ディスレクシア専用英語塾「もじこ塾」のブログです。 ●ディスレクシアとは:知能は普通だが、読み書きが苦手(読み間違いが多い、読むのが遅い、書き間違いが多い、読むと疲れやすい)という脳の特性 ●全体像の把握、物事の関係性・ストーリーの把握、空間把握、ifを考えるシミュレーション能力に長ける ●読み書きの困難は、日本語より英語に出やすい ●適切に対処すれば、読みの問題は表面上は克服される ●10人に1人程度いるというのが通説 ●家族性とされるが、ディスレクシアの表れ方は個人差が大きい もじこ塾は、ディスレクシアはこれからの社会に不可欠な才能、でも日々の学習では普通と違うアプローチが必要、という立場です。

2015-05-19

村上春樹、LDを告白!

1月から4月末まで、村上春樹がメールで寄せられた読者からの質問に答える
「村上さんのところ」という期間限定サイトがありました。

その更新最終日に、村上春樹が
自分も少しくらいLDの傾向があったかも」と言っています!




http://www.welluneednt.com/entry/2015/04/30/113300 
私はどうも勉強が苦手です。本を読んだり、講義を聴くことは好きなのですが(これらは知的好奇心を満たしてくれるのでむしろ積極的にします)、机にじっと座って勉強をするということがどうしてもできないのです。というか、学校で勉強の方法って習ったでしょうか?勉強の仕方ってなんなのでしょう。
何個も連なった問1、問2、問3……を眺めていると、くらくらしてきてつい遊んでしまいます。それで親には怒られます。[中略]勉強ってどうすればできるのでしょうか。(ほろほろ、女性、18歳、学生)
…世の中には「学習障害」というものがあります。英語で言うと、Learning Disabilities略してLDです。知的能力はまったく劣っていないんだけど、システマティックな勉学に向いていない。そういう能力が欠如あるいは不足している。そういう傾向のある人に「勉強しろ」ということは、ほとんど拷問に等しいことです。僕にも少しくらいそういう傾向があったかも。好きなことならいくらでもできるんだけど、いやなことにはぜんぜん関心が向かない。そういう傾向は今でもぜんぜん変わっていません。きみはどうなんだろう? 何か好きな勉強はありますか。


やっぱそうか~~~(o・∇・)o

私は前々から、村上春樹の長編を読んでいて
こういう立体的な構造の、通常の枠におさまらない物語が書けるのは
ひょっとしたらディスレクシアだからではないか?と思っていたのです。

ちなみに、『1Q84』ではディスレクシアの美少女が登場します。

1984年に、
「君が言っているのはつまり、いわゆるディスレクシアみたいなことなのかな?」
「ディスレクシア」とふかえりは反復した。「読字障害」「そういわれたことはある。ディス--」(『1Q84 Book 1』p178)
という会話が成立すると考えるのは、ちょっと難があると思うのですが、、


ともあれ、わたくしは
村上さんはご自身をディスレクシアだと思いますか?」という
あまりにもストレートすぎる質問を、1月中に送らせて頂きました。



「そうだん」がひらがななのが
妙~にディスレクシア的な気が

やっぱりというか、私の質問は採用されなかったのですが、
質問を送ったときに返ってきた自動返信のメールが・・・





(o・∇・)o!!
なんという勢いのない字…!字形がとれてない…!(嬉)
この自動返信メールで、お返事は頂いたようなものです。
これを見て、私の中で村上春樹は勝手にディスレクシア認定されました。

推測ですが、
村上春樹は90年代、米国東海岸の大学に招聘された時に
ディスレクシアというものを知ったのでは…と思っています。
当時は日本ではディスレクシアはまったく知られていなかったはずですが、
アメリカの大学ではすでに研究対象になっていたので。

それにしても、この字と小説のギャップは、何ともディスレクシアです!

