ディスレクシア専用英語塾「もじこ塾」のブログです。
●ディスレクシアとは:知能は普通だが、読み書きが苦手(読み間違いが多い、読むのが遅い、書き間違いが多い、読むと疲れやすい)という脳の特性
●全体像の把握、物事の関係性・ストーリーの把握、空間把握、ifを考えるシミュレーション能力に長ける
●読み書きの困難は、日本語より英語に出やすい
●適切に対処すれば、読みの問題は表面上は克服される
●10人に1人程度いるというのが通説
●家族性とされるが、ディスレクシアの表れ方は個人差が大きい
もじこ塾は、ディスレクシアはこれからの社会に不可欠な才能、でも日々の学習では普通と違うアプローチが必要、という立場です。
2019-11-13
IDA@ポートランド,その3(PPR:反応の悪い生徒,tDCS:脳に微弱電流を流す,IDAに見られないもの)
帰国しました!昨日から授業を再開しています。
いろいろご連絡が遅れていて申し訳ありません・・・順次お返ししてまいります。
~~
◆「介入への反応が悪い生徒(Persistently Poor Responders:PPR)」
専用の指導をしてもなかなか伸びない生徒に関する発表がありました。
Non-respondersなど、いくつかの呼び名があるようです。
・オートン・ギリンガム(ディスレクシア専用指導)を3年行っても、効果がなかった
・週4日×2年、全230時間のプログラムもあまり効果なし
・・・など、胸が痛くなるプロフィールです。
・PPRは、音韻認識は持てるが、単語はなかなか読めない
→△音韻認識よりも、〇1つの単語をデコーディングする能力、
さらには◎流暢性のほうが、PPRの指標になる
・ADHDの併発が少なくないが,ADHD自体はPPRの指標にはならない
・IQとは無関係。(IQと介入への反応に相関関係はない)
・PPRの脳を見ると、右脳のある部位がそうでない生徒より活性化している。
なぜそうなのかは不明。代償的なのかもしれない。
・PPRほど、訓練をしっかり受けた教師が担当する必要がある。
・記憶定着をはかるため、時間をかけて粘り強く、反復と練習を繰り返す必要がある。
訓練は、より長期的に行う必要がある。
・より明示的(explicit)な説明が必要
※別の発表で、explicitとは
「言葉で説明すること」ではなく、「手本を示すこと」だという指摘もありました。
・読む単語が難しくなるにつれ、PPRと非PPRの差は開いてしまう。でもPPRも成長はしている。how they are learningではなくwhat they are learningを見るべき(成長のスピードではなく、何ができるようになったかに注目すべき)
~~
生徒の顔が浮かぶ発表でした。もじこ塾にも何人か、フォニックスの表がなかなか覚えられない生徒や、フォニックスの表は言えても単語が読めるようにならない生徒がいます。
このような生徒は「音楽の耳」が良い気がします。ふわっと耳コピできて、発音がとても良いのですが、「読む」(デコーディング)にはなかなか至らない・・・
字を前にしたときの諦めが良すぎる印象がなくもないのですが,「こういう子たちも訓練の場に足を運んでいるということは,治療を拒絶しているわけではない」との指摘もありました。そうですよね。
日本語ネイティブとしては,PPRが英語にチャレンジするのなら、まず簡単な会話ができることを目標にすべきと思います。
また、限られたリソースを,英語よりも日本語に割いたほうがいいと個人的には思っています。日本で生きていくなら、日本語が読めることは大事です。
一方で、もじこ塾の助手にはPPRが複数いると思うのですが、助手業務に入るなかで、みな少しずつ英語ができるようになってます。
ディスレクシアであっても、英語はずっと続けていればちょっとずつのびることを体現しています。
◆tDCS:脳に微弱電流を流しながら訓練をすると、読字能力が上がる?!
立ち見がどんどん集まり、関心の高さが伺えた発表でした。
tDCSは検索すると、「経頭蓋直流電気刺激」と訳せるようです。
「左脳、耳の後ろあたりに単語の視覚認知に関係する部位がある。
ここにApple Watchの10%程度の微弱電流を流し、刺激しながら読み訓練を行うと、読字のスピードが向上するという実験結果が(読字の精度には変化はなかった)。
ニューロン活動を引き起こすには微弱すぎるはずだが、neurons that fire together wire together(同時に発火するニューロンは連結している)なので、何らかの因果関係があるのかもしれない。
何語に効くか、適した年齢、左脳に陰極をあてているので陽極をどこにあてるか(脳の別部位、肩etc)、どんな訓練とセットにするかなどを現在実験中。」
◆IDAで見られないもの
1) UDフォント
日本ではUDフォントの普及が進んでいますが、IDAではUDフォントという概念がないようです。「字と字のスペースをあければ同じ効果が得られる」という指摘も・・・視覚処理の困難には、あまり関心がないようです。
パワポでも印刷物でも、けっこう見にくいオサレなフォントを使うケースがあったり。
UDフォントがみられないのは残念です。
2) ASDへの言及
IDAでは「ディスレクシアの数割はADHDを併発する」は時折言及されるのですが、ASDの話題はまったく出ません。
ともすればLD学会などが、行動面の問題に乗っ取られがちなのとは対照的です。
(#さらに言うと、「発達障害」(developmental disorder)という言葉はまったく聞きません。)
ランドマーク(ボストン近郊にある、アメリカの有名ディスレクシア専用学校)のパンフレットは、「当校に合わない人」としてASDを挙げています。
ここから考えるに、「ディスレクシア」を名乗る団体は、ASD(由来の読み書き困難)を意識的に排除しているのかもしれません。
アメリカではコミュ障は生きにくく,別に考える必要があるのだろうと,今回感じました。
とにかく,どんどん自分から声を上げて,会話を仕掛けていくことが要求される社会のようです。楽しいけど1日終わると疲れます。。
3) 東洋人
何度も書いていますが,IDAには東洋人がいません。
これについては,その1にも書きましたが,ずっと考えてます。
まとまらないので,まずはここまでをアップします。
2019-11-10
IDA@ポートランド、その2(音韻認識の熱狂はひと段落、IDAのディスレクシアの定義は要改定、ディスレクシアが英語を学ぶこと2)
IDAの3日目が終わりました!
はじめに、ポートランドは安全そうな感じで書いたことを、訂正しておきます(- -;)
生徒に頼まれたおみやげを買いにホテル向かいの地元の食料雑貨店に入ったら、脱法ドラッグ(?!)を売っているし、暗くなれば物乞いはいますし、路上に布団敷いて寝ているホームレスもいます。いたたまれなくなるような貧困がこの町にもあります・・・
でも、すてきなエコシティ☆の側面もあります。
会議場との往復は、2駅ですが路面電車を使ってます。中央線並みの本数があります。
この路面電車には自転車でも乗れて、車内には自転車を立てかけるラックがあります。
また、スケートボードで公道を走ることが、認められているそうです。
男子高校生くらいの集団が、電動スケボー?のような不思議な乗り物で追い抜いていきました(@@)
IDAに、2日間参加した感想です。
◆「音韻認識の熱狂」はひと段落
一昨年は、「レターボックス」の講演がとにかく衝撃的で→★
昨年は、音韻認識をどう教えるかの発表がたくさんありました。
今年はこれら2つの話題は、参加者の間では完全消化されているようで、
新たな発見や教授法をめぐる熱狂は、ひと段落した感があります。
「レターボックス」はVWFA(Visual Word Form Area)として
いろんな人のスライドに既知のものとして登場してましたし、
音韻認識も場内は「教えてますっ!」という雰囲気でした。
#音韻認識とは:
・phonological awareness, phonemic awarenessの訳。
人によって2つの用語の定義は、微妙に違うらしい。
「自分はphonemic(phonological awareness)と呼びたい」と断る人も。
・とはいえ、大まかな定義は、
英語の音ストリームを聞いて、英語の音素に分解する能力のこと。
(1つの単語を聞いて
「3つのオトから出来てます」
「最初の音は/d/、2番目の音は/o/、3番目の音は/g/」と指摘できる。
さらには、最初と最後の音を交換したら何という語になるか言えたり、
最後の音を/t/に変えたら何という語になるかが言える。
このとき、字を介在させないのがポイント。
・ディスレクシアだと文字を教える前から、音韻認識の弱さがみられる
(※これについては、日本語では注意が必要と言っておきます)
・音韻認識力は、その後の読字能力を予見するとされる
・ディスレクシア的には、音韻認識はスクリーニングにも使えるし、
明示的に教えることも可能。というか長期的な訓練が必要
もじこ塾にとって、音韻認識をどう教えるかはこの1年、大きなテーマでした。
1年かけてさまざまな生徒の反応を見ながら、持ち帰った教材にかなり改変を加え、日本の中高生向けにアレンジしてきました。
今回、IDAでの発表や物販を見て、どうやらこの1年、もじこ塾で進めてきたことは、間違っていないらしいと分かりました。
それに、音韻認識を訓練すると脳のリソースに余裕ができることも、身をもって実感しました。
これから、この方法を頑張って公開してまいります!
◆「ディスレクシアなら、外国語として英語を学ぶほうが、ネイティブのディスレクシアより読字能力は高くなる」!
1日目に暗い内容を書きましたが、それを覆すような発表を聞きました!
「バイリンガルであることは、ディスレクシアにとって良い面がある」
(Bilingualism can be good for dyslexics)
「ディスレクシアであることは、英語を学ぶにあたりアドバンテージかもしれない」
一見驚きですが、聞いてみると納得の内容でした。
カナダ・トロントでの大規模な長期調査。
控えるのを忘れましたが、何千人という児童が対象だったと思います。
移民とそうでない幼稚園児に、簡単なスクリーニングを行い、ディスレクシアと定型児に分けた。
(幼稚園の先生ができるようなスクリーニングを開発したそうです。)
この子供たちに、1年生の時から教室で(取り出さずに)介入を行い、7年生で再び調査を行った。
すると、ディスレクシアについては、移民の子のほうが、英語ネイティブの子と比べ、特にディスレクシア特有の困難にまつわる項目の成績で上回った(!!)。
語の特定、文法はもとより、音素/音節削除とスペリングに至っては移民の子のほうがはるかに高かった。
(ちなみに、定型の場合、移民と母語話者では差がなかったそう)
これをそのまま、"日本のディスレクシアのほうが、カナダやアメリカのディスレクシアよりもスペリングの成績が良い"とまでは翻訳できませんが、でも、とても興味深い結果です。
理由としては、
・英語よりも複雑な言語を第一言語としているから。
例えば中国系移民の子は、漢字も学んでいる。漢字はアルファベットよりもはるかに視覚的に複雑。漢字を知っていれば、視覚的記憶が刺激されているはず。
(今回、いくつかの発表で、漢字への言及がありました)
・文法や音韻体系が異なる言語にさらされることで、言葉というものへの意識が高まっていると考えられる
注意点
・第一言語もしっかり学ぶことが前提。
親が話しかけるだけでは不十分で、教育を受ける必要がある。
(ただし、姉による年下のきょうだいへの学校ごっこが効果的だったケースも)
・ディスレクシアを念頭においた学校での指導は、質の高いものである必要がある。
日本のディスレクシアも、正しい方法でやれば英語を諦める必要はない。
頑張ろう!と思える調査結果です。
#今年の新たな傾向として、
「ディスレクシアが英語を外国語として学んだら」
への言及が、増えている気がします。
うお。IDAのほうから、もじこ塾に歩み寄ってくれるとは想定外(゚Д゚)
◆「IDAのディスレクシアの定義は改定が必要」
「ディスレクシアの定義に関するコンセンサス」
というタイトルの発表に、途中から行きました。
最初に、現行の文言の起草者が登壇したそうです。
そこを聞き逃したのは痛恨の極み・・・でも十分に面白い内容でした。
・言語の正書法(orthography)の認知的要求により、学習者の困難は変わる。
IDAの定義は英語に偏っているので、他の書記体系のディスレクシアの特徴も徐々に含めていくべき。
・ディスレクシアの困難は、音韻認識の不足(phonological deficit)とは限らない。
ディスレクシアの原因を1つに帰着させようとするのは誤り。
単語を読むことの困難にリンクするプロフィールはさまざまであり、語レベルの読み問題の識別に音韻認識の不足を必須としてはならない。
ほほ~!
1日目に会場が唱和できた「ディスレクシアは視覚処理の困難ではない」
を、起草者グループが否定しているとは!
昨年の宇野先生の苦言→★に、IDAがようやく追いついたとも言えます。
日本のディスレクシアの相当数は、漢字で大変な思いをしています。
こういう人たちは、視覚処理が関係しているディスレクシアだと言えます。
この人たちの存在が、否定されなくてよかったです。
参考:IDAによるディスレクシアの定義の和訳。
発達性ディスレクシア研究会サイトから転載→★
「Dyslexiaは、神経生物学的原因に起因する特異的学習障害である。その特徴は、正確かつ(または)流暢な単語認識の困難さであり、綴りや文字記号音声化の拙劣さである。こうした困難さは、典型的には、言語の音韻的要素の障害によるものであり、しばしば他の認知能力からは予測できないものであり、また、通常の授業も効果的ではない。二次的には、結果的に読解や読む機会が少なくなるという問題が生じ、それは語彙の発達や背景となる知識の増大を妨げるものとなり得る(2003)。
おまけ
◆なぜIDAにはアジア系の人がいないのか??
IDAでは、アジア系の人がとにかくいません。
今年も、部屋にいる黄色人種は自分だけ、ということがたくさんありました。
空港でも町でもそこまでではないので、個人的には異様な感じがします。
まだ答えは出ていないのですが、もしかしたらこれは論文が書けるくらい根深い、人種観にまつわる問題なのかもしれません。
黒人と白人の人種格差の話は、IDAではよく出ます。
参加者が感極まる話題です。
今回も開会の全体セッションで、登壇者が
「黒人でディスレクシアだと特定される生徒は白人よりもはるかに少ない。
ディスレクシア用訓練をアウトソーシングするのは高額で、黒人やヒスパニックには手が届かない」と訴えてましたし、
「ディスレクシアかどうかの判断を、肌の色が邪魔してはならない」
と涙ながらに訴えていた発表者もいました。
が・・・アジア系は話題にも出ないのです。
白人と同じ扱いなのでしょうか?
(優秀なアジア人は、個人ベースで、名誉白人的な扱いを受けているかもしれません)
アジア系の教師は少ないのでしょうか?
(いや、そんなはずはない気がします。)
あるいは、アジア系はディスレクシア教育界には入ってこないのでしょうか?
もしそうなら、ディスレクシア教育業界に関わることは、どんな社会的意味があるのでしょうか・・・日本でそうするのとは、まったく意味が違うのかもしれません。
今回、ずっと考えていることのひとつです。
生徒に頼まれたおみやげを買いにホテル向かいの地元の食料雑貨店に入ったら、脱法ドラッグ(?!)を売っているし、暗くなれば物乞いはいますし、路上に布団敷いて寝ているホームレスもいます。いたたまれなくなるような貧困がこの町にもあります・・・
でも、すてきなエコシティ☆の側面もあります。
会議場との往復は、2駅ですが路面電車を使ってます。中央線並みの本数があります。
この路面電車には自転車でも乗れて、車内には自転車を立てかけるラックがあります。
また、スケートボードで公道を走ることが、認められているそうです。
男子高校生くらいの集団が、電動スケボー?のような不思議な乗り物で追い抜いていきました(@@)
IDAに、2日間参加した感想です。
◆「音韻認識の熱狂」はひと段落
一昨年は、「レターボックス」の講演がとにかく衝撃的で→★
昨年は、音韻認識をどう教えるかの発表がたくさんありました。
今年はこれら2つの話題は、参加者の間では完全消化されているようで、
新たな発見や教授法をめぐる熱狂は、ひと段落した感があります。
「レターボックス」はVWFA(Visual Word Form Area)として
いろんな人のスライドに既知のものとして登場してましたし、
音韻認識も場内は「教えてますっ!」という雰囲気でした。
#音韻認識とは:
・phonological awareness, phonemic awarenessの訳。
人によって2つの用語の定義は、微妙に違うらしい。
「自分はphonemic(phonological awareness)と呼びたい」と断る人も。
・とはいえ、大まかな定義は、
英語の音ストリームを聞いて、英語の音素に分解する能力のこと。
(1つの単語を聞いて
「3つのオトから出来てます」
「最初の音は/d/、2番目の音は/o/、3番目の音は/g/」と指摘できる。
さらには、最初と最後の音を交換したら何という語になるか言えたり、
最後の音を/t/に変えたら何という語になるかが言える。
このとき、字を介在させないのがポイント。
・ディスレクシアだと文字を教える前から、音韻認識の弱さがみられる
(※これについては、日本語では注意が必要と言っておきます)
・音韻認識力は、その後の読字能力を予見するとされる
・ディスレクシア的には、音韻認識はスクリーニングにも使えるし、
明示的に教えることも可能。というか長期的な訓練が必要
もじこ塾にとって、音韻認識をどう教えるかはこの1年、大きなテーマでした。
1年かけてさまざまな生徒の反応を見ながら、持ち帰った教材にかなり改変を加え、日本の中高生向けにアレンジしてきました。
今回、IDAでの発表や物販を見て、どうやらこの1年、もじこ塾で進めてきたことは、間違っていないらしいと分かりました。
それに、音韻認識を訓練すると脳のリソースに余裕ができることも、身をもって実感しました。
これから、この方法を頑張って公開してまいります!
◆「ディスレクシアなら、外国語として英語を学ぶほうが、ネイティブのディスレクシアより読字能力は高くなる」!
1日目に暗い内容を書きましたが、それを覆すような発表を聞きました!
「バイリンガルであることは、ディスレクシアにとって良い面がある」
(Bilingualism can be good for dyslexics)
「ディスレクシアであることは、英語を学ぶにあたりアドバンテージかもしれない」
一見驚きですが、聞いてみると納得の内容でした。
カナダ・トロントでの大規模な長期調査。
控えるのを忘れましたが、何千人という児童が対象だったと思います。
移民とそうでない幼稚園児に、簡単なスクリーニングを行い、ディスレクシアと定型児に分けた。
(幼稚園の先生ができるようなスクリーニングを開発したそうです。)
この子供たちに、1年生の時から教室で(取り出さずに)介入を行い、7年生で再び調査を行った。
すると、ディスレクシアについては、移民の子のほうが、英語ネイティブの子と比べ、特にディスレクシア特有の困難にまつわる項目の成績で上回った(!!)。
語の特定、文法はもとより、音素/音節削除とスペリングに至っては移民の子のほうがはるかに高かった。
(ちなみに、定型の場合、移民と母語話者では差がなかったそう)
これをそのまま、"日本のディスレクシアのほうが、カナダやアメリカのディスレクシアよりもスペリングの成績が良い"とまでは翻訳できませんが、でも、とても興味深い結果です。
理由としては、
・英語よりも複雑な言語を第一言語としているから。
例えば中国系移民の子は、漢字も学んでいる。漢字はアルファベットよりもはるかに視覚的に複雑。漢字を知っていれば、視覚的記憶が刺激されているはず。
(今回、いくつかの発表で、漢字への言及がありました)
・文法や音韻体系が異なる言語にさらされることで、言葉というものへの意識が高まっていると考えられる
注意点
・第一言語もしっかり学ぶことが前提。
親が話しかけるだけでは不十分で、教育を受ける必要がある。
(ただし、姉による年下のきょうだいへの学校ごっこが効果的だったケースも)
・ディスレクシアを念頭においた学校での指導は、質の高いものである必要がある。
日本のディスレクシアも、正しい方法でやれば英語を諦める必要はない。
頑張ろう!と思える調査結果です。
#今年の新たな傾向として、
「ディスレクシアが英語を外国語として学んだら」
への言及が、増えている気がします。
うお。IDAのほうから、もじこ塾に歩み寄ってくれるとは想定外(゚Д゚)
◆「IDAのディスレクシアの定義は改定が必要」
「ディスレクシアの定義に関するコンセンサス」
というタイトルの発表に、途中から行きました。
最初に、現行の文言の起草者が登壇したそうです。
そこを聞き逃したのは痛恨の極み・・・でも十分に面白い内容でした。
・言語の正書法(orthography)の認知的要求により、学習者の困難は変わる。
IDAの定義は英語に偏っているので、他の書記体系のディスレクシアの特徴も徐々に含めていくべき。
・ディスレクシアの困難は、音韻認識の不足(phonological deficit)とは限らない。
ディスレクシアの原因を1つに帰着させようとするのは誤り。
単語を読むことの困難にリンクするプロフィールはさまざまであり、語レベルの読み問題の識別に音韻認識の不足を必須としてはならない。
ほほ~!
1日目に会場が唱和できた「ディスレクシアは視覚処理の困難ではない」
を、起草者グループが否定しているとは!
昨年の宇野先生の苦言→★に、IDAがようやく追いついたとも言えます。
日本のディスレクシアの相当数は、漢字で大変な思いをしています。
こういう人たちは、視覚処理が関係しているディスレクシアだと言えます。
この人たちの存在が、否定されなくてよかったです。
参考:IDAによるディスレクシアの定義の和訳。
発達性ディスレクシア研究会サイトから転載→★
「Dyslexiaは、神経生物学的原因に起因する特異的学習障害である。その特徴は、正確かつ(または)流暢な単語認識の困難さであり、綴りや文字記号音声化の拙劣さである。こうした困難さは、典型的には、言語の音韻的要素の障害によるものであり、しばしば他の認知能力からは予測できないものであり、また、通常の授業も効果的ではない。二次的には、結果的に読解や読む機会が少なくなるという問題が生じ、それは語彙の発達や背景となる知識の増大を妨げるものとなり得る(2003)。
おまけ
◆なぜIDAにはアジア系の人がいないのか??
IDAでは、アジア系の人がとにかくいません。
今年も、部屋にいる黄色人種は自分だけ、ということがたくさんありました。
空港でも町でもそこまでではないので、個人的には異様な感じがします。
まだ答えは出ていないのですが、もしかしたらこれは論文が書けるくらい根深い、人種観にまつわる問題なのかもしれません。
黒人と白人の人種格差の話は、IDAではよく出ます。
参加者が感極まる話題です。
今回も開会の全体セッションで、登壇者が
「黒人でディスレクシアだと特定される生徒は白人よりもはるかに少ない。
ディスレクシア用訓練をアウトソーシングするのは高額で、黒人やヒスパニックには手が届かない」と訴えてましたし、
「ディスレクシアかどうかの判断を、肌の色が邪魔してはならない」
と涙ながらに訴えていた発表者もいました。
が・・・アジア系は話題にも出ないのです。
白人と同じ扱いなのでしょうか?
(優秀なアジア人は、個人ベースで、名誉白人的な扱いを受けているかもしれません)
アジア系の教師は少ないのでしょうか?
(いや、そんなはずはない気がします。)
あるいは、アジア系はディスレクシア教育界には入ってこないのでしょうか?
もしそうなら、ディスレクシア教育業界に関わることは、どんな社会的意味があるのでしょうか・・・日本でそうするのとは、まったく意味が違うのかもしれません。
今回、ずっと考えていることのひとつです。
2019-11-09
今年もIDAにやってきました!(その1:自己紹介の威力、「ストラクチャード・リテラシー」とフォニックス、ディスレクシアが英語を外国語として学ぶこと)
今年もIDAにやってきました!
