ディスレクシア専用英語塾「もじこ塾」のブログです。 ●ディスレクシアとは:知能は普通だが、読み書きが苦手(読み間違いが多い、読むのが遅い、書き間違いが多い、読むと疲れやすい)という脳の特性 ●全体像の把握、物事の関係性・ストーリーの把握、空間把握、ifを考えるシミュレーション能力に長ける ●読み書きの困難は、日本語より英語に出やすい ●適切に対処すれば、読みの問題は表面上は克服される ●10人に1人程度いるというのが通説 ●家族性とされるが、ディスレクシアの表れ方は個人差が大きい もじこ塾は、ディスレクシアはこれからの社会に不可欠な才能、でも日々の学習では普通と違うアプローチが必要、という立場です。

2016-05-11

大人ディスレクシアから教えられる「信じて待つ度量」

大人ディスレクシアのお話は、いつも含蓄に富んでいて、
重いテーマをもらうことが多いです。
これまでも何人か、そういった方とお話しする機会がありましたが、
どの方も話が深すぎて、考えこむうちに文章化できずじまいでした
(該当者の方にはこの場を借りてお詫びを)。
なので、今回はまとまらないなりに、書いておきます。

~~~

その方は奇しくも私と同学年で、出身地も同じ(横浜)。
今は妻子もあり、会社を経営しておられる、ディスレクシアです。
これまでの人生を、ご本人の口から聞くことができました。
一言でまとめれば「同期にこんなに波瀾万丈な人がいるとは!」
私とはまったく違う人生を送ってきた方と、
ディスレクシアという共通項でつながる不思議。
そして、やんちゃな半面、一言一言に含蓄がある方です。

多くを語りませんでしたが、小学校ではバカ扱いされ、
相当ひどい目にあったようです
(「今でも小学校の先生に会ったら殴れる」とのこと(- -;))
中学ではついに非行に走るも、
高校で良い先生との出会いがあり、更正したそうです。

これを聞いて、私が小学校の頃にバカ扱いされていた人を思い出しました。
クラスに何人か、漢字テストを何回受けてもほぼ0点という人がいました。
先生にも生徒にもバカにされていましたが、
思えば、その人たちのかなりの部分は、ディスレクシアだったのでしょう。

私は、字が人一倍得意というだけで、なんと過大評価されてきたことよ…
と申し訳なさでいっぱいになりました。
もじこ塾は、"若い頃、鼻持ちならないやつで、ごめんなさい"
という懺悔企画なのかもしれません。

☆ ☆ ☆

その方は、その後も波瀾万丈。
いわゆる、普通に大学を出て就職して、、という人生ではありません。
また、詳しくは控えますが、人より事件や事故に多く遭遇しています。
(事件はともかく、事故はもしかしてディスレクシア的なのかも?)

正義漢でもあります。
「自分は人の言うことを聞かない。親の言うことも聞かない。
仲間を守るために、上の人にたてついてしまう」と繰り返し言っていました。

私の仮説ですが・・・
ある種のディスレクシアは、弱者に寄り添う能力を持ち、
我が身を省みず権威にたてつくようになるようですが(周囲に事例複数あり)
この方もそのタイプとお見受けしました。

☆ ☆ ☆

いま、人を採用する立場になられて、
「中卒や高校中退の子のほうが、営業もうまいし、ちゃんと働いてくれる。
一流大学卒の人たちが、仕事が出来るとは限らない」
と言い切っていましたが、その半面、
自分が若い頃のほうが、勢いで仕事につけた。今のほうが難しいかも」とも。

この言葉は重いです。
私自身は、子のおかげで、学歴信仰から抜け出すことができました。
「子がディスレクシアで最もよかった点」の一つと思っています。
無駄に学歴だけはある者(笑)にとって、
このピラミッドから外れたところにも多彩な能力があるし、
違う道もあるんだと分かったことは、本当に大きいことでした。

しかし、この方は、"違う道"を歩いてきたにもかかわらず、
「今の日本では、"違う道"を歩くのは、20年前よりも難しくなっている」
と言っているのです。
う~む・・・そうですか・・・これは重いです。

☆ ☆ ☆

この方も、お子さんが学校でディスレクシアだと指摘されたのをきっかけに、
自分もディスレクシアだと気付きました。
それまでは字が苦手なのも、人の顔や名前が覚えられないことも、
英語ができないことも、"性格"だと思っていたそうです。

これも多くは語れないのですが・・・
そこには、小説のように美しい、ディスレクシアな父子関係がありました。

「息子は、時間を守ること、あいさつ、敬語、人づきあいが
きちんとできればいいと思っている。
彼はそれを身に着けつつあるので良かった。」

もうちょっと成長すれば、人の痛みが分かるようになるだろう
読めないことで、彼はそれを早くに知ることができる」

。゜。゜(ノД`)゜。゜。
こういう指摘って、なかなか母親からは出てこないですよね。

☆ ☆ ☆

「ディスレクシアは治るんですか?」
と、ストレートに聞かれました。
この問いには目が点になりました(゜Д゜)
だって、ご自身の今のご活躍されている様子が、答えそのものなのに!

無粋ですが、もうちょっと説明してみると、
「ディスレクシア的な性質は、一生続く。
それを持ち味として生かし切ることで、社会人として問題なくやっていける。
読み書きの苦手は、日本語はまあカバーできる。英語は大変だけど…」
まとめると、治るというよりは
「得意を発展させることで、苦手が覆い隠される」ということらしいです。

(この方は、現在は、日本語は特に問題なく読み書きできるようです。
カタカナだけ、若干あやしいようです。
マンガで字を覚えた、親が厳しかったとも言っていました。)

☆ ☆ ☆

経営者としての発言からは、かずかずの修羅場をくぐった深さを感じました。
そこから、
「ディスレクシアは、学習面では、完成形に達するまでに普通より時間がかかる。
だが、意識を高く持って、時間をかければ、いずれは到達点に達し、
しかも、到達したときには、普通の人以上に深い洞察を得る」
という「ディスレクシア=遅咲き」説を改めて確認しました。

この方も、15や18のときの、テストの結果はどん底だったでしょう。
20代でも、上司に啖呵切って会社をやめたりして、周りをはらはらさせていたかもしれません。
でも、40代も半ばにもなると、同年代の安穏と過ごしてきた人よりも、一つひとつの指摘が深いのです。


お話ししていて、「ディスレクシアな子の力を信じて待つ度量が必要なんだ」
と、改めて感じました。
読み書きの訓練はこつこつ続けるべきですが、
「遅咲きなんだからゆっくり行こう」と、ど~んと構えることも
ディスレクシアの子には同じくらい必要なのです。
(学校だと、どうしても、すぐに結果を出すことが求められますが…)

