ディスレクシア専用英語塾「もじこ塾」のブログです。 ●ディスレクシアとは:知能は普通だが、読み書きが苦手(読み間違いが多い、読むのが遅い、書き間違いが多い、読むと疲れやすい)という脳の特性 ●全体像の把握、物事の関係性・ストーリーの把握、空間把握、ifを考えるシミュレーション能力に長ける ●読み書きの困難は、日本語より英語に出やすい ●適切に対処すれば、読みの問題は表面上は克服される ●10人に1人程度いるというのが通説 ●家族性とされるが、ディスレクシアの表れ方は個人差が大きい もじこ塾は、ディスレクシアはこれからの社会に不可欠な才能、でも日々の学習では普通と違うアプローチが必要、という立場です。

2014-10-22

大人ディスレクシアに英語を教える(1)大人ディスレクシアも「やる気がないように見える」

このような話題で書く日が来ようとは・・・・!!

申し遅れましたがわたくし、10年以上、大人にも英語を教えています。
東京の某通訳翻訳スクールで、翻訳を教えています。

通訳や翻訳者になるためのスクールに来るような人は、
良くも悪くも英語の勉強が大好きです。
(後に書くように、最近はそういう人ばかりでもなくなってきましたが。)

こういう雰囲気からは、あまりディスレクシア的な感じがしません。
だから私はディスレクシア・ジャーニーに出る(?!)と決めたとき、
「このスクールはディスレクシアとは最も縁遠いところだから、
大人に英語を教える仕事は卒業しよう」
と一度は思ったのでした。

ところが!!翻訳学校にも来るのです!大人ディスレクシアが!

正確には、自分をディスレクシアと知らずに翻訳を学ぼうとして、
他の方と比べて非常に苦労する大人が!!


そんな方のご協力を頂き、このたび
「大人ディスレクシアの英語力底上げ」企画を始めました。
今後は、大人ディスレクシアが英語の読み書きを強化する方法も、模索していきます!

今回は、その人をディスレクシアだと分かったきっかけを書いておきます。
きっと、どの会社にもこういう人がいるはず・・・



☆  ☆  ☆


そもそも、
「ディスレクシアなら、外国語を身に付けようと思わないほうがいい」
と英語圏では言われています。
母語とは別の、文字-音の体系を学ぶのは、ただでさえ大変なこと。
ましてディスレクシアにとっては一層大変だからです。

でも「外国語は不要」とは、英語ネイティブだから言えることです( - _ - メ ;)

日本語ネイティブは、少なくとも今後数十年は、
最初から英語を諦めることはできないと思います。
(学校で「お子さんはディスレクシアなんだから英語は諦めたら」
と言われたお母さんもいるそうですが!( - _ - メ ;)

なぜなら会社がいきなり外資になってしまい、上司が外国人になったり、
会社が海外との取引を始め、英語でのやりとりが増えたり、
といったことは、十分に起こりうるからです。

これは、誰もが通訳や翻訳者になるべきという意味ではありません。
むしろ、「訳せないけどそこそこ仕事を回せるだけの英語力」
を誰もが持たざるを得ないだろう、という意味です。

実際、ここ数年、「そこそこ」を求めて翻訳学校に来る方は増えています。
そんな方々の話を聞くと
「英語が苦手だから○○になったのに、気付いたら会社が外資になった」
「国内企業に就職したが、会社が買収をくり返すうちに外資になった」
と言う方はけっこう多いです。

あと「契約社員/派遣として働いているが、
英語ができると年齢制限のない仕事を選べる、
というか、英語ができないと選択肢が年々減っていく
と言う方。女性に多いです。

こういう、「とにかく日々の仕事に差し障らない程度にどうにかしたい」
という切実な動機で、翻訳学校に来る人が増えています。

そんななかに、大人ディスレクシアもいるのです。


☆  ☆  ☆


大人が英語力をのばすのは、同じレベルの大学受験生より大変です。
話がそれるので深くは立ち入りませんが、最大の理由は
大人は過去の経歴にとらわれすぎると言いますか、
「自分は○○大卒だから(留学したから、帰国だから)英語ができるはず」
という、変なプライドや邪気がまとわりついている点にあると思います。

