ディスレクシア専用英語塾「もじこ塾」のブログです。 ●ディスレクシアとは:知能は普通だが、読み書きが苦手(読み間違いが多い、読むのが遅い、書き間違いが多い、読むと疲れやすい)という脳の特性 ●全体像の把握、物事の関係性・ストーリーの把握、空間把握、ifを考えるシミュレーション能力に長ける ●読み書きの困難は、日本語より英語に出やすい ●適切に対処すれば、読みの問題は表面上は克服される ●10人に1人程度いるというのが通説 ●家族性とされるが、ディスレクシアの表れ方は個人差が大きい もじこ塾は、ディスレクシアはこれからの社会に不可欠な才能、でも日々の学習では普通と違うアプローチが必要、という立場です。

2018-10-29

IDA日記その2:レメディエーションとは、過酷なものらしい


無事に帰国しました~。リムジンバスの中でこれを書いています。

IDAの参加者たちはどうやら本当に、去年の宿題を持ち帰って生徒に試してみて、再び集結しているように見えました。
変化のスピードが速いです。

去年はResearch to Practice(「研究成果を授業にどう生かすか」)がキーワードでしたが、
今年は「音韻認識をどう教えるか」の発表が多かったです。

もちろん、フォニックス(音と文字の対応を教えること)それもシンセティック・フォニックスはすでに当たり前となっており、alphabetical phonics(アルファベット順に教えるフォニックス)は、旧時代の遺物としてたまに言及される程度です。

・「アコモデーション(配慮)とレメディエーション(読み書きの訓練)は、同時並行で行うべきもあちこちで指摘されていました。(assisted technology(IT機器の使用)の発表は少なめでした。)

これらの点について、私の結論を先に申しますと・・・

(1) 合理的配慮は、英米の学校制度や価値観の中でこそ、初めて理解できるもの
日本の受験生が合理的配慮を使う場合は、配慮の背景にある社会や価値観が日本とは違うことを理解して、その上で戦略的に使うべき。

(2) レメディエーションは、とても過酷なものらしい。
 そして、もじこ塾の一部の授業は、すでにレメディエーション化しているらしいΣ(゚Д゚)

合理的配慮については、近日中に改めて書くとして、ここではレメディエーションについてまとめてみます。
以下、かなり技術的に細かい内容です:

☆  ☆  ☆

・レメディエーションは、苦手にフォーカスして、パフォーマンスのギャップ(読み書き能力と知的能力との差)を埋めるために行うもの。

・以下が必要:
(1) Structured(体系的、構造的)
(2) Sequential(順を追って)
(3) Overlearning(反復的)
(4) Research-Based(科学的研究に基づく)
(5) Multisensory(多感覚)

(1) Structured(体系的、構造的)
  私はこれを「網羅的」と理解しました。英語の音はすべて教える必要があるし、中学文法にしても高校文法にしても極力、「これで全部だよ」というものを示しながら教える必要があるということでしょう。
  個人的には今回、ようやく腑に落ちた概念のひとつです。

(2) Sequential(順を追って)
  これは「前に教えた知識の上に、新たな知識を教えること」。
  例えば、-ir-erと同じ発音だと明示的に教えないうちは、-irが入った語を読ませてはならない、ということです。
 「この点は厳格に守りたいところだが、コントロールされていない文章に、生徒は学校で触れてしまう」とのことでした。日本でも事情は同じですね。

(3) Overlearning(反復的)
  反復が大事という意味です。オーバーワークが大事という意味ではありません^^;

(4) Research-based(研究成果に基づく)
  IDAではオートン・ギリンガムが神聖視されています。そんななか「彼らを北極星としつつも、最新の研究成果を取り入れて聖人を乗り越える必要がある」・・・という文脈で登場していました。
また「教師は、自分が習った方法を絶対だと思ってはならない」という意味や、Reading Wars(フォニックスvsホールワード派をめぐる議論。政治論争にまで発展)のような不毛な戦いが、再びあってはならないという意味もありそうです。

