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ディスレクシアで大学受験生くらいの年齢になると、
特に男子は多かれ少なかれ、独特の「切なさ」というか、憂いというか、
影とも暗さとも、深さとも表現できる何かを持つようになる気がします。
もともとディスレクシアだとそういう気質があるのかもしれませんし、
報われない経験を重ねるうちに、切なさが備わるのかもしれません。
例えば。
「僕は単語を覚えるのが超苦手」と言って、
浪人生君(ディスレクシア+ADHD)がこんな話をしてくれました:
小学校は日本人学校だったので、英語の小テストがあった。
特に、英単語が虫食い状態になっていて、字を埋めていくのが超苦手で。
(クモの絵を見せてsp_ _ _ rの空所を埋めるような問題)
こんなのできるわけないと思っていたら、周りはどんどん答えていくので
「えっ?えっ?(゚Д゚≡゚Д゚)」と思ったのが、英単語を覚えるのが苦手と思った最初の体験。
このときは、外国歴が長いやつに丸投げして、その場をしのいだ。
(be motivated to...は「やる気になる」という意味だと言ったときに)
それは僕がダダ下がりなものですね(笑)
僕は教師に折られっぱなしですよ。
高校の授業は意味が分からないから寝てる、そうするともっと意味が分からなくなるのループ。
今思うと、高1高2で予備校の集団授業を受けたかった。
予備校で先取りできれば、高校の授業を理解できたかもしれない。
話がうまい授業なら、聞けばだいたいのことは分かるから。
高校では2人だけ、いい先生がいた。
一人は最後まで「君のことが心配だ」と言っていた。
今は遠くに赴任してしまったけど。
もう一人は「君はやればできる」とずっと言ってくれた。
この先生もいまは別の高校に行った。
・゚・(ノД`;)・゚・
こういうことを淡々と話すので、こっちが泣きそうです。
彼の学校生活は常に
「なんで自分だけ分からないの?」「何をすればいいの?」
という思いとともにあったわけですが、
そんな風には一言も言いません。そこが切ないというか、つらいです。。
模試の数字だけ見ると・・・ですが、
二言三言話せば、聡明であることはすぐ分かる彼。
聡明なだけに、自分がどういう評価を受けているか、重々分かっています。
賢いのにそれを正しく外に向けて示せない様子は、
カギがすごく固くて開かない宝箱のようです。
私はその宝箱を、どうにかして必ず開けてみせましょう(泣)
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彼は親御さんとの対立についても話してくれます。
(ご両親の名誉のために申しますと、
大学受験生なら、ディスレクシアであるなしに関係なく、
ある程度の親子対立がある方が、むしろまっとうだと思います。
たいていの受験生は最大の悩みに「親の口出しがうざい」を挙げますが、
よくよく話を聞いてみると
「親の生き方を肯定したい」「親を喜ばせたい」「親にほめられたい」と
「親の口出しがうざい」の間で悩んでいる場合がほとんどです。
彼の場合も例外ではありません。)
「S台の授業の雑談で講師が言っていたんですけど、
『模試の成績を見て親がいろいろ言ってきても気にするな』と…」
受験生相手の雑談ネタとしては実は定番なのですが、
彼の口から聞くと考えさせられます。
予備校講師としては、
模試というのは返却日から1ヶ月前の、特定の母集団の中での、
実際の志望校とは異なる出題形式の問題を解いた結果なので、
総合偏差値はそんなに気にしなくていいと分かってます。
でも、私は親でもあるので、
親が自分の子を他人と比較したものを突き付けられたら、
非常にヘコむということも、よく分かるのです。
つい先日も、子供の保護者会で久しぶりに小学校に行き、
「うちの子はけっこう字が書けるようになったと思ってたけど
普通の小6はこんなにしっかりした字が書けるんだorz」
と掲示物に思い知らされて、がっくりして帰ってきたところです。
世のディスレクシア児の母は、子供の良い面に目を向けることで
ポジティブな態度を保っていると思いますが
それでも時々、うっかり人と比べてしまうと、
できなさが目について、なんかもうがっくりしてしまう。。。
のは私だけではないと思います。
これに、他の保護者からの無言のさげすみや、
担任からの心ない一言が加わると、
ディスレクシアの親御さんは、疲れ切ってしまうと思います。
(当ブログにお越しの方々からも「闇の中」という形容がよく聞かれます)
本人のほうが苦労していると分かってるのですが、
やり場のないこの閉塞感…
予備校講師としては、生徒の言い分もよく分かりますし、
親が模試の成績にがっくりするのも、痛いほど分かります。
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私自身はディスレクシアな子を持つ親としての閉塞感を、
完全に乗り越えたわけではありません。
ただ、生徒から力をもらっていて、それに救われているのは事実です。
特にディスレクシアの子はすごく大きな力を、教える側に与えてくれます。
その理由をここ数日考えていたのですが、整理しきれず…
ディスレクシアというのは独特の観察力があり、
物事の本質を突く発言をしょっちゅうするので
そういう生徒の発言に接して感動が大きい、という面はあります。
また、ディスレクシアの子は、
「周りは理解しているのに自分だけ置いていかれている」という思いを
日々、嫌というほど経験していることもあり、
分かったときの「!」がひときわ大きい、というのもあります。
「切なさ」も関係している気がします。
英語のペーパーテストというのはディスレクシアにとって、
二重三重な苦手さのなかで戦わなければならない、最悪に不利な戦いです。
そんな子たちが、自分の苦手で勝負しなければならないと分かっていて、
それでもなお辛抱強く読み書きする様子は、見ていて胸を打ちます。
ディスレクシアの大学受験生は、えてして大変な努力家です。
そんな彼ら彼女らの努力に応えようとするうちに、
閉塞感はどこかに吹っ飛び、不思議と力が湧いてくるのです。
私の予備校講師的能力を一番育ててくれたのは、凹凸のある生徒たち、
特にディスレクシアの生徒たちでした。
そして今は彼ら彼女らから、ディスレクシアの母として必要な力をもらっています。
みんな、ありがとう(泣)
職業的教師でない人も、
教師の視点をもってディスレクシアなわが子に接することで、
親的な閉塞感を乗り越えられる・・・かもしれません。
もじこさま,お久しぶりです。子どもを支えることはまず親を支えることだと思います。親の気持ちに共感をもつことは本当に大切だと思います。
返信削除そしてその子の持つ力を最大限引き出してやること。それが出会ってしまった大人の役割。今まで彼が出会った大人の中にわかる人が少なければ,自分がその大人になればよいだけです。
受験生君,がんばれ!
うわ~、ありがとうございます(泣)
削除私どうやら、
>子どもを支えることはまず親を支えることだと思います。
この一言がほしかったみたいです。。
自分のためにも、生徒の親のためにも。。。
そういえば、12月23日にふたたび「特別支援教育とジョリーフォニックス」ワークショップが、立川であるようです。
返信削除もんきちママさんは忙しい時期でしょうか、、でもぜひぜひ。