ディスレクシア専用英語塾「もじこ塾」のブログです。 ●ディスレクシアとは:知能は普通だが、読み書きが苦手(読み間違いが多い、読むのが遅い、書き間違いが多い、読むと疲れやすい)という脳の特性 ●全体像の把握、物事の関係性・ストーリーの把握、空間把握、ifを考えるシミュレーション能力に長ける ●読み書きの困難は、日本語より英語に出やすい ●適切に対処すれば、読みの問題は表面上は克服される ●10人に1人程度いるというのが通説 ●家族性とされるが、ディスレクシアの表れ方は個人差が大きい もじこ塾は、ディスレクシアはこれからの社会に不可欠な才能、でも日々の学習では普通と違うアプローチが必要、という立場です。
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2015-05-19

村上春樹、LDを告白!

1月から4月末まで、村上春樹がメールで寄せられた読者からの質問に答える
「村上さんのところ」という期間限定サイトがありました。

その更新最終日に、村上春樹が
「自分も少しくらいLDの傾向があったかも」と言っています!




http://www.welluneednt.com/entry/2015/04/30/113300 
私はどうも勉強が苦手です。本を読んだり、講義を聴くことは好きなのですが(これらは知的好奇心を満たしてくれるのでむしろ積極的にします)、机にじっと座って勉強をするということがどうしてもできないのです。というか、学校で勉強の方法って習ったでしょうか?勉強の仕方ってなんなのでしょう。
何個も連なった問1、問2、問3……を眺めていると、くらくらしてきてつい遊んでしまいます。それで親には怒られます。[中略]勉強ってどうすればできるのでしょうか。(ほろほろ、女性、18歳、学生)
…世の中には「学習障害」というものがあります。英語で言うと、Learning Disabilities略してLDです。知的能力はまったく劣っていないんだけど、システマティックな勉学に向いていない。そういう能力が欠如あるいは不足している。そういう傾向のある人に「勉強しろ」ということは、ほとんど拷問に等しいことです。僕にも少しくらいそういう傾向があったかも。好きなことならいくらでもできるんだけど、いやなことにはぜんぜん関心が向かない。そういう傾向は今でもぜんぜん変わっていません。きみはどうなんだろう? 何か好きな勉強はありますか。


やっぱそうか~~~(o・∇・)o

私は前々から、村上春樹の長編を読んでいて
こういう立体的な構造の、通常の枠におさまらない物語が書けるのは
ひょっとしたらディスレクシアだからではないか?と思っていたのです。

ちなみに、『1Q84』ではディスレクシアの美少女が登場します。

1984年に、
「君が言っているのはつまり、いわゆるディスレクシアみたいなことなのかな?」
「ディスレクシア」とふかえりは反復した。「読字障害」「そういわれたことはある。ディス--」(『1Q84 Book 1』p178)
という会話が成立すると考えるのは、ちょっと難があると思うのですが、、


ともあれ、わたくしは
「村上さんはご自身をディスレクシアだと思いますか?」という
あまりにもストレートすぎる質問を、1月中に送らせて頂きました。



「そうだん」がひらがななのが
妙~にディスレクシア的な気が

やっぱりというか、私の質問は採用されなかったのですが、
質問を送ったときに返ってきた自動返信のメールが・・・





(o・∇・)o!!
なんという勢いのない字…!字形がとれてない…!(嬉)
この自動返信メールで、お返事は頂いたようなものです。
これを見て、私の中で村上春樹は勝手にディスレクシア認定されました。

推測ですが、
村上春樹は90年代、米国東海岸の大学に招聘された時に
ディスレクシアというものを知ったのでは…と思っています。
当時は日本ではディスレクシアはまったく知られていなかったはずですが、
アメリカの大学ではすでに研究対象になっていたので。

それにしても、この字と小説のギャップは、何ともディスレクシアです!

そう思ったのは私だけではないようで、こんな質問もありました:
http://www.welluneednt.com/entry/2015/02/19/174000 
村上さん初めまして。
唐突な質問なんですけど、このホームページ上で直筆だと思われる文字が見受けられますが、左手で書かれたのでしょうか? 
(ジョード、男性、40歳、会社員)
  
つたない右手でペンを持って、一生懸命書いています。そんなことを言われるととても傷つきます。にゃあ。
村上春樹拝

この字ですよね↓。左手で書いたのかと言いたくなりますよね。。

もんがまえ、「と」「ま」が特にディスレクシア的です

ここで『1Q84』から、ディスレクシアの字についての描写を:
「字は小さく、硬く角張って、どことなく不自然に見えた。貝殻を集めて、砂浜に書かれた字を、上空から眺めているみたいな感じがあった」(同p471)
この比喩、じわじわ来ます・・・。

~ ~ ~

他にもいくつか、「村上さんのところ」から、
特にディスレクシア的だなと感じた回答を貼っておきます。

実は、2月頃の回答では、
ADHDの質問者に対し、割と普通の(?)答えをしていました:
http://www.welluneednt.com/entry/2015/02/09/073500
はじめまして。理性がつきはじめた頃から、他者と比べて思考が幼いと気付いていました。そして17歳になり、診断された結果、ADHDだとわかりました。ネットでは、私達ADHDはゴミクズだと、生きている価値がないと綴られていることが多々あります。そのネットでの価値観はまったくもって正しいと私は思います。先生ならば、どう思われるのでしょうか……? (ひなた、女性、17歳、無職) 
 すごく平凡な答えになって申し訳ないのですが、時間をかけてその障害(みたいなもの)とつきあっていくしかないと思います。まわりの協力も必要だし、あなた自身の努力も必要だけど、それはじゅうぶん可能だし、やってみる価値はあると思います。もちろん専門医師の指導も大事です。ネットで何が言われているか知りませんが、そんなことは気にしない方がいいと思いますよ。それはあなた自身の大事な問題なんだから。そしてそれを乗り越えられたとき、あなたは普通の(障害みたいなものを持たない)人よりずっと強い、大きな人間になれていると思います。「文豪」と呼ばれている小説家の中にも、実はさまざまな種類の精神的な重荷を抱えた人がけっこうたくさんいます。あなたの健闘を祈ります。


これは、「ディスレクシア」という言葉が出てきた唯一の回答。
http://www.welluneednt.com/entry/2015/03/23/113100 
小学校の先生として、一人でも多く本好きの子供を育てたいという気持ちはとてもよくわかります。本を好きになるというのは素晴らしいことです。ただ世の中にはディスレクシア(識字障害・読字障害)を抱えている人も少なくないし、そういう人たちに強制的に本を読ませるのは、たぶん拷問に等しいことだろうと思います。やはり読書というのは、自発的におこなわれるべき行為ではないでしょうか。ある程度読書を勧めて、でもどうしても本が好きになれないという子供たちには、好きなことをさせておく方が良いと思いますよ。繰り返し言っていることですが、人口全体の5パーセントが本当の本好きであれば、世の中はなんとかなっていくものです。

次は、「昔、何かのエッセイで、「挨拶という字が書けない。練習しなくちゃ」と書かれていたことがあったと思いますが、書けるようになりましたか。」という質問への答え。
ディスレクシア的と言われればそんな気もしますが、書けない人は多いかも…
http://www.welluneednt.com/entry/2015/04/24/113700 
実は「挨拶」、まだ書けません。練習を怠けていました。パソコンで文章を書いていると、書けない漢字って、ぜんぜん書けるようにならないですね。というか、書けた漢字まで書けなくなってくるみたいです。どこかで練習しないと。

