ディスレクシア専用英語塾「もじこ塾」のブログです。 ●ディスレクシアとは:知能は普通だが、読み書きが苦手(読み間違いが多い、読むのが遅い、書き間違いが多い、読むと疲れやすい)という脳の特性 ●全体像の把握、物事の関係性・ストーリーの把握、空間把握、ifを考えるシミュレーション能力に長ける ●読み書きの困難は、日本語より英語に出やすい ●適切に対処すれば、読みの問題は表面上は克服される ●10人に1人程度いるというのが通説 ●家族性とされるが、ディスレクシアの表れ方は個人差が大きい もじこ塾は、ディスレクシアはこれからの社会に不可欠な才能、でも日々の学習では普通と違うアプローチが必要、という立場です。

2016-12-31

2016年を振り返って。

みなさま、今年も色々教えて下さり、ありがとうございました。
お返事が滞っている方、申し訳ありません。
これにこりず、気が向いたらまたご連絡下さい。

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当ブログの2016年は、元旦未明に届いた学習相談メールから始まりました。
なかなか暗示的です…

この新しい生徒に後押しされて、3月にはディスレクシア英語塾「もじこ塾」がスタート。
春期講習、夏期講習、レギュラー合わせて、のべ50人以上の、字が苦手な中高浪人生に出会うことができました。

たくさんのディスレクシアの生徒を見ることで、色々なことが分かりました。









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もじこ塾奨学金にも、たくさんの方にご賛同頂き、ありがとうございました。
(後日、ここに収支を掲載します)
現在、月1回、無料で通う生徒をお迎えしています。

また、当初と少し趣旨が違うのですが、集まったお金にこちらでも加算した額を、夏期講習にお越しになったある方の、往復交通費に充てさせて頂きました。

地方からお越しのこの方は、控え室でお待ちの間に、お母さまと言い争いになり、会場を飛び出してしまいました。授業時間は炎天下のなかの捜索活動に…
小一時間後、靖国神社前をふらふらになって歩いているところを警察に保護され、点滴を打つため病院に搬送されました。警官の多い場所に向かってくれてよかったです。
その間、お母さまはずっと、気丈に振る舞っておられました。

授業が終わって病院に向かうと、その生徒さんには

「世界には学びたいことが満ちあふれている。私は勉強したい。でも一人ではどうしてもできない。。。英語もできると思ったけど、やっぱり一人では無理だった」

と訴えられました。

LDや自閉症には、ヨーロッパの貴族がつけていた家庭教師のような人による、オーダーメイドの教育が必要(例:サリバン先生)
でも現代日本ではそのためのリソースが、どうしても足りないのです。
どこで折り合いをつけるのか、どんな優先順位をつけて学ぶのか。
そんなことも、人一倍しっかりと考えないといけないようです。

もじこ塾は、今は彼女のサリバン先生になることができません。
というか、誰か一人のためのサリバン先生になることは、どうしても難しいのが現状です。
申し訳ありません・・・という思いから、東京までの往復新幹線代を援助させていただきました。

この方は、今は、親に連れられてではなく自分の意志で動くための、さなぎの期間に入っているそうです。
また縁があったとき、再会したいです。

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年末にかけてショックだったのは、google翻訳が急にうまくなったこと(苦笑)。
英日に関しては、大学入試で生徒がする訳並みのレベルまで来ています。つまり、まあまあ意味が分かる、悪くないんじゃない? というレベルです。
もちろん、google翻訳には文芸翻訳家レベルの訳は(まだ)できません。でも、無料で、しかも瞬時に訳を返してきます。この2点において、人力翻訳者は、全く歯が立ちません。
私が30分かかる分量を、数秒で訳すのです…
定型的な翻訳(契約書、マニュアル、特許)そして「ざっくり分かる程度に訳してくれればいい」というニーズは、数年内にgoogle翻訳にとって変わるのではないかと思います。

