申請が通ったとの連絡が来て・・・二次試験で時間延長を受けられる確約はなかったものの,前進があるたびに,時間延長の合理的配慮をイメージした対策を深めていきました(最終的にこの確約が来たのは二次出願の直前でした)。夏から秋にかけては模試でもまだ結果が伴っておらず、微熱が続き体調もいまいちで、精神的に苦しい時期でした。それでも彼は一切ぶれることがありませんでした。) 
(※合格後、「自分のことは自分が一番よくわかるという自信というかわがままな部分と、これで正しいのかという不安がある」と言っていました。)

☆  ☆  ☆

彼のようにストイックで精神的に自立した生徒から、唯一の塾に選んでもらえたことを、もじこ塾は誇りに思います(泣き笑い)。

彼は、今後のもじこ塾の方向性について、重要な示唆を与えてくれました。
もじこのディスレクシア・ジャーニーの目標は、「社会変革」です。これは最初からずっとそうです。ディスレクシアという人種が存在することを,まずは教育現場の人に,知ってもらいたいと思っています。
でもそのための活動は、あくまでも美しくあるべきだと、私は彼から教えられました。
美しくない社会変革運動は、何より当事者のためにならないのだと。
美しいとはどういうことか・・・これを言語化するのはもう少し時間かかかりそうですが,彼は私の中に直観的な評価軸を残していきました。
きっとこれからのもじこ塾は,この「美しいかどうか」を基準に,進むべき方向性を決めていくことでしょう。

もう一つは、「ディスレクシア英語教育の最適解はない。でも,教える側は手札をたくさん持っている必要があり、知識と観察力と対応力が試される」という、教師力の課題です。

もじこ塾はより一層ディスレクシア塾となり、新しい生徒たちのために、教師力にさらに磨きをかけてまいります。
そして、定型の人が入りたいとうらやむような美しい塾(笑)へと、進化していく所存です。

2018-05-05

授業日誌のブログを始めました。

ひっそりと新たなブログをはじめました。
もじこ塾授業日誌→
なんと!いまのところ毎日更新中!助手と生徒のおかげです^^





2020年,ディスレクシア英語教育界隈は,非常に忙しくなることが目に見えています。

というのも,この年は大学入試も変わりますが,それだけでなく,小3から英語が必修化,小5から教科化されるからです。

英語が教科化された日には,文字指導が当然入ってきます。
そうなれば,クラスの2~3割の子から

「会話は大丈夫だったのに,文字が出て来た瞬間に英語が大嫌いに」
「何十回,何百回と書いてもスペルを覚えられない」
「クラスのみんながどうして読めるのか,理解できない」

という悲鳴が上がり,教室は大混乱に陥ることでしょう。
当ブログでも繰り返し言っている通り,ディスレクシアは日本語よりも英語に,はるかに出やすいのです。

そのときに

「それはディスレクシアなんだよ。
あせらず落ち着いて,英語の最初の一歩はこうするといいんだよ」

という具体的な教え方を示したい,
できれば大学受験までの道筋を示したい・・・
というのが,当ブログの切なる願いです。

そのための具体的な方策を発信していこうというのが,授業日誌ブログの目的です。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

~~


2018-04-28

受験体験記(2)byピノコ「私は、振り上げた拳の納め方が分からないのです。」

もじこ塾に通う中学生にはおなじみ,授業の助手を務めるピノコさんに,体験記を書いてもらいました。
昨年の受験報告会での快刀乱麻ぶりを,覚えておられる方も多いと思います。

とっても明るく,直接会って話した人なら誰もが賢いと感じるであろう彼女は,瞬時の洞察力と遅い処理能力をあわせもつがゆえに,大変重い半生を過ごしてきました。
関東某県の中高一貫進学校に入学するも,高1で学校側に啖呵切って自ら退学。しかし高校中退ではコンビニも雇ってくれない現実に直面し,上京して予備校に通い高認取得。その後いろいろあって,はじめてLDが判明,もじこ塾に通うように。合理的配慮を受けて大学受験し、医療系の進路に進むも,思うところあって休学。今は大学の科目履修生やもじこ塾の助手をしながら,次の一歩を模索中。・・・そんな途中の状態にあって、受験生活を率直に書いてくれた勇気は,敬服に値します。

