ディスレクシア専用英語塾「もじこ塾」のブログです。 ●ディスレクシアとは:知能は普通だが、読み書きが苦手(読み間違いが多い、読むのが遅い、書き間違いが多い、読むと疲れやすい)という脳の特性 ●全体像の把握、物事の関係性・ストーリーの把握、空間把握、ifを考えるシミュレーション能力に長ける ●読み書きの困難は、日本語より英語に出やすい ●適切に対処すれば、読みの問題は表面上は克服される ●10人に1人程度いるというのが通説 ●家族性とされるが、ディスレクシアの表れ方は個人差が大きい もじこ塾は、ディスレクシアはこれからの社会に不可欠な才能、でも日々の学習では普通と違うアプローチが必要、という立場です。

2018-04-28

受験体験記(2)byピノコ「私は、振り上げた拳の納め方が分からないのです。」

もじこ塾に通う中学生にはおなじみ,授業の助手を務めるピノコさんに,体験記を書いてもらいました。
昨年の受験報告会での快刀乱麻ぶりを,覚えておられる方も多いと思います。

とっても明るく,直接会って話した人なら誰もが賢いと感じるであろう彼女は,瞬時の洞察力と遅い処理能力をあわせもつがゆえに,大変重い半生を過ごしてきました。
関東某県の中高一貫進学校に入学するも,高1で学校側に啖呵切って自ら退学。しかし高校中退ではコンビニも雇ってくれない現実に直面し,上京して予備校に通い高認取得。その後いろいろあって,はじめてLDが判明,もじこ塾に通うように。合理的配慮を受けて大学受験し、医療系の進路に進むも,思うところあって休学。今は大学の科目履修生やもじこ塾の助手をしながら,次の一歩を模索中。・・・そんな途中の状態にあって、受験生活を率直に書いてくれた勇気は,敬服に値します。

彼女は,ずばっと物事を一刀両断するときの洞察力がものすごいです。そして怒りのパワーでこれまで物事を動かしてきました(今それを改善中^^)
これらは「過度激動」の特徴に見えます。感動にしても怒りにしても感情の振幅が激しい公平や倫理的正しさを自分にも他人にも強く要求する,批評精神が強く物事を深く考える傾向がある,束縛や指図を嫌い自分の価値観をあくまで貫こうとする・・・といった特徴のことです。過度激動はギフテッドや2e(発達凹凸の非常に激しい人)にしばしば見られると言われます。

もじこ塾には、自分で入塾希望の連絡をしてきました。ここは親が見つけて連絡してくるケースがほとんどなのですが,自分で連絡してくる生徒は,肚がすわっているといいますか,講師との対話が深くなる傾向にあります。彼女も例外ではありません。

ディスレクシア的には,想起が遅いタイプ。それも非常に遅いです。ディスレクシアは,「読むのは速いが読み間違いが多い」というタイプと,「正確に読めるけど遅い」というタイプに大別されます。
そこにさらに英語に関しては「どの程度記憶に定着するか」という要素も入ってきます。正確だけど遅く,定着も悪いと,英語の習得はかなりスローになります。彼女はこのタイプです。

また,もじこ塾には「親が博士号取得者」というカテゴリー(?)があるのですが,彼女はそこに属します。現代日本において高学歴は地位,名誉,評価,安定へのほぼ十分条件ですが,それを親と同じ形では得られないというのは,親子双方にとって,乗り越えるのがとても大変な課題だと思います。
それ以外にもさまざまな困難を背負う彼女。明るく鋭くて重い,ピノコの現状報告です。

         ☆  ☆

はじめまして。
もじこ塾の卒業生兼助手のピノコです。
遅ればせながら、もじこ塾に関わる皆様へのご挨拶と自己紹介を兼ねて、1年越しの合格体験記を書くこととなりました。
大変読みづらい拙い文章ではありますが、最後までお付き合い頂けると幸いです。