そう思ったのは私だけではないようで、こんな質問もありました:
http://www.welluneednt.com/entry/2015/02/19/174000 
村上さん初めまして。
唐突な質問なんですけど、このホームページ上で直筆だと思われる文字が見受けられますが、左手で書かれたのでしょうか? 
(ジョード、男性、40歳、会社員)
  
つたない右手でペンを持って、一生懸命書いています。そんなことを言われるととても傷つきます。にゃあ。
村上春樹拝

この字ですよね↓。左手で書いたのかと言いたくなりますよね。。

もんがまえ、「と」「ま」が特にディスレクシア的です

ここで『1Q84』から、ディスレクシアの字についての描写を:
「字は小さく、硬く角張って、どことなく不自然に見えた。貝殻を集めて、砂浜に書かれた字を、上空から眺めているみたいな感じがあった」(同p471)
この比喩、じわじわ来ます・・・。

~ ~ ~

他にもいくつか、「村上さんのところ」から、
特にディスレクシア的だなと感じた回答を貼っておきます。

実は、2月頃の回答では、
ADHDの質問者に対し、割と普通の(?)答えをしていました:
http://www.welluneednt.com/entry/2015/02/09/073500
はじめまして。理性がつきはじめた頃から、他者と比べて思考が幼いと気付いていました。そして17歳になり、診断された結果、ADHDだとわかりました。ネットでは、私達ADHDはゴミクズだと、生きている価値がないと綴られていることが多々あります。そのネットでの価値観はまったくもって正しいと私は思います。先生ならば、どう思われるのでしょうか……? (ひなた、女性、17歳、無職) 
 すごく平凡な答えになって申し訳ないのですが、時間をかけてその障害(みたいなもの)とつきあっていくしかないと思います。まわりの協力も必要だし、あなた自身の努力も必要だけど、それはじゅうぶん可能だし、やってみる価値はあると思います。もちろん専門医師の指導も大事です。ネットで何が言われているか知りませんが、そんなことは気にしない方がいいと思いますよ。それはあなた自身の大事な問題なんだから。そしてそれを乗り越えられたとき、あなたは普通の(障害みたいなものを持たない)人よりずっと強い、大きな人間になれていると思います。「文豪」と呼ばれている小説家の中にも、実はさまざまな種類の精神的な重荷を抱えた人がけっこうたくさんいます。あなたの健闘を祈ります。


これは、「ディスレクシア」という言葉が出てきた唯一の回答。
http://www.welluneednt.com/entry/2015/03/23/113100 
小学校の先生として、一人でも多く本好きの子供を育てたいという気持ちはとてもよくわかります。本を好きになるというのは素晴らしいことです。ただ世の中にはディスレクシア(識字障害・読字障害)を抱えている人も少なくないし、そういう人たちに強制的に本を読ませるのは、たぶん拷問に等しいことだろうと思います。やはり読書というのは、自発的におこなわれるべき行為ではないでしょうか。ある程度読書を勧めて、でもどうしても本が好きになれないという子供たちには、好きなことをさせておく方が良いと思いますよ。繰り返し言っていることですが、人口全体の5パーセントが本当の本好きであれば、世の中はなんとかなっていくものです。

次は、「昔、何かのエッセイで、「挨拶という字が書けない。練習しなくちゃ」と書かれていたことがあったと思いますが、書けるようになりましたか。」という質問への答え。
ディスレクシア的と言われればそんな気もしますが、書けない人は多いかも…
http://www.welluneednt.com/entry/2015/04/24/113700 
実は「挨拶」、まだ書けません。練習を怠けていました。パソコンで文章を書いていると、書けない漢字って、ぜんぜん書けるようにならないですね。というか、書けた漢字まで書けなくなってくるみたいです。どこかで練習しないと。

おつぎは読書感想文の書き方について。
ディスレクシアの特質である
一見無関係なものの間に関連性を見つける能力
を地で行く回答。そして同じ指摘が先日コメント欄でもありました→
http://www.welluneednt.com/entry/2015/04/24/073100 
よくぞ訊いてくれました。僕は昔から読書感想文を書くのが得意でした。読書感想文を書くコツは、途中でほとんど関係ない話(でもどこかでちょっと本の内容と繋がっている話)を入れることです。それについてあれこれ好きなことを書く。そして最初と最後で、本についてちょろちょろっと具体的に触れる。そうするとなかなか面白い感想文がすらすら書けます。やってみてください。
 僕は高校時代、他の人のかわりに課題の読書感想文を書いてあげて、お礼に昼ご飯をおごってもらっていました。昔から今と同じようなことをしていたんですね。

