ディスレクシア専用英語塾「もじこ塾」のブログです。 ●ディスレクシアとは:知能は普通だが、読み書きが苦手(読み間違いが多い、読むのが遅い、書き間違いが多い、読むと疲れやすい)という脳の特性 ●全体像の把握、物事の関係性・ストーリーの把握、空間把握、ifを考えるシミュレーション能力に長ける ●読み書きの困難は、日本語より英語に出やすい ●適切に対処すれば、読みの問題は表面上は克服される ●10人に1人程度いるというのが通説 ●家族性とされるが、ディスレクシアの表れ方は個人差が大きい もじこ塾は、ディスレクシアはこれからの社会に不可欠な才能、でも日々の学習では普通と違うアプローチが必要、という立場です。

2015-04-15

聴覚過敏対策その2:トマティス

聴覚過敏対策として、(1)でノイズキャンセリングヘッドホンを紹介しました。
わたくしが実体験からお勧めできる聴覚過敏対策は、トマティスです。

私は子供とともに、昨年の夏にトマティスの聴覚トレーニングを受けました。
その影響が、少なくとも私にとってはあまりに大きくて、
逆になかなか書けずにいました。
良い機会なので、まとめてみました。



「トマティスのトレーニング」とは、特殊加工した音楽を聴くことで聴く力を整え、
それによってディスレクシアや発達障害を改善するプログラムです。
詳しくはこちら→

(以下の記事は、リンク先とは何ら関係のない、もじこの個人的意見です)


聴く力を整えることでなんでディスレクシアが?って感じですよね。
「聴く」と「読む」ひいては「書く」がつながっていると考えるのがトマティスです。

機器を借りてきて、特殊なヘッドホンを使って家で聴きます。
1回2時間×15回を2セット。
うちでは昨年の夏、子供と私が一日交代で、夜寝るときに聴きました。
子供は平気でしたが、私はけっこう寝不足になる感じがありました。


私はこれを受けて、
体幹ができた
4日目くらいに、それまでずっとできなかったヨガの「ボートのポーズ」が
できるようになりました。
体幹ができたのです!これはうれしい変化でした。

そして、
自分の声を落ち着いて聞けるようになった。

どうやら、トマティスによって聴く力を整えると、
自分の声がよく聞こえる(というか客観的に聞こえる)ようになるのです。

そうすると、あわあわしなくなるし、会話の間(ま)が怖くなくなるので
授業でもだいぶ落ち着いて話せるようになりましたし
1対1でも、相手の話を落ち着いて聞いてから、返せるようになりました。

このあたりは私のADHD的気質の改善に大きく効いたと感じてます。
以前は、相手の話に割り込んで話の腰を折ってしまったり、
生徒に言わせるべき答えを自分が言っちゃったりして、
「ああまたやっちゃった・・・」と自己嫌悪に陥ることが多かったのですが。
トマティス後、一番変わったのは、それが(ほぼ)皆無になったことです。

また、自分の声が客観的に聴けるようになると、
もっと届く声にするにはどうしたらいいだろうと考えるようにもなりましたし、
自分の発音が舌足らずなことも、自分で聴いていて分かるようになりました。
(それで、今週から歯列矯正をすることにしました(!!))

とにかく、60時間のコースを受けただけで、
その後もずっと、変化が変化を呼ぶ感じなのです。

子供はといえば、本人は明確な効果を自覚していないのですが、
その後、視写や計算などを比較的スムーズに進めることができたので、
おそらく効果はあったと思います。


私の実感としては、トマティスは聴く力を整える効果があるので、
聴覚過敏の人、特定の周波数が聞こえない自覚のある人、
そして落ち着きがない人(落ち着いて人の話が聞けない人)は、
特に変化を自覚しやすいと思います。
お値段は張りますが、かなり奥深いところから変わります。

☆  ☆  ☆

トマティスを初めて知ったのは、
私が教えている通訳翻訳者養成学校で行われた
トマティスの講師による発音改善講座がきっかけでした→

米語・英語・日本語のパスバンド(周波数帯)の違いに着目し、
日本語になく英語・米語だけにある周波数のヒアリング力を高めることで、
スピーキング力も高まる、という内容です。
私はこのときは受けなかったのですが、
知り合いで何人か、これを試してリスニング力や発音が良くなったと言っている人がいます。


その後、トマティスは発達障害にも効くと知り、
まず2時間の入門講座に行ってきました→
(そこでの話はいろいろ衝撃的だったのですが、また別の機会に)

そこで買った「耳と聲」という、トマティスの思想をまとめた小冊子の内容が
私が翻訳者として思うことや、ヨガで言われていることと重なる部分が多く
とても腑に落ちたので(一部の内容をこちらで読めます→
これがディスレクシアに効くと言っているのは正しいに違いない、
と思って、トマティス発達障害コースを親子で試したのでした。

☆  ☆  ☆

ところで、「トマティス」とは、発達障害や発音に効く聴覚改善アプローチの名称であると同時に、そのアプローチの開発者であるフランス人、アルフレッド・A・トマティス博士の名前でもあります。

トマティス博士はこのメソッドを、まず声楽者用に編み出したようですが、
早くからディスレクシアにも関心があり、
その名も「Education and Dyslexia」(教育とディスレクシア)という本も書いています。

これがなんと1972年刊!だのに、哲学書っぽいこともあり、
その内容は今も古さを感じさせません。
(裏を返せば、ディスレクシアとはそれだけ分かりにくいものなのでしょう)
邦訳はなく、英語版も絶版で、アメリカのアマゾンで中古で手に入れました。