ところが、そういう邪気が全然感じられないのに、
「不思議なできなさ」をする生徒が、たまにいます。

とにかく、訳抜けが激しいのと、誤訳の間違い方が斜め上を行っているのです。
他の生徒さんの3割くらい訳文が少ないこともありました。
それくらい、ごっそり訳が抜けているのです。
しかも本人は、指摘されるまでまったく気付いていません。

また、普通の誤訳は、辞書の訳をそのままあてた結果
「まあ確かに、辞書にはそう書いてあるけど、ここには合わないですよね」
と言わせるような間違いが中心です。

しかし、この生徒さんは、「そんなこと、全然書いてないですよね・・・?」
と唖然とするような、大きく外した誤訳をします。
ほとんど訳を捏造したといってもいいレベルです。

で、よくよく聞いてみると、「someをsameと思ってました~」といった、
脱力するような読み間違いが原因だったりしますorz

こういう間違い方は、講師にとっては判断に苦しむものです。
「翻訳学校は学費が高いので、やる気がない人は来ないはず。
だのに、なんでそんな、やる気のない間違いをするんだろう?」

そうなのです!このように、ディスレクシアは大人になっても
英語で間違うと「この人、やる気あるの?」という印象を与えるのです。

ディスレクシア的にはsomeとsameはやる気の問題ではなくて、
最大のハードルですよね。。



しかも、こんな大きく訳を外す生徒さんに限って、
間違っても「またやっちゃった~」と笑って流してしまうところがあります。

または、その時は神妙に聞いているが、また同じような誤訳をします。

だから、真剣に受け止めていないように見えてしまうのです。

これは、ディスレクシアの人が招きがちな状況だと思ってます。



ここまでだと「困った人」ですが、そこで終わらないのがやはりというか。
この手の人はたいていクラスのムードメーカーで、
この人がいるおかげで、全員が意見を出しやすくなりますし、
「みんなで一緒に頑張りましょう」という、良い雰囲気のクラスになります。
また、講師とも険悪にならず、こちらを気遣ってくれたりすらして、
とにかく人として憎めない方々なのです。

やる気がない(ように見える)、
何かを指摘しても真剣に聞いていない(ように見える)、
クラスのムードメーカーで、人として憎めない。
こう書いてみると、本質的にうちの子(小6)と同じです!




そして何より、
someとsameを間違えるくらい「下らない」ミスをするなら
より高度なこの部分はきっと分からないだろう・・・というときに、
逆に、苦もなく良い訳をつけたりするのです。
読み間違いさえなければ、大意は正確に把握しているのです。

細部は間違うが、大局観を持っている。
文章の面でも、人間関係の面でも。

そんなギャップに気付いたとき、
「もしかして、大人ディスレクシアはこういう出方をするのかも?!」
と思ったのでした。
つい数カ月前のことです。


☆  ☆  ☆


ディスレクシアの人があえて翻訳を学ぶのは、
一番向いていないものに特攻する、本当に大変なことだと思うのですが、
とにかく、その生徒さんは、必要に迫られて翻訳学校にやってきました。

契約社員として社内翻訳に従事し、誤訳や訳抜けを怒られているとのこと。
でも「私は打たれ強いんですよ~」と。(ノД`)
前職は総務で、
「自分は総務の方が向いている。全体を見て気を遣ったりするのが」。
どちらも、かなりディスレクシア的です。

××さんは翻訳が苦手なのではなく、字が苦手な気がします・・・
と伝えて、ディスレクシアというものの話をすると、すごく驚いていました。
そしてそれ以降、笑って受け流さなくなりました。

ディスレクシアのチェックテスト」は、
ぎりぎりディスレクシアかな?というラインでした。

「えっ!自分は目まい持ちだと思ってました。」
「みんな、読み間違いってしないんですか?」
字を見ると揺れて見えるけど、そうと意識したことがなかった、
「ディスレクシア」で検索し、文字がゆがんだ画像を見て「これだ」と思ったとのこと。

中高時代、英語にはそれほど苦労していない、とのことでした。
でも、訳抜けの多さを見る限り、苦労したはず、というか、
実力を出し切れなかったと感じたことがあったはず・・・?と言うと、
「高校も大学も第一志望ではないですが、関係ありますかね?」
「弟は賢いんですけど、なぜか私は(笑)」。
やっぱり、気づかないうちに実力を過小評価されていたかもしれません。

ノートを拝見すると、なんと、全部ひらがな!
「字を思い出すスピードが追いつかない」。うちの子と同じことを言います。

英語の視写をするようお願いして、2週間後に確認することにしました。

すると、やはりと言うべきか、驚くべき効果を報告してくれました!