今年は西海岸オレゴン州、ポートランドで行われています。
乗継便の国内線が遅れに遅れ、新宿の教室から26時間かけてようやく到着・・・
ポートランドは路面電車の町。夜11時でも、空港からホテルまで路面電車で行けました。
道も芝もだだっ広く、空は高く、わたしの妄想通りのアメリカの都市って感じで、時間があったら散策のひとつもしたいのですが、朝7時半には会場入りしないといけません。
アメリカ人は朝が早いですね?!
◆自己紹介の威力
こんな話からすみません・・・もじこは明らかに英会話力が上がりましたv。
IDAでは、列に並ぶときに、前後の人と会話が始まるのが普通です。
登録の列で、コーヒースタンドのレジ待ちで、
"Where are you from?"
"Where do you teach?"
から始まり、自分の番が回ってくるまで意見交換し、
"Great talking to you. Have a nice day!" と別れます。
過去2回はその輪に入れず、自分の前後で会話が始まるのを指をくわえて見ているだけだったのですが、今年は自分から仕掛けてますv。
「Where do you come from? I come from Tokyo, Japan. I teach English.
I have a small private classroom. My students are all dyslexics ...」
なぜこれができるかというと、もじこ塾ではしょっちゅう自己紹介をしているからです!覚えるくらい自己紹介を繰り返していると、こういう状況でも言葉が出てくるらしいです。
フォニックスや音韻認識の練習を徹底的にやっていることの効果も感じています。
単語の発音に自信が持てるので、脳のリソースをその分、内容にあてられます。
同業者である参加者と会話することも、IDAに来る大きな意義のひとつだと、3回目にして知ってしまいました。しかもこれは相当楽しいです( ̄ー ̄)
~~
「アメリカでは、ディスレクシアはよく知られているんですか?」
と話を振ると、今日聞いた限りでは全員が
「まだまだ全然。学校のなかでもホールワード派(=アンチ・フォニックス派)のなか一人で戦ってるのよ」
「そもそも、ここポートランドだってホールワード派が主流」とのこと。
IDAに来ているのは特に熱心な先生たちで、彼女たち(ここは女性比率99%の集団です)もそれぞれの場所に帰ると、孤軍奮闘しているらしいです。
このあたりは、LD学会と大差ないようです。
◆「ストラクチャード・リテラシー」とは
とはいえ、IDAのなかでは、フォニックス(英語の音と文字の対応)を明示的・網羅的・段階的に教えることは、当然とされています。
去年は「音韻認識をどう教えるか」が流行語でしたが、今年はどうやらそれもすでに当然となっていて、「統語(受験英語でいう構文)、読解、ライティング(内容のある文章を書く)」もあわせて教えるべきで、そこをどのように教えるかが今年は議論されています。
フォニックス、音韻認識、統語、読解、ライティングをあわせて、
Structured Literacy(ストラクチャード・リテラシー[体系的な読み書き教育])と呼ぶことにしたようです。
ストラクチャード・リテラシーのうち、統語と読解については、日本の英語教育はすでに答えを持っていると思います。
特に構文の教え方は、伊藤和夫(駿台の往年の名講師)が、ある意味ネイティブ用よりも体系的に完成させています。
IDAで、文法やパラグラフ構造の教え方の話を聞くと、
日本の英語教育は、日本語ネイティブのためにはかなりいい線行っていると、改めて感じます。
大きな課題は英語教育の最初の部分、つまり
・英語の音素と文字の対応(フォニックス)、
・英語の音ストリームを聞いて、英語の音素に分解する能力(音韻認識)
に集約されそうです。
来年度から小学校英語が必修化されます。
この2つを教えることが本当に大事なんだと伝えたい・・・
◆フォニックスは、教師の数だけ教え方がある
フォニックスについては、それが「英語のオトと文字の対応を教えること」より先については、それこそ教師の数だけ教え方があると言っても過言ではないようです。
どこまでをフォニックスルールとして教えるか、接頭辞(re-など)や接尾辞(-tionなど)もフォニックスの続きとして教えるか、さらには、シンセティックとアナリティックのどちらがよいかは、教師によって、あるいは対象とする生徒によって違うようです。
今日の発表を聞いて、「一つひとつの字をなんと読むか」の次の段階については、日本発のアナリティック・フォニックスも、IDAの発表内容にひけをとらないと感じました。
◆会場の人たちが唱和できるフレーズ2つ
会場の人たちが唱和できるほど浸透しているらしいフレーズが、2つありました。
・The Simple View of Reading is word recognition and language comprehension
(「読む」のシンプルな説明とは「単語を正しく認識できること」と「言語を理解していること」)
うんとざっくり言うと「読む=読字+読解」とでも言い換えられます。
よくわかります。
もじこ塾には「読字ができれば読解はたやすい」と感じさせる生徒が多いです。
一方で、「字」ではなく「語」を認識すること(word recognition)と言っているのには、注意が必要かなと感じます。
この2つは漢字では重なってますが、英語では別物です。
もじこ塾的には、単語の中がもやもやする、単語の意味をなかなか覚えられない、似た単語をとりちがえる、など、「語」は確かに鬼門です。
ディスレクシアにとって「単語」という単位こそが本当に難しいということは、教えるにあたり意識する必要があります。
・Dyslexia is not a visual processing problem.
(ディスレクシアは視覚処理の問題ではない)
これを会場全体が声を合わせて言えたのにはびっくり。ちょっと、いや、かな~り承服しかねるのですが・・・英語のディスレクシアはそれだけ、音韻の困難が大きいことの表れなのでしょうが、それにしても。
ここにはとても書けませんが、日本のディスレクシア業界がここ数年、視覚的困難に対応してきた成果が、一刀両断されていました。
そんなこともあって、列の前後の人との会話タイムでは、草の根で訴えてしまいました。
「日本では視覚的な困難に関係するとみられるディスレクシアも確実に存在し、英語を学ぶようになって初めて音韻に関係するディスレクシアが表れるんですよ」と。。
◆ディスレクシアが、英語を外国語として学ぶこと
この話は、IDAでは初めて出た気がします。
「ディスレクシアはギフト(才能)だと言われるが、この国で英語が外国語なら、ディスレクシアはギフトとは言えない。
読むことに価値を置くかどうかは文化的な問題。そしてこの国は読むことに価値を置く文化である。機会を得るためには読めないといけない。
大学に入っても読むことに苦しんでいたら、ディスレクシアはギフトというより天井になる」
「ディスレクシアはアッパーミドル白人だけの問題ではない」つまり移民や貧困層の問題でもある、という文脈の話ですし、あくまでも「(アメリカで)ディスレクシアが、英語を外国語として学ぶこと」ではあるのですが、残してきた生徒を思い、心が痛くなる発言でした・・・もじこ塾には、身を削るようにして英語と格闘する生徒がいます。
それでも、アメリカに行ってみたいなら行ってみるべき、ディスレクシアであることはそれを止める理由には少しもならない、と生徒たちには言いたいです。
来てみるとわかりますが、ここは見た目から何から本当に多彩な人たちの集まりです。同調圧力とはベクトルの方向性が真逆で、「自分はこういう人です」という精神的自立が常に要求されます。
と同時に、これは会話を仕掛けられるようになってようやく分かったことですが、
自立した人たち同士が助けを求めること、助けを求められることを、美徳とする文化がアメリカにはあります。
自分をしっかり持った人が、「自分は外国人でディスレクシアなので手伝ってほしい」と頼んできたら、その人を助けるのが正しいことである。
そんな価値観が、アメリカにはあると感じます。
では2日目に行ってきます!
今年は西海岸オレゴン州、ポートランドで行われています。
乗継便の国内線が遅れに遅れ、新宿の教室から26時間かけてようやく到着・・・
ポートランドは路面電車の町。夜11時でも、空港からホテルまで路面電車で行けました。
道も芝もだだっ広く、空は高く、わたしの妄想通りのアメリカの都市って感じで、時間があったら散策のひとつもしたいのですが、朝7時半には会場入りしないといけません。
アメリカ人は朝が早いですね?!
◆自己紹介の威力
こんな話からすみません・・・もじこは明らかに英会話力が上がりましたv。
IDAでは、列に並ぶときに、前後の人と会話が始まるのが普通です。
登録の列で、コーヒースタンドのレジ待ちで、
"Where are you from?"
"Where do you teach?"
から始まり、自分の番が回ってくるまで意見交換し、
"Great talking to you. Have a nice day!" と別れます。
過去2回はその輪に入れず、自分の前後で会話が始まるのを指をくわえて見ているだけだったのですが、今年は自分から仕掛けてますv。
「Where do you come from? I come from Tokyo, Japan. I teach English.
I have a small private classroom. My students are all dyslexics ...」
なぜこれができるかというと、もじこ塾ではしょっちゅう自己紹介をしているからです!覚えるくらい自己紹介を繰り返していると、こういう状況でも言葉が出てくるらしいです。
フォニックスや音韻認識の練習を徹底的にやっていることの効果も感じています。
単語の発音に自信が持てるので、脳のリソースをその分、内容にあてられます。
同業者である参加者と会話することも、IDAに来る大きな意義のひとつだと、3回目にして知ってしまいました。しかもこれは相当楽しいです( ̄ー ̄)
~~
「アメリカでは、ディスレクシアはよく知られているんですか?」
と話を振ると、今日聞いた限りでは全員が
「まだまだ全然。学校のなかでもホールワード派(=アンチ・フォニックス派)のなか一人で戦ってるのよ」
「そもそも、ここポートランドだってホールワード派が主流」とのこと。
IDAに来ているのは特に熱心な先生たちで、彼女たち(ここは女性比率99%の集団です)もそれぞれの場所に帰ると、孤軍奮闘しているらしいです。
このあたりは、LD学会と大差ないようです。
◆「ストラクチャード・リテラシー」とは
とはいえ、IDAのなかでは、フォニックス(英語の音と文字の対応)を明示的・網羅的・段階的に教えることは、当然とされています。
去年は「音韻認識をどう教えるか」が流行語でしたが、今年はどうやらそれもすでに当然となっていて、「統語(受験英語でいう構文)、読解、ライティング(内容のある文章を書く)」もあわせて教えるべきで、そこをどのように教えるかが今年は議論されています。
フォニックス、音韻認識、統語、読解、ライティングをあわせて、
Structured Literacy(ストラクチャード・リテラシー[体系的な読み書き教育])と呼ぶことにしたようです。
ストラクチャード・リテラシーのうち、統語と読解については、日本の英語教育はすでに答えを持っていると思います。
特に構文の教え方は、伊藤和夫(駿台の往年の名講師)が、ある意味ネイティブ用よりも体系的に完成させています。
IDAで、文法やパラグラフ構造の教え方の話を聞くと、
日本の英語教育は、日本語ネイティブのためにはかなりいい線行っていると、改めて感じます。
大きな課題は英語教育の最初の部分、つまり
・英語の音素と文字の対応(フォニックス)、
・英語の音ストリームを聞いて、英語の音素に分解する能力(音韻認識)
に集約されそうです。
来年度から小学校英語が必修化されます。
この2つを教えることが本当に大事なんだと伝えたい・・・
◆フォニックスは、教師の数だけ教え方がある
フォニックスについては、それが「英語のオトと文字の対応を教えること」より先については、それこそ教師の数だけ教え方があると言っても過言ではないようです。
どこまでをフォニックスルールとして教えるか、接頭辞(re-など)や接尾辞(-tionなど)もフォニックスの続きとして教えるか、さらには、シンセティックとアナリティックのどちらがよいかは、教師によって、あるいは対象とする生徒によって違うようです。
今日の発表を聞いて、「一つひとつの字をなんと読むか」の次の段階については、日本発のアナリティック・フォニックスも、IDAの発表内容にひけをとらないと感じました。
◆会場の人たちが唱和できるフレーズ2つ
会場の人たちが唱和できるほど浸透しているらしいフレーズが、2つありました。
・The Simple View of Reading is word recognition and language comprehension
(「読む」のシンプルな説明とは「単語を正しく認識できること」と「言語を理解していること」)
うんとざっくり言うと「読む=読字+読解」とでも言い換えられます。
よくわかります。
もじこ塾には「読字ができれば読解はたやすい」と感じさせる生徒が多いです。
一方で、「字」ではなく「語」を認識すること(word recognition)と言っているのには、注意が必要かなと感じます。
この2つは漢字では重なってますが、英語では別物です。
もじこ塾的には、単語の中がもやもやする、単語の意味をなかなか覚えられない、似た単語をとりちがえる、など、「語」は確かに鬼門です。
ディスレクシアにとって「単語」という単位こそが本当に難しいということは、教えるにあたり意識する必要があります。
・Dyslexia is not a visual processing problem.
(ディスレクシアは視覚処理の問題ではない)
これを会場全体が声を合わせて言えたのにはびっくり。ちょっと、いや、かな~り承服しかねるのですが・・・英語のディスレクシアはそれだけ、音韻の困難が大きいことの表れなのでしょうが、それにしても。
ここにはとても書けませんが、日本のディスレクシア業界がここ数年、視覚的困難に対応してきた成果が、一刀両断されていました。
そんなこともあって、列の前後の人との会話タイムでは、草の根で訴えてしまいました。
「日本では視覚的な困難に関係するとみられるディスレクシアも確実に存在し、英語を学ぶようになって初めて音韻に関係するディスレクシアが表れるんですよ」と。。
◆ディスレクシアが、英語を外国語として学ぶこと
この話は、IDAでは初めて出た気がします。
「ディスレクシアはギフト(才能)だと言われるが、この国で英語が外国語なら、ディスレクシアはギフトとは言えない。
読むことに価値を置くかどうかは文化的な問題。そしてこの国は読むことに価値を置く文化である。機会を得るためには読めないといけない。
大学に入っても読むことに苦しんでいたら、ディスレクシアはギフトというより天井になる」
「ディスレクシアはアッパーミドル白人だけの問題ではない」つまり移民や貧困層の問題でもある、という文脈の話ですし、あくまでも「(アメリカで)ディスレクシアが、英語を外国語として学ぶこと」ではあるのですが、残してきた生徒を思い、心が痛くなる発言でした・・・もじこ塾には、身を削るようにして英語と格闘する生徒がいます。
それでも、アメリカに行ってみたいなら行ってみるべき、ディスレクシアであることはそれを止める理由には少しもならない、と生徒たちには言いたいです。
来てみるとわかりますが、ここは見た目から何から本当に多彩な人たちの集まりです。同調圧力とはベクトルの方向性が真逆で、「自分はこういう人です」という精神的自立が常に要求されます。
と同時に、これは会話を仕掛けられるようになってようやく分かったことですが、
自立した人たち同士が助けを求めること、助けを求められることを、美徳とする文化がアメリカにはあります。
自分をしっかり持った人が、「自分は外国人でディスレクシアなので手伝ってほしい」と頼んできたら、その人を助けるのが正しいことである。
そんな価値観が、アメリカにはあると感じます。
では2日目に行ってきます!
2018-12-05
IDA日記その3:「ディスレクシアは、社会全体を良くする価値観を体現すべき」
「ディスレクシアはマイノリティとして、社会全体を良くする価値観を体現すべき」
アメリカでは、囚人の70~80%がfunctionally illiterate(機能的に識字能力を持たない:ディスレクシアだけでなく、移民などの理由で読めない)とのこと。特に黒人でディスレクシアで、教育に救ってもらえないと、ドラッグや銃に手を出す確率が格段に高まるようです。
刑務所生活の末、40歳近くになってから?読み書きを学び、現在は「囚人コーチング」をしているという黒人男性の発表は、予想通り感動的でした。
~~
「小さい頃から兄弟のなかで自分だけ字が読めず、学校の授業についていけず、親からはバカだと言われ続けたので、自分はバカだとずっと信じてきた。
12歳の時、クラスで指名されて読めず、それが好きな女の子の前だったという屈辱的な経験をしたのをきっかけに、ドラッグの売人の道へ。
17で出所するも、読めないことは変わらないので、結局は自分の知っている唯一の世界である売人に戻ってしまった」
12歳の時、クラスで指名されて読めず、それが好きな女の子の前だったという屈辱的な経験をしたのをきっかけに、ドラッグの売人の道へ。
17で出所するも、読めないことは変わらないので、結局は自分の知っている唯一の世界である売人に戻ってしまった」
講演語録
・「Reading saved my life. It feels good to decode」
(読めることで人生を救われた。デコーディングするのはいい気分)
デコーディングするとは、文字をオトにすること、要は読むこと。
IDAに来ると、読字能力は貧困を断つために絶対に必要、だから何がなんでも読めるようになってもらう・・・という姿勢を改めて感じます。
IDAに来ると、読字能力は貧困を断つために絶対に必要、だから何がなんでも読めるようになってもらう・・・という姿勢を改めて感じます。
・この人が40歳でやった訓練というのは、(1)徹底的な音韻認識の訓練、(2)フォニックス、(3)読むこと、そして(4)書くことの順らしいです。
毎日、2年ほど。まさにレメディエーションですね。
・「彼らはずっとだまされてきたので、希望が必要。と同時に、エビデンスに基づく訓練も必要」。
教師は理解があることが不可欠ですが,それだけでは不十分です。
教師は理解があることが不可欠ですが,それだけでは不十分です。
・「Dyslexia has no colors. That’s the beauty」
(ディスレクシアは人種を超える。そこに美しさがある)
この手の発言に心揺さぶられてしまう私なのですが、それは会場も同じようです。
アメリカにおいて、知的階層に人種差別は存在しないことになっているようですが、実際には超えられない壁があって、心ある白人や黒人はすごく複雑な思いを抱いているらしいです。そのことを、このあとの質疑応答で目の当たりにしました。
アメリカにおいて、知的階層に人種差別は存在しないことになっているようですが、実際には超えられない壁があって、心ある白人や黒人はすごく複雑な思いを抱いているらしいです。そのことを、このあとの質疑応答で目の当たりにしました。
・「有色人種の人が、もっと特別支援教育にたずさわる必要がある」
・・・ほんとにIDAには白人しかいないです。黒人は少ないですし、アジア系はほぼ皆無。この差はなんなのでしょう?
・「ディスレクシアはマイノリティとして、社会的に正しい価値観を体現すべき」
かっこいい・・・(TT)。
私ももじこ塾に来る生徒に対し、もし何かを望んでいいのなら、ディスレクシアとしての権利を主張するだけでなく、ディスレクシア以外の少数者に対しても寛容な心を持ってほしい・・・と常々思っています。
このあと質疑応答に入ると、白人の懺悔大会に。
超えられない人種の壁を感じました。。
超えられない人種の壁を感じました。。
・「子供が8歳でディスレクシアだと分かったので、専用の家庭教師と学校に行っている。数万ドルの投資*で、効果はあったが、以来罪悪感で眠れない(泣)・・・この国には何万人と同じ境遇の子がいて、彼らは同じ助けを受けられないと思うと」。
→たぶんこの人は、NPOに多額の寄付をするか、自分で団体を立ち上げることになるんだと思います(@_@)。
(*ディスレクシア専用学校の学費は,日本の私立医学部のイメージでよいかと)
・「行政でディスレクシア教育を提供しているが、予算の都合で8週間しか行えず、読めないまま送り出すことに、非常にもどかしさを感じる」
→「8週間でできることを、低く見積もってはならない」と諭されていました。私も自戒を込めてそう思います。2カ月ですよね。
・「自分の娘(白人)は22歳で教師志望、それも刑務所でディスレクシア教育をしたいと言っているが、(言いにくそうに)刑務所とは白人の女の子が入っていって何かができる場所なのだろうか」
→お母さんの心配はよく分かります。白人の女の子がふらっと入っていて,相手になるところではないですよね,アメリカの刑務所というのは。
これに対してはイギリスから来たという、ジャネット・ジャクソン風のかっこいい若い黒人女性が「ディスレクシアであれば、人種に関係なく助けられたいと思うはず」と言っていました。
これに対してはイギリスから来たという、ジャネット・ジャクソン風のかっこいい若い黒人女性が「ディスレクシアであれば、人種に関係なく助けられたいと思うはず」と言っていました。
私の意見は・・・
「私も22歳でもじこ塾を作ることは絶対にできなかった。この年齢になったからこそできる指導がある。あなたの娘も、若い今だからできる指導をして、若さがなくなったら刑務所に戻ればいい」
~
以上をアメリカで書き,締め方がわからないまま放置して1ヵ月。。。
いま振り返り,この発表で特に印象的だったのは,
「ディスレクシア教育はcommon good(コモン・グッド)のために行うべきもの」
~
以上をアメリカで書き,締め方がわからないまま放置して1ヵ月。。。
いま振り返り,この発表で特に印象的だったのは,
「ディスレクシア教育はcommon good(コモン・グッド)のために行うべきもの」
コモン・グッドとは,社会全体の利益ということ。
ディスレクシア教育というのは,「うちの子をどうにかして下さい!」ではなく,社会全体のためになるから行うものだ,という発想です。
日本の教育は個人の(または家族の)立身出世のためという部分が大きいと思いますが,
IDAで,そんな卑しい目的を持ちだしたら,恥ずかしくていられなくなりそうです。
アメリカのディスレクシア教育は,あくまでも社会を良くするためのものらしいです。
「コモン・グッドのための教育」という発想は,東アジア的価値観とちょっと違うということも,この一カ月間考え続けてわかってきました。
だからIDAには東洋人が極端に少ないのでしょう。
(100人超の聴衆のうち,東洋人は自分ひとりというケースが,IDAではけっこうありました。)
そして!東アジア的な立身出世的価値観と,合理的配慮は合わないのです。
この項続く(きっと)!
