ディスレクシア専用英語塾「もじこ塾」のブログです。 ●ディスレクシアとは:知能は普通だが、読み書きが苦手(読み間違いが多い、読むのが遅い、書き間違いが多い、読むと疲れやすい)という脳の特性 ●全体像の把握、物事の関係性・ストーリーの把握、空間把握、ifを考えるシミュレーション能力に長ける ●読み書きの困難は、日本語より英語に出やすい ●適切に対処すれば、読みの問題は表面上は克服される ●10人に1人程度いるというのが通説 ●家族性とされるが、ディスレクシアの表れ方は個人差が大きい もじこ塾は、ディスレクシアはこれからの社会に不可欠な才能、でも日々の学習では普通と違うアプローチが必要、という立場です。

2014-05-01

音声工学からディスレクシアの仕組みに迫る論文に、心の底から感動する

1月、当ブログに、あの東京大学からアクセスが集中した日がありました。

なんだろうと思い、リンク元をたどってみると、

東大工学部・峯松信明教授の「音響音声学」という授業で、
「ディスレクシアであることの利点」が参考資料にあがっていました。

峯松研究室のサイトに、
~「あ」という声を聞いて母音「あ」と同定する能力は音声言語に必要か~
という論文が置いてあったので、読んだところ・・・・

これまで読んだ「ディスレクシアの日本語と英語の出方の差」を説明している
どの論文よりも、激しく腑に落ちるものでした!!



(←『ビヨンド・エジソン』という本に、
同じ内容がより一般向けに書かれています。)



峯松論文では、まず音楽の「絶対音感」と「相対音感」の違いを説明します。
絶対音感者とは、どんな音を聞いても、音程がわかる人です・・・①
音楽を聴いて譜面に起こすことができる人です。
こういう人たちは、音を流れとしてではなく、孤立的にしかとらえられません(その証拠に、絶対音感がある人は、カラオケで転調されるとわけがわからなくなります。私がそうですが)

一方、相対音感者というのは、音楽の一節を聴いて、譜面には起こせないものの、そのフレーズを歌って再現できる人たちです。

この人たちには、
「チューリップ」の出だしを聴いて、
それが何長調のチューリップであろうと「『ドレミ~ドレミ~ソミレドレミレ~』だね」と言える人・・・②と、
音階は一切言えないけど、聴いた音楽のフレーズを歌って再現できる人・・・③がいます。
②③とも、音の「関係」を正しく把握しています。
なかでも③は、音同士の関係だけ把握していて、その音が何かはわかりません。

確認ですが、
①の人は聴いたものから完全に楽譜が書けます。
②の人は転調が必要でしょうが、高低差の関係は正しい楽譜が書けます。
③の人は、音楽のフレーズを聴いても音階は分からないので、楽譜は書けません。
ただし、聴いたフレーズを再現することは問題なくできます。


峯松論文ではここで、大転換をします。
絶対音感とvs相対音感を、話し言葉の理解に応用するのです。

つまり、
①言葉の音を、あくまで一つひとつ、孤立的にとらえる人。
②言葉の音を、前後の音との関係でとらえ、文字にできる人。
③言葉の音を、関係によってしか把握できないので、文字にできない人。

がいるはずだと指摘するのです。

②が普通の人、③がディスレクシアです。
ちなみに、①は自閉症です。

峯松先生はこの仮説を立てた時点では、
③のような人が実在することを知らなかったそうで、

「音声言語は流暢だし雄弁。頭は良いのかもしれない。でもなぜか本が読めない、手紙が書けない・・・教育を受けていないとか、そういうことでなく、彼らの認知特性として文字言語が何故か難しい」、

そういう人がいないかと知り合いの言語聴覚士にたずね、
「それってまさにディスレクシアのことですよね」
と言われて初めてディスレクシアの存在を知り、ものすごく驚いたそうです。