私はそれを目の当たりにして以来、実務翻訳者を廃業することを、真剣に検討しています。
実務翻訳者歴17年目に入る私は予測します、
20年後、翻訳とは「かつてこの作業を全部人力でしていた時代があってね」「人の手でするのもいいけど、時間もコストもかかりすぎるしね」と言われる、・・・例えば、肖像画家が写真術の登場によって職業として成立しなくなったのと、同じ展開をたどると。

この波は確実に、英語教育にも影響を与えるでしょう。
すでに、もじこ塾の生徒の発言にも、その影響は感じられます。


・・・・というわけで、2017年、もじこ塾はgoogle翻訳の影響を受けて(?!)、新たな展開を迎えます。
どうかご期待下さい!!

8 件のコメント:

  1. あけましておめでとうございます。
    2017年も、もじこ先生にとって、よき年でありますように!

    年頭の記事も興味深く読ませていただきました。
    おりしも、とある書籍の冒頭にに
    2030年までに自動翻訳が完成し
    今後、語学学習が不要な世界になる、
    という一文を読み、色々と揺らいでいたところでした。

    英語を学ぶ、ということは日本語以外での「考え方」を学ぶ、
    貴重な機会である、というのも語学学習者として
    感じるところであり、今後、LDの我が子に
    どう学ばせるべきか悩んでいました。
    (10年以内の大学入試までならば、
     今までどおり、ということではあるのですが)

    次回の英語指導者の会、一保護者として
    お会いする日を楽しみにしております。

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  2. あけましておめでとうございます。
    今年の第1号コメント!ありがとうございます。

    2030年に自動翻訳ですか、、そんな先ではないと私は思ってます( ̄ー ̄)。以下つらつらと…

    「英語を学ぶことは、他の考え方を学ぶ貴重な機会である」
    これはまったくもってその通りなのですが、
    外国語を学ぶと、他の文化の考え方がよくわかることは事実ですが、それは音楽、美術、料理、スポーツなどを通じても学ぶことができます。

    それに、これからはAI(外付けの脳)も使って英語を運用できるとなったとき、
    従来の「英単語をいっぱい覚えている人ほど英語ができると言える(≒偉い、出世できる、将来安泰etc.)」という前提は、崩れます。

    現に、もじこ塾には、単語が覚えられないにもかかわらず
    ・チョコレートの味の微妙な差や、サッカーの「マリーシア」をめぐる各国の考え方の違いから、文化の差を語れる生徒、
    ・SNSにアップした動画が再生回数100万回を突破し、世界中からコメントが来て、それを見て反応しているうちに英語が分かってきた生徒、
    ・オンラインゲームで中国語交じりの英語のチャットを夜な夜な見ているうちに、英語(と漢字)が理解出来るようになった生徒
    ・・・がいます。
    彼ら彼女らは全員、学校の英語のテストでは悲しい点数ですが、他の文化の存在も、英語を使えるとはどういうことかも、よく分かっています。
    (むしろ、ある意味英語が使えるので、学校の英語に意味を感じられなくなっています。)
    「英単語を覚えている」ができないのに、「英語が使える」ができる。そんな不思議な生徒たちです。
    でも実は、この状態こそが、AI時代においてすべての人が目指すべき英語力のあり方だと思うのです。

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  3. あけましておめでとうございます!今年も勉強しにブログに伺うつもりです。
    自分を信じれるようになったのと自分の言葉に自信が持てるようになったのは、自分の考えを書いてるブログと、このブログでコメントをした経験を積んだおかげな気がします。私は長年自分はバカで努力不足だと思って済ませてきた人間で、しかも精神病名の誤診経験もあり、当初の当事者自覚はかなり薄い方で、ディスレクシアのせいにして自分の不出来の言い訳をしてる気さえしてしまい…自分のことを言うのはとても怖いし恐ろしいことでした。(診断済みの当事者から、ものすごい勢いで怒られるのではと思ってて強い遠慮すらありました)
    でもここでのコメントだけじゃなく、直接お会いした時にも、もじこさんは何度も声かけをくださって(当事者だと思いますよ〜自信持っていいよ!みたいな内容の言葉)だんだん自分の言葉も当事者の言葉としての自信を貰っていきました。
    誤診は妙な回り道も作るよってケースとして、何かの肥やしになったらいいな〜と思うし 私の過去も私自身はネタ要素な感じで捉えてるし、聞いてる相手に悲しい顔させるなら話したくないけど、いいことにつながるのなら使って欲しい方なので(てか私自身、人と違う経験を持ってても、これを不幸とは思ってないんで)今後も今まで通り、自分が話せそうな人と思った相手を選んで話してると思います。