2017-11-13
IDA@アトランタ報告(その4)~スタニスラス・ドゥアンヌ教授講演~
「New Studies on How Literacy Transforms the Brain
(読み能力はいかに脳を変えるか:新しい研究)」
アトランタまで行った最大の目的は,フランスの脳科学者,スタニスラス・ドゥアンヌ教授の講演を聞くことでした。 結論から言うと,(今の私にとって)非常~に驚きの指摘を得ることができました。今日から私の授業はさらに変わります(笑)
この講演は「ノーマン・ガシュウィン・メモリアル・レクチャー」と位置づけられています。ディスレクシア脳研究界の早世したスーパースターを記念し,読みの脳科学の最先端研究を一般人に伝えるのが目的だそうです。
「私たちは先人の肩に乗っている」の言葉とともに,オートンにはじまる過去100年弱のさまざまなディスレクシア研究者や教育者を紹介する映像が流れ,会場の熱気が最高潮に達したところで教授登場。こういう流れを作るのはアメリカ人は本当に上手です。
導入で「"Book"(本),それは非常によくできたツール」と,Macの新製品カンファレンス風?な動画で笑いをとりながら,講演は始まりました。フランス語なまりの強い英語で,画像が満載のスライドをばんばん見せながら,すごいスピードで話は進みます(+_+)。
☆ ☆ ☆
「読めるようになると脳は変わる(Reading transforms the brain)。先生たちが子供に働きかけることで,生徒の脳は変わる。今日はそれについて語りたい。」
★ここで言うReadingは,読解力以前の,文字列を読む能力,
おそらくは1つの単語から短い1文を読む能力と思われます。
おそらくは1つの単語から短い1文を読む能力と思われます。
「話し言葉は努力なしで獲得できるし,脳には話すための専用の部位もある。しかし,読むという行為は後年になって発明されたもの。専用の脳の部位はなく,読字能力は,本来はその目的のためにでなく存在している部位が,リサイクルされて形成される。」
★別の脳科学者から聞いた話では,話す能力は10万年前の人類の祖先から原型がみられる一方,人類が読むようになった歴史はせいぜい5~6000年。人類はまだ読むための脳の部位を進化させるに至っていないのです。
左脳にあるこの部位を,教授は「レターボックス」(文字の箱)または「VWFA(Visual Word Form Area:視覚的に単語の形を認識する部位)」と呼び,いよいよ本題に入ります。
#ここで改めて注意喚起。
この研究では,「単語あるいは文字列の形の認識」を見ていきます。
#ここで改めて注意喚起。
この研究では,「単語あるいは文字列の形の認識」を見ていきます。
「レターボックスは6~9歳の間に完成する。ハイパーレクシアだと5歳にはもうできている。」
「この時に犠牲になるのは,顔を識別する部位。レターボックスが形成されるのに伴い,右脳に移行する」
★ちょw。顔認識ができないハイパーレクシアだったもじこは,きっとレターボックスができたときに,顔を認識する部位が右脳に形成されなかったんでしょうね。
「ディスレクシアの9歳児にはレターボックスがなく,顔を認識する部位も左脳のまま。だがこれはディスレクシアの結果であり,原因ではない。視覚的な困難はディスレクシアの結果であり,原因ではないことが少なくない。脳の可塑性を考えると,早く正すべきと思うが」
★脳の「可塑性(かそせい)」(plasticity)とは,平たく言えば脳が変われる性質を指します。
「レターボックスは,形を認識する脳の部位を,読字能力に再利用することで形成される。これを「ニューロ・リサイクリング」(neurorecycling,神経の再利用)と言う」
★ここからは,さらにたくさんの画像を見せながら,話が進みます。
「レターボックスは,どのような過程を経て形成されるのか。就学直後の,読むことを学び始めたばかりの子供は(☆フランスの話です),レターボックスだけでなく,脳のあちこちの部位が,程度の差はあれ,一時的に激しく活性化する。その後落ち着き,2年生の終わりごろには努力なしで読めるようになっている。この頃には,音韻と文字の対応,音韻認識,そして流暢性を獲得している」
「特に重要なのは”自動化(automaticity)”。読むことが自動化していないと,数の認識や読解など,他のことに脳のリソースを回す余裕ができない」
★生まれた時点では,ヒトの脳は読むための部位を持っていない。就学年齢の頃に,書き言葉という刺激を与えると,文字に対して脳のあちこちが反応する時期を経て,2年ほどでレターボックスだけが活性化するような脳へと変化を遂げている。
以降は,読むという作業は自動化され,とても楽になる(少なくとも定型の場合は)・・・という流れです。
この「自動化」という概念が,このあと重要になってきます。
以降は,読むという作業は自動化され,とても楽になる(少なくとも定型の場合は)・・・という流れです。
この「自動化」という概念が,このあと重要になってきます。
「レターボックスは,脳の可塑性の高い部位に発生し,そこに定着する。読字能力を鍛えない場合,レターボックスができるはずだった場所には,他の視覚認知(道具,家,顔など)が進出する。大人の場合は可塑性が低下し,子供の脳よりも固まっているので,脳を変えるのは難しい。例えば,2年にわたる読み訓練をしても,文字列の認識に努力を要する,つまり自動化に至らない」
★音楽家や数学者,さらには脳卒中でレターボックスの部位がやられた人の脳画像を見せながら,音楽家は楽譜を,数学者は数式を「かたち」として認識する力が高く,レターボックスをおいやっていることを,笑い話として紹介していました。”あちらを立てればこちらが立たず” 的な。
★だんだん時間がなくなり,話がものすごく速くなって,メモも切れ切れに。
「音韻に関係する部位はレターボックスとは別にある。レターボックスが発達すると,話し言葉の認識力も向上する」つまり,音韻認識とレターボックスは相互に関連しながら発達していくようです。あと左右盲の話もしていました★
そして最後に,超駆け足で,驚くべき言葉が!!
「レターボックスとは別に,脳には「音韻に関係する部位」と,「意味理解に関係する部位」がある。
子供においては,『文字→音』の回路,つまり「文字を見て,音を想起するつながり」 を開発する必要がある。この部分は難しく,教師はここを明示的に教える必要がある。
子供の脳は『文字→意味』の回路を勝手に開発する。これが自動化だ」
★( ゚Д゚)!!( ゚Д゚)!!
つまりこれは,「アルファベット言語でも,ある種の視読の域に達するのが理想形」ということのようです!!この発言を講演最後の3分で聞いたときは,足腰立たないほどたまげました。アトランタまで行って本当によかった(笑)
つまりこれは,「アルファベット言語でも,ある種の視読の域に達するのが理想形」ということのようです!!この発言を講演最後の3分で聞いたときは,足腰立たないほどたまげました。アトランタまで行って本当によかった(笑)
しかも,もう一言,続きがありまして・・・
「だが,最初から『文字→意味』の回路だけを,直接開発しようとしてはいけない。
教師が教えるべきはあくまでも『文字→音』の対応」。
★( ゚Д゚)!!( ゚Д゚)!!
つまり,
・教師がホールワード*で読めているからといって,生徒にもそれを最初から要求してはならない。
(*ホールワード(whole word):stopをまるごと「ストップ」と読み,それ以上分解しない読み方。今なお根強い,反フォニックスの最大勢力)
あるいは,
・結果として生徒が視読の域に達するのはかまわないが,教師が最初から「いいよいいよ,音にできなくても。意味だけわかればいいよ」と言ってはならない。
さらには,
・ある程度熟達するまでは,英語の音を伴わない状態でのサイトラは有害。
(*サイトラ(sight translation):英文を見て日本語の訳を言わせる,つまりThis is a penという文を生徒に見せて,教師も生徒もこれを読み上げない状態で,生徒に「これはペンです」と言わせる。通訳における重要なスキルの一つ)
・・・ということを,この発言は示唆しています。
・ある程度熟達するまでは,英語の音を伴わない状態でのサイトラは有害。
(*サイトラ(sight translation):英文を見て日本語の訳を言わせる,つまりThis is a penという文を生徒に見せて,教師も生徒もこれを読み上げない状態で,生徒に「これはペンです」と言わせる。通訳における重要なスキルの一つ)
・・・ということを,この発言は示唆しています。
★家庭の役割は別にあるのでしょうか。これについては
「『家庭内における本の存在』は自動化を加速するので,読み能力獲得の成功に役立つ要素」とのことでした。加えて「『就学前にたくさん話をして,話し言葉の語彙を増やすこと』『音韻の知識』」を挙げていました。
☆ ☆ ☆
終了後,サイン会があったので,持っていた日本語版『意識と脳』をプレゼントしながら少し質問してきました。
私は「脳」という文字を指さしながら
「これは音にしなくても,brainという意味だとわかります。漢字は「文字→意味」ルートを非常に作りやすい性質があります,漢字文化圏の読み戦略はアルファベットのそれとはとても違います」と力説したところ,
「これは音にしなくても,brainという意味だとわかります。漢字は「文字→意味」ルートを非常に作りやすい性質があります,漢字文化圏の読み戦略はアルファベットのそれとはとても違います」と力説したところ,
「アルファベット言語でも,自動化がカギなんだよ(automaticity is the key.)」
と改めて念押しされました( ゚Д゚)そうなんですね~~~
と改めて念押しされました( ゚Д゚)そうなんですね~~~
もう一つ,こんな質問をしてみました。炎上しないといいのですが…
「脳の可塑性が止まってしまい,レターボックスはそれ以降は形成されないという,年齢的な限界はありますか?」
これに対しては「可塑性は減るだけで,完全にはなくならない」と言っていましたが,なおも食い下がったところ「思春期は大きな役割を果たす気がする(I think
puberty plays a big role.)」と言っていました…。
思春期(+_+)女子は超不利ぢゃないですか。
最後に,
最後に,
「超一流の人は知っていることを(少なくとも一般人には)出し惜しみせず,オープンであり,ユーモアがある」は私がディスレクシア・ジャーニーで知ったことの一つですが,ドゥアンヌ教授もそんな一人でした。
~~~
昨夜,無事帰国しました。
アトランタは遠かったですが,むちゃくちゃ勉強になりました!
~~~
昨夜,無事帰国しました。
アトランタは遠かったですが,むちゃくちゃ勉強になりました!
教材を爆買いしてきたので,次回はそれらを紹介したいです。
2017-11-12
IDA@アトランタ報告(その3)
スタニスラス・ドゥアンヌ教授の講演は,本の内容と重なるところも多かったのですが,非常~に示唆に富むものでした。これについては改めてまとめることにして,それ以外で印象に残った発言を書いておきます:
~~~
・「科学的には,読み方をどう教えればいいかは分かっている。
どうやってそれを教育の場に転換すればいいのかは,まだ分かっていない」
IDAのスーパースター,マリアンヌ・ウルフ教授による,ドゥアンヌ教授を紹介するスピーチの一節。
「ディスレクシアの原因遺伝子もつきとめられつつあるし,ディスレクシア脳と定型脳の違いも解明されつつある。そういった研究成果を,どのように読み教育に落とし込んでいくかを,我々は一丸となって考えていかなければならない」…という内容でした。
このResearch to Practice(研究を実践に転換する)は,今回あちこちで聞かれた,IDAの目下のテーマのひとつのようです。
教師には,脳科学の成果を,本当に細かく具体的な授業のコツに活用しようとする姿勢が求められています。
また,どこに行っても,最先端の研究者,現場の教師,そして親や当事者が,完全に対等な立場で語っているのは,アメリカの良い部分が強く出ていると感じました。
日本の関係者も,この点は見習う必要があります。最大のハードルかもしれませんが…
マリアンヌ・ウルフ教授の発言にはもう少し続きがあって,
「同じ考え方をする人たちと,完璧よりも進歩を目指して進んでいく必要がある。なぜなら読めるというのは貧困を絶つ最大の道だから」。
脳科学の研究者が社会改良の視点を持っている点も,IDAの大きな特徴です。
~~~
・「支援と配慮は同時並行であるべき:読み方を学ぶ努力をすることと,読めないことを受け入れてもらうことは,手に手を携えて進める必要がある」(remediation and accommodation should go hand in hand)
「Never Too Late!(遅すぎるということはない)」という題名にひかれて軽い気持ちで参加した発表。行ってみたら,スピーカーは今日が90歳(!!)の誕生日,ディスレクシア教育を1955年から行ってきたという,IDAにおけるレジェンドのようなお方でした。
古き良きアメリカという感じの,白髪を美しくセットして,ピンクと黒のツイードのスーツを着こなしたおばあちゃんです。
受刑者にゼロから読み方を教えた話にはじまり,一言一言が重く,胸に迫るものがありました。
このおばあちゃんのフォニックスの教え方は,非常にリズミカルなアナリティック・フォニックスでした
(ブレンディングはdoesn't make sense to them[彼らには通じない]と言っていました)。
成人で,すでに話し言葉を運用している場合は,単語のなかから音韻を取り出すほうが楽なのでしょう。
まるでジョリーのダイグラフ(ch,oo,orなど,2文字で1つの音になるレターサウンド)のように接尾辞や接頭辞を扱っていたこと,空書き(air-writingと言います)をすること,母音に限っては(無意識なのか)ジョリーのアクション風のものをつけていること,文字を教える順番もabcではなく,頻度と難度に応じた独自のものを採用していることなど,日本人中学生に教えるにあたり,いろいろ参考になる内容でした。
「生徒は本物の本から読まないといけない。たとえほんの少しの単語しか読めなくても。教師が残りを読んであげればいいのです」
「『読み聞かせてもらう経験がなければ,自分で読もうと思うこともなかっただろう』(ある受刑者の言葉)。録音を聞くのと読んであげることは違います。読んであげることは,読解力と読もうとする気持ちを高めるための最良の方法。録音を聞いてもこれは起こりません。ある程度読めるようになったら,オーディオブックも良いのですが」
テクノロジーに逆行するような発言ですが…ことディスレクシア読み指導の最初の段階においては,教師と生徒が,呼吸をあわせて,ひとつのテクストに向き合うべきだと言っているのだと感じました。
~~~
今回,よくわかったのは
「アメリカ人も,ディスレクシアをめぐって,またディスレクシアを含む子供たちに英語をどう教えるかをめぐって,模索を続けている」ということです。
たとえば・・・「フォニックス」と一口に言っても,どういうフォニックスがベストなのかは群雄割拠,まだ誰も天下を取っていないようです。日本語にたとえれば五十音表が定まっていないどころか,小1の国語の教科書が乱立している状態( ゚Д゚)
「音韻認識が弱いと読字困難が出やすいこと,また音韻認識を伸ばすことがディスレクシアにとって効果的だという点については,エビデンスは多々あるが,多感覚が効果的という点についてはエビデンスがほとんどない」という仰天発言も,複数個所で聞きました。
でもオートン協会は多感覚は大事だとうたっているのですが・・・しかし多感覚の定義は実はあいまいなようで・・・(二転三転)
さらには,ディスレクシアの割合も,アメリカでも定かではないことも明らかに。
「スペクトラムなので,ここからがディスレクシアだという線引きが難しい」
とのことでしたが,多くとると20%,少なくとると5~6%とのことでした。
ここにて時間切れ。日本に帰ります!
~~~
・「科学的には,読み方をどう教えればいいかは分かっている。
どうやってそれを教育の場に転換すればいいのかは,まだ分かっていない」
IDAのスーパースター,マリアンヌ・ウルフ教授による,ドゥアンヌ教授を紹介するスピーチの一節。
「ディスレクシアの原因遺伝子もつきとめられつつあるし,ディスレクシア脳と定型脳の違いも解明されつつある。そういった研究成果を,どのように読み教育に落とし込んでいくかを,我々は一丸となって考えていかなければならない」…という内容でした。
このResearch to Practice(研究を実践に転換する)は,今回あちこちで聞かれた,IDAの目下のテーマのひとつのようです。
教師には,脳科学の成果を,本当に細かく具体的な授業のコツに活用しようとする姿勢が求められています。
また,どこに行っても,最先端の研究者,現場の教師,そして親や当事者が,完全に対等な立場で語っているのは,アメリカの良い部分が強く出ていると感じました。
日本の関係者も,この点は見習う必要があります。最大のハードルかもしれませんが…
マリアンヌ・ウルフ教授の発言にはもう少し続きがあって,
「同じ考え方をする人たちと,完璧よりも進歩を目指して進んでいく必要がある。なぜなら読めるというのは貧困を絶つ最大の道だから」。
脳科学の研究者が社会改良の視点を持っている点も,IDAの大きな特徴です。
~~~
・「支援と配慮は同時並行であるべき:読み方を学ぶ努力をすることと,読めないことを受け入れてもらうことは,手に手を携えて進める必要がある」(remediation and accommodation should go hand in hand)
「Never Too Late!(遅すぎるということはない)」という題名にひかれて軽い気持ちで参加した発表。行ってみたら,スピーカーは今日が90歳(!!)の誕生日,ディスレクシア教育を1955年から行ってきたという,IDAにおけるレジェンドのようなお方でした。
古き良きアメリカという感じの,白髪を美しくセットして,ピンクと黒のツイードのスーツを着こなしたおばあちゃんです。
受刑者にゼロから読み方を教えた話にはじまり,一言一言が重く,胸に迫るものがありました。
このおばあちゃんのフォニックスの教え方は,非常にリズミカルなアナリティック・フォニックスでした
(ブレンディングはdoesn't make sense to them[彼らには通じない]と言っていました)。
成人で,すでに話し言葉を運用している場合は,単語のなかから音韻を取り出すほうが楽なのでしょう。
まるでジョリーのダイグラフ(ch,oo,orなど,2文字で1つの音になるレターサウンド)のように接尾辞や接頭辞を扱っていたこと,空書き(air-writingと言います)をすること,母音に限っては(無意識なのか)ジョリーのアクション風のものをつけていること,文字を教える順番もabcではなく,頻度と難度に応じた独自のものを採用していることなど,日本人中学生に教えるにあたり,いろいろ参考になる内容でした。
「生徒は本物の本から読まないといけない。たとえほんの少しの単語しか読めなくても。教師が残りを読んであげればいいのです」
「『読み聞かせてもらう経験がなければ,自分で読もうと思うこともなかっただろう』(ある受刑者の言葉)。録音を聞くのと読んであげることは違います。読んであげることは,読解力と読もうとする気持ちを高めるための最良の方法。録音を聞いてもこれは起こりません。ある程度読めるようになったら,オーディオブックも良いのですが」
テクノロジーに逆行するような発言ですが…ことディスレクシア読み指導の最初の段階においては,教師と生徒が,呼吸をあわせて,ひとつのテクストに向き合うべきだと言っているのだと感じました。
~~~
今回,よくわかったのは
「アメリカ人も,ディスレクシアをめぐって,またディスレクシアを含む子供たちに英語をどう教えるかをめぐって,模索を続けている」ということです。
たとえば・・・「フォニックス」と一口に言っても,どういうフォニックスがベストなのかは群雄割拠,まだ誰も天下を取っていないようです。日本語にたとえれば五十音表が定まっていないどころか,小1の国語の教科書が乱立している状態( ゚Д゚)
「音韻認識が弱いと読字困難が出やすいこと,また音韻認識を伸ばすことがディスレクシアにとって効果的だという点については,エビデンスは多々あるが,多感覚が効果的という点についてはエビデンスがほとんどない」という仰天発言も,複数個所で聞きました。
でもオートン協会は多感覚は大事だとうたっているのですが・・・しかし多感覚の定義は実はあいまいなようで・・・(二転三転)
さらには,ディスレクシアの割合も,アメリカでも定かではないことも明らかに。
「スペクトラムなので,ここからがディスレクシアだという線引きが難しい」
とのことでしたが,多くとると20%,少なくとると5~6%とのことでした。
ここにて時間切れ。日本に帰ります!
2017-11-11
IDA@アトランタ報告(その2)
2時間後に,最大のお目当ての報告が始まるので,記憶が上書きされる前に書いておきます・・・
◆「天才たちは学校がきらいだった」の著者,トーマス・G・ウェスト氏のプレゼンは,日本から行ったかいがある素晴らしいものでした(T T)
IDA入りして初めて,それどころか学会と名がつくもので初めて,ディスレクシアの強みについて語られたプレゼンを聞きました。
それには理由があることも,この発表で明らかに・・・
・題名は「オートンが患者MPから学んだこと」。
オートンとは,ディスレクシアを「字盲」と名付けてはじめて世に問うた人。IDAは前身を「オートン協会(Orton Society)」と言い,またこちらではOrton-Gillingham(オートン・ギリンガム)メソッドが,ディスレクシア向け英語教授法としてスタンダードになっているようです。
この発表の根底にあるメッセージは「オートンは最初からすべてを見抜いていた」。
ウェスト氏は,オートンを「僕の第一のヒーロー」と呼び,こんなエピソードを紹介します:
「オートンは1925年,アイオワ州で142人のドロップアウトを集めて調査を行った。
そのなかでMP(16歳)という,まったく字が読めない少年を見て,当時新しかったビネー式検査(現在のIQテストの元になったもの)を行い,こう述べている:
『IQ検査はビジュアル化の能力を正当に評価しない。
彼の受け答えはすぐに返ってきたし的確だった』」
「つまり,オートンはIQという概念の限界をすでに見抜いていた。これはしょせん,学校で成功するのは誰かをはかるテストに過ぎない。アメリカでは現在,すべての面で成功するのは誰かをはかるテストだと勘違いされているが」
・「映像思考の人は,言葉や書物という古いテクノロジーの世界では分が悪いが,CGが表現するような新しいテクノロジーにはパーフェクトに適応できる。
これからやってくる複雑な世界に適応できる人種。」
・ウエスト氏の第2のヒーローはNorman Gerchwin。オートンに続いてディスレクシアのポジティブ面に迫った人で,早世がたいへん惜しまれまる方だそうです。
この人によると:
「ディスレクシアとは,脳の遂行機能と関係がある。ここは前頭葉のなかでも最も遅く発達するところで,ここが成長すると整理整頓の苦手もなくなる。そしてギフテッドなほど整理整頓の苦手度も激しい。
ディスレクシアの人は,通常の人より脳細胞の死滅が少なく,左脳と右脳が対称的で,長いつながりが多い。これは無関係なことをつなげる能力となる。
多様性,ランダムさをより多くもち,遅咲き[完成形に至るまでより長期間を要する]。
狩人タイプで,人間集団の進化に必要な存在」
・「ディスレクシアの強みは,小さな%,個人的な話,少数者の力,違いや個性の部分に現れる。このため,主流の"科学研究"(数値化し,より大きな数値のものを一般化していく)ではすくい取れない。
ディスレクシアの強みを記述するには,個人のライフヒストリーをじっくりと聞き,そこからデータを集める必要がある。
These talents are invisible to conventional academic measures.
(ディスレクシアの才能は,従来のアカデミズムの手法ではすくい取れない)
オートンは,ディスレクシア研究のはじめから,そのことを指摘していた。」
・「成功した偉大なディスレクシアにおいてうまくいったことを,あらゆるディスレクシアに活用すべき。ディスレクシアを教える教師や親もその部分をサポートすべき。」
・ウェスト氏自身もディスレクシアだそうで,ファミリーヒストリーを紹介していました。先祖はイギリスのコッツウォルズに暮らすクエーカー教徒で,食料雑貨店を経営する,町の便利屋だったそうです。
「ディスレクシアの血は何世代も,何世紀にもわたってさかのぼることが可能だが,これらが文書になって残っていることは珍しい。イギリスでは英国教会に属していなければ名門大学には入れない時代が長く,クエーカー教徒はアカデミックな世界とはほど遠いところにいた」しかし,それぞれの場所でクリエイティブに生きて来たのです。
祖先がかかわっていたという,飛行機,機械いじり,建築,絵画,発明…などのパワポを見せられました。生徒の関心,そしてうちの父の家系と重なる・・・
~
こじんまりとして静かで,しかもご本人も「エストニアで開かれていた電子政府の学会からとんぼ返りしてきて時差ボケが」と言っているくらいテンション低めの発表でしたが,ディスレクシアの人らしい,時空がゆがむような感覚を覚える発表でした。
終了後,「私がディスレクシアについて読んだ最初の本はあなたの本でした。You are my hero!!」と言いに行きました(笑)
この人の本は本当に読んでほしいです!!訳したい,でも時間が…
◆もっと実務的な発表もいくつか聞きました。
・ディスレクシアには,「雑だが速い」タイプと,「正確だが遅い」タイプがいる。このうち後者のほうが(アメリカの特別支援で要求されている「介入に成功」の基準に達するまでの)困難度が高い,という趣旨の発表は,「用語の定義が間違っている」「解釈がおかしい」と,フロアにぼこぼこにされていました。
でも私はしみじみと同意するところがありました。「読むのが遅いタイプのディスレクシアにとって,試験という時間制限の壁を突破するのは,やはり本当に大変だ」というメッセージを受け取りました。
・アメリカ人も,ブレンディングやセグメンティングを知らないようです!