Q.もじこ塾をどうやって知ったか?また、入塾の決め手は?
A.もじこ塾を知った経緯は、皆さんと同様にブログです。
当時の私はディスレクシアなるものは、文字が躍ったり二重に見えるなどの見え方の問題を伴うものだと思っていました。なので、当初は『私は、ちゃんと見えているし・・・』と、ディスレクシアでは無いと思っていました。しかし、先生のブログにたどりつき、必ずしも見え方の問題を含んでいないと言うことを知り、今日に至ります。
 そんなある日、いつものようにブログを読み進めていると、もじこ先生が生徒を募集しているではないですか!!『これは!チャンスだ!!』と思い、すぐに親に許可をもらい、その勢いのままもじこ先生にメールを差し上げました。・・・今思えば、ネット上の人にすぐ連絡して会いに行くなんてちょっと怖いな〜、とどこか他人事のように感じています。

 入塾の決め手は、悪い人じゃないと思ったからです。こればっかりは、かなり感覚的なものです。こういう特性があった為なのか、昔から自分をバカにする人や下に見る人に対してはかなり敏感だと思います。これを見ている人の中にもいると思いますが、相手の悪意というかネガティブな感情にとても敏感なところがあります。一種の防御機能なのかもしれませんね。しかし、もじこ先生からそういった感情を受信しませんでした。それが大きな要因の一つです。
そんなこと!?授業がわかりやすかったとかじゃないの!!?!!と思っている方もいらっしゃるでしょう。しかし、私の時間を先生に預けるのですから、信頼関係は大事です。例えばもしも、信頼していない先生からこれをやりなさい、これをやれば成績が上がるからと言われて、その課題を真剣にこなす事ができるでしょうか。私の答えは否です。どんなに有名講師であろうと、信頼していない講師のいうことを盲目的に信じることはできません。それが、入塾の決め手です。

※ディスレクシアな生徒には、心の底まで見透かされているような気分になるので、邪念を追い払うよう意識してます(本気です)。

Q.他の予備校との兼ね合いは?英語はもじこ塾以外でも勉強したか?
A.結論から言ってしまえば、もじこ塾に通っている間は他の予備校には通っていません。
もちろん、英語ももじこ塾だけでした。他の予備校に通わなかったのには、2つ理由があります。
 1つ目は、予備校のペースに合わないからです。ぴったりな言葉が見つからないのですが、早く進みすぎて分からないというよりも、「今やっている事はわかるが、この前説明していた問題とこの問題は何が違うの?」といった他のものとの関連に目が行きやすいです。記憶と記憶や知識と記憶のつながりが弱い?のかもしれません。
その為かどうかは定かではないですが、頭の中の整理が悪いです・・・1つの思い出を思い出すと、派生して色々なものが断片的に沢山出てきてしまいます。しかも、断片的に出てくるので、1つ1つの物事の因果関係が思い出せないのです。ある意味、英単語もそうですね。頭文字と形が似ている単語が沢山出てきて何が何だか分からなくなってしまう。しまいには、似ている単語の区別がつかなくなってしまうのですから、難儀なものです。
そんなわけで、私はクラスの大多数が目の前の問題に頭を悩ませている間に、自身の記憶の荒波を渡りきらなくてはなりません。私の乗っている超高性能な泥舟では、授業中に沢山出てきた記憶や知識の断片と今教わっている内容の因果関係を探る旅に出航したところで、沈没し海の藻屑となるのが関の山でしょうから、そんな無謀なことはいたしません。実際、因果関係を探すことを初めたらその授業どころか1日は使い物にならないでしょうしね。
 話を戻します。上述した様に、付随して沢山出てきた記憶や知識を1つ1つ整理してしまい直さないといけない。その作業をする上で、なかなか既存の予備校のペースだと合わないことや不都合が出てきます。それが、私が予備校に頼らないことにした1つ目の理由です。

 2つ目の理由は、別段通う必要を感じなかったからです。
 それぞれの科目に教科書や参考書が世の中には数え切れない程あります。もっと言えば、google先生に聞けばまず分からないという事はありません。その上、我が家は少し変わっていて、毎年どんなに忙しくても新聞に載ったセンター試験を必ず解く父と、理系の母がいたので、数学・化学(母の専門)・物理(父の専門)はどうしても分からない事があれば答えてくれるので問題ありませんし、生物は基本覚える事だけなので教わる必要性を感じませんでした。そんな感じで、予備校に行くべき理由がなかったと言うのが2つめの理由です。
 しかし、1つ後悔していることがあります。勉強場所の確保です。なので、授業を受ける必要性を感じなくても1科目だけ受講して自習室を存分に使うのが賢い選択だと思います。
記憶と記憶のつながりが弱いのではなく、普通は結びつけないような要素同士が結びついているように見えます。それはペーパーテストで要求されるものとは違うので、テストでは分が悪いのですが、テストを離れたところでは「ものすごく深い洞察力」と言われるものになる。ピノコを見ていると,そのように思えてきます。