おつぎは読書感想文の書き方について。
ディスレクシアの特質である
「一見無関係なものの間に関連性を見つける能力」
を地で行く回答。そして同じ指摘が先日コメント欄でもありました→★
http://www.welluneednt.com/entry/2015/04/24/073100 
よくぞ訊いてくれました。僕は昔から読書感想文を書くのが得意でした。読書感想文を書くコツは、途中でほとんど関係ない話(でもどこかでちょっと本の内容と繋がっている話)を入れることです。それについてあれこれ好きなことを書く。そして最初と最後で、本についてちょろちょろっと具体的に触れる。そうするとなかなか面白い感想文がすらすら書けます。やってみてください。
 僕は高校時代、他の人のかわりに課題の読書感想文を書いてあげて、お礼に昼ご飯をおごってもらっていました。昔から今と同じようなことをしていたんですね。

最後に、当ブログでも一時盛り上がった、ディスレクシアと夢、異界について。
このあたりのことは、非ディスレクシアな私には謎の世界です・・・
「同じ妄想を私もします!」というディスレクシアの人が現れないかな~、
などと思って貼ってみます。
http://www.welluneednt.com/entry/2015/04/09/173000 
物語と空想は似ていますが、ちょっと違います。物語はもともと自分の中にあるものです。それは深いところに鉱脈のようにあります。それが地上にたまたまでてくるのが空想になるのかもしれません。つまり、ごく簡単に言ってしまえば、空想は物語の尻尾のようなものです。子供の頃は物語と空想がかなり近接したところにありますが、大人になってくると、そのふたつはだんだん分離していきます。 小説に即していえば、空想を書いていただけでは小説になりません。自分の中にある物語を深いところから掘り起こして来なくてはなりません。ゼペットじいさんが木の塊の中からピノキオを見つけ出すみたいに。つまりゼペットじいさんはピノキオを作ったのではなく、見つけ出したのです。だからこそピノキオは生命を持つことができたのです。 
http://www.welluneednt.com/entry/2015/03/09/11300 
僕が小説を書くときに訪れる場所は、僕自身の内部に存在している場所です。それをとりあえず「異界」と呼ぶこともあります。それは現実に僕が生きているこの地表の世界とは、また別な世界です。普通の人は夢を見るときに、しばしばそこを訪れます。僕は――というか物語を語るものはと言ってもいいのでしょうが――そこを目覚めた意識のまま訪れます。そしてその世界について描写します。だからそれは外部にある「異界」ではありません。あくまで内的な「異界」です。異界という言い方が誤解を招くなら、率直に「深層意識」と言ってもいいかもしれません(ちょっとだけ違うんですが)。どうすればそこにアクセスできるか? 僕にはわかりません。瞑想の訓練みたいなものである程度可能になるかもしれませんが、妙な思想が絡んでくると危険なこともありますので、くれぐれも気をつけてくださいね。マジックにはホワイト・マジックとブラック・マジックがあります。違いに留意してください。 
http://www.welluneednt.com/entry/2015/02/15/203600 
夢の続きを見るというのは不思議な体験ですね。たぶんあなたは夢とのコミットメントが深い方なのでしょう。僕はあまり夢を見ることはありませんし、見たとしても大方の場合、本当に断片的なことしか記憶していません。ただ小説を書くというのは、夢を記述する行為に似ていると思います。違いは、小説家は眠っているときにではなく、目覚めているときに、意図的に夢を見るということと、その続きをいつでも自由に見られるということです。けっこう楽しいですよ。  
http://www.welluneednt.com/entry/2015/02/14/113100 
妄想、しょっちゅうしているかも(笑)。というか、妄想することが僕の仕事の一部です。妄想というのは、頭の中で自分を仮説に巻き込んでいくことです。つまり「自分がこうあるかもしれない姿」をどんどん追求していく。そしてその追求はどんどんあらぬ方向に突き進んでいってしまいます。僕は言うなれば、そういう知的探求(知的なんだろうな?)を仕事にしています。そしてそれは君の勉強を妨げている。困りましたね。僕としては「勉強なんてまあいいじゃない。ここはしっかり妄想しようよ」と言いたいところなんだけど、まあそうもいかないし。今のところはがんばって勉強してください。 

2014-09-17

ハイパーレクシアでADHDな私が本当に「読める」ようになるまで

子がディスレクシアだと気付いたのとほぼ同時に知ったのが、
私のような人を「ハイパーレクシア」と言うらしい、ということでした。

ハイパーレクシアはディスレクシアとは逆に、非常に幼い頃から字が読めることを言います。
子のディスレクシアをめぐる旅は、私のハイパーレクシアからの立ち直りの旅を総括することでもありました。
そうです、結論から言うと、ハイパーレクシアを「克服」したからこそ、私は本当の意味で読めるようになったのです(!)

以下、5~6行ほど"自慢"にお付き合い下さい。

私は幼稚園の年少(2年保育)に入る時点で、漢字交じりの日記を書いていました。
その後、年長でブルガリアに渡り、そこでは半年で年齢相応の英語を身に付けただけでなく、誰にも教わらずにキリル文字(ロシアの文字)も読めるようになりました。帰国後、小5で英検2級を取得。
こんな調子なので、小学校ではもちろん神童扱いでした(笑)。

以上で自慢終わり。

しかし、小学校では落ち着きのない言動(←ADHD)のせいもあって孤立。
さらには中学、高校と進むにつれ、唯一のプライドの源だった読み能力についても、周囲がどんどん追いついてくるのが分かりました。
読み能力というのは、一生、他人より秀でているものではなく、やがて追いつかれるものです。このあたりがスポーツや音楽、芸術に秀でた場合と違う点です。
親や教師や友人から向けられる「もじこって、もっと賢いと思ってた」という目は、年々自己否定を深めていくのに十分でした。
大学は英語力の最後の貯金で入ってしまいましたが、入学後は「周りの人のほうが読めてる、なぜだ…」と焦りを感じることがさらに増えました。
でも、誰にも相談できません、というか、何が起きているのか全然分かりませんでした。

今なら分かります。当時の私は、読んでいたのではなく、文字を解読していたに過ぎなかったのだと。
読む内容が年齢とともに深くなるにつれ、また、勉強が読む以外のことも含むようになるにつれ、解読だけでは足りなくなってきたのです。

一方で、当時の「字を読みたい」という気持ちは強迫的なものでした。
何か活字がないと電車に乗れない(退屈で死にそうだから←このあたりはADHDっぽい)ので、かばんの中にはいつも本がどっさり入ってました。うっかり忘れると、活字を調達するまで電車に乗れません。
読むものがないと、薬の説明書きの紙や、お菓子の箱に書いてある原料名の小さな字を必死になって読んでました(笑)

とにかく乱読していましたが、実は、当時読んだもののことを、ほとんど覚えていないのです。
あんなに強迫的に読んでいたのに・・・



そんなこんなで、いろいろあって徹底的に行き詰まったのが26歳の時。
どん底の中で転身を決意して翻訳者になったのですが、その頃、大きな変化が2つありました。

1つは、英語の構文をようやく理解したことです。25歳になっていました。

もう一つは、これがいつ起きたのかが定かではないのですが、読み方が根底から変化したことです。
読むのがだいぶ遅くなる一方、読んだ内容をすべて映像化するようになりました。
これができるようになってはじめて、私は職業翻訳者になることができました(小学校前半の帰国英語のおかげでは断じてありません)。

いま、私にとって「翻訳する」とは、「英文を映像化して、それを日本語で説明していく」という作業のことです。この映像は、他人に言うとびっくりされるくらい、細かく見えています。
映像がしっかり見えることが私にはすごく大事で、それができない文章は、仕事でも趣味の読書でもまともに読めません。実はほとんどの翻訳物は映像が見えないので、人の訳したものはあまり読みません(笑)。