教室でブレンディングをする動画を流したら,会場中が「へ~」「ほ~」「そうやるんだ~」という雰囲気になっていました。
なお,会場ではブレンディングやセグメンティングが「音韻認識強化の練習」とされ,「音韻と文字を結び付けること」がフォニックスと呼ばれているようです。
そして,フォニックスはシンセティック・フォニックスとほぼ同義のようです。
フォニックスは過去30年間,政治問題になるほど複雑な歴史があったようで,学校では「フォニックス」という言葉は禁止だった時代があったようです(これは本当に黒歴史らしく,あまり語られません)。その後,本気で識字率が落ちた(地方だと,日常生活をぎりぎり送れる程度以上には読み書きできない人が3割いるところもあるそうです( ゚Д゚)。オーストラリアは4割がそうだとの発言も)ので,政府が方針を転換したようです。
実は「ディスレクシア」という言葉も行政用語としてはどうやら微妙なようで,RD(reading disability:読み障害)と言い換えられているようです。
・「ディスレクシアの子には,シンタックスをきちんと教えるべき」と力説する発表では目が点に。構文を学ぶことが役に立つというか必要だという話です。
結論だけ書くと・・・どうやら,日本の受験英語は全然捨てたものではないです。というよりむしろ,日本の文法重視の英語教育は,英語に触れる機会が極端に限定された環境で最大限に効率的に英語を身に着ける方法としては,ものすごくよくできていると再認識しました。伊藤和夫恐るべし。
日本の英語教育に足りないものがあるとしたら,音韻認識とフォニックス,そして中学英語レベルの基本文が反射的に出てくるようにするための訓練だと思います。前からそう思っていたのですが,そのことを確信するに至りました^^
・ディスレクシア介入方法として,音韻認識の練習,フォニックスに続けて行うべきは,接頭辞や接尾辞を覚えること,そして流暢性(fluency)の獲得だそうです。時間をはかっての音読が必要とのことでした。そうでしょう。
これについては,日本の英語教育でよくみられる「長文問題の内容を覚えていれば解ける定期試験」は非常に有害と再認識しました。2行でも3行でも,覚えずに"読む"訓練の徹底が必要です。
・英語教育の本場?にも,確立したディスレクシア介入法は存在しないようです。
ディスレクシアは多彩すぎて,メソッドを確立することができないようです。
いろんな素材を用意しておいて,生徒にあわせて作るくらいのスタンスが必要らしいです。
◆「天才たちは学校がきらいだった」の著者,トーマス・G・ウェスト氏のプレゼンは,日本から行ったかいがある素晴らしいものでした(T T)
IDA入りして初めて,それどころか学会と名がつくもので初めて,ディスレクシアの強みについて語られたプレゼンを聞きました。
それには理由があることも,この発表で明らかに・・・
・題名は「オートンが患者MPから学んだこと」。
オートンとは,ディスレクシアを「字盲」と名付けてはじめて世に問うた人。IDAは前身を「オートン協会(Orton Society)」と言い,またこちらではOrton-Gillingham(オートン・ギリンガム)メソッドが,ディスレクシア向け英語教授法としてスタンダードになっているようです。
この発表の根底にあるメッセージは「オートンは最初からすべてを見抜いていた」。
ウェスト氏は,オートンを「僕の第一のヒーロー」と呼び,こんなエピソードを紹介します:
「オートンは1925年,アイオワ州で142人のドロップアウトを集めて調査を行った。
そのなかでMP(16歳)という,まったく字が読めない少年を見て,当時新しかったビネー式検査(現在のIQテストの元になったもの)を行い,こう述べている:
『IQ検査はビジュアル化の能力を正当に評価しない。
彼の受け答えはすぐに返ってきたし的確だった』」
「つまり,オートンはIQという概念の限界をすでに見抜いていた。これはしょせん,学校で成功するのは誰かをはかるテストに過ぎない。アメリカでは現在,すべての面で成功するのは誰かをはかるテストだと勘違いされているが」
・「映像思考の人は,言葉や書物という古いテクノロジーの世界では分が悪いが,CGが表現するような新しいテクノロジーにはパーフェクトに適応できる。
これからやってくる複雑な世界に適応できる人種。」
・ウエスト氏の第2のヒーローはNorman Gerchwin。オートンに続いてディスレクシアのポジティブ面に迫った人で,早世がたいへん惜しまれまる方だそうです。
この人によると:
「ディスレクシアとは,脳の遂行機能と関係がある。ここは前頭葉のなかでも最も遅く発達するところで,ここが成長すると整理整頓の苦手もなくなる。そしてギフテッドなほど整理整頓の苦手度も激しい。
ディスレクシアの人は,通常の人より脳細胞の死滅が少なく,左脳と右脳が対称的で,長いつながりが多い。これは無関係なことをつなげる能力となる。
多様性,ランダムさをより多くもち,遅咲き[完成形に至るまでより長期間を要する]。
狩人タイプで,人間集団の進化に必要な存在」
・「ディスレクシアの強みは,小さな%,個人的な話,少数者の力,違いや個性の部分に現れる。このため,主流の"科学研究"(数値化し,より大きな数値のものを一般化していく)ではすくい取れない。
ディスレクシアの強みを記述するには,個人のライフヒストリーをじっくりと聞き,そこからデータを集める必要がある。
These talents are invisible to conventional academic measures.
(ディスレクシアの才能は,従来のアカデミズムの手法ではすくい取れない)
オートンは,ディスレクシア研究のはじめから,そのことを指摘していた。」
・「成功した偉大なディスレクシアにおいてうまくいったことを,あらゆるディスレクシアに活用すべき。ディスレクシアを教える教師や親もその部分をサポートすべき。」
・ウェスト氏自身もディスレクシアだそうで,ファミリーヒストリーを紹介していました。先祖はイギリスのコッツウォルズに暮らすクエーカー教徒で,食料雑貨店を経営する,町の便利屋だったそうです。
「ディスレクシアの血は何世代も,何世紀にもわたってさかのぼることが可能だが,これらが文書になって残っていることは珍しい。イギリスでは英国教会に属していなければ名門大学には入れない時代が長く,クエーカー教徒はアカデミックな世界とはほど遠いところにいた」しかし,それぞれの場所でクリエイティブに生きて来たのです。
祖先がかかわっていたという,飛行機,機械いじり,建築,絵画,発明…などのパワポを見せられました。生徒の関心,そしてうちの父の家系と重なる・・・
~
こじんまりとして静かで,しかもご本人も「エストニアで開かれていた電子政府の学会からとんぼ返りしてきて時差ボケが」と言っているくらいテンション低めの発表でしたが,ディスレクシアの人らしい,時空がゆがむような感覚を覚える発表でした。
終了後,「私がディスレクシアについて読んだ最初の本はあなたの本でした。You are my hero!!」と言いに行きました(笑)
この人の本は本当に読んでほしいです!!訳したい,でも時間が…
◆もっと実務的な発表もいくつか聞きました。
・ディスレクシアには,「雑だが速い」タイプと,「正確だが遅い」タイプがいる。このうち後者のほうが(アメリカの特別支援で要求されている「介入に成功」の基準に達するまでの)困難度が高い,という趣旨の発表は,「用語の定義が間違っている」「解釈がおかしい」と,フロアにぼこぼこにされていました。
でも私はしみじみと同意するところがありました。「読むのが遅いタイプのディスレクシアにとって,試験という時間制限の壁を突破するのは,やはり本当に大変だ」というメッセージを受け取りました。
・アメリカ人も,ブレンディングやセグメンティングを知らないようです!
教室でブレンディングをする動画を流したら,会場中が「へ~」「ほ~」「そうやるんだ~」という雰囲気になっていました。
なお,会場ではブレンディングやセグメンティングが「音韻認識強化の練習」とされ,「音韻と文字を結び付けること」がフォニックスと呼ばれているようです。
そして,フォニックスはシンセティック・フォニックスとほぼ同義のようです。
フォニックスは過去30年間,政治問題になるほど複雑な歴史があったようで,学校では「フォニックス」という言葉は禁止だった時代があったようです(これは本当に黒歴史らしく,あまり語られません)。その後,本気で識字率が落ちた(地方だと,日常生活をぎりぎり送れる程度以上には読み書きできない人が3割いるところもあるそうです( ゚Д゚)。オーストラリアは4割がそうだとの発言も)ので,政府が方針を転換したようです。
実は「ディスレクシア」という言葉も行政用語としてはどうやら微妙なようで,RD(reading disability:読み障害)と言い換えられているようです。
・「ディスレクシアの子には,シンタックスをきちんと教えるべき」と力説する発表では目が点に。構文を学ぶことが役に立つというか必要だという話です。
結論だけ書くと・・・どうやら,日本の受験英語は全然捨てたものではないです。というよりむしろ,日本の文法重視の英語教育は,英語に触れる機会が極端に限定された環境で最大限に効率的に英語を身に着ける方法としては,ものすごくよくできていると再認識しました。伊藤和夫恐るべし。
日本の英語教育に足りないものがあるとしたら,音韻認識とフォニックス,そして中学英語レベルの基本文が反射的に出てくるようにするための訓練だと思います。前からそう思っていたのですが,そのことを確信するに至りました^^
・ディスレクシア介入方法として,音韻認識の練習,フォニックスに続けて行うべきは,接頭辞や接尾辞を覚えること,そして流暢性(fluency)の獲得だそうです。時間をはかっての音読が必要とのことでした。そうでしょう。
これについては,日本の英語教育でよくみられる「長文問題の内容を覚えていれば解ける定期試験」は非常に有害と再認識しました。2行でも3行でも,覚えずに"読む"訓練の徹底が必要です。
・英語教育の本場?にも,確立したディスレクシア介入法は存在しないようです。
ディスレクシアは多彩すぎて,メソッドを確立することができないようです。
いろんな素材を用意しておいて,生徒にあわせて作るくらいのスタンスが必要らしいです。
2017-11-09
IDA@アトランタ報告(その1)
東京の自宅から足かけ22時間、アトランタまでやってきました!
アトランタは黒人の町です。ホテルで働いている人もどうやら全員黒人、町の金持ちも多くが黒人、会場の高級ホテルから徒歩5分の公園に昼間からたむろしている無職の若者たちも黒人。。
私が接する黒人の方々はみな、誇り高く、声が大きくて、堂々とした人たちです。こっちも堂々と受け答えしないと負けます(泣き笑い)
そんなアトランタで4日間かけて開催されるIDA(国際ディスレクシア協会)の年次総会。
会場内は一転、白人女性が圧倒的でした。黒人は1割、男性は3%以下。東洋人は本当にいません(お会いした唯一の方は、日本の大学教員の方でした!)
おそらくみなさん、全米から集まってきた教員なんだと思います・・・
なんとなく、聴衆の雰囲気はLD学会に似ています(笑)
本日印象的だった発言から:
「識字教育は人権問題である」
(Literacy is a civil rights issue)
全体シンポジウムで黒人女性の特別支援教師が力説していた一言。すべての人が読めるようになる権利がある。なぜ今日ここに政府関係者が来ていないのだ。公民権運動がこの地で草の根から始まったように、そろそろ識字教育も草の根[教師]から始まってもいい…という流れでした。
終了後、「私は日本で英語を教える一介の英語教師なんですけど、感動したと言いたくて来ちゃいました~~」と言いに行ったら「Don't say you're just an English teacher. We walk together(単なる英語教師なんてことはないのよ。それぞれの場所で戦いましょう)」と言ってもらえました。
英語って、中1単語だけの方がかっこいい~(笑)
「ディスレクシアへの介入は、1対1より1対4~5のほうが効果的」
「プルーストとイカ」の著者、マリアンヌ・ウルフ教授がフロアからスピーカーに入れていた突っ込み。「There's sort of a communal feeling, which drives the learning process」(そのほうが生徒の間に仲間意識が生まれ、学習が加速する)と。
そうなんです、もじこ塾が中学生クラスを集団化したのもまさに、この仲間意識の美しさを目の当たりにしたからです。(浪人生の1対1も、とても深いところまで行くんですけどね…)
ところで、マリアンヌ・ウルフ教授は、ものすごくエンパシーにあふれた方でした。
「音素は人工物である」(phonemes are artifacts)
音素(「単語の意味を変えることのできる、話し言葉の最小単位」ざっくり言うと英語のオトの最小単位)は抽象的な概念であり、これを理解することが読み能力には不可欠。そしてこれには明示的な学習が必要。
・・・ということをネイティブから断言されて、たいへん自信になりました。
「ディスレクシア脳は"寄り道"が多い」(配線が異なり、不安定で、神経リソースも食う)
つい数週間前に、中学生が自分語りで「僕は数学の問題を見てもいろいろ考えが寄り道してしまう」と語っていたのを、強烈に思い出させた一言。午前中のこのシンポジウムはそれ以外にも、いろんな生徒の読む様子を思い出させる内容でした。その一部:
・言語というのは、まず何より話し言葉として存在する。書き言葉は話し言葉を文字化したもの。(Writing is based on speech)。
そんな書き言葉の習得には、音韻認識・文字の知識・ブレンディング/セグメンティングが必要で、これらはすべて明示的に終えることが必要だし、また可能でもある。
・脳は一度文字を知ってしまうと変化し、その後もダイナミックに変化を続ける。生後4時間の新生児と、文字を知っている8歳では、言語の単音を聞いたときに脳が活性化する場所が異なる。脳は学習内容によって変化し、新たな学習に備える。
・定型児だと、字を見て0.1秒以内に、ブローカ野が活性化する。これは、口の動きと関係する部位。つまり、字を見た瞬間にオトが想起されるということ。(その後、ブローカ野と関係ない部位も活性化される。)
・読み能力を学習中の脳のほうが、読み能力が定着した脳よりも、神経のリソースを食う。
・ディスレクシアだと、活性化していく部位が異なり、ネットワークが不安定であり、かつリソースもより多く食っている。
・ここから、ディスレクシアに役立つのは
1) reduce unnecessary clutter(余計な情報を減らす):読みに直接関係ある情報だけ与える[だらだら長く無意味なものは読ませない、という意味かもしれません]
2) slow down time(スピードを落とす):寄り道が多い脳のためには、インプットの速度を落とせば、寄り道の分を打ち消せるだろう
3) develop alternative routes(脳の別経路を開発する)
→いろんな生徒のことが思い出されました。
読んでから、意味を想起するのにふた呼吸くらい置かなければならない生徒、
大量にチョコレートを食べながら読む生徒、
上で紹介した「どうしても寄り道してしまう」と悩む生徒。
あるいは、誤学習を徹底しすぎて、英語を見ても図形にしか見えず、オトとまったく結び付けられなくなってしまった生徒・・・
彼ら彼女らは、"脳の別経路を開発"することで、読み能力が改善するのでしょうか?
~~
夕方からは出展ブースへ。LD学会と違うのは、学校案内のブースが目立つこと(10校は来てます)。渡米前に聞いた話では、教育費に糸目をつけないユダヤ人子弟が、こうした少人数の学校に通わせるのだとか。そんな話はシンポジウムでは一言も出なかったことを考えると、やはりアメリカでは教育格差というものは、日本で報じられるよりもはるかに深い問題なのかもしれません。
私は教材系のブースを見てまわり、中高生用のデコーダブル・ブックス(フォニックスルールにできるだけ沿った本)のサンプルを何社かからもらってきました。「I came from Japan.」と言うとみんな驚いてくれます(笑)。もじこ塾で多読を宿題にするのが今の野望です。
アトランタは黒人の町です。ホテルで働いている人もどうやら全員黒人、町の金持ちも多くが黒人、会場の高級ホテルから徒歩5分の公園に昼間からたむろしている無職の若者たちも黒人。。
私が接する黒人の方々はみな、誇り高く、声が大きくて、堂々とした人たちです。こっちも堂々と受け答えしないと負けます(泣き笑い)
そんなアトランタで4日間かけて開催されるIDA(国際ディスレクシア協会)の年次総会。
会場内は一転、白人女性が圧倒的でした。黒人は1割、男性は3%以下。東洋人は本当にいません(お会いした唯一の方は、日本の大学教員の方でした!)
おそらくみなさん、全米から集まってきた教員なんだと思います・・・
なんとなく、聴衆の雰囲気はLD学会に似ています(笑)
本日印象的だった発言から:
「識字教育は人権問題である」
(Literacy is a civil rights issue)
全体シンポジウムで黒人女性の特別支援教師が力説していた一言。すべての人が読めるようになる権利がある。なぜ今日ここに政府関係者が来ていないのだ。公民権運動がこの地で草の根から始まったように、そろそろ識字教育も草の根[教師]から始まってもいい…という流れでした。
終了後、「私は日本で英語を教える一介の英語教師なんですけど、感動したと言いたくて来ちゃいました~~」と言いに行ったら「Don't say you're just an English teacher. We walk together(単なる英語教師なんてことはないのよ。それぞれの場所で戦いましょう)」と言ってもらえました。
英語って、中1単語だけの方がかっこいい~(笑)
「ディスレクシアへの介入は、1対1より1対4~5のほうが効果的」
「プルーストとイカ」の著者、マリアンヌ・ウルフ教授がフロアからスピーカーに入れていた突っ込み。「There's sort of a communal feeling, which drives the learning process」(そのほうが生徒の間に仲間意識が生まれ、学習が加速する)と。
そうなんです、もじこ塾が中学生クラスを集団化したのもまさに、この仲間意識の美しさを目の当たりにしたからです。(浪人生の1対1も、とても深いところまで行くんですけどね…)
ところで、マリアンヌ・ウルフ教授は、ものすごくエンパシーにあふれた方でした。
「音素は人工物である」(phonemes are artifacts)
音素(「単語の意味を変えることのできる、話し言葉の最小単位」ざっくり言うと英語のオトの最小単位)は抽象的な概念であり、これを理解することが読み能力には不可欠。そしてこれには明示的な学習が必要。
・・・ということをネイティブから断言されて、たいへん自信になりました。
「ディスレクシア脳は"寄り道"が多い」(配線が異なり、不安定で、神経リソースも食う)
つい数週間前に、中学生が自分語りで「僕は数学の問題を見てもいろいろ考えが寄り道してしまう」と語っていたのを、強烈に思い出させた一言。午前中のこのシンポジウムはそれ以外にも、いろんな生徒の読む様子を思い出させる内容でした。その一部:
・言語というのは、まず何より話し言葉として存在する。書き言葉は話し言葉を文字化したもの。(Writing is based on speech)。
そんな書き言葉の習得には、音韻認識・文字の知識・ブレンディング/セグメンティングが必要で、これらはすべて明示的に終えることが必要だし、また可能でもある。
・脳は一度文字を知ってしまうと変化し、その後もダイナミックに変化を続ける。生後4時間の新生児と、文字を知っている8歳では、言語の単音を聞いたときに脳が活性化する場所が異なる。脳は学習内容によって変化し、新たな学習に備える。
・定型児だと、字を見て0.1秒以内に、ブローカ野が活性化する。これは、口の動きと関係する部位。つまり、字を見た瞬間にオトが想起されるということ。(その後、ブローカ野と関係ない部位も活性化される。)
・読み能力を学習中の脳のほうが、読み能力が定着した脳よりも、神経のリソースを食う。
・ディスレクシアだと、活性化していく部位が異なり、ネットワークが不安定であり、かつリソースもより多く食っている。
・ここから、ディスレクシアに役立つのは
1) reduce unnecessary clutter(余計な情報を減らす):読みに直接関係ある情報だけ与える[だらだら長く無意味なものは読ませない、という意味かもしれません]
2) slow down time(スピードを落とす):寄り道が多い脳のためには、インプットの速度を落とせば、寄り道の分を打ち消せるだろう
3) develop alternative routes(脳の別経路を開発する)
→いろんな生徒のことが思い出されました。
読んでから、意味を想起するのにふた呼吸くらい置かなければならない生徒、
大量にチョコレートを食べながら読む生徒、
上で紹介した「どうしても寄り道してしまう」と悩む生徒。
あるいは、誤学習を徹底しすぎて、英語を見ても図形にしか見えず、オトとまったく結び付けられなくなってしまった生徒・・・
彼ら彼女らは、"脳の別経路を開発"することで、読み能力が改善するのでしょうか?
~~
夕方からは出展ブースへ。LD学会と違うのは、学校案内のブースが目立つこと(10校は来てます)。渡米前に聞いた話では、教育費に糸目をつけないユダヤ人子弟が、こうした少人数の学校に通わせるのだとか。そんな話はシンポジウムでは一言も出なかったことを考えると、やはりアメリカでは教育格差というものは、日本で報じられるよりもはるかに深い問題なのかもしれません。
私は教材系のブースを見てまわり、中高生用のデコーダブル・ブックス(フォニックスルールにできるだけ沿った本)のサンプルを何社かからもらってきました。「I came from Japan.」と言うとみんな驚いてくれます(笑)。もじこ塾で多読を宿題にするのが今の野望です。
2017-03-07
「読み書き困難の子への英語の教え方をシェアする指導者の会」/ブログ開設5周年
ご報告が遅くなり申し訳ありません。
先週、3回目となる指導者向けの勉強会を行いました。
ご参加下さった皆様、発表して下さった方、ありがとうございました。
☆ ☆ ☆
1人目の発表は、教育ママから、LD児をも対象とする能力開発講師へと転身を遂げた方。
教材や心の持ちようについて、渾身の発表でした。
感想より:
・「考えない子」を育てる今の教育システムに、NGを体で表現できるLD児たちに感謝なんですね。
・私の教室に来ている読み書き困難の子は、みんな耳が良く、発音もよいです。わからない問題も多いのですが、自分の知識を使ってなんとか答えを出そうとする力は、他の子よりも強いように思います。LDの子たちのよいところをうまく利用した英語学習の可能性について学んでみたいです。
・学校の先生にも聞かせたい!と思いました。息子のプリント、ノートに大きくつけられた、沢山の×を思いだし、心が痛かったです。(「×を大きくつけてはならない」という話に対して)
発表者の方より:
~~~
「能力あそび」の時間についてご質問頂いた方、
イメージがつかみにくかったかもしれません。
京王線・千歳烏山でやっている英語クラス(金曜日) は会場もひろく
見学可能ですので、いつでもどうぞ、とお伝えください。
教室のFBページをご覧いただくのも参考になるかもしれません。
ご質問などもFBページから受け付けてます。
~~~
☆ ☆ ☆
2人目は、予定していた方が急病につき、
ピンチヒッターでわたくし(もじこ)が発表を行いました。
「日本の中学1年生用の「シンセティック・フォニックス」の構築に向けた一提案」
いま私は、予備校で、新中1(中学受験直後の小6)に、シンセティック・フォニックスを教えています。
ジョリーは素晴らしい教材ですが、未就学児用に作られていますし、私には予備校ならではの制約があります(他社商品は使えない、教科書[特にNew Treasure]につなげなければならない)
そこで、知的好奇心旺盛な日本語ネイティブの新中1用の、さらにはディスレクシア・フレンドリーであることを念頭においたシンセティック・フォニックスの案を発表し、皆様の意見を伺いました。
感想はおおむね好評でした。が、
感想はおおむね好評でした。が、
シンセティック・フォニックスは非常に学習効果が高く、生徒はすぐに「できる自分」を確認できる。このため、吸収力の高い子があっという間にのび、LDの子との差が開く。
という点については、参加者の方からも同じ指摘を申し込み時に受けていたのですが、答えが出ませんでした。
この発表内容については、もう少し練り上げてから、公開します。
☆ ☆ ☆
この会は、現場の声をシェアすることにこだわる、また保護者が指導者になるケースも多々あるので(今回の発表者は二人ともそうです)、両者の垣根を作らない・・・という趣旨で始まりました。
3回目の今回は(も)、平日昼間の開催にもかかわらず、さまざまな立場で学校現場に関わる方、さらには当事者の方まで、多彩な方にご参加いただくようになりました。
ありがとうございます。
・保護者の方たちの声を生で聞くことができたのが今日の一番の収穫でした。また、指導者の方たちの知識や熱意に触れ、大変勉強になりました。学校現場で、どんなことができるのか、真剣に考えていきたいとあらためて感じました。
☆ ☆ ☆
もじこの個人的感想は、あいかわらず飛躍が多いのですが
「気付いた人が、それぞれの場所で、できることをする」
これが、変化に不可欠な一歩だと、
そして、自分の直観で「これはディスレクシアの子に響いている」と思えたことは、たとえ一般に"良い"とされることとは違っていても、勇気をもって実行すべきだと、改めて実感しました。
さらに、次の段階として、「気付いた人同士がゆるやかにつながると、変化がさらに加速する」があるようですが、私にとってはここが難しい。
せっかく多彩な方をお迎えしているのに・・・大きな課題です。
当ブログは3月3日をもって、開設からまる5年が経過しました。
この勉強会もそうですが、ディスレクシア・ジャーニー最大の教訓のひとつは「情報は、出せば出すほど入ってくる」。
情報というのは、ため込んだり、一方的にもらおうとするだけだと、手に入らない種類のものらしいです(少なくとも良い情報は)。本当です。
この5年、ずいぶんいろんなことが変わった気もしますし、特に英語教育の現場は何も変わっていない気もします。
今後とも、ディスレクシア・ムーブメントを加速させていきたいです。
皆様のお力添えを、どうぞよろしくお願いいたします。
(次回の指導者向け勉強会の開催は未定です。発表してみたいという方が1名いれば、開催が決定します。私でよければ・・・という方、ぜひお知らせ下さい!!)