この項続きます・・・・
大人ディスレクシアに英語を教える(2)構文、視写、音読、そして「いちごのショートケーキ」が効果あり

5 件のコメント:

  1. 初めまして。

    ディスレクシア診断済みの成人当事者です。
    以前から時々、もじこさんのブログを拝見させて頂いておりました。

    余りに不思議なほど共感する内容が多いので、何れ一度はコンタクトを取ってみたいと思っていたところです。

    多分私は、隠れディスレクシアの部類に近いのではないかと感じている次第です。

    英語には苦労しており、知りたい内容の文献の多くが英語なので困っています。

    一応は英語圏からの帰国子女なのですが、幼少の頃だったために語彙力が少ないままで、読み書きからは語彙力の習得が出来ないのが悩みです。

    以前からフォニックスには注目しているのですが、今のところは手付かずですのままになっています。

    返信削除
    返信
    1. はじめまして。お越し下さりありがとうございます。

      やはりフォニックスがmissing linkだと思われますか?私もそのような仮説を立てていました。
      この件についてはもう少し試してみたいです。
      お近くであればChionodoxaさんにも!

      英語をただ読めればいいなら(訳さなくていいなら)
      読み上げソフトを使うのはいかがでしょうか?
      音があると、ディスレクシア的にはかなり助けになりますよね・・・?
      次の記事にでも、知っていることをまとめてみます。

      今後とも、どうぞよろしくお願いいたします!

      削除
    2. お返事ありがとうございます。

      最初のコメントに一つ書き忘れていました。
      私は日本人の成人として、最も初期の頃にディスレクシアに関する研究者より、ディスレクシアとして診断を受けた当事者の一人です。
      ※異なる可能性の高い発達系当事者が自称でディスレクシアと言っているケースもあるため。

      また診断済みの当事者としては、最も専門的な内容にもそれなりに踏み込んで、ディスレクシアについて調べている一人でもあります。

      そのような関係もあって、LD学会にも度々顔を出していますし、今年の発達性ディスレクシア研究会にも全日程で出席しておりました。

      もしかしたらもじこさんとも知らない間に、会っているかすれ違っているかもしれないと思った次第です。

      さて本題ですが、私の場は英語独特の音韻的な読みにくさに加えて、語彙力の少なさが影響しているのではないかと考えています。

      日本語自体の読み能力については、それなりには大変ではあるものの、極端に人並みはずれた推測と類推する能力などで、全てを読まなくても結果的に、かなり高い精度で内容を理解できてしまうというところがあります。

      おかげで、本来は私の専門外の専門的な文書の内容についても、専門用語が解らないにも関わらず、ある程度の文脈と漢字の形から、他人から不思議に思われるほど内容が理解できる傾向がある、という変な副作用を感じるときがあるほどです。
      ※専門分野の文書は比較的文脈が簡潔に書かれているという影響もあると思います。

      私の英語力は、幼少期の一時期に英語圏で暮らしていた頃の完全な独学であり、日本の学校教育から英語を学んだという認識は基本的にありません。

      そもそも英語は英語の言葉として覚え、日本語に変換するような記憶の仕方はしていないのです。
      そのせいか英文を読むときに英和辞書を使おうとすると、頭の中で日本語と英語が混乱して分けが解らなくなるように感じてしまいます。

      現状は読み書きから語彙力を習得することは出来ないと認識していますし、会話から新たに語彙を習得するにも、なかなか相手がいなかったという状況です。

      もしかしたら私の場合は、英語は英語としてスマホの子供用英英辞書(読み上げ機能が使えるので)などを用いた方がよいのかも知れないと感じたりもします。

      今後もしも今より語彙力を増やすことができ、フォニックスを使って言葉と文字の結びつけを行うことが出来れば、ある程度は読みの問題を軽減できる可能性があると感じている次第です。
      また日本語の読み方と同様に、それ以降に英文での文脈の法則(コツ)をつかむことができれば、どこかで急に読む能力があがる可能性があり、それによって更に語彙力が増えるという、好循環が生まれる可能性もあるのではないかと考えています。