20代半ば、ようやく私は「解読する」ことから「読む」ことへと転換できたようです。



☆  ☆  ☆

この「映像化する」という読み方が、実はディスレクシアの読み方と同じらしいと知ったのは、「ディスレクシアのインスピレーション」という文章を訳している時でした。
この出典の本によると、ディスレクシアは映像思考型人間、文章を頭の中で映像化して理解しているのだそうです。

ディスレクシアとハイパーレクシアは、案外近いところにあると、以来思っています。

子供びいきの負け惜しみではないと思うのですが、
ハイパーレクシアとディスレクシア、どちらか選べるとしたら、ディスレクシアのほうがいいと思います。
「むかし神童、いま凡人」は、等身大の自分にたどりつくまでがけっこう大変ですが、ディスレクシアは凡人以下からのスタート。つらいですが、人として器が大きくなれる気がします。

それと、早熟よりも遅咲きのほうが、年齢を重ねることに希望が持てます。
もちろん、どんな花もその花ならではの見頃があるとはいえ。
高校・大学の頃の私は、年を取ることが恐怖でした。「この調子で年々落ちこぼれていったら老後は絶望的だな・・・」と。

今は発達の凹凸が年齢とともに変化することが分かったので、年を取るのが非常に楽しみです(笑)ちなみに、文字の解読は今も大好きで、未知の外国語を見ると字を解読したくなります。
年取って暇なら、アラビア語あたりを勉強してみたいと真剣に思ってます(笑)とはいえ、当面の興味は自分のことよりも、字が読めない・書けない人たちに傾いてますが。

現代日本では「文字が読める能力」が過大評価されているので、それが変なプライドになってしまうと、鼻持ちならない奴になりかねません。そうすると人生が全然楽しくない(笑)
それくらい、ディスレクシアを通して見える人生や社会は、面白いんですよね…

☆  ☆  ☆

などということを、中島敦「文字禍」を読んで考えました。
教えて下さったH先輩!ありがとうございます!

漢学者の家に生まれた中島敦が、なぜ字が読めることによって失われるもののことをこんなにも印象的に描き出せるか、不思議です。

私が読めるようになった過程は、空の青さがわかるようになった過程だと思いたいです。



2014-09-15

黒柳徹子の直筆/「私ってLDだったの?」より

昨夜、テレビで黒柳徹子の特集をなんとなく見ていたら、突然直筆が出てきたので、あわてて画面を撮影しました。

黒柳徹子は「自分はLDだ」と本のなかで言っています。

昨日の番組ではLDとか発達障害という言葉は一切出ず。
ただ、「収録の準備の仕方もユニーク」と言っていました。
そこで出てきた直筆がこちらです・・・



読めない字を書くのはLDだからか、年を取って手がいまいち動かないからか、
崩した字を書く世代だからか、もはやよく分かりません(笑)
収録の際も、局が用意した台本をそのまま使うことはなく、
小さなスケッチブックにポイントをすべて手書きする、とのこと。
たぶん、もらった台本では頭に入らないのでしょう。



LD的視点からは、次の点が印象に残りました:

・「昔のことを非常に細かいところまで覚えている」と野際陽子の証言
(→長期記憶が優れている)
・情景が目に浮かぶような、生き生きとした語り口。
・「わたくしは好奇心が旺盛。それが年を取っても元気な秘訣」

昨日の黒柳徹子は、さすがに年を取って滑舌がちょっと悪くなったかな…という印象は否めませんでしたが、好奇心はまったく衰えていないようです。
個人的には、その点が一番LDっぽいと思いました。
私の知るLDな老人も、このまったく衰えない好奇心によって、通常の高齢者との知識量、発想の若々しさ、頭の回転の速さ、ひいては交友の広さ、行動力、運動量の差は開くばかりです。




そういえばと、昔、ディスレクシアについて知ったばかりの頃に読んだ
『小さいときから考えてきたこと』を開いてみました。

これによれば、黒柳さん本人は自分のことをADHDと思っているようです。
残念ながら(?!)ディスレクシアではないようで。。


この中の「私ってLDだったの?」という文章は、何度読んでも泣けます…
以下に一部を引用します。
これを読んでぐっと来た方は、ぜひこのエッセイの全文を読んでほしいです!
黒柳さんの大きな愛と切なさに、心が洗われます(T T)


…私がテレビを見て涙したのは、テレビに映っているLDといわれている子どもたちが、小さかったころの私のように見えたことだった。どんなに落ち着きがなく走り回って先生に注意されても、職員室が大好きで、どんどん中に入っていって、先生の机のところで一人で勉強している子供も、いた。私もそうだった。テレビで紹介された学校では、もう、そうなったら一対一で、そこで教えるのだと言っていた。そうすると子供も落ち着いてきて、集中して勉強するという。 
わたしが涙を流したもう一つの理由は、結局、小林校長先生は、LDなんてことを知らなかったのに、LDだったかもしれない私に完璧に適した教育をして下さったことがハッキリしたからだった。まず、私のクラスは九人だった。席は決まっていなくて、好きなところに座ってよかった。そして、朝学校に行くと、1日にある時間割の全部科目の問題が黒板に書いてあって、好きなのからやってよかった。だから、結果的には自習であり、分からなくなると先生のところに行って聞くので、だいたい先生と一対一で勉強することになった。先生にとっても、一人一人の生徒が、どんなことに興味を持っているのかとか、どんなことが苦手だとか、子供の性格についても細かく知ることができたに違いない。ポリオとか、障害をもっている子が何人もいたけれど、校長先生はいつも、「手を貸してあげなさい」とか「助けてあげなさい」とはおっしゃらなくて「一緒だよ、みんな一緒にやるんだよ」としか言わなかった。 
だから私たちは何でも一緒にやったから、当然いじめなんか、なかった。そして校長先生は、あとで分かったことだけど、どの子にも自信をつけるような言葉をかけていた。私には一日に何度も「君は本当はいい子なんだよ」と言い続けてくださった。私はいい子なんだと思っていたけど、大人になって思い出したら、「本当は」というのがついていたことに気がついた。でも、先生の言葉は私の一生を決定してくれたくらい、私にはありがたい言葉だった。私はこの言葉で、勝手にいい子だと思い、先生を信頼し自信をもって大人になれた。 
こういう、いつも校長先生に守られている、と安心できる学校。おもしろいことを、私たちより先に校長先生が考えついて楽しませてくれた学校。どんなに走り回っても、「もっとやっていいよ」と言ってくれた学校。自分たちの登る自分用の木があった学校。話下手な子も何とか少しずつ話ができるようになったお弁当の後のお話タイムがあった学校。講堂の床が大きな黒板で私たちはどんな大きな絵でも白墨で床に寝そべってかいてよかった学校。その子の持っている個性をできるだけ早く見つけて周りの大人や環境で、その芽が摘まれないように大切に育てようという校長先生の教育は、そのままLDを持った子供にも当てはまるのではないかと、テレビを見ていて私は大きな衝撃を受けた。 
『窓ぎわのトットちゃん』の本が、今LDを子供を持つお母さんたちに読まれています、とか、私に小学校の時の話をしてください、という方々は、すでにそのことを発見していたのだろうということが分かった。…
(「私ってLDだったの?」『小さいときから考えてきたこと (新潮文庫) 』所収、p124-126)


2014-05-15

夏目漱石の誤字はディスレクシアのせいだと仮定すると、説明できることがたくさんある

「見えない文字と見える文字~文字のかたちを考える」(佐藤栄作、2013)

に「漱石は誤字ばかり書いたのか」という章があったので、
さっそく読んでみました。

なんと!!
漱石はどうやらディスレクシアなんですね!!
上の著者はディスレクシアというものをたぶんご存じないですが、
漱石がディスレクシアだと、はからずも示しています!