2016-11-23
「英語力=英単語のデコーディング能力」ではない
発達性ディスレクシア研究会の研修会に行ってきました。
久しぶりに、目が覚めるような話を聞けました!
◆マックス・コルトハート教授★は、二重経路理論という、この業界では有名な読みのモデルを提唱した方。
今日のお話は、発達性ディスレクシア(=生まれつきのディスレクシア)には7つのタイプ(!)がある、というもの。
ディスレクシアにさまざまなタイプがあることは、今日の雰囲気だと研究者の間では既定路線のようでしたが、一般にはそこまで知られていない気がします。
・「音韻性ディスレクシア」(phonological dyslexia):9割を占める。
音韻処理の苦手と関係している。
・「表層性ディスレクシア」(surface dyslexia:surfaceという言い方は、チョムスキーの「表層構造」に由来するとのこと)というタイプもある。
音韻性ディスレクシアは、漢字よりもひらがな/カタカナ(の非語)の読みが困難。
日本語は大丈夫でも、英語になると問題が出るタイプはこちら。
表層性ディスレクシアは、ひらがな・カタカナに問題がないものの、
漢字に困難を覚えるタイプとのこと。
あとで「この原因は何ですか?」と質問したところ、It's a mystery(謎です)と言っていました(!!)
漢字が覚えられない悩みは当ブログの一大テーマですが、その原因が謎だとは。。
そして、大半のディスレクシアは、複数のタイプが組み合わさっており、1つのタイプだけを持っていることはほとんどない、とのことでした。
個人的に一番驚きだったのは、ハイパーレクシアがディスレクシアの7つのタイプの1つに分類されていたこと∑( ̄0 ̄;。
ハイパーレクシアは、「読字はできても意味につなげられない人たち」と説明されていました。この人たちの治療方法は解明されていないとも。
もじこもディスレクシアらしいです!なんか嬉しい(笑)
(より正確には、これも本日何度か登場していたcompensated dyslexic=ディスレクシアゆえの不足が補完されるに至ったディスレクシアなのでしょうが)
もう一つ、はっとしたのが、
「英語力=単語を読む能力(or単語を想起する能力)」とする点について。
研究者が、ひとつの単語を見せてそれを読む能力に注目するのは、研究目的でやっていることであると、明言されていました。構文力や読解力にはあえて立ち入らないと。
アセスメント(読み能力の調査)においても、1つの単語を示してそれが読めるかを見るのは、有効なことでしょう。
でも、だからといって、ディスレクシアに英語を教えるときにも、同じアプローチを使う必要はないはずです。
研究目的でのディスレクシアへのアプローチと、ディスレクシア英語教育のためのアプローチは、違うのが当然なのです。
すごく多くの教師、さらには親が、英語力=単語想起力であるかのように考えているらしいのは、本当におかしいと私は思ってます。
要は、単語テストでひどい点数をとってきたと言って悲観的になりすぎる親や教師は多いわけですが、これは間違ってます。
英語力をのばすには、ひとつの単語をぱっと見せられて、それを声に出して読む力以外にも、ディスレクシアのタイプ分けの研究においてあえて避けているという構文や読解力などいろんな能力が関わっていて、それらを強化するアプローチは(人により到達点に差はありますが)とても有効です。
そこから、タイトルの「英語力=英単語のデコーディング能力ではない」に至るわけですが、、
もちろん、構文力や読解力を先に身につけたディスレクシアは、いよいよ本丸であるデコーディング(文字を見て音にする)力の強化と向き合うことになるわけですが。
しかしその順番は、文字/音を結びつける能力→文法→読解ではなく、同時、または逆であったっていいのではないか、というのが、わたくしの立場です。
そのほか、驚いたことを箇条書きにしておくと・・・
・「音韻性ディスレクシアには、シンセティック・フォニックス、なかでもジョリー・フォニックスが効くことが明らかになっている」と、名指しで明言されていた。
ええそうですとも~
・「フォニックスを自力で学ぶことはできない。whole word(単語をまるっと暗記)のみ学ばされていると、音韻性ディスレクシアが出る。このタイプには、シンセティック・フォニックスの効果が非常に高く出る。」
・「ブレンディングは、子供にとっては難しいことである。ブレンディングに困難を覚えること(「c/a/tを足して」と指示して「キャット」と言えるか)を、ディスレクシアの指標にするほど」
よく分かります。以前わたくし、これがすらすらとできた子を、ディスレクシアでなくてアーレンと疑ったことがありました。
・「ディスレクシアは、音韻認識の障害に限ったものではない、たしかに音韻認識の困難がもっとも一般的な症状ではあるが。それを認めない人は何かを無視している。」
・全体の要旨としては、
読むという行為にはさまざまな能力(文字を認識する、単語全体を認識する、文字を音に変換する、など)が関わっていて、どの段階でつまづいても読み困難が生まれる。一口にディスレクシアといっても、どこでつまづいているかは異なる。どの段階でつまづいているかを観察することが重要である。
また、英語を/日本語を読むというのはどのようなメカニズムで行われるのか、単純であってもモデルがなければ、読み困難を理解することは不可能だ・・・と強調しておられました。
◆タエコ・ワイデル教授のお話は、先日のLD学会の特別講演とほぼ同じでした。
ご自身が提唱されている、こちらもこの業界の専門家には有名な「粒度と透明性の仮説」★(文字⇔音対応が規則的な言語ほど、ディスレクシアの出現率は低い)、
また、日本語・英語・中国語では、脳の活性化している部位が異なることを説明して下さいました。
「音韻性ディスレクシアと表層性ディスレクシアの区別と、粒度と透明性の仮説は、どうつながりますか?」と質問したところ、「粒度/透明性の図は音韻性ディスレクシアについてのもの」とお答えいただきました。
「空書きは、日本語と中国語のネイティブに特有の現象。
イギリスの子供たち(非ディスレクシア)は、単語を何度も書いて覚えることはしない。
なぜなら、フォニックスルールを学んでいるのと、イレギュラーな単語があるということを学んでいるから」という話をされたときは、LD学会のときもそうでしたが、会場全体が「ほほ~」という雰囲気になっていました。
→ここを読んでいる英語教師と親のみなさん、英単語を覚えさせるためと言って、生徒や子供に何度も書かせるのはやめましょう!それよりもフォニックスルールと、それにあてはまらない単語があるんだと教えるほうが、よほど有益なことです。
(なお、今日の話によると、英語の1音節語の17%はフォニックスルールがあてはまらない、とのこと)
また、英語ネイティブの両親のもとに生まれ、日本の進学校に通い、
日本語の読み書きにはまったく問題がない(むしろ読書家)であるものの、英語の読み書きには激しい困難を覚え、学校で「英語を怠けている」と言われたAS君の話もされていました→★
彼は今は立派に社会人としてやっているとのことでした。
もじこ塾にも、日本語ネイティブですが、こういう英語だけ激しくできない子は複数来ています。。。
今日お話されたお二人とも、「超一流は惜しみなく与える」を体現する方々でした!
久しぶりに、目が覚めるような話を聞けました!
◆マックス・コルトハート教授★は、二重経路理論という、この業界では有名な読みのモデルを提唱した方。
今日のお話は、発達性ディスレクシア(=生まれつきのディスレクシア)には7つのタイプ(!)がある、というもの。
ディスレクシアにさまざまなタイプがあることは、今日の雰囲気だと研究者の間では既定路線のようでしたが、一般にはそこまで知られていない気がします。
・「音韻性ディスレクシア」(phonological dyslexia):9割を占める。
音韻処理の苦手と関係している。
・「表層性ディスレクシア」(surface dyslexia:surfaceという言い方は、チョムスキーの「表層構造」に由来するとのこと)というタイプもある。
音韻性ディスレクシアは、漢字よりもひらがな/カタカナ(の非語)の読みが困難。
日本語は大丈夫でも、英語になると問題が出るタイプはこちら。
表層性ディスレクシアは、ひらがな・カタカナに問題がないものの、
漢字に困難を覚えるタイプとのこと。
あとで「この原因は何ですか?」と質問したところ、It's a mystery(謎です)と言っていました(!!)
漢字が覚えられない悩みは当ブログの一大テーマですが、その原因が謎だとは。。
そして、大半のディスレクシアは、複数のタイプが組み合わさっており、1つのタイプだけを持っていることはほとんどない、とのことでした。
個人的に一番驚きだったのは、ハイパーレクシアがディスレクシアの7つのタイプの1つに分類されていたこと∑( ̄0 ̄;。
ハイパーレクシアは、「読字はできても意味につなげられない人たち」と説明されていました。この人たちの治療方法は解明されていないとも。
もじこもディスレクシアらしいです!なんか嬉しい(笑)
(より正確には、これも本日何度か登場していたcompensated dyslexic=ディスレクシアゆえの不足が補完されるに至ったディスレクシアなのでしょうが)
もう一つ、はっとしたのが、
「英語力=単語を読む能力(or単語を想起する能力)」とする点について。
研究者が、ひとつの単語を見せてそれを読む能力に注目するのは、研究目的でやっていることであると、明言されていました。構文力や読解力にはあえて立ち入らないと。
アセスメント(読み能力の調査)においても、1つの単語を示してそれが読めるかを見るのは、有効なことでしょう。
でも、だからといって、ディスレクシアに英語を教えるときにも、同じアプローチを使う必要はないはずです。
研究目的でのディスレクシアへのアプローチと、ディスレクシア英語教育のためのアプローチは、違うのが当然なのです。
すごく多くの教師、さらには親が、英語力=単語想起力であるかのように考えているらしいのは、本当におかしいと私は思ってます。
要は、単語テストでひどい点数をとってきたと言って悲観的になりすぎる親や教師は多いわけですが、これは間違ってます。
英語力をのばすには、ひとつの単語をぱっと見せられて、それを声に出して読む力以外にも、ディスレクシアのタイプ分けの研究においてあえて避けているという構文や読解力などいろんな能力が関わっていて、それらを強化するアプローチは(人により到達点に差はありますが)とても有効です。
そこから、タイトルの「英語力=英単語のデコーディング能力ではない」に至るわけですが、、
もちろん、構文力や読解力を先に身につけたディスレクシアは、いよいよ本丸であるデコーディング(文字を見て音にする)力の強化と向き合うことになるわけですが。
しかしその順番は、文字/音を結びつける能力→文法→読解ではなく、同時、または逆であったっていいのではないか、というのが、わたくしの立場です。
そのほか、驚いたことを箇条書きにしておくと・・・
・「音韻性ディスレクシアには、シンセティック・フォニックス、なかでもジョリー・フォニックスが効くことが明らかになっている」と、名指しで明言されていた。
ええそうですとも~
・「フォニックスを自力で学ぶことはできない。whole word(単語をまるっと暗記)のみ学ばされていると、音韻性ディスレクシアが出る。このタイプには、シンセティック・フォニックスの効果が非常に高く出る。」
・「ブレンディングは、子供にとっては難しいことである。ブレンディングに困難を覚えること(「c/a/tを足して」と指示して「キャット」と言えるか)を、ディスレクシアの指標にするほど」
よく分かります。以前わたくし、これがすらすらとできた子を、ディスレクシアでなくてアーレンと疑ったことがありました。
・「ディスレクシアは、音韻認識の障害に限ったものではない、たしかに音韻認識の困難がもっとも一般的な症状ではあるが。それを認めない人は何かを無視している。」
・全体の要旨としては、
読むという行為にはさまざまな能力(文字を認識する、単語全体を認識する、文字を音に変換する、など)が関わっていて、どの段階でつまづいても読み困難が生まれる。一口にディスレクシアといっても、どこでつまづいているかは異なる。どの段階でつまづいているかを観察することが重要である。
また、英語を/日本語を読むというのはどのようなメカニズムで行われるのか、単純であってもモデルがなければ、読み困難を理解することは不可能だ・・・と強調しておられました。
◆タエコ・ワイデル教授のお話は、先日のLD学会の特別講演とほぼ同じでした。
ご自身が提唱されている、こちらもこの業界の専門家には有名な「粒度と透明性の仮説」★(文字⇔音対応が規則的な言語ほど、ディスレクシアの出現率は低い)、
また、日本語・英語・中国語では、脳の活性化している部位が異なることを説明して下さいました。
「音韻性ディスレクシアと表層性ディスレクシアの区別と、粒度と透明性の仮説は、どうつながりますか?」と質問したところ、「粒度/透明性の図は音韻性ディスレクシアについてのもの」とお答えいただきました。
「空書きは、日本語と中国語のネイティブに特有の現象。
イギリスの子供たち(非ディスレクシア)は、単語を何度も書いて覚えることはしない。
なぜなら、フォニックスルールを学んでいるのと、イレギュラーな単語があるということを学んでいるから」という話をされたときは、LD学会のときもそうでしたが、会場全体が「ほほ~」という雰囲気になっていました。
→ここを読んでいる英語教師と親のみなさん、英単語を覚えさせるためと言って、生徒や子供に何度も書かせるのはやめましょう!それよりもフォニックスルールと、それにあてはまらない単語があるんだと教えるほうが、よほど有益なことです。
(なお、今日の話によると、英語の1音節語の17%はフォニックスルールがあてはまらない、とのこと)
また、英語ネイティブの両親のもとに生まれ、日本の進学校に通い、
日本語の読み書きにはまったく問題がない(むしろ読書家)であるものの、英語の読み書きには激しい困難を覚え、学校で「英語を怠けている」と言われたAS君の話もされていました→★
彼は今は立派に社会人としてやっているとのことでした。
もじこ塾にも、日本語ネイティブですが、こういう英語だけ激しくできない子は複数来ています。。。
今日お話されたお二人とも、「超一流は惜しみなく与える」を体現する方々でした!
2016-10-21
ディスレクシアの寝落ち問題。
いま、もじこ塾で最もホットな話題(?!)、それは「寝落ち」です。
少なからぬ割合の子が、読んでいる最中、一瞬意識が飛びます。
中学生は少ない(まだそこまでの量を読んでいないので)が、
学年が上がり、読む量が増えると、寝落ち率も増える気がします。
現時点の実感では、ディスレクシアの生徒の3割が、
英語を読んでいて(または字を目で追いながら聞いていて)寝落ちします。
個人的意見ですが、ディスレクシアと寝落ちは関係があり、
脳の使い方の違いによる過労が原因だと、私は思ってます。
ディスレクシアで寝落ちする生徒への対策としては・・・
まず、寝落ちがディスレクシアに関係があるものだと認識することが、
第一段階だと感じます。
寝落ちは、気のゆるみややる気のなさに由来するものではない、
読むというのはそれだけの大変な労力を要することなのだ、
寝落ちは例外的状況ではないと、本人が受け入れることです。
その上で、教師が寝落ちを非難することなく、オープンな話題にすること。
目の前で遠慮なく寝落ちしてもらうこと。
これが第二段階です。
これができれば、生徒は少しずつ心を開いてくれるようになります。
寝落ちする生徒は、寝落ちすることを見せまいと、色々とかたくな※なので
そのバリアを取り払うことが必要だと感じます。
※
教師の目の前で読もうとしない(すぐ諦める、宿題として持ち帰ろうとする)
こちらが勧めたことをしようとしない、など。
雑談をやたら好むのも、読むのを避ける行動の一つかもしれません。
その上で、寝落ちにどう対処するかを考えるのが第三段階ですが、
・・・これがまだ見つかっていません。
誰か良い方法を知っていたら、教えてほしいです。
前の日にしっかり寝ること、食生活を変えること、
(寝落ちする子は、本当に個人的な意見ですが、独特の甘いにおいがします)
などは多少は役立ちそうですが、決定打にはならないようです。
気圧や満月(?)も、関係あるかもしれません。
どんよりした雨の日、満月の日は、特に寝落ちしやすいようです。
「月に1回、特に寝落ちしやすい日がある」と言った子もいます。
男子なのに!∑( ̄0 ̄
☆ ☆ ☆
読みながら寝落ちしそうになる姿は、傍で見ていて本当につらそうです。
眠るというより、意識を失うというか、気絶するような感じに近いです。
そういう生徒は読もうとする時、体全体から気が張った緊張感が出ています。
そんな、寝落ちする生徒の一人に
「なんだか見ていて、雲梯(うんてい)にずっとぶら下がっているとか、
登り棒にずっとつかまっている、みたいな感じがするよ。
あんまり込み入ったことを話しかけてはまずい、みたいな」
と言ってみたところ、
「わかりますか?」と言われ、
以来、彼は寝落ちの時の気分をいろいろ話してくれるようになりました。
「全身がぐったり疲れる。特に足がだるい」
「もう何も考えられないくらい頭が疲れる」など。。
今日は「気が済むまで寝てみて、その後どうなるのか」実験しました。
3時間半近くかけて、某難関大の1年分の問題のうち80%を解きました。
30分解く→30分寝る→30分解く→20分寝る→30分解く→30分寝る→30分解く
という展開になりました。
起きている時間だけ見れば、普通の子と同じくらいのスピード感で読解しますし
正解できるだけの構文把握力と論理的思考力はある(読み上げは必要)のですが、
寝落ちも含めれば、倍くらいの時間が必要です。
彼にとって読むことは、逆風のなか岩場を登るような、大変な格闘です。
もちろん、難関私大の問題なので難しい文章ではあるのですが、
それにしても、普通の子が絶対にしていないレベルの苦労をしています。
こんなに辛い思いをしてまで、読字する必要があるのだろうか・・・
この疑問は、
「こんなに字の解読に苦労している生徒の存在を、大学側は想定していないだろうに。
その大学で学べるだけの論理的思考力を証明する方法を、大学側は他に用意すべきではないか」という方向にも行きますし、
「こんなふうに真っ正面から困難にぶつかっていく方法は間違っていて、
寝落ちを克服できる方法が実はあるのかも」という方向にも行きます。
でも今はとりあえず、入試対策をするしかありません。
~ ~ ~
ネットで英語の文章を検索すると、「ディスレクシアだと睡眠時間が長く必要」という話はかなり出てくるのですが、「読んでいる最中に寝てしまう」という話はほとんど出てきません。
関連記事を、参考のために訳しておきます。
①原文→★
独自なディスレクシア教育を行っているらしいカナダの団体。
この比喩にはとても納得しました。
「どんな子供も、睡眠・食事・運動が必要だが、ディスレクシアの子が教室でインプット/アウトプットするために必要な脳の労力の差は大変なものだ。それは歩くことと走ることの差に相当する。ペース配分をきちんとすれば、一日中だって歩くことは可能だが、全速力で一日中走れと言われても、1時間も持たないだろう。ディスレクシアの人は脳の限界に毎日挑戦している。時には成功し、時には力尽きる。」
と言った上で、ディスレクシアに必要なこととして、
・十分な睡眠
・しっかり朝食をとること(日本の常識と内容が違うようですが)、
・水を十分に飲むこと(「水を十分に飲まないと、頭痛や傾眠に陥ることがある」)
・オメガ3油とビタミンDを摂ること
・砂糖を控えること
・運動すること・・・を挙げています。
水はかなり大事なようですね。もじこ塾ではお茶を出しています^^。
②原文→★
「ディスレクシアの子の睡眠の質は普通の子の睡眠と違う」
「読字障害の子は、ステージ4の睡眠(深い睡眠)が通常と比べかなり多く、レム睡眠が少なく、レム睡眠に移行するまでの時間が長く、最初のノンレム睡眠のサイクルが長いことが明らかになった。
こうした睡眠構造の違いにつながる可能性のある要素のうち、慢性的な睡眠不足と成熟の遅れ(?maturational delay)は特に顕著である。こうした要因は単独でも複合的にも、読字障害の子の情報処理を阻害し、認知の欠陥に加担する可能性がある。」
少なからぬ割合の子が、読んでいる最中、一瞬意識が飛びます。
中学生は少ない(まだそこまでの量を読んでいないので)が、
学年が上がり、読む量が増えると、寝落ち率も増える気がします。
現時点の実感では、ディスレクシアの生徒の3割が、
英語を読んでいて(または字を目で追いながら聞いていて)寝落ちします。
個人的意見ですが、ディスレクシアと寝落ちは関係があり、
脳の使い方の違いによる過労が原因だと、私は思ってます。
ディスレクシアで寝落ちする生徒への対策としては・・・
まず、寝落ちがディスレクシアに関係があるものだと認識することが、
第一段階だと感じます。
寝落ちは、気のゆるみややる気のなさに由来するものではない、
読むというのはそれだけの大変な労力を要することなのだ、
寝落ちは例外的状況ではないと、本人が受け入れることです。
その上で、教師が寝落ちを非難することなく、オープンな話題にすること。
目の前で遠慮なく寝落ちしてもらうこと。
これが第二段階です。
これができれば、生徒は少しずつ心を開いてくれるようになります。
寝落ちする生徒は、寝落ちすることを見せまいと、色々とかたくな※なので
そのバリアを取り払うことが必要だと感じます。
※
教師の目の前で読もうとしない(すぐ諦める、宿題として持ち帰ろうとする)
こちらが勧めたことをしようとしない、など。
雑談をやたら好むのも、読むのを避ける行動の一つかもしれません。
その上で、寝落ちにどう対処するかを考えるのが第三段階ですが、
・・・これがまだ見つかっていません。
誰か良い方法を知っていたら、教えてほしいです。
前の日にしっかり寝ること、食生活を変えること、
(寝落ちする子は、本当に個人的な意見ですが、独特の甘いにおいがします)
などは多少は役立ちそうですが、決定打にはならないようです。
気圧や満月(?)も、関係あるかもしれません。
どんよりした雨の日、満月の日は、特に寝落ちしやすいようです。
「月に1回、特に寝落ちしやすい日がある」と言った子もいます。
男子なのに!∑( ̄0 ̄
☆ ☆ ☆
読みながら寝落ちしそうになる姿は、傍で見ていて本当につらそうです。
眠るというより、意識を失うというか、気絶するような感じに近いです。
そういう生徒は読もうとする時、体全体から気が張った緊張感が出ています。
そんな、寝落ちする生徒の一人に
「なんだか見ていて、雲梯(うんてい)にずっとぶら下がっているとか、
登り棒にずっとつかまっている、みたいな感じがするよ。
あんまり込み入ったことを話しかけてはまずい、みたいな」
と言ってみたところ、
「わかりますか?」と言われ、
以来、彼は寝落ちの時の気分をいろいろ話してくれるようになりました。
「全身がぐったり疲れる。特に足がだるい」
「もう何も考えられないくらい頭が疲れる」など。。
今日は「気が済むまで寝てみて、その後どうなるのか」実験しました。
3時間半近くかけて、某難関大の1年分の問題のうち80%を解きました。
30分解く→30分寝る→30分解く→20分寝る→30分解く→30分寝る→30分解く
という展開になりました。
起きている時間だけ見れば、普通の子と同じくらいのスピード感で読解しますし
正解できるだけの構文把握力と論理的思考力はある(読み上げは必要)のですが、
寝落ちも含めれば、倍くらいの時間が必要です。
彼にとって読むことは、逆風のなか岩場を登るような、大変な格闘です。
もちろん、難関私大の問題なので難しい文章ではあるのですが、
それにしても、普通の子が絶対にしていないレベルの苦労をしています。
こんなに辛い思いをしてまで、読字する必要があるのだろうか・・・
この疑問は、
「こんなに字の解読に苦労している生徒の存在を、大学側は想定していないだろうに。
その大学で学べるだけの論理的思考力を証明する方法を、大学側は他に用意すべきではないか」という方向にも行きますし、
「こんなふうに真っ正面から困難にぶつかっていく方法は間違っていて、
寝落ちを克服できる方法が実はあるのかも」という方向にも行きます。
でも今はとりあえず、入試対策をするしかありません。
~ ~ ~
ネットで英語の文章を検索すると、「ディスレクシアだと睡眠時間が長く必要」という話はかなり出てくるのですが、「読んでいる最中に寝てしまう」という話はほとんど出てきません。
関連記事を、参考のために訳しておきます。
①原文→★
独自なディスレクシア教育を行っているらしいカナダの団体。
この比喩にはとても納得しました。
「どんな子供も、睡眠・食事・運動が必要だが、ディスレクシアの子が教室でインプット/アウトプットするために必要な脳の労力の差は大変なものだ。それは歩くことと走ることの差に相当する。ペース配分をきちんとすれば、一日中だって歩くことは可能だが、全速力で一日中走れと言われても、1時間も持たないだろう。ディスレクシアの人は脳の限界に毎日挑戦している。時には成功し、時には力尽きる。」
と言った上で、ディスレクシアに必要なこととして、
・十分な睡眠
・しっかり朝食をとること(日本の常識と内容が違うようですが)、
・水を十分に飲むこと(「水を十分に飲まないと、頭痛や傾眠に陥ることがある」)
・オメガ3油とビタミンDを摂ること
・砂糖を控えること
・運動すること・・・を挙げています。
水はかなり大事なようですね。もじこ塾ではお茶を出しています^^。
②原文→★
「ディスレクシアの子の睡眠の質は普通の子の睡眠と違う」
「読字障害の子は、ステージ4の睡眠(深い睡眠)が通常と比べかなり多く、レム睡眠が少なく、レム睡眠に移行するまでの時間が長く、最初のノンレム睡眠のサイクルが長いことが明らかになった。
こうした睡眠構造の違いにつながる可能性のある要素のうち、慢性的な睡眠不足と成熟の遅れ(?maturational delay)は特に顕著である。こうした要因は単独でも複合的にも、読字障害の子の情報処理を阻害し、認知の欠陥に加担する可能性がある。」
2016-06-02
道村静江先生が初めて、保護者向けセミナーを行いました。
道村式漢字カードの使い方を、考案者の道村静江先生自らが解説する
セミナーを行いました。
全国を飛び回って普及活動を続ける先生ですが、
保護者向けに話をするのは、意外にも初めてとのこと。
ひとたび口を開いたら、道村節の圧倒的な勢いが会場を覆い尽くす!!!!