彼女は,ずばっと物事を一刀両断するときの洞察力がものすごいです。そして怒りのパワーでこれまで物事を動かしてきました(今それを改善中^^)
これらは「過度激動」の特徴に見えます。感動にしても怒りにしても感情の振幅が激しい公平や倫理的正しさを自分にも他人にも強く要求する,批評精神が強く物事を深く考える傾向がある,束縛や指図を嫌い自分の価値観をあくまで貫こうとする・・・といった特徴のことです。過度激動はギフテッドや2e(発達凹凸の非常に激しい人)にしばしば見られると言われます。

もじこ塾には、自分で入塾希望の連絡をしてきました。ここは親が見つけて連絡してくるケースがほとんどなのですが,自分で連絡してくる生徒は,肚がすわっているといいますか,講師との対話が深くなる傾向にあります。彼女も例外ではありません。

ディスレクシア的には,想起が遅いタイプ。それも非常に遅いです。ディスレクシアは,「読むのは速いが読み間違いが多い」というタイプと,「正確に読めるけど遅い」というタイプに大別されます。
そこにさらに英語に関しては「どの程度記憶に定着するか」という要素も入ってきます。正確だけど遅く,定着も悪いと,英語の習得はかなりスローになります。彼女はこのタイプです。

また,もじこ塾には「親が博士号取得者」というカテゴリー(?)があるのですが,彼女はそこに属します。現代日本において高学歴は地位,名誉,評価,安定へのほぼ十分条件ですが,それを親と同じ形では得られないというのは,親子双方にとって,乗り越えるのがとても大変な課題だと思います。
それ以外にもさまざまな困難を背負う彼女。明るく鋭くて重い,ピノコの現状報告です。

         ☆  ☆

はじめまして。
もじこ塾の卒業生兼助手のピノコです。
遅ればせながら、もじこ塾に関わる皆様へのご挨拶と自己紹介を兼ねて、1年越しの合格体験記を書くこととなりました。
大変読みづらい拙い文章ではありますが、最後までお付き合い頂けると幸いです。

Q.もじこ塾をどうやって知ったか?また、入塾の決め手は?
A.もじこ塾を知った経緯は、皆さんと同様にブログです。
当時の私はディスレクシアなるものは、文字が躍ったり二重に見えるなどの見え方の問題を伴うものだと思っていました。なので、当初は『私は、ちゃんと見えているし・・・』と、ディスレクシアでは無いと思っていました。しかし、先生のブログにたどりつき、必ずしも見え方の問題を含んでいないと言うことを知り、今日に至ります。
 そんなある日、いつものようにブログを読み進めていると、もじこ先生が生徒を募集しているではないですか!!『これは!チャンスだ!!』と思い、すぐに親に許可をもらい、その勢いのままもじこ先生にメールを差し上げました。・・・今思えば、ネット上の人にすぐ連絡して会いに行くなんてちょっと怖いな〜、とどこか他人事のように感じています。

 入塾の決め手は、悪い人じゃないと思ったからです。こればっかりは、かなり感覚的なものです。こういう特性があった為なのか、昔から自分をバカにする人や下に見る人に対してはかなり敏感だと思います。これを見ている人の中にもいると思いますが、相手の悪意というかネガティブな感情にとても敏感なところがあります。一種の防御機能なのかもしれませんね。しかし、もじこ先生からそういった感情を受信しませんでした。それが大きな要因の一つです。
そんなこと!?授業がわかりやすかったとかじゃないの!!?!!と思っている方もいらっしゃるでしょう。しかし、私の時間を先生に預けるのですから、信頼関係は大事です。例えばもしも、信頼していない先生からこれをやりなさい、これをやれば成績が上がるからと言われて、その課題を真剣にこなす事ができるでしょうか。私の答えは否です。どんなに有名講師であろうと、信頼していない講師のいうことを盲目的に信じることはできません。それが、入塾の決め手です。

