on dyslexia
2025-05-02
もじこ塾だより,by笠野紺さん(6)
2025-03-15
受験報告会を行います!
今年も受験報告会を行います!
今年は、見逃し配信を行います!(ただしWISCの情報だけは削除します、ご了承ください)
もじこ塾と生徒たちで、今年のディスレクシア的大学入試を語り尽くします!
お申し込みはこちらから→★(peatixのサイトに飛びます)
今年の登壇者は、以下の通りです:
(1)(一般入試、配慮あり):中高一貫卒。去年も「GK君」として受験報告会で話した彼は、いろいろあって再受験。中高では配慮なし、浪人してから配慮申請。もじこ塾の助手をしながら考え続け、一段と深く鋭くなった彼のディスレクシア論を語ってもらいます。
GK君の昨年の合格体験記はこちら→★。彼はこの文章を書いたころ、私も知りませんでしたがすでにパニック障害を抱えていました。結局は発作のせいで、一浪で入った大学には一日も行くことができず。今年は心を立て直すことを最優先に生活した結果、再受験でW大学に合格。
(2) (一般入試、配慮なし):公立中→私立高校→一般入試(理系)。高校は皆勤で、陸上部も引退までフル参加。高校で配慮を受けなかったため、入試でも配慮は受けていません。なぜ配慮を受けなかったのか?そこには彼の、はっきりとした思いがありました。
・・・この紹介だとすごくエネルギッシュに見えますが、実際の彼はほんわかした印象です。斜視もあって、読むのは大変そうです。
模試では、英語も国語も15分ほどで寝落ちしていましたが、こちらは「部活で疲れているからだろう」「遠距離通学だからだろう」と思っていました。でも部活を引退した後も模試で寝落ちしていたため、ようやく疲れだけが原因ではないと気づいた頃はもう秋口・・・
(3) (総合型選抜、配慮なし):公立中(通級)→私立高校(スポーツ推薦)→総合型選抜。高校入学時には日本語の読み書きに困難のあった彼が、大学入試では小論文を書けるほどに。その背景には、野球部で毎日欠かさず続けていた「あること」が・・・
彼は中学生の集団クラスに在籍していました。礼儀正しく、スポーツ万能。公立中のジャージ姿で地下鉄に乗ってもじこ塾に来るような、純朴な一面もありました(?!)。小1から通級に通っていたこともあり、ディスレクシアとしてはかなり重度でもあります。「甲子園を目指す」と言って卒業しました。
彼から久しぶりに連絡があったのは去年の8月。「特別支援の教員になりたいので大学に行きたい。今から対策したい」と言われて驚きましたが、持ってきたものを見てさらに驚きました。それが上の「あること」です(すみません、引っ張ってます)
彼の合格体験記はこちら→★
2025-03-13
IDA24・その3(雑感)
書いた状態で半年も放置していました。。とりあえずアップしておきます。
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2024年のIDA(国際ディスレクシア協会)年次総会に行ってきました。
振り返り、その3です。
今年のIDAは、
Reading Ropeで検索すると、最近は色つきのものも出てきます。
2) Structured Literacy(ストラクチャード・リテラシー)
◆3日目、フィンランドの大学教授の講演は、内容以上に聴衆の様子が印象的でした。
アフリカの学校向けにフォニックス?のアプリを開発した人だそうですが、
男子のほうが女子よりも字が汚いし、ゲームが好きだし、ゲームが好きすぎて本に向かえなくなっている・・・と話したあたりから、会場が白けてきました。
途中でどんどん人が出て行き、予定時間より早く講演が終わってしまうありさまでした。
この様子から、IDA出席者(白人女性。たぶん多くが教師)の考え方が、少しわかった気がしました。
・教育の場でのテクノロジー利用には案外、否定的です。
・男女の差を明確に示すことには、触れたくない雰囲気を感じました。
・ゲームに対する考え方も、かなり保守的な気がします(これは、日本が進みすぎているのかもしれません)
講演者のメッセージは、個人的には面白く聞きました:
「読めるということは、書き言葉と話し言葉がつながっているということ」
「アフリカには面白い読み物がないから、楽しみのために読む経験がない。その結果、読解力が育たない」
「読解力を育てるためには、能動的な読み、キーワードを見つける能力が必要。面白そうなところを飛ばし読みする経験はその最初の一歩になる」
「自分はアプリを開発してアフリカで採用してもらったが、むしろその国のPISAスコアは下がってしまった。たぶんそのアプリだけで十分だと思われてしまったのだが、それではダメ。娯楽で読む経験も必要」
話せば話すほど会場が白けるのを感じながら、アメリカには英語のあらゆる娯楽的コンテンツが溢れかえっているので、面白い読み物がない状況が想像できないのかもと思いました・・・
また、日本ではディスレクシアの小学生に対し「マンガでかまわない、とにかく活字を読みましょう」と勧められることがありますが、その効果を裏付けていると感じました。
2024-12-31
どの入試が一番きついか?