予想通り、ものすごい気迫とパワーに満ちた道村先生でした。
皆様の感想もそのことを物語っています。ありがとうございます:
まとめると、
「最低限これだけは」を見極めて、それだけは徹底的に習得。
教える側が心から漢字に興味を持つ。
2~3年の漢字(の部品・部首)を覚えれば、その後はその組み合わせで覚えられる。
以下、当日の道村先生のお話です。
☆ ☆ ☆
道村式漢字カードは、盲学校の子に漢字の字形と音訓読みを面白く印象づける方法として、たどりついたもの。
このカードを使うと、ほとんどの子が楽に覚えられるが、なかにはカードを見て何度も書いて覚えている子がいるらしい。
その使い方は間違っている。書いて覚えるのではない。
これから話す方法には根拠がある。その方法で進めてほしい。
~ ~ ~
④親が率先して楽しむこと!!
家で子供と漢字学習をするとき、お母さんが『やりなさい』と言うだけ、あるいは『面倒くさい』という姿勢を示していては、子供は覚えない。お母さんが率先して楽しむこと。
漢字辞典でも引き、『へえ~、家の下はぶたなんだ!』。子供そっちのけで『そうなんだ~』と言うくらいに。
このくらいの年の子はお母さんが大好きなので、寄ってくるはず。
まずお母さんが漢字に興味を持つこと。自分が感動したことだけを子供に聞かせればいい。
⑤学校との兼ね合い。2~3年の部品をしっかり覚えること。
学校では4年以降、漢字を1字ずつしっかり教える時間はない。
普通級の先生は、クラスに35人もいたら、気になる子がいても対応できない。
部首名とその意味は、家庭でしっかり教えるべき。親が時間をとってつきあうことが必要。
学校には「しばらく、家でしっかり復習しますので、見逃して下さい」と言う。
漢字は、2~3年生に主な「部品」(漢字にいっぱい使われているが名前がないパーツ)のほとんどが出尽くし、高学年になるとその組み合わせがほとんどになる。
だから、2~3年生の漢字をしっかり覚えることが大事。
高学年で漢字が書けずに苦しんでいる場合は、2~3年生の漢字の復習に戻るのがよい。復習には1年もかからない、数ヵ月で終わることが多いし、2~3年の復習が終われば本来の学年に戻ってよい。
戻るのは、部首・部品の名前を覚えるのが目的。
その際、学校には、宿題の量を加減してもらうよう頼むのが理想だが・・・
現在、学校では「平等」の名の下に、同じ宿題の量が全員に課されている。普通の子なら15分ほどで終わるが、ディスレクシアの子は何時間もかかってしまう。これが平等ですか?と言いたいところだが、親も先生もそこまで踏み込む勇気がないのが現状。
個にあった支援とは、「大丈夫か」と声かけすることではなく、こういうことなのだが。
⑥音と訓を1つずつ、セットで覚える
読みが苦手な子は、音読みを苦手とすることが多い。
特に、光村図書の教科書(最大手)では、音読みと訓読みをバラバラに教える。
学校では、何年も先になって登場した音読みをわざわざ教えることはしない。
これが音読みの苦手な子をつくる原因のひとつになっている。
漢字はほぼ必ず音読みがある。しかもカ行とサ行が多い。音読みが中国語に由来していることと関係があるのだろう。
1つの音と訓を覚えることが大事。
そこで、道村式カードでは「漢字のタイトル」と題し、音と訓を1つずつ同時に提示している。
この音読みは、『NTTデータベース・日本語の語彙特性』をもとにしている。1万人が聞いたら6000人以上が分かる、親密度の高い語彙だけを使用。しかも、視覚障害者のために、同音異義語はほぼ全く含まれていない。(※すごい!!)
2つ以上の音は後回しでいい。
同音異義の漢字を覚えるのは第2ステージ。カードに書いてあるが、ディスレクシアならここは不要。
唱えるとは、自分のことばで言うこと。
カードのおもて面を見ながら、リズムよく唱えることが大事。
例えば「修」を見て、字を目に焼き付けながら、「にんべん・たて・のぶん・さんづくり」と唱える。
3回言わせる。そのときに、頭の中にイメージが浮かんでいるはず。
それから初めて書く。
⑦自立に必要な最低限のことは、絶対に身につけなければ
発達障害を持つ子の親が「うちの子はあれがダメ、これがダメ」「うちの子にあった方法を探してほしい」と学校に言うのをよく聞く。今は子供が拒絶すれば、その子にあった方法をさまざまな方法のなかから選べる時代でもある。
しかし、これを視覚障害児の置かれた状況と比べた場合・・・視覚障害があったら、泣こうがわめこうが、覚えるべきことは絶対に覚えなければならない。
全盲の子、弱視の子は、普通の子よりもできることはずっと少ない、すべて同じようにできるようにはならない。全盲でかつ発達障害を持つ子もいた。入る言葉は少ない。それでも自立に必要な最低限のことは、絶対に身につけなければならない。
最低限がどこかは、本人を見ている親と教師が決めること。見極めが大事。
「最低限ここだけは」を半年間続ける。続けさせるのは親の責任。先生は1年で担当を離れてしまうもの。生徒の将来は親が責任を持つべき。
最低限を、手を変え品を変え、頑張らせると、いずれ芽が出てくる。
そのほか、質疑応答を走り書きしたメモから・・・
●校長先生にいきなり文句を言うのは×。うるさい親と思われたらおしまい(会場から苦笑が)。先生と親がなんとかうまく手をとりあいながら、同じ目線で進むのが理想。
●中学生以降の漢字学習で、どこまで戻るかは、本人のプライドがある(ので難しい…)。小3までは素直。4年以降、漢字の習得率が低下するのは、全国的な傾向。
●技術の進展により、いずれ書くことが必要のない時代が来る。どれだけのことを妥協するか。一方、これだけはということは頑張ることも大事。
●字が苦手な子も、できれば、できるようになりたいと思っている。そういう子には部首名を教える。その気にさせてあげることが重要。
●社会で自立させることを考えると、指示待ち人間に育てるのは×。「これ(漢字)ができるようになりたい」と思わせることが大切。
☆ ☆ ☆
当日の朝、うちの実験台(道村式漢字カードで5~6年の漢字を習得。
現在は読みにはほとんど支障はないが、漢検5級に落ち続けてます^^;)
に聞いたところ
(道村式漢字カードは)「俺には合ってたよ。」
(どこがよかった?)「よくわかんね。使いやすい、かな。」
(これが合わないと言う人には何と?)「これは"愛のムチ"」
とのことでした。
愛のムチ!!
実は道村先生自身からも、終了後この言葉が出たので、びっくりしました。
次回は録画して、その気迫と語り口を他の方にもお見せしたいと、先生と話しました。
道村先生、ありがとうございました!
道村式漢字カードのお求めはこちら→★
セミナーを行いました。
全国を飛び回って普及活動を続ける先生ですが、
保護者向けに話をするのは、意外にも初めてとのこと。
ひとたび口を開いたら、道村節の圧倒的な勢いが会場を覆い尽くす!!!!
予想通り、ものすごい気迫とパワーに満ちた道村先生でした。
皆様の感想もそのことを物語っています。ありがとうございます:
◆とてもエネルギッシュな道村先生のお話に引き込まれました。学校の内部のこと(現場のこと)をよく知っていらっしゃる先生だからこその具体的な注意ポイントを教えていただき、今ひとつ使いこなせていなかったカードの効果的な使い方がよくわかりました!
最低限の努力は必要で、その部分は徹底的にやらせる覚悟が必要というお話は、強く沁みました。親は覚悟とユーモアが必要ですね!
◆カードを購入しましたが、ついつい今やっている宿題と連動させてカードをやっていたらなかなか進まず、今は休止していました。
やはり2、3年生を徹底してやろうと、私が楽しんでやろうと心に決めました。というか覚悟を決めました。
先生のパワフルかつ楽しい説明に、まず私がグイグイひきこまれました。いいきっかけをありがとうございました。
「この子の親であること」「この子を社会に(この子なりの)一人前にして出すこと」の覚悟を先生から目覚めさせられたような気がします。
◆漢字カードの使い方のポイントがよく分かりました。勉強嫌いで、今までカードを使うのを嫌がって使えていませんでしたが、先生のように、テンポよく元気に楽しくできれば、本人のやる気が出るのではないかと思いました。
親の私が楽しくやってあげようと思います。
◆…日々の学習に追われ、復習が出来ずにいましたが、改めて、戻ることの大切さ、現在小3でこのメソッドに出会えたことが、とても幸運だったと思いました。
まとめると、
「最低限これだけは」を見極めて、それだけは徹底的に習得。
教える側が心から漢字に興味を持つ。
2~3年の漢字(の部品・部首)を覚えれば、その後はその組み合わせで覚えられる。
以下、当日の道村先生のお話です。
☆ ☆ ☆
道村式漢字カードは、盲学校の子に漢字の字形と音訓読みを面白く印象づける方法として、たどりついたもの。
このカードを使うと、ほとんどの子が楽に覚えられるが、なかにはカードを見て何度も書いて覚えている子がいるらしい。
その使い方は間違っている。書いて覚えるのではない。
これから話す方法には根拠がある。その方法で進めてほしい。
~ ~ ~
①1年生の40の基本漢字は書けるように。
最終的には、漢字を書けるようになるのが目標。でも書く練習は最小限にしたい、というのがこのカードの立場。
1年生の基本漢字40字(日、田など)。ここはしっかり書けるように。
また、11の部首・部品(気の外側、六の上など)も。
道村式カードでは、これらは初出の時は、非常に細かく丁寧に教える。
「青の上」(最初の4画)も、「あおのうえ」という部品にすることで、
一度「青」が書けるようになれば、子供は「何本だっけ?」と迷わなくなる。
これをさらに「よこ・たて・よこ・よこ」と分解すると線構成になってしまう。
②ひらがなとカタカナを同時に教える
教科書では、小1の1学期はひらがなの練習。9月から漢字の練習が始まる。
カタカナの練習も、夏休み明けから。この時期は学習意欲が低下しているので、インプットが悪い。
その結果、6年生になっても、カタカナが読めるが書けない子がいる。
カタカナの多くは、漢字の部品になっているので、きちんと覚えたい。
そこで、ひらがなとカタカナを同時に教えるべき。
「ソ」「ハ」を正しく教えれば、漢字でもこれらの部品が出てきたときに、向きを迷わなくなる。
カタカナの足し算で、上の学年の字も書ける。
③2~3年の漢字では、頑張って覚えることと、そうでもないことを区別するべき
2~3年で、漢字の重要な部品の多くが登場する。
例えば「ふるとり」。初出のときに丁寧に教える。そうすれば後が楽になる。
すべての漢字を完璧に正しく、格好もよく、というのは欲張りすぎ。書き順、とめはね、線の長さのバランス、そんなことまで初出で要求されたら、特に書くのが苦手な子供はいやになってしまう。
例えば、「竹」の6画目のハネは、初出の時にはあまりハネていなくてもよしとする。それは第2ステージでのこと。
「食」の3画目のテンが垂直か斜めかは、書体の違いであり、これは間違いとは見なさないと文科省も言っている。学校の先生は教科書体しか許さないけど(※以下参照)
書き順も後回しでいい。でも「口」の書き順は、徹底させたほうがいいけど。
・・・といったふうに、細かいところについては、子供が書く時の特徴を見ながら、どうしても直してほしいところだけを直すようにする。
最終的には、漢字を書けるようになるのが目標。でも書く練習は最小限にしたい、というのがこのカードの立場。
1年生の基本漢字40字(日、田など)。ここはしっかり書けるように。
また、11の部首・部品(気の外側、六の上など)も。
道村式カードでは、これらは初出の時は、非常に細かく丁寧に教える。
※目の見えない子が漢字を分かるようにするのが目標なので、
それはそれは懇切丁寧です。[詳しくはカードで]
※ディスレクシア的には、あわせて「体を大きく使う」と良いと思います。ひとやね(金の上)は「屋根なんだからもれちゃだめ」などと言えば、子供は面白がってくっつけるようになる。腑に落ちる教え方を。
(飛び上がるような巨大な空書き、新聞紙に書くなど)
唱えるのに加え、体を使うという多感覚式です。
※先生は、小学生がみたら絶対に笑いそうな身振り手振りを交え、
体全体を使って漢字を教えていきます。先生が率先して多感覚(笑)
「笑わせながら関心を引く」「体全体を使って語る」 。カードに書かれていないですが、教え方の大事なポイントです。
※これもカードには書かれていませんが、先生は1つの漢字を教えるのに、部首の由来や語源も、すごく生き生きと説明します。ストーリー性抜群です。それらは『視覚障害者の漢字学習』という本にまとめてあるとのこと。漢字辞典なども参考になると思います。
皆様からお寄せ頂いた話を総合すると、道村式漢字カードに書かれていること(部品を唱える)だけでは覚えられない場合、こうした由来をストーリーとしてたくさん語るのが、どうやら効果があるようです。
「青の上」(最初の4画)も、「あおのうえ」という部品にすることで、
一度「青」が書けるようになれば、子供は「何本だっけ?」と迷わなくなる。
これをさらに「よこ・たて・よこ・よこ」と分解すると線構成になってしまう。
※「既出の部品を活用して、新出の漢字を楽に覚える」これも道村式漢字カードの大きなポイントです。~ ~ ~
②ひらがなとカタカナを同時に教える
教科書では、小1の1学期はひらがなの練習。9月から漢字の練習が始まる。
カタカナの練習も、夏休み明けから。この時期は学習意欲が低下しているので、インプットが悪い。
その結果、6年生になっても、カタカナが読めるが書けない子がいる。
カタカナの多くは、漢字の部品になっているので、きちんと覚えたい。
そこで、ひらがなとカタカナを同時に教えるべき。
「ソ」「ハ」を正しく教えれば、漢字でもこれらの部品が出てきたときに、向きを迷わなくなる。
カタカナの足し算で、上の学年の字も書ける。
※理想はそうですが、、ディスレクシアにとって、カタカナはとても覚えづらいように見えます。たぶん、アルファベットと同じで、ディスレクシア的には単位が小さすぎかつ字面が単純すぎるのだと思います。カタカナというもの存在は早くから教えつつ、完全に書けなくても、左右が反転しても、かまわず漢字に進み、漢字(大)の一部としてカタカナ(小)を教えるうちに、だんだん定着するのではないかと、個人的には推測しています。
③2~3年の漢字では、頑張って覚えることと、そうでもないことを区別するべき
2~3年で、漢字の重要な部品の多くが登場する。
例えば「ふるとり」。初出のときに丁寧に教える。そうすれば後が楽になる。
すべての漢字を完璧に正しく、格好もよく、というのは欲張りすぎ。書き順、とめはね、線の長さのバランス、そんなことまで初出で要求されたら、特に書くのが苦手な子供はいやになってしまう。
例えば、「竹」の6画目のハネは、初出の時にはあまりハネていなくてもよしとする。それは第2ステージでのこと。
「食」の3画目のテンが垂直か斜めかは、書体の違いであり、これは間違いとは見なさないと文科省も言っている。学校の先生は教科書体しか許さないけど(※以下参照)
書き順も後回しでいい。でも「口」の書き順は、徹底させたほうがいいけど。
・・・といったふうに、細かいところについては、子供が書く時の特徴を見ながら、どうしても直してほしいところだけを直すようにする。
| 「文化庁はいま、・・・手書きの漢字が正しいかまちがっているかは、ゆるやかに判断してほしいといいます」 |
※「書き順は後回しでいい」と先生は背中を押して下さいますが、
道村式カードの長所は、カードに書かれている通りに言えれば
書き順も整うところだと、私は感じてます。
「集」を右下から書くようなことが、なくなります。
④親が率先して楽しむこと!!
家で子供と漢字学習をするとき、お母さんが『やりなさい』と言うだけ、あるいは『面倒くさい』という姿勢を示していては、子供は覚えない。お母さんが率先して楽しむこと。
漢字辞典でも引き、『へえ~、家の下はぶたなんだ!』。子供そっちのけで『そうなんだ~』と言うくらいに。
このくらいの年の子はお母さんが大好きなので、寄ってくるはず。
まずお母さんが漢字に興味を持つこと。自分が感動したことだけを子供に聞かせればいい。
※「教える側が率先して楽しむ、時には演技を交えるくらいのつもりで」。これも道村式カードの教え方の重要ポイント。腑に落ちた人が多かったようです。
⑤学校との兼ね合い。2~3年の部品をしっかり覚えること。
学校では4年以降、漢字を1字ずつしっかり教える時間はない。
普通級の先生は、クラスに35人もいたら、気になる子がいても対応できない。
部首名とその意味は、家庭でしっかり教えるべき。親が時間をとってつきあうことが必要。
学校には「しばらく、家でしっかり復習しますので、見逃して下さい」と言う。
漢字は、2~3年生に主な「部品」(漢字にいっぱい使われているが名前がないパーツ)のほとんどが出尽くし、高学年になるとその組み合わせがほとんどになる。
だから、2~3年生の漢字をしっかり覚えることが大事。
高学年で漢字が書けずに苦しんでいる場合は、2~3年生の漢字の復習に戻るのがよい。復習には1年もかからない、数ヵ月で終わることが多いし、2~3年の復習が終われば本来の学年に戻ってよい。
戻るのは、部首・部品の名前を覚えるのが目的。
その際、学校には、宿題の量を加減してもらうよう頼むのが理想だが・・・
現在、学校では「平等」の名の下に、同じ宿題の量が全員に課されている。普通の子なら15分ほどで終わるが、ディスレクシアの子は何時間もかかってしまう。これが平等ですか?と言いたいところだが、親も先生もそこまで踏み込む勇気がないのが現状。
個にあった支援とは、「大丈夫か」と声かけすることではなく、こういうことなのだが。
※ここで、「衣のした」(3画目以降)、「長いの下」の(6画目以降)の~ ~ ~
部品の唱え方を練習したのですが、、
一同、道村先生に「おそい!」「声が小さい!」
「もっとリズムよく!」「はっきり!」と叱られました(笑)
九九をやや早口言葉で言うくらいの、かなりのハイペースです。
教える側がテンポよく、楽しげに唱えることがポイント。
「ああ、ここが出来てなかったかも」と思った人は多かったに違いありません。
⑥音と訓を1つずつ、セットで覚える
読みが苦手な子は、音読みを苦手とすることが多い。
特に、光村図書の教科書(最大手)では、音読みと訓読みをバラバラに教える。
学校では、何年も先になって登場した音読みをわざわざ教えることはしない。
これが音読みの苦手な子をつくる原因のひとつになっている。
漢字はほぼ必ず音読みがある。しかもカ行とサ行が多い。音読みが中国語に由来していることと関係があるのだろう。
1つの音と訓を覚えることが大事。
そこで、道村式カードでは「漢字のタイトル」と題し、音と訓を1つずつ同時に提示している。
この音読みは、『NTTデータベース・日本語の語彙特性』をもとにしている。1万人が聞いたら6000人以上が分かる、親密度の高い語彙だけを使用。しかも、視覚障害者のために、同音異義語はほぼ全く含まれていない。(※すごい!!)