※ディスレクシアな生徒には、心の底まで見透かされているような気分になるので、邪念を追い払うよう意識してます(本気です)。

Q.他の予備校との兼ね合いは?英語はもじこ塾以外でも勉強したか?
A.結論から言ってしまえば、もじこ塾に通っている間は他の予備校には通っていません。
もちろん、英語ももじこ塾だけでした。他の予備校に通わなかったのには、2つ理由があります。
 1つ目は、予備校のペースに合わないからです。ぴったりな言葉が見つからないのですが、早く進みすぎて分からないというよりも、「今やっている事はわかるが、この前説明していた問題とこの問題は何が違うの?」といった他のものとの関連に目が行きやすいです。記憶と記憶や知識と記憶のつながりが弱い?のかもしれません。
その為かどうかは定かではないですが、頭の中の整理が悪いです・・・1つの思い出を思い出すと、派生して色々なものが断片的に沢山出てきてしまいます。しかも、断片的に出てくるので、1つ1つの物事の因果関係が思い出せないのです。ある意味、英単語もそうですね。頭文字と形が似ている単語が沢山出てきて何が何だか分からなくなってしまう。しまいには、似ている単語の区別がつかなくなってしまうのですから、難儀なものです。
そんなわけで、私はクラスの大多数が目の前の問題に頭を悩ませている間に、自身の記憶の荒波を渡りきらなくてはなりません。私の乗っている超高性能な泥舟では、授業中に沢山出てきた記憶や知識の断片と今教わっている内容の因果関係を探る旅に出航したところで、沈没し海の藻屑となるのが関の山でしょうから、そんな無謀なことはいたしません。実際、因果関係を探すことを初めたらその授業どころか1日は使い物にならないでしょうしね。
 話を戻します。上述した様に、付随して沢山出てきた記憶や知識を1つ1つ整理してしまい直さないといけない。その作業をする上で、なかなか既存の予備校のペースだと合わないことや不都合が出てきます。それが、私が予備校に頼らないことにした1つ目の理由です。

 2つ目の理由は、別段通う必要を感じなかったからです。
 それぞれの科目に教科書や参考書が世の中には数え切れない程あります。もっと言えば、google先生に聞けばまず分からないという事はありません。その上、我が家は少し変わっていて、毎年どんなに忙しくても新聞に載ったセンター試験を必ず解く父と、理系の母がいたので、数学・化学(母の専門)・物理(父の専門)はどうしても分からない事があれば答えてくれるので問題ありませんし、生物は基本覚える事だけなので教わる必要性を感じませんでした。そんな感じで、予備校に行くべき理由がなかったと言うのが2つめの理由です。
 しかし、1つ後悔していることがあります。勉強場所の確保です。なので、授業を受ける必要性を感じなくても1科目だけ受講して自習室を存分に使うのが賢い選択だと思います。
記憶と記憶のつながりが弱いのではなく、普通は結びつけないような要素同士が結びついているように見えます。それはペーパーテストで要求されるものとは違うので、テストでは分が悪いのですが、テストを離れたところでは「ものすごく深い洞察力」と言われるものになる。ピノコを見ていると,そのように思えてきます。


Q.入塾を考えている人へ、もじこ塾はどんなところと説明するか?
A. 「どんな所?・・・どんな所か・・・?」この質問をされるとこう答える中学生がとても多いのは、見ていて興味深いです。実際、この言葉がもじこ塾を表すのに一番的確な言葉なのかもなんてことを考えながら、授業の様子を眺めています。
私も端的に説明するのは難しいです、否、説明してはいけないのかも・・・なんて事さえ思います。もじこ塾の雰囲気を言語化するというのは些か無粋というものかもしれません。

 もじこ『塾』と聞いて、いわゆる塾をイメージすると驚くと思います。実は、もじこ先生に言った事はないのですが、塾というラベルには正直ピンときていません。かと言って療育塾なのかといえば違うのですが。
 私はこう見えて中学受験をして、私立の中高一貫校に進学しました。故に、塾という場所には少なからずお世話になりました。良くも悪くも塾という世界は単純です。合格か不合格か。テストが出来たか出来ないか。内容を理解したかしていないか。二者択一、単純明快です。
しかし、もじこ塾は点数云々というより、誤解を恐れずいうのであれば全人的です。不思議な事ですが、自己理解や周りの理解、生活の上での変化によって、学習に対して前向きになるだけではなく、書く文字自体が綺麗になることがあります。特に中学生を見ていると強くそういったことを感じますが、自分がもじこ塾生だった時を思い出すと、やはり心理的変化は学習面での変化をもたらしていたなと思いました。特性理解も含め精神面でのサポートも、もじこ塾の特徴の一つではないでしょうか。
 それに、特性理解をするにあたって、難しい事を難しいと言える、辛い事を辛いと言うのは重要なことだと思います。予備校や学校だと「出来ない」と口に出していうのは、恥ずかしかったり悔しかったりしてなかなか言い出せません。私ももちろんそうでした。ですが、もじこ塾は本人を本人としてみてくれます。難しい事や辛い事、悩み、苦悩を持っていても、ディスレクシアという特性があっても、あくまでその人本人の所有物としてみてくれる。そんな塾です。最初から変わった子という色眼鏡でも見られない。かわいそうな子という目で見られない。もちろん、問題児という目でも。これは悲しい話ですが、そう言った目で見られない環境とはそう多くはありません。
 「自分が自分としていられる場所」というと洒落っ気がないですが、それが一番近い言葉だと思います。
たいへん的確な説明をありがとうございますm(_ _)m。人としての信頼関係があって初めてディスレクシアに何かを教えることができる。しかもディスレクシアの生徒は「この人は信頼に足るか」を瞬時に判断する…というのが、もじこ塾の基本的な考え方です。