しかも、そういう人は日本語話者よりも英語圏に多いはず、なぜなら

相対音感度が高い方々・・・は日本語やイタリア語などの母音数が少ない言語よりも、英語のように母音数が多い言語に頻繁にみられるはずである。何故なら図1を見れば分かるように、母音数が増えると、母音間の重なりが増えるからである。音声コミュニケーションにおいて絶対量を使い難くなるからである。
(~「あ」という声を聞いて母音「あ」と同定する能力は音声言語に必要か~より。図1はリンク先でご覧下さい。強調は引用者)


いや~~~、この説明は、本当に本当に目からうろこでした。

いろんなディスレクシアの勉強会に潜入してきましたが、
ディスレクシアが日本語よりも英語ででやすい理由の説明は、たいてい
「granularity(粒度・音の単位の大きさ)」と
「transparency(透明性・音と文字の対応)」で説明されています。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/10384738

わかるようなわからないような・・・
「音と文字の対応が低い言語ほど、ディスレクシアが出やすい」
というのはわかるのですが、それだけでは納得しがたいものがあります。

というのも、うちのやつが一番読むのに苦労しているのは、
漢字よりも、ひらがなやカタカナが長く続く時だからです。
でも、ひらがなやカタカナの透明性は高いですよね・・・もやもや。


それを!
母音の数が増えると、母音同士の重なりが増える。
そういう言語は、音どうしの関係性(だけ)で音声言語を把握しようとしている人=ディスレクシアにはつらいはず」
と論じたのは、実に鮮やかです!!


☆  ☆  ☆


で、途中は省略しますが、
今年度の音響音声学の授業を受けさせて頂いてます。


峯松先生は、超一流の研究者です!
(ご自身は「技術屋」と自称してますが。)
研究者にせよ技術者にせよ、
 「超一流は惜しみなく与える」ことを知りました。
厳しいですが思い切って言いましょう。
「出し惜しみする人は、一流とは言えない!!」


感動語録は着々と蓄積中。
ことばのデフォルトは文字ではなくて、音である
「脳まで行かなくても、音のからくりから、言葉について説明できることはたくさんある
などなど。

とはいえ、感動するだけなら幼稚園児でもできる(×_×;)と、釘を刺されています。

技術屋はインフラを作ることを目標にしないといけない。
どんな人でも、おばあちゃんでも、使えるようなものを」。
感動するだけでも、論文を書くだけでもだめで、万人が使えるところまで目指すもんだと言われました。かっこいい・・・

「言語学の研究者は、語ゲシュタルトという言葉ひとつとっても、きちんと定義していない。
定義してくれれば、技術屋はそれを形にするのに」

「自分は野に出ることはできないので、この技術を現場で生かしてほしい」


はい!私は教育産業で働く者として、またディスレクシア児の親として、
授業で学んだことをディスレクシア教育実践の形にできるよう、頑張ります!




12 件のコメント:

  1. 初めまして。
    上記の峯松先生の論文をPDFでとても興味深くお読みしました。ただ、私には未だ「母音数が増えると、母音間の重なりが増える」の「母音間の重なり」が具体的には分かりません。まずそれは二重母音のことを指しているのだろうかと思ったのですが、何だか違う様にも思えます。英語話者のpenという語を発音するときのshort eと呼ばれているeの母音が、地域によって発音され方が違う、という意味でのことだろうか、と次に考えたのですが、これも違うと思えました。それなら、ある地域の訛りにだけ晒され続ける話者にディスレクシアは存在しないことになりそうだからです。
     すみません、この「母音間の重なり」を具体的にどういうことか教えて頂けないでしょうか。

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  2. りべ様、はじめまして。
    ご質問ありがとうございます!

    「母音間の重なり」につきまして。
    おっしゃる通り、二重母音のことではありません。
    方言間の違いともちょっとずれます。
    1人の話者単位の話です。


    日本語を例に説明してみますと、
    /あ/という音韻(=頭の中にある標準の音)を実際にいろんな言葉の中で発した場合、[あ]という音声(=実際の音)には厳密にはちょっとずつ違いがありますよね。
    たとえば「麻」と「朝」では、[あ]の音は「麻」のほうが少し暗く、「朝」のほうがはっきり発音されると思います。
    「毎朝」と「朝練」でも[あ]の音はちょっと違うと思います。
    つまり、/あ/にはある程度の幅というか、領域があると言えます。

