中邑賢龍・東大先端研教授のインタビュー。
「診断が下っても、親も教師も何もできない」あたりは、昨日のEテレの番組での発言を詳しくしたものですね。
「今あるテクノロジーを、その子に合ったように使う。勉強に使えるものは何でも使えばいい」
「学校が機器導入の壁になっている」
「日本の今の教育制度では、大学で素晴らしい研究ができる能力を秘めた子でも、学習面に少しでも苦手な部分があると高校までたどり着けていない」・・・私が予備校で出会っているのは、
そんなふるいをもかいくぐった、
特別にタフで賢く、しかも幸運が重なった子たちなのかもしれません。
中邑教授が言っていることには全面賛成なのですが、昨日の番組も含めて思ったのは、「iPadを使って参加する”授業”そのものが旧態依然としていないか?」ということです。
きれいに板書してノートに写させるのは、プリントを作れなかった時代の名残であり、コピー機でいくらでもプリントが作れる時代には時間の無駄です。
プリントをうまく使えば、板書よりもはるかにテンポよく授業を進められます。
iPadが登場して黒板が手元にある状態になれば、さらに授業のあり方も変わるべきでしょう。
「国語から読み書きを、算数から計算を分離」は反対がものすごそうですが、本当にそうできたら学校現場はドラスティックに変わるでしょう。
現行の小学校低学年では国語は書き取りと音読、算数は計算がほとんどなので、教えている内容のほとんどが吹っ飛びます(笑)
読み書き計算を別教科にすることで、国語算数に残るのは議論、創作、他教科との融合的な内容、実生活への応用・・・になるはずで、独創性を伸ばす教育にかなりシフトするでしょう。
「学力」の定義が本当にいま問われていると思います。
このインターネット時代、仕事もプライベートも、さらには大学でも、入力・検索・共有・発信が前提で、その中でどう自分を打ち出していくかが問われているのに、学校と入試だけは手書き・暗記・知識独占が前提になっています。
インターネット社会で生きていくのに役立つ内容へと「学力」もシフトしていくべきです。
旧態依然とした内容を教えられるのは子供も「?」だし、子供が社会の役に立てない人に育ってしまったら親も困るのです。自分の年金だってあやういのに…。
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私のメンターが、下村文科相が学習障害・発達障害対策を進めていく決意であることを示す、さらなる証拠文書?をくれました。
下村大臣には、中邑教授を中教審委員などに登用してもらい、
上で話されているような初等中等教育の改革さらには入試改革をどんどんお願いしたいです。















