大雪で前夜出発の予定が狂い、朝4時半に家を出て始発ののぞみで大阪入りしました。何が私をそこまで突き動かすのか?!(笑)
でもそれよりはるかにすごいのは、何事もなかったかのように朝9時から充実した講義をされた宇野先生です(T T)。
聞けば土曜16時に市川から東京駅に向かったとのこと。
それは一番雪の激しい時間帯だったはず・・・。
今回は研修会なので、主に教員を対象に、ディスレクシアの定義・頻度・評価に関する、とても充実して良くまとまった講義と、「合理的配慮」に関する品川裕香さんによる講演が行われました。
品川さんは非常にパワフル、圧倒的情報量の機関銃トーク80分。途中からメモを取ることを諦めました(苦笑)。たくさん宿題をもらった気がします。本では各方面に気を配り、相当抑えて書いていらっしゃることを知りました。
以下、考えたことを書いてみます。
■ディスレクシアは音韻認知と視覚認知の障害である
日本語における発達性ディスレクシアの定義の説明がありました:
(宇野ら「小学生の読み書き計算スクリーニング検査」より)
「発達性ディスレクシアは、神経生物学的原因に起因する特異的障害である。(↑生まれつきであり、育て方や環境ではない)
その基本的特徴は、文字や単語の音読や書字に関する正確性や流暢性の困難さである。(↑書字:綴り[オトを聞き、文字を思い浮かべる]+書くことを指す。
流暢性:音読・書き始めるまでの所要時間と、書き終わるまでの時間の両方を指す。
また、「流暢性の困難」には、「正確に書けるが時間がかかる」も含まれる)
こうした困難は、音韻認知や視覚認知などの障害により、全般的な知能水準から予測できないことがある。二次的に読む機会が少なくなる結果、語彙の発達や背景となる知識の増大を妨げることが少なくない。この障害は1999年に定義された文部科学省の学習障害の中核都考えられる。」(↑欧米ではディスレクシアは音韻性障害とされるが、日本では音韻性+視覚認知性の困難の両方を持っているケースが90%を占め、一方のみは5%ずつに過ぎない。英語圏で言われていることをそのまま日本語世界に適用するのは無理がある。)
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欧米ではディスレクシアは音韻性障害とされるが、日本では音韻性+視覚認知性の困難の両方を持っているケースが90%を占める
→抽象的な話になってしまうのですが、
これは人種による身体機能の差(「日本人にはイギリス人やアメリカ人より視覚認知力が弱い人が多い」)の話ではないと思うのです。
ということは、これは
「ディスレクシアの人は人種問わず同じ困難を脳に抱えているが、日本語は、そのなかでも視覚認知性の困難を引き出しやすい」
もっと言うと「英語圏のディスレクシアも、視覚認知と音韻認知の両方に関係する問題である。音の問題のほうが前面に出てくるが」
ということだろうと思います。
見ることと聞くことって、意外なところでつながっている可能性はないのでしょうか?
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→もう一点。
傍で見ている親の感覚だと、日本語ディスレクシアはまず「字が異常に苦手」という形で表れ、
音韻性の問題があることに意識が向きにくい気がします。
「うちの子は、問題を読んであげれば解けるので、聞くほうは問題ないです」
ということになりがちです。
実はうちの子も、かなり聞き間違いをしています。
実生活では単なる面白エピソードになってますが。
最近だと「アーメン」を「ラーメン?」、「あくびするとき手で押さえて」を「あくびすると千円あげる?」に。これを絶妙なタイミングで聞き返してくるので、ツボにはまったり激しくムカついたり(笑)
でも本当は、これらを単に面白い話として片付けずに、
「こういう聞き間違いを改善できれば読み書き能力にも良い影響がある」
と考えるべきなのかも・・・?
■地道な訓練は必要なのだ
1)
今回は、具体的な教え方の話はテーマ外だったのですが、
全体の話から、「少なくとも小学生のうちは、地道な読み書き訓練を徹底的に行うべきだ」というメッセージを私は受け取りました。
機器に逃げるのではなく(←厳しい言い方ですが)、毎日こつこつと基礎訓練を続けること。
もちろん、ディスレクシアに合った形であることが条件です。
そうすれば、仮に完璧に読み書きが流暢にならなくても、それなりに身につくはずで、
それこそが大人になって「あの頃頑張っておいてよかった」と思えることだろうと、そう信じます。
現実的には、これは家庭学習(+確保できるなら週1回程度の専門家による指導)になるでしょう。
全部外注しようとすると、通学の負担と金銭的負担が大変なことになりそうです。
2)
地道な訓練はいつ終わるのか?
知能の高い純粋ディスレクシアの場合、高校生の後半にもなれば、読み書きの苦手さをカバーする自分なりの読み方の方略を身につけつつあります(「隠れディスレクシア」)。
おそらく、中高時代のどこかで、「地道な訓練による読み書き能力の伸び」を、「読み書きの苦手さを文脈把握力でカバーすることでの読解力の伸び」が上回るのでしょう。
そのときが、地道な訓練の終わり時だと予想します。
現時点では、それがいつかはちょっとわかりません。
子(小5)と予備校で見る高3生の間であることだけは確かですが。
私の知る限り、「隠れディスレクシア」なら、大学受験の時点で、読み書きの苦手をカバーする方法を自分なりに身につけていることが多いです。
抜けが多かったり、雑だけど読むのがものすごく速かったり、逆にかなり遅かったり。文脈や予備知識を使って読みます。構文知識はしっかりしていることが多いです。
あまりに上手にカバーしていて、自分でも読み書きが苦手だという自覚がない場合もあります。
3)
大学受験を目の前に控えて、あるいは大学生になって、ようやく読み書きの苦手が明らかになった子に、どう対処すべきか?
まだまだ実践報告の少ない年代のようです。
「隠れディスレクシア」になれなかった子というのがいます。
高校生になって自分なりの読み方略を身につけていなかったり、読めないまま自信を失ったりしているケースです。読んだり書いたりするのが超絶に遅い(正確な場合も、正確でない場合もあります)、さらには書けないケースもあります。
「中堅高校や地方中堅国立大学にも、こういう子ってちょこちょこいるよね」という話も内輪で出ました。
「ディスレクシア」という言葉を使わずに、基本に戻ってたたき直すのが、遠回りに見えておそらくは一番本人のためになると思いますが、現実には本人に納得してもらうのがまず難しそうです・・・。
品川さんからは、字が読めないまま結婚・出産し、子供が小学校に入るも、電話でメモが取れずに連絡網が回せなかったり、学校からもらってくるお知らせが読めなかったりして、パニックに陥っている事例が紹介されました。
私は「大学入試さえクリアすれば、あとは直筆を封印し、性格や日々の行いを良くするとかして(笑)人にお願いする力を超絶に伸ばせばいい」と思っていたのですが、そうとも言い切れないようです。
#地道な訓練が必要とはいえ、先は長い・・・
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