Q.もじこ塾で勉強した事または、話した事で特に印象に残っている事は何か?
A. 主に勉強していた事は、構文です。
短い文の構造を理解して和訳するという作業をしました。次の週に先生に短文の中にあった単語を聞かれるので、次の週までに覚えていきます。そういう形で、文法の理解と語彙力向上を目的に取り組んでいきました。受験が近づいてくると、長文読解も解きました。
 文法的な知識としては頭に入っていても、目の前の文にどの文法が当てはまるのか分からないという事が多かったので、少しずつ、本当に少しずつですけど、知識を整理する事が出来ました。
具体的には、1週間のうち最初の2日間くらいは、英文を和訳できるように(文の構造を意識しながら)文章を区切りながら和訳をします。それが出来るようになったら次は、日本語訳を見ながら英作文をしていき、一緒に単語も覚えていきます。そうして文章の中で単語を覚えると、単語帳で覚えるより覚えやすかった記憶があります。
(余談ですが、ここ数日間フォニックスをやっていて、きちんと発音ができると単語を覚えるのがもっと楽になるかも?なんてことを思っています。まだ試していませんが。)

 話した事で記憶に残っている事というか、よく話していた内容は、他の生徒さんの近況ですね。本当に色々な話を先生とはしました。これに対してどう思うと問われれば、こう思う・ああ思う等々色々な話をしました。12月以降は小論文も見ていただいたので、今まで雑談として話していた内容がそのまま小論文になっていました(笑)。
構文はすべての基礎になるので、ピノコともやりましたが、進みがとても遅かったので効果があったかどうか・・・ごめんなさい。実はいま、彼女は授業助手をしながら、フォニックスやスピーキングをかなり行っているのですが、これらが意外とためになっている気がします。ピノコの英語力はまだまだのびますよ。
※ピノコには「過度激動」の話をよく振りました。どこで読んだか,「過度激動のアンダーアチーバ―は正義漢になる」(感情の振幅の激しい2eの人が,凸と凹を正当に評価されていないと,過剰に正義を求めるようになる)は,まさにピノコのことだと思います。そして若い頃の私のことでもあります… 

Q.ディスレクシア的に、大学入試や受験勉強において特に注意するべき点はあるか?
A.もじこ塾に通っている方には、国語ができないという方が少なからずいらっしゃるようです。私は、国語の成績が一番良かったので、国語の解き方を一応書いておきます。

 私は、センターなどの国語の文章はほとんど読みません。試験終了後の帰り道で読み返して「こんな話だったんだ〜。へ〜知らなかった」と言わんばかりのレベルです。試験中に読んでいると時間がありませんし、問題を解くに当たって必要でない箇所も多いですしね。
 なので、問題文は下線部の前後を読んで解いていきます。この時、チューニングを合わせるというか、深読みしすぎないというか。私は、結構感覚的に解いていきます。頭を使うと逆に間違えます。それと、一切私の感情を入れずに読むというのがコツといえばコツです。
 「私の感情」とは私自身が持つ言葉のイメージです。例えば、賢いこと1つとっても色々表現がありますよね。賢い・頭のいい・要領のいい・スマートな・聡い・聡明な・クレバーな・・・ざっと出しただけでも、これだけあります。その中で、その人その人で言葉に対する印象があると思います。しかし、ここで自分のイメージに当てはめて考えすぎると間違えます。そこで、先ほど言ったチューニングのような行為が重要です。このチューニングが失敗すると全く問題が解けません。
問題文を読んで、なんとなく作問者の周波数と同調する様な感じです。「自分のイメージはこうだけど、作問者はこういう印象を持っているんじゃないかしら〜」くらいの軽い気持ちで、あまり深読みせず解いていきます。
ディスレクシア的かはさておき、私からの学習面でのアドバイスはこんな感じです。

