※夏に書いたまま、ずっとアップし忘れていました・・・
高校の選択授業で、ディスレクシアについて講義をさせていただきました。
・読字能力はスペクトラムである、
・大学入試では「合理的配慮」を受けることができる、それでも大変だけど…
といった話をしました。
もじこ塾の卒業生を含む2名の大学生も登壇したことで、ディスレクシアがどんな学校でも無縁でないことが伝わったと思います。
長くなりますが、当日最後にもじこが話したことを、置いておきます。
☆ ☆ ☆
なぜこの仕事をしているのかと、時々聞かれます。
ディスレクシアの生徒に英語を教えるのは、かなり大変なことのはずだけど、何が原動力なんですかと。
もじこ塾の設立目的は「社会変革」です(本気です(笑))。その言わんとすることを、もう少し具体的に書いてみます・・・
純粋な探究心は、まずあると思います。ディスレクシアの仕組みにしても、対処法にしても、英語教授法にしても、まだまだわからないことが多くて、本当に探求しがいのあるテーマです。
でもそれ以上に、腑に落ちることが多いんです。
ディスレクシアの存在がわかり、ディスレクシアの生徒が置かれている苦しい状況がわかり、そして上の世代の成功事例を知ると、いろんなことが腑に落ちるようになります。
また、ひとつの少数者の存在を知っていると、他の少数者の存在をめぐる状況も、多少はわかるようになります。
私の場合はたまたまそれがディスレクシアだったということですが、世の中には他にもいろんな障害、いろんな少数者のあり方があります。
そのすべてを自分が経験することはできませんが、ディスレクシアのことを知っていれば、想像や理解がしやすくなります。
ディスレクシアは学校という制度の発達とともに「障害」として顕在化してきた存在です。文字の正確さやスピードで人を評価する「学校」という制度がなければ、そのようなくくりに入ることの決してなかった人たちです。
またディスレクシアは、自分でそうだとはなかなか気づけないものです。人は自分の感覚が他人と違うとはなかなか気づけないものです。
ということは、ディスレクシアは、学校の先生が気づいて、指摘してあげる必要があります。
私は、誰よりも学校の先生にこそ、ディスレクシアの存在を知ってほしいと思っています。
最初に紹介した通り、ディスレクシアには独創的な成功をおさめた人がたくさんいます。
一方で、アメリカでは受刑者の80%がなんらかの読み書き困難を抱えているとのデータもあります。
「この差をもたらすものは何だと思いますか?」と、今日の話の中で、みなさんに聞きました。
打ち込めるものがあること。人との出会い。そんな答えがあがりました。
その通りだと思います。
ここで私の答えを披露しておきます。
アメリカのディスレクシアの議論のなかで聞いたのですが、ディスレクシアの生徒が人生を順調に過ごすために必要なのは
to have one trusting adult.
たった一人でいい、自分を信じてくれる大人がいること。それが、ディスレクシアの生徒を救うと言うのです。
この言葉は私に刺さりました。
ベタですが、ならばその一人になってやろうじゃないのというのが、もじこ塾プロジェクトです。
私はかつて、大手予備校で英語を教えていました。そこでは「合格ラインに達していない人を相手に授業をする必要はありません」「切り捨てていいです」と言われていました。でも、そのような授業をすると、とてもわだかまりが残るんです。
今はtrusting adultになればいいので、ハッピーに授業ができています。
先ほども、大学生の当事者から、「今日の話によってみなさんはディスレクシアの存在を知ったのだから、大学生になって塾講師バイトでも始めたときに、生徒のなかにディスレクシアがいたら、気づいてあげてほしい」という話が出ました。
本当にその通りです。
ディスレクシアは知的レベルとは関係ないので、あらゆる学校にいます。何しろ16人に1人なのですから。
そのときに、ディスレクシアだと気づいてあげてほしいのです。
いろんな少数者の存在に気づくこと。
それが、皆さんが誰かのtrusting adultになることへの一歩であり、社会を変えることへの一歩である。
大げさでなく、そう思います。
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