(5) Multisensory(多感覚)
  これはなかなか曲者な概念。人によって定義が違います。
「マルチセンサリーな音韻認識の教え方」という発表に行ってみるも、7色のマグネットを使うことだったり(その程度でもいいんですね)

それなら「犬に読み聞かせをする」ほうがよっぽど多感覚じゃないかと思ったり(この発表はものすごく期待していたのですが、普通というか予想の範囲内の内容でした)

読み書きを教えるのに、文字と音以外の手段を使うなら、とりあえずはすべてマルチセンサリーと名乗っていいようです。ううむ。

~~~

「オートン・ギリンガム法をアップデートする」というシンポジウムで、州立病院で行われているというレメディエーション・プログラムの授業内容が紹介されていました:

(1) handwriting(字を書く練習
(2)音韻認識 
(3)フォニックス/デコーディング 
(4)文法 
(5)コネクテッドテクスト(まとまった文章を読む)
(6)スペリング

なんと!中学生クラスの授業内容とほとんど同じじゃありませんかΣ(゚Д゚)
アクティビティの大まかな順番や、最初が筆記体で、最後にスペルを書かせる点まで同じ…!

この話をしながら、発表者は感極まって涙で声を詰まらせてしまい、場内は若干引いてました()
しかし私はそれで分かりました。このレメディエーションは相当に過酷なのだろうと。
なぜなら、もじこ塾の生徒も同じだから。本気で速読みや音読で生徒を追い込むと、かわいそうなくらいヘロヘロになるからです。
そこから、もじこ塾の中学生(と一部の大学受験生)の授業は、いつのまにレメディエーション化していたことが分かりました。

ちなみに、発表のレメディエーションは
5日、毎回1時間、対象は小27(1)1クラス45人、期間は2年間
とのことでした。
読み書き能力は大幅に向上し、しかも2年間のレメディエーション終了後、この教室を離れても、読み書き能力の向上は続くとのこと。

つまり、もじこ塾中学生クラスは、できれば週3回だと、理想のレメディエーションに一層近づくということですね・・・でもそこまで英語に割ける生徒はなかなかいないわけで・・・
5時間分をカバーする方法を考えてみたいです。その上で、2年間で卒業を目指せれば、理想的ですよね。

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その他:
visual lexicon(まるっとスペルを覚える単語の量)には限界がある
文章を丸暗記するのは、長期的には逆効果。音と文字の対応(フォニックス)を教える必要がある。
→日本の定期テスト対策で陥りがちですね。
・レターボックスに入る単語は、文字列の並びは順不同。(sawwasは区別されない)
サイトワードを初期に教えすぎると、脳内の音-文字の結びつきが弱くなり、字の入れ替わりが起こりやすくなる
→単語の丸暗記も有害だということですね。「まるっと覚えられる単語の量には限りがある」と合わせて、丸暗記の害は肝に銘じたいです。
・精度なくしてスピードはない(正確性が向上しなければ、関心がある内容しか読めない)
・音韻認識の訓練は、2年間のレメディエーションを通じて行う。はじめは明示的に、2年目は他のアクティビティに混ぜ込んで。


~~
バスは予定よりも早く目的地に到着しそうなので、取り急ぎアップします。
明日からは通常授業。まだ報告は続きます!

2018-10-28

IDA日記その1:音韻認識の熱狂に釘を刺される/筆記体の本の版元社長に直談判


ボストンからバスで2時間のカジノリゾートで、今年のIDAは開催されました。
ボストンは車越しの夜景だけでも素敵でした☆。でも夜明け前のバスターミナルあたりから素敵じゃない雰囲気に・・・そして予想通り、カジノリゾートの周辺は見事に何もありません。360度原野、ニューイングランドの秋の紅葉です。
カジノリゾートの中は退廃的な雰囲気です。妙にぎらぎらした老人とか、地味~な中国人夫婦とか、平日の昼間からなぜこんなところに?と言いたくなるあやしい人たちがうろうろしてます・・・

そんな会場の一角で開催されているIDA。こちらは見事に白人女性が95%を占めてます。会場の挙手を見ると、教師、ディスレクシア専用チューター[個別指導教師]、アドミニストレーター[行政担当者]が多いです。