    で、日本語は、5つしか母音がないので、この領域がほぼまったく重なり合わないのです。
    峯松論文の言葉を借りれば「母音間の重なりが少ない」と言えます。


    同じことは、英語でも言えます。英語の各母音にも、それぞれ一定の領域があります。
    ところが、英語は11個もの母音があるので、各母音の領域がけっこう重なってくるのです。
    /i/と/i:/の差は相当微妙です。fortyとfourteenはネイティブでも聞き間違えるのはご存知の通りです。
    ten、tin、teenも、文の前後関係次第では聞き間違えそうです。
    このことを、峯松論文では「母音間の重なりが多い」と言っています。

    スウェーデン語は母音が17個あるそうで、そうなると母音間の重なりは相当なものです。

    ---

    ここからは蛇足ですが、

    普通の人は、母音間が重なっていても、実際の音声から音韻を同定する(=音を文字に結びつける)ことができます。
    しかし、音楽の絶対音感者と相対音感者が存在することから考えて、「言語音の相対音感者」がいてもおかしくないはず。
    言い換えれば、耳から言葉を聞いても文字に結びつけられない人(「言語の音声を聞いて、音韻を同定できない人」)たちがいてもおかしくないはずだ。
    この作業は、母音の重なりが大きい、言い換えれば母音同士の差が微妙な言語ほど、難しくなるはず。
    というのが、峯松論文の主張です。


    いかがでしょう?
    私は峯松論文を出発点に議論する気満々ですので(笑)、
    説明が不十分なところがありましたら、どうかご遠慮なくご指摘下さい!

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    1. わかりやすいご説明、ありがとうございます。とても面白いです!

      母国語に関して、相対音感の話し言葉への応用③の状態というののは、自分自身が②であった場合は、実感するのが難しいというのが正直なところなのですが、音楽に関して③なので、音楽の②の人からすると信じ難いかもしれませんね。

      あと、これが外国語になると、母音とそれに子音も場合によっては、特に第一言語に音が少ない者が音の多い第二言語を学ぶ時に、③の状態をしばし経験すると言えるのだろうか、と考えました。例えば、日本語の「ん」は、実際はnとngと発音されているにも関わらず母語話者としては「ん」と思っているわけですよね。その母語話者がnとngの違いのある言語を学び、それを書くとなると分からない、ということなのですが(韓国語、中国語、一応英語も、など)、この「分からない」という感覚を忘れずにいると、理解しやすい、と考えてもいいのでしょうか。

      もう一つ「分からない」の実体験としては、これまで、英語のcorral, Glendare, myrtleという語を耳で聞き、聞いたままを自分も発音していた時にはそのまま通じていた一方で、自分の頭の中では、carrel, Gladare, modalと綴っていたということがあります。最初と2番目の語は母音の領域の違いのため、3番目は母音もですが、それよりも子音の領域の違いのためだった、と当てはめて考えていいのでしょうか。

      一方で、日本語の単語で、一音節目が弱く2音節目以降の方が若干強く発音される語の場合、うちのアメリカ人夫は、一音節目の子音を聞き取りにくいと言っていまして、「白い」などの語の”shi”が”hi”にしか聞こえない、ということは、この音の領域の問題と関連があるのだろうか・・という疑問も思い浮かびました。(ちなみに、ネット上の日本語アクセント辞典のようなサイトがないか検索してみましたら、http://www.gavo.t.u-tokyo.ac.jp/ojad/pages/notes
      というサイトを見つけまして、このOJADサイトのプロジェクト代表者は、峯松先生でした!嬉しい繋がりです。)

      などと、上記のように子音まで含めてしまいましたが、峯松先生の提唱された説とは違うことかもしれないなとも思っています。

      こういう例を挙げている時点で、峯松先生の理論を理解できていないことが見て取れるのかもしれないですが、いかがでしょうか。何度もすみませんが、この方向ではないようでしたら、正して頂けませんでしょうか。