脳をワンランク,ダウングレードするんですね!
チューニングと言えば・・・私は11の授業の場合、生徒にチューニングするという意識がかなりあります。ピノコをはじめ,ある種のディスレクシアの生徒には,チューニングすると二つの会話が同時進行する感覚があり、かつ、ピノコの場合は,時々意識を失いそうに眠くなりました()。たぶん、ピノコの思考のペースにぴったり合わせるには、ものすごく脳のエネルギーを使うのでしょう。この疲労感こそ、ピノコ本人が感じているものに違いないと、いつも思っておりました。

Q.もじこ塾に通っている生徒に、激励のことばを。
A.今から言う事が果たして激励かはわかりませんが、この原稿を書いている中で高校を中退しているのは私だけなので、中退という側面から書きたいと思います。

 私は小さい時から何もできない子供でした。みんなと同じにできないので、こう言われるのは順当な流れだったのかもしれません。正当な事だとは思いませんが。『お前にはそんな事出来ない』『お前は何一つまともに出来ないじゃないか』と笑われる事が多かったです。学校を中退するときにも散々言われました。面白いもので、こうやって色々言ってくる人はうるさい人ですが、意外と誠実です。もっとたちの悪い人は、笑う人、心配するフリをして自分の好奇心を満たそうとする人、はたまた負け犬呼ばわりする人・・・
中退すると付き合う人間の取捨選択ができます。本当に世の中に腹がたちました。『お前らのことは一生忘れない。お前らの姿・声を心に刻み、二度とそんな口をきけないようにしてやる』と奥歯を噛み締め泣いた事が少なからずあります。そして、一通り泣いたあと必ずこう思いました『あいつらに劣る時間は過ごすまい。最後に笑うのは私だ』と。当時の私は血気盛んです。

 しかし同時に、たくさんの人生勉強もしました。実地で勉強することは、否応なく様々な気づきをもたらしてくれます。学校に通っていないと自由なことはたくさんありますが、守ってくれる人はいません。それは大きな恐怖です。もし、中退したいと考えている方がいましたら、考えてみてください。学校に通っていたら、何かミスをしても先生がとりなしてくれる事でしょう。ですが、中退をしていると1つでも違えば今まで行っていたことが全部台無しという事もあります。その上、きちんとできて初めて高校に通っている子達と同じ土俵に立てます。それでも、やめるというのであれは、反骨精神旺盛な気骨のある人か、想像力がないかどちらかでしょう。私はもちろん、後者です。これは、何も中退することを止める為に書いている訳ではありません。かといって、推奨しているわけではありませんが。

 この先、皆さんが学校を辞めたいと考えることがあるかもしれません。こんな理不尽な行い許せない、こんな環境では自分が腐る。そう思ったときに、一歩自分が賢くなり、学校を利用して自分に利益をもたらす事を考えるか。もしくは『ここは、譲れない!!』と言って引かないかは、自分で決めることです。
どちらを選んだとて辛いことです。それが故に、どちらを選んだとて賞賛されるものであって、非難や中傷されるべきものではありません。
 これが激励の言葉になっているか甚だ疑問ですが、もし今中退したいと言う人がいたら私は「中退しろ」「通い続けろ」なんて事は軽々しく言えません。どちらを選択するにせよ、荊の道だからです。ただ、あなたの得たいものは何か、目的は何かと自分自身に問うこと、きっとそれが分かれば、自ずと答えは見つかると思います。

いえ、あなたは反骨精神旺盛のほうです(TT)
昨年の受験報告会では、「もしLDだと早くに気付いていたら、高校をやめることは決してなかった」と言っていましたよね…

Q.自分がディスレクシアだと知ってどう思ったか? 現在はどう捉えているか?
A.私はディスレクシア以外に持病があります。なので、ディスレクシアという事に対しては、あまりショックを受けませんでした。本当に無感動というか無関心というか?「へ〜」くらいのものでした。私の持病は基本的には薬を飲みつづけなくてはならない類のものですから、薬を飲む必要のない病気・障害など病気・障害のうちに入らんくらいに思っていました。(あくまで、偏った見方です)