    でもこの分野の話題がさらに発展するといいなって願ってます。今よりももっと身近で話しやすい話題になると嬉しいな〜なんて。
    今年も宜しくお願いします。

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  4. 紺さん、いつもいろいろ教えて下さり、ありがとうございます。紺さんの当事者感覚、特にことばに対する洞察力は、どんな研究会で聞ける言葉よりも深いのです。本当に。「ああ、これは紺さんが言っていたあれか…」という展開の多いこと!
    ディスレクシアを統合失調症と誤診されたこととそれに続く投薬によって、20代は回り道を強いられた紺さんですけど(泣)今も途中である再生物語は胸を打ちますです。もしも私がその一旦を担っているなら、これに勝る喜びはありませぬ。

    数ある教えのなかで最も大きなものは「ディスレクシアな自分を発見することで、当事者感覚もどんどん変わっていくし、できること/できないことも変わっていく」ということですかね。本人も周囲も、変化するディスレクシアを認めることが大事だなと。

    そうですねー、私も大人の当事者感覚について、今年はもっと語り合っていきたいですねー。足りないのは時間だけ(苦笑)。

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  5. あけおめでございます。翻訳者にとってはAIは破壊者かもしれませんが、ディスレクシアにとっては、福音、使いこなすことが必要と思う最近です。ITをつかう機会があるごとにディスレクシアの息子にやってもらうのですが、この日本では必ず最初の設定は細かい字の取扱説明書をみないといけません。T_T
    凄く不利だなって思います。どうにかならないでしょうか?学ぶためにはやはりまず文字を読むことは必須なんでしょうか?
    AIについてはまだハードが整っていないので、翻訳や会計等人が中心の職場ではまだ猶予があるかなと思いますが、量子コンピュータが実用化されれば、いっきに人力からコンピュータへの移行がはじまるのではないかと考えています。
    また、AIが進出してくるのに、能力を測るのに、今の受験問題でいいのだろうか、とも思います。今年はここら辺を考えてみようと思います。

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  6. あけおめことよろです。
    AIは「学校とは何を教える場所であるべきか」「賢いとはどういうことか」「人間に求められる知能とは何か」レベルの問い直しを迫っていると思います。
    もじこ塾に来た高校生が「AIの性能を上げている場合ではない」──東ロボくん開発者が危機感を募らせる、AIに勝てない中高生の読解力」という記事を教えてくれました。その子いわく「学校はAIが得意なことばかり教えている、知識量ではAIに勝てないのに」。
    ディスレクシアの子は、いち早くそういった行き詰まりに気づけるわけで、それは圧倒的な利点だと私は思っています。

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  7. 確かにAIとディスレクシアの息子は賢いとはどういうことか、を根本から考えなおすことを私に迫ってきます。
    自明のことだと思っていたものが実は自分の思い込みだったという☆
    人生幾つになってもびっくりすることがありますね。

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  8. 対AIのディスレクシアの利点ですが、確かにAIと競合しにくい人間の知能をいち早くみつけて、より、高めていける可能性はあると思います。
    アップルのスチィーブ ジョブズなんかはその代表なのかもしれません。
    が、このサイトでもそうなように、文字がコミニュケーションの最適の手段である現在の日本において、ディスレクシアの人達が、その「可能性」を実現できるのでしょうか。

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