ディスレクシア専用英語塾「もじこ塾」のブログです。 ●ディスレクシアとは:知能は普通だが、読み書きが苦手(読み間違いが多い、読むのが遅い、書き間違いが多い、読むと疲れやすい)という脳の特性 ●全体像の把握、物事の関係性・ストーリーの把握、空間把握、ifを考えるシミュレーション能力に長ける ●読み書きの困難は、日本語より英語に出やすい ●適切に対処すれば、読みの問題は表面上は克服される ●10人に1人程度いるというのが通説 ●家族性とされるが、ディスレクシアの表れ方は個人差が大きい もじこ塾は、ディスレクシアはこれからの社会に不可欠な才能、でも日々の学習では普通と違うアプローチが必要、という立場です。

2018-12-05

IDA日記その3:「ディスレクシアは、社会全体を良くする価値観を体現すべき」


「ディスレクシアはマイノリティとして、社会全体を良くする価値観を体現すべき」

アメリカでは、囚人の7080%functionally illiterate(機能的に識字能力を持たない:ディスレクシアだけでなく、移民などの理由で読めない)とのこと。特に黒人でディスレクシアで、教育に救ってもらえないと、ドラッグや銃に手を出す確率が格段に高まるようです。
刑務所生活の末、40歳近くになってから?読み書きを学び、現在は「囚人コーチング」をしているという黒人男性の発表は、予想通り感動的でした。

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「小さい頃から兄弟のなかで自分だけ字が読めず、学校の授業についていけず、親からはバカだと言われ続けたので、自分はバカだとずっと信じてきた。

12歳の時、クラスで指名されて読めず、それが好きな女の子の前だったという屈辱的な経験をしたのをきっかけに、ドラッグの売人の道へ。

17で出所するも、読めないことは変わらないので、結局は自分の知っている唯一の世界である売人に戻ってしまった」

12歳で売人ですか。。。( ゚д゚)
でもそれ以外は,「読めなくても、書けなくても、勉強したい」と同じです。


講演語録
・「Reading saved my life. It feels good to decode
(読めることで人生を救われた。デコーディングするのはいい気分)
デコーディングするとは、文字をオトにすること、要は読むこと。
IDAに来ると、読字能力は貧困を断つために絶対に必要、だから何がなんでも読めるようになってもらう・・・という姿勢を改めて感じます。

・この人が40歳でやった訓練というのは、(1)徹底的な音韻認識の訓練、(2)フォニックス、(3)読むこと、そして(4)書くことの順らしいです。
毎日、2年ほど。まさにレメディエーションですね。

「彼らはずっとだまされてきたので、希望が必要。と同時に、エビデンスに基づく訓練も必要」。
教師は理解があることが不可欠ですが,それだけでは不十分です。

「Dyslexia has no colors. That’s the beauty」
(ディスレクシアは人種を超える。そこに美しさがある)
この手の発言に心揺さぶられてしまう私なのですが、それは会場も同じようです。
アメリカにおいて、知的階層に人種差別は存在しないことになっているようですが、実際には超えられない壁があって、心ある白人や黒人はすごく複雑な思いを抱いているらしいです。そのことを、このあとの質疑応答で目の当たりにしました。

・「有色人種の人が、もっと特別支援教育にたずさわる必要がある」
・・・ほんとにIDAには白人しかいないです。黒人は少ないですし、アジア系はほぼ皆無。この差はなんなのでしょう?

「ディスレクシアはマイノリティとして、社会的に正しい価値観を体現すべき」
かっこいい・・・(TT)
私ももじこ塾に来る生徒に対し、もし何かを望んでいいのなら、ディスレクシアとしての権利を主張するだけでなく、ディスレクシア以外の少数者に対しても寛容な心を持ってほしい・・・と常々思っています。



このあと質疑応答に入ると、白人の懺悔大会に。
超えられない人種の壁を感じました。。

・「子供が8歳でディスレクシアだと分かったので、専用の家庭教師と学校に行っている。数万ドルの投資*で、効果はあったが、以来罪悪感で眠れない()・・・この国には何万人と同じ境遇の子がいて、彼らは同じ助けを受けられないと思うと」。
→たぶんこの人は、NPOに多額の寄付をするか、自分で団体を立ち上げることになるんだと思います(@_@)
(*ディスレクシア専用学校の学費は,日本の私立医学部のイメージでよいかと)

・「行政でディスレクシア教育を提供しているが、予算の都合で8週間しか行えず、読めないまま送り出すことに、非常にもどかしさを感じる」
→「8週間でできることを、低く見積もってはならない」と諭されていました。私も自戒を込めてそう思います。2カ月ですよね。

・「自分の娘(白人)22歳で教師志望、それも刑務所でディスレクシア教育をしたいと言っているが、(言いにくそうに)刑務所とは白人の女の子が入っていって何かができる場所なのだろうか」
→お母さんの心配はよく分かります。白人の女の子がふらっと入っていて,相手になるところではないですよね,アメリカの刑務所というのは。

これに対してはイギリスから来たという、ジャネット・ジャクソン風のかっこいい若い黒人女性が「ディスレクシアであれば、人種に関係なく助けられたいと思うはず」と言っていました。

私の意見は・・・
「私も22歳でもじこ塾を作ることは絶対にできなかった。この年齢になったからこそできる指導がある。あなたの娘も、若い今だからできる指導をして、若さがなくなったら刑務所に戻ればいい」


以上をアメリカで書き,締め方がわからないまま放置して1ヵ月。。。

いま振り返り,この発表で特に印象的だったのは,
「ディスレクシア教育はcommon good(コモン・グッド)のために行うべきもの」

コモン・グッドとは,社会全体の利益ということ。
ディスレクシア教育というのは,「うちの子をどうにかして下さい!」ではなく,社会全体のためになるから行うものだ,という発想です。

日本の教育は個人の(または家族の)立身出世のためという部分が大きいと思いますが,
IDAで,そんな卑しい目的を持ちだしたら,恥ずかしくていられなくなりそうです。
アメリカのディスレクシア教育は,あくまでも社会を良くするためのものらしいです。

「コモン・グッドのための教育」という発想は,東アジア的価値観とちょっと違うということも,この一カ月間考え続けてわかってきました。
だからIDAには東洋人が極端に少ないのでしょう。
(100人超の聴衆のうち,東洋人は自分ひとりというケースが,IDAではけっこうありました。)

そして!東アジア的な立身出世的価値観と,合理的配慮は合わないのです。
この項続く(きっと)!

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