Q.入塾を考えている人へ、もじこ塾はどんなところと説明するか?
A. 「どんな所?・・・どんな所か・・・?」この質問をされるとこう答える中学生がとても多いのは、見ていて興味深いです。実際、この言葉がもじこ塾を表すのに一番的確な言葉なのかもなんてことを考えながら、授業の様子を眺めています。
私も端的に説明するのは難しいです、否、説明してはいけないのかも・・・なんて事さえ思います。もじこ塾の雰囲気を言語化するというのは些か無粋というものかもしれません。

 もじこ『塾』と聞いて、いわゆる塾をイメージすると驚くと思います。実は、もじこ先生に言った事はないのですが、塾というラベルには正直ピンときていません。かと言って療育塾なのかといえば違うのですが。
 私はこう見えて中学受験をして、私立の中高一貫校に進学しました。故に、塾という場所には少なからずお世話になりました。良くも悪くも塾という世界は単純です。合格か不合格か。テストが出来たか出来ないか。内容を理解したかしていないか。二者択一、単純明快です。
しかし、もじこ塾は点数云々というより、誤解を恐れずいうのであれば全人的です。不思議な事ですが、自己理解や周りの理解、生活の上での変化によって、学習に対して前向きになるだけではなく、書く文字自体が綺麗になることがあります。特に中学生を見ていると強くそういったことを感じますが、自分がもじこ塾生だった時を思い出すと、やはり心理的変化は学習面での変化をもたらしていたなと思いました。特性理解も含め精神面でのサポートも、もじこ塾の特徴の一つではないでしょうか。
 それに、特性理解をするにあたって、難しい事を難しいと言える、辛い事を辛いと言うのは重要なことだと思います。予備校や学校だと「出来ない」と口に出していうのは、恥ずかしかったり悔しかったりしてなかなか言い出せません。私ももちろんそうでした。ですが、もじこ塾は本人を本人としてみてくれます。難しい事や辛い事、悩み、苦悩を持っていても、ディスレクシアという特性があっても、あくまでその人本人の所有物としてみてくれる。そんな塾です。最初から変わった子という色眼鏡でも見られない。かわいそうな子という目で見られない。もちろん、問題児という目でも。これは悲しい話ですが、そう言った目で見られない環境とはそう多くはありません。
 「自分が自分としていられる場所」というと洒落っ気がないですが、それが一番近い言葉だと思います。
たいへん的確な説明をありがとうございますm(_ _)m。人としての信頼関係があって初めてディスレクシアに何かを教えることができる。しかもディスレクシアの生徒は「この人は信頼に足るか」を瞬時に判断する…というのが、もじこ塾の基本的な考え方です。

Q.もじこ塾で勉強した事または、話した事で特に印象に残っている事は何か?
A. 主に勉強していた事は、構文です。
短い文の構造を理解して和訳するという作業をしました。次の週に先生に短文の中にあった単語を聞かれるので、次の週までに覚えていきます。そういう形で、文法の理解と語彙力向上を目的に取り組んでいきました。受験が近づいてくると、長文読解も解きました。
 文法的な知識としては頭に入っていても、目の前の文にどの文法が当てはまるのか分からないという事が多かったので、少しずつ、本当に少しずつですけど、知識を整理する事が出来ました。
具体的には、1週間のうち最初の2日間くらいは、英文を和訳できるように(文の構造を意識しながら)文章を区切りながら和訳をします。それが出来るようになったら次は、日本語訳を見ながら英作文をしていき、一緒に単語も覚えていきます。そうして文章の中で単語を覚えると、単語帳で覚えるより覚えやすかった記憶があります。
(余談ですが、ここ数日間フォニックスをやっていて、きちんと発音ができると単語を覚えるのがもっと楽になるかも?なんてことを思っています。まだ試していませんが。)