夏目漱石が近代日本文学研究最大のテーマだと重々承知の上で、
あまたある漱石研究にもあえて目を通さずに、以下書いてみます。

----------------------

1. 「漱石は誤字ばかり書いたのか」から、漱石ディスレクシア説を立てる

2. 漱石の誤字はどのように説明されてきたか

3. ディスレクシアと創造性
4. 『坊っちゃん』の直筆原稿
5. 「漱石ディスレクシア説」の裏付け4点
-------------------

1. 「漱石は誤字ばかり書いたのか」から、

漱石ディスレクシア説を立てる

著者はまず漱石の誤字を挙げ、これらは現代では0点になると言います。




そして、これらが本当に「うっかりミス」「覚え間違い」かを検証していきます。
これらは誤字ではない、というのが著者の立場です。

その証拠として、著者はまず、当時これらは「異体字」だったと言います。
いくつかは、1716年に清で編纂された『康煕字典』に近い例があると言います。
ただ、当てはまらないものも、かなりあることを認めます。

その上で、漱石の誤形字を
「古くからしっかりした文献に書かれた字体であり、康煕字典体と異なるものの、日本において標準的な字体だったと言えるもの」つまり異体字、
「標準的とは言えないものの…漱石のみならずかなりの人々が書いていたと思われるもの」いわゆる俗字体、
そして、「文献資料に例が見つけられないため、どのくらいの人が書いていたか不明のもの(これはウソ字と言わざるを得ない)」としたうえで、
さらに時代をさかのぼった場合、「達」には辶に幸の異体字があるなど、「ウソ字」も漢字のバリエーションとして説明できる、と言います。


・・・いえいえ、お言葉を返すようですが、
漱石はディスレクシアであり、漢字を読むのはまだしも、書くのは相当つらかった、
上の字はやっぱり誤字なんだと、考えてみたらどうでしょう?
いろんなことのつじつまが合うように思います。

上の字は、どれをとってもディスレクシア的な間違い方です。
うちの子も、すでに習った「類」「達」「祝」については、
上とまったく同じように書いたことがあります。

☆  ☆  ☆

続いて著者は、
一字に複数の字体が存在し得ることが、漢字の本来の特徴であり、
明治時代の『康煕字典』と戦後の当用漢字表・常用漢字表によって、
日本では異体字の存在が次第に認められなくなっていった、
「漢字は漢字らしさを、この200年で失っていった」と指摘します。


・・・これはなるほどです。

つまり、近世の日本(もしかしたら清でも)では、
ディスレクシアの人が、異体字という名のもとに、
誤字がけっこう混じった文章を書いていた可能性がある
ということですよね。
行書体なら、漢字の細部までは問われなかったでしょうし、
筆のほうがディスレクシアにとっては書きやすかったようです(後述)。

漢字は歴史上ずっと、ディスレクシアに辛い文字体系だったのではなく、
昔は異体字や俗字体を幅広く許容した、ディスレクシア・フレンドリーなものだったのですね。
(実は、異体字や俗字体の一部は、当時のディスレクシアの人による、典型的な書き間違いだったかもしれません?!)

現代は、字の異常なほどの正確さが(主に試験で)要求される点で、
日本の書字の歴史において例外的な時代だと、改めて分かります。


☆  ☆  ☆

最後に著者は、漱石が自分の名前をも「誤形字」で書いていたと指摘し、
「自分の名は間違えません」、だからこれは通用字のはずと言いますが・・・

いやいや!自分の名前だって書き間違うのがディスレクシアです。
うちの子は(どの漢字か紹介できないのがほんとに残念ですが)
テストなどでは自分の名前をちょこちょこ間違えます。
線が一本足りなかったり、ハライの方向が逆だったり。



2. 漱石の誤字はどのように説明されてきたか

漱石に誤字が多いことは、専門家の間では知られている事実のようです。

漱石を神格化するあまりか、誤字を誤字と認めない説が多いのにびっくりします。

例えば、 借金は「帰」さない?漱石の誤字に隠れた意図という記事では、
『坊っちゃん』の中には借金を<帰す>と<返す>と2種類の表記があるが、
そこには漱石の綿密な使い分けがあると言います。

ええ~そうかな?!
うちの子が「借金を帰す」と書いたら
(いかにもディスレクシア的な間違い方なので書きそうですが)
「綿密な使い分け」とは決して言ってもらえないでしょう。

「文豪たるもの、一つ一つの語彙の選択に、入念な意図があるはず」
という思いがあって、
だから誤字を誤字とはしないで、そこから深遠な意味を読み取ろうとするのでしょうが…

でも、字と語彙は同じではないとしたら、どうでしょう?

作家たるもの、もちろん一つ一つの語彙の選択には、必ずや入念な意図があるでしょう。
でも、字は語彙を可視化したものに過ぎません。
どの語を使うかに入念な意図があっても、必ずしもそれが、一般的に通用する字と一対一対応しているとは限りません。
少なくともディスレクシアにおいては。

「文字を超えたところに、本当の言葉がある」
ということが、特に顕著に表れるのが、ディスレクシアです。


☆  ☆  ☆


漱石の字を、さらに神格化している例もあります。
引用の引用で申し訳ありませんが:

石川九楊は、こう書く。
<夏目漱石の書簡、条幅、いずれも文字は見事にすっきりと垂直に並んでいる。行の中心線に無関心ではいられなかったからだろう。
私見によれば、天空に向けてまっすぐに伸びる中心線は神への階梯、神(「価値」)に生きる象徴である。>
夏目房之介「読めなかった祖父の直筆原稿」より
(『直筆で読む「坊っちゃん」』(集英社新書ヴィジュアル版、p383) )
苦笑。。
ここから浮かび上がってくるのは、
「きちんとした思索は、きちんとした文字によって書かれる」
逆に言うと
「字がだらしない人は、思考もだらしない」
「誤字や悪筆は、考えがいいかげんな証拠」
という社会通念です。

文豪が悪筆だということが、ど~~しても認められないんですね・・・・

悪筆で誤字だらけでも文章が素晴らしいということは、十分にあり得るのですが。

漱石の直筆には誤字がたくさんあるけれど、
そのことは、彼の作品が名作であることをいささかも損なうものではありません。



3. ディスレクシアと創造性

ディスレクシア(読字障害)とは、知能は普通ですが、文字⇔音の認知処理が普通より遅い認知特性です。
書くほうについては、誤字が多くて悪筆or誤字はないが書くのが異常に遅いという表れ方をします。
読みの困難は、知能が高いと、文脈から字を推測する力が発達するため、表面化しないことがあります。
言語の特性上、日本語よりも英語に多く表れます。

・・・以上が"障害"に焦点を当てたディスレクシアの説明ですが、
当ブログでは、
「ディスレクシアとは、字を読み書きするのが苦手な一方、
独創的な視点の持ち主である」
という立場を取っています。

アメリカでディスレクシアと独創性の関係についての研究を進めているEide博士夫妻によると、
ディスレクシアには空間把握力にに加え、一見つながりのない物事同士の関係を見出す力、物語を語る力、将来をシミュレーションする力が特に高いと言います。
そして、後者2つの才能は、特に文章の創作(作家、脚本家など)に生かされると言います。
→こちら(「ディスレクシアであることの利点」)

欧米では、ディスレクシアの作家として、アガサ・クリスティー、スコット・フィッツェラルド、ジョン・アーヴィングなどが知られています。
参考:こちら(英語です)

つまり、漱石がディスレクシアであっても不自然な点はなく、
それどころか、
「ディスレクシアだからこそ、時代の先を行く作品を生み出すことができた」
とさえ言えるのかもしれないのです。


☆  ☆  ☆


「漱石は漢籍に詳しかったのだから、ディスレクシアのはずがない」
という反論があると思います。
これに対しては、漱石は知能の高いディスレクシア(隠れディスレクシア)だったと考えられます。
これだと、読みには一見問題がなくても、正しい字をすばやく書くことに困難を伴います。

「漱石は書を書いている」という反論もあると思います。
これに対しては、
「ディスレクシアの場合、筆で書けば絵の感覚で書けるが、鉛筆だと誤字が頻発する」
という指摘が、当ブログに寄せられています。
また、ディスレクシアだと、体を使って大きな字を書くと比較的書けますが、
小さな字を書くのは苦手です。
こうした、字の大きさや筆記用具による誤字率の差は、考慮に値します。




4. 『坊っちゃん』の直筆原稿

ではここで、『直筆で読む「坊っちゃん」』から、漱石の直筆を紹介します。






「漱」が口へんになってます!