最後に、当ブログでも一時盛り上がった、ディスレクシアと夢、異界について。
このあたりのことは、非ディスレクシアな私には謎の世界です・・・
「同じ妄想を私もします!」というディスレクシアの人が現れないかな~、
などと思って貼ってみます。
http://www.welluneednt.com/entry/2015/04/09/173000 
物語と空想は似ていますが、ちょっと違います。物語はもともと自分の中にあるものです。それは深いところに鉱脈のようにあります。それが地上にたまたまでてくるのが空想になるのかもしれません。つまり、ごく簡単に言ってしまえば、空想は物語の尻尾のようなものです。子供の頃は物語と空想がかなり近接したところにありますが、大人になってくると、そのふたつはだんだん分離していきます。 小説に即していえば、空想を書いていただけでは小説になりません。自分の中にある物語を深いところから掘り起こして来なくてはなりません。ゼペットじいさんが木の塊の中からピノキオを見つけ出すみたいに。つまりゼペットじいさんはピノキオを作ったのではなく、見つけ出したのです。だからこそピノキオは生命を持つことができたのです。 
http://www.welluneednt.com/entry/2015/03/09/11300 
僕が小説を書くときに訪れる場所は、僕自身の内部に存在している場所です。それをとりあえず「異界」と呼ぶこともあります。それは現実に僕が生きているこの地表の世界とは、また別な世界です。普通の人は夢を見るときに、しばしばそこを訪れます。僕は――というか物語を語るものはと言ってもいいのでしょうが――そこを目覚めた意識のまま訪れます。そしてその世界について描写します。だからそれは外部にある「異界」ではありません。あくまで内的な「異界」です。異界という言い方が誤解を招くなら、率直に「深層意識」と言ってもいいかもしれません(ちょっとだけ違うんですが)。どうすればそこにアクセスできるか? 僕にはわかりません。瞑想の訓練みたいなものである程度可能になるかもしれませんが、妙な思想が絡んでくると危険なこともありますので、くれぐれも気をつけてくださいね。マジックにはホワイト・マジックとブラック・マジックがあります。違いに留意してください。 
http://www.welluneednt.com/entry/2015/02/15/203600 
夢の続きを見るというのは不思議な体験ですね。たぶんあなたは夢とのコミットメントが深い方なのでしょう。僕はあまり夢を見ることはありませんし、見たとしても大方の場合、本当に断片的なことしか記憶していません。ただ小説を書くというのは、夢を記述する行為に似ていると思います。違いは、小説家は眠っているときにではなく、目覚めているときに、意図的に夢を見るということと、その続きをいつでも自由に見られるということです。けっこう楽しいですよ。  
http://www.welluneednt.com/entry/2015/02/14/113100 
妄想、しょっちゅうしているかも(笑)。というか、妄想することが僕の仕事の一部です。妄想というのは、頭の中で自分を仮説に巻き込んでいくことです。つまり「自分がこうあるかもしれない姿」をどんどん追求していく。そしてその追求はどんどんあらぬ方向に突き進んでいってしまいます。僕は言うなれば、そういう知的探求(知的なんだろうな?)を仕事にしています。そしてそれは君の勉強を妨げている。困りましたね。僕としては「勉強なんてまあいいじゃない。ここはしっかり妄想しようよ」と言いたいところなんだけど、まあそうもいかないし。今のところはがんばって勉強してください。 

2015-05-13

第1回英単語テスト

たいへん間があいてしまい、申し訳ありません・・・
4月に入ってから、やらなければならないことが妙に増えてしまい・・・
色々教えて下さる皆様、本当にありがたく拝見しています+申し訳ありません。
ぼちぼち返事しますので、これに懲りず、今後もどうか色々教えて下さい。

☆  ☆  ☆

子は、通学時間小一時間の中学に、おかげさまで楽しく通っています。
小学校ではサッカー少年でしたが、中学ではバスケ部に入りました。


さて。
学校で英語の授業が始まって1ヶ月がたち、
うちの子にも、きっちりと、中1ショックの第一波がやってきました。
今回は、第1回単語テストまでの顛末と進め方を書いておきます。

(中1ショックについては、前記事にも有益なコメントがたくさんありますので、
どうぞご覧下さい。
わたくしの多忙期間中、中1ショックというこの大事な話について
話題を提供して下さったみなさま、本当にありがとうございます)

~ ~ ~

子の学校では、英語は独自教材を使っています。
これが、かなり一足飛びな構成といいますか。
内部進学組(クラスの半分)は小1から週2時間、英語の授業を受けています。
そんな、かなり英語を知っている子を主な対象に、
文法用語で英語のしくみを確認するような教科書です。
英語がまったく初めての子には、正直、かなりハードな内容です・・・