~~~

そのほかでは、
・同い年で、同じ横浜にいたのに、見ているものがだいぶ違う!
80年代の中華街や本牧、寿町がいかに怖かったかを話して下さいましたが、
そういうことを高校生で実体験しているなんて・・・
私ときたら、サーティーワンに行ったらすごく寄り道したと思うような、
超~まじめなガリ勉高校生でした(苦笑) なんかくやしい。
これも、字が読めることがもたらす損でしょうか。

味覚と嗅覚がとても敏感だそうです。
(私はなぜか、そういうディスレクシアによく遭遇します)
しかも、おいしいものを食べたら、自力でほぼ再現できるのだそう。

・人が話している声を聞くと、人が話している映像が思い浮かび、
そこから意味を理解する(??!)そうです。
声を聞いても、文字は浮かばないようです。
(もしかして、声を聞いて文字が浮かぶのは、私だけでしょうか?)

・「障害と言われて一人だけ違う扱いを受けるくらいなら、
バカと言われるほうがまし。
学校に負い目は作りたくない。きっと息子もそう思ってるはず」
・・・はい、うちの子もそう言ってます。
学校に何を求めていくかについて、難しさを感じました。

9 件のコメント:

  1. 信じて待つ。大切ですが,大変なことですね。子が社会に出るまで親は健康でいられるのか。日々子どもの成長と自分の寿命に対する不安と戦う日々です。しかし,私が見届けなくてもよいのかも知れません。信じて待つしかありませんね。

    返信削除
    返信
    1. そこまでの年ですか?!
      あとやっぱり、高校以降は、親以外の大人に信じてもらえる経験がすごく大事な気がします。高校の先生しかり、塾の先生しかり^^

      削除
    2. うーん。一般的にはあと35年くらい生きるのでしょうね。しかし,私も発達障害かかっていますから,自分の知力・体力の限界を考えず(感じられず),働き過ぎちゃって,ストレスかかってます。そのため,病気の巣です。
      子どもはカウンセリング行くようになって,ちょっとはましです。カウンセリングの先生,親以外の大人として信じてあげてください,って感じです。

      削除
    3. そうですね、多動があるとワーカホリックになりがちです^^
      スピードを落としたら自転車のように倒れます(笑)

      もんきちママ先生に言われた「グレーの生徒には、最初に『先生も困ってるんだよ。その点で普通の先生とは違うから』と言うことで生徒の心をつかむ、しかし、そうすると他の教員から『何、いい人ぶって』と言われてしまう」・・・という言葉は、とても重いです。ずーっと考え続けています。
      また、「発達障害の母親も苦しんでいるので、カウンセリングをすすめるべき」も、ようやく腑に落ちてきました。予備校講師は親に会うことはほぼ全くないのです。しかし、もじこ塾になると、本人の言い分と親の言い分があり、両者に見えている世界がだいぶ違うことに驚かされます。
      親のほうが「こうしてほしい」と要望する力が強いのですが、私はやっぱり教科指導がしたいのです。しかし・・・という悩みがありますね。そこで登場するのがカウンセリングなのでしょうね。

