今日の日経新聞に、「戦争トラウマ 国が初調査」という記事がありました。
戦争から戻ってきた元兵士は、復員後長きにわたりPTSDに苦しんでいたが、そのことはずっと秘密にされていた。
数年前に最後の方が世を去ったのをきっかけに、国が調査に乗り出した、、という内容です。
そこで、もう何年も前に書いたまま、きっかけがなくてしまってあった文章を出すことにします。
親御さんの学習相談に乗っていると、意外なところからこの話につながる、、という内容です。
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「父親が子どものディスレクシアを認めない」という相談はときどきあります。
父親自身がディスレクシアであっても、そのようなケースがあります。
父親自身がディスレクシアであっても、そのようなケースがあります。
努力が足りない。
自分は気合いと根性で乗り越えてきた。
ツールを使うのはさぼりだ……
子どもがディスレクシアだと分かってもなお、このようなことを言う人がいます。
そのような人を説得するのは難しいです、と言った上で付け加えると、
このようなことを言う人は、親との関係にわだかまりがあるのかもしれません。
「努力が足りない」と、ディスレクシアである我が子に対して言う人は、
自分自身も努力を重ねたのに、それを親に認めてもらえた記憶がなく、満たされない思いを我が子にぶつけてしまうのかもしれません。
「親に『レギュラーに入れた』と喜んで報告したら、喜んでくれないどころか、『四番じゃないと意味がない』と言われた」
子どもの成果を素直に喜べない親は、自分が一度も自分の親に喜んでもらえなかったのかもしれません。
いまの親世代は、受験戦争を戦ってきた世代です。無理をするのは当たり前でした。
「自分の人生はずっと競争だった」としみじみ語る親は少なくありません。
やりたくないことを我慢して続ける。その連続だったと思います。
でも、同じことを自分の子に求めていては、ディスレクシアの子どもたちが救われることは、まずないのです。
「自分の人生はずっと競争だった」としみじみ語る親は少なくありません。
やりたくないことを我慢して続ける。その連続だったと思います。
でも、同じことを自分の子に求めていては、ディスレクシアの子どもたちが救われることは、まずないのです。
自分がこれまでずっと頑張ってきたことは、事実として認める。
と同時に、やりたくもないことを続けるのをよしとする価値観は、自分の代で終わりにする。
「やりたくないことを我慢して続けるのが社会人」というメッセージを子ども達には送らない。
本当に度量がある大人なら、それができるはずです。
「自分もそうしてきたのだから、あなたも同じことをしなさい」と子どもに押し付けてはならないのです。
自分の親に対する満たされない思いを、子どもにぶつけるのをやめること。
不毛な世代間連鎖を、自分の代でおしまいにすること。
辛いと思います。心の中の子供が「自分もそうされたかった」と泣き叫ぶかもしれません。
でも、こうした負の世代間連鎖を自分の代で終わりにすることこそ、ディスレクシアの子どもたちを楽にするための第一歩なのです。
不毛な世代間連鎖を、自分の代でおしまいにすること。
辛いと思います。心の中の子供が「自分もそうされたかった」と泣き叫ぶかもしれません。
でも、こうした負の世代間連鎖を自分の代で終わりにすることこそ、ディスレクシアの子どもたちを楽にするための第一歩なのです。
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ここから先は、本当に個人的な経験の範囲内なのですが、
このような不毛な世代間連鎖をさかのぼると、かなりの高確率で戦争体験・・・第二次大戦での出征経験に行きつくことに、あるとき気づきました。
祖父が戦死し、複雑な家庭に育った。
戦争から帰ってきてから、父親が人が変わったようになってしまったと聞いている。
「地震・雷・火事・オヤジ」で言う「キレるオヤジ」は戦争のPTSDだった、という論考があります※。その影響が世代間連鎖して、孫やひ孫の世代にまで影響を与えているらしいのです。
世代間のトラウマの連鎖を思うと、言葉がありません。
ただ一つ言えるのは、この一点からだけでも、戦争はしてはならないということです。
※平野啓一郎「「カミナリおやじ」とは誰だったのか?」『ベスト・エッセイ2018』所収、光村図書、2018
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