 話した事で記憶に残っている事というか、よく話していた内容は、他の生徒さんの近況ですね。本当に色々な話を先生とはしました。これに対してどう思うと問われれば、こう思う・ああ思う等々色々な話をしました。12月以降は小論文も見ていただいたので、今まで雑談として話していた内容がそのまま小論文になっていました(笑)。
構文はすべての基礎になるので、ピノコともやりましたが、進みがとても遅かったので効果があったかどうか・・・ごめんなさい。実はいま、彼女は授業助手をしながら、フォニックスやスピーキングをかなり行っているのですが、これらが意外とためになっている気がします。ピノコの英語力はまだまだのびますよ。
※ピノコには「過度激動」の話をよく振りました。どこで読んだか,「過度激動のアンダーアチーバ―は正義漢になる」(感情の振幅の激しい2eの人が,凸と凹を正当に評価されていないと,過剰に正義を求めるようになる)は,まさにピノコのことだと思います。そして若い頃の私のことでもあります… 

Q.ディスレクシア的に、大学入試や受験勉強において特に注意するべき点はあるか?
A.もじこ塾に通っている方には、国語ができないという方が少なからずいらっしゃるようです。私は、国語の成績が一番良かったので、国語の解き方を一応書いておきます。

 私は、センターなどの国語の文章はほとんど読みません。試験終了後の帰り道で読み返して「こんな話だったんだ〜。へ〜知らなかった」と言わんばかりのレベルです。試験中に読んでいると時間がありませんし、問題を解くに当たって必要でない箇所も多いですしね。
 なので、問題文は下線部の前後を読んで解いていきます。この時、チューニングを合わせるというか、深読みしすぎないというか。私は、結構感覚的に解いていきます。頭を使うと逆に間違えます。それと、一切私の感情を入れずに読むというのがコツといえばコツです。
 「私の感情」とは私自身が持つ言葉のイメージです。例えば、賢いこと1つとっても色々表現がありますよね。賢い・頭のいい・要領のいい・スマートな・聡い・聡明な・クレバーな・・・ざっと出しただけでも、これだけあります。その中で、その人その人で言葉に対する印象があると思います。しかし、ここで自分のイメージに当てはめて考えすぎると間違えます。そこで、先ほど言ったチューニングのような行為が重要です。このチューニングが失敗すると全く問題が解けません。
問題文を読んで、なんとなく作問者の周波数と同調する様な感じです。「自分のイメージはこうだけど、作問者はこういう印象を持っているんじゃないかしら〜」くらいの軽い気持ちで、あまり深読みせず解いていきます。
ディスレクシア的かはさておき、私からの学習面でのアドバイスはこんな感じです。

脳をワンランク,ダウングレードするんですね!
チューニングと言えば・・・私は11の授業の場合、生徒にチューニングするという意識がかなりあります。ピノコをはじめ,ある種のディスレクシアの生徒には,チューニングすると二つの会話が同時進行する感覚があり、かつ、ピノコの場合は,時々意識を失いそうに眠くなりました()。たぶん、ピノコの思考のペースにぴったり合わせるには、ものすごく脳のエネルギーを使うのでしょう。この疲労感こそ、ピノコ本人が感じているものに違いないと、いつも思っておりました。

Q.もじこ塾に通っている生徒に、激励のことばを。
A.今から言う事が果たして激励かはわかりませんが、この原稿を書いている中で高校を中退しているのは私だけなので、中退という側面から書きたいと思います。

 私は小さい時から何もできない子供でした。みんなと同じにできないので、こう言われるのは順当な流れだったのかもしれません。正当な事だとは思いませんが。『お前にはそんな事出来ない』『お前は何一つまともに出来ないじゃないか』と笑われる事が多かったです。学校を中退するときにも散々言われました。面白いもので、こうやって色々言ってくる人はうるさい人ですが、意外と誠実です。もっとたちの悪い人は、笑う人、心配するフリをして自分の好奇心を満たそうとする人、はたまた負け犬呼ばわりする人・・・
中退すると付き合う人間の取捨選択ができます。本当に世の中に腹がたちました。『お前らのことは一生忘れない。お前らの姿・声を心に刻み、二度とそんな口をきけないようにしてやる』と奥歯を噛み締め泣いた事が少なからずあります。そして、一通り泣いたあと必ずこう思いました『あいつらに劣る時間は過ごすまい。最後に笑うのは私だ』と。当時の私は血気盛んです。