      あと、自分の基本的理解が試されるような質問を自分でしてしまうんですが、③の状態がdyslexiaの状態とつながっているとの前提ですと、文字以前の問題として、第一言語の音(母音のみが対象なのか分かりませんが)を、identify出来にくい状態とも捉えてよいのでしょうか。既に私がDyslexiaのことを全く分かっていない者であることはお分かりかと思いますが、峯松先生の説は、識字プロセスの「音韻的処理」についてカバーされていると考えてよいのでしょうか。(実は「音韻的処理』という語は、ウィキペディアで「ディスレクシア」の項を読んで知り得た語であることを告白します。)

      いろいろとお尋ねしてすみません・・。



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  3. ​お返事が遅くなりまして申し訳ありません。
    そして、示唆に富むご指摘の数々をありがとうございます!​

    ■「​自分が②だと、③を実感するのが難しい」​
    →まさしくそうだと思います。私は①(音楽の絶対音感者)なので②③(音楽の相対音感者)の感覚が分からないのです。
    でも、同じことが、言語音での絶対音感者(一般の人)と相対語感者​(ディスレクシア)の間にもあるということですよね。
    しかも、自分が少数派だと「この感じ方は人とは違うらしい」という自覚がありますが、自分が多数派だと少数派の存在にはなかなか思い至らないですよね・・・

    ​■「​第一言語に音が少ない者が音の多い第二言語を学ぶ時に、③の状態をしばし経験すると言えるのか​」
    ​相対音感vs絶対音感を言語音に適用したのは、おそらく峯松論文が最初ではないかと思うので、
    この話を第二言語習得に応用して論じた人は、まだほとんどいないと思います。
    音楽的絶対音感にしてもディスレクシアや自閉症にしても、遺伝的要因が大きいとされているので、第二言語習得と完全に同じではないと思います。

    と申した上で、「音韻体系が違う第二言語を学ぶと、③の状態をしばしば経験する」と考えると、見えてくることは多いと思います。
    ご指摘の「日本語母語話者にはnもngも「ん」に聞こえる」もそうですし、
    韓国語ネイティブには/t/と/d/が区別できないこととか、
    あるいは米語ネイティブは「お」と「おー」を区別できないので、ヘボン式ローマ字は「ときょ」と「とうきょう」が区別できない形で固定されてしまった(この例は峯松先生が挙げました)とか・・・

    区別できない話し手にどう区別を教えるか、あるいは聞き手がどう歩み寄るか、ということですよね。

    ■母音と子音について
    子音の差も、もしかしたら母音以上に微妙です。
    「音声波形」を見ると(音響音声学の授業で扱ってますv)、子音は本当に一瞬で、母音のオトのほうが時間的にはるかに長いのです。
    それを見て、子音と母音はアルファベットでは等価に近いですが、音声言語ではかなり違う働きをしているらしいと、はじめて知りました。私ももうちょっと考えてみたい話題です。

    ■​
    ​>英語のcorral, Glendare, myrtleという語を耳で聞き、聞いたままを自分も発音していた時にはそのまま通じていた一方で、自分の頭の中では、carrel, Gladare, modalと綴っていた​
    →この例はぐっときました!まさに峯松論文の題名の解答ですね。オトを同定できなくても通じますと。

    逆に、「modal」という文字に一度落とし込んでから、それを想起するように発話したら、myrtleとは分かってもらえない可能性が高いですよね。

    ​■
    ​>​​③の状態は・・・第一言語の音を、identify出来にくい状態とも捉えてよいか​
    ​→​そうです(とあえて断言)。
    このことは、日本語のディスレクシア研究でも、見落とされている観点だと思ってます。
    日本語のディスレクシア研究は、今のところ視覚認知の問題に議論が偏っています。
    そこを、「ディスレクシアは音をidentify出来にくい状態」「音をidentifyできなければ字も書けないはず」と指摘したのが、峯松論文の感動ポイントだと私は思ってます。


    ​>峯松先生の説は、識字プロセスの「音韻的処理」についてカバーされていると考えてよいか
    →予想ですが、たぶん峯松論文は音声学の技術的裏付けがある分、
    識字プロセスの「音韻的処理」よりもカバーしている範囲が広いと予想しています。
    「音声」(個々の音声発話の実現体、オトのparole)と「音韻」(音声がよりどころにしているオトの単位。オトのlangue)の区別も、意識されていないかも?と思う議論もありますし。

    私のほうが多分しろうとだと思います。今後ともよろしくお願いいたします!