一応、フォニックスのページ(=アルファベットの各音をどう読むか)
も最初にあるのですが、アナリティック・フォニックスで
(f:fat、fix、friend、foxと羅列。つまり、なぜか単語が読めることが前提)
それも授業1回でさらっと扱っただけで、ちょっと残念でした。

#つい最近読んだものに、
#ディスレクシア英語学習におけるフォニックスは
#「ついでに適当に」(opportunistically)ではなく、
#「体系的に」(systematically)教えることがきわめて重要、とありました。
#ここをきっちりやることは(ディスレクシアなら特に)
#後々とても効いてくると思うのですが・・・

~ ~ ~

入学式の翌週には、担任の先生に面談を申し込み、
ディスレクシアという言葉を使わずに、いろいろお願いしてきました:

「彼は音と字の結びつきが弱いことが心理検査でも分かっている。
小学校では、板書や書き取りでとても苦労してきた。
英語ではさらに苦労しており、本人は真面目にやっているが疲れやすい。
そのことが授業態度に表れるだろうが、どうか見逃してやってほしい。
字を覚え、正しく書くのに、身体的苦痛を感じるレベルで苦労している。
家庭学習でサポートするので、どうか悪筆を大目に見てほしい」

担任の先生はディスレクシアについては知らなさそうでしたが、
翌日から、英語の先生から直接、メールで
「いつもご協力をありがとうございます」の言葉とともに
宿題の範囲が送られてくるようになりました∑( ̄0 ̄;

そういうことなら、全力で協力させて頂きましょう( ̄ー ̄)

~ ~ ~

ご指摘があった通り(バーバモジャさん、てぷさん、ありがとうございます~)

1)音、2)意味、3)読み、4)書き
の順で、うちも進めていきました。


裏の日本語は、本人に書かせました。
カードにしたのは、道村式でおなじみでもありますし、
余計な情報を見せないためでもあります。

その前に・・・
独自教材が、Lesson 1から、I am tall/I am a boyという
be動詞を使った2パターンの文が出てきてしまうので
最初に以下を教えました。
(正確には、例文を間違って言ったときに指摘し、最後にまとめました)

名詞・動詞・形容詞とは何か。
 名詞=ものの名前(dogとかboyとか)、
 動詞=名詞がすること(runとか)
 形容詞=名詞を形容する、つまりその様子(smallとかstrongとか)
・ものの名前を固有名詞という。
 固有名詞は大文字で始め、aやtheはいらない
・名詞にはaかtheがつく(英語で一番難しいポイント)が、形容詞にはいらない
・記号の名前 ,(コンマ) .(ピリオド)、'(アポストロフィ)


1)音
busyという単語を見せながら、
busyを含んだ例文(教科書の例文をアレンジ)を聞かせ、言わせます。
・I am busy, you are busy.
・Are you busy? Yes, I am./No, I'm not.

これを、テスト範囲の20個の単語について、まとめて行います。

ディスレクシアは全体から細部に入るので、
busyを教えるのにも、busy単独でなく、例文に入れるのがポイントかと。

1回ではまず覚えられないので(これは非ディスレクシアでも同じ)
4~5回繰り返して言ってあげます。
一晩寝ると、記憶に定着していることもけっこうあります。


2)意味
音と意味は同時に入れていきます。
うちの場合、現段階では、ここが一番苦労のない部分です。

この段階で、20個分の英→日、日→英の意味を、音だけで確認します。

3)読み
>ディスレクシアは書いて英文の練習ではなく、
文がスラスラ読めて、意味がわかってから書きに挑戦、の順序です。

ほんとそう思います!
音と意味が結びついたら、さりげなく読みに移行しました。
つまりbusyというカードを見せながら、「自分で言ってごらん」と、
I am busyを言わせてみました。

ここではあまり構えず、busyという音を覚えた頃合いを見て、
「じゃあ読んでごらん」と軽くのせるのがよい気がします。



そうしてGW後・・・・
20個の単語を反復し、読みはスラスラできるようにして、単語テストに臨みました。

が!!!(゜◇゜) やられた~~!!

恥を忍んでお見せしましょう!!