なんと勢いのない字!(→けなしてません)

「神への階梯」とかは、悪いけどまったくの見当違いでしょう。


上で挙げられていた誤字の多くは、この冒頭ページに登場します。
1文目の「損」、4行目「段」、
5行目「冗」(どうみても「空」と混同。とてもディスレクシア的)、
最後の行の「答」など。

ひらがなは異体字が多いですが、誤字はありません。
(例えば3行目は「腰を抜かしたことがある。なぜそんな無闇をしたと聞く」です。)

個人的には、もんがまえの線がぷるぷるしているあたりに、ディスレクシアを感じます。




2行目「赤シやツ」、3行目「専問」の明らかな誤字があるほか、
1行目「命」、5行目「遠慮」の慮、12行目「露西亜」の露などもかなり微妙です。



すべてのページに誤字があると言っても、過言ではありません。

ちなみに漱石は『坊っちゃん』150枚を、10日ほどで一気に書いたそうです。



7行目「氣が済まない」の「氣」のくずし方(乙がない)、
8行目は「袴」もですが、「大きな玄関に突つ立つて」の「関」のもんがまえのくずし方は、とてもディスレクシア的です。
うちの家庭教師君(弱いディスレクシア)もこういうくずし方をします。
「字を思い出すスピードが思考のスピードに追いつかなくて、ついそうしてしまう」のだそうです。



5. 「漱石ディスレクシア説」の裏付け4点


今回、高校以来始めて『坊っちゃん』を再読しました。
こんなに"面白い"文章だったとは!
字面だけ追うと、単にどたばたした話なんですが、
坊っちゃんの眼球を自分の眼球に入れたつもりで小説の世界を眺めると、
坊っちゃんが見えているものだけでなく、坊っちゃんが見えていないものまで見えるんですね。
「日本語を使ってここまで表現できるなんて!」と今でも思わせ、
明治時代にあっては本当に別格な小説だったろうと思いました。


漱石がディスレクシア的だなと感じる点を、4点挙げてみます。

1. 絵がうまい

『新潮日本文学アルバム 夏目漱石』より、漱石の絵手紙

絵が上手なのは、ディスレクシアによくみられる特徴のひとつです。


2. 中学を「英語が嫌い」で退学している

小学校では学業優秀で飛び級までしているのに、
府立一中(現在の日比谷高校)を「英語嫌い」で退学しています。

現代でも、日本語だけを勉強しているときはわからなかったのに、
中学で英語の学習が始まったときにディスレクシアが発覚することはよくありますが、それを彷彿とさせます。



3. 「漱石」という名前

そもそも、「漱石」と自分を名付けるあたりに、
自分の認知特性を理解していたと感じるのは、うがちすぎでしょうか?

「漱石」とは、中国の故事に由来します。
  • 晋の孫子荊(孫楚)がまだ若かった頃、厭世し隠遁生活を送りたいと思い、友人である王武子(王済)に、「山奥で、石を枕に、清流で口を漱ぐという生活を送りたい」(枕石漱流)というところを間違えて、「石で口を漱ぎ、流れを枕にしよう」(漱石枕流)といってしまった。王武子が「流れを枕に?石で口を漱ぐ?できるものか。」と揶揄した。すると孫子荊は負けじと「流れを枕にするのは俗世間の賤しい話で穢れた耳を洗いたいからだ。石で口を漱ぐのは俗世間の賤しいものを食した歯を磨きたいからだ。」といい返した。→こちら

ここから「漱石」とは「負け惜しみが強い、変わり者」を意味するそうですが、
もしかしたら「自分は漢字を入れ換えてしまうことが多い」(→ディスレクシアの特徴のひとつ)という自覚があって、それでペンネームにしたとは考えられないでしょうか?
あるいは、「漱石」は子規の数あるペンネームからもらったそうですが、
子規が漱石の誤字の多さに気づいていて、「漱石」の名前を与えたのかもしれません・・・


4. 『坊っちゃん』とからめて

『坊っちゃん』の内容には深入りしませんが、1点だけ・・・

もしも、漱石の「誤字」に、文字の歴史的変化に基づく深い意図があるとした場合、
文字の歴史に関する知識がない人、つまり教養のない人は、
『坊っちゃん』を深くは理解できないことになります。
でも「坊っちゃん」を貫くメッセージは、そんな教養主義とは正反対のはず。
ここからも、漱石の字は"通時態"に照らして理解すべきものではなく、
漱石は誤字を書く作家、つまりディスレクシアだったのだろうと思います。


日本を代表する作家には、ほかにもディスレクシアの人がいる気がします。
これについてはまたの機会に。





2013-11-30

ポールマッカートニーが楽譜が読めないのは(きっと)ディスレクシアだから

と考えていろいろ検証しています。




ポール・マッカートニー公演から10日もたちますが、
いまだに衝撃から立ち直れません。。

当日見たポールは化け物でした。年齢を完全に超越していました。

ポール帰国後は、昔の曲を聞き返しては、
「こんなにすごい曲を作ってたんだ」と、うなる日々が続いています。
今さらポール再発見。衝撃が強すぎます。



ポールが「楽譜が読めない」と言っていたインタビューはこちら↓



4:40ごろ
小倉 
ピアノを弾いたりする時とかも、一切楽譜を自分の前に置いてないですが、
自分がお作りになった曲は、全部自分の頭の中に入っていますか。
ポール
We don't have scores. I couldn't read it anyway. 
(楽譜はないよ。どのみち読めないし)

5:50
ポール
パンパンパパンパン♪・・・you had to remember that. Because if you couldn't remember that ...(出て行けというジェスチャー(笑))"sorry mate, you're out"
(こういう節を覚えないといけなかった。覚えられないやつはクビだよ)


↑話す様子からして、とってもディスレクシア的です!