 しかし同時に、たくさんの人生勉強もしました。実地で勉強することは、否応なく様々な気づきをもたらしてくれます。学校に通っていないと自由なことはたくさんありますが、守ってくれる人はいません。それは大きな恐怖です。もし、中退したいと考えている方がいましたら、考えてみてください。学校に通っていたら、何かミスをしても先生がとりなしてくれる事でしょう。ですが、中退をしていると1つでも違えば今まで行っていたことが全部台無しという事もあります。その上、きちんとできて初めて高校に通っている子達と同じ土俵に立てます。それでも、やめるというのであれは、反骨精神旺盛な気骨のある人か、想像力がないかどちらかでしょう。私はもちろん、後者です。これは、何も中退することを止める為に書いている訳ではありません。かといって、推奨しているわけではありませんが。

 この先、皆さんが学校を辞めたいと考えることがあるかもしれません。こんな理不尽な行い許せない、こんな環境では自分が腐る。そう思ったときに、一歩自分が賢くなり、学校を利用して自分に利益をもたらす事を考えるか。もしくは『ここは、譲れない!!』と言って引かないかは、自分で決めることです。
どちらを選んだとて辛いことです。それが故に、どちらを選んだとて賞賛されるものであって、非難や中傷されるべきものではありません。
 これが激励の言葉になっているか甚だ疑問ですが、もし今中退したいと言う人がいたら私は「中退しろ」「通い続けろ」なんて事は軽々しく言えません。どちらを選択するにせよ、荊の道だからです。ただ、あなたの得たいものは何か、目的は何かと自分自身に問うこと、きっとそれが分かれば、自ずと答えは見つかると思います。

いえ、あなたは反骨精神旺盛のほうです(TT)
昨年の受験報告会では、「もしLDだと早くに気付いていたら、高校をやめることは決してなかった」と言っていましたよね…

Q.自分がディスレクシアだと知ってどう思ったか? 現在はどう捉えているか?
A.私はディスレクシア以外に持病があります。なので、ディスレクシアという事に対しては、あまりショックを受けませんでした。本当に無感動というか無関心というか?「へ〜」くらいのものでした。私の持病は基本的には薬を飲みつづけなくてはならない類のものですから、薬を飲む必要のない病気・障害など病気・障害のうちに入らんくらいに思っていました。(あくまで、偏った見方です)

 ここからは参考になればということで書きます。
 私の持病は9歳の時に発病しました。その当時は大人の方がショックを受けていて、私自身は大して気にも止めていないといったところです。
しかし、思春期に差し掛かるうち、みんなと同じことが出来ない、同じじゃないという事が心に重くのしかかります。その時読んでいた漫画に『不自由であることイコール不幸ではない』と書いてありました。よく私は大人から『かわいそうな子』『不幸な子』と言われたり、そういう目で見られたりしていましたから、この言葉が私のなけなしの矜持でした。『私は見世物じゃない。ましてや、そんな目で見られる筋合いもない』と半人前のくせにプライドだけは一人前だったのでそう思い、心の中で思いつくだけの悪態をついてやりました。
 そのうえ私を苦しめたのは、病気だという現実を受け入れることです。診断を受け入れると簡単に言ってくれますが・・・私は持病の診断が下ってから10年以上経ちます。しかしながら、未だに受け入れていません
主治医に話した事があります。『私だって馬鹿じゃありません。薬を飲まねば調子が悪くなる。当然です。そんな事は分かっています。分かっていますけど、どうしても腹が立つのです。例えるなら、道を歩いていて雷に打たれて“なんで私が打たれなきゃならないんだ”と怒鳴りちらしているのと同じように愚かな行為だということは。ですが、振り上げた拳を誰にぶつければいいのですか?空に向かって唾を吐けば自分に返ってきます。私は、振り上げた拳の納め方が分からないのです。』やはり私は未だに病気を受け入れられません。
 ここまで書いていて何が書きたいのか・・・とにかく、ディスレクシアであっても他の病気・障害であっても、自分に出来ない行為があるという事を受け入れるのは難しいという事です。しかし、受け入れずには生きていけない、否生きづらい・・・つくづく難儀なものですね。