      削除
    4. 『何,いい人ぶって』っての先には,「高校はよくても,その先はどうなるんだ,あれじゃあ社会にはでられない」ですね。ですが,障害者差別解消法が施行されましたから,そんなこと言っちゃあ,よくないのです。やはり,自分の得意なこと,そして支援を受けるべきことをちゃんと周囲の人に伝えられるように,高校までの段階で育ててやりたいものです。
      また,こちらにきている保護者の方も,学校によってさまざまですが,支援を求めていくことが大切だと思います。その保護者の姿勢を我が子は見ていると信じて。


      保護者とくにお母様は大変ですね,本当に。また,もじこさんが出会った保護者の方は色々言える方が多かったようですが,お母様自身も,支援を求めることがニガテで,家庭内,ますます大変という例もあります。

      やはり教科指導そのものと,それ以外の事柄をつなぐ(?)立場の人が必要でしょうね…。

      削除
  2. こんにちわ。身に迫る記事とコメント欄でした。

    「もうちょっと成長すれば、人の痛みが分かるようになるだろう。彼はそれを早くに知ることができる」
    我が家の主人も、息子が小学校でつらい時期を過ごしてきたときによく言っていました。
    「いい経験してるんだよ」って。

    今、思春期真っただ中のグレイな息子の母として、学校に求めてしまうのはこんなこと。
    かなり自分勝手な立場からです。

    1、息子の特性(ディスレクシアグレイ・ADHDグレイ)を教諭という立場で、ある程度の知識を持って理解してほしい。できれば、親がしらせる前に、気が付いてほしい。

    2、特質に対する働きかけは、教師からしてほしい。本人からは言いたくないし、親が出ていくのも嫌がる年頃なので。だから、教師が気が付いてほしい。

    3、学習(または人間関係なども)に躓く子に対して、「なぜ理解できないんだろう?」「何がそうさせているんだろう?」「どうしたら理解できるんだろう?」という興味を持っていてほしい。それだけで、子供の居場所はできるんじゃないかと。

    4、親が申し込まないと動かないスクールカウンセラーだけでなく、教師自身が手にあまるときに助けてくれる専門家(臨床心理士とか作業療法士?)も気軽に学校とつながっていてほしい。

    我が家も、息子が嫌がるので合理的配慮なお願いはできずにいます。今は、学習面の躓きだけがネックです。

    例えば、英語は長文になってきましたが、相変わらずリスニングでは聞いたことない単語も予想できて意味がわかるそうです。でも、同じ英文を読むとなると長くなりますますチンプンカンプンと。
    先生によっては教科書と違う英文をテストに出すので、教科書をリスニングしながら読み込んでも、お手上げです。

    国語は抽象的な言葉が理解しにくいようで「夕日が背中を押してくれた」みたいな文は、全く理解できないと。
    英文も抽象的な言葉が多くなると、リスニングも厳しくなるのかな。

    書字はやはり苦手なので、いまは授業中はノートをとらずに聞いてだけいたら、国語以外は結構理解できるようになったそうです。後で友達にノート見せてもらい、一部は写せるようですが、書字はきついから・・・ノートが取れてないのも減点要因になります。
    写真で取れたらいいね~と言ったら「まさか、無理だよ!」と息子に怒られました・・

    「障害と言われて一人だけ違う扱いを受けるくらいなら、バカと言われるほうがまし。」

    まさに、息子の心の言葉ですね・・・

    息子の気持ちもあり、親が出ていけないので、支援の求め方が難しいです。
    だから、先生に気づいてほしい!と思ってしまいます・・・

    合理的配慮などが広まってきてる今、教育者にもそうゆう知識を持ってもらうのは必須だし、援助できれば全体の底上げになると思うのですが?
    「やる気だせ!」だけでは解決できない、ということに気付いてほしい先生がたくさんいます・・

    30年近く幼児教育に携わってきていていますが、ADHDや自閉症などはやはり集団生活してると昔から「あれ?」と分かるもので、幼稚園や保育園では健常児を巻き込んで援助しやすいところがります。

    でも、学習面の特質は、やはり小学校以上の先生に知識と興味を持ってもらわないと、親が気が付いたころには遅かったりすると思います。
    我が子たちの周りを見ていて、小中学校の先生は、ADHDや自閉症っぽい子に「あれ?」と感じるセンサーが鈍い感じがしました・・(すみません)
    「いうこと聞かない子」「集中できない子」「わがままな子」みたいに分類にされてしまうことが多くて。

