ディスレクシア専用英語塾「もじこ塾」のブログです。 ●ディスレクシアとは:知能は普通だが、読み書きが苦手(読み間違いが多い、読むのが遅い、書き間違いが多い、読むと疲れやすい)という脳の特性 ●全体像の把握、物事の関係性・ストーリーの把握、空間把握、ifを考えるシミュレーション能力に長ける ●読み書きの困難は、日本語より英語に出やすい ●適切に対処すれば、読みの問題は表面上は克服される ●10人に1人程度いるというのが通説 ●家族性とされるが、ディスレクシアの表れ方は個人差が大きい もじこ塾は、ディスレクシアはこれからの社会に不可欠な才能、でも日々の学習では普通と違うアプローチが必要、という立場です。

2013-06-10

予備校での(ほぼ)反転授業



『アエラ』2013年5月27日号に、
「反転教育」というものに関する記事が出ていました。



たまたま、5月30日の日本経済新聞でも、
大和総研理事長で開成の理事長でもある武藤敏郎さんという方が、
反転教育について語っています。
「欧米の大学では『反転授業』という考え方が浸透してきた。すなわち知識を得る学習はインターネットを使ったeラーニングで行い、教室では徹底的に議論する。ソフトウェア時代を迎え、創造力や表現力を高めるという狙いだ」



・・・いやはや、これは驚きました。

アエラによると「反転教育」とは、
講義は家でネットで見てくる(予習)→教室では演習
というサイクルとのことですが、

これは、この9年間、私が予備校の教壇で少しずつ追求してきた授業スタイルに限りなく近いのです・・・!
自画自賛すぎるかもしれませんが、私の授業はほぼ反転しています(!)

しかも、ディスレクシアの子に対応していたら、そうなったのです(!!)





反転授業は、知識伝授の部分はネットで行うところに第一のポイントがあるようですが・・・

私の感覚では、日本の高校生レベルに反転授業を持ち込むなら、
この講義は相当作り込まれたものでなければなりません。
ただ漫然と授業での説明を映してはだめです。
その後の教室での演習を想定して、綿密に伏線を張ったものであること、
動画など、パソコンならではのテクノロジーを活用したものであること、
そして何より、デジタルネイティブに合わせて、コンパクトで短く、分かりやすい説明であることが肝心でしょう。

実はわたくし、もう何年も前ですが、自分の予備校の映像授業に出演したことがあります。
残念ながら、上の条件をひとつも満たしていない授業でした。

その時の苦い経験からも分かるのですが、
反転授業でのネット講義は、普通の講義をただカメラの前でやったものではなく、
思い切った発想の切り替えが必要です。
たとえば5分から10分でさくっとポイントを説明するような、ものすごく絞り込まれたもの。
こういった講義に特に適した(または適していない)教科や学年もあるでしょう。


ところで、
少なくとも受験英語なら、映像授業ではなくプリントだけでも、かなり反転に近いことはできます。

たとえば、ポイントを絞り込んだ1枚のプリントを作り、
それを読んでくることを予習にすれば、
「講義は家でネットで見てくる」にかなり近くなります。
(だから「ほぼ」反転なのですが、
これだと反転していないという反論もあるかもしれません。。)




反転教育のもう一つの、思うにより重要なポイントは、
教室は基本的に演習と議論の場だということです。
講師による一方的な板書+説明は、ほとんどありません。

私は現在、120分の授業の90分近くを演習(今の時期は和訳)にあてています。
教室ではひたすら手を動かしてもらいます。

予習として読んできてもらっているプリントの最後に確認問題がついているので、
その答えをごく軽く確認してから、演習に入ります。
5~6行の、構文が多少込み入った文章を10題ほど読み、
辞書を引きながら下線部訳を作ってもらいます。