1位 高校入試
2位 中学入試(ガチ勢)
3位 大学受験(一般入試)
4位 中学受験(ゆる)
5位 大学受験(年内入試)
2024-11-04
IDAによるディスレクシアの定義の見直しに向けて(IDAに行ってきました:その1)
コロナ後初めて、IDA(国際ディスレクシア協会)の学会に対面参加しました!
新宿から16時間かけて、アメリカはテキサス州、ダラスまで行ってきました。
やっぱり対面の学会だと、得られるものが段違いですね。会場での議論、聴衆の反応、物販、人との出会い、アメリカ人相手に英語を話すこと・・・
この記事では、今回の学会の目玉のひとつ、「IDA版ディスレクシアの定義」のアップデートに関するシンポジウムの内容をまとめました。
タイトル:Dyslexia in the 21st century: Progressing the field through a revised definition
(21世紀のディスレクシア:改定版定義による分野の前進)
この議論の論文バージョンは、こちらをどうぞ↓
https://link.springer.com/journal/11881/volumes-and-issues/74-3
目次
- ディスレクシアを定義するのは難しい
- 改定のタイムライン
- 何のための定義か?
- 論点
- neurobiological(神経生物学的)
- disorderか、disabilityか
- ディスレクシアとは、何ができないことなのか?
- fluent(流暢)とは何か
- できないことの背後にあるもの
- 二次障害への言及
- 「読み回路」モデルの提唱
- ディスレクシアは、IQとは無関係
- unexpected(想定外の)
- 英語中心的な定義からの脱却
- おわりに
1 はじめに
1.1 2002年の定義
「Dyslexiaは、神経生物学的原因に起因する特異的学習障害である。その特徴は、正確かつ(または)流暢な単語認識の困難さであり、綴りや文字記号音声化の拙劣さである。こうした困難さは、典型的には、言語の音韻的要素の障害によるものであり、しばしば他の認知能力からは予測できないものであり、また、通常の授業も効果的ではない。二次的には、結果的に読解や読む機会が少なくなるという問題が生じ、それは語彙の発達や背景となる知識の増大を妨げるものとなり得る」
https://square.umin.ac.jp/dyslexia/factsheet.htmlより
これをアップデートしようという話です。
1.2 前提:ディスレクシアを定義するのは難しい
ディスレクシアの定義はとても難しい。その理由は「こういう人をディスレクシアと言う」という明確なプロフィールがない点にある。
その背景にあるのは
・脳の可塑性(日本風に言うと「脳は代償機能を発達させる」)
・どこからをディスレクシアと言うかが難しい
(読字能力は正規分布を示すなか、カットオフは恣意的である)
・ディスレクシアは原因も現れ方も多彩である(読字回路(reading circuit)モデル)
2 改定のタイムライン
2.1 改定の経緯
現在の定義は2002年に作られた。1994年の定義を改訂したもの。
当時からその定義はworking definition(実用目的の暫定的な定義)という認識であり、研究や実践が十分に進んだら改定されるだろうという前提があった。
当時と比べ、以下のことが明らかになった:
・研究用の定義を学校で使うことの困難
・文字体系の違い(今の定義は英語中心的すぎる)
・弱者集団(黒人、ヒスパニック、英語学習者、社会経済的弱者)への配慮
・ディスレクシアの原因が多様であること
・共起する障害の存在 (ADHD、不安障害)
・読み能力は正規分布し、ディスレクシアは連続体をカットオフしたものである
こうした発見、社会状況の変化、またIDAの定義が想定以上に広まっている状況を踏まえ、定義のアップデートが必要との判断となった。
2.2 改定までの予定
2024~2025年にかけて、定義を変える必要があるかどうかも含め、各関係者や委員会の意見をとりまとめ、
2025年末までに、IDAの最高意思決定機関によって新定義が決まる予定。
なお、ディスレクシアの定義としては他に、2008年にイギリスで作成されたRose Reportなどがある。
DSM-5や、日本の文科省の定義もありますね。
パブリックコメント募集期間もあるそうです!