参加者は2000人と昨年並より少し少なく、半分が初参加とのこと。
雰囲気はLD学会に近いです。教師の出すオーラって万国共通なんですね()

・どうやら、去年のレターボックスの講演はIDA的にもよほど衝撃だったらしく、今年の発表で去年のその発表に言及しているケースに2件遭遇しました。たぶんみなさん、私と同じように、この1年間はあの講演を宿題として持ち帰っていたわけですね・・・
残念ながら、今年のIDAの発表は、これまでのところ、去年ほどの根底的な衝撃はありません。もっと細かい、具体的な話で収穫が多いです。

◆音韻認識について
・読めるようになるためは、まず音韻認識(phonological awareness, phonemic awarenessなど、いくつかの言い方あり)の訓練を徹底すること、その上でフォニックス(音と文字の対応)を教えるべき・・・が、この12年で業界の共通認識になったようです。
Phonemic awarenessについての新刊も出ていましたし、教材も新しく出ていたので買ってみました。中1クラスで試してみたいです。

ガチャガチャのおまけみたいなものが、多感覚らしいです

音韻認識とは、「単語がいくつの音韻でできているかを、認識する能力」です。
たとえば、sat3つ、step4つ、star3(ar1つと数えるので)
shark3(shark)this3(this)third3つ、
there2つ、rain3つ、candyは5つの音韻からなります。

日本人からすると、「そこって1つにまとめるの?」という反論も出てきますね・・・
その通り。どの音をもって音韻とみなすかは言語によって異なるので、すでに別の音韻体系が確立している場合は、ある程度理詰めで理解する必要もあります。
音韻は人工的な概念なのです。

不思議なことに、定型だと45歳で母語の音韻認識は獲得されています
(stop4つのオトでできていて、t2番目だね!」と言えます)
一方、ディスレクシア(の多く)は音韻認識の発達が遅れますし、程度の差はありますが長期的・定期的・反復的・明示的な訓練をしないと定着しません(ひらたく言えば、毎日510分、訓練が必要です)

グッドニュースは、音韻認識の定着は、年齢が上がるにつれ短期間で定着する傾向が強いということです。
もじこ塾で見る限り、中学生は小学校低学年よりも音韻認識の定着は早いです。
また、音韻認識が定着するまで足踏みする必要はなくて、文法など先に進みながら音韻認識定着の練習を続けることもできます。このことに言及している発表もいくつかありました。


◆ディスレクシアの原因は音韻だけではない
筑波大の宇野先生とワイデル先生がシンポジウムを行ったので、最後だけですが顔を出しました。両先生と直接お話できる役得に預かりました(^^)。地球の裏側のカジノリゾートまで足を運んだかいがあったというもの。

宇野先生からは釘を刺されました。今の私にはとてもありがたかったです。

「アジア系言語のディスレクシアの出方は英語圏とは異なる。
IDAではディスレクシアはもっぱら音韻処理の障害とされているが、日本語ディスレクシアを見ればそうでないことは明らか。
音韻障害だけが原因のことは少なく、視覚認知障害、自動化の障害、それ以上にこれらの混合型が60%を占める。
そのことを英語圏のディスレクシア研究者はわかっていない」。

・・・本当にその通りです。
日本語のディスレクシア、特に漢字が覚えられないのは、形の認識の困難によるものです。ディスレクシア英語教育に意識が向きすぎて、ついそのことを忘れがちになっていました。
日本語(特に漢字の困難)からディスレクシア教育に入ると、ディスレクシアは主に字の形をめぐる困難ですが、英語からディスレクシア教育に入ると、ディスレクシアは音韻を認識し処理することの困難だと分かります。
日本のディスレクシアの生徒はほとんどの場合、この2種類の異なる困難に直面していて、その両方に対処しなくてはならない大変さがあります。


◆筆記体の本の版元社長に直談判
・筆記体の練習帳には本当に感動したので、お礼が言いたくて版元の社長さんの発表を聞きに行き、発表後、話をすることができました。