    私の地域は田舎ですが、保育園勤務時はでは20年前から「学習障害」の勉強研修がありました。小中ではインクルーシブが謳われ始めたここ数年みたいですが、小学校以上から生きにくくなってくるのに・・と、今も歯がゆいです。

    親の立場で言いたいこと言ってますが・・・すみません。

    返信削除
  3. 高校でも「発達障害」に関わる研修をします。簡単なテストやったりします。また,発達障害の子どもの特徴について,講師の先生がお話します。でも,研修を聞く先生方は大体,何かしらとんがっていたり,へこんでいたりするので(特に高校は)「自分もそうだよ~~~」といい,自分は普通に就職し,仕事してるんだから,発達障害の子もなんとかなるはずなのに,努力してないんだよね的なことをのたまわります。

    次には「援助してもさ,高校はいいけど,社会に出たらどうなるの?」です。これははっきりは言わないけど,言外に滲んでいる。

    また,教員も気がつけば気がつくで大変です。40人クラスじゃ厳しいです。ホントに。高校まで来ると,不登校気味がかなり絡んでくるので。

    うちの子どもも進学先によってはそうなるんでしょう。
    なんたって,今の教育は「書かせる」ドリル中心,提出物中心ですからね。それもレポートとかじゃなくって,ドリルやワーク。

    それで大学合格すればいい,大学合格させればいい,保護者もそれを望んでいる。たとえFランク大学であっても。

    人それぞれ違いがあるのが当たり前なのですから,通常発達であっても,個別の指導計画があっていいわけです。本当は,そうしたら,ドリルやワークもさほど必要なくなるでしょう。

    最近,気になった記事のリンクを挙げてみます。
    http://www.news-postseven.com/archives/20160507_409670.html?PAGE=2
    最後の当たりをお読みください。
    http://digital.asahi.com/articles/DA3S12370121.html
    こちらもどうぞ。みんな違ってみんないいんです。本当に。

    返信削除
    返信
    1. >自分もそうだよ〜といいつつ普通に仕事できてるから怠けてると言われる。
      というのは私にはよくわかるし、子供の時の私がとくに傷ついてる部分でもあるかも。凸凹の程度の違い(凸凹はスペクトラム)と理屈ではいいつつ相容れない要素もある気がして…もどかしいところだし、素直に言い出せない言葉にできない溝を感じます(私だと家族とか友人のように近い距離ほど言い出せる相手かどうかがすっぱり分断されます。言葉にできないけどなんとも不思議な壁みたいなものを感じる人には感じます)
      自分が成長して大人になると、この傷というかしこりは少しずつ解消する気がします(自分の方法を見つければ努力も「報われるもの」だと知ることができるため)が、これは自分でなんとか解消させようという感じなので自分には「諦め」という言葉に言い換えれる部分ですので、きつい現実を受け入れるという要素にもなります(努力してもダメなものはだめ。という部分)。

      これとは別に「(世間一般)の価値観でのリアルタイムで、実力評価を期待しないこと」「言葉を理解されるために時差があるのが自分」だと思っています。評価は後からされたらいいな、ぐらいの幸せだったりします。
      この感覚は納得させたわけじゃなく自分の昔からの実感で「結果に固執できない・しない」のは私にとっては自らの意志だし意向です。学歴に関心がない(学ぶのが好きとか行きたい仕事の先にあれば大事に考える程度のもの)ですし、そもそも興味がない。知りたがりなので、学ぶのは好きなんですけどね。

      ちょっとまとまりがないまま、思ったことを打ち続けてみたので、読みにくいと思います。失礼しました〜

      削除
    2. もんきちママさん、ありがとうございます。
      注目されてきたといっても、いろんなとらえ方があるんですね・・
      先生方の立場もいわれなけばわからないし、親の気持ちもいわなければわかってもらえない。

      我が家の経験からだけ言うと、特に小学校の先生は専門的な理解まで行かなくても、広い気持ちで対応してほしいなぁと。
      閉ざされた空間で偏った認識が子供たちに広まると、本当に怖いしつらいです・・・

      中学校からは多様な先生が接してくれて、子供たちの価値観も広がるので、予想以上にすごしやすくなりました・・・

      いつの世も、人と違うことは好奇の目で見らえたり、拒否されたり・・と繰り返してきてはいるんでしょうが。それでも、親は何ができるんだろう・・と考えてしまいます。手の離し方も悩みっぱなしです・・・

      今日で中間試験も終わってしまいましたが、母の心労もなんのその。勉強しなかった&できなかった息子は、結果も気にせず、開放感いっぱいに楽しそうにクラブに出かけていきました~

      削除