3 何のための定義か?
定義に目的があるということに、改めて驚かされますが。IDAは、Until Everyone Can Read(すべての人が読めるまで)という目標を掲げており、読めることは基本的人権だと明確に位置付けています。その活動を支えるような定義を作りたい、ということのようです。・研究、識別、アドボカシーのために、定義をアップデートしたいこうした目的が、新定義の文言選びに影響を与えそうです。詳しくは以下で。。。
・この定義はeligibility(アメリカの公立学校でサポートの資格を得る)のためにも使われる
4 さまざまな論点
今の定義の文言のうち、シンポジウムで論点にあがったものをまとめました。4.1 neurobiological(神経生物学的)
neurological(脳科学的)ではなくneurobiological。ディスレクシアは家族性に由来する脳の状態だという意味。
が、ディスレクシアの原因遺伝子はまだ特定されていない。遺伝と言ってもそんなに単純なものではない。環境要因、社会的要因も大きい。このため、neurobiologicalという語を含めるか、議論すべきである。
4.2 disorderか、disabilityか
ディスレクシアがdisorderか、それてもdisabilityかについても、議論がありました。
自分はディスレクシアではないが、3年生まで読めなかった。disorderだと「お前はポンコツ(you are broken)」と言われている気がするが、そんなことはない、今は読めるし。
disabilityなら、何かに必要な能力が自分にないという意味になる。
Reid Lyon(リード・ライオンとお読みするらしい。現行定義の策定にも関わった、NICHD所属の医師で、IDAのスーパースターの一人)先生の発言。
日本風に言うと「ディスレクシアはあくまで社会モデルとしての障害として扱うべき」という意味になるかと思います。
上は登壇者のみなさんも同意しており、IDA的にはディスレクシアはdisabilityのようです。
と同時に、IDAの定義の大きな目的が公立学校でのサポートを得ることにある以上、ディスレクシアをLearning Disabilityと呼ぶことはあっても、Learning Difference(学び方の違い)と言うことはないことも分かりました。
同じ理由から、ディスレクシアの才能に関する文言がIDAの定義に加わることも、ないと思われます。
4.3 ディスレクシアとは、何ができないことなのか
difficulty in word recognition and spelling(単語を認識すること、英語のスべリングを正しく書くことの困難)がディスレクシアの困難のコンセンサスである。
そのうえで物議を醸していたのは、
reading comprehension(読解力)の欠如をディスレクシアに含めるかどうかです。
この点については、登壇者の間で大きな見解の差がありそうでした。
この流れは、IDAがStructured Literacy(Science of Readingに基づく、科学的な読み教育の全容)を定義し、読み教育全般を見渡す方向に舵を切ったことと関係している気がします。
この動きには、同意しない人も多いようで
「自分は読解力は別の問題だと思っている」
と話す発表者を今回、あちこちで見かけました。
もじこ塾も同じ意見です。
「読字さえできれば読解はたやすい」人を、純粋ディスレクシアと私は呼んでいます。
知識をベースにした的確な洞察力をもつ人たちです。
この人たち以外はディスレクシアではない…とまでは言いませんが、読解力がない人は別の原因があると思っています。
(読書経験の少なさによる二次的問題、ASDやADHDに由来するもの、など)
4.4 fluent(流暢)とは何か
ディスレクシアの定義にあるaccurate and/or fluent(正確および/または流暢)
についても、議論がありました。
「流暢とは単なるスピードではない、意味理解せずにスピードだけを追求してもなんの意味もないでしょう」と喝破していたのはメアリアン・ウルフ先生。
「自分で読んでいて意味がわかる程度に速くという意味」だそうです。
・・・と言われると、確かにそうだと思いつつ、検査のなかには読み速度を測り、それを流暢性と呼んでいるものもあるよね?とも思うのでした。
(ちなみにウルフ先生は、RANの開発者だそうです)
どうやら、fluentには、単なる「スピード」だけでない意味が含まれていることは確かなようです。
また、automaticity(自動化)を獲得し、effortlessに(努力なしで)読むことだとも説明されていました。
となると、「読んでいて疲れない」は、fluentに含まれるのかもしれません。