生徒の字をいくつか見せると、たいそう感動してくれました(TT)
「遠い日本の地でこの本がこんなに愛されていると知ったら、著者はきっと喜んだだろう。彼女は外国語として英語を学ぶ生徒のことを、とりわけ気にかけていたから」。






著者とは故Diana Hanbury King女史、ディスレクシア教育界のレジェンドのこと。
もう一年早かったら直接お礼が言えたのに、本当に残念でした。

「この本はすばらしいです!すごく効果があります。日本には同じものが本当にありません。わたし訳しますけど、日本で出版しませんか?」
と言ってみたところ、マシンガントークで
「超いいね!!僕はADDだから忘れちゃうんで、帰国後ここにメールしてくれるかな、Let’s see what we can do」とあっさりOKしてもらえました!

しかし社長はこっちもADHDだとは理解していない(原稿になかなか取りかかれないorz)

だからここに書いて宣言しておきます。
筆記体の本の日本語版を出すために、版元のOKはもらえました!日本語版を出したい!!

2018-10-23

今年もIDAに行ってきます!

なかなかここに書けず、申し訳ありません。ようやく一息つきました・・・。

昨年のIDAに行って以来、この1年のもじこ塾は、現地で聞いたことを思い出し、試しては微調整する・・・を繰り返しながら、変化を続けてきました。

現在、中学生の授業では、
・シンセティック・フォニックス
・筆記体
・音読
・ゲームによる息抜き
・文法演習
を扱っています。
1年前と比べたら、だいぶ変わりましたし、盛りだくさんになりました。

大学受験生のなかにも、高校や予備校とはかなり異なる授業を行っている生徒が何人かいます。
読む量を極限的に減らして解く方法を模索したり、徹底的な読字訓練を行ったり・・・

これらのほとんどは、日本ではどこに行っても勧められない、または、ディスレクシアに効果的と言われていても、具体的な効果や方法のわからないものでした。

例えば筆記体。
これは去年のIDAの、空き時間になんとなく聞いた発表で知り、その場では眉唾ものだ思ったのに、今ではもじこ塾の中学生にとって不可欠の教材となりました。
筆記体で書くことではじめて単語のスペルが覚えられた生徒もいますし、
PCでないと板書は無理と語るほど激しい書字困難にもかかわらず、筆記体の練習を始めると、「書けるようになると読めるようになった」と言う生徒もいます。



あるいは音読。
「フォニックスの次にすべきことは流暢性の獲得。そのためには時間を測って初見の文を読む練習を」という指摘を守って、中学生さらには一部の受験生にも、目の前で音読してもらっています。
これは、生徒によってはどろどろに疲れる厳しい課題で、生徒の疲れ具合を注意深く見極める必要があり、信頼関係がないと課せないものですが、今やこれも、もじこ塾に不可欠な訓練になりました。



このように、IDAの会場でなんとなく聞いたことが、ボディーブローのように効いてくる経験をして、やはり今年もアメリカまで行かないわけにはいかない、たとえ秋の受験生の授業を一週間休み(申し訳ありません)、自腹であっても( ;∀;)と思うようになりました。

もじこ塾でも最もディスレクシア度の強い部類の生徒たちは、もじこ塾の授業の効果や感想を、とても率直に教えてくれます。
「学年が上がるにつれて、追試にひっかからなくなった」
「教科書をはじめて読めた」
「フォニックスを教わった帰り道、街中の看板という看板から音が聞こえてきた」
「家族でよく行くレストランの名前が読めた」
「クラスで一人だけ答えられる問題があった」
「sinの筆記体が読めた」などなど・・・

そういった感想からこの方向性でおそらくいいのだと思う反面、常に授業に微調整を加え、進化させていく必要も日々感じています。
生徒は進化するのに同じ授業をしていたら、あっという間に効果が薄れてしまいます。

というわけで、いま私はボストン行きの飛行機の搭乗口でこれを書いています。
今年の会場はボストンから100マイル離れた、コネチカット州のネイティブアメリカンの土地にあるカジノリゾート(?!)。
去年のアトランタよりもたどりつくのがある意味困難かも(;'∀')。

今年はどんな話が聞けるのか、楽しみです!!乞うご期待!