2つ以上の音は後回しでいい。
同音異義の漢字を覚えるのは第2ステージ。カードに書いてあるが、ディスレクシアならここは不要。
唱えるとは、自分のことばで言うこと。
カードのおもて面を見ながら、リズムよく唱えることが大事。
例えば「修」を見て、字を目に焼き付けながら、「にんべん・たて・のぶん・さんづくり」と唱える。
3回言わせる。そのときに、頭の中にイメージが浮かんでいるはず。
それから初めて書く。
※1つの漢字につき1日1回が、書く限界だと思います。
※経験上、唱えるのは意外と大変なことです。ディスレクシアな子が、言うより書くほうが楽なので書こうとするほどに∑( ̄0 ̄~ ~ ~
書こうとするのをあえて止めて、「言えれば書けるんだから」と言い聞かせて、唱えさせることもありました。 それがよかったと思います。
⑦自立に必要な最低限のことは、絶対に身につけなければ
発達障害を持つ子の親が「うちの子はあれがダメ、これがダメ」「うちの子にあった方法を探してほしい」と学校に言うのをよく聞く。今は子供が拒絶すれば、その子にあった方法をさまざまな方法のなかから選べる時代でもある。
しかし、これを視覚障害児の置かれた状況と比べた場合・・・視覚障害があったら、泣こうがわめこうが、覚えるべきことは絶対に覚えなければならない。
全盲の子、弱視の子は、普通の子よりもできることはずっと少ない、すべて同じようにできるようにはならない。全盲でかつ発達障害を持つ子もいた。入る言葉は少ない。それでも自立に必要な最低限のことは、絶対に身につけなければならない。
最低限がどこかは、本人を見ている親と教師が決めること。見極めが大事。
「最低限ここだけは」を半年間続ける。続けさせるのは親の責任。先生は1年で担当を離れてしまうもの。生徒の将来は親が責任を持つべき。
最低限を、手を変え品を変え、頑張らせると、いずれ芽が出てくる。
※会場が静まりかえった、渾身のメッセージ。漢字が読めることが日本で生きていくために必要不可欠というのは、本当に切実な事実です。英語とはまったく重さが違います。「自立するために漢字は必要、だからがんばろう」という大きな展望を、教える側が見せる必要があるということです。目の前の漢字テストをクリアするために必要なのではなく。
教える側が、あきらめず、怒らず、「絶対に入れてみせる」という気迫を持って伴走するんだというメッセージを、私は受け取りました。~ ~ ~
そのほか、質疑応答を走り書きしたメモから・・・
●校長先生にいきなり文句を言うのは×。うるさい親と思われたらおしまい(会場から苦笑が)。先生と親がなんとかうまく手をとりあいながら、同じ目線で進むのが理想。
●中学生以降の漢字学習で、どこまで戻るかは、本人のプライドがある(ので難しい…)。小3までは素直。4年以降、漢字の習得率が低下するのは、全国的な傾向。
●技術の進展により、いずれ書くことが必要のない時代が来る。どれだけのことを妥協するか。一方、これだけはということは頑張ることも大事。
●字が苦手な子も、できれば、できるようになりたいと思っている。そういう子には部首名を教える。その気にさせてあげることが重要。
●社会で自立させることを考えると、指示待ち人間に育てるのは×。「これ(漢字)ができるようになりたい」と思わせることが大切。
☆ ☆ ☆
当日の朝、うちの実験台(道村式漢字カードで5~6年の漢字を習得。
現在は読みにはほとんど支障はないが、漢検5級に落ち続けてます^^;)
に聞いたところ
(道村式漢字カードは)「俺には合ってたよ。」
(どこがよかった?)「よくわかんね。使いやすい、かな。」
(これが合わないと言う人には何と?)「これは"愛のムチ"」
とのことでした。
愛のムチ!!
実は道村先生自身からも、終了後この言葉が出たので、びっくりしました。
次回は録画して、その気迫と語り口を他の方にもお見せしたいと、先生と話しました。
道村先生、ありがとうございました!
道村式漢字カードのお求めはこちら→★
2016-05-16
第1回「読み書き困難の子への英語の教え方をシェアする指導者の会」を行いました。
先日、「読み書き困難の子への英語の教え方をシェアする指導者の会」
の第1回を行いました。
お越し下さった方、ありがとうございました。
不手際も多く、また、一人一人にきちんとご挨拶できず、
申し訳ありませんでした。
この会は、3月のUD研究会の終了後、参加者同士で話しているなかで
「英語講師と、こういう話をする機会はなかなかない。
こういう場を定期的に持てないだろうか」
という声があがって、立ち上げたものです。
ありがたいご高説を学ぶというよりも、
発表者の議論を出発点にして参加者で議論し、
ディスレクシアや発達障害の子にやさしい(=すべての子にやさしい)
英語教育を模索していこうという主旨の会です。
今回は、勉強したいという保護者の方も、全体の4分の1ほど来られました。
私自身、これまでいろんな研究会や学会に潜入してきて
「お母さん必死ですね( ´,_ゝ`)プッ」という目には何度も遭っているので
熱心な保護者をできれば排除したくないのです。
この業界、専門職の保護者(教師、医師、薬剤師など)が不思議と多いですし、
そうでなくても、力のある保護者は、教える側に働きかける力を持っています。
保護者の方には、
「"自分の子をどうにかしたい"を超えた所で、積極的な発言をお願いします」
と申しました。
集まった指導者の方も、保護者との協力は不可欠というスタンスでした。
率直で建設的な議論ができたことを、嬉しく思います。
「さらに具体的な教え方のノウハウを知りたい」という声もありました。
次に発表する方々、よろしくお願いしますね~
(次回は9月上旬に行います。詳細は後日告知します)
記憶に残っている主なことばをご紹介します。
◆「グレーゾーンの子」の存在。
記念すべき最初の発表は、大手の英語教室で児童英語講師をされている方。
「発達障害ではないか」と未就学段階で気付いた子に、
親に言うことなく、どう対処したか/対処できなかったかという話でした。
私も予備校で、本人にさえ「キミはディスレクシアだね」などとは言わずに
対応を変えているので、よく分かります。
こうした話は、実践報告や学会の研究発表では、表に出てきづらいものです。
それだけに「グレーゾーンの子に、それと指摘せずに配慮する」
という教師側の心構えは、大事と思いました。
以下は、私が話したことです。
◆ジョリーをアレンジすること
ジョリーフォニックスは、現地の未就学児~を対象に作られたパッケージ。
日本のディスレクシア中学生に使う場合は、アレンジしたほうが効果的。
ディスレクシアであっても、年齢が上がるほど、1回にできる量が多くなる。
中2なら1回に10字程度、高校生なら20字以上。
一覧を使って全体像を見せるべき(「英語の字はたったこれだけだよ」と)。
生徒に刺さる多感覚も、幼児と中学生では変わってくるのは当然。
例えばアクションは、うちの実験台(小5男ディスレクシア)には徹底的に教え、
つい最近までスペルが分からないときはアクションをヒントにしていたが、
中1で「アクションは子供っぽくて恥ずかしい」と言う子もいる。
ませてくる年頃になると、アクションは難しくなるらしい
(「左脳で英語を学ぶようになる頃が境界線」と指摘を頂きました)。
もじこ塾春期講習では、
「教師の発音と、生徒の発音を、交互にiPadで録画したもの」を作り、
それを再生して言えるようにすることを、宿題にした。
自分の声を自分で聞くことは、記憶定着効果が抜群な多感覚。
また、教師の発音と生徒の発音が交互に入っているのを聞くことで、
修正しやすいという効果もある。
◆日本のディスレクシア中学生とフォニックス
海外ではフォニックス不要論もあるようだが、
それは、母語として英語を使っている環境での主張であることを認識すべき。
また、フォニックスにはアナリティック
(←現在日本のフォニックス最大派閥である松香式はこちら)
と、後発のシンセティック(←ジョリーはこちら)の2種類がある。
フォニックスの議論をするときは、
どちらのフォニックスの話をしているのか、注意する必要がある。
外国語として英語を学ぶ場合、音と文字の対応
(アルファベットの各文字を、どのような音に対応しているか)を教えるべき。
特に、ディスレクシアだと、音と文字の対応に自力で気付けないので、
教える必要がある。
フォニックスは英語学習の長いはしごの、最初の1段にすぎない。
フォニックス後も、おそらくは大学受験の英語まで、
ディスレクシアには普通とは異なるアプローチが必要になる。
しかしながら、thisをなんと読むか、
中3の1月まで分からないディスレクシアもいるほどなのだから、
ディスレクシア的にはフォニックスは不可欠。
◆聞く→話す→読む→書く
日本にいる普通の人(非ディスレクシア)の英語力は、
「読む」力が一番大きく、
それとほぼ同じくらい、「書く」力があり(※単なる書字能力)
それから一回り小さく「聞く」力があり、
さらに二回りくらい小さな「話す」能力がある。
教育方法としても、「読む」の円を大きくすることに主眼がおかれている。
字が得意な子は、「読む」から外国語に入ることができ、
「読む」が大きくなると、「書く」もおのずと大きくなる。
だが、ディスレクシアの英語力は、「聞く」が一番大きく、
それとほぼ同じくらい「話す」能力がある。
その半分くらいの大きさの「読む」円があり、
そのさらに2割くらいの大きさの「書く」円がある。
ディスレクシア英語教育は、大きい円から順にアプローチすべき。
つまり、「聞く」→「話す」→「読む」→「書く」の順に。
1)「聞く→話す」で文法力をどこまで伸ばせるか
2) 「話す」力に、「読む」力をどこまで近づけられるか
3)「読む」力に、「書く」力をどこまで近づけられるか
が、ポイントになる。
なお、「聞く」ときも、文字を見せながら。
文字を見せながら読んであげるのが「聞く」、
文字を自力で読んでもらうのが「読む」こと。
#という話をしたところ、
#「外国に行ったときの英語の学び方は、右ですよね」
#「四技能の学習方法は右であるべきだ」
#「右の円の外側に、「英語を遊ぶ」という円を描きたい(=モチベーションの円ですね)」
#などの感想を頂きました。
◆bとdは、ディスレクシア的には最後まで鬼門
「bとdの区別をどう教えるか」という話が出ました。
ベッドの絵を描くとか、ボールとバットのアクションとか、色々出ましたが、
予備校講師的には、bとdは、ディスレクシアなら最後の最後まで間違う
と言いたい!
butとdotを、年間で5回も読み間違えて、
読解に詰まって気絶しそうになったり、設問を間違えて頭を抱えたりして、
それでもW大に合格したりするのが、ディスレクシアです。
「bとdの区別ができなかったら、先に進めないよ!」
と、bとdだけの猛特訓をするのではなく、
何度でも、さらっと「あ、これbutだよ」と指摘するにとどめる
(↑こちらのテンションはできるだけ地味に。大げさに指摘しない、笑わない)
ほうが、この件に関しては効果的だと思ってます。
の第1回を行いました。
お越し下さった方、ありがとうございました。
不手際も多く、また、一人一人にきちんとご挨拶できず、
申し訳ありませんでした。
この会は、3月のUD研究会の終了後、参加者同士で話しているなかで
「英語講師と、こういう話をする機会はなかなかない。
こういう場を定期的に持てないだろうか」
という声があがって、立ち上げたものです。
ありがたいご高説を学ぶというよりも、
発表者の議論を出発点にして参加者で議論し、
ディスレクシアや発達障害の子にやさしい(=すべての子にやさしい)
英語教育を模索していこうという主旨の会です。
今回は、勉強したいという保護者の方も、全体の4分の1ほど来られました。
私自身、これまでいろんな研究会や学会に潜入してきて
「お母さん必死ですね( ´,_ゝ`)プッ」という目には何度も遭っているので
熱心な保護者をできれば排除したくないのです。
この業界、専門職の保護者(教師、医師、薬剤師など)が不思議と多いですし、
そうでなくても、力のある保護者は、教える側に働きかける力を持っています。
保護者の方には、
「"自分の子をどうにかしたい"を超えた所で、積極的な発言をお願いします」
と申しました。
集まった指導者の方も、保護者との協力は不可欠というスタンスでした。
率直で建設的な議論ができたことを、嬉しく思います。
「さらに具体的な教え方のノウハウを知りたい」という声もありました。
次に発表する方々、よろしくお願いしますね~
(次回は9月上旬に行います。詳細は後日告知します)
記憶に残っている主なことばをご紹介します。
◆「グレーゾーンの子」の存在。
記念すべき最初の発表は、大手の英語教室で児童英語講師をされている方。
「発達障害ではないか」と未就学段階で気付いた子に、
親に言うことなく、どう対処したか/対処できなかったかという話でした。
私も予備校で、本人にさえ「キミはディスレクシアだね」などとは言わずに
対応を変えているので、よく分かります。
こうした話は、実践報告や学会の研究発表では、表に出てきづらいものです。
それだけに「グレーゾーンの子に、それと指摘せずに配慮する」
という教師側の心構えは、大事と思いました。
以下は、私が話したことです。
◆ジョリーをアレンジすること
ジョリーフォニックスは、現地の未就学児~を対象に作られたパッケージ。
日本のディスレクシア中学生に使う場合は、アレンジしたほうが効果的。
ディスレクシアであっても、年齢が上がるほど、1回にできる量が多くなる。
中2なら1回に10字程度、高校生なら20字以上。
一覧を使って全体像を見せるべき(「英語の字はたったこれだけだよ」と)。
生徒に刺さる多感覚も、幼児と中学生では変わってくるのは当然。
例えばアクションは、うちの実験台(小5男ディスレクシア)には徹底的に教え、
つい最近までスペルが分からないときはアクションをヒントにしていたが、
中1で「アクションは子供っぽくて恥ずかしい」と言う子もいる。
ませてくる年頃になると、アクションは難しくなるらしい
(「左脳で英語を学ぶようになる頃が境界線」と指摘を頂きました)。
もじこ塾春期講習では、
「教師の発音と、生徒の発音を、交互にiPadで録画したもの」を作り、
それを再生して言えるようにすることを、宿題にした。
自分の声を自分で聞くことは、記憶定着効果が抜群な多感覚。
また、教師の発音と生徒の発音が交互に入っているのを聞くことで、
修正しやすいという効果もある。
◆日本のディスレクシア中学生とフォニックス
海外ではフォニックス不要論もあるようだが、
それは、母語として英語を使っている環境での主張であることを認識すべき。
また、フォニックスにはアナリティック
(←現在日本のフォニックス最大派閥である松香式はこちら)
と、後発のシンセティック(←ジョリーはこちら)の2種類がある。
フォニックスの議論をするときは、
どちらのフォニックスの話をしているのか、注意する必要がある。
外国語として英語を学ぶ場合、音と文字の対応
(アルファベットの各文字を、どのような音に対応しているか)を教えるべき。
特に、ディスレクシアだと、音と文字の対応に自力で気付けないので、
教える必要がある。
フォニックスは英語学習の長いはしごの、最初の1段にすぎない。
フォニックス後も、おそらくは大学受験の英語まで、
ディスレクシアには普通とは異なるアプローチが必要になる。
しかしながら、thisをなんと読むか、
中3の1月まで分からないディスレクシアもいるほどなのだから、
ディスレクシア的にはフォニックスは不可欠。
◆聞く→話す→読む→書く
日本にいる普通の人(非ディスレクシア)の英語力は、
「読む」力が一番大きく、
それとほぼ同じくらい、「書く」力があり(※単なる書字能力)
それから一回り小さく「聞く」力があり、
さらに二回りくらい小さな「話す」能力がある。
教育方法としても、「読む」の円を大きくすることに主眼がおかれている。
字が得意な子は、「読む」から外国語に入ることができ、
「読む」が大きくなると、「書く」もおのずと大きくなる。
だが、ディスレクシアの英語力は、「聞く」が一番大きく、
それとほぼ同じくらい「話す」能力がある。
その半分くらいの大きさの「読む」円があり、
そのさらに2割くらいの大きさの「書く」円がある。
ディスレクシア英語教育は、大きい円から順にアプローチすべき。
つまり、「聞く」→「話す」→「読む」→「書く」の順に。
1)「聞く→話す」で文法力をどこまで伸ばせるか
2) 「話す」力に、「読む」力をどこまで近づけられるか
3)「読む」力に、「書く」力をどこまで近づけられるか
が、ポイントになる。
なお、「聞く」ときも、文字を見せながら。
文字を見せながら読んであげるのが「聞く」、
文字を自力で読んでもらうのが「読む」こと。
#という話をしたところ、
#「外国に行ったときの英語の学び方は、右ですよね」
#「四技能の学習方法は右であるべきだ」
#「右の円の外側に、「英語を遊ぶ」という円を描きたい(=モチベーションの円ですね)」
#などの感想を頂きました。
◆bとdは、ディスレクシア的には最後まで鬼門
「bとdの区別をどう教えるか」という話が出ました。
ベッドの絵を描くとか、ボールとバットのアクションとか、色々出ましたが、
予備校講師的には、bとdは、ディスレクシアなら最後の最後まで間違う
と言いたい!
butとdotを、年間で5回も読み間違えて、
読解に詰まって気絶しそうになったり、設問を間違えて頭を抱えたりして、
それでもW大に合格したりするのが、ディスレクシアです。
「bとdの区別ができなかったら、先に進めないよ!」
と、bとdだけの猛特訓をするのではなく、
何度でも、さらっと「あ、これbutだよ」と指摘するにとどめる
(↑こちらのテンションはできるだけ地味に。大げさに指摘しない、笑わない)
ほうが、この件に関しては効果的だと思ってます。
2016-05-11
大人ディスレクシアから教えられる「信じて待つ度量」
大人ディスレクシアのお話は、いつも含蓄に富んでいて、
重いテーマをもらうことが多いです。
これまでも何人か、そういった方とお話しする機会がありましたが、
どの方も話が深すぎて、考えこむうちに文章化できずじまいでした
(該当者の方にはこの場を借りてお詫びを)。
なので、今回はまとまらないなりに、書いておきます。
~~~
その方は奇しくも私と同学年で、出身地も同じ(横浜)。
今は妻子もあり、会社を経営しておられる、ディスレクシアです。
これまでの人生を、ご本人の口から聞くことができました。
一言でまとめれば「同期にこんなに波瀾万丈な人がいるとは!」
私とはまったく違う人生を送ってきた方と、
ディスレクシアという共通項でつながる不思議。
そして、やんちゃな半面、一言一言に含蓄がある方です。
多くを語りませんでしたが、小学校ではバカ扱いされ、
相当ひどい目にあったようです
(「今でも小学校の先生に会ったら殴れる」とのこと(- -;))
中学ではついに非行に走るも、
高校で良い先生との出会いがあり、更正したそうです。
これを聞いて、私が小学校の頃にバカ扱いされていた人を思い出しました。
クラスに何人か、漢字テストを何回受けてもほぼ0点という人がいました。
先生にも生徒にもバカにされていましたが、
思えば、その人たちのかなりの部分は、ディスレクシアだったのでしょう。
私は、字が人一倍得意というだけで、なんと過大評価されてきたことよ…
と申し訳なさでいっぱいになりました。
もじこ塾は、"若い頃、鼻持ちならないやつで、ごめんなさい"
という懺悔企画なのかもしれません。
☆ ☆ ☆
その方は、その後も波瀾万丈。
いわゆる、普通に大学を出て就職して、、という人生ではありません。
また、詳しくは控えますが、人より事件や事故に多く遭遇しています。
(事件はともかく、事故はもしかしてディスレクシア的なのかも?)
正義漢でもあります。
「自分は人の言うことを聞かない。親の言うことも聞かない。
仲間を守るために、上の人にたてついてしまう」と繰り返し言っていました。
私の仮説ですが・・・
ある種のディスレクシアは、弱者に寄り添う能力を持ち、
我が身を省みず権威にたてつくようになるようですが(周囲に事例複数あり)
この方もそのタイプとお見受けしました。
☆ ☆ ☆
いま、人を採用する立場になられて、
「中卒や高校中退の子のほうが、営業もうまいし、ちゃんと働いてくれる。
一流大学卒の人たちが、仕事が出来るとは限らない」
と言い切っていましたが、その半面、
「自分が若い頃のほうが、勢いで仕事につけた。今のほうが難しいかも」とも。
この言葉は重いです。
私自身は、子のおかげで、学歴信仰から抜け出すことができました。
「子がディスレクシアで最もよかった点」の一つと思っています。
無駄に学歴だけはある者(笑)にとって、
このピラミッドから外れたところにも多彩な能力があるし、
違う道もあるんだと分かったことは、本当に大きいことでした。
しかし、この方は、"違う道"を歩いてきたにもかかわらず、
「今の日本では、"違う道"を歩くのは、20年前よりも難しくなっている」
と言っているのです。
う~む・・・そうですか・・・これは重いです。
☆ ☆ ☆
この方も、お子さんが学校でディスレクシアだと指摘されたのをきっかけに、
自分もディスレクシアだと気付きました。
それまでは字が苦手なのも、人の顔や名前が覚えられないことも、
英語ができないことも、"性格"だと思っていたそうです。
これも多くは語れないのですが・・・
そこには、小説のように美しい、ディスレクシアな父子関係がありました。
「息子は、時間を守ること、あいさつ、敬語、人づきあいが
きちんとできればいいと思っている。
彼はそれを身に着けつつあるので良かった。」
「もうちょっと成長すれば、人の痛みが分かるようになるだろう。
読めないことで、彼はそれを早くに知ることができる」
。゜。゜(ノД`)゜。゜。
こういう指摘って、なかなか母親からは出てこないですよね。
☆ ☆ ☆
「ディスレクシアは治るんですか?」
と、ストレートに聞かれました。
この問いには目が点になりました(゜Д゜)
だって、ご自身の今のご活躍されている様子が、答えそのものなのに!