fluentは川の流れなどを意味するflow(フロー)と同語源の単語です。
ダラスを流れる川の写真を見ながら、アメリカと日本では「川の流れ」と言ったときの含みが違うのかも、、と思ったりもしました。
4.5 できないことの背後にあるもの
これもまた、定義に含めるのがとても難しいことのようです。この20年のIDAにとって最大の進歩のひとつは、ディスレクシアのphonological deficit、つまり英語の音韻の何らかのレベルでの困難(特に音素レベルの認識、操作、想起の困難)が科学的に解明され、かつ効果的な教え方が確立したことである、と言って良さそうです。
なので、「ディスレクシアの原因はphonological(音韻)である」は、新定義にも入ることはほぼ確実のようです。
ただし、phonologicalの後につく名詞は、defecit(欠陥)、processing(処理)、component(部分)など、いろんな提案がありました。
「音素(phoneme)レベルの困難」とまで言うかどうかは、意見が分かれるようでした。
その一因として「代償機能によって、音素の困難がなかなか現れない人もいる」と聞いたときは、生徒の顔が次々と浮かびました・・・やっぱそうだよね、そこがわかりにくい人っているよねと思いました。
また、もう一つの大きな問題点として、
音素という単位のない言語でもディスレクシアは出現する点があります。
漢字文化圏の言語(中国語、日本語、広東語(香港)が話題に出ていました)のことです。
日本語ディスレクシアにおいて、漢字が覚えられない困難はよくみられます。
これに応えるように「漢字の読み困難の原因には視覚的ワーキングメモリの不足がある。漢字は視覚的負荷が英語よりもはるかに高い」という話は、バイリンガルとディスレクシアの研究発表で聞きました。コロナ前は「ディスレクシアは音韻処理の障害です!」と会場が唱和していたのを思うと、大きな進歩です。
新しい定義には、漢字文化圏のディスレクシアを考慮に入れた文言が入る可能性もあります。
これは、日本のディスレクシア研究の貢献ではないでしょうか?!
4.6 二次障害への言及
驚いたのが、日本のLD界隈で言う「二次障害」への言及です。今年のIDAでは、ディスレクシアと不安(anxiety)の関連性について、ずいぶんいろんなところで聞きました。
「ディスレクシアの生徒に正しい介入を行うと、不安感が軽減する」
「ディスレクシアの早期発見または予防(なんとIDAでは、ディスレクシアの予防が議論されています)により、ディスレクシアの子の不安も予防できる」。。
「ディスレクシアが放置されると不安につながる」
という文言が入る可能性があります。
「ディスレクシア中学生の最大のテーマは二次障害防止です!!」と入塾時に強調しているもじこ塾ですが、まさかIDAが寄せてくるとは(驚)。
この文言を定義に含めることで二次障害が減るのなら、ぜひとも入れてほしいです。
4.7 「読み回路」モデルの提唱
メアリアン・ウルフ先生が提唱していました。個人的にも納得行く説明だったので、以下に紹介します。
ディスレクシアは発見されて以来、さまざまな原因仮説が提起されてきた。最近でも、APD、実行機能、レターボックスなどがある。
これらを脳内にプロットしてみると、非常に幅広い部位をカバーする。
これぞreading circuit(読書回路)である。
読むという行為は、音・文字・意味に関わるさまざまな脳の部位が、回路のように美しく*連携することで可能な発明*なのだ。
*beautyという言葉が繰り返し使われていました。
*invention:humans were never made to read(ヒトは生まれつき読めるようには作られていない。読む力は後天的に獲得される能力)は、メアリアン・ウルフ先生の名言のひとつです。これを深化させたのが今回の「読書回路」と言えます)
この回路のどこかに不具合があると、読みに困難が生じる。
つまりディスレクシアの原因も現れ方も、対処法もきわめて多様である。
この整理の仕方は、日々もじこ塾で実感することともしっくり来ます。生徒を見ていて、まったく同じ困難を抱える生徒は二人としていません。兄弟であっても異なります。が「今日の●●くんのあの感じは、○○くんに似てるよね」という話は、助手たちとしょっちゅうします。読み書き困難はある程度は類型化できる気がします(10種類はありそうですが)
4.8 ディスレクシアは、IQとは無関係
・知的障害は定義上除外されるため、ディスレクシアは知的障害以外のあらゆるIQに存在する。
・しかし一方で、ディスレクシアだからと言って、必ず賢いわけではない。普通または普通以下のIQの人もたくさん存在する。
