ディスレクシア専用英語塾「もじこ塾」のブログです。 ●ディスレクシアとは:知能は普通だが、読み書きが苦手(読み間違いが多い、読むのが遅い、書き間違いが多い、読むと疲れやすい)という脳の特性 ●全体像の把握、物事の関係性・ストーリーの把握、空間把握、ifを考えるシミュレーション能力に長ける ●読み書きの困難は、日本語より英語に出やすい ●適切に対処すれば、読みの問題は表面上は克服される ●10人に1人程度いるというのが通説 ●家族性とされるが、ディスレクシアの表れ方は個人差が大きい もじこ塾は、ディスレクシアはこれからの社会に不可欠な才能、でも日々の学習では普通と違うアプローチが必要、という立場です。

2015-11-09

「ディスレクシアとイノベーションの会議報告」の翻訳

ああ。書きたいことがたまっているのですが奴隷仕事が…

リハビリに、Dyslexic Advantageのエイデ博士が毎年主催している
「第3回・ディスレクシアとイノベーションの会議」の報告を訳しました。
書いたのは、ダン・ピーターズというディスレクシアに詳しい心理学者です。

この会議は、成功したディスレクシアの人たちが集い、自分の仕事を紹介し、
それを通じて「ディスレクシア的な才能開花」とは何かを共有するものです。
行ってみたい~(笑)

以前、第1回の講演を訳しました

長い動画ですが、ディスレクシアの才能に関心のある方には本当にお勧めです。
(今、久しぶりに見返して、6分すぎから涙が止まらない(笑))
ディスレクシア的な才能発揮って、こういうことなんだ…と実感できます。

さて、以下の記事では、
アメリカの教育現場では最近、「ディスレクシア」という言葉を
あえて使わなくなっているという"退歩"についても、ちらっと書いてあります。
「海外のディスレクシア的状況は日本より30年進んでいる」と言われますが、
日本にその部分だけ先走って入ってくることのないよう祈ります…。

☆  ☆  ☆

今こそディスレクシア革命を!
The Dyslexic Advantage: Our Hidden Revolution
原文→

ニューアーク空港で搭乗を待ちながら「ディスレクシアの才能に関する第1回会議」で見聞きしたことをどうしても書きたいと思ってから、2年半の月日が流れた。
1回会議の目的は、Dyslexic Advantageで示された概念を探ることにあった。

当時、Dyslexic Advantageが示す考え方はまったく新しいものだった。
ディスレクシアは脳の仕組みが異なるがゆえに、人と違った仕事やタスクを得意とする。ディスレクシア脳はパターンを認識すること、つながりを生み出すこと、ユニークなデザインや構造物を作ること、そして、複雑な問題に新たな解決策を編み出すこと--そういったことを、普通の脳とはちがう方法で行うことができるのだ。

この会議は、私の何十年もの仕事人生で経験した数々の会議とは、まったく雰囲気を異にするものだった。

まず、講演で話す人――成功している起業家、ピューリッツァー賞を受賞した作家、アカデミー賞を受賞した映画監督、ハーバードやMITなどの科学者や研究者、そして聴衆のほとんどが、ディスレクシアだという点。
このため、会場内には受容と共感の、なんとも言葉にしがたい雰囲気に満ちていた。
ほとんどのディスレクシア(自分も含め)は、初めて我が家に帰ってきたような気分だった。
ある講演者の言葉を借りれば「私たちは、自分の種族についにめぐり会ったのだ」。


時は進んで2015年。私はいま、「ディスレクシアとイノベーション」と名称を変更した第3回の年次会議に参加し、西海岸に戻る飛行機の中でこれを書いている。主催はDyslexic Advantage(著者が設立したNPO)、後援はEmily Hall Tremaine基金。
今年のテーマは、学校、制度、職場、そしてイメージといった様々な場で、ディスレクシアがどれほど認知されているか、その現状を評価すること、そしてディスレクシアの一生の経験をよりよいものへと前進させるための戦略や行動計画を立てることだ。

この会議に初めて参加する人は、これまで同様、心と心が響き合い、人と人のつながりが出来ていく空気感に圧倒されたことだろう――
自分の種族に初めて出会う、あの感覚だ。
2回目3回目の人は、我が家に戻る気持ちだった。

ほとんどの参加者は、日程や時間、書くこと、人の名前を覚えること、耳からの大量の情報についていくこと…こうしたことに多少の不安を覚えるのをいつものこととして、日々を送っている。
でもここでは、リラックスしていられる。ディスレクシア同士で話をしたり、非ディスレクシアが「自分はマイノリティーのような気がする」と話しているのを聞くと、この会議中はディスレクシア文化が多数派なのだと改めて知る。

この会議の参加者のほとんどは、人の名前や部屋の番号を覚えられない。
しょっちゅう迷子になるし、書き間違いも言い間違いも多いし、言おうとしている言葉にたどりつけない。
この会議ではそういうことが起きると――これがよく起きるのだ――私たちは一緒に笑い、互いを受け入れ、認め合う。
私たちが通常経験すること――笑われ、からかわれ、恥ずかしい思いをすること――とはずいぶん違う。
現実世界では私たちは20%だ。ここでは80%。私たちの方が普通なのだ。

これまで同様、この会議では様々な分野から大きな成功を収めた、非常に独創的なディスレクシアの人たちが登壇し、議論のリード役を務めた。
ハーバードで訓練を受けたビジネス・ネゴシエーター、MITの研究者、クマの専門家(!)、コメディアン、詩人、ビジュアル/グラフィックデザイナーなど。
全員、自分の分野で新しい道をひらき、成功した人たちだ。