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  4. バーバモジャ2014年5月13日 10:36

    お話に少し参加させてください。感じたことを少し述べるだけなのですが…
    私は峯松先生の音声工学を理解しているのか、いまいち自信がないので(このブログで初めて読んだだけですので…)どこまでわかっているか…ですが、
    りべさんともじこさんのお話で私も実感していた点がいくつかあります。

    第一言語に音が少ない者が音の多い第二言語を学ぶ時~
    日本語は世界の言語の中でも音がかなり少ない言語です。(やけに文字は多いですが)日本語のみの生活をずっと送っている人に話すと??音が少ない?という反応(通じない)が返ってくるので、言いにくい(説明しにくい)話ですよね。
    これは外国語学習の時に意識してほしい問題だと思います。もっと、広く認知され、教育に取り入れてほしいです。
    おそらく外国が陸続きの国々(島国でない国)は、こういうことは理屈ではなく、体感しながら自然に、当然のように認知されているのではないかと思います。

    母音と子音について
    母音は顕著ですが、外国語学習をする時、子音についても問題を抱える子がいると思います。特にディスレクシアの子達(日本で暮らす日本語ネイティブの)は共通する特徴的な間違いをよくするように思います。
    もしも峯松先生のお話とズレていたらすみません。

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  5. 全然ずれてないです!

    母音と子音について
    ディスレクシアの子は特有の間違いをする?!
    2~3つ、間違い方の例を挙げることができたりしますか?
    峯松先生に聞いてみます。何かびっくりする話が出てくるかもしれません。

    ※うちの場合だと、英語の新しいフレーズに出会うと、
    語やフレーズの全体的な雰囲気をまずは真似して、
    それから細部を詰めていくことが多いです。


    第一言語に音が少ない者が音の多い第二言語を学ぶ時~
    峯松先生によると「世界的に見ると母音が5つの言語が実は一番多い(!)」そうなので、日本語は世界的には音が少ないわけでもないようですが、でも少なくとも英語と比べて母音が半分以下しかないのは確かですよね。というか英語の母音の多さは異常なのでしょう。。

    第一言語に区別のない音を聞き取るのは、一定年齢を超えると至難の技なので、
    バーバモジャさん言う通り、英語を学習するときは最初に「英語にはこういう音がある」と教えるべきなんですよね。
    (そこでフォニックスの出番となるわけです)

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  6. バーバモジャ2014年5月16日 23:25

    遅くなってすみません!

    子音の間違いの件です。日本語ネイティブで英語にあまり慣れていない環境のディスレクシアの子が英語を学習した場合の初期の話です。個人差が全てあります。

    文字を見て読み上げるのではなく、口頭で英語のやり取りをした場合の話ですが、(つまり、「読み間違い」ではない。)What's とWhat や、It's とIt などの言い間違いが多いです。これはごく初期の間違いで、何度か訂正したり、読み書き文法がしっかり進むにつれ、治っていく場合が多いので、乗り越えられない壁、というわけではありません。ディスレクシアでない子にも初期、少しみられる場合もありますが、比較的ディスレクシアの子に高い確率、回数で見られます。

    あと、読む、という意味では、子音に限って言えば、consonant blends(連続子音)と言われる、bl br str cl などで、ディスレクシアでない子に比べると壁があるときが多いですが(consonant blends は一度でサッときれいな音で読めるようになる子も多いので)、これも丁寧に教えれば読めるようになります。越えられない壁ではありません。

    日本人が苦手とする、lとr、thとs などなどの聞き分けなどはディスレクシア特有の問題ではないと思います。

    参考になれば幸いです…。













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    1. うおー!ありがとうございます!
      str とか、思い当たる節があります・・・