・「特殊な才能に秀でている」も、念頭においていいが、IDAの定義の目的にはそぐわない。
4.9 unexpected(想定外の)
現行の定義にあるunexpected(想定外)という文言。「他の認知能力からは想定外であり、かつ効果的な教室での指導からも想定外」とあります。この言葉を新定義にも入れるかどうか、登壇者の間では意見が分かれていました。
※に関して・・・
とはいえ、ディスレクシアの症例報告第一号とされる、1930年代のアメリカの医学誌に登場するパーシーくんの描写
4.10 英語中心的な定義からの脱却
「なんと!我々の定義は英語圏でない国でも使われている!我々は英語中心的な定義から脱却せねば!」英語以外の言語に関しては
「ディスレクシアは言語によって出現率に差がある」
「透明性の高い言語(スペイン語、イタリア語)より英語のほうが出現率が高い」
くらいの表現で、新しい定義に含まれるかもしれません。
移民(のディスレクシア)の存在も、アメリカでは無視できなくなっているようです。
「英語力が不十分であることに由来する識字困難と、ディスレクシアとは異なる」
あたりも、文言に加わりそうです。
4 おわりに
新しい定義の案は、発表者がそれぞれに示していましたが、ここでは割愛します。これを機に、「ディスレクシアとは何か」を考える議論が、日本でも活発化するといいなと思います!
2024-10-14
ディスレクシア的、計算ミスを減らす工夫(大学入試編)
大学入試レベルの数学を戦った経験のある(or 戦っている)もじこ塾の生徒や助手に対し
「計算ミスを減らす工夫があったら教えて」
という質問をしたことがあります。
そのときに集まったアドバイスを、ここに共有します。
ディスレクシアでも、工夫の方法はいろいろだなとわかります。それではどうぞ:
☆ ☆ ☆ ☆
理系科目は全部頭のなかで動かしてから考える。この座標だったらこのくらいの図形になるから、これくらいの積分微分だよねと。大幅に外れることはない。検算が楽。
小学生のころは、問題文の数字を四角でくくっていた。見つけやすいように。
解いてからもう一回、更地で別のやり方で解き直す。by 高専3年(数学は非常に得意だが、三角形ABCの「ABC」や化学式を見ていて吐くこともあるほど、英語の文字が苦手)
一回の工程ごとに行を変えて書く。
書く量を減らしている。一部の積分は頭のなかでやったり。
自分は数字から連想が働きやすい。1024は2の5乗とか、数字を見た瞬間に素因数分解しちゃうとか。
連想を働かせないよう、声に出して読みながら書くようにしている。書いた文字から連想が変なところにいかないように、「3」と言いながら指さし確認。
自分に考えるひまを与えないように、考えずに写して指さし確認。
☆ ☆ ☆ ☆
実際に計算を始める前に解く方針を定めて、こういう結果になって欲しいなって思いながら計算するby Ronくん(東大文系数学を、足を引っ張らない程度に戦う。字を書くことに抵抗なし)
一行ごとに計算結果を確認する
複雑な計算は2通りの方法で計算する、例えば12×12を6×24の形でもう一回やっとくとか
☆ ☆ ☆ ☆
自分は満点狙いではないので、確実に解けた問題の見直しをする。
同じ解法で、見ないでもう一回解く。一回解いているので、1/3くらいの時間で解ける。どこで間違ったのかがわかりやすい。時間はかかるけど。
by 高校2年(その後、指定校推薦をとる。英語が苦手すぎたため、進学校で文系数学の成績をきっちり取る方向に)
スピードをあげすぎない。頭のなかで暗算する人もいるが、自分は暗算すると間違うので、11×12みたいな簡単なものも、一応全部式を紙に書く。暗算を極力減らすことで間違いは減った。
☆ ☆ ☆ ☆
書き出すのはけっこう大事。頭のなかでやるとミスが増えるby PuiPuiモルカー君(後輩の理系受験生、字は超~乱筆)
字をきれいに書く。自分の書いた数字が読めないことがないように
変数を変えたときに、変数の範囲を変更したことを忘れると詰む
途中式をちゃんと書く
☆ ☆ ☆ ☆
違和感を覚えたときに戻れるような書き方をする。「これ大小関係逆じゃね?」とか。セーブデータとして有効なように。
ぐっちゃぐちゃにいろんなところに書かない。これをしてた某後輩もいたが。縦横無尽に書いていた。
自分は文字式で書けるところまで書いて、それから数値計算する。
分数は排除しろ(by駿台の雲先生)。分数を使うと計算ミスをしやすいから。自分もできるだけ整数にしている。by時雨くん(情報工学専攻、大学4年、字はきれいとは言い難いが書くことに抵抗なし)
☆ ☆ ☆ ☆
イコールの位置をそろえる文字(xとかyとか)をそろえる
by GKくん(一橋(社)志望)これだけでも、だいぶましになった。
2024-09-29
大学生は、どのような英語の合理的配慮を受けているか?