 ここからは参考になればということで書きます。
 私の持病は9歳の時に発病しました。その当時は大人の方がショックを受けていて、私自身は大して気にも止めていないといったところです。
しかし、思春期に差し掛かるうち、みんなと同じことが出来ない、同じじゃないという事が心に重くのしかかります。その時読んでいた漫画に『不自由であることイコール不幸ではない』と書いてありました。よく私は大人から『かわいそうな子』『不幸な子』と言われたり、そういう目で見られたりしていましたから、この言葉が私のなけなしの矜持でした。『私は見世物じゃない。ましてや、そんな目で見られる筋合いもない』と半人前のくせにプライドだけは一人前だったのでそう思い、心の中で思いつくだけの悪態をついてやりました。
 そのうえ私を苦しめたのは、病気だという現実を受け入れることです。診断を受け入れると簡単に言ってくれますが・・・私は持病の診断が下ってから10年以上経ちます。しかしながら、未だに受け入れていません
主治医に話した事があります。『私だって馬鹿じゃありません。薬を飲まねば調子が悪くなる。当然です。そんな事は分かっています。分かっていますけど、どうしても腹が立つのです。例えるなら、道を歩いていて雷に打たれて“なんで私が打たれなきゃならないんだ”と怒鳴りちらしているのと同じように愚かな行為だということは。ですが、振り上げた拳を誰にぶつければいいのですか?空に向かって唾を吐けば自分に返ってきます。私は、振り上げた拳の納め方が分からないのです。』やはり私は未だに病気を受け入れられません。
 ここまで書いていて何が書きたいのか・・・とにかく、ディスレクシアであっても他の病気・障害であっても、自分に出来ない行為があるという事を受け入れるのは難しいという事です。しかし、受け入れずには生きていけない、否生きづらい・・・つくづく難儀なものですね。

 ディスレクシアの捉え方は、嫌いな野菜の食べ方の模索中と言ったところでしょうか。ほうれん草が嫌いなら、ほうれん草の何が嫌いか考える。そうですね、例えば緑色が嫌い・匂いが嫌い・味が嫌い人、それぞれあると思います。色が嫌いなら、食べている途中に緑色が見えないよう、小さく刻んで何かに包んで食べればいい。匂いが嫌いなら、他の匂いの強いものと炒めればいい。味が嫌いなら、味が気にならない味付けをすればいい。これをそのままディスレクシアに当てはめるのは乱暴だとは思いますが、私の捉え方としてはそんな感じです。嫌いと思った事柄に対して「それは何故か?」と自身に問い、いくつかの可能性が出てきたら、それに対する解決策を考える。それの繰り返しです。うまくいくときもあれば行かないときもある。そんな感じの毎日です。


※持病もちというのも,もじこ塾のカテゴリーのひとつです。この部分については軽々しいことは言えないので,過度激動の観点から,自分と何人かの生徒を見て思うことを・・・
過度激動の人は,人生の意味とか,何のために生きるのかとかを,真剣に考えてしまう傾向があると思います。
自分のできることを使って人さまの役に立てる落としどころを探すことになると思いますが,発達上の凹凸が激しいと,そのポイントは,きわめてニッチなところにあります。
それを見つけて,その部分を使ったチューニング力を極限的に高めることが,過度激動の人がハッピーに生きるための一つの道だと思います。
それができるようになった頃には,おそらくは持病との向き合い方も変わっていると思います。気安く言うなよって感じかもしれませんが…

2018-04-17

合格体験記(1)「英語を楽しんで使える理想の自分を思い描きながら」

昨年度1年間、もじこ塾で英語を勉強し、この春から大学生になった生徒に、合格体験記を書いてもらいました。
1人目は一橋大学に合格したA君。都内私立進学校卒,浪人生,高校受験してます。

彼は数学と社会がものすごく得意です。めちゃくちゃ馬力があり、試験時間の120分,英語を読み続けることはわけなくできます[普通の人よりかなりの負荷がかかっているはずですが]。知識量は相当あるうえインスピレーションのかたまりというか、視点がとてもユニークで、茶目っ気があります。
時空を飛び越えるような英作文を書き、時々主語が抜け、字は控えめに言って悪筆で[ごめんなさい]、余裕の合格答案が書けるようになっても最後までスペルミスや受動態や不規則動詞のミスがなくならない,私からするといかにもディスレクシアらしい生徒でした。
多動も不注意もこだわりもなく、時間は守り、寝落ちせず、宿題は全部やってきました。
彼とは、私が出講する予備校で出会いました。こちらは3回目くらいの授業でディスレクシアだと気づいていましたが,現役時は指摘せず。浪人決定時に報告に来たので「君はディスレクシアというものだと思うよ」と話して,もじこ塾に引っ張ってきました。

