on dyslexia

ディスレクシア
(読字障害、読み書き障害、失読症、難読症、学習障害、読み書きのLD)について、調べて分かったこと/実践したこと/英語から訳した文章をアップしています。

ディスレクシアとは:
- 
知能は普通だが、読み書きが苦手(誤字が多い、読み書きが遅い、読み間違いが多い)
- 独創的で、対人能力が高い。空間把握力、全体像や物事の関係性を把握する能力に長ける。
- 音と文字の脳内での結びつきが弱いことから起こるらしい
- 読み書きの困難は、日本語より英語に出やすい
- 細かい聞き間違いがみられるが、音声情報の処理能力は高い
- エピソード記憶が得意。固有名詞などの細かい丸暗記は苦手
- 適切に対処すれば、読みの問題は表面上は克服される
- 10人に1人程度いるというのが通説

当ブログは、ディスレクシアはこれからの社会に不可欠な才能である、でも日々の学習では普通と違うアプローチが必要--という立場です。


2014-09-15

黒柳徹子の直筆/「私ってLDだったの?」より

昨夜、テレビで黒柳徹子の特集をなんとなく見ていたら、突然直筆が出てきたので、あわてて画面を撮影しました。

黒柳徹子は「自分はLDだ」と本のなかで言っています。

昨日の番組ではLDとか発達障害という言葉は一切出ず。
ただ、「収録の準備の仕方もユニーク」と言っていました。
そこで出てきた直筆がこちらです・・・



読めない字を書くのはLDだからか、年を取って手がいまいち動かないからか、
崩した字を書く世代だからか、もはやよく分かりません(笑)
収録の際も、局が用意した台本をそのまま使うことはなく、
小さなスケッチブックにポイントをすべて手書きする、とのこと。
たぶん、もらった台本では頭に入らないのでしょう。



LD的視点からは、次の点が印象に残りました:

・「昔のことを非常に細かいところまで覚えている」と野際陽子の証言
(→長期記憶が優れている)
・情景が目に浮かぶような、生き生きとした語り口。
・「わたくしは好奇心が旺盛。それが年を取っても元気な秘訣」

昨日の黒柳徹子は、さすがに年を取って滑舌がちょっと悪くなったかな…という印象は否めませんでしたが、好奇心はまったく衰えていないようです。
個人的には、その点が一番LDっぽいと思いました。
私の知るLDな老人も、このまったく衰えない好奇心によって、通常の高齢者との知識量、発想の若々しさ、頭の回転の速さ、ひいては交友の広さ、行動力、運動量の差は開くばかりです。




そういえばと、昔、ディスレクシアについて知ったばかりの頃に読んだ
『小さいときから考えてきたこと』を開いてみました。

これによれば、黒柳さん本人は自分のことをADHDと思っているようです。
残念ながら(?!)ディスレクシアではないようで。。


この中の「私ってLDだったの?」という文章は、何度読んでも泣けます…
以下に一部を引用します。
これを読んでぐっと来た方は、ぜひこのエッセイの全文を読んでほしいです!
黒柳さんの大きな愛と切なさに、心が洗われます(T T)


…私がテレビを見て涙したのは、テレビに映っているLDといわれている子どもたちが、小さかったころの私のように見えたことだった。どんなに落ち着きがなく走り回って先生に注意されても、職員室が大好きで、どんどん中に入っていって、先生の机のところで一人で勉強している子供も、いた。私もそうだった。テレビで紹介された学校では、もう、そうなったら一対一で、そこで教えるのだと言っていた。そうすると子供も落ち着いてきて、集中して勉強するという。 
わたしが涙を流したもう一つの理由は、結局、小林校長先生は、LDなんてことを知らなかったのに、LDだったかもしれない私に完璧に適した教育をして下さったことがハッキリしたからだった。まず、私のクラスは九人だった。席は決まっていなくて、好きなところに座ってよかった。そして、朝学校に行くと、1日にある時間割の全部科目の問題が黒板に書いてあって、好きなのからやってよかった。だから、結果的には自習であり、分からなくなると先生のところに行って聞くので、だいたい先生と一対一で勉強することになった。先生にとっても、一人一人の生徒が、どんなことに興味を持っているのかとか、どんなことが苦手だとか、子供の性格についても細かく知ることができたに違いない。ポリオとか、障害をもっている子が何人もいたけれど、校長先生はいつも、「手を貸してあげなさい」とか「助けてあげなさい」とはおっしゃらなくて「一緒だよ、みんな一緒にやるんだよ」としか言わなかった。 
だから私たちは何でも一緒にやったから、当然いじめなんか、なかった。そして校長先生は、あとで分かったことだけど、どの子にも自信をつけるような言葉をかけていた。私には一日に何度も「君は本当はいい子なんだよ」と言い続けてくださった。私はいい子なんだと思っていたけど、大人になって思い出したら、「本当は」というのがついていたことに気がついた。でも、先生の言葉は私の一生を決定してくれたくらい、私にはありがたい言葉だった。私はこの言葉で、勝手にいい子だと思い、先生を信頼し自信をもって大人になれた。 
こういう、いつも校長先生に守られている、と安心できる学校。おもしろいことを、私たちより先に校長先生が考えついて楽しませてくれた学校。どんなに走り回っても、「もっとやっていいよ」と言ってくれた学校。自分たちの登る自分用の木があった学校。話下手な子も何とか少しずつ話ができるようになったお弁当の後のお話タイムがあった学校。講堂の床が大きな黒板で私たちはどんな大きな絵でも白墨で床に寝そべってかいてよかった学校。その子の持っている個性をできるだけ早く見つけて周りの大人や環境で、その芽が摘まれないように大切に育てようという校長先生の教育は、そのままLDを持った子供にも当てはまるのではないかと、テレビを見ていて私は大きな衝撃を受けた。 
『窓ぎわのトットちゃん』の本が、今LDを子供を持つお母さんたちに読まれています、とか、私に小学校の時の話をしてください、という方々は、すでにそのことを発見していたのだろうということが分かった。…
(「私ってLDだったの?」『小さいときから考えてきたこと (新潮文庫) 』所収、p124-126)


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