準備を重ねれば、ぎりぎりなんとかなります。
しかし、板書というのは、
・黒板とノートとの視線の往復
・黒板の字を読み、短期記憶に入れて、ノートに吐き出す
・整理しながら書く
・・・と、さまざまな要素がかかわってきます。
これは、ディスレクシア的には、あまりにも酷なことです。
10月くらいに、例によって泣きながら
(子は昔の私に似て(笑)、自己主張しようとすると涙が出てきます)
「黒板の字を写してると、このへんが(と
ムズムズして、つらいんだよ」
↑確認したら両耳のあたりがムズムズするそうです
「自分で書いた字も読めないし。
友達にも『こんな字で読めるの?』って言われるし」
と告白しました。
夜中、眠くなるまで翻訳仕事をしていると、
胸のあたりがもやもやして座ってられなくなります。
それと同じかもしれません。
仕事なら、もう今日はこれ以上は無理と諦めるところです。
「ムズムズしてつらいんだったら、
黒板の字をわざわざ写さなくってもいいんじゃない?
じっと見て覚えるとか、先生の話を聞いて覚えるようにしてみたら?」
と言ってみました。
すると11月に入って、
「先生の話はわかるけど、
先生が黒板に書いた瞬間から、わからなくなるんだよ(泣)」
と言うのです。
声が文字になった瞬間に分からなくなる・・・
なんてディスレクシア的なのでしょう!
そこで、担任の先生に短い手紙を書きました。
※今年の担任は、最初はあまり分かっていませんでしたが、8月に校長を交えて面談する流れになり、「病院も行かない、カミングアウトもしたくないじゃ、こちらもできることができないですよ。診断書持って来て下さいよ。そこに書かれている通りに指導しますから」という校長の無理解に切れた私が「医師は診断はできますが、小学校の指導内容までは分からないと聞いています、やはり子供に合わせた日々の学習指導が一番よくお分かりなのは現場の先生ではないのでしょうか」と校長に啖呵を切った、その一部始終を黙って聞いていたのですが、その後理解に努めようとしてくれています。
ありがとう先生。
・・・話を戻しますと
「いつもありがとうございます。××は、先生の話は分かるけど、板書になった瞬間から分からなくなると申しています。そこで2日間だけノートを取らないように言いました。ご指導をどうかよろしくお願いいたします」
と書いた手紙を持たせました。
子は自分からも先生に「次の社会の時間はノートをとらないでみる」と言ったそうです。
1~2週間後、「どうしてる?」と子供に聞いてみたところ、
「一応ノートを書くようにしてる。周りの友達にいろいろ言われるから。
でも、ムズムズしてきたら、書かないようにしてる。
今日も、このへんで(と、上のノートの真ん中へんを指さして)
ムズムズしてきたから、休んでたの。
そうしたら、先生がぼくにだけ
『無理して書かなくてもいいよ』と言ったの。
ぼくは心の底からうれしかったよ・・・」
彼にとって板書は、記憶の定着には全く役立っていない、
それどころか、学習理解を妨げているわけですが、
それでも、友達の目があるから書く、
でも先生に「無理しなくていい」と言われれば嬉しい・・・
なんと複雑な心理なのでしょう。
☆ ☆ ☆
個人的には、いわゆる「きれいな板書」は明治~昭和の風習だと思ってます。
もはや予備校では、昭和時代に標準的だった、
「教師がきれいに黒板に書いて、それを生徒がノートに書き写す」
というタイプの板書は、生徒はついてきませんし、何より時間の無駄です。
コピーがある時代、きれいな板書はプリントを配れば済む話ですし、
板書は、図を書くプロセスが理解に役立つような場面に限定して使うべきで
(英語の構文解釈のプロセスとか、数学の図を考えながら書いていくプロセスとか)
どうせ手を動かすなら、教師の書いたことを写すのではなく、
自分で考えて答案を書くなど、
せっかくの限られた授業時間、他にすべきことがあるはずです。
でも、小学校では、「きれいな板書」を写させる方式がいまだに生き残っているようで・・・
子くん、辛いけど、おかあさんにちゃんと伝えて偉いですね。
返信削除板書、書かせる意味って?