うちの子もディスレクシアです。もちろん推薦入試を考えていますが、大学入学後、英語ができずに留年、中退が不安です。もじこ塾出身の生徒さんは、大学入学後どうされていますか。
1 ツールを使えば乗り切れる。
この方法をとれるのは、それなりに英語力のある人たちです。
また、モチベーションの強さ、英語を使いこなす自分をイメージできる力が必要です。
2 配慮を受けて乗り切る。
英語を回避して大学に入った場合、こうした乗り切り方をすることが多いと思います。
ちなみに、大学入学後の配慮に関しては総じて、この数年でほとんどの大学でかなり制度が整った印象です。
また、大学生の配慮は、本人と支援室がまず話し合い、それから支援室がコーディネートして本人が担当教授に話しに行く・・・という形が多いように思います。親の出る幕は基本的にはありません。
3 自分のレベルにあったクラスを履修。
「英語は基礎クラスだったので、大丈夫だった」と話す学生もかなりいます。質問を頂いた元記事→★の学生も、その一人です。
多くの大学で、英語はレベル分けがされています。
入学時に行われるクラス分けテストで、無理せず低い点数をとって・・・
(笑、でも、それまでテストというものは常に全力を振り絞って受けることを要求されてきた生徒たちにとって、「下のレベルに入れるよう、気合いを入れずにテストを受けましょう」というアドバイスは、かなり新鮮なようです)、
・・・それで下のクラスに入り、着実に単位を取るというのは、正しい戦略です。
4 英語の単位がとれない可能性を考えて、志望大学を変えた。
ある生徒は、高倍率を突破して某大学の高大接続プログラムに参加し、良い内容のレポートも書き、そのまま総合型選抜で合格できそうでした。
結局この生徒は、まったく違う専攻に(公募推薦で)進みました。
5 英語検定のスコアが卒業要件になっていないか、要チェック
入った大学が実は卒業要件にTOEIC 600点などのスコアを課していたため非常に苦労した・・・といった事例が、これまで何件かありました。
読めなさが重度の場合、TOEICスコアなどが卒業要件になっていないかどうかは、入学前に確認したほうがよさそうです。
英語の各種検定試験にも、合理的配慮は存在します(学習相談→★の枠で対応できますので、ご希望者はお知らせください)。
大学生活のすべてをTOEIC対策に捧げて、うつになりかけながら卒業要件に必要なスコアを超えた学生もいましたし、
鉛筆転がしレベルのTOEICのスコアと、銀河点レベルの専門科目の点数を取って、大学院進学を果たした学生もいます。
なお、ディスレクシアには、TOEICやTOEFLよりも、IELTSが比較的取り組みやすい気がします。
6 就活も大変・・・でもそこは、みんなも同じなので、がんばってほしい
ちなみに、これまでもじこ塾の卒業生で助手となった人は、基本的には一般の学生と同じように就職や進学をしています。(追記:と書いた後で改めて考えるに、ディスレクシアの就活はなかなか大変そうです。またその後も苦労は続くようです。でもやはり、就職後の生活にまったく苦労のない人なんていないので、「みんなも同じなのでがんばってほしい」という結論は変わらないのですが)