on dyslexia

ディスレクシア
(読字障害、読み書き障害、失読症、難読症、学習障害、読み書きのLD)について、調べて分かったこと/実践したこと/英語から訳した文章をアップしています。

ディスレクシアとは:
- 
知能は普通だが、読み書きが苦手(誤字が多い、読み書きが遅い、読み間違いが多い)
- 独創的で、対人能力が高い。空間把握力、全体像や物事の関係性を把握する能力に長ける。
- 音と文字の脳内での結びつきが弱いことから起こるらしい
- 読み書きの困難は、日本語より英語に出やすい
- 細かい聞き間違いがみられるが、音声情報の処理能力は高い
- エピソード記憶が得意。固有名詞などの細かい丸暗記は苦手
- 適切に対処すれば、読みの問題は表面上は克服される
- 10人に1人程度いるというのが通説

当ブログは、ディスレクシアはこれからの社会に不可欠な才能である、でも日々の学習では普通と違うアプローチが必要--という立場です。


2013-10-13

LD学会1日目

この三連休は、日本LD学会に潜入しています!
(ちなみに、9000円を払えば誰でも会場内に入れます。
私は、所属欄が空白の名札で潜入してます。)

本日は偉い先生方の講演のみ。
印象的な言葉をまとめておきます。



「特別支援教育という味付けにより、教育が変わりつつある。
予想を越える大きな変革を、教育全体に及ぼしつつあるのかもしれない」
(大会会長講演より)

→ちょっと驚きました。
私にとっては、ディスレクシア問題は最初からずっと、
「子の学力不振をどうするか」ではなく、
「教育や社会をどう変えるべきか」という問題でした。
野心的すぎるかもしれませんが。

実は、教育学者や教員にとって、
教育の前提を疑うのは一番難しいことかもしれません。
自分たちの存在理由を否定することになりかねないので。



「LD学会は教師・親・専門家の団体。設立当初から親を入れてきた。
設立当初は、学術会議?から
『親を入れることは学会のレベルを下げることになる』
という批判もあった。
だが米国では、すべてのLD研究は親が先頭に立ってきた。
親の必死の願いに専門家はどう応えるか。これを忘れてはならない。
だからこそLD学会には必ず親の発表がある」
(理事長講演・上野一彦先生)

→「親を入れることは学会のレベルを下げる」
で一瞬会場がしんとなりました。
でもほんとにそうです。親をなめちゃいけません。

これまでいくつかの研究会に潜入しましたが、
論文の数合わせのような研究、
データをこねくりまわしただけの研究もけっこうありました。

そういう研究に対しては、
「ディスレクシアの子を何だと思ってるんだ」と言いたいです。

ディスレクシア児は論文のためのモルモットではありません。
1年でも1学期でも早く、学校や教師に変わってほしいと切実に願っています。
そんな親の気持ちに応えられない研究はだめです。



「我々(会場にいる研究者・官僚は)は産業化モデルの学校の成功者。
そこを根底から見据えないと、学校を根底から直すことはできない」
(特別講演・Naoko Richters先生)

→ここでも、会場の空気が一瞬しんとなりました。

「教育はどう変わるべきか」を問わず、
ただ「学校の勉強にどうしたらついていけるか」
しか考えないディスレクシア教育は無意味。
上から目線のディスレクシア対応はいらない。
心の底からそう思います。


かつて、学校の目的は均質な国民(納税者や兵士)を作ることでしたが、
「脱産業化」により、学校に求められるものは変わりつつあります。
ディスレクシアの子は、古い学校制度からいち早く「おりる」ことのできた
ラッキーな存在とも言えます。


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ディスレクシア界の主な研究者が全員集合しているので、
明日からの発表も楽しみです。

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