演習プリントは、予習で確認した構文ポイントが完全に反映され、
しかも少しずつ難しくなるよう、相当作り込まれています。
(センターレベルから始まり、最終的には京大阪大など最難関レベルの文章までを1回で)
私はこの方式を、某数学の参考書の編集者に教えてもらったのですが、
学校教育では、これを「スモールステップ」というようです。

演習中は机間指導というのでしょうか、一人ひとりの答案を見て回りながら、
「どこがもやもやしている?」と助け船を出したり、
「なんでここはこう訳した?」と議論したり、
「ここまで考えたら、もう次にいっていいよ」と切り上げさせたりします。

もちろん、できていれば、大きい◎をつけてあげます。
どんなポーカーフェイスの子でも、ほめられると嬉しいはずなので。

ラスト20分くらいで演習を打ち切って解説開始。

この時点で、生徒の答案はほぼすべて赤入れされています。

解説は、講師がひたすら話し続けるのではなく、
時間の許す限り、◎の子を当てて、
「なんでそういう解釈・訳に至ったのか」を説明してもらいます。

最初は人前でうまく説明できないような子も、同じ志望校の人たちの前で滔々と説明する快感を知ってしまうと、だんだんのってきます(笑)。

高三で延長入れて140分、夜9時半まで、休憩時間なしで解き倒し、考え続けます。
予習で問題を解いてきて、ぶっ通しで講師が説明していたら、絶対に集中が持たないような時間です。





そして・・・
なぜ私がこのような授業方法にたどりついたのかを思い起こすと、
そこにはほぼ必ず、ディスレクシアの生徒がいたことに、今さらながら気がつくのです。

ディスレクシアでなくても、デジタルネイティブの最近の子は、
1時間も退屈な講義を聞き続けることができません。
受身の講義だと、5分10分もするとぼ~っとしてきます。

彼らが退屈しないように。。。と考えていろいろ工夫しているうちに、
講義の時間はどんどん減り、演習の時間がどんどん多くなっていきました。

そして、ディスレクシアの子の多くは、ものすごくオーラが強いのです。
こちらが話すことによく反応してくれますし、退屈だと如実につまらなそうな顔をします。
ほとんどテレパシーかというくらい、反応を伝えてくる子もいます。

彼ら彼女らの反応に応えようとしているうちに、
演習を多く、講義は演習を反映したものに、対話を多くして・・・
というスタイルになっていきました。

全体に言っても理解できないらしい子でも、
1対1だと簡単に理解してくれることにも、この頃気がつきました。

教室で話すことを作り込みすぎず、
自分をできるだけ空っぽにして、でも精神を研ぎ澄ませて
生徒の答案や発言を前にして出てくる自分の反応を大事にしようと思い始めました。

ディスレクシアの子は反応が非常にストレートなので
分かっているのかと思いきや、
答案を見てみるとぐちゃぐちゃ。
全部ひらがなだったり。
創作力が豊かすぎたり。
スペリングミスが多発していたり・・・
そこで、生徒の答案はすべて演習中に添削するようになりました。


そんなこんなで、ディスレクシアの生徒に導かれるように、私の授業はどんどん反転に近づいていきました。


そして、さらに気がつくのは、
ディスレクシアの子に導かれるように変化して行った授業スタイルは、
ディスレクシアでない子にとっても、非常に学習効果の高い授業スタイルだった、
ということです。


長くなったので今日はここまで・・・



2 件のコメント:

  1. 読み書き障害の子たちは体験的に学習することが得意な場合が多いですよね!議論したり、想像力や小道具を使ったり、体を動かしたり、音声、音楽を利用したり。
    電子黒板やタブレット等の普及で、板書時間が減る、など、授業スタイルが大きく変わっていくといいですねー。(まだ遠いように思いますが)

    返信削除
    返信
    1. ほんとそう思います。うちのやつも板書がたいへん嫌なようです。

      私は匿名さんに言われた
      (学習障害アセスメントは)「子供の将来の姿を意識しています」
      という一言がぐるぐる回って離れません・・・!
      ものすごく生徒が違って見えますね。

      削除