      削除
  7. 横から失礼します。こんばんは。
    音韻情報→言葉にする作業が苦手、というのが私のディスレクシアの困難だと自己分析していまして、とても興奮する記事でした!私は出力のが困難を強く感じてます。
    ふわっとした感覚で不適切な書き方かもですが「読み」は入力のイメージなので、自分のは音の伴う出力イメージな「詠み困難」と書きたい(…すみません言ってみたかっただけです!笑)

    話を戻して…
    学生時代は英語はもちろん苦手だったんですが、先生につづいて復唱するアレ、さほど負担に感じてなかったなぁと思い出しました。あれも相対的=真似っ子だからですかねぇ。
    国語の音読のが激しく嫌でしたね(もちろん一人で読まされる国語のが間違い=辱められた気分になるためリスキー感覚が雲泥の差ですが。音楽の歌唱テストも同じく)

    サビで転調する歌もドレミは無理ですが、ハミングなら把握できます。
    楽譜は分からなくても昔から演奏は好きで、学芸会なんかは好んで演奏役をかって出てました(もちろん台詞ある役が死ぬほど嫌だから、もあります!w)
    楽譜を見て、それを追うのに集中していると、演奏作業がおろそかになるのは子供の頃から自覚があったので、メロディをキリの良いフレーズ単位で耳記憶で覚えて、手の動き、指運びを視覚+身体体験コンビで覚えさせるという覚え方が幼少からの習慣です(楽譜は演奏している場所を把握する地図程度にしか使えません)
    いまも譜面には起こせませんがメロディ記憶と自分で実際に鳴らした音とで、正解にすりあわせる方法で、キーボードで弾いてる気分に浸っています。相変わらず一本指ですが!w

    自分のブログでも書きましたが「漢字」も、手の動き+画像記憶で正解に近づけ、すりあわせる方法で乗り切っていたので、音楽も把握どまりで解読にはほど遠いのは共通ですが、楽しむことはできていますし実感しています。

    もじこさんの記事を始めとして、いろいろな情報を見ておりますが、やはり私はディスレクシアがありそうです。
    自分は雰囲気で読むことを、言葉や音楽でもやっているのですね〜。正確さには劣るでしょうけど伝えることはできるし楽しめてる感覚はしっかりとあるので、自分を不幸だなどと思わないのかもしれません。

    利き手が左と知ってからの衝撃は、もちろんすごいものだったのですが、自分は右利きと信じ込んでいた(左手のやりやすさに無自覚だった)ために、利き手を替えたあとは改善した感覚しかないので、(あら。こんなにやりやすくていいのかしら)とわけのわからん心配をするくらい、楽観的なんですよw
    それでも以前のコメントで労って頂いたこと、純粋に嬉しかったです!感謝が遅くなりました、ありがとうございますー(*´∀`)

    こちらのブログはコメントされる皆さんも熱くて、大人の1当事者としても熱く楽しませてもらっています。感謝です。

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    1. 遅レス大変に申し訳ありません(汗)

      相変わらず示唆に富みまくりの当事者感覚をありがとうございます!

      ディスレクシア(=言語音の相対音感)だと必ず音楽でも相対音感だとも言い切れないとは思うのですが、それでも歌と言葉は一般に思われている以上に地続きなんでしょうね。今年の私のテーマです。

      うちの子もハミング、よくしてます。読者の方にも「メロディーを追うと歌詞がまったく聞こえない」という大人ディスレクシアがいました。

      そして!「手の動き」というのも多感覚なんですね。
      今年第一号の目からうろこです!

      紺さんのディスレクシア感覚の話は実に示唆に富んでいて考えさせられます。今年もいろんなことを教えて下さい!m(_ _)m

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    2. おお!他の当事者の方の反応は私にとって貴重です!嬉しいです〜ありがとうございます!

      漢字での他感覚(手の動き)で言えそうなものは、個人的に「書き順」です。実はかなり助けになるんじゃないかと。筆の軌跡ですからねー運びが流れるように右から左へ動いていく…漢字の奏で方みたいな感じで、意外とすらすら書けたりして…などと妄想してます。
      遅くなってしまいましたが、こちらこそ今年もよろしくお願いします〜(*´▽`)

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    3. おっと盛大な間違いを…w
      左から右へ、ですね。失礼しました^p^

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