書きをまったくやらずに臨むとこうなります。
3人称を教えるのを忘れてました

いや~、まさか日本語を出題して英語を書かせる形式とは・・・

書いたところはみごとに、フォニックス綴りなのです。
だから私は「これは良い間違い!これまでの勉強がちゃんとできてる」
とほめました(笑)

4)書き
週明けに全員リベンジテストがあるというので、書きに挑戦しました。
これは本当に大変です。
1)音、2)意味、3)読みを全部足した以上の手間と時間がかかります。

ディスレクシアが何かを覚えるには反復が大事、
でも、決して疲れさせたり、追い込んだりしてはならない

となると、一日何回も、こまめに反復するのがよさそうです。
というわけで、私はカードを持ち歩き、
1時間に1回、「はい単語テストタイム~」と、3個ずつ教えていきました。
1回など、外出先から電話までしました(笑)
おそろしいほど手間がかかります。。。。

今回の出題範囲は、ほとんどがフォニックスルールに従わない綴りなので、
語呂合わせもたくさん使いました。
(busが忙しそうに走るとbusy、キンドと書いてkind、とか)

また、ジョリーの42音の先のフォニックスルールも、その都度教えてみました。
(語末の/i/はほぼ必ず「y」と書く、など)
この部分では、松香式も役に立ちそうです。

これで週明けには、15個くらいは書けるようになりました。

リベンジテストの結果は土曜に返ってきます・・・

☆  ☆  ☆

それにしても・・・以下、やや脱線ですが、

この調子で音-文字対応の定着をまたずにどんどん進んでいってしまうと、
非ディスレクシアの子は、3)読み、4)書き だけをクリアし、
1)音、2)読み をマスターしないケースが出てくるでしょう。
漢字のように、「音にはできないけど意味はわかる」という状態てす。
現に、私が教える予備校でも、単語テストをすると
正しく書けるけど、ひとつも正しく発音できないという、
かわいそうなケースはたくさんあります。

最初に覚えるときに正しい音を覚えられなければ、
それを正しく会話で使うのは非常に難しくなります。
(矯正はできますが、間違って覚えたものを正しく覚え直すのは
最初に正しく覚えるのよりも、かなり大変なことです。)

日本の英語教育の問題点は、中1の最初から始まる
音を軽視せざるを得ない学習方式」にあるんだなと、改めて実感しました。

できることからできないことへ進んでいく関係上、
ディスレクシアだと、1)音 を入れてから、3)読み に移行しないとならないので
正しい音を覚えるステップを抜かすことができません。
だから、最初の段階では手間も時間もかかりますが、
最終的には、書けるものは原則として正しく発音できる、
ひいては通じる英語につながる気がします。
(コスモ君も、知っている単語はどこまでも正しく発音できました)。

非ディスレクシアの子も、ディスレクシアの子のような手間をかけて
正しい音を入れればいいのかも・・・

~ ~ ~

初回の単語テストでは、派手にやらかしてしまいましたが、
子は、ショックを受けていません(!)
その理由は:

1) 本人が覚悟を決めている。
自分は字が苦手である、自分にあった勉強方法はとても時間がかかる、
でもそれで進めれば大丈夫、そのためにこの中学に入ったんだと、
腹をくくっています。
(とはいえ、授業自体はディスレクシア・フレンドリーではないのですが。)

2) それなりに手応えを感じているらしい。
一応、こちらの試行錯誤に、本人も手応えを感じているようです。
1つ覚えるたびに「俺って天才じゃん?」と言ってます(苦笑)

3) ランクや偏差値や内申を使って脅す人がいない。
テストの点数がそれ以上のことを意味しません。この学校のありがたい点です。
満点の子も何人かいたそうですが、「すごいよね~」でおしまい。
自分は1点だから劣った人間だとか、お先真っ暗とか、順位が下がるとか、
そういう発想には(今のところ)ならないようです。
だから、点数が悪くても、単に「リベンジテストを頑張ろう」という気になれます。

そして、これを書くか、迷うところですが・・・

4) 自分と同じ特性を持つ同級生がクラスにいる。それも何人も。
本人がそう言っています。
そして、これが一番大きい気がします。

実は私も、学校説明会で展示されていた絵や木工が
自分の出身中学(ガリ勉女子校)とは大違いの、ありえないうまさだったので
「選りすぐりとはいえこんなにうまいなら、もしや・・・」と思ったのでした。
詳しくは書きませんが、入学後に見ることのできた文字の掲示からしても、
その予想はあたっていたようです。