うちも去年の担任は板書自慢!!お子さんのノート綺麗でしょう?=私の板書すごいでしょう?と父母会で自慢してたっけ。
もちろん、うちの子無視な発言でして、イラっとする場面もありました。
理解の手段が板書しかないなんてあり得ないし、かと言って、他の子にズルいって言われたくないから、ITC使用は本人が嫌がるし、いっそのこと、全員がITC使用でペーパーレスの授業にして欲しいとねがうばかりです。
そうすれば苦手もバレにくいですしね。
あ、ワタシapricotです。
お久しぶりですー!またdyslexiaセンターの話、聞かせて下さいね!
削除板書自慢の担任。。脱力ですね。昭和の遺物。
いえいえ、子がこういうことを私に教えてくれるのは、別件で怒った時なのです。
「自分は苦労している」アピールなのか、なぜか芋蔓式にずるずる告白してくるので・・・全然ほめたものではないのです。
ただ、我が子ながら偉いと思ったのは、担任に自分から「むずむずするのでノート書くのを休ませてほしい」と言ったことです。
アメリカではこれをself-advocacy(セルフアドボカシー、自己擁護)と言うらしいのですが。
「高校大学になったら『自分はこういうことが苦手だから配慮してほしい』と自分から権利を勝ち取りにいかないと、という教えです。
確かに大事なことですよね、、日本人としてはけっこう難しいことだと思うのですが。
末っ子の中学ではプリントがいっぱいです。
返信削除だから書く作業はプリントへの記入→ファイルするが主で、昔よりずっと書く量は減ってますよと言われました。
そのプリントも書けない事が多い子ですが…
ディスレクシアではないですが長男は小学校の時、
『いくら言ってもノートをとらない』と懇談で言われましたが、
本人に訊くと『解かってる事書いてもしょうがないやん。話集中して聞いてる方がいいやん』と言いました。
“あんたが正解!!”と思いましたね。
で、成績は優秀だったので、その先生には嫌味ばかり言われました。
人にはそれぞれやり方があるんですよねー。
末っ子の中学にも『学校のやり方では出来ません』と言ってあります。
あ゛~~、あやめさんの指摘で思い出しました!
削除ディスレクシアやADHDだと、プリントの整理もままならないことをorz。
プリントを配っても、きちんとファイリングできないんですよね。実はうちもそうです。。
予備校で見てても、ぐっちゃぐちゃにただ束にしてあるだけ、ひどいのになるとアコーディオン状になってたり(笑)生徒の自主性に任せてますが、はさみと糊を渡すべきですかね?!
長男君のその自主性は偉い!小学生でそんなに自分をしっかり持てるなんて。
プリントも、理解を助ける良いプリントと、死んでるプリントがありますね。
プリントは生徒の出来にあわせて、配るタイミングや内容をカスタマイズできるのがポイントで、鮮度こそ命だと思うのですが、ただただ十把一絡げに配っている教師が実は多く。。
ディスレクシアの子にとってはモチベーションがとっても大切なので、読んでみたくなるプリントを配ってほしいのですが、難しい注文ですかね┐(´-`)┌
前回の道村式カードでコメントさせていただきました「うみのさち」と申します(前回名前の入れ方がわからず匿名になっておりまして失礼しました。
返信削除イチゴのショートケーキの件、さっそくやってみましたが、
「イチゴのショートケーキは冷蔵庫でしょ」とさっくり言われて
(クリスマス前で、頂き物のケーキが冷蔵庫に入ってました)
先に進まず(爆笑)
お正月あたりで、ケーキがない時にやってみます。
板書の件、まさに、うちの息子も、
連絡帳を全然書いてこないのはなんでかなぁ???
と、思ってました。
夏ごろまでは。
が、担任の勧めもあり、
(私もこの人???)って思ってましたので、
秋にWISC-Ⅳを受けました。
言語理解が119なのに、ワーキングメモリーが91、っていう結果が出たので、なんとなく納得しました。
先生の話を聞きながら、書く、という3つの事を一緒にやるのが苦痛なのかしら???
と、思えるようになったので、
「覚えてくれば連絡帳に書いてなくてもいいよ」と本人には話しております。
これからもよろしくお願いします。
連絡帳!うちも書いてきません。
削除忘れ物もけっこう多いのですが。。
私があまりに悲しそうにしたので、以来上着や給食のナフキンは持って帰るようになりましたけど。。
言語理解がものすごく高いのですね!
うちは言語理解>ワーキングメモリーは同じですが、それ以上に「処理速度」が非常に遅いです。