☆  ☆  ☆

ーーもじこ塾をどうやって知ったか。入塾の決め手は。
21月から成田先生の一橋英語を受講しており、3月に浪人の報告をしに伺った時に、留学したいので英語を伸ばす浪人生活をしたいと伝えた所、もじこ塾を教えてもらった。もともと、単に予備校に行くだけの浪人生活にしたくないと思っていたので、入塾を決めた。その際にディスレクシアの説明を受けたが、実のところあまり気にしていなかった。成田先生には私の解答を1年以上見てもらっていたので、これ以上自分を理解している教師はいないので、ぜひ個別で見てもらいたいと考えたのが入塾の決め手だった。

(※そりゃあ、私はA君がディスレクシアだと見抜いていたわけですしね(^_^))


ーー他の予備校との兼ね合いは。英語はもじこ塾以外でも勉強したか。
河合塾は元々、英語の授業が多かった(平日毎日90)。もじこ塾で読解、英作文の対策をしてもらったので、河合の方では文法に力をいれた。現役の時はあまりやらなかった文法だったが、一浪して、大分よくなった。河合の宣伝になってしまうが、読解の太先生(東進でも受講可能?)の授業は良かった、英語の読み方が変わった。しかし、集団で単に講義を受けるだけの予備校より個別で先生に質問しながら勉強できるもじこの方が本来の自分の居場所という気がしていた。

(※彼のインスピレーションに満ちた一面が答案に表れたときは「ほんとディスレクシア的だね」という指摘を積極的にしました。そういった指摘が無意識的に"居場所感"につながったら,もじこ塾に引っ張ってきたかいがあったというもの。
私にとって彼はどこまでもディスレクシア的で,そのディスレクシア感覚を目の当たりにするのは、美しい自然現象に立ち合うような(?!)、講師冥利に尽きる瞬間でございました。)


ーー入塾を考えている人へ、もじこ塾はどんなところと説明するか。
もじこ塾は、個人のレベルに合わせて、(ディスレクシアという特性も考えながら)勉強内容を変えて取り組むことができます。過去にxxxで東大クラスをもっていた先生から個別指導を受けることができるなんて、とてもお得だと思います。
私は、ディスレクシアのことなんてあまり考えずに受けていました。ディスレクシア用の特殊な指導を受けることも、ディスレクシアという特性をもちながら、普通の受験勉強をよりよくしていく場として活用することもできると思います。
また、私は小中高と様々な塾に通ってきましたが、個別指導は受けたことがなくて、個別でも集団でも変わらないだろうと思っていましたが、初めて個別指導を受けてみて意外と質問は先生を前にすると出てくるし、英作文のコメントを詳しく聞くことができたのがよかったと思っています。

(※「もじこ塾に行けるなんてうらやましい」と,定型の生徒に言わせたいですね(^^)。)


ーーもじこ塾で勉強したこと/話したことで、特に印象に残っていることは
5月か6月頃に先生の前で読解の練習をしたことがまず、思い浮かびます。本番の入試よりも難しいものを読もうというコンセプトのもと、先生が探してきた文章を先生の前で読みました。入試ではあり得ない長々々文で一部を先生の前で読み、読み方を学んで、残りを自分で読むことで、先生の前で読んだ時に学んだことを実際に試すことがしやすかったと思います。

(※彼には毎週必ず自由英作文を1本、目の前で書いてもらうのと、時には読解問題を目の前で解いてもらっていました[→黙読]。こちらでは読む様子、書く様子をつぶさに観察し,いろいろ指摘します。ディスレクシア的には読み書きのプロセスそのものを改良したいわけですから、現行犯逮捕(?!)ができるよう,このような形式になりました。細かく観察されるのはかなり緊張したと思うけど、よく耐えた(?)と思いますよ。)
(※一番印象に残っている彼の答案は,年末に自由英作文で書いてきたKnowledge interferes with innovation[知識はイノベーションの邪魔をする]という一言。それだけ知識量のある人がそんなことを言うなんて。。でもディスレクシアな発明家は異口同音にそう言いますね。)



ーー入試を振り返って、現役時との違いは。勝因は何だったと思うか。
現役のときは、安定して高得点が出せる社会と不安定だけど得意な数学で押しきろうとしていました。その結果、数学が良かった模試の成績は良かったですが、本番は数学で失敗して落ちました。浪人時は、苦手な英語を克服しようと、もじこ塾に通って英語漬けにしました。私としては、一橋英語よりも早慶英語にも手をのばしたことで安定性が出て、得点も伸びた気がします。