全員が、普通と違うやり方をしている。全員が、学校では苦労し、たび重なる失敗をし、ディスレクシアとそれに関係する弱点を(隠せる時は)隠し、そして逆境に耐えた、そんな経験の持ち主だ。

会議では「リスクをとること」が共通テーマの一つとなった。
「あまりに失敗が多いので、失敗に慣れてしまった。失うものなど何もなかった」
正しいやり方に失敗することはやがて、独創的な問題解決方法を編み出すこと、物事を人とは違った方法で取り組むというディスレクシアの長所を生かすこと、そして、失敗に慣れ、恐れないこと--につながった。

この会議で知ったのだが、シンガポールでは教員養成課程でディスレクシアを扱っているほか、ディスレクシア教育の国家プログラムが存在するそうだ。
すべての生徒が一人残らず、国の未来を担う貴重な宝であり、力を発揮しきれない生徒が一人もいてはならない、という考え方らしい。

訳注:シンガポール建国の父、リー・クアンユーがディスレクシアなこともあり、シンガポールはディスレクシア教育が盛んなようです。

また残念ながら確認できたのは、アメリカのディスレクシアの生徒をめぐる状況がほとんど進歩していないということだ。
グループディスカッションで、「ディスレクシアの長所が介入プログラムに取り入れられつつあるか」という問いが出たとき、「ない」という悲しい結論に至っただけでなく、ディスレクシアと特定された生徒に対しても、介入プログラムの基盤となる読みのRBI(research based intervention)が行われていないケースが多いらしいことも明らかとなった。

訳注:RBI:ざっくり言うと、アメリカ版の特別支援教育
さらにひどいことに、私が住むカリフォルニア州同様、多くの州では「ディスレクシア」という言葉を使わず(使ってはならず)、多くの親が教師から「ディスレクシアは今の時代はもう使わない言い方です」「ディスレクシアは今後は認められない」などと言われている


この世界は何百年にもわたり、ディスレクシア脳が変革を引き起こし、また娯楽を与えてきた。
そうした偉人の一覧は拡大するばかりだ。
声を上げ、「私のディスレクシアはこんな風に人生を形作った」と語るディスレクシアは増える一方だ――映画監督のスティーブン・スピルバーグ、NBA選手のコービー・ブライアント、マジック・ジョンソン、ジュエル・ロイド(女子NBA年間最優秀新人賞)、俳優のジョージ・クルーニー、ジェニファー・アニストン。
ビジネス界の女王バーバラ・コーコラン、FUBU創設者のデイモンド・ジョン。
ノーベル医学生理学賞を受賞したキャロル・グライダー、ケイシー・ドレナンMIT教授、マッカーサー賞受賞の海洋科学者、ミミ・ケールなど。
世界の人工物の七不思議のすべてはディスレクシアの建築家によって設計され(訳注:マチュピチュ、ローマのコロッセオ、万里の長城など。本当?!)、成功した起業家の3人に1人はディスレクシアで、MITではディスレクシアは「MIT病」と呼ばれる。
ここに規則性が見いだせないだろうか。つまり、著名人が続々とディスレクシアをカミングアウトし、自身のディスレクシアについて語り始めるなか、メディアはディスレクシアの認知度向上を後押ししようとしているのだ。

成功し、認められているなら、カミングアウトの敷居は低くなる。
だが苦しみ、失敗を続けている時には、それは難しい。
ディスレクシアという概念は少しずつ知られつつあるが、学校や職場に変化が起きているとは到底言いがたい。
ディスレクシア脳が貴重な資源だとはまだ認められていないし、ディスレクシアの子供も大人も、まだ隅に追いやられた存在だ。


世界には解決しなければならない複雑な問題がたくさんある。そして、ディスレクシア脳はこうした問題を解決するよう作られているとわたしは信じている。
この世界を維持し前進させるためには、ディスレクシアも非ディスレクシアも含め、全員の"脳力"を結集する必要がある。
シンガポールの経験が私たちに教えてくれるように、私たちの社会は生徒を一人たりとも落ちこぼれさせる余裕などない。一人残らず、ポテンシャルを開花させる必要があるのだ。
今こそ、ディスレクシア革命を起こさなければならない。

2 件のコメント:

  1. 非常に興味深い記事ですね。
    記事中にあるように、ディスレクシアは一種のマイノリティーととらえると、
    すっと納得できる気がしました。

    同じ民族同士なら簡単に分かり合える共通土壌があるのでしょうが、
    親子が同じ「民族」でない場合、ジャック・ホーナー氏のvideo内の父子の
    関係のようになるのは容易に想像できます。子どもと夫の関係はすでに
    そんな感じですし、少し前までは私もそうだったのかもしれません。
    (video 本当にわかりやすく面白いものでした。ユーモアにあふれていますね。)

    今日からは他民族の人と接するような、相手の文化を尊重する方向で
    子どもに接してみようと思います。きっと難しいと思いますが(涙)

    もう一つ・・・もし差し支えなければ、もじこさんのブログへリンクを
    貼らせていただけませんでしょうか。
    なにとぞよろしくお願いいたします。

    返信削除
    返信
    1. ありがとうございます。そうですね、ディスレクシアは家庭内マイノリティだと思えば、共存しやすくなりそうですよね。

      (逆に母親だけが家庭内マイノリティというディスレクシア家系もありそうですが!)

      ブログにリンクを貼って下さるとのこと、ありがとうございます。
      拡散して頂けるのはいつでもウェルカムです。
      どうぞよろしくお願いいたします!

      削除