      以前から時々あることなのですが、極端に人並み以上に出来ないことが、あるタイミングで突然人並み以上に出来るようになることがあるのです。
      周囲からは全く理解されない現象なのですが、正に学びの困難と、学び方の違いによることだと思うのです。

      長くなってしまいましたが、最後に私は東京寄りの神奈川在住で、職場は都内になりますので、都合が合えばいつでもお会いできると思います。

      削除
    3. 追伸です。

      日本語でよりも、英語でフォントを変えたときの方が読みやすさが大きく変化するように感じています。

      また私の場合は、日本語では学術論文などが最も読みやすい系統の文体なので、英語も興味のあるその手の文書を読む方が解りやすい可能性はあるのかもしれません。
      ※周囲からますます理解されなくなる原因でもあるのですが。

      また文法に関しては同感で、日本の学校では常に劣等生(海外では外国人としての読み書き支援を受けていて常に優等生レベル)だったのですが、高校のときの英語のテストは単語を並べ替える文法についてはそこそこでき、ヒアリングについては常に満点にちかかったのですが、通常の人にとって点数をとりやすいspellについては全くと言ってよいほどできず、英文からの和訳も駄目だったので、結果としてなんとか赤点を免れていたというところです。

      一般的な方とはテスト内での配点の傾向が全く逆なので、英語の先生が私に対して常に首を傾げていました。

      またその先生はものすごく英語の発音が悪かったので、簡単な内容でも外国人講師との会話でのコミュニケーションがあまりとれていなく、私が時々通訳にはいいって通じるようなこともあったので、それをみてますます首を傾げていたのをはっきりと覚えています。

      ちなみに私自身が会話で通訳をする(簡単な内容しか解りませんが)場合には、エッジの藤堂会長がおっしゃっているのと同様に、英語を聞くとそこ(文の内容)から日本語へ変換するのでは無く、英語を聞いて頭に映像が浮かぶので、その映像を日本語で解説しているだけなのです。

      よって文として正確に訳をするような形とは言えないと思いますが、ある意味で正確に早く理解して、他人にも伝えることが出来る場合もあるのです。

      要はディスレクシアの影響もあって、とても中途半端な状態のままのバイリンガルで、大人になってしまったと言えるのかもしれません。

      削除
  2. !!日本ディスレクシア研究史の生き証人のような方の目に留まれて光栄です。

    実に実に示唆に富むお話をありがとうございます。1行1行かみしめるように読んでいます。

    「人並み外れた類推力により内容は分かるが、単語がよくわからない」は他のディスレクシアの人を見ても感じますし、そういう報告も受けています。
    でも、(「人の苦労も知らないで」と言われるかもしれませんが)
    もしかしたらChionodoxaさんの読み方のほうが、次元が高い可能性はないでしょうか?

    文章における最も基本的な意味単位とは本当に「語」なのか?
    日本語とアメリカ英語では明治以降、単語や熟語単位での一対一対応が発展したので、「語」単位で逐語的に解釈していくのが絶対的に正しい読み方だとされていますが、
    実は文章の意味単位というのは、もっと大きいのでは?と思うこともあります。

    以前に書いたのですが、私は幼少期はハイパーレクシア(字しか見えない)でしたが、20代後半になって読んだ内容を映像化できるようになり、翻訳者になることかできました。
    私にとっても「訳す」とは、英語を映像化し、それを日本語で説明することです。
    「個々の語を超えたところに意味がある」と信じています。

    「あるタイミングで急に人並み以上に何かができるようになる」。これも我が意を得たりです。自分もそうだったと思ってますし、ディスレクシアにはしばしば見られる現象だろうと思ってます(中年になって表れるほどのケースもあるので、なかなか実例が蓄積しませんが)。
    おっしゃる通り、これはきっとneurodiversity(神経の多様性)による、人とは違った成長曲線の表れなのですね。


    ご都合があうようならぜひ一度お目にかかりたいです!2月中旬までは受験指導があるのでその後になるかと思います。もしよろしければ、コメント欄を使ってメールアドレスをお知らせ頂ければこちらからご連絡差し上げます(そのコメントは載せません)。

    返信削除