この本が全貌がつかめない奥深さでして・・・
まだ途中までしか読んでいないのですが、気になった部分を訳してみます:



p16
ディスレクシアという状態は、文字が初めて登場して以来存在していたし、おそらく文字が登場する前から存在していたことは疑いない。それどころか、我々が現在知っている通り、ディスレクシアは文字によって引き起こされるのではなく、文字によって浮き彫りにされるに過ぎないのだ。

p56
本書の関心は、「ディスレクシア」という名称で知られるに至ったものが聞きの障害だという点にある。

p59
古来、ラテン語のlegereは「収穫する」「耳から集める」を意味したが、そこから発展して「読む」ことのみを意味するようになっても「声に出して読む、音読する」という意味合いを持っていた。ギリシャ語のlexisは「話す」を意味することから、duslectos(ディスレクシア)は「話すことの障害」という意味であることがよりくっきりと明らかにされる。・・・古来、「読む」という行為は、パピルスを膝に置いた読み手が、その人を取り囲む聞き手たちの耳を、ことばで満たす行為だったのだ。lecture(講義)という語に、このイメージは忠実に残っている。

→トマティス博士は、「読む」=「文字を音にして理解する」ことだと、しつこく主張します。
誰かに読み聞かせしてもらう場合も(朗読)、
自分のために声に出して読む場合も(音読)、
そして、黙ってひとりで読む場合も(黙読)、
文字は必ず音に転換されなければ理解出来ないのです
そして、文字を見ても脳内で音を鳴らすことができない
(または遅い)のが、ディスレクシアなのです。
ただし、トマティスは言っていませんが…  
漢字は世界でもまれな、「音にしなくても理解出来る文字」です。
そのことが、日本では隠れディスレクシアを多く生んでいます。 
また、ディスレクシアのタイプはいろいろでしょう。
ここに来られる人の話を総合すると、
音声言語はそれはそれで分かるが、文字を見ても「?」という人がいる一方、視覚的記憶力が非常に優れていて、絵として字を理解しようとするが、それを音にはできないというディスレクシアもいるようです。


p75
つまりディスレクシアとは、「書き言葉をめぐるハンディキャップを抱えた人」というにはとどまらない。むろん主訴はそうだが。むしろ、laterality(耳に由来する左右の感覚?)と聴く力が十分に構造化されていない人でもあるのだ。この一方または両方が欠落していると、子供は読むという行為を簡単にこなせなくなる。

→lateralityはトマティス理論のキーワードのようですが、
いまいち何のことか腑に落ちていません。
でも、当ブログに寄せられるディスレクシア感覚から考えるに、
左右の感覚と関係している気がします。 
左右感覚が欠落しているのがディスレクシアであり、
また、トマティスメソッドは左右感覚を整えるものなのだろうと思います。

私の中でトマティスの影響はまだまだ続いています! 

2 件のコメント:

  1. 私の利き耳は左です(受話器を左耳にあてて聞く、片耳だけイヤホンは左にしたり、外の環境音を聞く時に左を外して聞こうとするので)
    左でないと聞き取りにくい日常も、最近では聞こえの左右差がないです。音声言語の聞き取りも落ち着きが出てます。
    でも辛さも増えました。文章になっていない単語音の「ひらがな」が飛び込んでくるような感覚が、以前より強く激しく混乱するようになった。言葉短いほど「音」印象が際立ち、ひらがな・カタカナに弱い私はかなり怖く感じるのだと思います(長文のが落ち着く)

    私もまだ変化が続いてるんで移ろいをブログに書いてるに過ぎません。意識して利き手を変えたのが、いい刺激だったのかも。私は「わざわざ利き手を替えなくても右手である程度できた」という変に器用な状態でしたから、追い込んで訓練させないと絶対に身につかなかったと言えます。

    対面で見える人間の箸を持つ手が、右か左かを間違えず言える自分に、ものすごくホッとするんです。間違うことが多かった自分は、自分の力はあてにならないと常に疑っていたのです。「お前(私)に任せられるはずがないじゃないか」とね。
    作業に入るまでが一番長かった、そんな自分にも嫌になってた(好きなことでも億劫に感じるほどに。やり始めれば好きなのは分かっているだけに、悔しかった)ので、この変化の波及効果はやばいです、興奮します。広範囲で。
    自分を信じないほうがうまくいく感覚。こうして見ると切なくて悲しいのですが、そのほうが変に力まずにできた今までから、今後どう変化するか。
    自分の身体で実験して、勝手に楽しんでます。笑

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  2. >言葉短いほど「音」印象が際立ち、ひらがな・カタカナに弱い私はかなり怖く感じるのだと思います(長文のが落ち着く)

    なるほど~~
    そんなところでもディスレクシアは全体から細部なんですね!
    うちの子は1つの英単語や漢字の熟語がなかなか覚えられないのですが、先日あきれて「なんでラッスンゴレライ6分半は全部覚えられるのにReallyはだめなの?!」と言ったら、しょんぼりしながら「だってラッスンゴレライは長いから…」と言ってました(@.@)。

    >耳は平衡感覚の器官だから、耳を整えるといろんなバランスが整う
    トマティスの前提にあるのはまさにそれみたいです。紺さんさすがです。ディスレクシアはどうやら「感覚の凹凸」なんですね。
    ところで、トマティス的には利き耳は右であるべきらしいです。私も受話器やイヤホンは左派なのでどうしたものかと。

    話変わりますが、怒れるようになってよかったですね(ノД`)
    精神的な断捨離の第一歩ですね!

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