 ディスレクシアの捉え方は、嫌いな野菜の食べ方の模索中と言ったところでしょうか。ほうれん草が嫌いなら、ほうれん草の何が嫌いか考える。そうですね、例えば緑色が嫌い・匂いが嫌い・味が嫌い人、それぞれあると思います。色が嫌いなら、食べている途中に緑色が見えないよう、小さく刻んで何かに包んで食べればいい。匂いが嫌いなら、他の匂いの強いものと炒めればいい。味が嫌いなら、味が気にならない味付けをすればいい。これをそのままディスレクシアに当てはめるのは乱暴だとは思いますが、私の捉え方としてはそんな感じです。嫌いと思った事柄に対して「それは何故か?」と自身に問い、いくつかの可能性が出てきたら、それに対する解決策を考える。それの繰り返しです。うまくいくときもあれば行かないときもある。そんな感じの毎日です。


※持病もちというのも,もじこ塾のカテゴリーのひとつです。この部分については軽々しいことは言えないので,過度激動の観点から,自分と何人かの生徒を見て思うことを・・・
過度激動の人は,人生の意味とか,何のために生きるのかとかを,真剣に考えてしまう傾向があると思います。
自分のできることを使って人さまの役に立てる落としどころを探すことになると思いますが,発達上の凹凸が激しいと,そのポイントは,きわめてニッチなところにあります。
それを見つけて,その部分を使ったチューニング力を極限的に高めることが,過度激動の人がハッピーに生きるための一つの道だと思います。
それができるようになった頃には,おそらくは持病との向き合い方も変わっていると思います。気安く言うなよって感じかもしれませんが…

3 件のコメント:

  1. ピノコさん受験体験記というか、人生体験記をありがとうございます。

    私もディスレクシアかつ持病持ちです。持病の事では怒りの気持ちをどこにぶつければいいのだ!とたくさん悩み、ディスレクシア的特徴も相まって?躁うつ病にもなりました。色々な考え方があって良いと思うのですが、私は薬を飲んで元気なら、元気なんだと思います。

    と言いつつも…総合病院の臨床検査技師をしていますが、医療従事者としても、当事者としても病気を受け入れるのは簡単な事ではないと思います。

    話題を元に戻します。コスモくんと同じもじこ塾0期生?ですが、ディスレクシアであっても正しい訓練次第でそれなりに読んだり、書いたり、英語もできるようになると思います。

    社会人として今困っているのは、この患者さんはこういう症状だったなどと、人と病気を結びつけるのが難しいなぁと思う日々です。

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  2. もじこさん、お久しぶりです。
    覚えていらっしゃいますか。
    最後にコメントをしたのは1年以上前かもしれません。
    ブログはちょこちょこ拝見していました。

    もじこさんとお会いしてから人生が大きく変化しました。勿論、良い意味です。誇張表現ではありません!(笑)前にも同じようなことを書いたかもしれないです。
    現在は実家を出て(親とバトルを繰り広げて)フリーターをしながら高校の科目履修生をしています。大学受験は来年度になりそうです。

    ピノコさんの受験体験記について。
    別の世界線にいる自分なんじゃないか?と思ってしまう程、ピノコさんが自分に似ていて、何度も驚きながら頷きながら読み進めました。ピノコさんの方が明らかに聡明ですけどね(笑)

    僕も国語の成績が一番良くて同じ解き方をしてます。
    が、この解き方では敵わない試験問題を作る先生が1人いました…!他校の先生が視察にやって来るほど面白い授業をする方でした。
    受験では大丈夫なのかも…?

    ピノコさんの文章から伝わってくる熱量はとてつもないですね。ウオオオォォ〜!!と雄叫びをあげているような感じがします。国語の成績は良かったけど語彙力はないんです、すみません。

    >そして怒りのパワーでこれまで物事を動かしてきました
    >「過度激動のアンダーアチーバ―は正義漢になる」(感情の振幅の激しい2eの人が,凸と凹を正当に評価されていないと,過剰に正義を求めるようになる)
    僕もこれかもしれないです。

    似たような境遇の人の役に立ちたいので僕もブログを始めてみようかと思います。これも正義漢なんですかね。
    長文失礼しました。

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  3. みずさん、ゴウさん、コメントありがとうございますm(_ _)m
    お二人とも、そして壱さんも、もじこ塾ができる前からのご縁ですよね。それぞれに色々あったと思いますが、着々と道を切り開いてること、本当にうれしいです!!

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