無粋ですが、もうちょっと説明してみると、
「ディスレクシア的な性質は、一生続く。
それを持ち味として生かし切ることで、社会人として問題なくやっていける。
読み書きの苦手は、日本語はまあカバーできる。英語は大変だけど…」
まとめると、治るというよりは
「得意を発展させることで、苦手が覆い隠される」ということらしいです。
(この方は、現在は、日本語は特に問題なく読み書きできるようです。
カタカナだけ、若干あやしいようです。
マンガで字を覚えた、親が厳しかったとも言っていました。)
☆ ☆ ☆
経営者としての発言からは、かずかずの修羅場をくぐった深さを感じました。
そこから、
「ディスレクシアは、学習面では、完成形に達するまでに普通より時間がかかる。
だが、意識を高く持って、時間をかければ、いずれは到達点に達し、
しかも、到達したときには、普通の人以上に深い洞察を得る」
という「ディスレクシア=遅咲き」説を改めて確認しました。
この方も、15や18のときの、テストの結果はどん底だったでしょう。
20代でも、上司に啖呵切って会社をやめたりして、周りをはらはらさせていたかもしれません。
でも、40代も半ばにもなると、同年代の安穏と過ごしてきた人よりも、一つひとつの指摘が深いのです。
お話ししていて、「ディスレクシアな子の力を信じて待つ度量が必要なんだ」
と、改めて感じました。
読み書きの訓練はこつこつ続けるべきですが、
「遅咲きなんだからゆっくり行こう」と、ど~んと構えることも
ディスレクシアの子には同じくらい必要なのです。
(学校だと、どうしても、すぐに結果を出すことが求められますが…)
~~~
そのほかでは、
・同い年で、同じ横浜にいたのに、見ているものがだいぶ違う!
80年代の中華街や本牧、寿町がいかに怖かったかを話して下さいましたが、
そういうことを高校生で実体験しているなんて・・・
私ときたら、サーティーワンに行ったらすごく寄り道したと思うような、
超~まじめなガリ勉高校生でした(苦笑) なんかくやしい。
これも、字が読めることがもたらす損でしょうか。
・味覚と嗅覚がとても敏感だそうです。
(私はなぜか、そういうディスレクシアによく遭遇します)
しかも、おいしいものを食べたら、自力でほぼ再現できるのだそう。
・人が話している声を聞くと、人が話している映像が思い浮かび、
そこから意味を理解する(??!)そうです。
声を聞いても、文字は浮かばないようです。
(もしかして、声を聞いて文字が浮かぶのは、私だけでしょうか?)
・「障害と言われて一人だけ違う扱いを受けるくらいなら、
バカと言われるほうがまし。
学校に負い目は作りたくない。きっと息子もそう思ってるはず」
・・・はい、うちの子もそう言ってます。
学校に何を求めていくかについて、難しさを感じました。
重いテーマをもらうことが多いです。
これまでも何人か、そういった方とお話しする機会がありましたが、
どの方も話が深すぎて、考えこむうちに文章化できずじまいでした
(該当者の方にはこの場を借りてお詫びを)。
なので、今回はまとまらないなりに、書いておきます。
~~~
その方は奇しくも私と同学年で、出身地も同じ(横浜)。
今は妻子もあり、会社を経営しておられる、ディスレクシアです。
これまでの人生を、ご本人の口から聞くことができました。
一言でまとめれば「同期にこんなに波瀾万丈な人がいるとは!」
私とはまったく違う人生を送ってきた方と、
ディスレクシアという共通項でつながる不思議。
そして、やんちゃな半面、一言一言に含蓄がある方です。
多くを語りませんでしたが、小学校ではバカ扱いされ、
相当ひどい目にあったようです
(「今でも小学校の先生に会ったら殴れる」とのこと(- -;))
中学ではついに非行に走るも、
高校で良い先生との出会いがあり、更正したそうです。
これを聞いて、私が小学校の頃にバカ扱いされていた人を思い出しました。
クラスに何人か、漢字テストを何回受けてもほぼ0点という人がいました。
先生にも生徒にもバカにされていましたが、
思えば、その人たちのかなりの部分は、ディスレクシアだったのでしょう。
私は、字が人一倍得意というだけで、なんと過大評価されてきたことよ…
と申し訳なさでいっぱいになりました。
もじこ塾は、"若い頃、鼻持ちならないやつで、ごめんなさい"
という懺悔企画なのかもしれません。
☆ ☆ ☆
その方は、その後も波瀾万丈。
いわゆる、普通に大学を出て就職して、、という人生ではありません。
また、詳しくは控えますが、人より事件や事故に多く遭遇しています。
(事件はともかく、事故はもしかしてディスレクシア的なのかも?)
正義漢でもあります。
「自分は人の言うことを聞かない。親の言うことも聞かない。
仲間を守るために、上の人にたてついてしまう」と繰り返し言っていました。
私の仮説ですが・・・
ある種のディスレクシアは、弱者に寄り添う能力を持ち、
我が身を省みず権威にたてつくようになるようですが(周囲に事例複数あり)
この方もそのタイプとお見受けしました。
☆ ☆ ☆
いま、人を採用する立場になられて、
「中卒や高校中退の子のほうが、営業もうまいし、ちゃんと働いてくれる。
一流大学卒の人たちが、仕事が出来るとは限らない」
と言い切っていましたが、その半面、
「自分が若い頃のほうが、勢いで仕事につけた。今のほうが難しいかも」とも。
この言葉は重いです。
私自身は、子のおかげで、学歴信仰から抜け出すことができました。
「子がディスレクシアで最もよかった点」の一つと思っています。
無駄に学歴だけはある者(笑)にとって、
このピラミッドから外れたところにも多彩な能力があるし、
違う道もあるんだと分かったことは、本当に大きいことでした。
しかし、この方は、"違う道"を歩いてきたにもかかわらず、
「今の日本では、"違う道"を歩くのは、20年前よりも難しくなっている」
と言っているのです。
う~む・・・そうですか・・・これは重いです。
☆ ☆ ☆
この方も、お子さんが学校でディスレクシアだと指摘されたのをきっかけに、
自分もディスレクシアだと気付きました。
それまでは字が苦手なのも、人の顔や名前が覚えられないことも、
英語ができないことも、"性格"だと思っていたそうです。
これも多くは語れないのですが・・・
そこには、小説のように美しい、ディスレクシアな父子関係がありました。
「息子は、時間を守ること、あいさつ、敬語、人づきあいが
きちんとできればいいと思っている。
彼はそれを身に着けつつあるので良かった。」
「もうちょっと成長すれば、人の痛みが分かるようになるだろう。
読めないことで、彼はそれを早くに知ることができる」
。゜。゜(ノД`)゜。゜。
こういう指摘って、なかなか母親からは出てこないですよね。
☆ ☆ ☆
「ディスレクシアは治るんですか?」
と、ストレートに聞かれました。
この問いには目が点になりました(゜Д゜)
だって、ご自身の今のご活躍されている様子が、答えそのものなのに!
無粋ですが、もうちょっと説明してみると、
「ディスレクシア的な性質は、一生続く。
それを持ち味として生かし切ることで、社会人として問題なくやっていける。
読み書きの苦手は、日本語はまあカバーできる。英語は大変だけど…」
まとめると、治るというよりは
「得意を発展させることで、苦手が覆い隠される」ということらしいです。
(この方は、現在は、日本語は特に問題なく読み書きできるようです。
カタカナだけ、若干あやしいようです。
マンガで字を覚えた、親が厳しかったとも言っていました。)
☆ ☆ ☆
経営者としての発言からは、かずかずの修羅場をくぐった深さを感じました。
そこから、
「ディスレクシアは、学習面では、完成形に達するまでに普通より時間がかかる。
だが、意識を高く持って、時間をかければ、いずれは到達点に達し、
しかも、到達したときには、普通の人以上に深い洞察を得る」
という「ディスレクシア=遅咲き」説を改めて確認しました。
この方も、15や18のときの、テストの結果はどん底だったでしょう。
20代でも、上司に啖呵切って会社をやめたりして、周りをはらはらさせていたかもしれません。
でも、40代も半ばにもなると、同年代の安穏と過ごしてきた人よりも、一つひとつの指摘が深いのです。
お話ししていて、「ディスレクシアな子の力を信じて待つ度量が必要なんだ」
と、改めて感じました。
読み書きの訓練はこつこつ続けるべきですが、
「遅咲きなんだからゆっくり行こう」と、ど~んと構えることも
ディスレクシアの子には同じくらい必要なのです。
(学校だと、どうしても、すぐに結果を出すことが求められますが…)
~~~
そのほかでは、
・同い年で、同じ横浜にいたのに、見ているものがだいぶ違う!
80年代の中華街や本牧、寿町がいかに怖かったかを話して下さいましたが、
そういうことを高校生で実体験しているなんて・・・
私ときたら、サーティーワンに行ったらすごく寄り道したと思うような、
超~まじめなガリ勉高校生でした(苦笑) なんかくやしい。
これも、字が読めることがもたらす損でしょうか。
・味覚と嗅覚がとても敏感だそうです。
(私はなぜか、そういうディスレクシアによく遭遇します)
しかも、おいしいものを食べたら、自力でほぼ再現できるのだそう。
・人が話している声を聞くと、人が話している映像が思い浮かび、
そこから意味を理解する(??!)そうです。
声を聞いても、文字は浮かばないようです。
(もしかして、声を聞いて文字が浮かぶのは、私だけでしょうか?)
・「障害と言われて一人だけ違う扱いを受けるくらいなら、
バカと言われるほうがまし。
学校に負い目は作りたくない。きっと息子もそう思ってるはず」
・・・はい、うちの子もそう言ってます。
学校に何を求めていくかについて、難しさを感じました。
2016-04-12
もじこ塾春期講習:受講後の感想
みなさん!ハンカチの用意はよろしいでしょうか。
もじこ塾春期講習の感想をご紹介します。
(感想をさっそくお寄せ下さった方々に、取り急ぎこの場を借りて御礼申し上げます):
-------------------------------------------
春期講習、とても熱心に指導して頂きありがとうございました。「前置詞と発音だけでこんな劇的に変わるとは!」
何が?とたずねたら
「俺でも読めるんだな。」でした。
今までとの違いに驚きと、それと嬉しい気持ちがいっぱいで出てきた言葉です。
録画を弟も私も一緒に楽しく何度も繰り返しみました。
受講させて頂けたことで息子が自分自身の変化を実感できたことに、嬉しく、とても感謝しています。
(新高1・男)
。゜。゜(ノД`)゜。゜。
初日、「親がいつのまにか申し込んでいた」とつぶやいた彼は、
部活で競技生活を送ることを条件に高校入学していることもあり
高校生活へのモチベーションは抜群にありました。
ちょっと英語を読んでもらうと、前置詞が分かっていないことが見て取れたので
初日は前置詞を教え、
翌日は単語の読みに苦労していたので、3日でジョリーの42音を教えました
(上で「発音」と言われているもの)。
最終日は「やることいっぱいあるから母には来ないでと言った」と言い
高校の教科書の予習(音読と訳の録画)にひたすら励みました。
4日目、読める自分に驚く暇もないとばかりにひたすら録音する姿は、
ほんとに美しかったです。。
「この調子で部活を頑張れば、その競技で大学に入るのも夢じゃないよ」
と告げました。
彼はアスペルガータイプだそうで、
課題を明確に示すと、確実にこなしてきます。
-------------------------------------------
「又夏休みに講座があったらよろしくお願いします。 楽しかったです」
という、とてもシンプルな答えが返ってきました。
作文などが苦手なので自分の感想を聞かれてもこんな感じですが
親が代弁すると
今まで、 いろいろな塾を体験した事があり好き嫌いがハッキリしてる子で…
英語への拒絶反応が今まで特に酷かった…それなのに
今回のもじ子先生の短期講習で… もしかして自分でも英語わかるようになるのかも…
と、思えたようです。
先生から教えて頂いた家庭学習の方法も気をつけて実践する様に頑 張ってみます。
個別塾の先生方にも一応説明したのですが、
音読ができるまでは文法は教えられないと言われてしまいました。
先生という職業の方は中々新しい方法を受け入れてもらうのに時間 がかかるものなんですね。。。
(新中2・男)
-------------------------------------------
キミから「夏にもまた来たい」と言われるだけで、
先生は、教えたかいが十分にありましたよ( ̄ー ̄)また会おうね~
「カレンダーに「もじこ」って書いてあって何だろう?と思ってたら
1週間前にこのことを告げられた」「親はいつも無理やり僕を連れ回す」
「英語ができるようになりたいとは全然思わない」と公言していた彼。
英語の授業はまったく理解出来ないとのことで、
1~3日目でジョリー42音を攻略。
耳が抜群に良く、元来真面目でもあり、
rとl、aとoとuも、翌日には完全に言い分けられるレベルに仕上げてきました。
最終日には中1の文法を時間の許す限り口頭で伝授。
口もよく動き、理解度も申し分ないものでした。
最後にはiPadを指して「これなら分かるのに」。
「一切書かせずに文法をざっと教えて、口で完璧にリピートできたら書く」
が最も合っているタイプとお見受けしました、が、
「音読ができるまでは文法は教えられない」ですか・・・orz
彼は、多動のない、純粋?なディスレクシアと感じました。
例文ひとつにも、絵や状況が見えているタイプです。
この絵を大事にすることが指導のポイントでしょう。
-------------------------------------------
もじこさん、こんにちは、◎◎です。 先日の春講習ありがとうございました。
その時に、私の意見を送っていいとおっしゃってくれたので、 送ろうと思います。
迷惑でしたら無視して構いません。
下が意見です。
多くの人は、若者は学校に行って勉強します。 その中にはディスレクシアは必ずいます。ですが、 学校に行ってないディスレクシアは必ずいます、 事例として私がです。
私はもの心ついた時からいろんなことを知りたい、 学びたいとゆう知的好奇心は溢れていて、 絵を描いたり物語を作ったりすることが好きですが、不登校です。
自閉症とゆう特性もあり、 現代日本の大人とは思えない教師との遭遇を何度も経験して、 小中高と合わせても1年未満しか学校に行ってません。
それはいいのですが、私は市販の「学校に行っている」 前提で作られている教材が使えません。 いろいろ教材を試して頑張ったのですが、失敗に終わりました。
学校に行けない、教材もない、 どうやって勉強するのかわからない。 ものすごい努力と根性で歴史の本などを読み、 読める本で知識を得るしかない。それも、ひとりで。
勉強できないうっぷんを創作活動ではらし、 それでも知識を渇望します。
学校に行かない人でも、学びたいと思う人はいます。 10年20年先に全ての人が学べる社会ができていてほしいと、 思います。
もじこさんとの授業は楽しかったです。
では、失礼します。
(17歳・女)
-------------------------------------------
。・ ゚・。* 。 +゚。・.。* ゚ + 。・゚・(ノД`)。・ ゚・。* 。 +゚。・.。* ゚ + 。・゚・名古屋から来てくれたかぐや姫。
今回受講された女子は全員、男子とは対照的に
「もじこ先生に会うのが楽しみだね~」とお母様と話しながら来ました。
一人で、ものすごいエネルギー(念力とも言う)を使って英語を読んでいたので、
もう少し楽に読めるよう、5文型を教えてあげました。
頭の中に途方もなく豊かなイメージの世界をもっている彼女は、
ひとつひとつの切り返しが宇宙人的で、ものすごく鋭くて、
教えていてとてつもない浮遊感?! 新たな視点を得る感覚を味わいました。
このタイプも、内的世界に寄り添い、
例文ひとつにしても、その内的世界を損なわない指摘をすることが
大事だと感じました。
かぐや姫さんの「学校に行っていない人でも学べる英語の教材がほしい」
という願い、しかと受け止めました。
このブログの横に、「ホームスクーリング・ウィズ・ディスレクシア」
というブログへのリンクが貼ってあります(残念ながら英語のみなのですが)
カリフォルニア在住、8児のうち7児がディスレクシアで、
全員をホームスクーリングして20年目というお母さん
(というか、ディスレクシア教育の大実践家)のブログです。
引用したことはないのですが、私もすごく参考にさせてもらってます。
かぐや姫さんのためにも、いずれきちんと紹介したいです
(だれか訳すの手伝ってくれ~)
続きの話は木曜に!残席僅少、ぜひお越し下さい→★
と同時に、遠方のかたにも当日の様子をシェアする仕組みを、現在検討中です。
当ブログが、むしろ東京以外の方々からのコメントによって発展してきたことを
私は忘れたことがないのです。詳細は後日!
2016-04-04
ディスレクシアと左右盲(または「ディスレクシアは線形感覚が不足している」)追記
この記事は、このコメント→★へのお返事です。
「ディスレクシアは、線形感覚(言葉が順番に並んでいるという感覚)が
多かれ少なかれ、一定のレベルで不足しているらしい」
という内容です。
☆ ☆ ☆
まずは私の左右盲なエピソードから。
もう1ヶ月以上前のことになりますが、わたくし、
右折禁止のところで右折して反則切符を切られました(泣き笑い)
「ここ右折禁止なんですよ。地元の人? 看板見えませんでしたか?
けっこう大きい看板が出ているので、次に通ったときに見て下さいね」
・・・ええ、気付いてました。これですよね。
| あまりに悔しいので、再訪してきました(笑) |
冷静に考えれば、自家用車は右折禁止だと分かるのですが…
「除く」と書かれるとわちゃわちゃして、根拠のない自信が(→ADHD)
・・・このように私は、時々左右が分からなくなります。
こういう性質を「左右盲」と言うらしいことは、
コメント欄で教えて頂きました→★
地図も、一度しっかり見ておけば、頭の中にGPSが見える人ですが、
時々、東西や南北を逆に進んでしまいます。それもきれいに真逆で(汗)
私は、字は人並み以上に読める人のようですが、
ディスレクシアな子との共通点が、この「左右盲」らしいです。
☆ ☆ ☆
ディスレクシアと左右盲は、かなり深い関係があるようです。
そう指摘する本の、内容を抜粋して紹介します。
| Dehaene,
S.(2008): Reading in the Brain: The New
Science of How We Read (直訳するとスタニスラス・ドゥアンヌ「読み方の新しい科学」) 和訳はないようです。誰か訳してくれ~ |
このなかで著者は
「人間の視覚的記憶には、左右の区別が含まれていない」と言い、
例として、「この絵は正しいモナリザだろうか?」と問います:
・・・実は左右反転しています。
このように、視覚的な記憶からは左右が抜け落ちるらしいのですが、
動物においては、それがもっと進んでいるらしいのです。
「動物は左右を区別しない。
左右反転したものを同じと見なすほうが、生存に適しているから。
左向きのライオンと右向きのライオンを別物と認識していたら、食べられてしまう」
「ヒトも動物と同様、対称性を認識する力を持って生まれてくる。
だが、発達の過程でこれを「上書き(un-learn)」することで、
やがて左右を異なるものとして認識するようになる。
この力が線形感覚につながり、読字の前提となる。」
言い換えれば、
動物は左右盲であり、人間も生まれたときは左右盲だが、
成長とともに左右盲の能力を失い、
かわって、線形感覚(左から右に流れる、順番の感覚)を獲得する。
それによって、字が読めるようになる。
ということです。
著者によれば
「対称性を認識する力は、読み能力にとって邪魔」
つまり「左右盲があると、読み能力に悪影響が出る」。
で、ディスレクシアの原因のひとつに、この左右盲があると言うのです(!!)
そして、過剰な対称性=「左右盲が上書きされなかったこと」
が原因の、英語ネイティブのディスレクシアの例を紹介しています。
その方は、字、語、語順、すべてのレベルでが欠落しているそうです。
字は鏡文字、時々右から左に書く、語もsawがwasになったりする、
そして語順も、SVOがOVSになる(I play tennisがtennis play Iになる)
らしいのです・・・!
☆ ☆ ☆
言語というのは線形的なものです。
英語の場合は、
「e」という文字ひとつとっても、
左からはじめて右に進み、上に曲がって反時計回りにほぼ一周し…と、
どのような順番/向きに線を引いていくかが重要です。
語も、アルファベットが所定の順番に並ぶことで、初めてオトになります。
そして、文レベルでも、英語は語順が非常に重要です。
文の一番最初に来る名詞が主語、つまり「~が/~は」の意味になり、
次に動詞が来て、その次に来る名詞は必ず「~を/~に」の意味になります。
「~を/~に」以外の意味でつなぎたい場合は、必ず前置詞を使います。
(↑ディスレクシアな中学生には、こう説明すると腑に落ちるようです)
「ディスレクシアの原因に線形感覚の不足(左右盲)がある」ということは、
日本語に置き換えると、何を意味するのでしょうか。考えられるのは・・・
1) 鏡文字を書く。
字のレベルでの左右盲。
ディスレクシアの典型的症状?と言われます。
が、実は、大人になるとけっこう減るようです。
2)助詞が苦手。
助詞は語と語のつなぎ目です。この部分が苦手なようです。
「これまで助詞は無視してきました」と語る大人ディスレクシアに、
私はけっこう多く遭遇してきました。
いわく、助詞は
----------------------------------------
追記:この点について、指摘を受けましたので、貼っておきます。
うーむ、確かに「オトに対して意味が大きすぎる」のような気も。
だんだん分からなくなってきた・・・
# 助詞は「オトに対して意味が小さすぎるから」について(日本語)
私は逆だと思います。「音に対して意味が大きすぎるから」です。
例えば4種類の絵から正解を選ぶ問題。「 おまわりさんが泥棒を追いかける。」これは簡単。
「泥棒がおまわりさんを追いかける。」「 おまわりさんを泥棒が追いかける。」「お巡りさんが泥棒に追いか けられる。」これはどうでしょうか。(4種類だったのは、〜 を持って、など長文だったので)
この問題は、「音→言葉」に弱い失語の人では、 間違えやすいと言われている。 「が」、「に」を判断しないといけないから。
「が」、「に」を聞き取れるかが重要なのです。
----------------------------------------
3)文と文の「つなぎ言葉」が苦手。
「しかし」「だから」など、文と文をつなぐ言葉が苦手なケースが多いようです。
ただ、この部分は、教えれば「ああ、そういうこと!」と腑に落ちるようです。
また、「しかし」が入るべき場所に「しかし」を入れないで話してしまう人も、
空所問題で「しかし」を選ぶことは、わりとできるようです。
4)作文が苦手。ものごとを順を追って述べられない。
概念を、他人に伝わりやすい順番で並べていくのが苦手。
主語がなく、述語だけで話すので、何の話をしているのか分からない。
話が飛躍する・・・などの症状がみられます。
うちの子はこの問題がかなり大きいです。
☆ ☆ ☆
ここで私自身の経験を申しますと…
実はわたくし、25歳の頃(人生で一番読めなくなり、失語症というかすべての言葉が同時に出てきたがるので混乱が激しかった時期)に、「英語のつなぎ言葉(however)などに注目すると書き手の言いたいことってこんなにもよく分かるんだ!」と感動し、それがテーマの問題集まで書きました(あえてリンクは貼りません)。
この問題集は出講先の予備校の講師仲間からボロクソに言われ、某巨大掲示板では悪口のスレッドも立ち(泣)、かなり傷つきましたが、いまでは高校の教科書にも、そのとき私が使った用語がパクられています(笑)。
このとき何が分かったかというと・・・
「つなぎ言葉」をめぐる評価は、
「そこを教えてもらえると本当にありがたい!」という人たちと、
「そんなことは言うまでもなく当然。わざわざ教えるほうがおかしい」
という人たちに、二分されるということです。
私(字が非常に読める左右盲)の実感では、
つなぎ言葉への意識は、線形感覚を保つために非常に役に立っています。
なので、ディスレクシア英語学習では、
「つなぎ言葉」を意識させるような指摘が有用だと感じています。
そして、ディスレクシアな人の困り具合をはかるときに、
視読(文字を、オトにしないで直接意味を知ること)、
言語音の相対音感(オトを文字に落とし込むのに困難を覚えること)
に加え、この左右盲の3点の絶対的・相対的な強さを観察すると、
いろいろアドバイスできる…ような気がしています。
ご意見求む!
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