楽譜が読めない「のに」音楽が書けたのではなく、
楽譜を超越した所に音楽がある、ということなのでしょう・・・。


☆  ☆  ☆


東京ドームでは、泣いている人があっちこっちにいました(自分も含めて)。
The Long and Winding RoadとかSomethingって、こんなにも感動的な歌だったっけ?というくらい涙がどばっと(泣き笑い)。

ものすごい音量と歓声の中、ポールの歌を生で聞いていると、
昔のことがわ~~っと、リアルによみがえってくるのです。
いろんなことがあったけど、それでも人生幸せだったよね・・・と。

これこそが、ディスレクシア文学最大の特徴だと、私は思います。
心の深いところにストレートに入ってきて、直接揺さぶるこの感覚こそが。


あと、生で見て気づきましたが、ポールは天然です!
天然だと分かってから映像を見ると、映像でも天然なのが分かります。

ポールは個人資産1700億円、サーの称号も授かり、
あらゆる金・地位・名誉を手にした人なのに、
スターぶったところがひとかけらもなく、
その発言はとってもお茶目でキュートです。
しかも、youtubeで最近の欧米でのライブ等々のしゃべりを見ると、
欧米では輪をかけてほんわかしているのです。実に天然。

聴衆は感動に打ちひしがれているのに、歌っている本人は意に介していません。
どちらかというと、歌って弾いて楽しいね~!という感じです。

まったく偉ぶらず、楽しいことだけ徹底的に追求する天然ぶりというのは、
年を取ったディスレクシアに、実に典型的だと思います。



☆  ☆  ☆


ポールは、昔から人として感動的だったかというと、そうではなかったと思うのです。
多作だしすごい人だけど、とらえどころがない感じだったと記憶しています。
天才の称号は、むしろジョン・レノン担当だったような。

何しろポールは、30年前の来日では、大麻所持で逮捕されているのですから。。





☆  ☆  ☆


ここからは、私の仮説です。

ディスレクシアの人は、70歳を過ぎてからが、真の人生のスタートである。
ディスレクシアは遅咲きだとは言いますが、
70歳を過ぎてようやく、心身のバランスがとれるのかもしれません。

70歳を超えてなお、持ち前の独創性はいよいよ旺盛だし、
もともと物心ついてこの方、読むのは苦手だし、ある種の記憶が悪いしで、
加齢でちょっとくらい目や記憶力が悪くなったとしても、
対処の仕方はとっくに身についています(笑)
こうして、ディスレクシアの人は、
「70歳の人はこんな感じだろう」という通念を、完全に超越した人になっていくのです。



ポール・マッカートニーは過去半世紀にわたっても十分に超絶ですが、
70歳を超えて、新たな次元に入った。
それは彼のディスレクシア性がなせる技である・・・

と信じているのですが、ディスレクシア推しすぎですかね?!


関連記事
2013-11-12   ポール・マッカートニー「僕は楽譜が読めない」


追記
ポールのおちゃめで天然な雰囲気が最高に出ているPV「Press」(1986)
ロンドンの地下鉄に乗って一般人と交流してます。。









2013-11-12

ポール・マッカートニー「僕は楽譜が読めない」

祝・ポールマッカートニー来日!
実はわたくし、父(→ディスレクシア)がビートルズの武道館コンサートに行っているようなビートルズマニアの家に育ちました(笑)
I am the Walrusの歌詞に由来すると言われる名前をもらい、
10代の頃はポールマッカートニーの歌で英語を覚えました。
東京公演も父と行ってきます!

そんなポールマッカートニーが来日後のインタビューで、
「自分は楽譜が読めない」と言っていたそうです。
(追記:動画を見つけました。こちらの記事に置いておきます)

ポールマッカートニーはディスレクシアかも?と考えて検証してみました。
個人的には、ポールマッカートニーはディスレクシアで間違いないと思ってますが!

☆   ☆   ☆

ポールは楽譜が読めない件については、ずいぶん前から認めています。




ナレーション
1965年には5万5000人を前にアリーナで演奏するロックコンサートを発明したレノン=マッカートニー。彼らは独学であり、誰からも教わらない、天賦の才を持っていたのです。

ポール   …歌うってどういうことか概念としては何も持ってなくて、
       ただ単に歌うことが大好きだった。これまた平凡な答えで(笑)。
       医学的根拠を言えたらいいのだけど…
司会者   (笑いながらさえぎって)
       じゃあ…ビージーズのファルセットはできますか。
ポール   Yaa~♪(ファルセットで歌って)いいえ。
司会者  それに、譜面が読めないんですって?
ポール  ええ(I don't know)。何か問題でも?
司会者  でも驚きですよ。
ポール  みんなの前でこんな告白をしなきゃいけないなんて(笑)…
司会者  史上最も成功したソングライターなのに、楽譜が読めない…
ポール  だって、二人の間では問題なかった、
            ジョンと僕で何をしているか把握している限りは…
      つまり、コードが分かっている限りは。
      二人でメロディを覚えていた。
      だから楽譜を読む必要も、書きとめておく必要も無かった。


と言っています。

同じことが、Paul McCartney: Many Years from Now(p37)にも書いてあります。

「歌詞は書いておき、必要があればコードは書き留めておいたけど、それもあまり構いはしなかった。ただ実際的な目的から、非常に早い時期に二人の間で確立したルールがあった。それは、次の日になったら忘れてしまうような歌は大したことがないということ。作った自分たちが覚えていられなかったら、一般の人たちが覚えていられるはずがないと。
このルールにはこだわった。何年もたって、フィリップスのカセットレコーダーが登場するまではずっと…あれは曲作りに革命を起こした、だって吹き込めばいいだけだから。悪い曲も残ってしまう。
最初のルールが良かったのは、記憶に残るものを書かなければならなかったからで、どちらかが覚えている曲だけが残る。お互いがお互いのテープレコーダーのようなものだった。……
二人とも曲作りをすごく楽しんだ。最終的に二人があれほど強力になったのは、途上の時期にたくさんの曲を作ったからだと思う」




☆   ☆   ☆

英文で検索すると、
「ポールはディスレクシア専用の学校の生徒から取材を受けた」
という記事がありました。
妻リンダを乳がんで亡くしてから初めて答えた取材らしいです。

BBCの記事の翻訳です。原文は→こちら

ディスレクシア児の学校が新聞賞を受賞


ディスレクシア用の学校の生徒たちが、通常の学校制度のライバルを差し置いて学校新聞賞を受賞した。
ノーザンバーランドのナニーカーク・スクールという、全生徒がディスレクシアの学校の学校新聞が賞を獲得した。この学校新聞には、サー・ポール・マッカートニーやブレア首相へのインタビューを掲載した号がある。
同校の生徒の多くは重度の読み困難がある。このことは、記事の下書きと推敲に多大な労力を必要としたことを意味する。生徒達はワープロのスペルチェック機能とディスレクシア専用の辞書を使ってこれを行った。 
校長のサイモン・ダルビーは、新聞というディスレクシアにとって大きな困難を伴う識字分野のコンテストにおいて、生徒たちが賞を獲得したことをたたえた。 
生徒の多くは読み書き能力で通常より数年遅れている。だからこそ今回の受賞はより一層素晴らしいことだも指摘した。 
この公募大会はニューカッスルのThe Journal紙が主催し、100校以上が参加した。

マッカートニーへのインタビュー
ナニーカーク・スクールの学校新聞はその内容に加え、音声バージョン付きというプレゼンテーションが称賛された。 
サー・ポール・マッカートニーとのインタビューには、ビートルズ結成のいきさつなどが含まれている。 
「僕は学校では余り勉強熱心ではなかった。授業はあまり楽しくなかった。音楽に熱中していたからね。最初の曲は14歳の時に作った。」 
「ジョン・レノンには、リバプールの野外パーティーで出会った。別のバンドで演奏していた彼を見て、そのスタイルが気に入った。話しかけたところ、バンドに入らないかと言われたんだ」



ポール・マッカートニーは抽象画も描くそうです。
後ろの絵は本人画。

この学校、イギリス北部の田園地帯にある、
全校生徒50人ほどの全寮制フリースクール(小中高)で、
生徒は全員ディスレクシアだそうです。
色々うらやましい環境ですがそれはさておき、
なぜこんな小さな学校の学校新聞の取材に、ポールマッカートニーは答えたのだろう・・・?
逆に、普通の学校の取材なら、きっと受けなかったに違いありません。