(※彼
を通じて私が改めて確認したのは、難関大を目指すディスレクシアには読み書きを極限まで追い込む指導が有効で、それを可能にするのは信頼関係だということ(→これを言葉で確認することは決してないですが)。追い込める教材を使う必要がありますし、本人が読むこと書くことに及び腰になっている状態だと、残念ながら効果は薄い。
もじこ塾に来る生徒には、読んで書いてどろどろになるところを、かまわず見せてほしいと思ってます。彼はこの点で迷いがなかったですし、しかも、なかなかへこたれなかった(笑)



ーーディスレクシア的に、大学入試や受験勉強において特に注意すべき点はあるか。
基本的には、大量の問題を限られた厳しい制限時間の中で解くことを要求する試験は苦手だと思います。実のところ大抵の入試問題はこのパターンでセンターも早慶も向いていないと思います。私が受けた中では、一橋の問題だけが例外だったかもしれません。
そんな中で、このパターンを克服する方法の一つは難しく考えないことかもしれません。センターで特にこの方法が活用でき、イメージとしては脳をワンランクグレードダウンさせる感じです。フワフワ解くといったらよいのでしょうか、なんとも伝えにくいのが正直なところです。ただし、苦しみながらもこのことを念頭に置きながら訓練しないとこの技術は体得できないと思います。

(※「センターでは脳をワンランクグレードダウンさせる」は,このあと掲載する別の人も言っています。びっくり!)


ーーもじこ塾の生徒に、激励のことばをお願いします。
私たちは本当は自分の苦手な領域(英語など)から逃げて自分の好きな世界(数式など)に逃げていたほうが生きやすいのかもしれません。しかし、私たちの中には、先生が言うには(私は今も昔もあまり自覚はないが)ものすごい努力をして何とか今の英語力を維持して何とか大学受験に向かおうとしている人がいます。大学受験までの辛抱と思うかもしれませんが、大学に入ってからも英語力は必要とされ、私も留学のために既にさんざん練習してきたReadingでも更なるジャンプアップを必要としています。ここまでして英語を学ぶのなら、英語の楽しさを早く見出したほうがいいのではないかと、受験が終わってから思うようになりました。というのも受験が終わって、久しぶりに洋画を見たら、2年半前よりもはるかに英語が聞けて、意味が理解できる様になっていて、何倍も面白かったのです。苦労したら楽しさはあると信じていないとやっていけないと思うし、英語を楽しんで使える理想の自分を思い描きながら、皆さんには頑張ってもらいたいと思います。

(※美しい・・・(ノД`)
英語の読み書きは苦痛のはずなのに,目標達成のためにそれを克服しようとする姿勢は、本当に尊くて、私としては彼にはリスペクトしかないです。
苦手だった英語を留学仕様にブラッシュアップできたので、浪人して本当によかったと思いますよ。
12月頃に一段と英作文がうまくなった時は驚きました。合格後に聞いたところ「読解問題のストラクチャー[全体構成]やリズムを真似するようにした」と言っていましたよね。英語の文字-音の対応ではすくいきれない部分に反応して、それを再現できるようになるとは、なんてディスレクシア的な英語力の伸ばし方なのだ・・・と、感銘を受けました。)


ーー自分がディスレクシアだと知ってどう思ったか。現在はそのことをどうとらえているか。
自分がディスレクシアと知ってもあまりピンとこなかったし、今もまったく気にしていない。ただ、このことを知ったことで、予備校で先生のおすすめする学習法が自分に合っているのかを考える材料になったりと、自分の特性を知ったことで、得意を伸ばし、苦手をつぶす方法を考えるための新しい見方になっていると思います。

※ちなみに,一橋大学では,ディスレクシアの学生を支援してくれるそうです→

ディスレクシアの文字を大学の合理的配慮でみたのは初めてかも、、でもこの対応を入試でも行ってくれたら、一橋を本気と認めます(´∀`)

☆  ☆  ☆


この生徒のように、進学校にもディスレクシアは確実に存在します。

おそらく診断はつかないでしょうし、本人も診断を受ける必要性を感じていないでしょうし、研究会で事例発表したところで「この生徒は困っていないのではないか?」と言われそうですが、でもこうした生徒も自分比で英語ができないことにすごく苦労していますし、通常とは異なるアプローチが有効だし必要だと、改めて確信するに至りました。

彼には、もじこ塾の今後の方向性を決めてもらったと思っています。

もじこ塾は今後、療育塾ではなく進学塾、それもバリバリの進学塾になる予定です^^。(注:あくまでもディスレクシア専用です)。