☆   ☆   ☆


ポール様の曲の素晴らしさについて、ここで延々と語るのは野暮というものです。
ディスレクシア的だなと思う性質だけ、挙げてみます・・・

・ いろんな楽器を弾きこなす。しかも独学で。(ちなみに左利き)
・ ビートルズ時代だけでなく今も、曲が泉のように湧いてくるらしい。
・ 誰の真似もしない。売れなくてもへこまない。独自の存在として50年も第一線で活動。
・ 基本的に、とっても楽天的(だから、底が浅いと誤解されたことも)
・ 目の前に情景が浮かぶような歌詞(ディスレクシア文学の特徴)
・ すべてをあまりに軽々とこなすので見過ごされがちだが、歌唱の表現力もすごい。
曲によって声や発音をかなり自在に変える。南部なまりで歌ったり。
  (要するに音楽の耳が非常~に良い)

・ ひょうきんでお茶目。カメラの前でおどけてみせる。
・ 空気を読むのが抜群にうまい。聴衆の前でも臨機応変な対応が可能。
・ 権威主義でない
・抽象画を描く画家でもある。
・ リンダ(写真家)との間の3人の子供はデザイナー、写真家、ミュージシャンに
・ 年を取るほどに年齢を超越していく。特に発想がまったく老けない。
・今回のツアーで分かる通り、生粋のエンターテイナー!



ジョン・レノンがディスレクシアという説は、ネットでもずいぶん見ることができます。
個人的には、アスペルガーではないかと思っていますが。

一方、ポール・マッカートニーが自身のディスレクシアを認めたという話は出てきません。

でもでも、レノン-マッカートニーがディスレクシア(とアスペルガー)のコンビだったとすれば、ビートルズの独創性は、実に腑に落ちます!

続き:
ポールマッカートニーが楽譜が読めないのは(きっと)ディスレクシアだから


2013-10-22

のび太はきっとディスレクシア/藤子・F・不二雄の字を検証

13/10/21、NHK「プロフェッショナル」で、藤子・F・不二雄を特集していました。

ディスレクシアの証拠を求めて、子供と食い入るように見ました(笑)


藤子・F・不二雄は「のび太は僕だ」と明言していました。
番組では、病弱で学校を休みがちで、
ひとりで絵を描いていた小学校時代を引き合いに出して、
「孤独な点がのび太に重なる」と言っていましたが。
いえいえ違うでしょう!

のび太はディスレクシアなのです。
字は苦手で、学校の勉強はできないけれど、
好奇心がめちゃくちゃ旺盛で独創的な子です。
そういう点で「のび太は僕」なのです。


画面に藤子・F・不二雄の肉筆が登場したら、iPadで撮りまくりました。
番組終了後、1枚1枚検証してみました。

達

編


下から5行目、「呼ぶ」が「読ぶ」になっています



「作」が違う!と思いましたが、
これは書き順が違うだけですね。

縮小

晩年のメモとのこと。あんなにきれいな画風の人の字とは思えません。
左右どちらに曲がるかの判断がつらそうに見えます

私には、この独特な字体がすでにディスレクシアの典型のひとつのように見えます。

ドラえもんはディスレクシア文学の最高峰、とここで宣言しちゃいます!


関連記事:
のび太はディスレクシア(かも)

のび太は(きっと)ディスレクシア



追記

この記事を書いたあと、子が「これ見て~」と言ってきました。












2013-08-17

【翻訳】ディスレクシアのインスピレーション

ブレンダン・オ・キャロル「The Inspiration of Dyslexia」の翻訳です。

amazon.ukで買ったforgotten letters: an anthology of literature by dyslexic writers所収、ブレンダン・オ・キャロル「The Inspiration of Dyslexia」を訳してみました。
本に掲載された文章を勝手に訳してはいけないのかもしれないですが・・・うちの子に読ませてあげたい一心でつい訳してしまいました。



上の本について紹介しておきます。
著者のブレンダン・オ・キャロルはアイルランドのコメディアンで、ディスレクシアだそうです。以下の原文はネットでは見つけることはできませんでした。

この文章が収められた本は、ディスレクシア作家のアンソロジーです。
『天才たちは学校がきらいだった』の著者、トマス・G・ウェストが編纂に関わっています。
トマス・G・ウェストのブログは、このブログの左下でもフォローしていますが、この人は「ディスレクシアの持つ独創的性質はネット社会に最も不可欠な資質である」という観点に立った論考を進めています。ディスレクシアとクリエイティビティの関連性について語らせたら、この人の右に出る人はいないでしょう。ちなみにこの人自身はたぶんディスレクシアではありません。ディスレクシアだそうです。

同氏の『天才たちは学校がきらいだった(原題In the Mind's Eye)』は最近Second Editionが上梓されました。
ウェスト氏はほかに、Thinking Like Einsteinという本も出しています。


☆  ☆  ☆

ディスレクシアのインスピレーション



「昔ディスレクシアだったけど、あるいは今もディスレクシアだけど、偉大なことを成し遂げたり大成功を収めたりした。」
そんな人の話はたくさん転がっている。
最近そういう話が実に多いので、
「ディスレクシアでないと、人生で何かを成し遂げることはできない」
と思ってしまう人もいるかもしれない。

でも違うんだな!
僕が思うに、そういう人たちは、ディスレクシアであろうがなかろうが、成功していたはずだ。
ただ、ディスレクシアだったことで、人とは違う方法でいろんなことを学ぶ羽目になったはずで、その点ではディスレクシアはその人の人生を変えただろうとは思う。
幼い頃から人とは違う方法で物事を学んでいると、それが習慣というかクセになる。
そして、何でもかんでも「人とは違った」方法で見る人生になる。

アメリカ人はこういうことを表す
「thinking outside the box」(箱の外に出て考える、決まった考え方にとらわれない)
という表現まで作ってしまった。
「箱の外に出て考える」話はたくさんある。
正直に言うと僕もそういう話を読みあさった時期がある。
僕は深いところでそういう話の影響を受けている。

その中でも僕が一番好きな話は、読んだのではなく、ある人から聞いたものだ。
もしよかったらこの話につき合ってほしい。



アメリカのボストンという町の、半地下のアパートの部屋に、1人で暮らしている男の人がいた。
ジョニーと呼ぶことにしよう。
狭いけど安い部屋だった。
ジョニーは「都市廃棄物管理作業員」、つまりゴミを集める、市の係の人だった。

1960年代のボストンでは市の支出を減らせという運動が激しかったので、そのあおりを受けてジョニーはクビになってしまった。
ジョニーは収入がゼロになったので、アパートの家賃が払えなくなってしまった。

大家さんは親切な人だったけど、家賃をあてにしていた。
だから、クビになって2ヶ月たっても、まだジョニーが新しい仕事を見つけてないとなると、ジョニーの部屋まで様子を見にやってきた。
ジョニーは「一生懸命探しているけど見つからない」と答えた。
そこで大家さんはボストン・グローブという新聞の求人欄をチェックしてくれて、ジョニーに切り抜きをくれた。
そのなかで、ある大学の事務室が「掃除係募集中」という求人を出していた。
ジョニーは「これだ!」と思って、その日のうちに大学に電話した。
すぐ面接に呼ばれて、行ってみると事務の下っぱの人と面接をすることになった。

この人をデイブとしよう。
面接はうまくいって、ジョニーはあとちょっとで仕事がもらえることになった、その瞬間、デイブからこう言われた。
「では、この用紙に記入してもらえますか。
記入が終わったら呼んで下さい、仕事を始める日を決めましょう」。

ジョニーにとっては急にピンチが来た。
ジョニーは字が苦手だったのだ。

そのことをデイブに言ったところ、デイブはとても残念そうにこう言った。
「本当にお気の毒ですが、あなたを雇うことはできません。
この紙に記入して保険に入ってもらわないと、大学としては雇うことができないのです」。



ジョニーはがっくり落ち込んで、建物を後にした。
ところが、大学の中を歩きながら、ジョニーは気がついた。
ゴミ箱というゴミ箱にゴミがあふれていることに。しかも、そのほとんどはジュースの空き缶だった。

次の日、ジョニーはもう一度大学に出かけて、空き缶を拾いはじめた。

そうして……
もうお分かりだろうが、ジョニーは毎日毎日、大学に行っては空き缶を集め続けた。
そして10年後には、ボストンだけでなくアメリカの東海岸全体で一番大きな、金属ゴミ収集会社の社長になっていた。



運命は不思議ないたずらをするもので、これほど大成功を収めたジョニーを称えるため、ジョニーに名誉博士号が与えられることになった。
しかも、10年前に彼を雇ってくれなかったあの大学が、名誉博士号をくれるというのだ。

大きなパーティーが開かれた。
そして、いまや部長になったデイブから、名誉博士号の賞状が手渡された。



式典の後、ふと気がつくと、ジョニーはデイブと二人だけで、テーブルをさしはさんで座っていた。
そこでジョニーは
「10年前、あなたの面接を受けたんですよ」
と切り出した。

実はデイブはそう言われるまで、その日のことをすっかり忘れていた。
でも、たぶん話を合わせるために、
「ああ!覚えてますよ」
と答えた。

二人は乾杯した。
デイブはワインをひと口飲むと、ジョニーをまじまじと見ながら、感慨深そうにこう言った。

「ジョニーさん、あなたは本当にすばらしい偉業を成し遂げましたね。
字が読めないのにこれだけの成功を収めるなんて。
もしも字が読めたら、どれだけの大成功を収めたことでしょうね……」。

ジョニーはふっと笑ってこう言った。
「あのねデイブさん、もし字が読めていたら、僕は掃除係になって、あなたの下で働いてましたよ」



落ち込んだとき、物事がうまくいかないなと思うとき、僕はこの話を自分に言い聞かせる。




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追記 
子供にこの話を読んであげました。
「ジョニーはふっと笑ってこう言った」で止めて、「この後何て言ったと思う?」と聞いたら、
不敵な笑みを浮かべながら
「『字が読めないからって、どうってことないんだよ』かな」と言いました。

2013-07-08

スポーツとリーダーシップの才能を開花させたディスレクシア:中竹竜二『鈍足だったら、早く走るな』




超ポジティブなディスレクシアの当事者本です!

著者の中竹竜二さんは1973年生まれ。
早稲田大学ラグビー部の伝説的主将にして、現在は全日本のコーチの育成を行っている方です。

本書はジャンル的にはビジネス書ですが、ディスレクシア的には「底抜けにポジティブなディスレクシアの発想」を知ることができます。

美術や工芸方面に秀でたディスレクシアの人の話はけっこう聞きますが、スポーツとリーダーシップに優れたディスレクシアの、本人による話は、日本語では本当に珍しいです。

「中竹さんは僕がこれまで知った人の中でもっとも『凄い人』です。
彼のストーリーにとくと耳を傾けて下さい」
--楠木建(一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授)
大学選手権2連覇に導いた、元・日本一オーラのない監督の、「どんな人でも輝く」才能の見つけ方

と帯にはあります。

[小学校の]国語の時間でした。先生にあてられて、みんなの前で本を声に出して読もうとしたとき。(あれっ)?マークが頭のなかをかけめぐりました。頭で読んでいる文字が言葉にならないのです。声に出すと不思議と違う言葉になり、つまずいてしまう。・・・何とも気まずい思いを胸に、黙って腰を下ろしました。他の教科では自分より成績が悪いはずの友人がすらすら読めるのに、ナゼなんだろう。・・・
自分がいわゆる読字障害であることがわかったのは、かなり後のことです。当時は、自分と他の友達が違うことを認めるのが、ただただ怖かった。

いわゆる典型的なディスレクシアの症状です。
中竹少年がすごいのはこの後です。
四年生のとき、「暗記してしまえばいい」と思ったというのです。
毎晩、夜中までかけて、教科書の漢字を調べながら暗記を敢行。
担任の先生にも恵まれ頑張ったものの、しかし暗記作戦はほどなく挫折。
「普通に、人並みにできるようになるには、自分は普通にやってたらダメだ」と気づき、その頃から先生の言う通りでなく、自分なりに方法を工夫するようになっていたとのこと。

「最終的に覚えればいいのなら、書く必要はないんじゃないかな」
黒板を1枚の絵と見立てて、まるで念力のように、じっと目に焼き付けるようにしてみました。・・・その後も、ノートを取るのは一切放棄し、小学校5年生ぐらいからはノートを買うことすらヤメてしまいました。・・・
「覚えるために、同じこと何度も書くなんて意味がない・・・」ならば、一回書いて5分見る。一回書いたら、それを見ないで違うページに書くというやり方がいいんじゃないか。またもや先生の言いつけを無視して、自分のやり方で書き取り問題をクリアしていました。

ここまで自力でたどりつくとは、なんて戦略的なのでしょう!!
うちの子がそこまで考えられたら、力一杯ほめてあげたいです。
でも、ノートを買いすらしないのを、私なら信頼して見守れるか、自信がありません・・・

#子に上の引用部分を読んであげたところ、すごく受けていました。
「黒板をじっと見て覚えてみたら?」と聞いたところ、「それは無理でしょ~」とのことでしたが、実は思いも寄らなかったに違いありません。



タイトルの話もすごい。
「鈍足」だった中竹少年は(とはいえ50m7.6秒まで行ったそうですが)、普通の人なら倒れてから「イテテ・・・」と立ち上がる数秒間を、自分はぱっと立ち上がって動けばいいと気がつきます。
「ボールがある場所に早く動けばいい」、「「次にボールがどこに行くのか」を先回りしながら動けばいい」と気づき、小学校高学年くらいにはチームメイトから一目置かれる存在になったとのこと。

ならば、試合時間の80分間、絶対に全力で走らない。・・・なぜなら、全力で走ったところで鈍足であることは変わりがないのですから。全力疾走をせず、その分、時間いっぱい余力をもって動き回り、運動量で勝負したほうがいいと考えたのです。

なんという逆転の発想!!

高校受験は、東筑高校(進学校でありラグビーの強豪校)に入りたくて、猛勉強したそうなのですが、そのやり方も相当に戦略的です。
県立高校なら教科書以上のことは出ないだろうと踏んで、教科書だけを徹底的に勉強したのもそうですし、
「塾で勉強の仕方を押しつけられるのが何よりきらいだった」、でも情報はほしいので、塾から帰るところの友人にベランダから声をかけて、雑談ついでに受験の情報収集をしていた(!)というのです。

こういう不思議な社交性は、とてもディスレクシア的だと思います。
二次障害がなければ、ディスレクシアは本来こういう人たちでしょう。
学校の成績はいまいちでも、友達は多く、対等につきあっている。
高圧的にも卑屈にもならず、欲しい情報をさりげなく得てしまう・・・

ディスレクシアの最大の才能は、think outside the box(直訳すると「箱の外に出て考える」、枠にとらわれない、さらには枠を壊したり、「そもそも枠って何?」というイメージ)ができることにあると言います。
本書はそういった、枠を壊したり逆転させたりするエピソードが満載です。

何より、全編がポジティブトーンなのがすばらしいです。

ディスレクシアの子は、長い目で見て、工夫したり失敗したりできる環境を与えてあげさえすれば、好きなものを見つけたあとは持ち前のエネルギーで勝手に伸びていくだろう。そう信じられる本です。